ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2011年 12月 04日

中国農村版ロードムービーか?(中国インディペンデント映画祭2011 その1)

12月3日(~16日)から「中国インディペンデント映画祭2011」がポレポレ東中野で始まりました。今年で3回目だそうです。

中国インディペンデント映画祭2011
http://cifft.net/2011/index.htm
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中国現代アートの作家たちと同じように、この社会を生きるひとりの人間として、多くの人の目に触れることはなくても、自由な映像表現を志す中国人というのは確かに存在しています。彼らの制作するいわゆるインディペンデント系作品は、多くの場合、自国の人たちにではなく、海外の映画祭に出品されることで、外国人たちの好奇と鑑賞の対象とされるという構造は、ことの良し悪しはともかく、今に始まったことではありません。

彼らは中国社会全体から見れば芥子粒のような集団かもしれませんが、この国の良心とも呼ぶべき存在になりつつあると思います。本人たちは自分たちのことを「地下工作者」などと自嘲的に呼ぶことが多いですが、ここ数年国際的な評価を勝ち得ていくなかで、自信を持ち始めているように見えます。

凝ったシナリオや舞台装置、演出によらず、対象にギリギリまで近づいてカメラを回すことで、ある意味無防備なまでに中国の生の現実をさらけ出していくような作風の多い中国のインディペンデント系の映像作品を観ることは、ぼくにとって“参与観察”の延長線のようなところがあります。場所が日本でも中国にいるときでも、中国の人たちに交じって彼らの世界を“参与観察”しているときの心境は、映画館で映像作品を黙って観ているのと似ています。

それでも、初日に観た楊瑾監督の『冬に生まれて(二冬)』(2008年)は、ぼくが普段カバーしているつもりの“参与観察”の領域をはるかに超えていたと観念せざるを得ませんでした。終映後、監督への質問タイムがあったのですが、中国の農村の若者の物語について何をどう聞いたらよいのか思いつかず、しばらくの間言葉を失ってしまった、というのが正直なところです。

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『冬に生まれて』楊瑾監督作品 2008年 150分


あらすじはこうです。山西省の片田舎で片親に育てらた二冬という若者が、喧嘩に明け暮れ、地元で問題ばかり起こすものですから、母親によってキリスト教会の学校に入れられてしまいます。しかし、そんな彼が学校になじめるわけがなく、退学されてしまうのですが、そのとき同級生の女の子を連れて学校を出て行くのです。それは駆け落ちなのか何なのか、結局彼は知り合いの炭坑現場で働くことになるのですが、すぐに彼女を妊娠させてしまい、ふたりはあっけなく結婚、母の家で暮らすことになります。それでも、二冬の仕事は長続きしません。ついには不法伐採をして警察に拘留され、帰宅すると、女の子の赤ん坊が待っていました。

その後、彼は自分が母親の実の子ではないことを知ります。村はずれにある子捨ての場所として知られている巨石の下に捨てられていたのを、いまは亡き父親が拾ってきたのだと、母に告げられるのです。彼はその巨石を爆破し、旅に出る……。

そんな切ないといえば切ないけれど、なんとも間の抜けた主人公のさえない日常が延々と150分間映し出されるという映画です。

これまでぼくは中国の相当辺鄙な場所までのこのこ出かけて、うろついてきたつもりなので、この作品の舞台となっている中国の辺境地域の農村風景や轟音を立てて走る旧式のバス、粗末な家屋などの世界を見知ってはいます。でも、そこで暮らす人たちの内面、今回でいえば、主人公の二冬や彼の子を身ごもる彼女が何をどう考えて、そのようにふるまっているのかといった微細な心理や彼らの置かれた境遇の深い背景まではよくわからない。都会の若者ならともかく、中国の農村の若者の心というのは、我々には難題です。今日の日本人が考える田舎のイメージとは激しく隔たりがある世界といっていい。我々にとって、中国の農村でいま起きている出来事について、リアルな想像力を働かせることはそんなに簡単ではないと思います。

そうした戸惑いは、会場にいた若い中国人たちの質問からも感じられました。「方言がほとんど聞き取れなかったため、日本語字幕に頼るしかなかった」との発言もあったように、インディペンデント映画祭に来るような在日中国人の大半は都市出身者でしょうから(質問したのはなぜかみんな女性でした)、農村についての理解は日本人とそれほど変わらないのかもしれません。

ところが、楊瑾監督はこの地で少年期を過ごし、物語自体も実在する知人の境遇から創案したものだといいます。彼自身、かつてこの作品世界の住人だったというわけです。

一般に都市出身の映像作家が、外国人や大都市の住人がまず訪れることのない農村を舞台に選ぶとき、自然の過酷さや人びとの暮らし向きの悲惨さを強調してみせるか、あるいは詩情あふれるシーンを作り込むことで物語化するか。そのいずれかになる場合が多い気がします。これは現代アートの世界でも同じで、たとえば、煤煙で顔の真っ黒になった炭鉱夫たちの写真展が、炭鉱事故が頻発した2000年代中頃、北京の画廊では大流行でした。あくまで都市の側から異界としての農村を視ているわけです。

楊瑾監督は、黄河中流域の濁流以外にはこれといって目を引く特徴のない農村を舞台に(まあ中国の農村ってたいていこんな感じなのですが)、ひとりの若者の青春の彷徨(?)をほとんどドキュメンタリー作品のように撮っています。制作予算の少ないインディペンデント系作品では普通のことなのでしょうが、一般の興行映画の観客であれば、こんな世界に付き合わされてはたまらない。観客を泣かせるなり、深い感動やカタルシスを与えるなり、もっとメリハリの利いたドラマにしてくれよ。そう思うに違いありません(東日本大震災で日本での上映が取りやめになった『唐山大地震』のように!?)。

映画の最後で、自分の出自を知った二冬が彼女と赤ん坊を背中に乗せ、雪原をバイクで走っていくシーンが、アメリカンニューシネマみたいだという観客の声もありましたが、これってやっぱり青春映画だったんでしょうか? つまりは中国農村版のロードムービーなのか? ……なんて思っちゃうこと自体失礼な話でしょうけど。でも、誰に対して失礼? 監督に、それとも中国の農村に住む人々に対して? あー、ちょっとめんどくさいな。中国の農村の話を自分ごととして考えるにはあまりに世界が遠くて、正直お手上げです。

そんなボヤキが頭の中を飛び交いながらもあらためて思うのは、いったい二冬にはどんな未来が待っているのだろうか、という問いでした。そもそも監督は中国の農村にどんな未来を夢見ているのか? 直球すぎて、そんなことを急に聞かれても監督も困るかもしれませんが、質問タイムで聞いてみてもよかったかな、とあとになって思った次第です(もうひとつ聞いてみたいと思ったのは、中国の農村ではキリスト教がどのくらい普及しているのか。人びとの精神生活にどの程度影響を与えているのか、です)。いずれにせよ、普段中国の農村について考えたこともなかったひとりの日本の観客にこのような問いかけをさせたということに、この作品の持つ意味もあるのでしょう。
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終映後の質問タイムにて。右が楊瑾監督

終映後、スクリーンの前に現れた楊瑾監督と観客の受け応えを見ているとき、こういう人ってもう日本にはほとんどいないんじゃないかな(今日の中国の農村社会のような環境で少年期を過ごした人という意味です)。いるとしても団塊世代以上の年代か、相当辺鄙な山村か離島生まれじゃないとありえないのでは、と思ってしまいました。

彼は1982年生まれだそうですから、中国史上初めて現れた消費世代といわれる「80后」なのですが、都会育ちの子たちとは雰囲気が違います。子供時代を中国の農村で過ごした人間特有のおおらかさとふてぶてしさを併せ持っているとでもいうのか。都会の人間から見ると、ちょっととりつくしまのない感じもする。でも愛嬌のある人のようです。

実際、北京には彼のような農村出身のクリエイターもそれなりにいて、文化の多様性を生んでいるように思います。ここでいう多様性とは、相手のすべてを理解することは到底できないほどお互いの境遇や世界観が隔たっているということは中国では普通のことだし、すべてをわかりあえなくても仕方ないではないか、というような大ざっぱな感覚の共有が前提となって織り成されている世界とでもいいましょうか。中国社会の一面としての異質なものへの許容度の高さは、多文化社会に対する自覚的な認識からではなく、やむを得ないこととして社会に容認されている結果という感じでしょう。厳密さや完璧性を好む日本人には、雲をつかむような感じですが、楊瑾監督を見ていると、とても中国的な映像作家なんだなと思えてきます。

ただ、ご本人も質問タイムで白状していたように、女の子があまりきちんと描けていないのはちょっと残念でした。せっかくだから、もっと農村の若者の恋愛の機微を見せてもらいたかったな。二冬と彼女の性愛の描写だって、プロの役者ではないから無理とはいうけど、撮ってほしかった気がします。都市における性描写なんて目新しくともなんともありませんが、中国の農村における性のあり方というテーマは、単なる好奇心を超えて、監督の次回作品の題材だという一人っ子政策をめぐる問題とも直結していると思うからです。

もちろん、それは監督も承知でしょう。観客の質問に対してもいちいちボケを入れた返しを繰り出してくるような独特のほのぼのキャラクターですから、どんな新境地を切り拓いていくのか、次作を楽しみにしたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-04 20:29 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)


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