ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2011年 12月 26日

農村の老人たちの夜這いの物語(中国インディペンデント映画祭2011 その3)

12月5日は、『独身男(光棍儿)』を観ました。数日前、中国の農村の若者の物語(『二冬』)を観て、できることなら農村の性の世界も見せてほしいと書いたばかりですが、この作品ではそれがてんこもりで描かれていてちょっとびっくりしました。

You Tube『独身男(光棍儿)』

舞台は北京市の外縁に張りつくように広がる河北省のどこまでも乾いた大地に点在している山あいの村。初めての大学合格者が出たと村民総出でお祝いするほど、都市文明から隔絶された陸の孤島です。

(話の筋には関係ありませんが、こんな奥地に住みながら、一浪の末合格したこの村の若者はインターネットを使いこなしています。またこうした農村出身の若者が都市部の大学を卒業しても、特権階級の子弟でもない限り、蟻族になるほかないこともなんとなく見えてしまう。それがいまの中国です。

※ちなみに蟻族とは、2000年代半ば頃より中国で急増している大卒でありながら都市生活に見合った収入が得られないため、都市近郊のスラム地区にルームシェアしながら居住する地方出身者のこと。「80后」世代が多い(『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ』(2010年 勉誠出版))
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さて、物語は若い頃(文革の時代という設定)、恋人との結婚を反対された羊飼いの楊が主人公で、彼は50代の今でも村長の妻となった彼女と密通を続けています。そこには不倫という罪の匂いはなく、村祭りの夜、彼女のほうから楊の住む村はずれの小屋へ夜這いにやって来るというあっけらかんとしたものです。情事のシーンは直接撮られることなく、真っ暗闇の映像に白い字幕でふたりの会話だけが映されるという奥ゆかしい表現なのですが(これは他の中国インディペンデント作品『花嫁』でも同じでした)、驚いたことに、その村長の妻は楊だけではなく、同じ夜、村の独身男たちの家を何軒もハシゴしていくのです。

独身男といっても、冒頭で明かされるように、楊ですら最も若く、60~70代の老人たちです。若い頃、さまざまな事情があって結婚できずに老年を迎えた男たちですが、出張がちの夫の外出時を見計らって、彼女は男たちの家を訪ね歩き、ひとときの性を楽しみ、いくばくかの小遣いをせしめて帰るのです。その金は息子の大学進学のために使われることは一同承知しています。

外界から閉ざされた辺境の地での、一同納得済みで維持される性とわずかな金銭の交換を通じた複数の男とひとりの女の関係。まるで文化人類学のフィールド調査の対象を見ているようでもありますが、中国の農村では老人たちの性の供宴がこんな形で行なわれていたのか(もちろん、これはフィクションです)と正直呆れつつ、どこか納得させられてしまいました。

彼らの関係性のバランスが崩れるのは、楊が四川省出身の嫁を買ったことから始まります。中国の農村では人身売買が日常的に行なわれているとは聞いていましたが、6000元(約7万5000円)ほどの金と引き換えに現れた色白の若い女が、はるか彼方の四川の山奥で人さらいに遭い、拉致されてこの地に連れて来られた哀れな身の上であることは村人みんなが承知しています。それでも、誰も楊を非難したり見下すどころか、村の男たちはうらやましがるばかりです。これでは人権という観念がこの国では通じないのも無理はありません。このあたりの展開はいかにも今日の中国的で、よくできています。

面白くないのは村長の妻です。その6000元は口約束とはいえ、息子の大学進学資金に用立ててやろうと身寄りのない楊が以前話していた金だったからですし、何より楊が若い女に執心している姿を見るのは口惜しい……。ところが、女は楊のもとから逃亡を企てるのです。金で買ったとはいえ、年の差には抗えません。落胆する楊を尻目に、村の若い男が彼女を見初めて自分の嫁にしたいと言い出します。そのためには、楊に女を諦めさせ、代わりに彼が6000元を用立てなければならない。ひとりの女の売買をめぐって村中で金の工面の話をしている光景の異常さもそうですが、一人っ子時代の親に対する息子の甘ったれぶりには呆れてモノが言いようのない始末です。息子は老いた父親に迫るのです。「なぜ息子のために金を用意できないんだ。オレはあの女を嫁にしたいんだ」と。

結局、四川の女はその若い男すら置いて村を後にしてしまうのですが、我に返った楊は手元に戻った6000元をあっけなく村長の妻に渡します。こうして村の独身男たちと女の奇妙な関係はひとまず元に戻っていくのでした。

この作品を撮った郝杰監督は、河北省出身の1981年生まれ。なんでもこの物語は、すべて彼の地元の顧家溝村で実際に起こった話に基づいているそうで、劇中の人物は本人や彼の家族や親戚が演じているとか。夜這いの関係者がいるその村で撮影を行うというような無茶ぶりは、都会育ちの「80后」世代にはとうていできないやり方でしょう。

映画を観始めてから最初の30分くらいは、中国のとんでもないド田舎で繰り広げられる老人たちの夜這いの話とは、なんてたちの悪い露悪趣味だろうと思いましたが、観ているうちにだんだん認識が改められていきました。監督本人も「独身男のセクシーさに気づいたとき、我々は敬意をもって彼らの生命の軌跡にストップモーションをかける。その価値は永遠だ」とパンフレットの中で語っています。彼らがセクシーかどうかはともかく、この監督の人間の見つめ方はどこか魯迅的なところがあるようにも思えてきました。

もっとも、この若い監督が老人の性の問題をどこまで切実に理解して描いているのか。その生身の感触を知るはずがないからこそ、こんなにカラッと妙味たっぷりに表現できたのだと思いますが、そもそも「80后」の彼が、なぜこの題材を選んだのか。一人っ子政策の徹底と男尊女卑の社会風潮から男女比率の均衡が急激に崩れた結果、適齢期の男子が3000万人もあぶれてしまうという今日の中国社会、今後もさらなる超少子高齢化の未来が待ち受ける自らの老後の時代を見通してというわけでもないのでしょうけれど。

日本でいえば、老人ホームの色恋話がこれに近いのかもしれませんが、中国の農村出身の映像作家が描くこの特異な物語は、ずいぶん遠い世界の出来事だと思わざるをえません。老人の性を日本で描くとしたら、もっと違った表現になるのではと思うからです(そうでもないのかな。ぼくにはまだその境地がわからないので、なんともいえませんけど)。

中国の農村というある種の異界を、その地で生まれ育った若い世代がどう認識しているのか。こうした作品を観なければ、我々には思いもつかないものです。この作品の海外での評価が高いというのも、うなずけるところがあります。

今日中国において徹底的に貶められている農村社会に対する見方がちょっぴり変えられた作品でした。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-26 18:00 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)


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