2012年 12月 30日

羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口

「週刊東洋経済」に書いた北朝鮮・羅先(羅津・先鋒)経済貿易特区訪問記(2012年6月下旬)の補足情報。その1。
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羅津駅

羅先は1930年代半ば、満州事変後の日本が開発した港町だ。対ソ戦を意識した軍部と経済効率性を重視した満鉄が主導した新京(長春)や北満を北朝鮮東海岸経由で日本と結ぶ「日満最短ルート」の玄関口としてにぎわった。

「日満最短ルート」の提唱者には古くは内藤湖南がおり、満州国建国後は石原莞爾もそう。

日本が「間島」に進出したのは日露戦争後、いわゆる「間島協約」で延辺=「間島」の帰属問題(清か大韓帝国か)の調停をロシアに代わって介入したことに始まる。その後、日韓併合を経て、「間島」と日本をつなぐ玄関口となる清津港を開港させ、1917年に敦賀・清津間を平壌丸が就航している。 

当時、「間島」と清津をつないだのは天図軽便鉄道。日本は本格的な鉄道敷設を企図するが、「関島」では在住朝鮮人による反対の動き(大韓国復興に障害を来たすとの主張から)があり、敷設交渉が難航する。結局、満州事変以後、満鉄と軍はフリーハンドで吉会鉄道(吉林・会寧)を開通させ、そこから羅津港につなげる雄羅鉄道(雄基=先鋒・羅津)を敷設した。羅津港開港は1936年。

「日満最短ルート」が実質機能したのは1945年までの数年間にすぎないが、同誌にも書いたように、日本の敗戦後、70年間何も変わらなかったこの町に残っていたのは、ソ連のプラントと香港のカジノを除けば、日本時代に投資されたインフラだったことがわかる。その再活用にはまだ時間がかかりそうだ。

上から、1935年開通の雄羅線(雄基・羅津)の現在、南山旅館(旧ヤマトホテル)、羅津港、先鋒の町、中朝を結ぶ圏河橋(1937年竣工。2010年に改修され現在の姿に)。撮影は佐藤憲一さん。
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by sanyo-kansatu | 2012-12-30 05:51 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


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