2013年 02月 20日

ドキュメンタリーは中国の歴史を記録するという自負(中国インディペンデント映画祭2011 その8)

2011年12月10日、ポレポレ東中野の1Fのカフェで中国インディペンデント映画祭2011の関連イベントとして、「場外シネマシリーズ3-轟轟烈烈!! 中国インディーズ・ムービー <冬>パート2 新星」という作品上映&トークイベントがありました。

上映されたのは、張躍東監督の『犬吠える午後(下午狗叫)』というアート系作品でした。中国の現代アートの映像作品によく見られる、さまざまな寓意を含んだ実験的な作品で、今回映画祭に出品されたドキュメンタリー作品や自主映画のように、特定の場所や登場人物の境遇、それぞれのシーンを社会的な文脈にのせて意味を読み取ることのできるようなタイプの作品ではありません。感想はというと、寓意もまた文化的なコンテクストを共有していないとなかなか面白さが伝わりにくいなあ、という印象です。

会場で配られた資料によると、張監督のプロフィールは「1975年山東省生まれ。98年山東美術学院油画科卒、2002年北京電影学院監督専攻卒。CCTV勤務などを経て、05年に韓東らとインディペンデント脚本家のグループ『北門』を発足。現在はフリー監督」とあります。彼もまた今回の映画祭に出品している監督たちと同様、フリーランサーとしていまの中国で制作活動を行っている映像作家のようです。

このあとのトークイベントにも関係する話ですが、今日の北京は、表現に携わるフリーランサーたちでもなんとか“食っていける”ような環境にある数少ない中国の都市のひとつといえそうです。中国のアートシーンを切り開いてきた先行世代が過ごしてきた1990年代までとは違い、昨今バブル状況にある北京では、広告やテレビ業界に入り込めば、仕事の場もそれなりにあるでしょうし、時代を謳歌し、うまくしのいでいる人も多そうです。これは日本の1980年代にクリエイターと呼ばれた人種のありようと似たようなところがあるかもしれません。そういう環境下で、あえてドキュメンタリー制作を志すことにはどんな意味があるのでしょうか。

さて、トークイベントは「中国インディーズ制作の魅力と困難」というものです。

ゲストは、来日中の中国人監督で、これまで当ブログでも紹介した『占い師(算命)』『収穫(麦収)』の徐童監督と、『天から落ちてきた!』(2009)の張賛波監督のおふたり。司会の女性と映画祭主催者で通訳の中山大樹さんが登壇しています。

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右から徐童監督、中山大樹さん、張賛波監督


まず、それぞれのプロフィールを以下記しておきます。

●徐童(シュー・トン)
1965年北京市生まれ。中国伝媒大学卒業。かつてはスチールカメラマンをする傍ら、小説を発表していた。デビュー作『収穫(麦収)』(08)が世界で評価され、ドキュメンタリー作家に転向。『占い師(算命)』は2本目、3作目『老唐頭』も2011年完成し、各国の映画祭で好評を得ている。

●張賛波(チャン・ザンボー)
1975年湖南省生まれ。2005年北京電影学院大学院修士課程終了。北京電影学院では『花嫁』の章明から指導を受けていた。故郷である湖南省を舞台にした作品を撮っている。『天から落ちてきた!(天降)』は初のドキュメンタリー作品。映画評論家でもあり、雑誌などにコラムを執筆。

おふたりに共通するのは、北京在住のフリーのドキュメンタリー映像作家であるということです。

資料の中に、「中国のインディペンデント映画」に関する解説があります(以下、抜粋)。おさらいしておきましょう。

「1980年代末からテレビ制作に携わる者が自主的な作品づくりを試み始め、90年代末にデジタルビデオカメラが普及すると、さらに様々な立場の個人による映画制作が急速に広がった。初期の作品として知られるのは、呉文光の『流浪北京 最後の夢想家たち』(1990)『私の紅衛兵時代』(1993)や、張元の『北京バスターズ』(1992)『広場』(1995)など。今や知名度の高いジャ・ジャンクーもインディペンデントの映画制作を始めた草分けのひとり。最近では、ロウ・イエ(『スプリング・フィーバー』2009)やワン・ビン(『溝』2010)などが各国の映画祭で注目を浴びている。そして彼らだけでなく、中国では個人的に映像作品を手がけている人が数多く存在する。しかし、中国国内では公に認められていない表現活動であるため、表立って公開される機会は得られない。どの作家も、海外の映画祭に応募したり、市街のカフェで上映したり、DVDにして知人を通じて配ったりという方法で作品の発表をしている」。

この解説を読むだけで、中国のドキュメンタリー映像作家たちの社会に置かれた立場がわかると思います。こうした環境の中で、なぜ彼らが作品制作に取り組もうとするのか。それにはどんな困難が伴うのか。以下、おふたりのトークを収録することにします。

司会「おふたりはどういう経緯で映画をつくり始めたのですか?」

徐童「私が東京に来て感じたことは、インディペンデント映画を取り巻く空気がとてもいいことです。たくさんの観客のみなさん、特に若い人たちが来ていることがすばらしい。私たちのような中国の現実を反映した作品を海外の多くの人たちに観ていただく仕事はとても重要だとあらためて感じました。

中国はこの30年間大きな変化を遂げました。でも、必ずしもいい変化ばかりではありません。中国の現代化は、私の作品の登場人物たちにも大きな影響を与えています。下層を生きる人たちに大きな代償を強いているのです。ですから、彼らの生活を記録することは、中国の歴史の一部を記録に留めることになると考え、私はドキュメンタリーを撮り続けています。

私は以前、小説を書いたり、写真で現代アートをやったりしていましたが、映像はより現実をいきいきと伝えることができるので、ドキュメンタリーを撮るようになりました。私の最初の作品は『収穫(麦収)』(2009)で、今回の出品作は『占い師(算命)』(10)、最新作は『老唐頭(老唐头)』(11)といいます。この3作品を私は『遊民三部作』と呼んでいます。私はいま、新しい作品に取り組んでいます」。

張賛波「私が映画を撮るようになったのは偶然です。2009年の『天から落ちてきた(天降)』という作品が最初です。それ以前は、北京電影学院で劇映画の勉強をしていました。08年に作品の舞台となっている湖南省綏寧県のことを知り、ドキュメンタリーを撮ろうと思い立ちました(この土地は中国の衛星ロケット発射基地のすぐそばにあり、発射のたびに残骸や破片が落下してくるため、住人にとってはとても危険。北京オリンピックが開催された2008年においても、その危険は続いている)。

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張賛波監督



それ以降、この道を進むことになりました。電影学院時代の同級生の眼からみると、私は本来やるべきことをやらずに邪道なことをやっている輩と見られていると思います。毎年1本つくっていて、今回の出品作の『恋曲』(2010)、そしていまは『ある種の静けさは草原という名である』という作品を撮っています。

私の作品に対する考え方は徐童監督とは少し違い、海外の観客に観せることはあまり考えていませんでした。あくまで自己表現の手段です。個人的な考えを表現するためには、フィクションや小説でも構わないのですが、たまたま私はドキュメンタリーを選択しました。私のドキュメンタリーは、そこに登場する人々の存在や感情、抱えている困難な状況を描いています。その困難は集団としての場合、個人の問題である場合、民族としての場合もあります。彼らが困難に直面したときの精神状態はどのようなものか。それが私のテーマです。

私の制作方式は、ひとりで現地に行き、撮影し、編集するというものです。集団でつくるというやり方は選んでいません。小さなビデオカメラがあれば、ひとつの作品をつくることができる。ペンを持つのと同じことです。観客のみなさんに私の作品を好きになってくれればうれしいですが、もしそうでないとしても、これからも私は作品はつくり続けます」。

司会「中国と日本ではインディペンデント映画を取り巻く状況は違うようです。中国では国からの圧力があるといいます。政治的な理由で作品を発表できないこともある。それでもやる理由は何でしょうか。どんな魅力があるのですか」

徐童「中国で作品をつくるというのは大変なことです。もちろん、世界どこでも大変ですが。まずお金がないこと。ただし、中国の場合、資金的な問題以外に政治的な障害があります。映画館で上映する場合、作品を電影局の検閲に通さなければなりません。検閲を通ったという承認がなければ、映画館で上映できないのです。

最新作の『老唐頭』は広州の映画祭で上映する予定でしたが、公的なイベントだったため、広東省政府の検閲を通さなければならず、結果的に上映禁止にされました。問題はこうしたことが私個人だけではなく、普遍的に起こっていることです。ある監督は当局に呼ばれて、これを中国では『喝茶(お茶を飲む)』というのですが、事情聴取されています。それは尋問というような厳しいものではありませんけれど。私はまだそんな光栄に浴した経験はないのですが、当局から警告を受けている友人は他にもいます。

ですから、自由な表現をするということが、中国のインディペンデント映画にかかわる最も重要な問題です。民主的な国の人たちには理解できないかもしれませんが、私たちのいう『独立(インディペンデント)』という言葉にはこうした意味が多く含まれています。これが私たちの置かれた現状です。

ただし、私たちの抱えた政治的な制約によって、欧米の映画祭などでは中国人監督の作品がことさら着目される。それは誇張されている面もあると感じています。私たちは何も政治的なテーマばかりを扱っているのではなく、個人の問題を扱っているのだということを忘れないでいただきたいのです。そういう誤解を海外の人たちに与えているのではないかという懸念もあります。

もちろん、中国ではどんな内容であってもそこに政治的な意味が含まれないものはないとはいえる。下層に生きる人たちを、その個々の人たちの姿を撮るということは、それ自体が政治的な意味を帯びないということはありえません。しかし、私の作品が政治的、または芸術的な文脈を越えて、多くの人たちに伝わることを望んでいます」。

張賛波「私も基本的に徐監督に同感です。私たちの創作活動というのは、社会や時代に対する芸術性や政治性を超えて、普遍的な人々の感情や存在を表現するものでありたいと思います。

実は、先ほど私はひとりの日本の観客と話をしました。彼女は日本のテレビ局で青海省のチベット族のドキュメンタリーを制作しているという人です。彼女は映画祭のカタログにある『天から~』の解説文を読んで、私の作品が扱う題材が政治的に敏感なテーマであることを知りました。

彼女は私にこう質問しました。『こういう作品をつくると、当局からの圧力や投獄はないのですか』。彼女が心配したのは、自分が撮った映像を編集し、発表したとき、現地で協力してくれたチベットの人たちが巻き添えを食うのでは、ということでした。

そこで、私はこう言いました。『何かをやろうとするとき、怖れを抱いてはいけない。私はいつも、結果がどうなるかを心配するより、まず撮影してしまう。何か問題が起こったとき、初めてそれを考えるということにしている。もし私があなたのように心配していたら、作品はつくれなかったろう』。 

中国では常に何の危険もない状況というのはなく、何かをやろうとすれば何かしらの影響がありますが、かつての中国とは圧力といっても少し違います。私たち、ドキュメンタリー制作の関係者はとても狭い世界にいますが、今後は何らかの道を見つけていけるはずだと思っています。

いま中国でつくられているドキュメンタリーは、民間の歴史を記録として残すという意味で大きな貢献をしていると考えます。私の創作は個人的なものではあるが、長い目で見れば歴史の一部になりうる。これから数十年後、100年後、その仕事は大きな意味を持つと思っています。 

外国人が中国を撮ることも、同じ意味を持つでしょう。イタリア人の映画監督、アントニオーニが1970年代に中国に来て撮影した『中国』というドキュメンタリー作品があります。これは中国の歴史にとって重要な価値を持っています。文化大革命の時代に中国を訪れた外国人と同じように、いま中国で記録を残すことも価値となるはず。だから、怖れることなく作品を完成させたほうがいいと私は彼女に伝えたいと思います」。

おふたりの発言は、以前紹介した章明監督とも共通していて、いまの中国において、どんなに小さな個人の世界を扱うのだとしても、ドキュメンタリーを撮るということは、中国の歴史を記録することになるという自負があることです。

こうしたもの言い、すなはちリアルな社会の問題に対しても歴史を持ち出す態度というのは、ぼくから見れば、そのよしあしはともかく、まったく中国人らしいというほかありません。張監督の以下のような発言もそうです。

『何かをやろうとするとき、怖れを抱いてはいけない。私はいつも、結果がどうなるかを心配するより、まず撮影してしまう。何か問題が起こったとき、初めてそれを考えるということにしている。もし私があなたのように心配していたら、作品はつくれなかったろう』。 

このような物事の進め方は、表現に携わる人たちだけでなく、いまの中国を生きる一般の人たちの、たとえばビジネスに取り組む姿とも重なるように思います。それは敬服に値するということばだけでは言い表せないものですが、力強さはある。それも彼らの生きる環境のなせるわざなのでしょうか。

中国の知識層の中には、歴史に対する考え方がいかにも夜郎自大で、大衆に対する態度も超然とふるまうことを良しとするようなタイプもいて、鼻につくことが多いのですが、中国のドキュメンタリストたちは、むしろ取るに足りないと思われがちな社会的弱者にまなざしを向けようとしていることに好感をおぼえます。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-20 15:27 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)


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