ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2013年 03月 09日

1993年のウラジオストク

ぼくはいまから約20年前の1993年4月上旬、ウラジオストクを訪ねています。93年というのは、その一昨年のクリスマスの日に、ソ連邦が崩壊してロシア連邦に生まれ変わり、軍港として長く対外的に閉ざされていたウラジオストクが外国人に開放された翌年です。

当時から北東アジアを自由に渡航できる時代が来ることを待ち望んでいたぼくは「ウラジオ(浦潮)が開放された以上、行くしかない」と思い立ち、休暇をとって新潟からウラジオストクに飛びました。

そこでいきなり目にしたのは、金角湾に浮かぶロシア海軍の軍艦でした。すでにそのときには、外国のツーリストが港を訪れても誰からもとがめられることなく、自由に写真を撮っても許される時代になっていたのです。
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いまでも思い出すのが、同じ時期、宿泊先だったウラジオストクホテルに、当時テレビでも有名だった軍事評論家の江畑謙介さんが滞在していて、エレベーターの中でご一緒したことです。その後、帰国してテレビを見たら、江畑さんがロシア海軍の潜水艦の中に入って「極東艦隊は老朽化している」と、それは嬉々とした表情で話していたことに、つい苦笑してしまいました。1930年代以降、長く閉ざされていた日本とウラジオストクの交流は、こんなかたちで始まったのでした。

さて、ウラジオストク市街と金角湾を一望にできるスポットが鷲の巣展望台です。当時、ぼくもここを訪れていて、2枚の写真を撮っています。以下、20年後に同じ場所から撮った写真と比べてみましょう。撮影した季節が違うので見た目の印象をかなり割り引かなければなりませんが、ソ連崩壊直後の疲弊した1993年4月とAPECを開催するまでになった2012年6月のウラジオストクの街並みです。
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続いて、当時のウラジオストク駅、目抜き通りのスヴェトランスカヤ通りです。
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当時は、同じ社会主義陣営の北朝鮮やベトナムからの労働者がいて、路上で物売りなどをやっていました。開放後、中国からの労働者や物売りが一気にウラジオストクに入り込んだため、現在では外国人の労働ビザはかなり制限されているようです。ただし、建設現場や港湾施設では多くの中国や北朝鮮の労働者を見かけました。ウラジオストクの市街地では不可視の存在となった彼らも、いるところにはいるのです。
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また当時は日本から大量の中古車を積み出して、ウラジオストクからロシア全域に転売する業者が大勢いました。ソ連崩壊で軍事産業が壊滅し、経済的に困窮したウラジオストクの民間経済は、日本の中古車販売が支えていたといってもよかったのです。街にはマフィアも暗躍していたそうで、確かにバーなどに行くと、怪しげな連中がたむろしていたことを思い出します。
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市庁舎には、ソ連時代のものと思われる紋章が残っていたようです。
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あれから20年後、ウラジオストクはどう変わったのか。そして、20世紀初頭には3000人以上の日本人が暮らし、事業を営んでいたウラジオストクが、これからどう変わっていくのか、興味は尽きません。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-09 12:03 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(1)
Commented by 志望動機 at 2013-05-14 12:17 x
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!


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