ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2013年 03月 16日

中国インディペンデント映画祭主催者、中山大樹さんに会う

もう1年も前のことですが、2012年3月25日、中国インディペンデント映画祭主催者の中山大樹さんにお会いした話をしようと思います。

彼にはどうしても聞きたいことがいくつかありました。中国インディペンデント映画の世界をどのように知り、映画祭をやるに至ったか。今回の出展作の中でぼくがいちばん興味深く感じた徐童監督の『収穫』という特異な作品が撮られた経緯や背景、上映後に起きた香港「収穫」事件の顛末。そして中山さんにとって中国インディペンデント映画の魅力は何なのか、といったことでした。インディペンデント系の映画作家が多く集まっているという北京郊外の宋庄についても、教えてもらおうと考えていました。以下、秋葉原のコーヒーショップで約1時間、中山さんにお聞きした話を紹介します。

中国独立映画との出会い

――まず中国インディペンデント映画祭の立ち上げに至る経緯についてお聞かせください。

「最初の映画祭(2008年)を立ち上げたころ、私は日本にいました。実は2005年まで上海で働いていたのですが、帰国してからは東京フィルメックスにかかる中国の映画などを観に行ったりしていました。

2005年、06年と連続で應亮という監督の作品が2回かかったのですが、ひとりの監督が低予算で、自分で映像を撮り、編集もするという、いわゆるインディペンデント映画というのを初めて観たんです。それまでジャ・ジャンクーなどは観ていたのですが、中国にもインディペンデントな映像作家がいることに、とてもびっくりしたんです。

最初の年の應亮監督の作品が『あひるを背負った少年』、次の年が『アザー・ハーフ』(ともに中国インディペンデント映画祭第1回出展作)でした。ちょうどそのとき、應亮監督も来日していたので、会場で直接声をかけて、「こういう作品があるのなら、もっと紹介してほしい」と伝えたのです。

当時彼は四川に住んでいましたが、実家は上海です。その後、私は上海や北京に行って彼に会い、いろんな監督を紹介してもらったり、作品のDVDをもらったりしました。そのとき、日本では中国のインディペンデント系の作品はほとんど紹介されていないから、上映イベントをやりたいなと思ったんです。最初に彼に話しかけたのが2006年で、上海に行ったのが07年のことです。

インディペンデント系の作家は北京に多くいるので、いろんな人に会えました。当時私は日中貿易の仕事をしていました。もともと1998年に初めて上海に留学して、その後は行ったり来たり。02年~05年は現地で会社員として働いていました。その頃から映画は趣味で、映画館でよく観ていました。好きな監督の舞台あいさつを撮って、ホームページで紹介していたのです」

――インディペンデント映画の存在に気づいたのはいつごろですか?

「インディペンデント映画は技術の進歩と関係があります。デジタルビデオが中国で普及し始めたのは2000年ごろからで、作品も02年ごろから現れます」 

――第1回の中国インディペンデント映画祭は?

「2008年8月でした。2回目が09年12月。今回が11年12月」

――作品を選んだりするのは1年くらいかけて……。

「そうですね。日本にいたころは、中国でインディペンデント映画の映画祭があるときは必ず出かけていって、作家と会って話をしました。中国のインディペンデント映画祭は、北京でも開催されますが、おそらく最大規模なのが、毎年9月か10月に南京で開かれるものと、雲南省で2年に1回、3月に開かれるものです。それから先ほどの應亮監督がやっている重慶。北京ではこれまで5月と10月にやっていたのですが、今年から少し状況が変わるようです」

――一部中止になるとか。確か、中国の著名な現代アートの評論家が主催しているのですよね?

「実は私が以前働いていたのは、その評論家の栗憲庭の電影基金で、2006年に設立されたものです。07年以降、毎年北京独立電影展をやっているのですが、それ以前にもうひとつ、5月に開催される中国記録映画祭があったのです。栗憲庭電影基金ではこのふたつの映画祭を主催していたのですが、今年から一本化しようということになりました。今年は8月に開催される予定です」

※2012年8月に開かれた北京独立影像展については、中山さんの以下の報告を参照。
「北京独立影像展の報告」 http://webneo.org/archives/3959

――場所は?

「宋庄です」

――中山さんが電影基金で働いていたのは?

「2010年3月から11年5月までです」

――その経緯は?

「2007年から宋庄の映画祭には毎年通っていました。そのうち関係者の人たちと親しくなって、彼らが日本の映画を上映するときに、中国語字幕をつくる仕事を手伝っていました。

日本で映画祭をやることを決めて、私は仕事をやめたので、わりと時間があったんです。日本で映画祭を立ち上げるとき、彼らにずいぶん助けてもらいました。そしたら、向こうでスタッフが辞めて手が足りないというので、ちょっと手伝いにいきましょうかという話になったんです」

――映画祭立ち上げのために仕事をお辞めになったのですか。

「仕事と映画祭の両立はできなかったんです。自分の経営していた会社を売ってしまいました」

――すごいですね。それだけの価値があると思ったのですね。

「仕事はそれなりに順調でしたが、そんなに面白くなかった。せっかくなら自分の好きなことをやりたい。それで……」

――いまは北京にいらっしゃるのですね。

「はい、特になにもやっていないのですけど(笑)。人の映画の制作を手伝ったり、インディペンデント映画について執筆したりしています」。

徐童監督と『収穫』事件の顛末

――さて、今回ぜひお聞きしたかったのが、徐童監督の作品についてです。映画祭の関連イベントとして武蔵野美術大学で上映された『収穫』には驚きました。主人公はいわゆる地方出身の風俗嬢ですが、監督は彼女の生活のあらゆる場面でそばにいてカメラを回しています。しかもカメラと彼女との距離が近い。それは物理的にも精神的にもそうだと思うのですが、なぜそのようなことが可能だったのか。これはぼくがこれまで観てきた中国インディペンデント映画にも共通する驚きであり、疑問なのですが……。

「そうですね。個々の作品に関してというより、全体的な傾向なんですが、中国の人は撮られることに抵抗がないんです。おそらくそれをどこかに流されたりしたら困るという意識がなくて、だから撮られても特に構えたり、撮るなといって騒いだりすることがほとんどないんです」

――確かに、ぼくも中国各地をカメラマンと一緒にずいぶん訪ねていますから、撮られることに抵抗のない中国の老百姓というのか、民衆の人たちの存在はそれなりに理解しています。ただ、『収穫』の場合、対象が風俗嬢でもあり、ちょっと普通ではないな、と思ったんです。さらに驚いたのは、武蔵野美術大学の上映会場に、『占い師』の登場人物であった唐小雁さんがいたことです。どこかで見たことのある人だなあと思っていたのですが、本当にご本人だったとは。確か、彼女はドキュメンタリーの被写体として中国で何かの賞を受賞されたとか。これはどういうことですか。

「徐童監督は自分の作品を上映するとき、唐小雁さんを必ず上映会場に同行させていたんです。国内でもそうですが、そのうち香港やロッテルダム、北欧にも同行するようになって、彼女はだんだん有名になったんです。それで、中国の映画関係者が、彼女の映画以外の貢献も含めて表彰しようということになったんだと思います」

――確かに、彼女は特異な人生を歩んできた人ですものね。『占い師』の中では一時彼女は失踪してしまいますね。それにしても、当時は北京郊外のスラムで売春婦としてすさんだ生活をしていていたのに、東京で会った彼女はずいぶんあか抜けて、きれいになっていましたね。こういうことが起こることも含めて、中国のドキュメンタリー映画の世界は面白いですね。

「彼女は上映会場でも自ら進んで観客と話をするんです。『占い師』の後、今度は彼女のお父さんを主人公にした作品が撮られたのですが、その作品を上映するときも、彼女は上映会に必ず立ち会います。彼女は自分のことを撮られることも、それを人に観られることも、なんら問題とは思っていないようです。

――かつて彼女に起こった辛い出来事が次々と公開されるというのに……。

「彼女自身も上映会でいろんな人たちと会うことで、生活も変わってきた。いろんな国に行ったり、雑誌のインタビューに出たりして、鼻が高いみたいです」

――それからもうひとつ、座談会で話題となった『収穫』事件についてお聞きしたいです。作品上映に対する反対運動が起きたのですね。主人公のホンミャオの人権問題が議論されたということでした。中国のメディアでも取り上げられたのでしょうか。

「香港や大陸の一部のネットメディアで断片的に取り上げられた程度だと思います。最初に問題が起こったのは、2009年3月の雲南の映画祭でした。実はその前に北京で上映されたときは何も問題にはなりませんでした。

上映後の質疑応答の中で、徐童監督に対して批判的なことを言う人がいたんです。その人が『これは上映すべきではないのではないか』と掲示板に書き出して、賛否を問うたのです。映画祭の討論会でも、この作品が取り上げられました」

――論点は何だったのですか?

「作品の中で主人公以外の売春婦やお客さんが映っているけれど、彼らに許可を取っているのか。もしそうでないとすると、それは暴力的なことではないか。監督は彼らを利用しているのではないか、というような意見がありました。なぜなら、中国では売春は犯罪ですから、彼女らの顔をそのまま映画に出すこと自体、危険に身をさらさせることになるからです」

――こうした主張をする人たちには何か特別な政治的な立場があるのでしょうか。というのも、ここで言われていることは、国際社会の通念からしても、ごく常識的な見解だと思います。ただ、それが中国ではどう議論されるかに興味を感じました。

「そのときに発言をした人物のことは知りませんが、その話が香港に伝わって、香港の映画祭に出品することになったとき、セックスワーカーの人権を守ろうというNPO団体が上映反対運動を展開したのです。若い人たちが中心だったようです」

――中国では国際的な通念に対する認識は世代によってずいぶん違う気がしますものね。徐童監督はこうした批判が出ることを予測していたのでしょうか。

「最初はまったく予期していなかったそうです。そんな反応が出るのは意外だったと言っていました。北京ではむしろすばらしいという評価でしたから」

――徐童監督の反論はどのようなものだったのですか。

「彼女たちの顔にモザイクをかければいいというものではない。むしろ覆い隠してしまわないで、ひとりの人間として見る方が正しいコミュニケーションが取れるのではないか、というものです」

――確か、座談会でも徐童監督は「ビデオカメラはコミュニケーションの道具だ」と発言していましたね。もしこの議論が日本で起こったら、また別の展開になったでしょうが、作品がすでに撮られてしまったという事実がそこにあり、被写体との関係もきわめて良好であるということに、我々はいまさらながら驚くわけです。

「彼女らにとっては、監督も自分と同じ仲間であって、撮られたことに抵抗はないのですが、確かにその作品をDVD化して発売したり、ネットにアップしたりするのはどうかということが問題になりますよね。それはまずいだろうということで、それはしないことにしました。監督が許可した上映のみで、場所を選んでやるということです」

――いまの中国というのは、こうした微妙でギリギリの関係性というものが成立しうる社会だということですね。

「徐童監督が言っていたのは、彼女たちは失うものが何もないからオープンなのだということでした」

――『占い師』でも知的障害者のおばあさんの姿を延々撮っていますね。

「中国の場合、どこまでが良くて、どこまでが良くないというモラルというようなものがまだ確立していないということなのだと思います」

――それにしても、今回の映画祭は興味深い作品ばかりでした。たとえば、『独身男』のような農村を舞台にした夜這いの話は、あくまでフィクションなのでしょうけれど、まるで文化人類学のフィールドのような異界だったと思います。

「ああいう農村の実情については、中国でも都市に住む人たちはほとんど知らないと思います。この作品を撮った郝杰監督は、農村の実情というのが決してきれいなものではなく、ドロドロしていて、だから面白いのだということをストレートに伝えたかったのです。この作品について、中国の農村の醜い姿をあえて外国人にみせるようなことはけしからん、というようなことをいう人が中国にはたくさんいるのですが、いや実際はこんなもんですよ。あなたたちは知らないだけだ。そう監督は話しています」

――そういう心意気というか、ポジティブな率直さが中国インディペンデント映画の監督たちの魅力ですね。撮られたって何も失うものはないというホンミャオや唐小雁さんと似ている気がします。

今後は楽観できない?

ところで、もうひとつ気になったのは、徐童監督もそうですが、今回来日した張賛波監督も2008年からドキュメンタリー作品を撮り始めたと言っています。それは偶然だったのでしょうか。彼らにとって2008年という年には何か特別な意味でもあるのでしょうか。北京オリンピックの年ということですけれど。

「何か共通点があるのかどうかわからないのですが、2008年から撮り始めたという人は多いんです。でも、そういう指摘はまだ誰もしていないです。ただ、個人的には、2008年が何かの転換点になっているのではないか、と思っています。逆に2008年以降、作品を撮らなくなっている人もいます。たとえば、『あひるを背負った少年』の應亮監督がそうです。07年までは撮っていたのに、そこからぴたりと止まってしまった。いま彼は教壇に立って教える側にいます。だから、まだそこはなんとも言えないですね」

――それにしても、映画祭のために会社を売ってまで取り組んでいる中山さんですが、何がそこまでさせるのでしょうか。

「よく人から聞かれることなんですが、ひとつは日本で誰も中国のインディペンデント映画の上映イベントをしていなかったので、やってみようと。誰かがやっていたら、たぶんやらなかったと思います。それと、第1回をやったときは、続けるつもりもなかったんです。結果的に評判がよくて、みんながまた観たいというので、続けることになった」

――次回はいつですか。

「まだ決まっていません。作品が集まったらやろうかなと。そんなにたくさんの作品があるわけではないんです。まだ次回向けは数本しか集まっていないので……」

――量産できる世界ではないでしょうしね。しかし、イベントのためには現地で監督に会ったり、彼らを招聘したり、お金がかかりますね。スポンサーはあるのですか。

「スポンサーはいないので、みなさんから寄付を募っています」

――ところで、中国では一般にインディペンデント映画の上映はどのように行われているのですか。

「最初に話した南京や雲南、重慶、北京で開かれる4つの映画祭と、あとは有志がカフェなどで独自に数十人くらい集めて上映しているという感じです。中国国内でもこの世界を知っている人は少ないです」

――この先、中国インディペンデント映画の可能性についてはどうお考えですか。

「中国の映画界では、『第六世代』という呼び方があって、1990年代後半くらいからインディペンデント作品をつくり始めた人のことを指すのですが、『第七世代』という呼び方はないんです。

インディペンデント映画が今後どうなっていくのかよくわかりませんが、あまり楽観できないのではないかと私は思っています。もしかしたら、もうあまり撮られなくなるのではないかと思うことがあります」

――それはどうしてですか。

「あまり若い世代が育っていないからです。確かにいることはいるんですが、たとえば、ショートムービーをネットにアップしようとする人はいます。でも、昔のように、気負って重い作品をつくろうとしている人は若い世代にはいないです」

――映画祭の関連イベントで、慶応大学日吉キャンパスで中国の1980年代生まれの映像作家の短編をいくつか観ましたが、盧茜監督の『北京へようこそ』はよくできていましたね。あのような才能ある若い世代がどんどん出てきたら、面白いことになると思ったのですが、彼はその後作品を発表していないのですか。

「聞かないですね」

――いまの中国の若い世代は、社会への関心が低下し、内面に向かっているといいます。もちろん、日本はずっと以前からそういう状況ですが、中国では、都市に住む若者の生活環境こそ、先進国に近づいたとはいえ、国全体でみると、社会問題は何ひとつ解決されていないわけで、こんなことで大丈夫なのか、と思いますね。

「そうなんですよね。中国にはまだ描くべきものはたくさんあるんです」


最後のくだりで、ぼくは中山さんにいたく共感してしまいました。彼の主催した映画祭のおかげで、中国インディペンデント映画の世界を知ることになり、本当に感謝しています。

中国インディペンデント映画は、ひとつの独自のスタイルを確立していると思います。

重要なのは、自分たちの社会をきちんと見つめ、向き合おうとする姿勢でしょう。そこにしかオリジナルな世界は生まれないという恰好の事例だと思います。政府がいくらお金をつぎ込んでも、良質なアニメが中国でなかなか生まれないのとは対照的です。

中国インディペンデント映画は、いまの中国が世界に誇れる重要な文化的なジャンルのひとつだと思います。

中山大樹(なかやま・ひろき)
中国インディペンデント映画祭代表。1973年生まれ。中国に滞在しながら、インディペンデント映画の上映活動や執筆をしている。
ブログ『鞦韆院落』
http://blog.goo.ne.jp/dashu_2005


ネットを検索していたら、中山さんの以下のインタビューが見つかりましたので、紹介します。
『映画芸術』2011年11月25日
中国インディペンデント映画祭2011
中山大樹インタビュー
http://eigageijutsu.com/article/236962523.html
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by sanyo-kansatu | 2013-03-16 16:17 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)


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