2013年 05月 14日

朝鮮からの移民が開墾した龍井のいま(吉林省延辺朝鮮族自治州)

龍井は延辺朝鮮族自治州の中心都市・延吉の南西に位置する人口約20万人の都市です。自治州内で最も多く朝鮮族が集住する地域とされます。もともと森林の広がる荒地で、村落が形成されたのは、図們江を渡ってきた朝鮮半島からの移民がこの地(間島。中国では延辺と呼ぶ)を開拓した19世紀後半のことです。

朝鮮半島からの農民の移動は明末に遡りますが、清朝は東北三省を王朝発祥の地として封禁政策を執っていました。そのため、清朝と朝鮮は間島の領有権をめぐって争っていました。

知り合いの朝鮮族の研究者によると、清朝が1881年に琿春に招墾局を設置し、可耕地を調査したところ、すでに間島に多くの朝鮮農民が入り込んでおり、住民の8割に達していたそうです。間島地域は朝鮮北部より平野が多かったためだといいます。

清朝は朝鮮に越境民をすべて帰国させるよう要求しましたが、その数が多くどうすることもできなかったそうで、朝鮮農民を領民と認め、課税することにしました。その後、清朝は朝鮮農民を募集し、この地をさらに開墾させることにしたため、いっそう朝鮮移民は増えたようです。

その後、日本が朝鮮半島の権益を手中にしていきます。1905年の日本による朝鮮の保護国化によって、間島問題は日本と清の問題となります。日露戦争後の1907年、日本は龍井に朝鮮統監府間島派出所を置きます(2年後に間島領事館を設置)。そして、1909年の間島協約により、日本は間島を清朝の領土と認めたかわりに、朝鮮移民は土地所有権を手に入れました。それまで漢族の小作人でしかなかった朝鮮農民にとって、これがさらなる移住を促したのです。

その一方で、間島は抗日独立運動が盛んな地域のひとつとなり、「間島パルチザン」の拠点とも呼ばれました。

さて、近年都市化の進む延吉に比べ、龍井の市街地には落ち着いた雰囲気があります。
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郊外にはリンゴなどの果樹園が広がるのどかな田園風景が見られます。
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龍井発祥の地とされる井戸が残る記念碑
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龍井には、日本統治時代の建築が今でも比較的よく残っています。

1926年に建てられた旧間島領事館(現龍井人民政府庁舎)
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庁舎の裏には、パルチザンらを拷問した当時の記録が展示されています。一般には公開されていませんが、あるご縁で見せてもらいました。ただし、撮影は禁止です。漢族の暮らす地域には、この手の「戦争犯罪」記念館は多くありますが、龍井の人たちには、訪れた日本人をあまり刺激したくないとの配慮がありそうです。確かに、この地の歴史は、そんなに単純なものではないからでもあるでしょう。
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旧領事館周辺に残る当時の官舎
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旧東洋拓殖銀行間島支店
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龍井駅も当時のまま残っています
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龍井中学はこのまちで最も古い教育機関です。日本語クラスもあります。ただし、最近は日本語を学ぶ学生が減っているそうです。
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龍井中学の敷地内には、龍井の歴史館があります。同校出身の民族詩人・尹東柱(1917年生まれ。生家は龍井市智新鎮明東村にある)の生涯を紹介する展示などもあります。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-14 11:21 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)


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