2013年 05月 26日

高速で素通りされ、さびれてしまった図們

図們は、吉林省延辺朝鮮族自治州の東南部にある中朝国境と接する都市です。
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丹東の鴨緑江断橋が観光名所としてにぎわうのと同様に、図們と南陽(北朝鮮)に架かる図們大橋の手前に建てられた国門とその周辺は、北朝鮮の切手などを売る商店や軽食堂の並ぶちょっとした観光ポイントになっています。
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図們大橋のたもとでは、多くの中国人観光客が対岸の北朝鮮をバックに記念撮影を楽しんでいます。
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国門の屋上は展望台(有料)になっていて、そこから図們大橋の全貌と南陽の街並みが遠望できます。
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さらに、図們大橋の真ん中までが中国領ということで、観光客は国境線とされる中央のラインが敷かれた場所までは歩いていけることになっています(橋自体も中国側と北朝鮮側で色を塗り分けています)。
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もちろん、まったく物流が途絶えているというわけでもなく、北朝鮮側からこの橋をトラックが渡ってくるのをぼくも以前見たことがあります。しかし、ごくたまに、といった頻度です。では、本来中朝間の数少ない物流ルートであるはずの図們大橋が、なぜ日常的には中国側の観光客の散策の場くらいにしか使われていないのか。理由は後述します。

国境観光のその他アトラクションという意味では、図們大橋の北側の図們江沿いは図們江公園となっていて、朝鮮族の歴史や文化、風俗を展示する「中国朝鮮族非物質文化遺産展覧館」(なかなかすごいネーミングでしょう)があります。要は、無形文化財の展示館ということですが、実態は朝鮮の民族衣装を着せた蝋人形館といったほうが近いようです。

また図們江公園には、これまで見てきた中朝国境ではおなじみの国境遊覧ボートもあります。2012年に訪ねたときには、イカダ型をした奇妙なボートがそれほど川幅の広くない図們江を下流に向かって遊覧していました。ある意味、中朝国境沿いの中で最も北朝鮮側に接近したコースを航行するボートといえるかもしれません。

確かに、北朝鮮が中朝国境の近くで核実験を敢行したことで両国関係が緊張した一時期こそ、中国当局の指示で観光客の姿は消えましたが、それもつかの間。実際には、日本のメディアが報道するほど緊迫した事態というのはまれで、のどかな国境風景が見られるのが日常といえます。
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むしろ、図們は延吉や琿春と比べると、発展から取り残されたまちといえるでしょう。どうしてそんなことになったのか。

かつて図們は「西の丹東、東の図們」と並び称される中朝国境のメインゲートでした。ところが、2010年、長春方面から延びてきた高速道路が琿春までつながり、圏河口岸が整備されたことで、中朝間の物流ルートとしての位置付けは琿春に移ってしまったからです。琿春にはロシアとの口岸もあり、今後の発展が期待されますが、図們は高速によって素通りされ、さびれていくばかりというのが近年の状況といえます。
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しかし、歴史的にみれば、この地の重要性が決定的に低下したのは、満州国崩壊にまでさかのぼります。

もともと図們は、日露戦争後に日本が間島協約で清から敷設権を獲得した「吉会鉄路」の終着駅として建設が進められ、満州国成立後には図們南陽橋(現「図們大橋」)を通じて北鮮線と接続、日本海経由の日満連絡ルートとしての地位を確立していました。1930年代の図們について、以下の記録があります。

「図們はわが北鮮南陽と図們江を隔てて相対する国境新興都市、しかしこの国境は友邦両国の捨手地で、その和やかさは全くいわゆる『銃剣のきらめく緊張の国境風景』ではなく、僅かに税関検査が安東・大連と同様に行われる。

この地もともと名もなき小部落であったが、僅かのうちに驚異的躍進を遂げた新開地で、したがって料亭・旅館・飲食店など多く、生気溌剌としている。

列車は進んで豆満江国際鉄橋(420米)を渡ると地はすでにわが皇領をなる。その羅津港はこの橋梁より南陽に出で後162粁5、咸鏡北道北辺を走り直通列車はおよそ3時間で着く」  (ジャパンツーリストビューロー 昭和12年発行)

結局、日本の敗戦で、当時図們から北朝鮮経由の日満最短航路のひとつだった羅津までの路線(図們-南陽-穏城-慶源-雄基)は事実上断たれてしまいました。「図們江、野ざらしにされた断橋の風景【中朝国境シリーズ その6】」で見た橋桁の消えた鉄道橋や、「羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口」で紹介した羅津駅や雄羅線(雄基・羅津)の現在の姿からもわかるように、現在線路はなんとか残っているものの、鉄道を運行するには改修工事が必要なようです。

北朝鮮側としては中国の投資によってこの鉄道を改修させたいと考えているようですが、中国は先に圏河口岸から羅津に至る自動車道の舗装化を優先させました。近年の不安定な中朝関係のなかで、鉄道路線を改修するコストを引き受けるのは中国側も抵抗が強かったでしょうし、この辺境の地においても、もはや鉄道の重要性は低下し、モータリゼーションの時代を迎えているからでしょう。いずれにせよ、膠着状態にある昨今の中朝関係の中で、かつて国境のまちとして栄えた図們が今後大きく変貌を遂げる可能性は少ないように思われます。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-26 10:58 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)


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