2013年 06月 02日

廃墟として今も残るラストエンペラーの離宮(遼寧省丹東市・溥儀東行宮)

中国遼寧省丹東市の郊外に、満洲国皇帝溥儀の離宮が今も残っています。
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離宮の名は「溥儀東行宮」。記録によると、1943年5月上旬に溥儀が巡狩(古代中国で、天子が諸国を巡視したこと)でこの地に訪れた際、宿泊した小型宮殿様式の別荘です。
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正面玄関付近は鬱蒼とした松に覆われ、時の経過を感じさせます。玄関前の2本の柱には、見事な龍がとぐろを巻いています。龍の爪の数は、瀋陽の故宮と同様、きっちり5本あります。
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いまでは老朽化にまかせるままの無残な姿をさらしていますが、かつては精緻な彫りと色鮮やかな図柄が映えたであろう正面玄関の屋根飾りや、天井の青地に描かれた龍と鳳凰の絵を見ていると、ちょっともの悲しい気分にさせられます。
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ざっと外観を見て回りましょう。
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まず正面に向かって左手から。こちらは平屋建てで、厨房や使用人らのスペースのようです。退色してしまっていますが、出入り口脇の壁に施された中国美人図が印象的です。
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右手は、基本2階建てですが、正面後方に一部4階建ての棟があります。どの窓にも、いまどき珍しい凝った窓枠がはめられていますが、ガラスは壊れたままです。壁の鳳凰も剥げ落ちています。
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右手から裏に回ってみましょう。
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背後からの眺めは廃墟然とした気配がさらに濃厚です。4階建ての棟のひとつの窓はすっかり取り外されたままになっていますし、かつて食料や燃料をここから納入したであろう厨房の棟の地下室の扉も木の枠でふさがれています。
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壊れた窓から中をちょっと覗いてみました。調度品ひとつ残っていない部屋でした。浴室もありましたが、小さいサイズなので、皇帝が使ったものではなさそうです。
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玄関脇に「定礎 皇紀二六百年八月」と書かれた石版が残されています。溥儀東行宮は、1940年(昭和15年)8月に建設が始まり、43年に完成しています。
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皇紀2600年と呼ばれたその年、日本国内ではさまざまな記念行事が行われ、満洲国首都・新京特別市の帝宮内に建国神廟が創建されています。同じ年の6月、溥儀は慶賀のため日本を訪れています。

前述したように、溥儀が東行宮を訪ねたのは、1943年のことです。すでにその頃、太平洋戦線における日本軍の形勢は悪化していただけに、彼がどんな心境でこの離宮に滞在していたかを想像すると、気が滅入ってきます。
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これが廃墟として今も残るラストエンペラーの離宮の現在の姿です。そこには、かつての栄華を想起させる断片が無造作に放置されたままいくつも残されていて、いくぶんの痛ましさをおぼえますが、あらゆる記憶は時代とともに忘れ去られてしまうのだというある種さばさばした条理に思い至ります。

現在、この廃墟のいわれを示すものは、丹東市政府が2005年になってようやく市級重要文物保護単位として認めたことを伝える粗末な石碑だけです。
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この建物の現在の所有者は地元の空軍だそうです。以前一度、娯楽施設に改装してひと儲けしようという話もあったそうですが、中途半端に建物の色を塗り替えてみただけで、投げ出してしまっています。この建物の持つ歴史的な由来の扱いを、現在の共産党政権の歴史観の枠でしか計れない地方軍人がうまく処理して再活用するには難しすぎたのか、そのままに至っているようです。

いまでは、近所の保育園の子供たちとその世話をしている老人たちの憩いの場となっています。「ラストエンペラーの離宮の廃墟」とだけ聞けば、さぞ溥儀の怨念が残っていて、幽霊屋敷にでもなっているのではないか、なんて思う人もいるかもしれませんが、そういう話はまったくないようです。
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場所は、丹東市内から最近リニューアルして立派になった丹東浪頭空港の少し西側の高台の上にあります。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-02 11:52 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)


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