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2013年 06月 08日

大連の女学校の最後の同窓会が開かれたそうです【昭和のフォルム 大連◆校舎②】

2013年6月1日の朝日新聞に「大連弥生高女、最後の同窓会」という記事が載っていました。
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「中国東北部の大連で1919(大正8)年に創立され、戦後すぐに閉鎖された大連弥生高等女学校。日本に引き揚げてからも60年以上続いていた同窓会が解散することになった。3千人いた会員は約10分の1に減り、平均年齢は88歳。青春を分かち合った女学生たちの最後の集いが4日、都内で開かれる」

実は、大連弥生高等女学校の校舎は、もう大連には残っていません。それでも、大連世界旅行社の桶本悟さんの調査によると、以下の3つの女学校の校舎はまだ現存しています。

冒頭の写真が、昭和高等女学校(1923年開校、日本時代は桔梗町)です。現在は、雑居ビルとして使われていますが、実に装飾的な建物です。
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校舎のファサードはにぎやかで、シルエットもかわいらしいですし、細部のデザインも遊び心に富んでいます。当時流行った丸窓をはじめ、機能よりもリズム感を重視したと思われる窓の並びが人の目を楽しませてくれます。
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当時の写真も残っています。
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羽衣高等女学校(1927年開校、日本時代は伏見町)は現在、大連理工大学の一部として使われています。
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当時の写真と比べると、玄関部分など、改築が施されているようです。
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大同女子技芸学院(日本時代は紀伊町)は旧満鉄本社の向かいにありました。ただし、校舎の建物はかなり老朽化しており、現在は倉庫として使用されていますが、再開発の対象となるのは時間の問題と思われます。
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この建物は、当時満蒙文化会館としても使われていたようです。
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ところで、前述の朝日の記事によると、大連弥生高等女学校OGの同窓会は、6月4日東京の神宮外苑にある明治記念館で開かれたそうです。

記事の中では、学校が閉鎖された昭和21年、最後の卒業生となったひとりのOGは、日中国交回復後、2度ほど大連を訪ねたものの、高層ビルが立ち並ぶ光景を見ながら「私の来るところじゃないのかな」と思い、当時の大連の記憶は心にしまうことにしたそうです。

現在の大連の姿を、郷愁を通して見ようとすれば、そういう心情になるもの無理はないと思います。

大連で“昭和”のフォルムを探しに歩くなんてことは、あとの時代に生まれてきた郷愁とは無縁の世代だからこそ、楽しめるものなのかもしれません。前回、「これが母校だったら、懐かしさもひとしおだろう」と書きましたが、当時を生きた人たちの心中は、そんなに無邪気な話ばかりじゃなかったろうとあらためて思った次第です。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-08 15:48 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)


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