2013年 07月 07日
大連駅前に “昭和”の時間がそのまま残されたエアポケットのような一画があります。 そこはかつて「連鎖街」と呼ばれたまちです。 前回紹介した甘井子は都市近郊の住宅街ですが、「連鎖街」は昭和モダニズムがコンパクトに体現された都市空間といえます。周辺はすっかり高層ビル群に取り囲まれているにもかかわらず、そこだけぽっかり3階建てくらいの昭和の低層建築の一画が取り残されているのがとても不思議です。まるで『3丁目の夕日』に使われた映画セットのようでもあるのです。 駅前を東西に走る旧栄町通(現・長江路)の南側、駅から向かって右手の旧末広町通(現・青泥窪橋街)が交差する一画に、当時日本の地方都市にはどこにでもあったであろう駅前繁華街を形成する街並みがそのまま残っています。 当時の記憶をもとに書き起こされた地図によると、駅に面した角にジャパンツーリストビューロー(JTBの前身)のオフィスがあったようです。かつて日本全国および外地と呼ばれた中国大陸、朝鮮半島、台湾などの主要都市の駅前の一等地には、必ずジャパンツーリストビューローがあり、旅客を迎えていました。 ほかにもバーやカフェ、洋品店、航空会社のオフィスなど、いかにもハイカラな店舗が並んでいたことがわかります。 以下、当時の写真資料を紹介します。資料の提供は大連世界旅行社の桶本悟さんです。 面白いのは、「連鎖街」の中心を東西に交差する目抜き通りの名が、日本の繁華街を代表する「銀座通り」(写真上)「心斎橋通り」(写真下)と呼ばれていたことです。 「連鎖街」には常盤座という劇場もありました。戦前昭和のスターの多くは、大連に立ち寄った際、この舞台で活躍したそうです。 また往年の映画スター、三船敏郎の生家として知られる「スター写真館」が入っていたビルもあります。三船敏郎は1920年青島生まれ。彼の父親は中国大陸で貿易商を営んでいた人物ですが、25年に大連に移り住み、写真館を開業したそうです。 それから、これは桶本悟さんに教えていただいた話ですが、テレビドラマ『水戸黄門』シリーズで、1969~78年まで格さん(渥美格之進)役を演じた横内正さんの生家のビルも残っています。 「連鎖街」の南を走る旧常盤通り(現・中山路)は、路面電車も走る大連を代表する大通りでした。三越などの百貨店もありました。 ぼくは初めて「連鎖街」周辺を歩いたとき、「昭和モダン遺跡」とでも名付けたい衝動に駆られたものです。そこには、確かに昭和の日本の地方都市の駅前から繁華街に至る空間と同質のものがあると身体で感じたからです。 次回は「連鎖街」の現在の姿を紹介します。
by sanyo-kansatu
| 2013-07-07 12:16
| 日本人が知らない21世紀の満洲
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