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2013年 07月 07日

ロシア人墓地も眠る高台の高級住宅地【昭和のフォルム 大連◆文化台①】

大連はもともとロシア人が日本よりひと足早く先に来てつくったまちです。20世紀初頭の北東アジア情勢は今日とは違い、非情なまでの力の優劣が世界を支配していましたから、大連にも歴史の痕跡がいくつも残されています。
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大連を代表する景勝地として知られる老虎灘に市内から向かう解放路沿いの高台に位置するのが文化台です。そこにはロシア人墓地があり、現在も残っています。日露戦争前にあったと思われる要塞跡も、とってつけたように改修されて壁だけ残っています。中ロ関係を意識して政治的に再生された遺物に違いありませんが、日本時代にはここが高級住宅街だったことは確かのようです。
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当時の絵葉書をみると、まるで神戸や函館のように高台に一戸建ての邸宅がぎっしり並んでいたことがわかります。市街地に近い南山は満鉄や軍関係者の邸宅が多かったと思いますが、文化台は大連に渡って事業をなした民間人の家が多かったのではないでしょうか。以下の資料と写真は大連世界旅行社の桶本悟さんからお借りしたものです。
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一戸建て住宅街としての文化台の景観は、2000年代半ばくらいまでは大きく変わることはなかったようです。確かにほとんどの家屋は老朽化しており、高級住宅街としての面影はありませんが、中国ではなんといっても珍しい一戸建て家屋が集中する地区ではありました。
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文化台の南側には晴明台という同じく一戸建ての住宅地がありました。勝利橋の北側に残るロシア人家屋のような家がいくつも残っています。
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文化台の景観が大きく変わり始めたのが、2000年代後半に入ってからです。次回、現在の文化台の姿を紹介したいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 23:14 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)


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