2013年 07月 09日

1993年に発掘された檀君陵。あの蓮池薫さんの見解は?

前回、「朝鮮観光案内」(朝鮮新報社 1991)という旅行ガイドブックを紹介しましたが、実をいうと、同書には今日の北朝鮮を観光するうえで最も重要とされる名所の記述が見当たりません。

それは朝鮮民族の祖とされる檀君陵です。

それもそのはず、檀君陵が発掘されたのは1993年のことだからです。

檀君陵をめぐって、蓮池薫さんは『私が見た「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』(講談社 2009)の中で次のように書いています。
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「1993年10月、北朝鮮は『檀君陵発掘報告』なるものを発表した。平壌市江東郡文興里にある高句麗遺跡群から、檀君とその夫人の遺骨を発掘したという衝撃的なものだった。それによると、遺骨86個と金銅王冠の一部などが出土したが、『電子常磁性共鳴法』という方法による鑑定の結果、檀君の遺骨は5011±267年前のものと断定されたというのだ。
(中略)
この発表とほぼ同時に北朝鮮は大規模な檀君陵建設に取りかかる。そして、これまで神話的伝説人物とみなされていた檀君を実在した民族の祖先、古朝鮮の建国始祖として大々的に宣伝し始めた」

こうしたワケで、1991年に刊行された「朝鮮観光案内」には、檀君陵のことは書かれていませんが、唯一檀君のゆかりの地についての記述があります。それは、妙香山山系に連なる渓谷の中にある「檀君窟と檀君台」です。そこにはこう解説されています。

「古朝鮮を創建した檀君王が生まれたという伝説をもつ檀君窟は、万瀑洞渓谷を抜け出て、西側の丘陵を越えた昆盧峰の中腹に位置している。万瀑洞から檀君窟に通ずる道は、九層の滝の2段目から分かれる。そこに『檀君窟950m』と書かれた標識板がある。

海抜864.4mの地点にある檀君窟は、花崗岩が長い歳月にわたって風化してできた洞窟。幅16m、長さ12m、高さ4mである。

洞窟のなかには三間の家がある。洞窟内では、岩の裂け目からきれいな湧き水が流れ出ている。

檀君窟の後の高い綾線には、檀君が向かい側の卓旗峰の中腹に立っている天柱石を標的にして、弓矢のけいこをしたという檀君台がある」(同書72p)。

ここでわかるのは、1991年当時、北朝鮮でも檀君は「伝説」にすぎなかったことです。

蓮池さんは前述の著書でこう書いています。

「北朝鮮では、1993年に『檀君陵』が発掘される以前は、ほとんど檀君について、関心を示していなかった。1972年編の北朝鮮歴史書では、『檀君は歴史的事実ではなく、支配階級が人民の階級意識を麻痺させるために、つくり上げたもの』として、檀君と開天節そのものを否定していた」

いまとなっては、1972年当時の北朝鮮の指摘は正しかったというよりほかありません。北朝鮮の為政者の側に「人民の階級意識を麻痺させる」必要が生まれたということでしょう。

蓮池さんは、北朝鮮にいたころ、テレビで檀君陵を見たことがあるそうです。その規模は、総面積45ヘクタール。東京ドームの10倍に相当する大きさだそうです。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-09 15:37 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


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