ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2013年 12月 01日

ラオスの北部辺境で会った華人移民の境遇は?

ラオス北部のムアンシンは、少数民族の集落を訪ねるトレッキングの拠点として知られるツーリストの町です。オンシーズンの11月から3月にかけて、小さな山あいの町が外国人の姿でにぎわいます。
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ぼくが訪ねたのは8月ですから、ツーリストはほとんどいませんでした。ルアンナムターからバスで約2時間半。町はずれのバスターミナルからこの町のメイン通りまで歩くと、1階が食堂になっている木造のゲストハウスを見つけました。タイルー・ゲストハウスといいます。ムアンシンの地図の右下の物件が集中している通りにあります。
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チェックインをするとき、宿泊名簿に国籍を書くのですが、ざっと見ると、フランスやドイツ、スペイン、チェコ、ポーランドなどのヨーロッパ人が多く、アジア系では日本人や韓国人がいました。また中国人もひとりいて、27歳の男性でした。中国のバックパッカーもラオスに来ているのですね。
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部屋には大きなかやが吊ってありました。ブンブン音を立ててまわる扇風機が唯一の電化製品です。こういう昔ながらのゲストハウスに泊まるのは久しぶりです。夜も7時を回っていたので、1階の食堂に降りて食事をすることにしました。
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ここはツーリスト向けの食堂で、英語のメニューもあります。ふと見ると、テーブルにトンボがとまっています。
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ラオスの代表的な料理といわれるラープというひき肉の香草炒めともち米のライス(カオ・ニャオ)を注文しました。
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食堂にはフランス人の家族とルアンナムターからのバスで一緒だったドイツ人バックパッカーの女の子2人組がいました。彼らは別のゲストハウスに宿泊しているようですが、この時期ツーリスト向けの食堂はここしか営業していないようです。ドイツの子たちはヴェジタリアンには見えませんが、食堂のおばさんに「肉入りでない料理はどれ?」と尋ねています。おそらく今日この町に滞在している外国人が勢ぞろいしたものと思われます。

しばらくすると、雨が強く降ってきました。ドイツの子たちは食事をすませると、慌ててゲストハウスに帰っていきました。さらに雨は強まり、スコールのような激しさで、通りはくるぶしくらいまで雨水がたまり始めました。

フランス人家族は中年のご夫婦に高校生の娘ひとりでしたが、彼らは雨具を持ってこなかったようです。お困りの様子だったので、ぼくは見かねて声をかけました。「2階の部屋に傘を1本持っているので、お貸ししましょうか」。すると、驚いたように、家族はこちらを振り返りました。どうやらぼくは彼らの目にツーリストと映っていなかったようです。それほど現地に溶け込んでいたのでしょうか(笑)。ぼくはルアンナムターの雑貨屋で中国製の傘を1本購入していたのです。すぐに部屋に駆け上がり、お父さんに手渡しました。

ご夫婦はあまり英語が得意ではないようでしたので、高校生の娘が通訳となってくれました。お父さんはぼくの渡した傘をさし、豪雨の中を家族のために雨具を取りにいくことになりました。

お父さんの帰りを待つ間、母娘と少し話したのですが、彼らは約3週間のインドシナ旅行に来ているとのこと。明日はルアンナムターに戻り、アンコールワットのあるカンボジアのシェムリアップに向かうそうです。話を聞いていると、ほとんどバックパッカーの旅同然で、日程だけは大まかに決めていても、移動はぼくと同じように、ローカルバスに乗ったり、国内線のフライトを利用したりと、なかなかの珍道中のようです。でも、家族でそんな旅をしている彼らのことがちょっとうらやましいような気もしました。それに、よく高校生の娘が付いてきたものだなと思います。そんなことを母娘に話しているうちに、ようやくびしょぬれになってお父さんが帰ってきました。

帰ってくるなり、「ゲストハウスの周辺は膝まで雨が増水しているよ。早く帰ろう」とお父さんは言いました。「パパはヒーローね」。そう娘がいうと、お父さんは濡れたレインコートとTシャツを脱ぎ捨て、ボディービルダーのようにマッチョなポーズをとって母娘を笑わせています。それを娘が写真に撮っていました。この微笑ましいエピソードは、帰国した後も、この家族の旅の思い出として語られることになるのでしょうね。

さて、静かになった食堂でぼくはひとり、雨で外出もできないので、ラオスの地酒ラーオ・ラオを飲むことにしました。自家製の米焼酎です。だって、他にすることがないのですから。

食堂のおばさんは片言の英語で聞きます。「あなた、どこの人?」「日本人ですよ」。

すると、おばさんは言います。「日本人のあなた、スモークしたらダメよ(Japanese,NO Smoke!)。警察に捕まるよ」「……」。

かつてムアンシンはジャンキーのたまり場だったという話を思い出しました。なにしろここはインドシナ北辺の国境地帯で、大麻やケシの集散地でした。朝市でも以前は大麻がふつうに売られていたといいますし、ゲストハウスに長期滞在する外国人ツーリストの中には、ラリって警察に捕まったり、命を落としたりした人もいると聞きました。まったく地元の人にとっては、はた迷惑な輩です。もちろん、その中には日本人も含まれていたので、おばさんはぼくに忠告したくなったのでしょう。おばさんの言葉には「冗談で言ってるんじゃないよ」という強い語気が含まれていました。

なんともいたたまれなくなったので、部屋に戻ろうかと思ったら、さいわい雨が小降りになってきました。通りにいくつか雑貨屋などの明かりが見えたので、外をふらつくことにしました。
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少し歩くと、「中老賓館」という中国語の看板があります。どうやら華人宿のようです。中に入ると、そこは食堂でした。

ぼくの姿を見ると、店の主人らしき男が近づいてきました。まだ飲み足りない気分だったので、彼に言いました。ここからは中国語の世界です。

「你好,你有什么酒?」
「啤酒有」
「不要,那中国酒有吗?」
「有」

そして、出てきたのが、白酒でも黄酒でもなく、養命酒のような少し甘いお酒でした。ここは雲南省に近い場所ですから、強い酒を飲む習慣はなさそうです。
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薄暗い蛍光灯の下では、華人たちが麻雀に興じていました。その脇で、誰かの娘なのでしょう、ひとりの幼女がCCTVのアニメチャンネルらしき番組を観ています。中国モノに多い3D動画です。
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ムアンシンは外国人ツーリストの山岳トレッキングの拠点であると同時に、中華新開地でもあるのです。主人に聞くと、8年前に四川省から来たそうです。このような店を好んで外国人ツーリストが利用するようには思えませんが、シーズンになると数少ない食堂ですし、そこそこ利用されるのでしょうか。それにしても、こんなラオスの片田舎に移住してきたことが、この四川人の人生にとって好機をもたらしたといえるのか。余計なお世話ですが、微妙に思ってしまいます。

店員の女の子ふたりが、そばで店内の掃除をしていたので、「きみたちは、中国のどこから来たの? 雲南省?」と聞くと、ぼそりと「老挝汉族(ラオ漢族)」と答えました。
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これは中国系ラオス人(ラオス国籍の中国人)という意味なのか、それとも中国籍の少数民族としてのラオ族なのか、ぼくには専門的な知識がないため、よくわかりませんでしたが、この国境地帯でそのどちらかを問うことは、それほど意味がないのかもしれません。

翌朝、この通りを歩くと、華人の家屋がずいぶんたくさんあることに気づきました。中国ナンバーの車が前に止めてあるのでわかります。地元の人たちは、もともと高床式の木造住居に住んでいるからです。
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こんな片田舎でも、ラオスでは華人に経済を握られてしまうというのは、こういうことをいうのですね。
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by sanyo-kansatu | 2013-12-01 09:59 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)


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