2014年 01月 04日

朝鮮半島の迷走ぶりを暗示する半世紀前の記録――金達寿『朝鮮-民族・歴史・文化-』を読む

ある年長の朝鮮通の友人のすすめで、金達寿の『朝鮮-民族・歴史・文化-』(岩波新書)を読みました。

同書の初版は1958年9月ですから、いまから50年以上前に書かれた本ですが、実に面白いです。当時ひとりの「在日朝鮮人作家」によって書かれた日本人に対する朝鮮理解を目的とした書(反面、韓国に対する手厳しい糾弾の書でもある)が、半世紀後の朝鮮半島で起きている不可解な出来事を理解するいくつもの手がかりを与えてくれるからです。
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同書の構成はきわめてシンプルです。

Ⅰ 民族
Ⅱ 歴史
Ⅲ 植民地化と独立
Ⅳ 文化
Ⅴ 今日の朝鮮

以下、同書の記述に沿って、なるほどと思ったこと、気になったことなどを書き出します。

Ⅰ 民族

この章では、まず「日本との関係」(いわゆる「日朝同祖論」的な話です。当時の日本の思想状況とも関連しているのでしょう)に軽く触れ、朝鮮半島特有の「姓氏と族譜」について解説します。そして次に、朝鮮半島の地誌を紹介し、その独特の風土の中でどんな風俗習慣や階級制度が生まれたか。その中核をなす儒教的価値観の支配についてこう説明します。

「(日本に比べ)いっそう儒教・朱子学の教えにしたがってガンジガラメにされ、それが徹底したかたちで様式化しているということである。しかもそれが農村にまで深く浸透している」。

さらに、こんな興味深い点も指摘しています。

「旧日本支配時代は、私たちもそれを意識的にできるだけゲンシュクにとりおこなったものである。それによって、一つの、ある抵抗感をかんじることができたからである。どうやら、植民地になることによって、これはいっそう温存され助長されたふしがある」。

なるほど、そういうことだったのか。つまり、日韓併合によって儒教的価値観がかえって朝鮮半島で温存されたというのです。さらに、面白いのはその続きです。

「しかし、私は考えないではいられなかった。『これでは、朝鮮がホロびたのもムリはない』と」。

そして、「儒教・朱子学によってみがきをかけられ、固定化された」階級制度が日韓併合によって崩壊したはずだったのに、新しい支配者は統治のためにそれを利用したと指摘しています。しかし、それ以上に残念なのは、「抵抗というものをはきちがえた私たち自身もこれを温存し、助長した」ことだと吐露します。

こういう著者ですから、李朝時代の地方官吏の家柄でありながら、のちに没落し、戦前に労働者として日本に渡り、早死にした自分の父についても「いわゆる日韓併合という谷間に生きた人間の悲劇と言ってしまえばそれまでのようなものであるかも知れないが、しかし、そうとばかりはいってしまえないものがそこにはある」ときっぱり書くのです。

この書きぶりに、今日の朝鮮半島の人たちの「悪いのはすべて日本」と決めつける独善ぶりからは想像できない透徹した認識が感じられます。そして、こう明快に「儒教決別」宣言をするのです。

「だが、こんどこそは、こういう(儒教的)人間タイプは急速に崩壊しつつある。何しろその儒教の本家本元である中国がああいうしだいであるから崩壊せざるをえないが、そしてこればかりは、きれいさっぱり崩壊して少しも惜しくない」。

加えて、1950年代らしい政治認識を背景として、北では「その風俗も急速に改変されていることはいうまでもない。だが一方(南朝鮮)では、まだそれが濃厚にのこっていることも否定することはできない」としめるのです。

Ⅱ 歴史

この章では、古代から李氏朝鮮までの歴史が概説されます。冒頭に語られるのが、次の一文です。

「 朝鮮の歴史のながれをひと口でいうとすれば、それは一貫して、外圧と抵抗とのそれであるということができると思う」。

なにはともあれ、この点ばかりは、朝鮮半島の人たちに同情を禁じ得ません。

「わが朝鮮のように、終始一貫、その生れでるときからして戦争という外圧にさらされてきたものはないであろう。しかもそれは、今日になおつづいている――」。

こう書かれてしまうと、こちらも黙りこむほかありません。もっとも、最近の彼らを見ている限り、それだけ言って毅然としていればよかったのに、なにやらことを大げさに荒立て始めたことで逆効果を生んでいるのでは、と思わざるを得ませんけれど。

さて、以下、時代に沿って気になる指摘を挙げていきましょう。

「当時(古代)の『朝鮮』は、現在の中国東北・満州にまたがっていた」(「朝鮮人の先祖」)という指摘。これは今日もなお中国との歴史論争につながる認識です。

次に、「この時期(三国時代)がまた、朝鮮にとってはもっとも奔放闊達な時代」(「三国時代」)という指摘。その理由をこう述べています。

「北方に早くから漢文明の洗礼をうけてしかも戦争慣れした高句麗があり、中南部にはおなじ扶余・高句麗族がそれの中心であるとはいえ、何とはなしに文化的なにおいのする百済、かとみればどちらかというと土着的発展のうえに立っているとみられる新羅があるという工合いで、彼らは相互に力をつくし、シノギを削ってたたかった」。

ここでいう「戦争慣れした」高句麗、「文化的」な百済、「土着的」な新羅という古代国家のそれぞれの地域像の違いに注目したいと思います。

一方、「百済は、南北朝の時代に入っていた中国の権威をたよったり、となりの新羅と同盟したり、また縁故の深い日本にも援助をもとめたりしたが、しかしとうてい巨大な高句麗には抗しきれず」(「高句麗・百済・新羅」)とも書いています。これなど、中朝関係や日中関係が悪化しているなか、中国に近づこうとしている近年の韓国の姿と百済がダブって見えてしまうのが面白いところです。

朝鮮の歴史において著者が重んじるのは、農民による反抗・叛乱です。

それは「農民がなぜ暴動をおこすかということについてはいうまでもなく、このような封建体制のもとにあっては、それは時期さえくればいつでもおこりうるものなのである」(「統一新羅」)。「私はここで白状するが、私がもしこの自民族の歴史について少しでも誇りをもっているとすれば、それは一〇数万面の大蔵経の彫板でもなければ、また世界さいしょの活字の発明といったものでもない。それは、実に、この奴婢・奴隷といった最下層民によって絶えることなくくりかえされた反抗・叛乱である。これこそは、この民族の質の核をなすものである」(「高麗王朝」)という主張に表れています。

では、朝鮮の「封建体制」というのはどのようなものだったのでしょうか。

「(蒙古襲来に際して高麗王朝の王侯貴族連中は)あいかわらず立派な宮殿や邸宅をつくって本土人民の苦闘をよそに豪奢な生活をつづけ、ただ、することといえばひたすら『国難をはらいたまえ』と仏に祈るばかりであったが、一向にキキメはない。やがて狭い島のなかで武臣と文臣との対立抗争が激化し、一二五八年崔竩が文臣の金俊によって殺されることで、崔氏四代の専権がたおれた」(「高麗王朝」)というようなものです。なんだかいまの北朝鮮のようにも思えてきますね。

朝鮮史の中で、最もマイナスの評価がなされているのが李朝時代です。この時代、「儒教・朱子学を、それまでの仏教とかえて国教とした」ためのようです。「以後、これによって近世の朝鮮は大きく特徴づけられた」といいます。どうなったというのか。

「儒教は、ただ封建政治体制の具であったばかりでなく、ひろく社会生活全般を支配する原理であり、強化の具でもあったからたまらない。停滞的といわれたアジア全体をみわたしても、もっともひどいと思われる家父長的名文主義、尚古的事大主義、繁文縟礼のみの形式主義等々、それはみなこの李朝時代に入って強じんな内容をあたえられたのである」(「李氏朝鮮」)。

それだけではありません。

「李朝時代に入って、実に朝鮮的ともいってよい悪習が成立したことである。それは、偏狭な差別の慣行である」。しかも「朝鮮には儒教・朱子学によってつらぬかれたそれ(階級的差別)のほかに、地方差ということまでがつけ加わって暴威をふるった」(「李氏朝鮮」)。

だとすれば、冒頭で述べたように、李朝時代に人々をガンジガラメにした儒教・朱子学に対する著者の拒絶感がこれほどに強いのも当然でしょう。「これ(儒教)ばかりは、きれいさっぱり崩壊して少しも惜しくない」と書くほどですから。

さらに、朝鮮民族の悪習に対する批判は続きます。たとえば「李朝名物の党争」。そのため結束力がないことです。

「(秀吉の朝鮮出兵に際して)日本軍の征服がこのように成功したのは、日軍が朝鮮の不意をおそい、朝鮮の政府が党争のために結束がなく、防衛が不統一・不充分であったためである」「李朝の政治、――代々にわたった彼らの党争がいかに民心を離れていたかは、宣祖が京城をでるときの一事をみてもわかる」(「続・李氏朝鮮」)。

Ⅲ 植民地化と独立

状況は近代に入っても変わりません。日清戦争後の朝鮮についてこう書いています。

「朝鮮政府はいまはもうまったくその自主性を失い、これら日露のなすがままになっていたが、そんなふうでありながら、彼らはまた何のつもりであったのか、一八九七年国号を『大韓』と改め、国王を大韓光武帝と称した。何が大韓だといいたくなるが、それがいまや滅亡を前にして、こういう偏狭なセクト性と大看板をもちだすということは一考に値する」(改革と協約)。

滅亡寸前にもかかわらず、「偏狭なセクト性と大看板を持ち出す」愚を露呈した李朝に対して、著者がきわめて辛辣かつ「一考に値する」といったある種の余裕を感じさせる表現を採っているところが面白いです。 こう続きます。

「もともと、韓などということばをひっぱりだすからには、それは南方のいわゆる三韓・韓族というセクト的意識が働いたことは疑いない。いまこそ偏執的な地方的差別をもすてて全民族が一致してことにあたらなければならないというときに、これ自身、それは滅亡の象徴でもあった。まさに、韓国は滅びつつあった」(「改革と協約」)。同書はこうした南へのあてつけのような指摘が頻出するのが特徴です。

その後は、日韓併合時代の朝鮮民族の独立運動に関する(今日彼らが好むアジテーションと比べても)比較的穏健かつ公平と思われる記述が続き、最後に「全朝鮮人の希望の星」としての金日成率いる抗日パルチザンを称揚する内容でしめくくられます。

なるほどこうしてみると、同書の歴史認識は、この結末に至るために書かれたことがわかります。

それを知ってがっかりするかどうかはさておき、興味深いのは、当時著者はどうしてここまで率直に自民族の批判を展開できたのか、です。自らのことは棚に上げ、他者を批判することに熱心な、いまの朝鮮半島の人たちを見ていると、ちょっと不思議な気すらしてきます。

おそらくそこには建国されたばかりの新国家の未来が信じられた1950年代という幸福な時代背景があるのでしょう。加えて、著者の金達寿さんが母国を離れて外国である日本に住んでいたことから、たびたび指摘される朝鮮の「悪習」やその後の母国の現実から一定の距離を置いていられたからではないでしょうか。

なにしろ1950年代後半というのは、著者の信奉する北の優位性が強く信じられていた時代でした。南はともかく、少なくとも北ではかつての「悪習」を一掃できたと思うことができたのかもしれない。だからこそ、ある種“上から目線”で、南の実情をわが身と切り離して冷徹に叩きのめすことができたのではないかと思います。

Ⅳ 文化

朝鮮の文化についての解説はコンパクトでわかりやすいものとなっています。

そこでは、朝鮮文化の代表として、高句麗壁画や朝鮮青磁などが挙げられています。なかでも、朝鮮青磁について「吸い寄せられるような弾力のある肌触り」という名言を残しており、ちょっとうならせます。

また、「東洋的観念論的な朱子学にもとづく空理空論」が跋扈した李朝にも、科学の発展した時代があったという指摘や、朝鮮文学の歴史に外来思想としての漢文学との一貫した闘争があったことなど、興味深いものです。

Ⅴ 今日の朝鮮

ここでいう「今日」とは、朝鮮戦争が休戦し、朝鮮半島が南北に分断された直後のことです。

「日本帝国主義の敗退によって朝鮮は解放された。だが、それにもかかわらず、朝鮮民族の前にはまたあらたな困苦と困難とが立ちふさがっていた。そして、それは、いまもなおつづいているのである」(「二つの朝鮮」)。

著者はここでふたつの面白い指摘をしています。

まず、誰が南北統一を叫んでいるのか。それについて「元来、統一運動は独立運動の延長であり、かつての独立運動が戦後に発展転化して統一運動になった。したがって統一運動が従来の民族運動の伝統――革命的性格をもったのは当然である。三・一事件の敗北以後、民族運動の主流が左翼的勢力であった」という日本の東洋学者の旗田巍の文章を引用しながら、朝鮮半島で統一運動に積極的なのは、北および南の左翼勢力だと説明していることです。

これを読んで気になるのは、「386世代」と呼ばれた韓国の学生運動世代が社会の重要ポストに就き始めたいま、彼らが1980年代に唱えた「北寄り」の思想が現在の韓国社会に影響を与えていることと、昨今の「反日」の機運の盛り上がりが無縁ではないのでは、と思われることです。

もうひとつが、「南鮮内部の統一運動を抑え、北鮮からの呼びかけを拒否しつづけた」「反共を旗幟とする南鮮政府」の主体として、アメリカや李承晩以外に、旧日本軍将校や旧総督府警官がいたことを弾劾する指摘です。これも近年韓国で制定された親日反民族特別法などにつながる認識といえないでしょうか。

それにしても、半世紀のタイムラグをへて韓国で顕現化してきた「反日」的な衝動を我々はどう見なせばいいのでしょう。彼らはいったいどこに向かおうとしているのか。

さて、本書はこうしめくくられています。

「明るい朝鮮(北)と暗い朝鮮(南)――。しかしながら、近い将来、それは必ず明るい一つの朝鮮に統一されるであろう」。

刊行後、何十刷もされるほど長く読み継がれた同書は、日本の左派に限らず、広く大衆的な朝鮮理解の基本認識を支えたものと思われます。儒教的価値観の支配が根強かった朝鮮半島での階級闘争の思想が独立運動、そして統一運動へと結びついたことへの共感は、戦後日本においてもある時期まで、それなりの説得力をもっていたのでしょう。同書が書かれてから50年以上もたつ2014年のいま、これを信じた当時の人たちは何を考えているのでしょうか。

朝鮮半島の歴史に見られる数々の問題について、いまの韓国メディアなどと比べても、容赦なく批判的に書かれている同書から学べることがこれほど多いことには新鮮な驚きがありました。朝鮮半島の迷走ぶりを暗示する半世紀前の記録として、いまあらためて読み直すことができるように思いました。
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by sanyo-kansatu | 2014-01-04 17:46 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


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