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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 02月 19日

戦前期、外国人はどこから入国したのか?

航空旅客機の利用が現在ほど一般的ではなかった戦前期において、外国人は客船を利用して日本を訪れていました。ですから、当時外国客は、今日のように国際線の就航する空港ではなく、国際客船の寄港する港から入国していました。

ツーリスト6号(1914年4月)の「大正2(1913)年中本邦渡来外人統計表」によると、当時の入国地としての以下の14の港が記されています。

横浜、神戸、大阪、長崎、函館、門司、下関、敦賀、小樽、七尾、青森、唐津、厳原(対馬)、室蘭
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統計表には、それぞれの港ごとに国籍別の入国者数が記載されています。入国者数のトップは横浜で、次いで神戸、長崎、下関、敦賀、門司、函館の順になっています。

大正2(1913)年の訪日外客数は21886人で、国籍別にみると、トップが支那7786人、次いで米国5077人、英国4123人、ロシア2755人、ドイツ1184人の順になっています。しかも、これらの5か国の数が圧倒的に多く、他の国々とは比較にならないほどでした。つまり、戦前期の訪日外客はこの5か国が大半を占めたということになります。ちなみにこの上位5か国の順は、大正15(1926)年になっても変わっていません。

明治41(1908)年から大正(1913)2年までの訪日外客数の推移は以下のとおりです。

明治41(1908)年  19328人
明治42(1909)年  17023人
明治43(1910)年  17283人
明治44(1911)年  16728人
明治45/大正元(1912)年  16964人
大正2(1913)年  21886人

この統計について同誌はこう解説しています。

「明治41年より大正元年までの5ヶ年を見るに、41年の1万9328人より、大正元年の1万6964人に減少せるの事実は、明らかに渡来外人の減退を示すものの如くなれども、43年の韓国併合によりて、同年下半期よりは同国人の渡来者を一般の渡来外人中に加算せざるを以て、渡来外人総数に其減少を見るは、寧ろ当然の事に属し識者の憂ふるが如く年々渡来外人の減退するには非ざる也」。

明治43年以降に減少した理由は、韓国併合によってこれまで外国人として統計を取っていた韓国人を外したことにあるというわけです。

そして、大正2年に入り、2万人を超したことから、「依是観是本邦に於ける渡来外人は、減退よりは寧ろ増加の傾向を示し、其前途亦大に喜ぶべきものであるを認めずんばあらずや」としています。

はたしてその後、当時の期待どおりに訪日外客は増えていったのでしょうか。

実は、そうではありませんでした。

それから13年後の大正15(1926)年の訪日外客数も、2万人超にすぎなかったからです。なぜだったのか。これから検討していこうと思います。

by sanyo-kansatu | 2014-02-19 22:58 | 歴史から学ぶインバウンド


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