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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 03月 14日

1933(昭和8)年の「アメリカ人は日本で何を見たいか」番付表

日本政府観光局(JNTO)の前身にあたる国際観光協会は1931(昭和6)年に発足しています。同協会が1930年代にアメリカで実施したユニークな事業について、ツーリスト155号(1933年8月)は紹介しています。

それは、米国の雑誌「アメリカン・ボーイ・マガジン」誌上において実施した「日本……なぜ僕は日本へ行きたいか」という題名での懸賞論文募集でした。

ツーリスト誌では、同募集に寄せられた1775通の中から、彼らの訪日旅行の関心事として論文に出てきた地名や風物、文化などを件数別に整理し、以下のような番付表にまとめています。
1933(昭和8)年の「アメリカ人は日本で何を見たいか」番付表_b0235153_1882762.jpg

まず西から。大関は富士山、関脇が桜、小結が川(瀑布)、前頭は花卉、稲田、国民精神、山嶽、風習、キモノ、スポーツ、農山漁村、建国歴史、宗教、温泉、樹木、自然美、日本語、著名の士。伝説、祭礼、鳥獣魚、サムライ、海、労働者、箱園、藝妓、演劇、日本文学、音楽、火山、地震、金魚、娘。

東は大関が神社仏閣、関脇が近代都市、小結が日本建築、前頭は美術、古都、人力車、生絲、塔、日本料理、近代産業、下駄、土産物、諸制度、茶、陶器、漆器、宮城、象牙、鳥居、銀座、提灯、玩具、満州問題、真珠、買物蒐集、茶店、三十三間堂、橋、刺繍、茶の湯、鵜飼、駕籠、凧。

さらに、行事は大仏と日光、宮島。世話人が日米親善と交通機関、近代文化とあります。当時のツーリスト誌の編集者はしゃれっ気を出そうと番付表にすることを思いついたのでしょうが、その効果が出ているかというと、う~ん。

番付表に出てくるアイテムはあまりにランダムすぎて、ワケがわからないものもありますが、当時のアメリカの青年たちが日本について知っているさまざまなイメージの断片が並べられていて、なんだか面白いものです。思うに、これらのイメージは実のところ、現代のアメリカ人の日本観という意味でも、そんなに中身は変わっていないのではないか(もちろん、ここにはない現代的な事象は加わるでしょうけれど)と思ったりします。

それを嘆かわしいなどと思う必要はないでしょう。所詮外国人の日本理解とはそういうものだという認識が必要ではないか。だって自分だって一度も訪ねたことのない国についてイメージを挙げろといわれれば、似たようなものでしょう。最近、よく街角で見かけるようになった外国人観光客の姿を見ながらそう思います。誰を責めるような話ではないのです。

何が言いたいかというと、こうした断片的な日本理解を前提とした外客向けのわかりやすく面白い情報発信が求められているということです。彼らに一から説明することの難しさを我々はもっと知る必要があると思います。

by sanyo-kansatu | 2014-03-14 17:59 | 歴史から学ぶインバウンド


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