2014年 04月 29日

北朝鮮観光 事始め

「北朝鮮観光」というものが、今後どう動くのか。これは最近、ぼくがひそかに関心を寄せているテーマのひとつです。
b0235153_19513957.jpg

メディアで報じられる北朝鮮のふるまいは、手の付けられない悪童ぶりです。こんな国にまともな未来などないと多くの論者がみなしてきました。ほんの数年前まで、ぼく自身も朝鮮半島に対する関心をどのように持つべきかわかりませんでした。その気もなかったというのが正直なところでした。

中国とのようなひとの縁というのもない。新宿や池袋の在日華人コミュニティについてはゆえあって関心を持ち続けてきたけれど、新大久保には足を運ぶ理由が思いつきませんでした。在日や総連の問題も、ほとんど興味がなかった。これらのことが自分に関わる問題だとは感じられなかったからでしょう。

ところが、2012年夏、知人のとりはからいで、北朝鮮咸鏡北道の羅先に入ることになりました。10年ぶりの日本観光団ということでした。これまで日本で唯一の中国東北三省を扱う旅行ガイドブックの取材という名目で、中国側から朝鮮国境沿いの風景を鴨緑江や図們江越しに、また遊覧ボートに乗って眺めてきましたが(中朝国境最新事情)、ついに入国を果たすことができたのでした。その年ぼくは、北朝鮮入国前に、ロシア極東地域のウラジオストクも訪ねていたので、国境を接する北東アジアの3カ国を同時に見ることができました。

初めて見た咸鏡北道の町は、ちょうど改革開放から間のない頃の中国のようでした(中国人たちは70年代の中国と似ているといいます)。先入観がなかったぶん、初めて訪ねた国として見るもの聞くもの、新鮮さをおぼえました。1980年代半ば、中国東北三省を初めて訪ね、日本統治時代のインフラが老朽化しながらも残された、高度経済成長以前の埃っぽい街並みを見たときの印象を思い出しました。いまの中国を毒している物質主義とは無縁の清々しい感じがしたのです。

朝鮮の人々が(といっても所詮外客を接遇する人たちでしかないのですが)思った以上に外国人慣れしていることも意外でした。「観光」といっても、それはお互いの利益の交換です。彼らの対応は、2000年代に本格化した欧米客や中国客の朝鮮観光の影響があるだろうし、近年途絶えたものの、1987年から2000年代半ばまで毎年千人規模とはいえ続いていた日本客の訪問という経験の蓄積もあったからに違いありません。外貨獲得の手段としてのインバウンド振興はこの国では一貫した政策で、わざわざ来た人間を不快にさせたところで、彼らにとって何の得もないのですから。

もっとも、先軍政治とインバウンド振興の相性は、誰が考えてもいいはずはありません。彼らが外客に提供する観光コンテンツは、あからさまで呆れるほどの政治的なプロパガンダばかり(それが逆に新鮮だったりするからたちが悪いというべきか)。基本的に自分たちの見せたいものしか見せようとはしません。一方、平壌と地方都市を結ぶ幹線道路の一部は、観光バスではなく軍事車両が走ることを優先しているせいか、アスファルトの板を並べただけですから、走行中は板の継ぎ目ごとにバスが跳ねること著しく、のんびり車窓の風景を眺める気分にはなれません。インフラ自体は万事そんなぐあいで、とうてい国際基準に達していないにもかかわらず、無理をして虚勢を張るような姿勢もたぶんに見られました。

それは確かに興ざめを引き起こすものですが、なぜそこまでしなければならないのだろうか……。そう思うと、彼らをばっさり断じたもの言いをすることに戸惑いをおぼえるのです。時折彼らが見せる素の表情にもほろっと感じ入ってしまいがちです。そういう心のスキマに付け入るのが彼らの狙いだと言われれば、それもそうなんでしょうけれど、そういう心の駆け引きなど無意味だと思えるだけの重い現実が、どんなに彼らが隠そうとしてもこの国にはありそうだということが、わずかな滞在期間でもだんだんわかってくるのです。いったいこれからどうするつもりなのだろうか……。そこに関与するつもりはないけれど、せめてこれから起こることを眺めてみようか、という気になってきたのでした。

こういう所詮よそごと的な感覚は、ヨーロッパの旅慣れたツーリストたちが、この“神秘”の国を訪ねる動機に近いといえるかもしれません。なにしろ彼らは安全保障上の直接の懸念がないだけに、気が楽なものでしょう。

一方、日本の場合は彼らとは事情が違います。よそごと的感覚ですまされるのか、という言い方もできるでしょう。でもね、そこまで気負うことはぼくにはとうていできないし、だからこそ、ある一定の距離を置きつつ、朝鮮半島の実情に対する見方が偏らないよう、足を運ぶことは必要ではないかと思ったのです。

ちょうど羅先入りした頃、知り合った年長の北朝鮮通の友人に「東アジアを理解するためには、北を知る必要がある」と言われたことが、結果的には大きかったといえます。数回訪ねた程度でわかったようなことをいうつもりはないけれど、北に触れることで、これまであまり考えてもみなかった北東アジアの歴史的因縁が少しだけわかるようになりました。なぜ朝鮮半島の人たちが、これほど「反日」で頭に血を上らせるかも、ある程度想像できるようになりました。わかったところで、溜息を吐くしかないのですが。

東アジアの2000年の歴史を振り返ると、朝鮮半島は目を覆いたくなるような不幸続きの連続だったといえます。すべては中国に隣接したことに起因している。そう言い切っていいと思います(まあ日本の影響がまったくなかったとまではいいませんが、朝鮮半島の人たちの自己都合による思い込みにあんまり無理して合わせてあげなくてもいいのではないかと思うのです)。半島だったため、彼らには逃げ場がなかったのです。もちろん、今日では彼らの体制に脅威を与えているのは、中国だけではありませんが、歴史的に考えると、すべてはそこに根があり、その境遇が彼らの独特ともいうべき民族的特徴をつくり出したと考えると、いろんなことがわかりやすくなると思います。

今日の北朝鮮にも、もし「体制護持」できなければ、中国に呑み込まれ、少数民族と同じ立場に貶められてしまうという強迫観念や重圧があるわけです。それゆえ、傍から見るとひとりよがりにしか見えないあがきを続け、周囲を呆れさせているともいえます。「主体思想」というのも、絶対中国には譲らないという無謀なまでに頑強に固められた自尊心からくる悲壮な決意表明ではないかと思えてきます。それも、これまで繰り返されてきた歴史の再現ということかもしれません。

こうした事情もあり、朝鮮半島の人たちが自分たちの歴史を直視することが苦手なのは無理もないと思います。

日本との関係も、朝鮮半島の人たちが考える大陸との圧倒的な力の上下関係(華夷秩序)を宿命的なものとして日本列島まで含めた延長線上で捉えているため、話が面倒になるのだと思います。こちらはそんな上下関係を持ち出されても関係ないよ、と思っているのに。彼らの不遇から生まれた「歴史観」を我々に押し付けられても無理というものです。そこは一線を敷くしかない。しかし、それを認めようとしないのが朝鮮半島の人たちでしょう(中国の人たちも同じかな)。

それでも、中朝関係においては、ケースにもよりますが、朝鮮半島の肩を持ちたい気もするんです。中国人にいわせると、中国は韓国と北朝鮮を左右の掌の上に乗せ、うまく手なずけたいだけ。これまでずっとそうだったように。そういう偉そうな口ぶりを耳にする以上、判官びいきは日本人の好みにあっていると思うからです。少なくとも、ぼくはそのように考えるようになりました(これについては異論反論がありそうですね)。

これまであまり熱心に目を通してこなかった北朝鮮に関する書籍を少しずつ読み始めています。90年代以降はさすがに気恥ずかしくなるような北礼賛は見られないものの、それ以外は、人情派にしてもアラ探し派にしても、昔ながらのネタが勝負のアジア小話ばかり。むしろ最近面白いと思うのは、若手の北朝鮮研究者のクールな視点に基づく論考や、実際に80年代後半から日本人の北朝鮮観光の手配に携わってきた旅行業者たちの証言、さらに戦前期の朝鮮観光に関する資料などです。とりわけ戦前の資料を読んでいると、当時どれほど多くの日本人が金剛山を愛でていたかを知ることができ、新鮮さと同時に、未来への希望につながらないか、と思えてきます。

自分のようなフィールドワーク好きの編集者にできるのは、旅はエンターテインメントであるという、いささか平和ボケした島国の住人らしく、その地になるべく足を運び、当地の現象面に直接触れ、少しばかり社会学的に(斜に構えて)見つめてみようと思うことくらいです。そのためには、なんとか定期的にかの地に足を運んでみたい。ぼくが夢想しているのは、1930年代に北東アジアで実現しかけていたモダンツーリズムの再来です。1945年、それがいったん崩壊したとはいえ、今後時代を変えて、望むらくはお互い対等な関係で再現する日を夢見て、現地の観光素材に関する情報を集めて、気長に下準備しておこう。そんなことを考えているのです。

はてさて、こちらがそう思い立っても、かの国はそんなあやしげな人間を受け入れてくれるかどうか、わかりません。時局や情勢にもよるでしょう。でも、これがぼくの「北朝鮮観光 事始め」だった以上、仕方がないことなのです。
b0235153_1952590.jpg
元山の海水浴場で見かけた焼き肉パーティに興じる朝鮮の人たち(2013年8月撮影)
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-04-29 19:51 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


<< 北朝鮮の観光政策の転換と日本人...      「Tokyo Grand Sh... >>