2014年 04月 29日

北朝鮮の観光政策の転換と日本人受け入れ状況の変遷

北朝鮮観光について調べてみると、いくつかの興味深い論考がすでに記されていることを知りました。たとえば、若手の北朝鮮研究者、磯崎敦仁氏の仕事です。

特に5年ほど前に書かれた以下の2つの論文が参考になります。

「北朝鮮の日本人観光客受け入れ」(月刊国際観光情報2009年4月号)
「多様化する北朝鮮観光とその問題点」(月刊国際観光情報2009年5月号)

以下、ざっと両論文のポイントを紹介させていただきます。

まず「北朝鮮の日本人観光客受け入れ」から。最初に磯崎氏の研究スタンスがこう記されます。

「現在、多くの旅行記が出版され北朝鮮観光の実態を把握するのに大きな助けとなっているが、それらはあくまでも紀行文であるため総じて主観的かつ断片的な内容であり、北朝鮮観光の意義や背景、政治経済との関連性を考察ないし分析したものは皆無に等しい」。

一方、韓国では1990年代後半、「金剛山観光開発を取り巻く観光資源論、観光行動論、南北朝鮮間の経済協力といった視覚」による観光研究が見られたものの、「日本人観光客の受け入れについて触れられることはなかった」。

そこで同論文では「日本人を対象としたインバウンド政策の変遷を整理し、その特性を探る。その手法として、北朝鮮の文献や各旅行会社のパンフレットといった第一次資料のほか、北朝鮮観光に携わる複数の関係者への聞き取り調査の結果を素材」にしたといいます。

これまで本ブログでも、北朝鮮の旅行ガイドブックの中身にもの言いしたり、旅行業者の視点で日本人観光客受け入れ25年間の年表を作成したりしてきましたが、豊富な第一次資料をもとに北朝鮮観光の変遷を総括した同論文は、とても示唆に富んでいます。

同論文によると、北朝鮮の観光政策は1980年代に転換があったことがわかります。

すなはち、それ以前は観光を「浪費的」で「非生産的」なものだと否定的に捉えていた北朝鮮が、1980年代後半、一転して観光業を奨励し始めます。その目的として、自慢の「社会主義」を宣伝し、外貨獲得を図ることにあるとしたのです。

そして、1987年6月、一般の日本人観光客受け入れを正式に表明。同年9月には世界観光機関(World Tourism Organization)に加入。10月には第一陣の日本人観光客38名が訪朝しています。北京から空路で平壌に入り、開城、板門店、南浦を訪れる5泊6日のコースです。ただし、参加費用は39万8000円からと高額でした。

背景には、翌年のソウルオリンピック共同開催に向けた対外開放のアピールや日本との関係改善などがあったとされます。もっとも北朝鮮では、1950年代より「友好国」とされるソ連や東ドイツの親善訪問、75年からは在日朝鮮人の「祖国訪問」が行われていました。この国のインバウンドの歴史はそこそこ長いのです。

ところが、第一陣が訪朝した1か月後の87年11月、大韓航空機爆破事件が発生。89年10月まで日本人観光客受け入れは中断されます。当時から、期待がすぐにも失望に変わる、という事態を繰り返していたことがわかります。

それでも90年代に入り、いわゆる「金丸訪朝団」で日朝関係が好転したことから、日本人の北朝鮮観光はその後何度も中断と再開を繰り返ししつつ、2000年代初めまでそこそこの進展を遂げることになります。

以下は、同論文が取り上げている1990年代前半のトピックスです。

1991年6月/中外旅行社「日朝国交正常化直前限定ツアー」催行
     10月/全日空、日朝間にチャーター便運航(新潟・平壌)
     12月/JTB、初の北朝鮮ツアー催行
1995年4月/アントニオ猪木企画の「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」開催(3500人の日本人訪朝)

「多様化する北朝鮮観光とその問題点」(月刊国際観光情報2009年5月)では、1990年代半ば以降、さらに多様化が進む北朝鮮観光の進展と問題点を論じています。

以下は、「1990年代以降に顕著化した北朝鮮の観光事業に対する積極策」が見られるトピックスです。

1996年/日朝双方で北朝鮮専門旅行会社が設立し、ツアー料金の廉価化に寄与。
1996年9月/中ロ国境に近い羅津・先鋒を日本人観光団150名が戦後初めて訪れる。
1998年2月/新潟市で開催された「新潟・北東アジア経済会議」で北朝鮮側から観光宣伝を行う。
1999年/個人手配旅行解禁、北京経由より廉価な新潟空港発ウラジオストク経由の北朝鮮ツアー催行。清津への手配旅行が開放。
2000年10月/現代峨山主催の金剛山観光に日本人参加可能になる。
2002年6月/モランボンツーリスト、「一般家庭」へのホームステイ実現
         10万人規模のマスゲーム開催

ところが、その後、事態は変わります。北朝鮮の核開発もそうですが、「拉致問題」を彼らが認めたことが、日本の世論を大きく変えたことも影響していると思います。

2006年7月/外務省、北朝鮮「渡航自粛」勧告。

以後、渡航者は激減します。

こうして現在に至る北朝鮮観光ですが、同論文の後半では「問題点」として次の点を挙げています。

「団体で入国を申請し、ある特定の日本人だけが観光些少発給リストから省かれることがよく起きる。のみならず、日朝関係を反映して、全ての日本人観光客に対する一時的な入国制限も頻繁に行われる。出発直前、または出発後、経由地滞在中もしくは北朝鮮滞在中に突如として日程変更を強いられるケースも多い」。

「最も大きな懸念は観光客拘束の可能性である」。

これは、1999年12月、塩見孝也元日本赤軍議長とともに訪朝した元日本経済新聞社員杉嶋岑氏が「スパイ行為」をしたとの理由で当局に拘束。2年2か月後に解放されたことなどを指しています。

通常では考えられないことですが、こういうことが起こり得る国なのだというイメージは簡単にはぬぐえないものです。

こうしたことから、磯崎氏はこう結論しています。

「北朝鮮の観光政策は、行き当たりばったりの戦術レベルでしかない政治政策の従属物であるといえるが、現在においては、『体制護持』の一手段ともいえる外貨獲得政策、『実利の追求』に従属しながら、苦悩し、奔走している状態が続いている」。

キツイお言葉ですが、そのとおりというほかありません。

でも、それはいまに始まったことではないのです。

気長に考えるしかない、というのはそういうことです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-29 20:07 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


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