ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 05月 06日

日本とゆかりのある朝鮮第2の都市、元山のことが少し気になる理由

金剛山に向かうため、平壌からバスに乗った一行は、元山に立ち寄り、港のそばの東明ホテルで昼食をとりました。
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※昼食の様子はこちら「【前編】北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて」http://inbound.exblog.jp/21273246

食後に少し時間があったので、ホテルの裏手にこっそり行ってみました。こういうとき、中国客の勝手気ままさはありがたい限りです。彼らはガイドの監視を離れて動きがちなので、わずかな時間ですが、ぼくも彼らに紛れて自由に行動することができるからです。
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ホテルの裏には桟橋に向かう吊り橋があり、多くの市民や子供たちが釣りや磯遊びをしていました。
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昭和の子供たち、とでもいうのでしょうか。日に焼けて真っ黒です。
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なかには海に入ってハマグリを獲っている子たちもいます。
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おばさんまで服を着たまま海に入っています。
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桟橋の向こうの葛麻半島の先に白いホテルが見えます。かなり高層のビーチリゾートホテルです。元山の観光開発が進められていることがうかがえます。
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さて、ホテルのすぐ下では、ここで獲ったものでしょうか。ハマグリを炭火で焼いてビールで一杯やっている人たちがいました。
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銭湯の腰掛みたいなものにちょこんと座って炭火を囲んでいます。楽しそうですね。
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なかなかしっかりしたハマグリです。
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そばを歩くとにこにこしているおじさんグループがいたので、記念撮影。いい週末ですね。

さて、こんなのどかな8月最後の日曜を満喫している元山ですが、歴史的にみると、日本とのゆかりの多い都市といえます。
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見るからに良湾である元山港は、李氏朝鮮時代は小さな漁村にすぎませんでしたが、1876年の日朝修好条規(江華島条約)により1880年に対外開港。日本と朝鮮東海岸を結ぶ航路の玄関口となっていきます。1914年にはソウルと結ぶ鉄道が開通し、東海岸最大の港湾都市、軍港として発展していきます。
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2006年以降、日本入港禁止となったものの、長く日朝間の足となった万景峰号の母港も元山です。バスで港沿いを走っていると、万景峰号が停泊しているのを見かけました。

元山の海水浴場は、戦前期から有名でした。以下の写真は1930年代の元山松涛園海水浴場です。当時の資料には以下のように書かれています。
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「松濤園及海水浴場竝に白砂十里で名高い葛麻半島は夏季の楽土として知られ、明媚な風光は朝鮮を訪れる旅客の心を強く惹きつけるのである。

人口五萬二千五百人、内地人九千六百餘人、朝鮮人四萬二千餘人、外國人八百餘人、府内は元山府廰・永興灣要塞司令部その他官衛學校等軒を並べ、文化設備完備し、ゴルフリンク・公設運動場及近郊新豐里にはスキー場がある」(「最近の朝鮮」昭和9年6月 朝鮮総督府刊)

ネットを検索すると、戦前期に元山に住んでいた方の当時の記憶を綴るサイトがいくつか見つかります。昭和10年前後に生まれた世代が多く、少年時代の思い出が語られています。

それらの文章を拝読すると、当時の元山松涛園海水浴場には、別荘地や商店街、ゴルフ場などがあったそうです。花火大会も開かれたとか。

いまの朝鮮の子供たちのように、当時の日本の少年たちも湾でアサリ獲りをしていたそうです。水深50cmくらいの深さのところで、足の指先を使って泥底からアサリを掘り出し、その場でナイフで開き、生のままたべたとか。当時の元山の写真と現在見た光景はほとんど変わりありません。

一方、現在の元山についてメディアはどう報じているでしょうか。

たとえば、朝日新聞2013年12月24日によると、故金日成主席と故金正日総書記の銅像が元山に建てられたそうです。これは金主席の妻で金総書記の母の故金正淑の生誕96年に合わせたもので、「いずれも金正恩第一書記につながる『血統』の偉大さを改めて強調し、権威を高める狙い」があるといいます。

また韓国のメディアは、金正恩第一書記が何度もこの地に足を運んでいることを指摘しています。

なぜ金正恩第一書記が元山を重視するかについてはこんな理由があるようです。中央日報2014年3月19日の日本語版では「ミサイル発射、観光開発計画…金正恩が故郷・元山にこだわる訳は?」という記事を配信しています。

ミサイル発射、観光開発計画…金正恩が故郷・元山にこだわる訳は?
http://japanese.joins.com/article/101/183101.html

それによると、金正恩第一書記が「元山を平壌に続く第2の都市として育成するという意志」を持つ理由として「元山は父・金正日(キム・ジョンイル)時代から開発に集中してきた所であるだけに、遺言に従うという意味で元山を浮上させるためという解釈だ。

国民大学のチョン・チャンヒョン兼任教授(統一学)は『北朝鮮は最近、元山付近に馬息嶺(マシンニョン)スキー場を建設したのに続き、元山を観光団地として開発しようとする計画を持っている』として『元山を第2の都市として開発するためのもの』と話した。元山の重要性を浮上させることによって国際社会にこの地域を観光特区化するよう投資を迂回的に促すメッセージという分析もある。

生母の高英姫(コ・ヨンヒ)が暮らしていた日本から初めて北朝鮮の地を踏んだ場所が元山だという点も、金正恩の元山愛と無関係ではないという観測もある」。

日本とゆかりのある元山の今後が少し気になってきました。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-06 19:41 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


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