ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 06月 01日

85年前にすでに話題となっていた巨大クルーズ客船「コロムバス」号

近年、海外から寄港するクルーズ客船を誘致する動きが全国で広がっていますが、実は昭和の初めごろの日本でも同じことが起きていました。

外客誘致の専門誌「ツーリスト」1930(昭和5)年3月号には、ニューヨーク発の巨大クルーズ客船の来航のニュースが紹介されています。
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「巨船コロムバス」

「大き過ぎて横濱桟橋への繋累が問題となり各方面の心配の種となったコロムバス号がいよいよレーモンド・ホイットコム社主催の観光団を満載して来月二日神戸、四日横浜へ入港する。この汽船は北独逸ロイドに属し、『ヨーロッパ』、『ブレーメン』に次ぐ巨船で、總噸數三萬二千五百噸、長さ七百七十五尺、幅八十五尺で。我國第一の汽船浅間丸に較べ噸數に於いて一萬五千噸、長さに於いて百九十一尺大きい。定員は一、二等各四百名、ツーリスト・キャビン二百名、三等六百五十名計千六百五十名で、外に乗務員七百三十名、總計二千三百八十名となる。

同船は一月廿一日紐育出帆、歐州から地中海かけての主要都市及マニラ、香港、臺灣、支那、朝鮮等を歴訪し内地では四月一日宮島が最初の寄港地となっている。宮島では一行歓迎の為燈篭流しを行ふ豫定である」

いまから約85年前の話です。面白いのは、当時もクルーズ客船が大きすぎるため、横浜港の寄港が危ぶまれたという話です。今年3月、英国のクルーズ船「クイーン・エリザベス号」が横浜港に初寄港する際、高さ55mの横浜ベイブリッジを干潮時にぎりぎりの高さで入港したというニュースが伝えられましたが、当時はベイブリッジこそないものの、日本の桟橋の規格が海外の大型クルーズ客船仕様になっていないため、大変だったという話は、いまもって変わらないことがわかります。

日本各地の港湾の桟橋の規格が小さすぎるため、先ごろの世界の大型クルーズ客船のトレンドに合っていないことから、クルーズ市場において大きくアジアの港湾都市に差を付けられていることはよく指摘されます。

また乗客数1650名、乗務員730名の総計2380名が一度に上陸するという規模は、今日のクルーズ客船とほとんど変わりません。これだけの数の欧米客が一斉に上陸するのは、当時の日本人にとっては、かなりインパクトのある光景だったに違いありません。当時日本を代表する港湾都市であった横浜や神戸はともかく、最初の寄港地となった宮島では、その日どんな光景が見られたのか、想像するだけでも楽しくなります。海の中に屹立する宮島の厳島神社の鳥居は、外国客にとってとても神秘的な光景に映るのでしょうね。いまはそれほどでもないようですが、当時のツーリスト誌を読んでいると、欧米客の厳島神社の人気の高さがうかがわれます。コロムバス号の3番目の寄港地として宮島が選ばれたのは、理由があったと思います。

※戦前期、外国客はどこから入国したか? http://inbound.exblog.jp/22097926/

最後の「宮島では一行歓迎の為燈篭流しを行ふ豫定である」という一文も、日本人の考えるおもてなしというのは、いまも昔も変わらないものだと微笑ましく思えてきます。

※【後編】台湾発クルーズ客船、那覇寄港の1日ドキュメント http://inbound.exblog.jp/20365044/
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by sanyo-kansatu | 2014-06-01 11:19 | 歴史から学ぶインバウンド | Comments(0)


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