2014年 06月 01日
5月中旬に上海の旅行博の視察に行ってきたばかりですが、「上海よりの外人誘致」つながりという意味で、とても興味深い戦前期の記事を見つけたので、紹介したいと思います。 1913(大正2)年に創刊された外客誘致の専門誌「ツーリスト」1934年7月号に掲載されている「夏の雲仙公園~上海よりの外人誘致」という座談会です。いまからちょうど80年前に行われた座談会でありながら、そこでやり取りされる内容は、今日の日本の外客誘致が抱える課題と基本的に変わっていないことに驚きすら感じました。日本のインバウンドの構造問題がそこに提示されているといえるのです。 以下、ざっくりと内容を紹介します。出席者は6名ですが、肩書がいっさい書かれていません。内容から察するに、国際観光局の関係者(日本および上海事務所)や話の舞台となる長崎県雲仙の観光関係者などだと思われます。 冒頭、以下の問いかけから、座談会は始まります。 「上海方面からは主として雲仙にお出になる方が多いのですが、それはどんな理由からか、又それに関して参考になるようなことを伺いたいと思います」 ※1910年当時、雲仙を訪れた外国客については→「なぜ多くの外客が戦前期に雲仙温泉を訪れたのか?」 これに対する出席者の発言を以下、順を追って書き出してみます。 「主な所はマア地理的の関係からで、近いから簡単に行ける」 「行楽の意味からなら青島などもいいのですが、それはやはり同じ支那の土地でありますから感興もそれ程湧かない、日本ですと山水の美も異なりますし、設備もよく整っているといふので来られるやうです」 「外国人は何処の國の方が一番多いですか」の問いについては、「ロシヤ人、英国人が多いやうに思ひます」。 「雲仙に就いて、上海の外国人はどんな希望を持っていますか。何か注文もあるでしょうし、又非難されているような所がないとも限りませぬが…」 「非難も相当耳に致します。第一に部屋を申し込むのに不便がある。とにかく夏半ばになるとホテルが大抵一杯でどうする事も出来ないといふのが主な非難ですが」 上海の外国人の人気渡航地だった当時の雲仙でも、ハイシーズンのホテルの客室不足が問題となっていたようです。その内実はこうです。 「(雲仙に)従来七八軒あるのは旅館とホテルの合の子もたいなものなんですが、お客様の状態と照り合わせると確かに部屋數が不足しているんです。彼方の部屋数總體から言へば四百五十人程の収容數ですが、最盛期には平均して昨年などでも五百人以上の人を収容している。其の結果相当混雑を来しているような状態で、何とかしなければ、雲仙へ行っても泊まれないから駄目だといふやるな考へを起こさせる事になると思ひます」「雲仙は四、五月頃になるともう満員で、七、八月頃になって渡り鳥のやうに飄然と来られて泊めてくれといってもお断りするより仕方ない」 なかにはこんな話も出てきます。 「其の為めに、去年は天幕を張ってお世話したのです」。「天幕」とは臨時の宿泊用テントのことです。「今年もキャンプをやってホテルに入りきれない人々に利用していただくつもりですが」。 これはえらいことですね。せっかく上海航路で日本に避暑に来たのに、テントに泊まるほかなかったとなると、こういう話題はすぐに上海の外国人租界中に広まるおそれがあり、雲仙の外客誘致にとって致命的な打撃を与えかねません。 ところで、雲仙を訪れる外客に関する出席者の発言からいくつかの興味深い指摘が見つかります。たとえば、こんなコメントです。 「今雲仙に来るお客さんはあまり上層階級の人は来ないといふことになっているが、凡ての人が夏の間だけは来られるやうな風にしたい。ですから彼處にホテルを造るにしてもさういふ向きのホテルを造りたい。すべての人が行って其の生活をエンジョイすることが出来るといふ、幾分高級のもので、やがてさういふ風な人は東京附近にも来られるやうにしたいと思ふ、現在では極く上の階級は日本へ行けば、箱根、宮ノ下迄行かなければならぬ、さりとて雲仙で電車の車掌さんなどと一緒になるのは嫌だといふ人は青島や大連に行っているのであるから、雲仙を足場としてあらゆる階級に相應しいやうに、設備したいと思ひます」 ここで面白いのは、当時雲仙は上流階級向けではなく、上海租界在住外国人のうち中流階級以下向けのリゾートとして認知されていたということです。それゆえ、上流階級向けのホテルを建設することで、より幅広い層の外客を誘致すべきだと指摘してきしています。また、蒸し暑い上海の夏を抜け出す避暑地としての雲仙のコンペティターが、青島と大連であるというのも、今日の感覚では思いもよらないものです。 ホテルの客室不足は、今日の日本のインバウンドにも共通する深刻な問題のひとつといえます。その解決策として、当時も同じことが言われていたことが次の指摘でうかがえます。 「雲仙は混んでいるが、唐津に行けば部屋が空いているといふやうな事を客に十分呑み込ませるやうにしていただきたい。上海のオフィスと長崎のオフィスとよく聯絡をとってやられたらいいと思ふ」 誘客地の分散化を進めることの必要性は、当時も理解されていました。そのためにも、上海のジャパンツーリストビューローのような海外にある外客誘致のための宣伝機関が地元と連絡を密にして、情報発信していかなければならないと指摘しています。 さらに、シーズンの分散化も必要だという指摘も見られます。 もともと「日本人の来る季節と外人の来る季節とが違ひますから大して障りないと思ひます。日本人は夏は殆ど行きませぬ。又躑躅の時期、紅葉の頃には西洋人が来ない。其の利用状態からいっても彼處は外人と日本人とは分かれていると考へております」と思われていたのですが、当時は日本人のホテル利用が進んできており、これもホテルの客室不足の大きな理由になっていたからです。そこで、ある出席者はこう提言しています。 「上海方面から来られる方は只今の所夏が主なやうですが、四季を通じてお出になるやう、彼方にいらっしゃる方のお骨折を煩したいと思ひます。春は櫻とか、秋は紅葉頃に、又冬はクリスマスのお休みを利用してスキーに来られるとか…」 ただし、別の出席者はその難しさをこう率直に吐露しています。 「私の方ではいろいろパンフレットなども沢山造りまして、クリスマスからお正月にかけて出かけられるやうに、夏と同程度の船賃に下げてやってみましたが、甚だ不成績でした。もっとも上海支店の者は始めから気乗りしておりませんでした。色々の理由があるやうですが、大體に於いて西洋人はクリスマス、お正月は旅行しない。家に閉じ籠る者が多い。又忙しくてお正月とはいっても男は仕事している者が多いので、家族の者も出かける譯には行かないのだと、そんなことを申しておりましたが、全く失敗しました」 インバウンドはまさに試行錯誤の連続なのですね。 後半でも興味深い提言がいくつも出てきます。 「夏以外に四季を通じてどの位お客を引っ張れるか、上海の方は一つよく研究していただきたいですな(中略)春の休みを利用して何とか吸引策はないか、充分研究してみてください」 「観光局としては四季を通じて折々新聞雑誌に廣告しております」 「私は活動写真を利用するのが非常にいいと思ひますが…」 「それは三、四年前から御経験願っている譯なんです。雲仙のキャンプ南下を撮ったのもありますし、サンマー・イン・ジャパンといふ活動写真なんか利用率さへよければどしどし使っていただきたいと思っています」 「上海を中心にして揚子江、香港、マニラ、ジャバ、あの方面にいる欧米人に食ひ入る為めに、上海に宣傳を中心にした出張員がいるといふことが必要じゃないかと思ひます」 「今の上海の鐡道の駐在官は私もよく知っておりますので、政治上の事は別問題として、観光上に大いにやって貰ひたいといふことを個人としてよく頼んでおきましたが…」 この座談会が行われた1934年当時の時局について、以下のような発言もあります。 「(雲仙に外客が急増する背景として)何といっても支那が何となく物騒である。そして日本の為替が安い。先生達の習慣として休みの間は何處かに出かける癖がある。従って船賃もあまり高くない、そして生活も楽であるから、日本へ来る人は増えないまでも、大體今の程度で行くのではないかと思ひます」 当時も今日同様、円安が大きな外客急増の背景となっていたのです。さらに、日中対立という時局の問題も…。 「郵船としては一週二回の定期を出します。つまり、四日八日に二回、支那人も相當に雲仙に行くことと思ひます。それから昨年急激にお客の増えた理由としては、日本、支那に於ける大きい外國商社の使用人が本國に歸る休暇を延ばされたらしいですな。三年か四年目に歸るのを来年にせよとかいふ事で、そんな點から家族などは何とかして避暑でもしなければ健康上困るといふそれが一つ、又相変わらず支那内地が物騒であるといふ點で、それは今年もあまり變わりないかと思ひます」 1934年というのは、第一次上海事変(1932年1月)と第二次上海事変(1937年8月)の間にあたる時期でした。逆をいえば、戦闘状態が起きているなか、外客誘致のための活動はふつうに続けられていたのです。実際のところ、上海租界在住の外国人たちは避暑地を選ぶにしても、できれば中国から離れたいという思いがあったことでしょう。 今日上海からの訪日客誘致といえば、上海とその周辺に住む中国で最も経済発展した地域の中国人たちを日本に呼び込むことですが、80年前は上海租界の外国人を上海・長崎航路のある長崎県雲仙に呼び込み、そこから訪問地とシーズンの分散化を図ることでした。 私たちは80年のときを経て、先人たちと同じ課題に向き合っているのです。
by sanyo-kansatu
| 2014-06-01 11:38
| 歴史から学ぶインバウンド
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