2014年 11月 19日

大連の若い世代(80后)は日本時代の住居や路面電車が懐かしいという

今年7月下旬、大連を訪ねたとき、最も印象に残った場所が、地元生まれの若いカップルが経営しているカフェ「瀋小姐の店」でした。
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この店の特徴はお茶を飲むだけでなく、店内で版画や手づくり工芸を楽しめることです。アトリエ風の店内は、創作教室といってもいいかもしれません。
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客層は圧倒的に若い女の子ばかり。彼女たちは地元だけでなく、中国全土から旅行で訪れた人たちも多いそうです。
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店内には、大連の老房子(古い建築)をイラストや版画で描いた絵はがきや日本統治時代の古地図が売られています。
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「大連印画」「老大連」「大連の詩」「大連老式電車の旅」「歩く大連」「大連老建築」など、種類もいろいろ。中国の歴史博物館に展示されているような、どこかおどろおどろしい日本統治時代の写真とは、まったくの別世界。いまどきの中国の若者のセンスが感じられるポップな仕立てとなっています。

このカフェを経営しているのは、1984年大連生まれの周科さんと瀋潔さんです。ふたりは大連工業大学時代の同級生。ちなみに同大学には、アートデザインや服飾などの学部もあります。なぜこの店を始めたのか聞くと、こう話してくれました。
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「ぼく(周さん)は子供の頃、祖母の住む古い日本家屋でよく過ごしました。いまはオリンピック広場となっている北側の一画ですが、当時はそれが日本家屋だとは知りませんでした。高校生になった頃、これらの老房子が次々に再開発されるのを見て、自分の大切な思い出が失われていくようで惜しいと思ったのです。

大学で美術を専攻したぼくは、老房子の写真を撮り始めました。大学を卒業後、美術教師をしながら、撮りためた写真や版画を絵はがきにして、大連を訪れる観光客に伝えたいと考えたのが、このカフェの始まりです」。

※再開発の進む大連の状況については「次々に壊されていく文化台の一戸建て住宅【昭和のフォルム 大連◆文化台②】」http://inbound.exblog.jp/20697489/参照。
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奥さんの瀋潔さんは浙江省出身ですが、大学で知り合った周さんに大連をあちこち案内されたとか。そのときの移動の足はたいてい路面電車だったそうです。いまも自宅からこのカフェまで毎日通勤の足は路面電車。車窓から見える老房子を眺めながら、電車に乗るだけで大連の魅力が満喫できてしまうと思ったことから、このイラストマップ「大连漫游计划」(一部)や「大連老式電車の旅」の絵はがきをつくることを思いついたといいます。
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実は、奥さんの瀋潔さんは毛糸や皮の小物の手作り作家で、ノウハウ本の著書もあるという女性。このカフェには、そんなふたりの噂を聞きつけて、手作り創作と大連の魅力を教えてもらおうと全国からファンが集まるようになったといいます。
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周さんの話を聞きながらとても興味深いと思ったのは、1980年代生まれ(中国では「80后」世代といって、文革以前の古い社会主義中国を知らない新世代)の彼らが大連の日本家屋に対して親しみと懐かしさを感じているということでした。彼らは1990年代以降の「愛国主義教育」を最初に受けた世代ですが、そこで教え込まれた「歴史認識」をするりとスルーして、日本時代の建築に自らの幼少期の舞台としてノスタルジーを感じていることです。彼らにとって日本家屋は自分たちの大切な思い出なのです。

※中国の「80后」世代については、カテゴリ「アニメと「80后」の微妙な関係」を参照。
http://inbound.exblog.jp/i13

もっとも、いまとなってはわずかに現存するにすぎない大連の日本家屋は、いわゆる内地の家屋とは違い、当時は最先端の文化住宅だったはずです。なにしろ水洗トイレやお風呂も普通に備わっていたのです。大連で幼少期を過ごした年配の方が、日本に引き上げてきてからいちばん驚いたのは、「ボッチャントイレ」と「五右衛門風呂」だったと話していたことを思い出します。「大連の当時の生活環境に日本が追いついたのは、昭和50年代になってからではないか」。そう語る引き上げ世代の話を聞いたこともあります。つまり、大連の若い世代が懐かしく思っているのは、戦前期の日本にはまだ一般化していなかった昭和モダンの最新式住居が歳月とともに老朽化した姿だったといえます。

大連の若い世代の日本家屋に対する感覚は、大連育ちの日本の年配の皆さんと重なる部分とそうでない部分があるかもしれませんけれど、実はぼくのような戦後まれの「満洲3世」にとっても共感する部分が大きいといえます。それは大連との同時性を有していた日本の昭和モダンが持つフォルムの温かみや懐かしさを、高度経済成長期に重なる自らの成長とともに失ってしまったという想いであり、日中の経済発展のタイムラグによって同じ経験が後年外地でも生まれたのだという共時性を周さんに感じるからです。実際、ぼくが初めて大連を訪ねたのは1980年代半ばで、彼が生まれたばかりの頃でした。

だからでしょうか、ぼくは初対面の周さんと話がずいぶん合いました。なぜ彼が老房子の写真を撮りためようとしたか、その動機が手に取るように理解できたからです。そんな話を周さんにしたところ、彼も日本で刊行された大連の老房子の写真集や本を集めていると言いました。

ちなみに周さんは電車ファンでもあるそうです。実は、1990年代の薄熙来市長時代の大連では、それまで使っていた日本時代の老朽化した電車を新式車両に転換する際、あえて外観のデザインは日本時代の姿を残そうとしたそうです。それが大連市民のフィーリングに合ったからでしょう。その決定はいまも高く評価されていると聞きます。
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その車両は、時代を経て今日も残る日本時代の石造建造物との対比でみると、少し真新しすぎるように見えなくもないのですが、遠目のシルエットは当時と変わらないものです。それが旧満鉄関連のビルの前を走っていたりする姿がいまでも見られるのが、大連の風情となっています。そして、その路面電車は周さん夫妻たち、現在の大連市民の日常の足でもあるのです。

大連市民の間では、いまでも失脚した薄熙来の人気が高いようですが、こうした日本がらみのエピソードが穏やかに語られているのは、中国広しといえども、大連くらいではないでしょうか。

カフェ「瀋小姐の店」は、旧ロシア人街の最も奥まった場所の右手にあります。いまや新しい大連観光の情報発信地となっています。
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旧ロシア人街の建物はいまではあざとくペイントを塗り替えられ、テーマパークと化してしまいましたが(そういう意味では、もう情緒はありません)、カフェの窓の外には旧大連自然博物館が見えます。なぜかここだけは投資の対象からはずされ、かつて東清鉄道事務所や市役所にも使われた老房子の荒れ果てた姿は、ちょっぴり痛々しさを覚えます。
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●カフェ「瀋小姐の店」
住所:大連市西崗区団結街6号文化産業研究中心
http://site.douban.com/129650/


※現在の旧ロシア人街については――

ショック!? 大連「旧ロシア人街」の再開発が一気に進んでいた
http://inbound.exblog.jp/24019874/
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by sanyo-kansatu | 2014-11-19 18:35 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)


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