ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 12月 28日

日本人と鏡泊湖のいにしえの縁と忘却と

鏡泊湖を訪ねた帰り際、公園内の土産物店に入ったところ、こんなポスターが貼られていました。どうやらこの湖で捕れる鯉や鮒は有名なようです。

中国「五線」級地方都市のレジャーはこんな感じ?(黒龍江省鏡泊湖)
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実は、満洲国時代、鏡泊湖が鮒の産地であることは知られていました。当時発行されていたグラビア誌「満洲グラフ」1939(昭和14)年8月号の「水幽邃の別天地 鏡泊湖」という特集では、こう書かれています。

「東満牡丹江省西南の一劃、寧安縣を南北に細長くくぎった琵琶湖の半分程の湖がある。床しいその名は鏡泊湖。(中略)この鏡泊湖一帯の地に、粛慎と呼ばれる民族が勢力をふるっていたが、やがてその衰微と共に、高句麗の建国を見、間もなく北満一帯を風塵してしまった。湖畔の南湖頭には高句麗城址と云われる遺跡が、今尚風に吹かれて曾つての姿をのこしている。高句麗に代って、渤海国が興ってからは、首都を湖の東北東京城に定めた。この時代には、湖水の鳥貝からとれた真珠や、鮒などが貢物として重用されたと云われるから、恐らく當時の鏡泊湖には遊客の往来も繁く、幾多の船舶が湖上を輻輳したことであろう」

当時の日本人は鏡泊湖を古代史の舞台として眺めていたようです。なにしろ奈良・平安時代の日本と交易をしていた渤海の支配する地域だったからです。満洲国建国に際し、日本とこの地の歴史的関係を引き寄せて語ることにはそれなりの意味、つまり統治の正当化があったと思われます。

さらに、「満洲グラフ」1941(昭和16)年1月号では、再度鏡泊湖特集を企画していて、こんなことが書かれています。

「鏡泊湖は国立公園の有力候補である。湖面をゆけば原始林に蔽われた翠密の屏風美しい島、満洲ラインの名にそむかぬ絶妙な景観の變化、百花繚乱の山野、数千羽の鵜が、群棲する奇峰、碧空に舞ふ丹頂鶴や五位鷲、瀑布、尺餘の魚類の漁獲、鏡泊湖水力電気發電所、鏡泊学園村、秋田魚農開拓民等々、観光に産業に満洲の誇るべき一つである」

満洲国建国から約10年。北満開拓は当時最も注目された事業のひとつであり、その地を広く国民に知らしめる必要から「満洲グラフ」はこの特集を組んだものと考えられます。単なる風光明媚の地としてだけでなく、豊かな水利を活用した水力発電開発や北満開拓のための人材育成機関として1933年に開校された鏡泊学園(資料によると匪賊の襲撃や財政難で35年には解散したものの、有志がこの地に残って活動を続けていたようです)など、当時の日本人は鏡泊湖のことをそこそこ知っていたのです。国立公園の候補だったというのですから。

でも、もうそんなことは誰もがすっかり忘却してしまいました。

中国のローカルな行楽地としての鏡泊湖の現在の姿を、こうした日本人とのいにしえの縁と忘却という現実をふまえて眺めていると、まあこれはこれでとにかく平和でのどかなことはいいことだ。そう思うほかありません。
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土産物店では、なぜかロシアのマトリョーシカも売っていました。なにしろここは黒龍江省。ロシアに接している土地ですから。メイド・イン・チャイナなんですけどね。
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by sanyo-kansatu | 2014-12-28 12:23 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)


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