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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 01月 16日

かつて“小崗子”と呼ばれた労働者居住区を上空から眺める(大連)

昨年7月、大連の知り合いのオフィスを訪ねたとき、オフィスの高層階の窓から、大連駅の西に広がる古い街並みが残る一画が見渡せました。林立する高層ビル群が押し寄せるように間近に迫るなか、この一帯だけ、ぽっかりと空が広がっているような不思議な眺めです。
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ここはかつて“小崗子”と呼ばれた場所で、ロシアと日本の統治時代の頃より、主に山東省から大連に流入してくる労働者たちの暮らす地域でした。現在は一般に「東関街」と呼ばれています。このあたりには遊郭などもあったようです。
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頭上から見ると、それぞれの住居はかなり老朽化していることがうかがえます。
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居住区をよく見ると、通りに並ぶ住居の内側に中庭のような空間が見られます。これが古き良き中国人の住まい方を意味する「大雑院」でしょうか。複数の家族が住む共同住宅の内側に設えられたコミュニティ空間のことです。日本でいえば、長屋住まいの世界に近いと思います。
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昨日、中国の瀋陽から訪ねてきた友人に「大雑院」の話をしたところ、「必ずしも大雑院の中では、みんなが仲良く暮らしていたわけではないでしょう。喧嘩もあったと思うし、そんなきれいごとばかりの世界ではなかったと思いますよ」と笑いながら答えていました。彼は40代前半の男性なので、子供のころ、自分も大雑院の世界で暮らしていたようです。まあそれはそうでしょうね。

さらに望遠の倍率を上げると、屋根が崩壊していたり、一部再開発が始まっていたりすることも見えてきました。
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2012年に大連を訪ねたとき、東関街を歩いたことがあります。以下は、そのとき撮影したものです。
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いまも残る住居建築には、レンガの壁と独特のシンプルな装飾なども見られます。
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オンドルの煙突が並ぶ光景は、いかにも東北らしいです。
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倒壊しそうな危うい住居も残っています。
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洗濯物が干されていることを見る限り、まだ多くの住人がいることがわかります。100年前もそうでしたが、いまでも地方から大連に出稼ぎにきた労働者たち、いわゆる「外地人」の居住地になっています。これは市内の他の日本統治時代の古い住居が彼らの住処になっているのと同様です。
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旧満鉄病院(大連中山医院)の周辺に広がるかつての日本人居住区の南山や、老虎灘に向かう通り沿いの高台にある文化台の日本住居もいまではかなり取り壊しが進んでいますが、大連市内の中心部に位置する東関街の再開発が遅れているのは、「外地人」居住区であることと関係あるのでしょうか。今度大連の知人に尋ねてみようと思います。

東関街の最近の様子については、ネット上で何人かの方が写真を公開しています。

東北の旧市街地をめぐる旅 ③大連
http://www.shukousha.com/column/tada/3663/

このコラムを書かれた多田麻美さんとは一度北京でお会いしたことがあります。

冬八九大連(2)消えゆく老街
http://4travel.jp/travelogue/10650186

これは4Travel.jpに投稿されていたもので、写真がとても豊富です。

by sanyo-kansatu | 2015-01-16 11:47 | 日本人が知らない21世紀の満洲


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