ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 01月 17日

ショック!? 大連「旧ロシア人街」の再開発が一気に進んでいた

大連駅の北東側にある旧ロシア人街(俄罗斯风情街)は、19世紀末期、大連に港湾施設を建設し、都市開発を進めたロシア人たちが最初につくったエリアです。いわば大連発祥の地です。
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これは日本統治時代の絵はがきで、鉄道をまたぐ旧日本橋(現・勝利橋)の北側の一帯には、ロシア風の街並みが広がっていました。

現在では、このエリアのメイン通りにあたる団結街を「俄罗斯风情街」と命名し、再開発されています。歴史的建築物を保護することを目的に、2000年代初めに大連市政府によって着手されたものですが、正直なところ、土産物屋とエコノミーホテルの並ぶチープなロシア風テーマパークと化してしまっています。

ざっと主な歴史的建築物の現在の姿を見ていきましょう。
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旧ロシア人街の入口に建つこの象徴的な建築物は、1900年に東清鉄道汽船会社の社屋として建てられたもので、日本時代は「日本橋図書館」でした。現在は「大連芸術展示館」という美術館です。
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実は、この建物自体は新中国建国後、いったん取り壊されており、のちに復元されたものだそうです。話が少し込み入ってしまいますが、大連と姉妹都市の北九州市の門司港にこの建物のレプリカがあり、ぼくも以前、訪ねたことがあります。なぜこんなところに? と奇妙な印象が残っているのですが、なんでも現在の大連のこの建物は、門司港のレプリカを参考に復元されたのだとか。

これが「俄罗斯风情街」です。確かにかつてこの通りには壮麗なロシア建築が並んでいましたが、新中国建設後は老朽化が進み、2000年代に派手なペイントを塗りたくられ、雑にお色直しして現在に至っています。
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数年前から、中国を代表するエコノミーホテルチェーンの錦江之星などいくつかのホテルとしても使われています。1泊200元程度の価格帯なので、若い国内の旅行者が利用しているようです。知り合いのトラベルライターが昨年9月、錦江之星に宿泊したそうで、部屋の写真を見せてもらいましたが、内装はきれいにリノベーションされ、快適な印象でした。
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谷川一巳さんの「tabinori」大連の旅(2014年9月)
http://tabinori.net/kankokaigai/dlc.html
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土産物屋にはマトリョーシカなどロシアがらみの商品が並べられていますが、まるでパッとしません。
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通りのいちばん奥まった場所に、唯一お色直しされておらず、老朽化にまかせるまま、それゆえに独特の存在感のある建築物が建っています。
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この幽霊屋敷のような建物の来歴を語ると話がずいぶん長くなります。最初、東清鉄道事務所として建てられ、1902年には初代の大連市役所、日本統治時代の07年に満鉄本社、翌08年に2代目ヤマトホテル、その後、満州物質参考館、満蒙資源館、満州資源館と名称を変更しながら博物館として使われ、新中国時代は97年まで大連市自然博物館でした。その後、一時期オフィスやホテルにも使われたようでしたが、結局、この歴史的な建築遺構をうまく使いこなすオーナーが現れなかったせいか、廃墟同然の姿で現存しています。
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この建物の周辺だけ、時間が停まっているように見えます。100年前からずっとここに建ち、このまちの変遷を眺めてきたのです。かつての大連はこのような洋館が並ぶ、さぞ美しいまちだったことでしょう。

さて、ここまでが旧ロシア人街の表の顔ですが、もっと面白いのが、この通りの左右両脇に広がる界隈の路地裏歩きです。勝利橋を背にして右手に広がるのが上海路界隈、また左手に広がるのが光輝巷や煙台街界隈。前者はもともと東清鉄道汽船会社のオフィスや社宅など、後者はロシア人の暮らした住居が多数残っていました。

もっとも、最近まではそれら老朽化した住居に地方から出稼ぎに来た「外地人」労働者とその家族が住んでいました。

まず上海路界隈から。これは、最も早い時期の日本統治時代に使われた建物だそうです。
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このあたりには、木造のロシア風住居が相当傷みながらもいくつか残っています。
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長屋風の共同住宅もあります。このあたりはロシア時代のものか、日本時代のものかわかりません。
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この界隈には海鮮市場や小吃の屋台なども見られます。
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一方、光輝巷や煙台街界隈には、2012年くらいまでロシア風の住宅街がなんとか残っていました。
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100年前は瀟洒な洋館だったと思われる住居が廃屋に限りなく近い状態で残っていたのです。
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もちろん、いまは地方からの労働者の住み着く世界です。
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この状況から在りし日の情景を思い浮かべるにはかなりの想像力を要するかもしれません。しかし、高層ビルの建ち並ぶ現代的な大連市中心部のある一角に残る光景としては、非常に興味深い界隈でした。これらの写真の多くは、2010年夏に撮ったものです。
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ところが、昨年7月この界隈を歩いてみたところ、大きな変化が見られました。特に光輝巷や煙台街界隈です。さきほど見たロシア風住宅街はほぼ消えうせていたのです。

代わりにそこにあったのは、住宅展示場のような門構えのあるホテルでした。旧ロシア人街の再開発がついに進んでしまっていたのか! 少々大げさですが、ぼくその場に立ち尽くし、呆然としてしまいました。
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ホテルの名前は「鉄道1896花園酒店」といいます。館内に足を運んでみましたが、外観は確かに洋風ですが、なんの変哲もない中国式ホテルでした。
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鉄道1896花園酒店
大連市西崗区光輝巷36号

ホテルの隣には、おそらくハルビンにある有名ロシア料理店の支店と思われるレストランが建っていました。
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これでは「俄罗斯风情街」となんら変わりません。残念なことですが、いまの大連ではこのようなやり方しか採用できないことを責められるものではありません。なにしろ前述した旧満州資源館のような歴史的な建築物もどう扱っていいかわからず、ずっと放置されているのですから。無名の個人が住んでいた住居群を保存して残すことは難しいでしょう。そもそも今日の大連の多くの人たちにとって、移民労働者の暮らす貧困地区にすぎない一角は、なるべく早く再開発してほしいというのが本音だったかもしれません。

※ただし、旧ロシア人街には、大連育ちの若い世代が始めたこんな創作カフェもあります。これが新しい満洲の姿ともいえます。

大連の若い世代(80后)は日本時代の住居が懐かしいという
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by sanyo-kansatu | 2015-01-17 11:27 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)


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