2015年 05月 01日

高所恐怖症にはキツイ岩山の尾根伝い登山道(中国遼寧省鳳凰山)

自分は山登りというものが好きではありません。人に誘われ、高尾山に登るのすら気乗りしないほどです。だから、仕事で半ば強制的な環境にでも置かれないかぎり、今回のように中国の岩山登りをするなんて思いもつかないものです。

中国遼寧省丹東市の北方に鳳凰山という景勝地があります。中国でよく見かける花崗岩でできた連山で、標高は930mほどですから、全国的な知名度はありません。中国の片田舎にある行楽地のひとつです。

その山にぼくを連れていこうとしたのは、丹東の旅行会社の閻宇飛さんです。彼はぼくが丹東を訪ねると、それが自分の使命とばかりに、あちこちを案内してくれます。まったくありがたい話なのですが、彼は事前に行先をあまり詳しく説明してくれないのです。「まあ行ってみればわかりますから…」という感じで、自分の運転する車に乗せてくれます。北朝鮮国境に位置する丹東という土地柄、実に面白い場所ばかりなので、毎回おまかせで彼の車に乗り込むのです。

ですから、昨年7月下旬、丹東を訪ねたとき、どこに連れていかれるのか、ぼくはよくわかっていませんでした。前日ぼくと同行者のHさんは、瀋陽に滞在していたのですが、閻さんからは「高速バスに乗って鳳凰城というまちまで来てください」とのみ伝えられていたのです。

鉄道駅のそばでバスを降りると、閻さんは今度大学生になるという息子さんを連れて待っていました。鉄道駅の反対側に、ところどころ岩肌を露出した山並みが見えました。どうやらそれが鳳凰山のようです。
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彼の運転する車に乗り換え、山門に向かいました。近頃の中国の行楽地にはどこでもたいてい立派な門ができています。
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門の脇に登山案内図があります。「まさか、これを今日登るのか……」。
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「さあ、行きましょう」。閻さんは入山料を払い、門の中に入るよう手招きしました。パッとみた感じは、さほど大きな山ではないようですが、山門付近から見渡せるのは全体の一部です。戸惑いつつも、歩くほかありません。

ロープウェイ乗り場までは有料のカーゴに乗っていきます。これが結構距離があるんです。10分近く走るので、歩くと45分くらいはかかるそうです。
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さて、登山道の入口に簡単な地図がありました。見ると、細かく距離が記されています。全周7.5kmとあります。

「エー、これ歩くんですか」。ついにぼくは声を上げました。こんなにお世話になっているのに、いい気なものです。

「大丈夫。登りはロープウェイに乗りますから。それで歩く距離は半分に短縮されます。せいぜい3kmほどですよ」。閻さんはにこにこしながらそう答えます。
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ロープウェイで将軍峰という鳳凰連山の西側にある2番目に高い頂まで登りました。山のふもとでは天気が良かったのに、山頂付近は霧に覆われています。

鳳凰山は花崗岩の岩肌が露出した、いかにも中国的なコンセプトの山でした。中国名山と称される黄山もそうですが、岩山と霧に覆われた世界は、まるで仙人でも住んでいそうです。

さっそく登山道を歩くことになったのですが、この写真をよく見てください。登山道は岩山の尾根に沿って伸びています。さらに目を凝らすと、「ノミの徒渡り」と言うんでしょうか。尾根の背に手すりが付けられただけの道も見えます。これ、大丈夫なの? そこから落ちたら、だって……下までまっさかさまじゃないですか。
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実際、この手の急な岩の階段をアップダウンして進まなければなりませんでした。
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同行者のHさんはぼくより年長ですが、スイスイ登っていきます。この階段だって、ちょっと怖いでしょう。
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これが尾根の背のひとつです。ここは比較的平らで幅もそこそこあるのでそれほどでもないですが、実際にはもっとヤバい場所がありました。そこでは、とても撮影する余裕はありませんでした。耳元にヒューヒュー風が吹いてきて、立ち上がることもできず、尾根伝いに這いつくばって進まなければならなかったのです。足がガクガク震えてきて「勘弁してくれー」と心の中で叫び続けていました。
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お察しのとおり、ぼくは高所が苦手な体質です。助かったのは、眼下が霧でよく見えなかったことです。絶景が底まで見渡せでもしようものなら、気を失ってしまっていたかもしれません。

ところが、閻さんはこんなことを言います。「ぼくが初めてこの山を登ったのは大学生のころで、当時は手すりも何もなく、岩の上を素手でよじ登ったものですよ」。

「おいおいマジかよ。そんなの落ちたらまずいじゃないですか!」。中国的なアバウトさに思わず声を荒立ててしまいました。

彼は笑っています。

山頂に近づいてきました。「天下絶(景)」と書かれています。
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こんなふざけた登山道もありました。「瑠璃桟道」と書かれています。つまり、ガラスの板でできた道で、足元が透けて真下が見渡せるというのです。なんですか、それ。怖すぎるじゃないですか。しかも、現在修理中って。もしやガラスの板が割れたとでもいうのでしょうか……。
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これもちょっとすごくないですか。登山道の先は霧でまったく見えません。まるで天国への階段? このまま進んでいっていいのか、ためらいを禁じえません。
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そうこうしているうちに、登山道は下りになっていました。どこが山頂だったのか。ついぞ記憶にありません。高揚感もありませんでした。あとはなだらかな下りが続くだけだと聞いて、心底ホッとしました。これでやっと恐怖から解放されるのだ。こんな身の縮む思いはこりごりだ。とにかく、さっさと下山したいという気持ちでいっぱいでした。まったく面白味のないやつで、すいません。

ところが、閉山時刻が近づいていて、ロープウェイ乗り場から山門までのカーゴが見つかりません。これはヤバい。もうこれ以上歩きたくない。そんな殺生な…。思わずそんな江戸言葉が口をついて出てしまいます。幸い、売店の従業員たちの下山用の車が残っていて、救われました。このときほどうれしかった瞬間はありません。
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下山すると、山門のそばに温泉がありました。ふだんなら、温泉に浸かっていきたいと思うたちですが、その日は早く宿に帰りたくて、早々に鳳凰山を後にしました。
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教訓。高所恐怖症には中国の登山はキツイ。特に岩山の尾根伝いはヤバい。

こんなことでは、中国の老荘思想に親しむ資格は自分にはなさそうです。

さて。最後に、鳳凰山について少し解説しておきましょう。全国区の名山ではありませんから、現在の日本ではほぼ知られていませんが、手元にあるジャパンツーリストビューローが刊行した『満洲』(昭和18年)には、こう書かれています。

「鳳凰山 驛の南に聳えている九百三十米許りの山で、五龍山(鳳凰山の南にある五龍背温泉で有名な山)と共に安奉線中の二大名山に數へられている山である。一帯の奇巌怪石は悉く花崗岩から成り、山中、巨巌、寺院多く、寺觀めぐりをする者も多い」。

「安奉線中の二大名山」と言われてもピンとこないと思いますが、戦前期の満洲においては、日露戦争時に建設が着手された安東(現在の丹東)と奉天(瀋陽)を結ぶ鉄道である安奉線沿線の二大景勝地というわけです。

文献を調べていてちょっと面白かったのは、『満洲グラフ』第59号(昭和14年6月号)に「鳳凰城の娘々祭 山の安奉線に見る土俗風景」というグラビア記事で、この山のふもとで行われた祭りの光景が紹介されていたことです。

「アカシヤの芳香と共にパッと開いた初夏の感触。にゃんにゃん祭は陰暦四月の中旬を期して滿洲の各地で行はれる。それは滿人たちの土俗神に對する信仰心の端的な現はれと云ふ以外に、何か滿洲の山野に華やかな大地の蘇りにも似たものをまき散らす馥郁たる年中行事である。

遠くから数日泊まりがけでおし寄せる善男善女の群でごったがえす大石橋迷鎖山の娘々祭はさておいて、山間の僻地にささやかに繰りひろげられる娘々祭にも亦、云ひ知れぬ興趣がある。鍬と鋤とを生命に、その土にこびりついている田舎の農民たちにとって、娘々廟會の訪れはこよなく楽しい縁日だ。

滿洲の名山として千山・關山と並び稱される安奉線鳳凰山をバックに、ここにも愉しい集ひがある。娘々は縁結びの神であり、児授けの神であり、病を治し家を富ましむる萬能の神であると信じられているだけに、集まる人は老幼男女、凡ゆる層を包含しているのであるが、中に目立つのは晴着を装った姑娘たちである。土の家に居て、ささやかな家の事にいそしみながら、指折り數へて待ったのであらうこの廟會―彼女等の鄙びた瞳は希望に輝き、その心は初夏の青空高く舞ひ上がっているのである。

集まる人々を相手に、路傍にひろげられた店―どこから来たのか、飴屋あり、饅頭屋あり、玩具屋あり、果物屋あり、さては街頭卜師にほぐろとりの店まで並ぶ。これが又子供たちの嬉しい對照となるばかりではない。日ごろ恵まれぬ田舎ぐらしに土臭くなった大人たちにとっても、大きい魅力となるのだから面白い。そして廟會につきものの芝居も小屋を仕立てて賑やかにどらと太鼓をかきならしてくれる。

春は馬車に乗って! と誰かが云った。滿洲の大地は娘々祭の訪れと共にハッと四つに開放される。明ければさんさんの陽光に若葉の森がゆらいでいる」。

ちょっと長い引用になってしまいましたが、1930年代当時、この土地には民俗色豊かな祭り(「娘々祭」:中国語の発音で、にゃんにゃん祭りといいます)が繰り広げられていたことがわかります。これも新中国になって消えたもののひとつでしょう。

本当はこういうのが見たかったです。
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by sanyo-kansatu | 2015-05-01 10:14 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)


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