ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 05月 05日

もっとリアルな中国を見てほしい(中国インディペンデント映画祭主宰:中山大樹氏)

5月2日(土)、専修大学で「中国におけるインディペンデント映画とドキュメンタリー」という講座がありました。演者は中国インディペンデント映画祭を主宰している中山大樹さんです。
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中山さんは2008年に東京で第1回の中国インディペンデント映画祭を開催後、09年、11年、13年とこれまで4回の映画祭を続けてきました。彼は毎回さまざまなタイプのインディペンデント映画(日本でいえば、自主映画のことですが、ドキュメンタリーだけでなくフィクションも含まれます。背景には中国の特殊な事情があります)を日本で公開するために、中国の映画関係者らとの深い関係を築き、優れた作品や監督の発掘に尽力しています。現在、中国の広州在住の彼は、今年12月に開催予定の第5回映画祭の準備のため来日しました。この日の講座は、専修大学の招きで実現したものです。

中国インディペンデント映画祭
http://cifft.net/

中国インディペンデント映画祭主催者、中山大樹さんに会う(2012.3)
http://inbound.exblog.jp/20196438/

中山さんを招いた専修大学社会科学研究所にはアジアのドキュメンタリーについて研究しているグループ(代表は土屋昌明教授)があり、定期的に中国などのドキュメンタリー映画の上映会を行っています。

土屋昌明教授blog
http://blog.livedoor.jp/m_tsichiya/

ぼく自身は必ずしもドキュメンタリーという映像ジャンル全般に関心があるというわけではないのですが、中国のインディペンデント映画ほどこの国の理解にとって興味深い題材を提供してくれるメディアはないと考えています。また実際に現地での取材や在日中国人たちとの交流などを通じて得た対中理解や実感と重なる部分も多いので、それを確かめたいという動機から、こうした上映会にはなるべく足を運ぶようにしています。

この日も、古い友人の在日広東人のR氏を誘って参加しました。彼とは映画祭にも何度か一緒に通ったことがあります。日本人にはなかなか気づかない視点を提供してくれるありがたい存在です。

以下、5月2日の講座の内容(2時間半にわたる中山さんの講義と30分の質疑応答)を簡単に紹介します。

1)なぜ中国インディペンデント映画祭を始めたか

1996年に上海留学し、現地で就職していたこともある中山さんは、帰国後しばらくアジア映画祭などを通じて中国映画を観ていた。だが、日本ではいわゆる「第5世代」と呼ばれる監督の作品までは上映されてきたが、新しい世代の作品を観る機会が少ないと感じていた。2005年、中国にもインディペンデント系の映画作品があることを知り、そこに描かれるリアルな中国をもっと多くの日本の観客に知ってもらいたい。自分が中国で見聞きし、体験した世界をダイレクトに伝えてくれる作品を紹介したいと考えたという。

2)中国の映画事情について

以下、内容の一部を紹介します。

●中国の映画市場規模

2014年の興行収入は5620億円。日本の約3倍。日中が逆転したのは、GDP逆転と同じ2010年。

●興行ランキング(日中比較)

2014年の中国の映画興行ランキングの1位はハリウッド映画で、米中合作の「トランスフォーマー ロストエイジ」。この作品は歴代1位。日本の1位は同じハリウッドの「アナと雪の女王」だが、両国の映画の好みはかなり違うことがわかる。中国ではアクション系が人気だが、日本は邦画やアニメが人気。

●国産映画と輸入映画

中国での興業はハリウッドと中国映画は半々。それだけに、ハリウッドにとって中国市場は重要といえる。

●映画検閲

中国で映画検閲に関わる事項として6つのNGがあるという。

政治、外交、宗教、少数民族、不道徳な話題に加えて「暴力的、性的表現」「オカルト的なもの」だ。前者は「18歳以下の恋愛はご法度。恋愛感情はいいが、性交はダメ。片思いはいいけれど、恋愛が成就しなければいい?」「不倫、同性愛もNG」。後者は「1949年の建国以前の設定の話ならお化けが出てきてもいいが、以降はダメ」という。

そもそも脚本段階から検閲がある。それをクリアして初めて撮影許可が下りる。最近とみに検閲が厳しくなっており、映画関係者は冒険がやりにくく、昔検閲を通ったものをつくるかという感じで、保守的になっている。確かに、せっかくつくっても検閲が下りなければ、製作費がパーになる。こうして無難な映画が大半を占めるに至っている。

●国産映画の保護

中国では映画の輸入に規制があり、最近では年間60本程度。2012年以降、日本映画はなし。今年は「ドラえもん」が公開されるかもという噂もある。「アバター」がヒットしたとき、突然上映打ち切りを決めるなど、露骨な輸入映画規制もよくある。

一方、国産映画については、各種資金提供や6~7月の夏休みシーズンを国産映画奨励月間にしたりと、大変な熱の入れよう。

●国産映画製作数

おかげで国産映画製作数と公開作品数は増えている。ただし、公開作が最も多かった2014年でも、製作数618に対して公開数338。以前はもっと公開比率が低かった。なぜか。中国では各省ごとに政府の宣伝部門の位置付けで映画製作が行われており、作品数だけは多かった。しかし、その大半は上映するレベルに達しておらず、市場化の進む映画業界はそれらをオクラ入りにしてきた。中国にはシネコンは多いが、どこでも同じような作品が上映されており、上映機会がないのも理由。

中国にも一部アートシアター系の映画館がある(たとえば、北京の百老匯電影中心。ただし香港資本)が、関係者の話では一般の映画館では観ることのできない意欲的な作品を上映しても採算を取るのは難しいという。

北京の百老匯電影中心について
http://inbound.exblog.jp/20412335/

3)中国インディペンデント映画について

こうした中国の特殊な映画事情をふまえ、中国でなぜインディペンデント映画が生まれたか、中山さんは解説します。

●独立電影の歴史①黎明期

中国初のインディペンデント映画が誕生したのは1989年で「妈妈」(張元監督)。中国ドキュメンタリー映画の父と呼ばれる呉文光監督が初のドキュメンタリー作品「流浪北京」を撮ったのが90年。96年には、日本でも知られるジャジャン・クー(贾樟柯)監督が「一瞬の夢」を公開。これが1990年代は黎明期といわれるゆえん。彼らの多くは北京などの電影学院を卒業し、テレビ局などの制作現場で働いていたことから、器材を調達しやすい環境にあったことも背景にある。

●独立電影の歴史②デジタル移行期

2000年以降は、デジタル機器が普及したことで、各地で自主的な上映会が開催され始めた。また誰もが気軽にビデオ映像を撮れるようになったことから、若い世代だけでなく、作家や詩人、画家といった別ジャンルのアーティストたちも作品をつくるようになった。こうして斬新な作品が多くつくられるようになり、独立電影は発展期に向かう。

01年には初の「中国の独立映画節」も開催(途中で中止)。03年には南京、雲南、北京で映画祭が始まる。04年には独立電影の立役者だった「第6世代」の作品が劇場公開化も始まる一方、06年には先ごろ日本でも連続上映会のあったロウ・イエ(娄烨)監督が5年間の制作禁止を言い渡されることなども起きた。

4)ドキュメンタリー映画の上映

今回、以下の4本のドキュメンタリー映画の一部が上映されました。

「オルグヤ、オルグヤ」(2007)

モンゴル出身の顧桃監督作品。内モンゴル北部の森でトナカイを追いながら暮らしていたエヴェンキ族(愕温克族)の女性が主人公。政府によって強制移住させられた彼女の葛藤を描いた作品。

http://cifft.net/2009/programs.htm
※この作品は、中山大樹さんが2013年に書いた「現代中国独立電影」(講談社)の中に付帯DVDの1本として入っています。

「俺たち中国人」(2007)

ロシア国境に近い黒龍江省北部の宏疆村に住むロシア系移民のアイデンティティを問う作品。彼らは第一次世界大戦中に中国に逃れてきたロシア人の末裔だ。国籍は中国だが、中国国歌もまともに歌えないばかりか、ロシア民謡もあやしい。現代美術のアーティストで、黒龍江省出身の沈少民監督作品。

http://cifft.net/2009/programs.htm

「書記」(2009)

河南省固始県の書記の任期終了3カ月間を密着取材したという作品。元新聞記者の周浩監督作品。

http://cifft.net/2011/shj.htm

中国版ミニ角栄のなれの果て(中国インディペンデント映画祭2011 その4)(2011.12)
http://inbound.exblog.jp/17528175/

「最後の木こりたち」(2007)

黒龍江省の山岳地帯の冬山で材木を伐採する男たちの記録。版画家で黒龍江省出身の于広義監督作品。

http://cifft.net/2008/programs.htm#kikori

5)質疑応答

今回の講座の記録は、専修大学社会科学研究所の月報に掲載されるそうですから、ここではぼくが気になった質疑のやりとりについてのみ、ポイントを記しておきます。

Q.日本の映倫は第三者機関として権力の介入を排除するために、レイティングも含めた制度をつくっている。一方、中国の場合は大人も子供も同じ基準で反国家的、反共産的、反道徳的な対象を検閲するということなのか。なぜレイティングシステムがないのか。

A.レイティングシステムの導入については、映画制作者はやるべきだとずっと言ってきたが、当局はやる気はないようだ。なぜなのかよくわからないが、大人も子供もみんなで安心して観られるものをつくるべきという考え方なのではないか。

Q.中国のインディペンデント映画では劇映画はつくられているのか。

A.絶対数はドキュメンタリーが多い。2014年の北京独立映画祭でも、百数十本の応募作品のうち、6割はドキュメンタリーが占めた。逆に4割はフィクションだが、ほとんどは短編。最近、中国の大学に映画学科が相次いで設置され、学生たちはフィクションの制作を学んでいるため、若い世代は短編作品を撮るようになってきたこともある。

Q.今回上映されたドキュメンタリー作品の検閲はどうなっているのか。

A.作り手が検閲にかける目的は上映許可を取ることにある。ドキュメンタリーの場合は映画館にかかることはないので、作り手たちも上映を意識していない。検閲をかけることもはなから考えていない。ただし、テレビ局が流すことはある。たとえば、「オルグヤ、オルグヤ」は実際に上海や内モンゴルのテレビ局が一部放映したが、「江沢民のセリフだけはカットしてくれ」と指示があったそう。当局の要求だけ聞けば、テレビで流すことはできなくはない。

Q.中国のドキュメンタリーにおいて演出はあるのか。

A.演出的なことがまったくないとはいえない。最近はフィクションなのかドキュメンタリーなのかわからない、ミックスしたような作品が増えている。あえてそういう作品にしていると思う。

Q.海外の映画祭への出品やインターネット配信にも規制はあるのか。

A.すでに商業映画を撮っているような監督が無断で海外の映画祭へ出品すると、処分されることもある。だが、インディペンデントでやっている人はあまり気にしないで、海外に出品している。処分といっても映画製作の禁止であって、禁固や罰金ではない。実際、ロウ・イエは5年間の禁止処分を食らいながら、海外で映画製作をやっていた。アンダーグランドなものとしてつくるのであれば、とがめはない。また海外で賞を取ったからといって処分があるわけではない。

ネットに作品を上げる人もいるが、政治に関する内容が含まれる場合、削除されることもある。ただし、当局がそうするのではなく、動画サイトの運営側の自主規制によるものだと思われる。最近は、動画サイトと正式に契約して配信するケースもある。「最後の木こりたち」はそうだ。

Q.「書記」を撮った周浩監督は、別の作品で山東省大同市長の密着ドキュメンタリーを撮ったとき、市長からの作品に対する最終確認を得ないまま、台湾の映画祭に出品したという話に衝撃を受けた。ドキュメンタリーにおける被写体との接し方やそこで生じる権力関係はとても繊細なもので、勝手に出してしまったことは映画祭関係者を含め、どの程度周知されていたのか。そのやり方に対して何らかの反応はあったのか。

A.正確にいうと、監督は市長にDVDを送ったが、まだ見てないと言われた。そういうやり取りが何回か続いたので、時間切れとなり、彼のOKをもらう前に出品してしまったというのが真相。これは本人から直接聞いた話だ。おそらく映画祭側がそれを問題にすることはないと思う。その事情についてはほとんどの人が知らなかっただろう。

书记、大同:和体制有关的两部纪录片
http://qiwen.lu/28101.html
※ただし、中国での報道をみると、近年の習近平が推進する汚職追放政策との関係で、周浩監督のやり方が支持されたとはいえないものの、問題化はしなかったという面があるのかもしれないと思います。これは日本などで議論される作り手と被写体との権力関係をどう考えるかといった問題とは別次元の話でしょう。なぜなら、現在の中国社会にはそうした議論を成立させるための前提となる理念やシステムが不在といっていい状況だからです(もちろんそのことに気づいている人たちも一定数いるでしょうが、社会全体で広く共有されているとはいえません)。だからこそ、日本では許されないような設定で撮られてしまう作品が出てくる。そういうある種のタブーなきやり方に中国のインディペンデント映画の魅力があるといえます。こういう映像を観るとき、日本と中国の違いを強く実感します。

Q.いまのインディペンデント映画をめぐる厳しい状況は、私自身も雲南の映画祭に足を運んだ際、中止されたことからも理解している。それでも、小規模な上映の機会は増えていると中山さんは話されたが、これからの展望はどうか。制作と上映という側面に分けると、制作面はカメラさえあれば、誰かが作品を撮っていくと思うが、上映面でみると、2000年代に各地で見られた映画祭における人的なネットワークが作り手にも跳ね返って面白い作品が生まれるという状況は今後どうなるのか。可能性についてお聞きしたい。

A.作り手たちにとって発表の場があることは重要。海外でもいいが、本来は国内で多くの人に観てもらいたいと考えている。映画祭のような場で大勢の人が集まり、監督同士も交流するような場が途絶えてしまっている現在の状況は、彼らのモチベーションのうえでも問題となっている。

東京でやる映画祭は規模も小さいし、お金も出せないが、自腹でも監督は来てくれる。映画祭のような場を楽しみにしているからだ。これからもこういう場をつくっていかないといけないと思う。だが、中国でどれだけできるかわからない。どの程度の規模だと圧力がかかってくるか、それは手探り。でも、とりあえずやってみたらいいんじゃないかな、という感じで彼らもいるようなので、上映もそれなりに続いていくんじゃないか。

中山さんの最後のコメントを聞き、会場からは安堵の微笑がこぼれ、講座は終了となりました。

帰り道、広東人のR氏と歩きながら話しました。彼は言います。

「今日観たのは、4本中3本が黒龍江省の作品(「オルグヤ、オルグヤ」は内モンゴルが舞台だが、黒龍江省と誤解)。いまの中国にとってあまり中心的なテーマには思えなかった」

「確かに、もっと面白い作品があると思うのだけど、どうしてそういうセレクトになったのかわかりません」

「面白かったのは『書記』だ。中国の役人とはまさにこういうもの。これをいい悪いでは判断できない。むしろ一般の中国人は彼のことを存外いい政治家だと思うかもしれない」

「でも、彼は作品を撮られたあと、逮捕されてしまうんです」

「それは権力との関係でしょう。別に法治だからそうなったわけではない」

「確かに、彼は人のよさが仇となって捕まっちゃったのかも。ぼくは映画祭のときにこの作品を全編観ましたが、選挙という民意を問うシステムがないと、こんな風に独断で政治をやるしかないのだろうなとあらためて思いました。システムがあってもいろいろ大変なのに、ないと多くのことを自分で仕分けしなければならないぶん、かえって手間がかかる面もあるんだなと」

「彼にとって任期中にどれだけ業績を残すかが最大関心事。それが中国の役人というもの。昔から変わらない」

彼はこんなことも言います。

「日本人は中国の検閲や規制を気にしているようだけど、共産党は我々が選んだわけじゃない。連中が勝手に仕切ろうとしているんだから、俺たちも勝手にやらせてもらうよ、というのが中国人の考え方。だから、インディペンデント映画の監督たちも、一般の国民も同じ環境で、同じように考えながら生きているだけ。そうするしかないから、そうしているだけなのだ」と。

なるほど、きっとそういうことなのでしょうね。中国インディペンデント映画の面白さは、まさにそのように生きざるを得ない中国人の姿や葛藤、喜びなどを生に近いかたちで見せてくれること。それがさまさまな障害にもかかわらず、可能となっていること。よくそんなところまで見せてくれるものだという驚きにあると思います。

ちなみに、ぼくは中山大樹さんのことを、現代の内山完造みたいな人じゃないか、とひそかに思っています。
http://www.uchiyama-shoten.co.jp/company/history.html
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by sanyo-kansatu | 2015-05-05 11:38 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)


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