ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 05月 11日

通訳案内士制度をめぐる議論がかみ合わないのはなぜか

本ブログではここ数日、通訳案内士をめぐる問題を扱っていますが、ずっと疑問に思っていたことがありました。特に「「通訳案内士制度のあり方に関する検討会」って何?」(5月6日)を書くため、観光庁のHPに大量に掲載されている業界関係者らの主張や議論の中身を検討しながら、思ったことです。

すでにずいぶん長い時間をかけて議論されているようなのに、いつまでこの話し合いは続くのだろうか?

まじめに議論に参加されている方には失礼な言い方かもしれませんが、やはりこの問題で7年以上も議論を続けているというのは、外から見ていると不思議でなりません。ここ数年の訪日外国人旅行市場の激変ぶりから考えると、そんなに悠長な話ではないように思うからです。実際はそうでもないのでしょうか。

こうした疑問を解くうえで、ひとつの示唆を与えてくれたのが、現役の通訳ガイド(英語)の河村輝夫氏でした。河村氏は、現在ある通訳案内士団体の役員を務める傍ら、旅行会社のマネージャーでもあるという方です。

以下、河村氏とのやり取りを紹介します(あくまで河村氏の個人的な見解で、所属する団体・企業の考え方を代表するものではありません)。

―河村さんは観光庁主催の「検討会」をずっと傍聴されておられるそうですが、ご自身も通訳ガイドという当事者の立場からみて、議論のあり方についてどうお感じになっていますか。

「さまざまな関係者が集まる検討会ですから、それぞれ主張があるのはわかるのですが、全体として議論が十分にかみ合っていないと感じています。その理由を私はこう考えます。

通訳案内士制度のあり方を検討するうえで、以下の3つの次元を明確に分けて考えなければならないと思います。

A:「通訳案内士」(法制度あるいは資格)
B:「プロ通訳ガイド」(通訳案内を業務とする職業または職業人)
C:「通訳ガイド行為」(通訳案内を何らかの形で行う社会活動)

ところが、「検討会」を傍聴している限り、それらがごちゃ混ぜになって同じ場で議論されていると感じています。まずはこの3つの次元を明確に切り分けて、整理することから始めるべきではないでしょうか。

―それはどういうことでしょうか。

たとえば、野球を例に考えてみましょう。野球という社会活動(あえてここではこういう言い方をしますが)は、プロ選手の世界と大学や高校、リトルリーグ、町内会の野球大会のようなアマチュアの世界に分けられます。この場合、職業人としてのプロ野球選手のあり方や求められる能力レベルの問題と、アマチュア選手の問題を同じ場で議論するのはおかしいことはわかりますよね。アマチュア選手が増えすぎるとプロ選手は困るから、社会活動としての野球を規制しようというような議論は起こりません。

ところが、通訳案内士の議論になると、なぜかこれらをごちゃ混ぜにしてしまい、議論が迷走しがちです。

この「検討会」では、「通訳案内士のあり方を見直す」「新たな地域限定、特区ガイドの制度を作る」「現行の特区、特例制度を拡充する」「新たな試験対象言語増やす」「いや、現行制度を維持すべき」といった本来区別して行うべき議論が同じ場で進められているのですから、論点がぼやけてしまいますね。

―なるほど。議論がかみ合わないのは、3つの異なる次元を区別するという基本的な共通認識ができていないからというわけですね。いまどの次元の議論をしているのか自覚されないまま、それぞれが発言しているためだと。そもそもプロのガイドをどうすべきかという話とボランティアガイドの話が同じ場で話題に上るというのはおかしいということですね。

先ほどの野球の話であれば誰でもわかるのに、なぜ通訳案内士の話になるとこうした議論のやり方がおかしいことに気づきにくいのか。通訳ガイドという職業の置かれた社会的地位や安定性、認知度などにも関係があるのではないでしょうか。そもそも日本社会で通訳ガイドという職業が広く認知されているとはいいがたい気がします。また登録者の4分の1しか就業していないという国家資格というのは、外からみるとかなり驚きです。

日本では通訳ガイド業に対する職業としての観念があいまいなのかもしれません。一般に観光ガイドとしてイメージされるのはバスガイドでしょうか。彼女たちの場合は、バス会社に勤務し、職業的訓練を受けて仕事をしているということは承知されているでしょう。他にも山岳ガイドやネイチャーガイド、トレッキングガイドなど、いろいろなガイド業が存在し、彼らも専門的な知識やスキルを有していることは知られています。

しかし、通訳案内士という国家資格を取得しなければ従事できないのが通訳ガイドです。外国人相手に外国語で旅行を案内するガイド業であるゆえに、語学力も含めた特別な知識やスキルを必要とする職業であるからです。そう説明されれば、漠然とはわかると思いますが、残念ながら、その社会的な役割や意義などまで含めて広く認知されているとはいいがたいですね。

実際、通訳案内士というのは資格名であって、職業に対する呼称ではありません。一般に通訳案内士団体では、自らの職業を「ガイド」あるいは「通訳ガイド」と呼んでいます。海外では「ガイド」といえば、外国語を使って外国人を案内する仕事という認知が一般的で、それがスタンダードな呼称だからというわけですが、日本ではそうではない。

―そうしたことは職業人としての自尊心にも関わることでしょうね。

一方、通訳案内士資格を取得する目的として、英検やTOEICなどと同じく、一種の語学力や歴史知識などの「能力証明」手段として利用する人もいます。特に少数言語の場合、適当な語学力証明手段や検定などがないため、検定代わりに利用して履歴書に記載する人も多いようです。

この制度を「能力証明」手段と考えるのならば、通訳案内士の「名称独占」さえ守られれば事足りるでしょう。これに対して「プロ通訳ガイドとして就労するため」または「通訳案内活動を行うため」に必要な知識や技術を確認するための手段と考えれば、当然「業務独占(通訳案内士しか外国人に対する有償の通訳ガイドはできない)」を守ることが重要と考えるでしょう。

さらにいえば、「プロ通訳ガイド」という職業を「食べてゆける職業」として確立、維持してゆくためにはどうしたらよいか、ということを議論するのであれば、それは社会政策の問題です。

それとも「プロ通訳ガイドとは、常に他の職業をセット(兼業)でなければやってゆけない副業専門の業種」と捉えるのかでも、議論の方向性は変わってきます。

農家といえば、現代日本社会では兼業農家を意味するといった感覚に近いかもしれません。「日本の農業を守るために、いかにして専業農家を保護するか」という問題と、「いかにプロ通訳ガイドを独立した生計を維持できるように職業環境を改善してゆくかどうか」という話は同次元の問題だと思いますね。

―通訳ガイドをひとつの職業として確立、維持できるかどうかということは、若い世代が参入できるかどうかの鍵になりますね。その意味では、現在の就業者に若い世代が少ないのは、これまでそこが保証されているとは思えなかったからでしょう。だからこそ、これ以上「規制緩和」してもらっては困るという議論になるのでしょうね。

ところが、ボランティア通訳ガイドや特区ガイドの議論については、通訳案内活動を「任意の社会活動」として捉えると、憲法上、基本的に誰でも何をしてもよいのが日本社会の大原則ですから、「通訳案内という活動の自由に対して法規制がかかっているのか」(案内士法の解釈の問題)、「通訳案内活動をどこまで規制すべきか」(法規制に関する立法論)という問題が出てきます。

これは憲法論でいうところの「経済的自由に関する人権制約の警察目的と政策目的の問題」とも絡んできます。弁護士のように「法制度先行、実体後行型」の資格や制度と、医師と医者のように「実体先行、法制度後行型(医療の実態は古くからあり、医者も存在したが、医師免許を国家資格としたのは明治以降のこと。通訳案内士も基本的に同じ)」の制度との違いという問題もあり、通訳ガイドという職業人のあり方を後行の法制度である通訳案内士がフォローして規定しているのが原則です。

それを国家政策の観点から制度を改変して職業や職業人たちのあり方を変化させようとするかどうかが問題です。そして職業上の対応とは別に、通訳案内活動という社会活動をどこまで規制する必要があるのか。そこを2020年や地方創生などの社会の要請により、規制緩和してゆくべきかどうか、といったことが論ぜられるべきです。

―確かに、「数が足りないから増やそう」となるのはわかりますが、本来そういう根本的な議論があるべきですよね。おかげさまで、もやもやが少しすっきりしてきたような気がします。

ぼくが通訳案内士をめぐる問題に関心を持つ理由のひとつは、日本のインバウンド市場が抱えるさまざまな矛盾や課題、可能性といったものまで含めて象徴的に見られる領域だと考えるからです。この際、誰かを悪者にしても仕方がない。これまでの議論を見ていても、どちらか一方の立場から議論を押し通そうとすると、かえって事態は膠着するという印象があります。

たとえば、メディアは「通訳案内士」問題をどう報じてきたかを少し調べてみると、全国紙レベルで扱われたのは数少ないながら、2010年が比較的多かったようです。この時期、観光庁の「通訳案内士のあり方に関する検討会」(2009~11)が始まっていて、一部メディアに「通訳案内士資格の見直し議論が波紋を呼んでいる」という論調が見られました。「規制緩和」を進める観光庁に対して、現役の通訳案内士が「無資格ガイドの容認につながり、仕事を奪われかねない」と反発するという構図で描かれていました。

2010年1月21日(東京新聞)
中国人ツアーが激増 無資格ガイドを容認?
「日本を訪れる中国人観光客が激増している。本来は「通訳案内士」の国家資格を持ったガイドが観光案内するはずなのだが、格安ツアーは無資格の添乗員がガイド代わりだという。そんな中、国の検討会で「通訳案内士の業務独占や名称独占の廃止」が持ち上がり、通訳案内士らが反発している」(一部)

2010年4月2日(産経新聞)
通訳案内士資格 見直し議論波紋
「国が進めている外国人向けの有償ガイド「通訳案内士」資格の見直し議論が波紋を呼んでいる。中国人などアジアからの観光客急増に対応するため、観光庁の有識者会議で、ボランティアや留学生を有効活用する規制緩和策が浮上。「無資格ガイドの容認につながり、仕事を奪われかねない」と現役の案内士が猛反発している」(一部)

2010年7月13日(日本経済新聞)
「通訳ガイド」国家資格不要、中・韓国語など対応しやすく
「観光庁は来年度をメドに、国家資格を持たない人でも有料の外国人向け通訳ガイドができるように規制を緩和する。現行の「通訳案内士」制度がアジアからの観光客急増に対応できていないためだ。現在無料で通訳している日本人のほか、留学生や現地旅行会社のガイドといった外国人にも解禁される。同庁は一定の質を確保するため、研修ガイドラインを作成し、自治体や企業が認定する仕組みを検討中だ」(一部)。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1502L_S0A710C1CR8000/
※日経のみこの点に触れていないのが面白いですね。

ここで出てくる「無資格ガイド」の問題は、急増するアジアからの訪日客の受入をどうするかという問題に直結していたため、新たな制度設計を準備してこなかった観光庁にとっては最も痛いところを突かれた格好で、議論を押し返すことは難しかったでしょう。

しかし、2010年当時といまでは状況もかなり変わってきています。なにしろこの5年間で500万人近い訪日客の増加が見られるわけです。そして、今年は、戦後日本人出国者数が初めて訪日外国人数を上回った1970年から45年後にあたり、もしかしたらその再逆転が起こるかもしれないといわれています。時代の大きな変わり目を迎えているといってもいいでしょう。

通訳ガイドの関係者と話をしていると、「我々は絶滅危惧種だ」というような自嘲的な発言を聞くことがあります。確かに、これまではそうだったのかもしれません。でも、これからは通訳ガイドの社会的な役割が広く注目される時代へと変わっていくのではないでしょうか。

そんな無責任なことは部外者だからいえると言われればそれまでですが、せめてもっと若い世代が参入できるような業界にするためにはどうすればいいか、といった発想で議論を進められないものか。そのためにも、河村氏が指摘するように、まずは「資格」と「職業」と「社会活動」の切り分けから始めることが大事なのではないかと思います。
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by sanyo-kansatu | 2015-05-11 09:18 | “参与観察”日誌 | Comments(0)


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