ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 07月 30日

「博多には日本最初のチャイナタウンがあった」~クルーズ“来襲”も歴史の一コマと考えてみる

先月末、福岡にクルーズ客船の取材に行って、いろんな関係者のお話を聞いたのですが、とても印象に残っている話があります。それは「博多には日本で最初のチャイナタウンがあった」というものです。

この話をしてくれたのは、福岡市クルーズ課の小柳芳隆課長でした。彼は中国に外資系クルーズ会社が参入し始めた2000年代の後半の上海に市の職員として駐在されており、今日の中国発クルーズラッシュの礎を築いたといっていい方です。

「それはいつの話なんですか?」。福岡にまったく縁もゆかりもないぼくは小柳さんにそう尋ねたところ、地下鉄祇園駅のそばにある聖福寺のことを教えてもらいました。

聖福寺
http://www.shofukuji.or.jp/index.html
http://fukuoka-support.net/pre1303-2.html

この寺は日本で最初の禅寺で、鎌倉時代の建久6(1195)年に、明庵栄西禅師が開いたといいます。詳しい歴史の話はともかく、なぜ博多にこのような寺があるかという話が「博多は日本で最初のチャイナタウンがあった」につながるわけです。

ネットで検索していると、いくつか地元の博物館でこのテーマの企画展があったようです。

復元・博多津唐房(はかたつとうぼう)展
平成13年1月16日(金)~5月13日(日)
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/177/index.html

博多津唐房というのがチャイナタウンです。ここには「平安時代後期、11世紀後半になると、博多には「博多綱首(はかたこうしゅ)」と呼ばれる中国貿易商人を中心に、多くの中国人が住むようになり、当時の史料では「博多津唐房(はかたつとうぼう)」、後世の伝承では「大唐街(だいとうがい)」と呼ばれるチャイナタウンが形成されました。このチャイナタウンは、その後の国際都市博多の出発点となり、13世紀後半の蒙古襲来に至るまで、ほぼ200年間にわたり存在しました」とあります。

チャイナタウンといえば、まず長崎、そして近代以降の横浜と神戸しか知りませんでしたが、いまから900年前の博多に日本最初のチャイナタウンがあったというわけです。

そこで、取材の合間にちょこっと聖福寺を訪ねてみました。
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なんでもここは日本で最初のお茶の木があった場所なんだそうです。
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静かで広い境内を歩いていると、ふたりの若い女の子の外国人観光客がいました。おそらくこんな場所を散策しているのは台湾の子たちでしょう。クルーズ客は来るはずないからです。
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寺の門を出ると、若い欧米の女性が歩いてきました。年配の通訳案内士のおばあさんと一緒に。
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結局、福岡できちんと(というのもなんですが)観光しているのはこういう人たちなんだなと思いました。

さて、再び小柳さんの話に戻ると、彼はこんなことを言っていました。

「博多が栄えたのは、宋や明の時代。21世紀のいま、再び中国人パワーを活かして元気を取り戻すべきではないか」。

彼にとっては、いま起きていることも、歴史の一コマと考えられるというのです。ぼくは基本的にこういう話が好きです。このように考えれば、現在の波乱含みのクルーズラッシュをどう受け入れ、そこからどう実利を得ていこうかという主体的かつ能動的な発想につなげていけると思うからです。
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by sanyo-kansatu | 2015-07-30 09:53 | “参与観察”日誌 | Comments(0)


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