ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 08月 09日

朝鮮七宝山にある開心寺という古刹と乾隆29年製造の鐘

内七宝の山々と奇岩の数々を眺めたあと、開心寺という古刹を訪ねました。
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※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
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朝鮮側の資料によると、この寺は「渤海時代の826年に建てられ、高麗時代の1377年に改築、李朝時代に補修を重ねた。現在の建物は1853年に再築されたもの。大雄殿と万歳楼、深剣堂、応香閣、観音殿、山神閣からなる」とあります。
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大雄殿の中に3体の仏像が置かれ、壁面にはいくつもの曼荼羅が飾られています。
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それぞれの曼荼羅が時代を感じさせます。李朝時代の朝鮮では仏教が排斥されていたそうですから、人里離れた山奥にひっそりと息を潜めていた古刹がこうしていまの朝鮮に残っていることはとても興味深く思います。
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この方が住職です。このような国で住職を務めることがどんな人生を意味するのか、いろいろ聞いてみたいことは山ほどありましたが、こちらもまったく心の準備ができていなかったこともあり、この寺の来歴をうかがうことで精一杯でした。
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13年に金剛山に行ったとき、残念ながら、金剛四大寺院のうち唯一昔のまま現存する表訓寺を訪ねる時間がなかったので、今回はちょっとうれしく思いました。この国で歴史を感じさせるものを見る機会は圧倒的に少ないからです。金剛山の4つの寺院は表訓寺を除いて、朝鮮戦争時に焼き払われてしまっています(もうひとつ正陽寺の一部は残っていて、現在は補修されたようです)。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局1936年)によると、「折角の景観も比較的交通不便の地にあるので、探勝者の少ないのは遺憾である」とあるように、戦前期は金剛山が朝鮮を代表する随一の行楽地としてにぎわっていた反面、七宝山はそれほどでもなかったようです。ただ、数少ないとはいえ登山客はいたようで、彼らは開心寺のお堂に宿をとっていたようです。

殿内には「七宝山游山録」「次七寶山原韵」など、この地を訪れた文人の書や漢詩が掲げられていました。
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万歳楼には「乾隆29年」(1764年)に鋳造された青銅鐘があります。この時代の朝鮮は清朝の年号を使っていたのでしょう。
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ここにも記念撮影サービスのパネルが置かれていました。この寺で見かけた唯一俗っぽい物件でした。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-09 20:39 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


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