ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 08月 19日

清津港を描いた一枚の絵と朝鮮の自尊心をめぐる問答

この絵は、清津観光ホテルの2階のロビーに飾られた清津港を描いたものです。
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なぜこんなものをわざわざ撮影したのか。それは、この絵と同じ構図で清津港を撮影したいと再三ガイドに伝えたのに、却下されてしまったからです。その皮肉を込めたのです。

実は、清津ではほかにも撮影したかったものはたくさんありました。たとえば、1942年に操業開始した清津製鉄所(旧日本製鉄)もそうです。現在でも北朝鮮の6割を占める生産能力を有するという現役の製鉄所です。それは我々からみれば、海外に現存する壮大な昭和の近代化遺産です。絶対撮りたいじゃないですか。でも、これも取り付く島もないほど、あっさりとNGでした。

せっかく清津まで来たのに、路面電車とトロリーバスと、あとは彼らが案内する革命施設や電子図書館、幼稚園の舞踊ショーを撮っただけです。こんなものではとても満足できません。

清津観光ホテルで夕食を取っていたとき、ぼくはその不満を同ホテルの支配人にぶちまけてしまいました。というのも、その支配人のK氏は日本語が堪能な、いわゆる帰国者だったからです。昭和21年東京生まれのK氏が北朝鮮に帰国したのは今からちょうど50年前のことだといいます。にもかかわらず、彼の日本語は東京に暮らすこの世代の日本人とほとんど変わらず、まったく衰えを知らないことに驚かされました。

「私は東京の品川あたりで育ちました。帰国したのは18の歳。だからでしょうか、50年たっても日本語を忘れません。ここまでしゃべれるのは同じ帰国者でも少ないでしょう」。

※実は、彼の兄弟がまだ日本にいて、ときどき清津を訪れるそうです。そのため、日本の情報もよく知っていることがあとでわかりました。

そのような意想外の人物にこの地で出会ったことから、つい気を許してしまったのかもしれません。きっとこの人なら日本人の気持ちを理解してくれるのでは、と。

「今回朝鮮に来て、あれはダメこれはダメとこちらの願いはほとんど聞いてもらえません。朝鮮には美しい農村や漁村の風景、人々の暮らしがあります。しかし、それらはまったく撮らせてもらえませんでした。毎日のようにガイドたちと写真をめぐって言い合いを続けていましたが、ラチが明きません。

清津港の写真を撮りたかったです。昔この地には多くの日本人が住んでいました。当時の絵葉書なども残っています。いまの清津港の姿を見たいと思う人もいます。なぜ港の写真を撮ることができないのでしょうか」。

するとK氏はこう答えます。「朝鮮では港をはじめ海岸線の多くが軍事的な場所であることはご存知でしょう。だから、国防上外国人には撮らせないのです」。

そう答えるであろうことはわかっていたので、ぼくはこう反論しました。

「いまの時代、衛星から港の細部、人の動きまでばっちり見られています。いまさら、隠したところで意味はありません。そんなことを気にするより、現在の清津港の風景を写真に残すことのほうがずっと意味があるのではないでしょうか」。

K氏はこう答えました。「それはわかっている。しかし、港のどこに砲台が隠されているかなど、我々民間人にはわからない。だから、我々の力では勝手に写真を撮るなど許されないのです」。

これは戦前期の清津港の絵葉書ですが、この構図から撮影されたのは、現在の天馬山ホテルからの眺望だといわれます。そこはかつて清津神社があったそうです。
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少し矛先を変えてみることにしました。

「では、なぜ清津市内の人々や労働者、また農村の集落などを撮ることすら許さないのでしょうか。これまで何度もガイドたちに話してきたことですが、外国人が知りたい朝鮮の本当の魅力は、着飾った女子供の舞踊ショーなどではなく、そこにあると思う。我々日本人は、たとえ朝鮮の農村が貧しいから、遅れているからといって、それを馬鹿にするような考え方は持っていません。そのように疑われることはとても心外です」。

「その考えは理解する。しかし、わが国の周囲にはさまざまな敵対勢力があり、彼らに利用されるようなことはできないのです」。

そこで、今度は論点を変えることにしました。そして、はっきりとこう言いました。いま考えると、ずいぶん挑発的な言葉を口にしたものです。「私は思うのですが、朝鮮の人たちは自尊心が強すぎる。自尊心というものは、自らの実力と釣り合っているときには美しく魅力的ですが、身の丈に合わずバランスを欠いてしまうと理性的な言動やふるまいを失わせがちです。写真を撮る撮らせないという話も、不釣合いな自尊心が影響しているように見えます」。

するとK氏は、さすがに言葉をいくぶん詰まらせながら、こう言いました。「だが、わが国と民族がもしこれまで自尊心を持ち続けることができなければ、独立を保てなかったと思う。あなたは日本人だからわからないでしょうが、わが民族には自尊心がどうしても必要なのです」。

そう言われてしまうと、もう返す言葉がありませんでした。

それが中国と国境を接するこの国と民族の宿命からくるものだということは頭では理解できるからです。しかし、だとしても……。

話を変えることにしました。「清津には戦前、多くの日本人が住んでいました。その人たちがこれまで清津にもよく来たそうですね」。
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『小説 北朝鮮・清津国民学校』上野正見著 (花伝社 2005年)

「2000年代の前半くらいまでは、日本人のツアーがよく来ました。いつも私が市内や七宝山を案内していました。最近はもうほとんど来なくなりましたね」。

それはそうでしょう。当時を知る世代も年配となり、これまでのように海外に出かけることは難しくなっているはずです。

その後、K氏は日本人ツアー団を案内して天馬山に登った話などを聞かせてくれました。彼はかつてこの地に住んでいた日本人たちの気持ちを理解しているのでしょう。ぼくを案内した若いガイドたちとは違います。そして、今後もっと日本人がこの地を訪れるようにと、K氏はこんな提案をしました。

「北朝鮮咸鏡北道と中国吉林省、そしてロシア沿海州、この国境を接する3カ国を周遊するツアーを日本で企画できないか。これはすごく面白い内容になりますよ。隣り合う3国を周遊すれば、民族も歴史も違う世界を一度に見て回れるのですからね」。

実は、この夢の中朝ロ3カ国周遊旅行プランについてはずいぶん前から話題になっていました。今年に入っても、以下のような報道がありました。

[北京 ロイター]中国は北東部の国境地帯でロシアおよび北朝鮮と国際観光圏を形成する計画だ。国営新華社が13日、報じた。北東部の吉林省が、中国と北朝鮮の国境を流れる図們江(朝鮮名:豆満江)のデルタ地帯における国際観光圏について詳細な計画を策定する。新華社によると、当局は中国、ロシア、北朝鮮が関わる観光圏の運営モデルを模索しており、観光圏はビザなしで訪問できるほか、免税でのショッピングが可能になるという。吉林省観光局長によると、長期的には、道路、鉄道、空路を通じた韓国、日本、モンゴルの観光圏への参加も視野に入っているという。

中国、北朝鮮・ロシアと国際観光圏の形成を計画(Newsweek2015年02月13日)
http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2015/02/143664.php

2012年夏、実際にぼくはこの3カ国を周遊しました。気候や風土はほぼ同じはずなのに、国境を越えるとこれほど景観が変わるのか。そんな驚きがありました。またこの3カ国を近現代史の視点でみるだけではなく、かつてこの地域をまたがって版図としていた渤海国の歴史など、古代史もからめつつ想像力をふくらませながら、今日とはまったく異なる風景・社会・人々の様子を比較することだけでも、面白くないはずがありません。

※その旅の話は以下で紹介。

ノービザ解禁間近!極東ロシア
http://inbound.exblog.jp/i33/

北東アジア未来形:満洲の今
http://inbound.exblog.jp/i25/

ただし、その実現のためには……。朝鮮の人たちがいまのままでは難しいと思うのも確かです。彼らには物質的にだけでなく、精神的にもそれを進める余裕があるとは思えません。現状、彼ら自身もどうしていいのかよくわからないように見えてしまいます。しかし、それを残念というような平たい言葉で表現するのもどうかと思う。彼らはこの期に及んで何事も「自分たちのやり方」でやるのだと言い張っているからです。なんてやっかいなことでしょう。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-19 18:01 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)


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