2015年 08月 23日

映画『ロスト・マンチュリア・サマン』(金大偉監督作品):ロードムービーの舞台としての満洲のいま

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映画「ロスト・マンチュリア・サマン」予告編 監督:金大偉 kintaii
https://www.youtube.com/watch?v=vfjGOSQAc1M

金大偉さんは古い友人である。ふたりの縁は、ぼくが若い頃から彼の出身地である満洲(中国東北地方とその周辺)を何度も訪ねていたことにある。満洲は祖父母が暮らした土地で、そこに暮らす人々や生活に親しみを感じていたからだ。特にこの10年は、ガイドブック編集者として趣味と実益を兼ねた定点観測の旅を続けている。

同じ時期、金さんも満洲を訪ねていることは聞いていた。その目的はかの地にいまも生きる満洲薩満(サマン=シャーマン)を訪ね、伝承された儀式や習俗を収録することにあった。

その話を聞いたとき、うれしかった。彼はついに自分が本来やらなければならない仕事に着手したと思ったからだ。愛新覚羅の血を引く彼こそ真正の満洲薩満の末裔なのだから。

この作品は、自らの役割を胸に秘めた金さんの故郷の地をめぐるロードムービーである。

かつて満洲は広大な森の大地だった。古来さまざまな民族が駆け抜けていった。なかでもこの地の主人公として清朝を建国した満洲族の多くは、現在各地に離散していて、その一部は中国東北地方に点在する農村で静かに暮らしている。彼らの大半はすでに母国語を失い、自らの民族の習俗や伝統を忘れている。それは無理もないことだ。近代以降、多くの森は耕作地として開墾されたうえ、現在のこの地方の主要都市には高層ビルが林立し、各都市間は高速鉄道とハイウェイが張りめぐらされるほど「現代化」が進んでいる。かつてこの地に暮らした日本人が“懐かしの満洲”と呼んだ時代も、もはや過去のものとなっているのだ。

それでも、満洲は広い。都市から車でしばらく離れると、農村風景が広がる。そこには、満洲族の小さな集落があった。彼らは新中国建国から文化大革命に至る混乱の中で息を潜めて耐え忍び、改革開放後、ようやく物置に隠していた太鼓や腰鈴を取り出し、舞い踊り始めていた。サマンの再生である。その儀式を見た金さんは興奮気味にこう語っている。

「凄まじい光景だった。音と神歌のエネルギーが大きく人の心を打つように響いた。狩猟や騎馬民族の力、大自然と人間をつなぐ力。天、地、人が一体となるような迫力だった。私は思わず涙が溢れてきた。音は人間の最も内なる感情を表現するもので、直感的な霊性および次元を超えた「力」が音の中に存在したに違いないと思った」。

金さんは各地のサマンに面会し、インタビューしている。そこで語られる歴史の記憶や民族的な自負の芽生えに勇気づけながらも、こう吐露せざるを得なかった。「中国における満洲民族は、一千万人を超えている中、ほとんど満洲語を話せない。近い将来、この言語は失われるのかも知れない。そう考えると、とても哀しい気持ちになる」。その哀しみの深さを思うとき、ぼくは言葉を失うほかなかった。

この作品は日本で制作されているが、その成り立ちや映像の感触において中国の独立映画と類似していることを指摘しておきたい。政府の検閲を通すことなく自由に製作される中国独立映画は、2000年代に手持ちのビデオの普及によって発展し、さまざまな社会の現場やテーマを扱う作品が主流となっている。彼らは限られた資金ゆえに撮影から音楽、編集まですべて仲間内で担当し、官製メディアが扱わない中国のリアルな実情を追いかけている。ロードムービー的なドキュメンタリーが多いことも特徴だ。残念ながら、習近平政権以降、中国では映画祭すら開催できなくなっているが、2年に1度東京で開催される「中国インディペンデント映画祭」では多くの作品に触れることができる。

来年夏、ぼくはこの作品に出てくる満州族の集落を訪ねたいと思っている。

リアルチャイナ:中国独立電影
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新しい満洲の話(中国東北の今)
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by sanyo-kansatu | 2015-08-23 20:32 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)


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