2016年 01月 28日

ここまでやったから成功した! 佐賀空港の春秋航空誘致ストーリー

日本の地方空港への乗り入れに最も積極的な外国系エアラインといえば、中国の春秋航空が筆頭に挙げられるといっていいでしょう。なにしろ日本法人まで立ち上げてしまったのですから。この熱意は並大抵のものではありません。

春秋航空
http://www.ch.com/
スプリングジャパン(春秋航空日本)
http://jp.ch.com/

これまで本ブログでも春秋航空の話をいくつか書いています。

LCC、海外ドラマを呼び込め!めざすは「東アジアグローバル観光圏」! 地方空港サバイバル奮戦記(2011年11月6日)
http://inbound.exblog.jp/16713389/
※2010年7月、初の国際線として上海・茨城線が就航に至る誘致ストーリー。

中国客の訪問地の分散化に期待。中国ナンバーワン旅行会社、春秋国際旅行社のビジネス戦略に注目(2014年7月29日)
http://inbound.exblog.jp/23050811/
※14年3月、上海・関空線を就航後の展開を関係者に聞く話。

格安&仰天!中国「春秋航空」のおもてなし(プレジデント2014.9.29)
http://inbound.exblog.jp/23416882/
※日本法人のスプリングジャパン(春秋航空日本)の設立と初の国内線(佐賀便)に乗った話。

春秋体操はやってみると意外に楽しい~国慶節直前上海・茨城線搭乗記(2015年9月28日)
http://inbound.exblog.jp/24941250/
※上海・茨城線で噂の「春秋体操」を目撃した話。

中国沿海都市から新タイプの個人客、ニーズが多様化し新たな商機生まれる(日経インバウンドBiz 2016年1月19日)
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/IB-BU/011800003/
※同じく上海・茨城線に搭乗していた若い中国個人客に関する話。

でも、実はまだ書いていない話があります。…なんて、もったいぶっても仕方がないのですが、春秋航空が茨城、高松に次ぐ第3の就航地を佐賀に決めることになった裏話です。それはひとことでいうと、佐賀県がここまで徹底してやったから成功したという誘致ストーリーです。

これはプレジデントの取材で、スプリングジャパンの佐賀初運航便に乗ったとき(2014年8月1日)、県の空港関係者や古川康知事(当時)にお聞きした内容です。本当はこの話がいちばん面白くて、プレジデントにも書きたかったのですが、担当編集者にはピンとこなかったようで、書く機会がなかったのでした。
b0235153_17332434.jpg

さて、そもそも春秋航空はなぜ第3の就航地として佐賀を選んだのか。佐賀空港は、福岡空港や長崎空港にはさまれ、正直なところ、国際線の受け皿として競争力は低いと言わざるをえません。にもかかわらず、誘致に成功したのは理由があります。
b0235153_17352331.jpg

佐賀空港
http://www.pref.saga.lg.jp/web/ariakesaga-ap.html

そもそも佐賀県に限らず、日本の地方空港の赤字問題は深刻で、利用者促進と新規航空路線の誘致は大命題となっています。上海万博が開催された2010年頃、春秋航空を誘致しようと全国の自治体関係者がこぞって上海詣でをしたのもそのためでした。春秋側の関係者によると、全国の半分近い都道府県が同社に足を運んだというほど誘致合戦は過熱していたのです。
b0235153_17354648.jpg

きわめてドライな話ですが、春秋側にとって就航先の選定は「自治体がコスト削減のためにどこまで協力してくれるかが条件」(孫振誠日本市場開発部長・当時)でした。古川知事は、上海線の誘致に佐賀空港が成功した理由について「佐賀県は早い時期から県庁職員が一丸となって空港セールスに取り組んできたことが評価された」と語っています。

その取り組みとは?

関係者の話をまとめるとこうなります。

佐賀県が春秋航空に最初に誘致の話をしたのは、2010年9月末のことでした。当時、上海万博が開催されており、佐賀県は日本館にブースを出展していました。

そのとき、問題となったのは、佐賀空港の滑走路が2000mしかないことでした。実際をいえば、集客の問題や空港と市内へのアクセスなど、いろいろ言い出せばきりがないほど課題があったのですが、春秋側としては、安全性の面からその点を課題として指摘したのです。春秋航空の日本路線はエアバスA320-200型機を使用していて、滑走路は2500mが必要だという判断だったのです。
b0235153_1736455.jpg

はたして2000mの滑走路では本当に発着が難しいのか? 

佐賀県は、この課題をいかに解決するかを問われたのです。

そこで、当時の県の空港担当者は、まずANAに話を聞いたそうです。当時、ANAは同じA320 で佐賀空港に飛んできていたからです。ANAの回答は「なんら不自由していない」とのことでした。

さらに、安全性に問題はないというデータを用意するために、担当者は10年秋から冬にかけての約3か月間、1日4回のANA機の離発着状況を映像に収め、記録を続けました。

ここまでのことは、誰でも考えつくかもしれません。感心したのは、担当者が中国国内の春秋航空の路線がある空港のデータをすべて調べ上げ、2000m滑走路の空港がないか探したことでした。すると湖南省の懐化空港がそうだったことを突き止めたのです。その空港は、芷江(ZhiJiang)という侗族の住む少数民族自治区にありました。

担当者は、実際に懐化空港を訪ねたそうです。そして、空港関係者らに事情を確認しました。2000m滑走路でも問題ないとの言質をとって帰国したのです。

この話は、佐賀県と春秋航空との折衝の際、最も効いたそうです。合理主義の春秋航空担当者らも「そこまでやられたら就航させていただくしかない」と佐賀県の熱心さに舌を巻いたのでした。

この話には、さらに印象的なエピソードが続きます。佐賀空港への乗り入れを決めた春秋航空が初めてのテスト飛行として同空港に飛んだのが、なんと2011年3月11日。東日本大震災の日だったのです。

そのため、結果的に実際の就航は少し遅れ、翌年1月18日となりました。定期チャーター便としてのスタートでした。

佐賀県の関係者はこう話します。「春秋航空には明確なポリシーがある。最初は週2便から。震災後、訪日客は大きく減ったが、彼らは就航を白紙に戻さなかったし、一度も運休していない」。

古川知事(当時)は言います。「ローカル空港の新しいモデルを佐賀で実現したかった」。知事とは友人を介して永田町の都道府県会館でお会いしたのですが、世界の航空事情に大変精通しているうえ、とてもユーモアにあふれた方でした。学生時代にはひとりで海外旅行をしていたそうです。「私は航空行政を考えるときも、自分が旅行するときと同じように、ひとりのユーザーとして考える」といいます。このようなユニークな知事がいてこそ、佐賀空港の誘致は成功したのだと思いました。

現在、佐賀空港では航空便利用者に限り最初の24時間を1000円でレンタカーを貸し出すキャンペーンや、県内および福岡県南西部で片道1000円~2000円のリムジンタクシーの運行を実施しています。低価格のフライトを享受するLCC利用者にとって、空港までの交通アクセスをいかに安く便利にするかは課題です。フライト運賃が安くても、成田のように都内へのアクセスにコストがかかってしまうと、ありがたみがなくなるからです。

さて、これは5年前の話ですが、時代はずいぶん変わったものだと思います。数日前にブログでも書いたように、海外のエアラインとの「事前交渉なしで就航が実現」した静岡空港のような事例も出てきたからです。

静岡空港行きの中国路線はなぜ1年でこんなに増えたのか?(2016年1月25日)
http://inbound.exblog.jp/25298380/

しかし、言うまでもなく、静岡空港には地の利がありました。佐賀空港はほとんど優位性がないにもかかわらず、こうして誘致に成功したわけで、同県の空港担当者の取り組みはすばらしかったと思います。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2016-01-28 17:39 | “参与観察”日誌 | Comments(0)


<< 慎重な日系エアラインとは対照的...      日本の地方空港にいつ頃から国際... >>