ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2017年 05月 03日

伊豆下田のユニークな歴史が持つインバウンドの可能性と気になる2、3のこと

その日、伊豆急行下田駅を降りると、改札に岡崎大五さんが待っていて、そのまま2時間ほど、街を案内してくれました。大五さんは『添乗員騒動記』(旅行人)で作家デビューした元海外旅行添乗員ですから、街歩きガイドは手馴れたもの。

伊豆下田でよく見かけたインド人ツーリスト、なぜここに?
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下田の街歩きのテーマは歴史です。幕末の日本の開国後の細かい約束事を決めた下田条約が締結されたことは知っていても、当時の日本の様子やその頃、唯一外国人が自由に歩き回ることのできた数年間の下田でどんなことが起きていたのか。いわば、江戸期以降の日本人の欧米人との最初の生身の接触と交流の場であり、それを物語る実在の舞台があちこちに点在しているのです。

駅から南に向かって10分ほど歩くと、1854年3月に日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が下田に入港した後、彼らの応接所兼幕府との交渉場所となり、下田条約(同年5月)が結ばれた了仙寺があります。子供の頃、歴史の教科書に載っていたかもしれない『ペリー陸戦隊了仙寺調練の図』(1856年)が寺に飾られていて面白いです。
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了仙寺 http://www.izu.co.jp/~ryosenji/

次は、下田開港後、入港してくる外国船の乗組員たちに薪・水・食料などの「欠乏品」を提供する拠点として使われた欠乏所跡。大五さんによると「日本最初の免税店」だそう。こういうたとえは面白いですね。
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それからペリー一行が入港地から了仙寺に向かう水路沿いの参道だった現「ペリーロード」を抜け、長楽寺へ。実はここは、同じ年の12 月、ロシア使節海軍中将プチャーチンとの交渉の末、日露和親条約が調印された場所。日本はアメリカだけでなく、同じ年にロシアとの国交を始めていたんですね。
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長楽寺 http://shimoda.izuneyland.com/chorakuji.html
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この条約によって日露の北方領土(択捉以南は日本、以北の千島列島はロシア)が確定し、樺太は日露雑居を認めることが決まったわけで、大五さんによると「日本政府の北方四島が日本に属するとの主張はこれを根拠にしている」とのこと。
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それからペリーロードを港に向かって歩くと、ペリー艦隊上陸の地に着きます。彼の正式な肩書きはアメリカ海軍の東インド艦隊司令長官。周辺はヨットハーバーになっていて、ベビーカーを押した欧米人カップルが歩いていました。
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そこから大五さんの奥さんの運転する車で、最初の駐日アメリカ領事館として使われた玉泉寺に行きました。最初の総領事はハリスで、唐人お吉の物語の舞台でもあります。寺院内には遭難したアメリカの水兵の墓があります。
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玉泉寺 http://shimoda.izuneyland.com/gyokusenji.html
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その日の散策はここまで。それにしても、外国とのゆかりを持つ寺がこんなにある町は珍しいのではないでしょうか。当時、遠来の客を迎えることができる施設はお寺くらいしかなかったということでしょうか。外国人から見た日本の住宅環境の問題は、当時もいまも変わらない気がしますね。しかも、その後の国運を決める国際的な条約を締結した歴史的な場所でありながら、そんなこともすっかり忘れ去られたかのように、いまはのどかな港町にすぎないことが不思議な気がしてきます。

翌朝、ひとりで下田開国博物館と了仙寺の境内にある黒船ミュージアムを訪ねました。
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下田開国博物館 http://www.shimoda-museum.jp/
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黒船ミュージアム http://www.mobskurofune.com/

展示の中身については、各ウェブサイトを参照していただくとして、この2館を訪ねたことで、昨日大五さんに案内された下田の歴史背景があらためてよくわかりました。なかでも面白かったのは、黒船ミュージアム内のシアターで観た映像でした。

黒船来航を日本人が描いた絵巻物や肉筆画、錦絵やかわら版など使って当時の様子をわかりやすく解説しているのですが、アメリカ人の中には芸者の写真を撮ろうとしたり、彼女らを何人もはべらして酒を飲む水兵がいたり、とにかく彼らのやることなすこと、身につけているもの、手にしているもの、そのすべてを当時の日本人は面白おかしく絵にしているのです。彼らがどれほど好奇のまなざしをアメリカ人に向けて、彼らとの交流を楽しんでいたかわかるのではないでしょうか。昔学校で習った教科書の内容とは違い、庶民の間ではペリーと黒船は必ずしも怖がられていなかったというのです。その例として挙げるのが、ミュージアムの入り口にある、当時人気だった西郷隆盛似にされてしまったペリーの肖像画です。
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同館のキャッチフレーズは『日本人が見た外国人、外国人が見た日本』。アメリカ人絵師が描いた当時の下田の様子も面白いです。アメリカ人の周りに群がる地元の子供たちもそうですが、背中に赤ん坊を負った若い母親も、じっと彼らを見つめています。こういう絵を観ると、昔、自分がインドやバングラディシュに旅行に行ったときのことを思い出します。

この映像は、英語と中国語のバージョンもあるそうですが、外国人にウケる面白い素材ではないかと思いました。YOU TUBEで100年以上前の日本の風物を外国人が撮った写真がアップされるのをよく見かけますが、この種の写真は日本人のみならず、外国人にも魅力的で、一緒に観ていると、ほのぼのします。なぜなら、外国人にとって、目の前にいる21世紀の日本人と150年前の日本人の間に、我々が気づかない共通点を見つけたりするものだからです。そして、無邪気に外国人と交流する日本人の姿が好ましく思えるのです。

これはインバウンドにとって格好の素材といえます。

その本家本元が下田なのですから、このユニークな歴史を外国人相手にもっと前面に出したほうがいいのでは、と思いました。

駅前の観光案内所に置かれていた英語版の伊豆下田のパンフレットを見て思ったことがあります。本編全26ページのうち、表紙もそうですが、最初の12ページまでがビーチリゾートで、13ページ目がキンメダイに代表される下田のグルメ、15ページ目の見開きで初めて下田の歴史が紹介され、次の17ページは黒船祭り。以後は再び地元のローカル文化の紹介という構成になっています。

何を思ったかといえば、これでは日本国内客向けのPRをただ英語版にした焼き直しに見えてしまうことです。国内向けには、ビーチを前面に出す、この構成でいいのかもしれません。しかし、それでは下田の本当のユニークさが外国人相手に伝わらないのではないでしょうか。確かに、下田はビーチの美しい。それは国内向けには通じても(あるいは、日本在住欧米人やインド人には)、海外から日本を訪れる人たちには、ほとんど差別化になっていません。

なぜなら、日本でビーチリゾートといえば、沖縄なのです。下田のビーチの美しさは首都圏では定評がありますが、海外の特に欧米系や英語圏の人たちは、東アジアからの観光客のようなリピーターは少ないので、まず日本列島全体をみて目的地を決めますから、ビーチで売ろうとするのは厳しいのです。むしろ、下田にしかない別の顔を見せるべきでしょう。

その意味でも、1934 年に始まり、毎年5月に開催される黒船祭りは、下田のユニークな歴史を象徴するイベントです。

黒船祭り
http://www.shimoda-city.info/event/kurofune.html

問題は、それを海外に伝えるPRの発想の転換が必要なんだと思います。たとえば、先ほどの英文パンフレットの黒船祭りのページには、簡単な祭りの由来の英文と武士にコスプレした市民やペリー像の前に立つ米軍仕官の写真などが散りばめられていますが、残念ながら、これだけの説明では、祭りの意味を理解できる人は少ないのではないでしょうか。外国人のみならず、日本人にとってもそうなのでは。理解できなければ、訪ねてみようという気は起こりません。

この際、下田はインバウンド向けPRに限って、このユニークな歴史を伝えることに徹底したらいいのではないでしょうか。国内向けとはまったくPRの発想と中身を変えるのです。ビーチとグルメと宿の話は、最後に触れるだけでいい。あとは東京からの伊豆急行などの観光電車を使ったアクセスと。そうすることで、下田という町のオンリーワンの個性が明確になると思います。

もしその結果、多くの外国人が下田を訪れるようになったとき、初めて国内客向けと同じPR手法に変えていけばいいのです。現状では(国内向けと同様に)海もある、グルメもある、歴史もあるでは、個性が明快に伝わらないのです。「そんなの日本の他の地方と同じでしょう」と外国人には見られてしまうからです。
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ただし、外国語の説明文を新たにつくる場合、日本語の直訳ではダメです。一般の外国人には日本人が普通に知っている幕末開国の基礎知識がほぼないからです。説明の仕方も、日本人好みの人物や歴史ネタばかりでなく、あらすじをわかりやすく丁寧かつ簡潔に整理しなければならないため、一から外国語で文章をつくる必要があります。

「外国人目線を大切に」というわりには、最も基本的な情報発信の面で、日本のインバウンドは根本的に問題があると思います。それは、国内レジャー市場とインバウンド市場の違いを明確に区別していないことから起こるのです。
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by sanyo-kansatu | 2017-05-03 15:00 | “参与観察”日誌 | Comments(0)


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