ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2017年 10月 05日 ( 4 )


2017年 10月 05日

スーツケースを引きずる外国客急増で、宅配&手荷物預かりサービス登場?

訪日外国人が増えて、町でスーツケースを引きずる観光客の姿を見ることが多くなっています。今朝も仕事場に近い地下鉄駅から地上に出ると、若い女性のグループがスーツケースを並べて広場でマックのハンバーガーを立ち食いしていました。バッゲジタグに「HND(羽田)」とあったので、おそらく韓国人ではないかと思われます。
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最近は、スーツケースを引きずったまま百貨店の中に入ってくる外国客も多く、さぞ不便だろうと思われます。これは自分の経験上思うことですが、スーツケースを入れるには日本のコインロッカーは小さすぎるのです。
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そこで、観光客の荷物を預かったり、配送したりというサービスが続々登場しているそうです。

日本観光、手ぶらでどうぞ 荷物預かるサービス続々(朝日新聞2017年10月5日)
http://www.asahi.com/articles/DA3S13166251.html

外国旅行では、大きな荷物に気を取られて思うように楽しめないことも多い。日本を訪れる外国人観光客が急増する中、「手ぶら観光」を楽しんでもらおうと荷物を預かったり配送したりする新サービスが広がり始めた。普及すれば、参入企業以外にも「プラスアルファ」の効果が期待できそうだ。

■ロッカー不足

スーツログイン前の続きケースを引いた外国人観光客が数人、構内を歩き回っている。彼らが目を皿のようにして探しているのは、コインロッカーだ。

9月下旬の昼、東京・JR秋葉原駅1階にある超大型ロッカー約10個はすべて使用中だった。クールジャパンを象徴し、外国人観光客にも人気の街では、週末を中心にこんな光景が繰り返される。

背景にあるのは個人客の増加だ。観光目的で訪日する外国人のうち個人が占める割合は7割を超える。この3年、全体数が伸びる中で10ポイント以上増えた。個人客は団体と違い、荷物は自分で管理しなければならない。一方、広さに限りがある駅構内のコインロッカーの増加数はわずかにとどまる。

政府は2020年に訪日客を4千万人に増やす目標を立てる。もくろみ通り、消費額の多い長期滞在客の割合が高まれば、大きな荷物を抱える外国人が今よりも増える。観光地からは、「すでに混雑しているバスや電車が余計に混雑している」(京都市の担当者)として、対策を求める声も上がっていた。

そこで手を組んだのが、JTB、ヤマトホールディングス、パナソニックの3社。来年1月から、空港や宿などの間で荷物を当日中に配送するサービスを使いやすくする。

荷物を送るための伝票記入といった手続きは、外国人観光客にとってはかなりの難題だ。そこで、多言語対応のアプリで来日前に申し込みと支払いを済ませ、伝票は宿に置いた専用端末で簡単に作れるようにした。

■お金使う機会を

もう一つ狙いがある。「訪日客は荷物が邪魔で、見学場所やお土産の購入を減らしている」(JTBの古野浩樹執行役員)。使い勝手をよくすることで手荷物の負担を軽くし、お金を使う機会を増やそうとしているのだ。

佐川急便やHISなども、駅や観光地から外国語でも手荷物を配送したり預けたりできる拠点を増やしている。

荷物を預けたい人と、ちょっとした空きスペースのある美容室や飲食店を仲介するサービスを1月に始めたのは、ベンチャー企業のエクボ(東京)。東京や大阪、福岡、沖縄などの計400カ所の預かり場所を用意。多言語対応の専用アプリに掲載している。料金も、大型の荷物で1日600円に抑えた。

同社の辻圭菜子広報担当は「利用者も預かり場所の登録も、毎日増えている。地方へも広げたい」と話す。(森田岳穂)


はたしてこのサービスは外国客に利用されるものでしょうか?

JTB、ヤマトホールディングス、パナソニックの3社の配送サービスがこれです。海外旅行の前に予約できることが特徴ですが、JTBの外国客向けツアー「サンライズ」でこのサービスを組み込んだ周遊コースの販売をすでに開始していて、来年1月5日よりサービス提供を開始するそうです。
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訪日外国人旅行者の手ぶら観光支援サービス「LUGGAGE-FREE TRAVEL」
http://news.panasonic.com/jp/press/data/2017/09/jn170921-2/jn170921-2.html

確かに、外国客のニーズに正対したサービスだと思うのですが、日本を訪れる前にどうやって外国の人たちはこのサービスの存在を知るのだろうか、ちょっと疑問です。JTBのことを多くの外国人は知らないと思うからです。

もうひとつはシェアエコノミー的な発想から生まれた街角手荷物預かりサービスです。

ecbo cloak (エクボクローク)- コインロッカーいらずに手ぶら観光
https://cloak.ecbo.io/ja

こちらも一見面白そうですが、外国人が一般の美容室や商店に自分の荷物を安心して預けるものだろうか、という疑問もあります。

いずれにせよ、朝日の記事にもあるように、いまでは7割の訪日外国人が個人客であることを考えると、この種のサービスの存在をどうやって海外に伝えるかが課題といえそうです。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-05 15:08 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(0)
2017年 10月 05日

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)

昭和の人気力士、横綱大鵬(本名・納谷幸喜)は昭和15年(1940年)当時日本領だった樺太の敷香町、現在のポロナイスクで、ロシア革命後に樺太に亡命したというウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれています。
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大鵬の公式サイトによると、この銅像が建てられたのは、2014年8月15日のことでした。

第四十八代横綱大鵬オフィシャルサイト
http://www.taiho-yokozuna.com/profile/index.html
元横綱大鵬、銅像で「里帰り」 生誕地サハリンで除幕式(日本経済新聞2014/8/15)
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15025_V10C14A8CR8000/
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銅像が置かれているのは、以前大鵬が両親と一緒に住んでいた家があった場所です。

この町と縁のある日本人はほかにもいます。それが誰かを知るには、ポロナイスク郷土博物館を訪ねると、わかります。
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この地域の博物学の発展に貢献した人物の顔が、博物館の入口に石版印刷されて並んでいるのですが、その中に日本人が3名います。

間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩です。
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間宮林蔵(1780-1844)は、江戸後期の探検家で、樺太が島であることを発見したことから、間宮海峡の名が付いたことで知られています。彼はその後、アイヌの従者を雇い、対岸のアムール河口に渡り、清国やロシアの東進の動向を探索しています。そのとき、オロッコ、ニブフなどのアイヌ以外の先住民と出会っており、その記録は『東韃地方紀行』として残されています。
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鳥居龍蔵(1870-1953)は、明治生まれの人類学者で、戦前の日本の北東アジアへの勢力拡大の中で、現在の中国東北部、台湾、中国西南部、モンゴル、朝鮮半島、ロシアのシベリア、そして千島列島や樺太の調査を行いました。

ネットをなにげに検索していたら、考古学者で元徳島大学教授の東潮先生が書かれた以下の論文が見つかりました。樺太をはじめとした鳥居龍蔵の調査地のいくつかを、東潮先生が実際に訪ね、いまから100年近く前の鳥居の調査記録と現在の姿を重ねて報告しています。とてもリアルで面白い論文でした。

「鳥居龍蔵のアジア踏査行一中国西南・大興安嶺・黒龍江(アムーノレ川1)・樺太(サハリン)-」(徳島大学総合科学部人聞社会文化研究(17巻(2009) 65-164)

徳島県鳥居龍蔵記念博物館
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/torii/default.htm

3人目はアイヌ研究で知られた考古学者の馬場脩(1892-1979)です。
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自分はこの方面に詳しくないため、この人だけは知らなかったので、帰国して調べてみました。

馬場脩(はこだて人物誌)
http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/b_jimbutsu/baba_osa.htm

いずれにせよ、大鵬も含め、これら4名は地元公認の日本人というわけです。

地元では知られていませんが、作家の林芙美子は昭和9年(1934年)6月、樺太を旅行し、「樺太への旅」という紀行文を書いています。彼女は当時の日本領の最北の地に近い敷香まで来て、国境見物に行くか、敷香の近くにある先住民の暮らす集落を訪ねるか迷っていましたが、結局、先住民に会いに行くことに決めました。

※「樺太への旅」は岩波文庫の『下駄で歩いた巴里』に収録。

先住民の集落は「オタスの杜」と呼ばれた場所で、そこにはニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)、エヴェンキ(キーリン)、ウリチ(サンダー)、ヤクートなどの先住民が集められ、日本語教育が行われていました。

林芙美子はオタスの小学校を見学したときの様子を以下のように書いています。

「やがて子供の歌声がきこえてきました。私は無礼な侵入者として、授業中の教室を廊下の方からのぞいて見ました。教室は一部屋で、生徒は、一年生から六年生までいっしょで、大きい子供も小さい子供も大きく唇を開けて歌っています。金属型の声なので、何を歌っているのか判りませんが、音楽的でさわやかです。台所から出て来たような、太った女の先生が素足でオルガンを弾いていました」

「やがて校長先生は子供たちの図画を取り出して来て見せてくれましたが、皆、子供の名前が面白い。「オロッコ女十一才、花子」「ギリヤーク女八才、モモ子」などと書いてあるのです。描かれているものは、馴鹿だとか熊の絵が多いのですが、風景を描かないのはこの地方が茫漠としたツンドラ地帯で、子供の眼にも、風景を描く気にならないのだと思います」

これは今回ぼくが訪ねたポロナイスク郷土博物館やノグリキ郷土博物館で見た光景とつながる話でした。いまの先住民の子供たちは、きっとロシア人風の名前なのでしょうね。
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ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち
http://inbound.exblog.jp/27122360/

当時先住民たちは日本人と隔離され、「土人」と呼ばれていました。林芙美子も「土人」と書いています。現代の感覚でこれを批判するのはたやすいことですが、彼女は先住民の子供たちを優しいまなざしで見つめています。

そして、こんなことも書いています。

「このオタスの草原の風景は、妙に哀切で愉しい。私はここまで来て、一切何も彼も忘れ果てる気持ちでした」

彼女にとって樺太の旅で過ごした時間のうち、敷香でのオタスの杜訪問がいちばん好ましいものと感じられたようです。

「樺太への旅」という紀行エッセイは短いものですが、林芙美子がいう「妙に哀切で愉しい」この土地の印象は、時代を超えて、よくわかるような気がします。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-05 13:58 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 05日

「巨人・大鵬・卵焼き」の大鵬が生まれたポロナイスクで昭和の時代を思う

ユジノサハリンスクから北へ288km、サハリン中南部の東海岸にある港町のポロナイスクは、戦前まで「敷香(しすか)」と呼ばれていました。

サハリン南部を日本が領有していたこの時期、敷香は北緯50度線の国境に近い町でした。

今年6月中旬、この町を訪ねたのですが、あいにく午後になってもオホーツクの海霧に覆われていて、ずいぶんさびしい土地のように見えました。さらに北にあるノグリキでは好天に恵まれたのですが、天気はその土地の印象をまったく変えてしまいます。

この町はポロナイ川の河口にあります。河口を訪ねると、まさしく北海の港です。
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海岸を歩いていると、小さな男の子がいました。
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地元の家族連れのようです。このあたりの住民は純粋なロシア人ではなく、先住民との混血の人も多そうです。
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ひとりの男性がバイクに乗って近づいてきて、この港でとれたマスでしょうか、手で高く掲げて見せてくれました。彼は「トヨタ、ホンダ…」と叫んでいました。
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昭和9年(1934年)にこの地を訪ねた林芙美子は、紀行文「樺太への旅」の中で、海岸線を散歩していると、先住民が幌内川の河口でマスをとっていて、「一尾五十銭」で買い、宿で調理してもらって食べたこと、「紅身が一枚々々刺身のようにほぐれて薄味で美味」だったとその感想を書いています。

車に乗って海岸線を走りました。
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鉄道は港まで延びています。あまり利用されていないようです。
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これは港の近くの水産加工工場です。
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この町には戦前から王子製紙の工場があり、現在は操業していないのですが、工場までの引込み線が残っています。現在のポロナイスク駅は町のはずれにありますが、少し前までは工場に近い町中にありました。
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カメラマンの佐藤憲一さんがふと自分が昔乗っていたのと同じ車種のランドクルーザーを見つけて、思わず記念撮影。「いま日本ではこの車種はもうほとんど見つからないんじゃないかな…」。そういう車が普通に走っているのがサハリンの田舎町です。
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この町と縁のある日本人の話は別の機会に書きましたが、敷香は1960年代当時の子供に人気の代名詞「巨人・大鵬・卵焼き」で知られる人気力士の大鵬が生まれていて、なんと銅像が建っています。お相撲さんだけに、裸の銅像なのは仕方がないのかもしれませんが、これもかなりさびしげな光景で、ふつうの住宅街の中にあります。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
http://inbound.exblog.jp/27234045/
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この町でもコリア系の人たちによく会いました。
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結局、日が暮れるとすることもないので、町はずれのレストランでずっと時間をつぶした話はすでに書いたとおりです。そこでは元気な地元のお母さんや子供たちの様子を見物することになりました。
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ポロナイスクで食べたスモークサーモンと韓国チゲ風ボルシチの不思議な夜
http://inbound.exblog.jp/27110639/

夜10時半を過ぎたので、レストランを出て駅に向かう途中、団地を横に見ながら歩きました。古い団地の前に駐車されているのは、日本車だらけです。
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ロシアの田舎町で見かける団地のシルエットや窓からもれる明かりは、高度経済成長が始まった頃の、まだそんなに豊かではなかった昭和の時代を思い起こさせるところがあります。なにしろここは当時のヒーロー、「北海の白熊」と呼ばれていた大鵬が生まれた町なのです。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-05 09:48 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 05日

083 礼拝が行われているハルビンの教会

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ハルビンには東方正教系の教会がいくつもあるが、1935年に建てられたアレクセイエフ教会は、現在ハルビン天主堂と呼ばれている。20数年前に訪ねたとき、この教会の鐘は外され、地面に置かれていたが、いまはミサが行われている。地元のおじさんたちの憩いの場でもある。(撮影/2014年7月)

※ミサといっても、ロシア正教ではなく、中国政府が管理するキリスト教です。このような教会は中国各地にあり、中国語の牧師が中国語でミサを行っています。都市部だけでなく、農村でもキリスト教はけっこう根を張っています。

ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう(ハルビン編)
http://border-tourism.jp/haerbin/
Facebook:ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう
https://www.facebook.com/bordertourism.jp/
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by sanyo-kansatu | 2017-10-05 08:57 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)