ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2017年 10月 06日 ( 5 )


2017年 10月 06日

外国客のレンタカー利用が増え、事故も増加。その防止対策に注目

外国人観光客が増え、団体から個人へ移行すると、自らハンドルを握って日本を旅したいニーズがふくらみます。当然、レンタカーを利用する人たちも増えていきます。ただし、海外での運転を経験したことのある人であればわかることですが、自国の運転ルールや常識が通じないことも多く、事故につながりやすいのは無理もない面があります。

ついに起きてしまった。運転できないはずの中国人レンタカードライバー事故(2017年08月21日)
http://inbound.exblog.jp/27062548/

国土交通省によると、レンタカーを利用する訪日外国人は、2011年から2015年の5年間で約4倍(17万9000人→70万5000人)に増加し、レンタカー利用者全体でみると死傷事故件数は減少しているものの、外国人レンタカー利用の死傷事故件数は増加(14年:28件→16年81件)。特に利用の多い沖縄県では物損事故を含む外国人レンタカーの事故件数は2014年から2016年(9648件)の3年間で約3倍に増加しているそうです。
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訪日外国人観光客レンタカーピンポイント事故対策について(国土交通省2017年8月23日)
http://www.mlit.go.jp/report/press/road01_hh_000882.html

この勢いであれば、昨年はすでに年間100万人近い利用者がいたのではないでしょうか。今年はさらに増えているのかもしれません。

そこで、国土交通省は、訪日外国人観光客のレンタカー利用による事故を防止するため、レンタカー事業者や警察、観光部局と連携し、ETC2.0の急ブレーキデータを活用して、外国人特有の事故危険箇所を特定した上で、ピンポイント事故対策を講じる取り組みを開始するそうです。

訪日外国人によるレンタカーでの事故防止対策 今秋から実施(Response2017年8月23日)
https://response.jp/article/2017/08/23/298868.html

実験地域は新千歳空港、中部国際空港、関西国際空港、福岡空港、那覇空港のそれぞれを中心とする5つです。

外国人観光客のレンタカー交通事故対策、国内空港周辺の5カ所で実験へ(2017年9月7日)
https://response.jp/article/2017/09/07/299501.html

事故の原因は、自国との交通ルールの違いや標識の理解不足にあるといわれています。レンタカー利用の多い沖縄県や北海道では、貸し渡し前にオリエンテーションを行うなど独自の取り組みを続けてきましたが、利用者の全国的な広がりの中で、今後は国レベルでの取り組みを始めることになります。

外国客がレンタカーを利用することは、市場が縮小していたレンタカー関連業界にとっての朗報でしょうが、それ以上に、日本全国に張り巡らされた道路インフラを広く活用してもらうことで、今後の維持や質の向上につながることにこそ、意味があると思います。日本人の交通事故の数は昔に比べ、相当減っています。それだけに、外国客の運転する車による死亡事故が起こると、大きなニュースになることが考えられます。それだけに、こうした取り組みは本当に大事だと思います。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 17:36 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(0)
2017年 10月 06日

旧落合王子製紙工場跡の管理人は「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と話す

ポロナイスクから夜行列車に乗って、朝5時半過ぎにドリンスクに到着。そのまま乗っていれば、1時間後にユジノサハリンスクに着くのに、わざわざこの駅で降りたのは、前日に引き続き、旧王子製紙工場跡を訪ねるためでした。

駅を降りると、ホテルが1軒ありましたが、鍵がかかって中に入れないし、カフェも開いていない。タクシーもいません。一瞬、途方に暮れましたが、少し歩くと、食材店があり、ドリンクとハンバーガーを買うことができたので、スーツケースに座って食べていると、1台のタクシーが現れました。

「завод(工場)」「фотография(写真)」と声をかけると、ニッコリして乗れといいます。駅からわずか車で5分の場所に旧落合王子製紙工場跡がありました。
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工場跡は野良犬のすみかとなっていて、タクシーが構内に入ると、一斉に何十匹もの犬たちが吠えたてました。
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とはいえ、犬たちも吠えるだけで、近づいては来ないようだったので、さっそく探索を始めました。
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旧落合王子製紙工場の始まりは、大正6年(1917年)に日本化学紙料が日本初のクラフト専門工場として操業したことで、昭和8年(1933年)王子製紙が吸収合併しました。終戦後はソ連の国営企業として1995年まで操業していました。操業停止後は、ドリンスク市内へ温水と暖房を供給する施設として使われています。
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探索中、温水施設の管理人のおじさんが現れました。どう見ても不審きわまりない外国人を見ても、いっこうに驚くそぶりもなく、穏やかな笑顔で迎えてくれました。これまで同じように撮影をしに来た日本人がいたせいでしょう。
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おじさんについて温水供給施設の中を見せてもらいました。
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片言の英語を解するタクシードライバーを通じて「いつまで操業していたのか」といった主旨の質問をしたところ、管理人のおじさんは「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と当時のリーダーの名を口にしました。

ロシア語で「再構築(改革)」を意味するペレストロイカは、社会主義的な運営を続けていたサハリンの製紙工場を操業不能にしました。それはこの島の人たちの暮らしに打撃を与えたはずです。

林芙美子は昭和9年(1934年)に樺太を訪ね、王子製紙が各地に建てた製紙工場のせいで「樺太には樹木がない」と嘆きました。「或人は、樺太島ではなくて、王子島だと云ったほうが早いと云っていました。どの駅へ着いても、木材が山のようです」(「樺太への旅」)とまで書いています。

「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙工場廃墟
http://inbound.exblog.jp/27257929/

しかし、当時9つあった工場はそのままソ連に引き継がれました。それから操業停止に至る約50年間、これらの製紙工場のために、樹木の伐採がどれだけ続けられたのか、それは知る由もありません。物事には、そして歴史認識もそうですが、常に別の側面があるといえます。
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工場の周囲には、カラフトフキの大きな葉が瓦礫を覆うように増殖していました。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 16:03 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙工場廃墟

ポロナイスクでは、旧敷香王子製紙工場の廃墟も訪ねています。昭和10年(1935年)に操業を開始した、樺太で最後に造られた工場のようです。

以下、写真家の佐藤憲一さんの写真を見ていきましょう。
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ところで、昭和9年(1934年)に樺太を訪ねた林芙美子は「樺太への旅」にこんなことを書いています。

「この豊原に来るまでに、一時間あまり車窓を見て驚いた事は、樺太には野山という野山に樹木がないことでした。(中略)どのように樺太の山野を話していいか、まるで樹の切株だらけで、墓地の中へレールを敷いたようなものです。

私は大泊までお迎えに来て下すった友人たちに、「いったい、これはどうしたのですか!」と驚き呆れて訊いたものです。

行けども行けども墓場の中を行くような、所々その墓場のような切株の間から、若い白樺がひょうひょう立っているのを見ます。名刺一枚で広大な土地を貰って、切りたいだけの樹木を切りたおして売ってしまった不在地主が、何拾年となく、樺太の山野を墓場にしておくのではないでしょうか。盗伐の跡をくらます為の山火や、その日暮しの流れ者が野火を放って、自ら雇われて行くものや、樺太の自然の中に、山野の樹木だけはムザンと云うよりも、荒寥とした跡を見ては、気の毒だと思います。樹が可哀想です」

かなりショッキングな記述です。林芙美子が敷香を訪ねた年、まだこの工場は操業していませんでしたが、建設中の巨大なシルエットを目にしていたはずです。彼女は樺太の日本領の北限の町までやって来る道中、車窓を眺めながら、ずっと「樺太の山野」の不幸について考えていたようです。

当時は、こういった植民地批判を書くと、当局から目をつけられかねない時代でした。

製紙工場の迫力ある廃墟を見ながら、これが全力で操業していた時代は、どれほどの樹木を伐採していたかと思うと、空恐ろしい気がしてきます。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
http://inbound.exblog.jp/27234045/
先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示
http://inbound.exblog.jp/27257855/

もっとも、この工場を引き継ぎ、その50年後、操業停止に至ったロシア人たちの心中もまたいろいろです。

旧落合王子製紙工場跡の管理人は「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と話す
http://inbound.exblog.jp/27258111/
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 14:43 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示

昭和9年(1934年)6月、林芙美子が訪ねた樺太の敷香町(現ポロナイスク)には、「オタスの杜」と呼ばれた先住民の集落がありました。彼女が書いた紀行文「樺太への旅」によると、そこにはニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)、エヴェンキ(キーリン)、ウリチ(サンダー)、ヤクートなどの先住民が集められ、日本語教育が行われていました。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
http://inbound.exblog.jp/27234045/

今日、こうした先住民たちの暮らしは現代化していますが、かつての様子を記録し、展示しているのがポロナイスク郷土博物館です。
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ポロナイスク郷土博物館(Поронайский краеведческий музей)
http://sakhalin-museums.ru/museum/poronayskiy_muzey/

同館には、ニブフやウィルタ、ナナイ、エヴェンキ、そしてアイヌの5部族の展示があります。

これはニブフの衣装や生活用具の展示です。ガラスのケースの上に、ニブフの若い女性が並んだ写真がありますが、林芙美子がこの町を訪ねた頃、オタスの杜では同じような光景が見られたのではないでしょうか。
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左のブルーの衣装はニブフのものですが、右側のケースは漁労の民ナナイ(ゴリド)のものです。
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カラフルなパッチワークのような布はナナイのものです。
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トナカイと一緒に展示されているのは、エヴェンキのコーナーです。
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こちらはウィルタのコーナーです。ウィルタもエヴェンキ同様、トナカイを飼います。
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最後はアイヌのコーナーです。樺太中部にあたる敷香は、アイヌの住む北限だったようです。熊の木彫りや鍋があることから、アイヌは当時から日本人との交流があり、他の先住民族とは少し違うところがあったのかもしれません。
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そして、これは他の博物館もすべて同様なのですが、日本時代のコーナーがあります。ケースの中にはおちょこやとっくりが数多く並べられています。林芙美子の「樺太への旅」に「ここは如何にも新興の町らしく、まずカフェーや料理屋が多い。シスカ会館と云う家では、二十人ばかりの女給が、メリンスのセーターを着ていて、何とも珍妙な姿でした」と書かれており、おそらくこれは…と思わざるを得ませんでした。
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そして、もうひとつがお約束のロシア人の生活を展示する部屋です。先住民族の展示とはまったく違い、同じ時代、すでに文明人であったことを強調しているように見えます。
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1945年9月、南樺太を取り戻したスターリンの偉業も展示されます。
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一方、館内の真ん中に大きなスペースがあり、ひとりの女性が座ってなにやら作業をしています。
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はにかむ彼女は先住民の女性で、ここは民族文化を学ぶワークショップのためのスペースでした。これはノグリキ郷土博物館にもあったものです。
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これらの展示構成は、サハリンにおける先住民とロシア人の関係、そして歴史的に一時期主役であったものの、いまは存在しない日本人の位置づけを物語っています。ただし、中国の歴史博物館のように、日本を責め立てるような意図はなさそうです。過去の歴史の話で、現在の構成員ではないので、そんな必要はないのです。

それでも、2階の会議室や写真展示室をみていると、日本時代の写真も多く展示されています。
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そのうち、最も存在感が大きいのは、操業を停止してしまった旧敷香王子製紙工場の往時の姿です。今日、ポロナイスクは人口1万5000人の町ですが、おそらく工場が稼働していた時代が最も活力があったに違いありません。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 14:02 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

084  遊園地の中にある旧ウスペンスキー教会

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ハルビンに数ある教会の中でも、独特の雰囲気を残しているのが、旧ウスペンスキー教会だ。1908年に建てられたロシア聖堂だが、現在は遊園地の中にある。蔦のからまる外壁はかなり老朽化していて、立法体の建物の上にちょこんと載る円筒系の塔には鐘が吊るされていたはずだが、現在非公開。(撮影/2014年7月)

※ウスペンスキー教会は、ハルビンの中でいちばん好きな教会です。遊園地の中にあるため、周囲はいろんなものに囲まれて不思議な光景に見えますが、それも現代中国的というべきか。20世紀初頭に建てられたこの建築スタイルは、最近ロシアで次々に建てられる新しい教会にはないユニークなものです。

ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう(ハルビン編)
http://border-tourism.jp/haerbin/
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 10:05 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)