ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:北東アジア未来形:満洲の今( 75 )


2014年 11月 19日

大連の若い世代(80后)は日本時代の住居や路面電車が懐かしいという

今年7月下旬、大連を訪ねたとき、最も印象に残った場所が、地元生まれの若いカップルが経営しているカフェ「瀋小姐の店」でした。
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この店の特徴はお茶を飲むだけでなく、店内で版画や手づくり工芸を楽しめることです。アトリエ風の店内は、創作教室といってもいいかもしれません。
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客層は圧倒的に若い女の子ばかり。彼女たちは地元だけでなく、中国全土から旅行で訪れた人たちも多いそうです。
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店内には、大連の老房子(古い建築)をイラストや版画で描いた絵はがきや日本統治時代の古地図が売られています。
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「大連印画」「老大連」「大連の詩」「大連老式電車の旅」「歩く大連」「大連老建築」など、種類もいろいろ。中国の歴史博物館に展示されているような、どこかおどろおどろしい日本統治時代の写真とは、まったくの別世界。いまどきの中国の若者のセンスが感じられるポップな仕立てとなっています。

このカフェを経営しているのは、1984年大連生まれの周科さんと瀋潔さんです。ふたりは大連工業大学時代の同級生。ちなみに同大学には、アートデザインや服飾などの学部もあります。なぜこの店を始めたのか聞くと、こう話してくれました。
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「ぼく(周さん)は子供の頃、祖母の住む古い日本家屋でよく過ごしました。いまはオリンピック広場となっている北側の一画ですが、当時はそれが日本家屋だとは知りませんでした。高校生になった頃、これらの老房子が次々に再開発されるのを見て、自分の大切な思い出が失われていくようで惜しいと思ったのです。

大学で美術を専攻したぼくは、老房子の写真を撮り始めました。大学を卒業後、美術教師をしながら、撮りためた写真や版画を絵はがきにして、大連を訪れる観光客に伝えたいと考えたのが、このカフェの始まりです」。

※再開発の進む大連の状況については「次々に壊されていく文化台の一戸建て住宅【昭和のフォルム 大連◆文化台②】」http://inbound.exblog.jp/20697489/参照。
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奥さんの瀋潔さんは浙江省出身ですが、大学で知り合った周さんに大連をあちこち案内されたとか。そのときの移動の足はたいてい路面電車だったそうです。いまも自宅からこのカフェまで毎日通勤の足は路面電車。車窓から見える老房子を眺めながら、電車に乗るだけで大連の魅力が満喫できてしまうと思ったことから、このイラストマップ「大连漫游计划」(一部)や「大連老式電車の旅」の絵はがきをつくることを思いついたといいます。
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実は、奥さんの瀋潔さんは毛糸や皮の小物の手作り作家で、ノウハウ本の著書もあるという女性。このカフェには、そんなふたりの噂を聞きつけて、手作り創作と大連の魅力を教えてもらおうと全国からファンが集まるようになったといいます。
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周さんの話を聞きながらとても興味深いと思ったのは、1980年代生まれ(中国では「80后」世代といって、文革以前の古い社会主義中国を知らない新世代)の彼らが大連の日本家屋に対して親しみと懐かしさを感じているということでした。彼らは1990年代以降の「愛国主義教育」を最初に受けた世代ですが、そこで教え込まれた「歴史認識」をするりとスルーして、日本時代の建築に自らの幼少期の舞台としてノスタルジーを感じていることです。彼らにとって日本家屋は自分たちの大切な思い出なのです。

※中国の「80后」世代については、カテゴリ「アニメと「80后」の微妙な関係」を参照。
http://inbound.exblog.jp/i13

もっとも、いまとなってはわずかに現存するにすぎない大連の日本家屋は、いわゆる内地の家屋とは違い、当時は最先端の文化住宅だったはずです。なにしろ水洗トイレやお風呂も普通に備わっていたのです。大連で幼少期を過ごした年配の方が、日本に引き上げてきてからいちばん驚いたのは、「ボッチャントイレ」と「五右衛門風呂」だったと話していたことを思い出します。「大連の当時の生活環境に日本が追いついたのは、昭和50年代になってからではないか」。そう語る引き上げ世代の話を聞いたこともあります。つまり、大連の若い世代が懐かしく思っているのは、戦前期の日本にはまだ一般化していなかった昭和モダンの最新式住居が歳月とともに老朽化した姿だったといえます。

大連の若い世代の日本家屋に対する感覚は、大連育ちの日本の年配の皆さんと重なる部分とそうでない部分があるかもしれませんけれど、実はぼくのような戦後まれの「満洲3世」にとっても共感する部分が大きいといえます。それは大連との同時性を有していた日本の昭和モダンが持つフォルムの温かみや懐かしさを、高度経済成長期に重なる自らの成長とともに失ってしまったという想いであり、日中の経済発展のタイムラグによって同じ経験が後年外地でも生まれたのだという共時性を周さんに感じるからです。実際、ぼくが初めて大連を訪ねたのは1980年代半ばで、彼が生まれたばかりの頃でした。

だからでしょうか、ぼくは初対面の周さんと話がずいぶん合いました。なぜ彼が老房子の写真を撮りためようとしたか、その動機が手に取るように理解できたからです。そんな話を周さんにしたところ、彼も日本で刊行された大連の老房子の写真集や本を集めていると言いました。

ちなみに周さんは電車ファンでもあるそうです。実は、1990年代の薄熙来市長時代の大連では、それまで使っていた日本時代の老朽化した電車を新式車両に転換する際、あえて外観のデザインは日本時代の姿を残そうとしたそうです。それが大連市民のフィーリングに合ったからでしょう。その決定はいまも高く評価されていると聞きます。
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その車両は、時代を経て今日も残る日本時代の石造建造物との対比でみると、少し真新しすぎるように見えなくもないのですが、遠目のシルエットは当時と変わらないものです。それが旧満鉄関連のビルの前を走っていたりする姿がいまでも見られるのが、大連の風情となっています。そして、その路面電車は周さん夫妻たち、現在の大連市民の日常の足でもあるのです。

大連市民の間では、いまでも失脚した薄熙来の人気が高いようですが、こうした日本がらみのエピソードが穏やかに語られているのは、中国広しといえども、大連くらいではないでしょうか。

カフェ「瀋小姐の店」は、旧ロシア人街の最も奥まった場所の右手にあります。いまや新しい大連観光の情報発信地となっています。
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旧ロシア人街の建物はいまではあざとくペイントを塗り替えられ、テーマパークと化してしまいましたが(そういう意味では、もう情緒はありません)、カフェの窓の外には旧大連自然博物館が見えます。なぜかここだけは投資の対象からはずされ、かつて東清鉄道事務所や市役所にも使われた老房子の荒れ果てた姿は、ちょっぴり痛々しさを覚えます。
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●カフェ「瀋小姐の店」
住所:大連市西崗区団結街6号文化産業研究中心
http://site.douban.com/129650/


※現在の旧ロシア人街については――

ショック!? 大連「旧ロシア人街」の再開発が一気に進んでいた
http://inbound.exblog.jp/24019874/
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by sanyo-kansatu | 2014-11-19 18:35 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 10月 17日

冬は零下30度のまち、ハルビン(黒龍江省)の地下鉄が開通しました

先日、中国黒龍江省の知り合いから、ハルビンの地下鉄1号線が開通したというニュースが届きました。
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運行スタートは9月26日。区間はハルビン南駅からハルビン東駅までの全長17.48km、18駅だそうです。これで東北三省では瀋陽に次ぎ2番目の地下鉄となります。運賃は2元~4元と、北京の地下鉄と同じ価格帯で超格安です。
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ハルビンといえば、中国最北部にある黒龍江省の省都で、冬には零下30度以下になる厳寒のまちです。そこで、ハルビンの地下鉄は中国初の寒冷地仕様だそうで、零下38度の低温環境の中でも運行できるといいます。

このニュースを届けてくれたのは、ハルビンにある黒竜江省新世紀国際旅行社の呼海友さんと金龍珠さんです。地下鉄の写真も送ってくれました。

「ハルピンの地下鉄は最新技術を採り入れています。車両はアルミ合金の構造で、中国で最軽量。車体の雪花図案の装飾はハルビンらしいイメージを喚起しています。他の都市の地下鉄に比べ、騒音が少なく快適に乗車できます。車両内は空気浄化システムを採用しています。そして、信号システムは一部日本の技術を採用しており、安全性に優れています。そして、これがいちばん大事なことですが、座席の下にヒーターがあり、冬でも暖かいんですよ」とのこと。
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ハルビンの地下鉄工事は2008年から開始されました。現在、大連でも工事が進行中です。沿海地区に比べインフラが遅れがちだった東北三省の都市にも、ようやく現代的な都市交通システムが生まれています。来年ハルビンに行く予定があるので、ぜひ乗ってみたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-10-17 09:46 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

次々に壊されていく文化台の一戸建て住宅【昭和のフォルム 大連◆文化台②】

神戸や函館に似た、中国では珍しい高台の一戸建て住宅街だった大連の文化台の景観が大きく変わり始めたのが、2000年代後半に入ってからです。
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中国の中央政府が着手した「東北振興」政策によって、ここ大連でも次々に都市近郊にまで再開発の波が襲うようになりました。その結果、文化台の一戸建て住宅が次々に壊されてしまいました。
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1990年代の大連は、先般失脚した薄熙来が市長でした。彼の開発区を中心にした積極的な外資の導入により大連は発展し、市街地はいち早く再開発の時代を迎えたのですが、その波は郊外にまでは及んでいませんでした。しかし、胡錦濤政権以降に常態化してしまった地方政府による土地売却利益と不動産投機がカップリングしたあやしげな再開発がついに大連でも動き出してしまいました。

現在の文化台には当時の住宅はもうあまり残っていません。一部当時を想起させる閑静な住宅街の風情は見られるものの、おそらくこの地区から多くの大連市民は離れてしまっていると思われます。彼らは新しい高層マンションの住人として生まれ変わっているのでしょう。いまでもこの地区に残っているのは、高齢化して新興マンションに移り住むことのできない住民たちか地方から流入した外地人がほとんどではないかと思われます。

2012年7月、文化台にわずかに残された日本時代の一戸建て住宅を写真に収めることにしました。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 23:46 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

ロシア人墓地も眠る高台の高級住宅地【昭和のフォルム 大連◆文化台①】

大連はもともとロシア人が日本よりひと足早く先に来てつくったまちです。20世紀初頭の北東アジア情勢は今日とは違い、非情なまでの力の優劣が世界を支配していましたから、大連にも歴史の痕跡がいくつも残されています。
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大連を代表する景勝地として知られる老虎灘に市内から向かう解放路沿いの高台に位置するのが文化台です。そこにはロシア人墓地があり、現在も残っています。日露戦争前にあったと思われる要塞跡も、とってつけたように改修されて壁だけ残っています。中ロ関係を意識して政治的に再生された遺物に違いありませんが、日本時代にはここが高級住宅街だったことは確かのようです。
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当時の絵葉書をみると、まるで神戸や函館のように高台に一戸建ての邸宅がぎっしり並んでいたことがわかります。市街地に近い南山は満鉄や軍関係者の邸宅が多かったと思いますが、文化台は大連に渡って事業をなした民間人の家が多かったのではないでしょうか。以下の資料と写真は大連世界旅行社の桶本悟さんからお借りしたものです。
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一戸建て住宅街としての文化台の景観は、2000年代半ばくらいまでは大きく変わることはなかったようです。確かにほとんどの家屋は老朽化しており、高級住宅街としての面影はありませんが、中国ではなんといっても珍しい一戸建て家屋が集中する地区ではありました。
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文化台の南側には晴明台という同じく一戸建ての住宅地がありました。勝利橋の北側に残るロシア人家屋のような家がいくつも残っています。
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文化台の景観が大きく変わり始めたのが、2000年代後半に入ってからです。次回、現在の文化台の姿を紹介したいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 23:14 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

周囲の高層建築とはまるでスケールの違う街区【昭和のフォルム 大連◆連鎖街③】

大連駅前に残る不思議な一画、旧「連鎖街」に人気の少ない早朝、再び訪ねてみました。
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人通りが多く、屋台などが出ていると、ただの中国の古い繁華街にしか思えませんが、無人の「連鎖街」に立っていると、まるでタイムスリップしたような気分になってきます。

「連鎖街」の後方に高層建築が見えますが、この街区とはスケールがまるで違うことに気づきます。それは視覚的にもわかることですが、何より身体で感じることができます。その対比自体はとても興味深いことですが、ここではこのマイクロな空間構成こそが昭和の街並みなのだと理解して、この空間を楽しむことにしましょう。
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あとは、建築の老朽化や簡体字の看板などの存在はひとまず無視して、建築の細部を切り取り、そこに目を凝らしましょう。この時代の建築は曲線の多い優美なファサードもそうですが、窓の形や配置が実にチャーミングだと思います。そして想像力をふくらませましょう。通りを何度も行き来していくうちに、だんだん頭の中に絵葉書で見た当時の風景や喧噪が蘇ってくるような気が……。
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まったくもってこれはひとり遊びの世界には違いありませんが、「古地図を見て東京を歩く」という楽しみ方と少し似ています。東京の場合、江戸、明治、昭和といくつもの時代が折り重ねられた歴史の多重性が複雑に絡み合いますが、大連の場合、そこはわりとシンプルです。つまり、日本の統治した昭和と新中国建国後の停滞期から改革開放を経た現在に至るまでの時間軸でほぼ割り切れる世界といえます。

「連鎖街」には、その地に立って初めて蘇る身体感覚があります。それは歴史的な時空との対話とでもいえばいいのか。それにしても、当時のマイクロな街並みの中で繰り広げられていた人間の暮らしや営みは、今日のように高速建築が建ち並ぶ世界と、どこがどう違うのでしょうか。ぼくには今日の世界のほうが当時に比べて暮らし向きがいいとはとても思えないのです。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 15:21 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

再開発も近い!? これが現在の連鎖街です【昭和のフォルム 大連◆連鎖街②】

大連駅前に残る日本時代の駅前繁華街、「連鎖街」の現在の姿を紹介します。
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撮影は2010年5月と12年7月。佐藤憲一カメラマンです。

かつてしゃれたカフェやバーが軒を並べていた「連鎖街」ですが、現在は時代から取り残されたような金物工具などの卸売場や修理工場の並ぶ地区として市から割り当てられています。

夕方が近くなると、通勤客相手に農民が道の真ん中に野菜を並べ、歩行者天国の通りには屋台が出ます。
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これが当時の銀座通りです。
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旧式のトウモロコシ焼き器を見つけました。
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かつての常盤座の周囲には高層建築が見えます。現在は、金物工具の卸売市場として使われていますが、過去の栄華を思うと、なんだかガッカリですね。
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これはかつての心斎橋通り。日本時代はにぎわった目抜き通りも、ひたすら老朽化しています。
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路地に入ってみると、すでに住人はほとんどいないようです。再開発の日も近いのでしょうか。
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なんだか無残な光景という気がしてきます。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 14:06 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

「昭和モダン遺跡」と名付けたい【昭和のフォルム 大連◆連鎖街①】

大連駅前に “昭和”の時間がそのまま残されたエアポケットのような一画があります。
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そこはかつて「連鎖街」と呼ばれたまちです。

前回紹介した甘井子は都市近郊の住宅街ですが、「連鎖街」は昭和モダニズムがコンパクトに体現された都市空間といえます。周辺はすっかり高層ビル群に取り囲まれているにもかかわらず、そこだけぽっかり3階建てくらいの昭和の低層建築の一画が取り残されているのがとても不思議です。まるで『3丁目の夕日』に使われた映画セットのようでもあるのです。

駅前を東西に走る旧栄町通(現・長江路)の南側、駅から向かって右手の旧末広町通(現・青泥窪橋街)が交差する一画に、当時日本の地方都市にはどこにでもあったであろう駅前繁華街を形成する街並みがそのまま残っています。

当時の記憶をもとに書き起こされた地図によると、駅に面した角にジャパンツーリストビューロー(JTBの前身)のオフィスがあったようです。かつて日本全国および外地と呼ばれた中国大陸、朝鮮半島、台湾などの主要都市の駅前の一等地には、必ずジャパンツーリストビューローがあり、旅客を迎えていました。
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ほかにもバーやカフェ、洋品店、航空会社のオフィスなど、いかにもハイカラな店舗が並んでいたことがわかります。

以下、当時の写真資料を紹介します。資料の提供は大連世界旅行社の桶本悟さんです。

面白いのは、「連鎖街」の中心を東西に交差する目抜き通りの名が、日本の繁華街を代表する「銀座通り」(写真上)「心斎橋通り」(写真下)と呼ばれていたことです。
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「連鎖街」には常盤座という劇場もありました。戦前昭和のスターの多くは、大連に立ち寄った際、この舞台で活躍したそうです。
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また往年の映画スター、三船敏郎の生家として知られる「スター写真館」が入っていたビルもあります。三船敏郎は1920年青島生まれ。彼の父親は中国大陸で貿易商を営んでいた人物ですが、25年に大連に移り住み、写真館を開業したそうです。
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それから、これは桶本悟さんに教えていただいた話ですが、テレビドラマ『水戸黄門』シリーズで、1969~78年まで格さん(渥美格之進)役を演じた横内正さんの生家のビルも残っています。

「連鎖街」の南を走る旧常盤通り(現・中山路)は、路面電車も走る大連を代表する大通りでした。三越などの百貨店もありました。
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ぼくは初めて「連鎖街」周辺を歩いたとき、「昭和モダン遺跡」とでも名付けたい衝動に駆られたものです。そこには、確かに昭和の日本の地方都市の駅前から繁華街に至る空間と同質のものがあると身体で感じたからです。

次回は「連鎖街」の現在の姿を紹介します。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 12:16 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 06日

“昭和”がいちばん残る街【昭和のフォルム 大連◆甘井子】

大連は訪れるたびになんともいえない親しみを感じるまちです。

現在では再開発と高層ビル化が進み、かつてのすがすがしい北方の港町という風情は感じられなくなってしまいましたが、“昭和”のフォルムを探してこっそり街を歩くのは楽しいひとときです。

なかでも大連市中心部から大連湾をはさんだ北側にある甘井子は、市内でもいちばん“昭和”の街並みが残されているまちかもしれません。

甘井子は都市近郊の住宅地です。いまでも当時の交番や消防署、病院、学校、そして満鉄の社宅などが、老朽化しながらもなんとか残っています。長い年月による庭木の成長で緑に覆い尽くされた満鉄の一戸建て社宅が並ぶ路地を歩いていると、自分の幼少期である昭和40年代にわずかに残っていた街のおぼろげな記憶が呼び起され、しんみりしてしまいます。

写真は2012年7月上旬、甘井子を訪ねたときのものです。あいにく雨天でしたが、それもまた悪くなかったです。撮影は佐藤憲一カメラマン。現地を案内してくれたのは、大連世界旅行社の桶本悟さんです。

旧甘井子消防署
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旧甘井子交番
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旧甘井子水道局
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旧甘井子博愛病院
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甘井子の東の外れには、石炭積み出し埠頭がありました。いまも埠頭はあります。
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さて、以下は旧満鉄の社宅など、当時の住居です。最初は一戸建てで2階建ての社宅です。
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旧甘井子満鉄独身寮(撮影は桶本悟さん)
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旧甘井子満洲化学工場社宅(撮影は桶本悟さん)
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甘井子満洲化学工場の敷地内には神社もありました。いまは児童館のような使われ方をしていました。
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旧甘井子小学校
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以下、一戸建ての社宅です。
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集団住宅です。かなり老朽化しています。
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住人はすでにいなくなってしまったのか、開け放たれた戸の中をこっそり覗いてみました。
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階段に寝そべった猫がこちらを見ていました。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-06 22:55 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 06月 26日

中国のニュータウン建設に強い違和感あり(中朝国境の街「丹東新区」にて)

中国のニュータウン建設地を訪ねると、いつも強い違和感と軽いめまいに襲われます。
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もう5年以上前、日経ビジネスNBOnlineで連載した「上海不動産ミステリー」で、上海郊外に造られた英国タウンハウス風分譲地や、杭州のパリを丸ごと模倣したテーマパークのようなキッチュな新興住宅地を訪ねたころから、その印象は変わっていません。
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そこまで荒唐無稽ではありませんが、中朝国境に現在建設中のニュータウン「丹東新区」にも、同じような印象があります。
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毎年訪れるたび、マンション建設は少しずつ進んでいます。しかし、そこに人が住む気配は見られません。それはそうでしょう。周辺には体育館や遊園地の観覧車といった遊興娯楽施設、新空港ビルは早々とできていますが、人の暮らしに直接かかわるスーパーや病院、学校はまだありません。人が住んでいないからそれで構わないのでしょうが、そもそも優先順位がおかしいのではないか? 
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丹東の市政府の立派な庁舎はすでに建設され、公務員は丹東市内から毎日車で通勤しているそうです。でも、本当にこのニュータウンに人が住まう日が来るのか? 根本的な疑問が頭をよぎってしまいます。
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さらにいうと、都市計画では、新区の西側に工業産業園区が予定されています。韓国やシンガポール、日本、台湾から工場誘致を図る予定でした。誘致は進んでいるのでしょうか? ここは北朝鮮と国境を接する玄関口の街です。当然リスクもあります。以下は2011年当時の計画図です。
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新区の一角に、日本風の温浴施設「江戸城」の建設が進んでいます。それは単なる遊興施設ではなく、マンションも併設したかなり大規模な複合開発案件です。
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「江戸城」のマンション分譲を扱う不動産サイトhttp://ddfw.cn/によると、来年9月末には入居可能だそうで、価格は以下のとおりです。
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楼盘价格:最低价4700元/平方米(※1㎡4700元(約7万円)は北京に比べれば相当安い)
入住时间:2014年9月30日
物 业 费:暂无资料
售楼地址:绿江华府A座101室
开 发 商:丹东江户置业有限公司
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このプロジェクトは、もともと日本からの投資案件だったといいます。ところが、丹東に住む知人によると、その日本の投資家は単なるブローカーで、すでに地元の業者に売却してしまったそうです。

実は丹東市内に近い月亮島という中州の上に、1990年代にある在日中国人が投資したリゾートホテルの廃墟があります。ホテル運営にすぐに失敗し、早々と地元の関係者に売却されてしまったそうですが、「江戸城」を開発途中で売却(売り抜け)したのは、いったい何者なのか? 

所詮よその国の話といえばそれまでなのですが、これまで述べたような光景に強い違和感をおぼえるのは、ぼくが1970年代の首都圏のニュータウンで少年期を過ごした人間だからだろうと思います。

造成地に囲まれ一見殺伐とした歴史も伝統もないニュータウンの生活。引越しした当初は通学路さえ舗装されておらず、雨の翌日はひどいぬか道でした。それでも、自分の成長とともに日々街は整備され、生活が便利になっていく……。今も当時の同級生に会うことがありますが、そこは自分の育ったまちだという思いがあります。

規模でいえば、臨海副都心よりずっと大規模な丹東新区。たとえ、オリンピックが誘致できたとしても、日本ではこんな巨大な開発案件はもうないでしょう。それなのに……。

明らかに、中国経済が2000年代に見せた発展のスピードはすでに失われています。地元の知人によると、「丹東新区が完成するには、まだ5~6年はかかりそう」とのことです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-26 17:57 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 06月 14日

長白山(白頭山)が中韓対立の舞台となっている理由(「東北工程」とは何か)

本ブログでは、これまで何度か中国吉林省の長白山の観光開発が進んでいることを報告しました。

※「いま中国で人気の山岳リゾート、長白山」http://inbound.exblog.jp/20458097/
※「長白山(白頭山)は5つ星クラスの高原リゾート開発でにぎわっています」http://inbound.exblog.jp/20386508/
※「フラワートレッキングに行くなら高山植物の宝庫、長白山(白頭山)へ」http://inbound.exblog.jp/20202609/

10年前には何もなかった美しい山麓にたくさんのリゾートホテルが建設され、空港ができたことでアクセスも飛躍的に良くなりました。中国のレジャーブームも後押しし、国内外のトレッキング客も増えています。それ自体はすばらしいことなのでしょうが、手放しで歓迎できない側面があります。

長白山(白頭山)が中韓「歴史」対立の舞台となってしまっているからです。

背景には、中国の独善的な「歴史」認識の既成事実化を推進するうえで政治的バックボーンとなっている、悪名高い「東北工程」があります。

朝日新聞2007年11月14日に「白頭山 中韓揺らす」と題された記事が掲載されています。
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「中朝国境にそびえる名峰、白頭山(中国名:長白山)の観光開発を中国が進めていることに対し、韓国が強く反発している。白頭山は朝鮮民族にとっての『聖地』。北朝鮮問題での対応では近い位置にある中韓だが、対立の背景には古代国家・高句麗をめぐる歴史問題も複雑に絡む」

2005年8月、吉林省政府は「長白山保護管理委員会」(以下、管理委員会)を立ち上げました。西坂を中心に大規模リゾート開発を進め、それまで主に長白山観光のベースだった延辺朝鮮族自治州の関与を制限し始めたのです。長白山の「中国」化を徹底させ、観光利権の独占化を図りたかったからでしょう。

前述の朝日の記事に、以下のような記述があります。

「長白山を世界自然遺産として登録を目指す動きも活発だ。当局は『環境整備のため』との理由で、韓国人らが経営する中国側登山口周辺の宿泊施設や飲食店に、立ち退きを求める通達を出し、10月には一部で撤去作業が始まった」

これを物語る出来事として、在日朝鮮人の事業家が北坂の長白瀑布の近くに建てた「長白山国際観光ホテル」の経営権を管理委員会によって取り上げられた一件があります。同ホテルは、1998年に中日合資で開発されたもので、源泉から引いた温泉やサウナもあり、長白山で登山を楽しむには最適の宿泊施設でした。北朝鮮から服務員を招聘し、サービスを提供していたこともあります。ぼくも2度ほど宿泊させてもらいました。しかし、2008年頃より、管理委員会から施設の買い上げを迫られ、2012年には完全に閉鎖されてしまったのです。
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華やかな山岳リゾート誕生の陰で、中国の「歴史」認識の既成事実化のための工作が進められているのです。

ところで、ここで問題となっている「東北工程」とは、2002年2月から07年1月までの5ヵ年にわたって、中国社会科学院の中国辺疆史地域研究センターを中心に推進された「東北辺疆歴史与現状系列研究工程(東北工程)」という研究プロジェクトを指します。

その内容が、中国政府の掲げる「統一的多民族国家論」の立場から、現在の東北三省で勃興したすべての部族・民族の歴史を中国内の一地方政権の歴史として中国史に編入しようとしたところに批判が集中しているのです。

多民族国家である中国にとって、朝鮮半島とは地続きの東北地方で民族紛争の火種を未然に消し去り、地域の安定化を図りたい事情があることはわかります。そのために、この地域の「中国」化を推し進めようと考えているわけですが、その乱暴なやり方が他の少数民族居住エリアと同様に、波紋を広げてしまっているのです。

何より、政治が歴史を弄ぶにもほどがあります。この地域は古来さまざまな多民族の集住地であり、現代の特定の国家がその歴史を今日の事情で都合よく「解釈」しようとしても無理があります。

結果的に、それは周辺国家の警戒を生み、逆効果をもたらしてしまっています。

韓国や北朝鮮がこれに反発するのは、古代国家・高句麗や渤海を「中国辺境少数民族の地方政権」として縮小し、中国史の一部に属すると決めつけることに、中国のナショナリズムの横暴な反映をみてとるからです。

2000年代半ばに韓国で多数制作された歴史ドラマ(『朱蒙』『太王四神記』『大祚栄』など)は、中国の「東北工程」に対する韓国側のナショナリズムの対抗表現だといわれています。中国が国ぐるみで押し付けてくる北東アジアの「歴史」認識に対抗するプロパガンダの必要が韓国にはあったというのです。

もっとも、ある研究によると、高句麗の最盛期にあたる好太王(主演はぺ・ヨンジュン)を主人公としたドラマ『太王四神記』には、日本統治時代に朝鮮半島で創出された「大朝鮮主義史観」が描かれていると指摘されています。ここでいう「大朝鮮主義史観」とは、一般に日本の皇国史観に影響された朝鮮民族の起源としての檀君神話をあたかも史実であるかのように唱導することです。

「現代の中国ナショナリズムに対抗するために制作された韓国の高句麗ドラマの民族主義的なモチーフは、植民地時代に日本帝国主義に対抗するために創出された近代的な言説である」。その「『大朝鮮主義史観』が、現代の中国ナショナリズムに対する対抗言説として召還され、東アジア全域を流通するグローバルな『韓流』コンテンツの中に甦っている」というわけです(『韓流百年の日本語文学』木村一信、チェ・ゼチョル編 人文書院 2009 より)。

だとすれば、中韓どちらも似た者同士、ということなのかもしれませんけれど、「長白山周辺からハングル表記を減らしている」(前述の朝日記事より)という中国のやり口は大人げありませんね。

ぼくの知る限り、以前は英語と中国語、ハングルの三か国語表記が基本だった現地の観光案内からハングルだけがはずされてしまいました。そんな了見の狭いことでは、世界遺産なんて望むべくもないと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-14 16:11 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)