ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:日本人が知らない21世紀の満洲( 77 )


2013年 06月 26日

中国のニュータウン建設に強い違和感あり(中朝国境の街「丹東新区」にて)

中国のニュータウン建設地を訪ねると、いつも強い違和感と軽いめまいに襲われます。
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もう5年以上前、日経ビジネスNBOnlineで連載した「上海不動産ミステリー」で、上海郊外に造られた英国タウンハウス風分譲地や、杭州のパリを丸ごと模倣したテーマパークのようなキッチュな新興住宅地を訪ねたころから、その印象は変わっていません。
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そこまで荒唐無稽ではありませんが、中朝国境に現在建設中のニュータウン「丹東新区」にも、同じような印象があります。
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毎年訪れるたび、マンション建設は少しずつ進んでいます。しかし、そこに人が住む気配は見られません。それはそうでしょう。周辺には体育館や遊園地の観覧車といった遊興娯楽施設、新空港ビルは早々とできていますが、人の暮らしに直接かかわるスーパーや病院、学校はまだありません。人が住んでいないからそれで構わないのでしょうが、そもそも優先順位がおかしいのではないか? 
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丹東の市政府の立派な庁舎はすでに建設され、公務員は丹東市内から毎日車で通勤しているそうです。でも、本当にこのニュータウンに人が住まう日が来るのか? 根本的な疑問が頭をよぎってしまいます。
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さらにいうと、都市計画では、新区の西側に工業産業園区が予定されています。韓国やシンガポール、日本、台湾から工場誘致を図る予定でした。誘致は進んでいるのでしょうか? ここは北朝鮮と国境を接する玄関口の街です。当然リスクもあります。以下は2011年当時の計画図です。
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新区の一角に、日本風の温浴施設「江戸城」の建設が進んでいます。それは単なる遊興施設ではなく、マンションも併設したかなり大規模な複合開発案件です。
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「江戸城」のマンション分譲を扱う不動産サイトhttp://ddfw.cn/によると、来年9月末には入居可能だそうで、価格は以下のとおりです。
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楼盘价格:最低价4700元/平方米(※1㎡4700元(約7万円)は北京に比べれば相当安い)
入住时间:2014年9月30日
物 业 费:暂无资料
售楼地址:绿江华府A座101室
开 发 商:丹东江户置业有限公司
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このプロジェクトは、もともと日本からの投資案件だったといいます。ところが、丹東に住む知人によると、その日本の投資家は単なるブローカーで、すでに地元の業者に売却してしまったそうです。

実は丹東市内に近い月亮島という中州の上に、1990年代にある在日中国人が投資したリゾートホテルの廃墟があります。ホテル運営にすぐに失敗し、早々と地元の関係者に売却されてしまったそうですが、「江戸城」を開発途中で売却(売り抜け)したのは、いったい何者なのか? 

所詮よその国の話といえばそれまでなのですが、これまで述べたような光景に強い違和感をおぼえるのは、ぼくが1970年代の首都圏のニュータウンで少年期を過ごした人間だからだろうと思います。

造成地に囲まれ一見殺伐とした歴史も伝統もないニュータウンの生活。引越しした当初は通学路さえ舗装されておらず、雨の翌日はひどいぬか道でした。それでも、自分の成長とともに日々街は整備され、生活が便利になっていく……。今も当時の同級生に会うことがありますが、そこは自分の育ったまちだという思いがあります。

規模でいえば、臨海副都心よりずっと大規模な丹東新区。たとえ、オリンピックが誘致できたとしても、日本ではこんな巨大な開発案件はもうないでしょう。それなのに……。

明らかに、中国経済が2000年代に見せた発展のスピードはすでに失われています。地元の知人によると、「丹東新区が完成するには、まだ5~6年はかかりそう」とのことです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-26 17:57 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 14日

長白山(白頭山)が中韓対立の舞台となっている理由(「東北工程」とは何か)

本ブログでは、これまで何度か中国吉林省の長白山の観光開発が進んでいることを報告しました。

※「いま中国で人気の山岳リゾート、長白山」http://inbound.exblog.jp/20458097/
※「長白山(白頭山)は5つ星クラスの高原リゾート開発でにぎわっています」http://inbound.exblog.jp/20386508/
※「フラワートレッキングに行くなら高山植物の宝庫、長白山(白頭山)へ」http://inbound.exblog.jp/20202609/

10年前には何もなかった美しい山麓にたくさんのリゾートホテルが建設され、空港ができたことでアクセスも飛躍的に良くなりました。中国のレジャーブームも後押しし、国内外のトレッキング客も増えています。それ自体はすばらしいことなのでしょうが、手放しで歓迎できない側面があります。

長白山(白頭山)が中韓「歴史」対立の舞台となってしまっているからです。

背景には、中国の独善的な「歴史」認識の既成事実化を推進するうえで政治的バックボーンとなっている、悪名高い「東北工程」があります。

朝日新聞2007年11月14日に「白頭山 中韓揺らす」と題された記事が掲載されています。
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「中朝国境にそびえる名峰、白頭山(中国名:長白山)の観光開発を中国が進めていることに対し、韓国が強く反発している。白頭山は朝鮮民族にとっての『聖地』。北朝鮮問題での対応では近い位置にある中韓だが、対立の背景には古代国家・高句麗をめぐる歴史問題も複雑に絡む」

2005年8月、吉林省政府は「長白山保護管理委員会」(以下、管理委員会)を立ち上げました。西坂を中心に大規模リゾート開発を進め、それまで主に長白山観光のベースだった延辺朝鮮族自治州の関与を制限し始めたのです。長白山の「中国」化を徹底させ、観光利権の独占化を図りたかったからでしょう。

前述の朝日の記事に、以下のような記述があります。

「長白山を世界自然遺産として登録を目指す動きも活発だ。当局は『環境整備のため』との理由で、韓国人らが経営する中国側登山口周辺の宿泊施設や飲食店に、立ち退きを求める通達を出し、10月には一部で撤去作業が始まった」

これを物語る出来事として、在日朝鮮人の事業家が北坂の長白瀑布の近くに建てた「長白山国際観光ホテル」の経営権を管理委員会によって取り上げられた一件があります。同ホテルは、1998年に中日合資で開発されたもので、源泉から引いた温泉やサウナもあり、長白山で登山を楽しむには最適の宿泊施設でした。北朝鮮から服務員を招聘し、サービスを提供していたこともあります。ぼくも2度ほど宿泊させてもらいました。しかし、2008年頃より、管理委員会から施設の買い上げを迫られ、2012年には完全に閉鎖されてしまったのです。
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華やかな山岳リゾート誕生の陰で、中国の「歴史」認識の既成事実化のための工作が進められているのです。

ところで、ここで問題となっている「東北工程」とは、2002年2月から07年1月までの5ヵ年にわたって、中国社会科学院の中国辺疆史地域研究センターを中心に推進された「東北辺疆歴史与現状系列研究工程(東北工程)」という研究プロジェクトを指します。

その内容が、中国政府の掲げる「統一的多民族国家論」の立場から、現在の東北三省で勃興したすべての部族・民族の歴史を中国内の一地方政権の歴史として中国史に編入しようとしたところに批判が集中しているのです。

多民族国家である中国にとって、朝鮮半島とは地続きの東北地方で民族紛争の火種を未然に消し去り、地域の安定化を図りたい事情があることはわかります。そのために、この地域の「中国」化を推し進めようと考えているわけですが、その乱暴なやり方が他の少数民族居住エリアと同様に、波紋を広げてしまっているのです。

何より、政治が歴史を弄ぶにもほどがあります。この地域は古来さまざまな多民族の集住地であり、現代の特定の国家がその歴史を今日の事情で都合よく「解釈」しようとしても無理があります。

結果的に、それは周辺国家の警戒を生み、逆効果をもたらしてしまっています。

韓国や北朝鮮がこれに反発するのは、古代国家・高句麗や渤海を「中国辺境少数民族の地方政権」として縮小し、中国史の一部に属すると決めつけることに、中国のナショナリズムの横暴な反映をみてとるからです。

2000年代半ばに韓国で多数制作された歴史ドラマ(『朱蒙』『太王四神記』『大祚栄』など)は、中国の「東北工程」に対する韓国側のナショナリズムの対抗表現だといわれています。中国が国ぐるみで押し付けてくる北東アジアの「歴史」認識に対抗するプロパガンダの必要が韓国にはあったというのです。

もっとも、ある研究によると、高句麗の最盛期にあたる好太王(主演はぺ・ヨンジュン)を主人公としたドラマ『太王四神記』には、日本統治時代に朝鮮半島で創出された「大朝鮮主義史観」が描かれていると指摘されています。ここでいう「大朝鮮主義史観」とは、一般に日本の皇国史観に影響された朝鮮民族の起源としての檀君神話をあたかも史実であるかのように唱導することです。

「現代の中国ナショナリズムに対抗するために制作された韓国の高句麗ドラマの民族主義的なモチーフは、植民地時代に日本帝国主義に対抗するために創出された近代的な言説である」。その「『大朝鮮主義史観』が、現代の中国ナショナリズムに対する対抗言説として召還され、東アジア全域を流通するグローバルな『韓流』コンテンツの中に甦っている」というわけです(『韓流百年の日本語文学』木村一信、チェ・ゼチョル編 人文書院 2009 より)。

だとすれば、中韓どちらも似た者同士、ということなのかもしれませんけれど、「長白山周辺からハングル表記を減らしている」(前述の朝日記事より)という中国のやり口は大人げありませんね。

ぼくの知る限り、以前は英語と中国語、ハングルの三か国語表記が基本だった現地の観光案内からハングルだけがはずされてしまいました。そんな了見の狭いことでは、世界遺産なんて望むべくもないと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-14 16:11 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 11日

まるで宮崎アニメみたい!? 伝説の特急「あじあ」の運転席を激写!

この写真は何だと思いますか? 

満鉄の伝説の特急「あじあ」の運転席を撮ったものです。
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まるで生き物のようにも見えます。現代の化石とでもいえばいいのか。ちょっと宮崎アニメの世界を連想させる質感があります。

これを撮ったのは、2006年9月のことです。当時わずかに残る「あじあ」の一車両が大連駅のはずれにある車両倉庫に収められていました。地元のつてを使って倉庫の関係者に小遣いを渡して、内緒で見せてもらったのです。

ぼくは鉄道マニアではないので、「あじあ」の偉大さについて言葉を尽くして語ることはできません。でも、案内人が仰々しく倉庫の扉を開けた瞬間、目の前に現れた「あじあ」の姿に、思わず息を呑んだことは確かです。

撮影は、佐藤憲一カメラマンです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-11 19:32 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 11日

まもなく100周年を迎える大連ヤマトホテルの現在

大連のホテルといえば、満鉄経営の旧大連ヤマトホテル(現大連賓館)のことを触れないわけにはいきません。このホテルの竣工は1914(大正3)年。まもなく100周年を迎えます。清水組(現清水建設)が手掛けた、いわゆるルネサンス様式の豪奢な建築。“昭和”を醸し出す大衆的でモダンなフォルムとは違いますが、独特の存在感があります。
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実は、中山広場のロータリーに面した現在の建物は3代目にあたります。初代は1907(明治40)年にロシア東清鉄道のビルを借用したもの。2代目が09年に旧ロシア市役所を別館として開業したものです。
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何度も改装されているので、当時の面影をどこまで残しているか疑問ですが、ホテルの概観の猛々しい威容や玄関ロビーの華やいだ雰囲気は、明治末期から大正にかけて、大陸に足場を築いたばかりの日本が最初に建てた迎賓館として精一杯見かけを繕おうとした時代の記憶という意味で、特別の希少価値があるといえるでしょう。

以下、ロビーの写真を見ていきましょう。
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階段を上って客室のフロアに向かいます。
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デラックスルームの客室はこんな感じです。
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窓から中山広場が見えます。
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現在の中山広場のロータリー周辺には高層ビルも建ち並んでいます。
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ロータリーを上から眺めてみました。こういう整然とした景観は、中国でもおそらく大連でしか見られないでしょう。
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最後にどうでもいい話ですが、ぼくが最初に大連賓館に泊まったのは、1980年代の半ばで大学生のときでした。祖母から「大連にはヤマトホテルがあるから、そこに泊まればいい」とだけ聞かされていたので、予約もなしにホテルを訪ねて、チェックインしたことを思い出します。客室はいまのように改装されていませんでしたが、クラシックな大宴会場は見事で、とても印象に残っています。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-11 18:56 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 11日

戦前の旅行ガイドにも載っていたシティホテルの今【昭和のフォルム 大連◆ホテル】

“昭和”のフォルムを愛で歩く喜びを満喫させてくれる物件の一ジャンルとして、当時のホテルは欠かせません。

戦前の大連は大陸の玄関口でしたから、当時市内にはたくさんのシティホテルがありました。そのうち、いくつかは現存しています。
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なかでも最近まで大連飯店として営業していた旧遼東ホテルは1930年竣工のモダンなホテルでした。ぼくも一度宿泊したことがあります。客室をはじめ館内の施設は確かに老朽化していましたが、大連市内にいくつもできた外資系ホテルと比べても、なんともいえない重厚さと風格があります。堅牢な建築なので簡単に取り壊しというわけにもいかないようで、現在は一階部分のみ商業施設のようなつまらない使われ方をしていますが、誰かリニューアルして大連を代表するクラシックホテルとして再生してくれないものでしょうか。
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昭和18年に発行された旅行ガイドブックの「東亜旅行叢書 満洲」(東亜旅行社刊 ※東亜旅行社は終戦末期にジャパントラベルビューローが名称を変更)によると、大連市内の「旅館」として、以下の名前があります。

・ヤマトホテル(播磨町。室料5円・二食付9円)
・遼東ホテル(大山通。室料8円)
・中央ビルホテル(西通。室料6円)
・亜細亜ホテル(信濃町。室料5円)
・天満屋ホテル(西通。室料5円)
・花屋ホテル(信濃町。室料4円~7円)
・東郷旅館(信濃町。室料二食付6円)
・大連ナニワホテル(伊勢町。室料2円半~5円)
・錦水ホテル(信濃町。室料4円~6円)
・南満ホテル(東郷町。室料4円~6円)
・東洋ホテル(伊勢町。室料4円~6円)
・鎮西旅館(信濃町。室料4円~6円)
・春田旅館(監部通。室料4円~6円)
・日本橋ホテル(大山通。室料4円~6円)
・東旅館(信濃町。室料二食付4円~6円)
・大連ホテル(敷島町。室料3円~5円)
・雲水ホテル(信濃町。室料3円~5円)
・常磐ホテル(西公園。室料二食付3円~5円)
・大満ホテル(大黒町。室料二食付3円~5円) 其他

このうち、大連ヤマトホテルや前述の遼東ホテル、亜細亜ホテル、錦水ホテルなどが現存しています。

旧亜細亜ホテルは現在、大連大学付属中山医院として使われていました。遼東ホテルと同様、通りに面したファサードのなめらかな曲線がいかにも時代を表しています。
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旧亜細亜ホテルの隣にあるのが旧錦水ホテルです。3階建ての洋館です。当時の室料からみると、かなり高級なホテルだったようです。
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前述のホテルリストをみると、日本時代の信濃町にホテルが多かったことがわかります。これは現在の長江路の大連駅から勝利橋(旧日本橋)までにあたり、駅から近いのと同時に、大連港からの一本道にあたることから、交通の便が最適だったからでしょう。先ほどの旧亜細亜ホテル、旧錦水ホテルと同じ並びにある旧いわきホテルの当時の広告には以下のように書かれていました。
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「大連駅ヨリ3丁。埠頭ヨリ15丁」「大連中心地ニ近ク交通至便」
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こういうこじんまりとしたシティホテルは、人口の多い中国では重宝がられないのかもしれませんが、ただの商業ビルとして使うのはもったいない気がします。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-11 17:50 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 09日

当時こんなにいろいろあった専門学校【昭和のフォルム 大連◆校舎④】

大連に現存する日本時代の校舎といえば、専門学校がいくつかあります。
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なかでも古いのは、南満洲工業専門学校(大連工業実務学校として1911年5月開校、22年に改組。日本時代は伏見町)です。現在は大連理工大学の一部として使用されています。
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大連市立実業学校(1921年開校。柳町にあったが、41年日出町に移転)は現在、大連の海軍学校です。日本のジャズドラマーの草分けとして有名な故ジョージ川口さんは同校出身だそうです。
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大連高等商業学校(1936年開校。日本時代は紅葉町)も現在、大連市36中学として残っています。
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満鉄社員になるための人材育成学校だった大連満鉄育成学校(日本時代は乃木町)は現在、大連市鉄道技工学校として使われています。
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なお、大連の現存する日本時代の校舎については、大連世界旅行社の桶本悟さんが実地調査を続けています。桶本さんの調査によると、現在未撮影ですが、他にも以下の学校が現存しています。

・大連第三中学校(1938年開校、日本時代は香月台)。現在は、大連の海軍大学校寮。中に入ることは難しく、撮影は困難です。
・大連経済専門学校。現在は大連教育学院。
・満鉄鉄道学院(旧満鉄本社内)
・静浦小学校(1935年開校、日本時代は静浦町)

その他、現存していない学校については、下記サイトを参照のこと。

大連世界旅行社
http://www.t-railway.com/
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by sanyo-kansatu | 2013-06-09 23:57 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 09日

自分の故郷が永遠に失われたという感覚【昭和のフォルム 大連◆校舎③】

1980年代半ばから90年代にかけて、大連をはじめ中国東北三省への“望郷”ツアーが数多く催行されました。ツアー客の大半は、日本統治時代に現地に住んでいた満洲に縁のある人たちでした。
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ぼくもその頃、現地で何度かツアー客を見かけたことがあります。世代的には、大正から昭和初期にかけて生まれた年代が中心です。当時同じ職場だった人たちとその家族のグループが多かったですが、意外にいたのが、同じ小学校の同窓生のグループでした。

これまで大連に現存する旧制中学や高等女学校の校舎を紹介してきましたが、今回は小学校編です。以下、開校時期の早い順に挙げていきます。

まず、沙河口小学校(1911年9月開校、日本時代は霞町)です。現在は大連市47中学です。沙河口には満鉄の工場があったため、そこで働く満鉄の社員や労働者の子弟が多く通っていたと思われます。教室の窓枠が大きく、現代にも通じるいかにも小学校の校舎らしいデザインです。
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伏見台小学校(1918開校、日本時代は博文町)は元大連第一中学校の隣にあります。大連市の中心に位置する名門校だったことは、現在中国でエリートに特化した教育を実践している大連市実験小学として使われていることからもうかがえます。当時の写真も残っています。
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春日小学校(1920年開校、日本時代は西公園町)の校舎は、屋根の上の小さな塔が特徴的です。現在、大連市24中学です。当時の写真にもふたつの塔が見えます。
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聖徳小学校(1927年4月開校、日本時代は聖徳町)は現在東北路小学です。玄関正面に蔦が覆い、歴史を感じさせる校舎です。
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日出小学校(1937年開校、日本時代は日出町)は現在、大連の海軍学校(当時は大連実業学校)の敷地内にあります。1930年代後半に建てられただけあって、かなり現代風の校舎です。
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先週水曜日、奉天会という満洲国時代の奉天(現在の瀋陽)に縁のある皆さんの連絡組織で事務局を務めている澤田武彦さんのお話を聞く機会がありました。昭和6年生まれの澤田さんは、当時の奉天の鉄西区という工業地帯にあった鉄西小学校出身でした。

澤田さんは1980年代後半から90年代半ばにかけて、3回瀋陽を訪ねています。その旅行は鉄西小学校の同窓生の皆さんと一緒だったそうです。

奉天会のホームページにこう書かれています。

「終戦後半世紀を経て、未だ尚奉天会が続いていて、且つ益々盛大になっている理由は何であろうか。

まず第一に、奉天は我々にとって忘れられない故郷であるということである。しかも二度と戻ってこない故郷である。壮年・青年時代を過ごし、そこで働き、学び色々な人生経験をした奉天。或いはもっと若い年代では、幼年期・小学校・中学校・女学校の思いでの日々を過ごした奉天。二度と戻らない故郷である故に、奉天に対する思いは強いのである。

第二には、世代交代が順次行われてきたことである。奉天時代に壮年期にあった方々が次第に老境に入り、或いは故人となって、会員数が減少傾向になった時、各中学校・女学校の同窓会のメンバーが大挙して奉天会に加入して来たこと。更に時を経て最近では、各小学校の同窓会のメンバーがまとまって加入してきた。又、親の意志を継いで、奉天在住時代は幼年期にあった人達で奉天会に参加してきた人達もいる。

第三に、奉天会に加入していない元奉天在住者が、日本全国にかなり存在するということである。平成10年に奉天会が「瀋陽友好親善訪問団」を結成して瀋陽市を訪問する企画を立案し、広く一般紙の朝日・読売・毎日新聞に広告を出したところ東北や九州を始め、日本各地から多数の参加者が出たのである。訪問団に参加した人々は全員奉天会に加入したが、このように奉天会の会員に成り得る潜在会員が全国各地に多数存在する」。

奉天会(日本瀋陽会) http://homepage3.nifty.com/jiangkou/Kiyoshi/shenyang/seiritu.html

澤田さんによると、これが書かれたのは2000年代の前半だそうで、現在は関係者もかなり高齢化しており、年1回の懇親会が主な活動だそうです。

これを読んであらためて考えるのは、奉天会の皆さんにとって「(奉天は)二度と戻ってこない故郷」であるという認識についてです。自分の故郷が永遠に失われたという感覚とはどのようなものなのか。

ぼくにはその感覚はよくわかりません。ただ想像するに、いまではその地を実際に訪ねてみることはできても、もうそこは自分の国ではない。そこにあるのに、自分のものとはいえないという宙ぶらりんな感じ。一般に故郷とは自分が少年時代を過ごした場所として認識されることが多いと思います。その場所を無邪気に語ることがためらわれるような長い時間の経過と空虚感。せめてそれを埋めるには、同じ時代に同じ場所で過ごした同窓生の存在が大切に思えてくるのではないでしょうか。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-09 21:39 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(2)
2013年 06月 08日

大連の女学校の最後の同窓会が開かれたそうです【昭和のフォルム 大連◆校舎②】

2013年6月1日の朝日新聞に「大連弥生高女、最後の同窓会」という記事が載っていました。
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「中国東北部の大連で1919(大正8)年に創立され、戦後すぐに閉鎖された大連弥生高等女学校。日本に引き揚げてからも60年以上続いていた同窓会が解散することになった。3千人いた会員は約10分の1に減り、平均年齢は88歳。青春を分かち合った女学生たちの最後の集いが4日、都内で開かれる」

実は、大連弥生高等女学校の校舎は、もう大連には残っていません。それでも、大連世界旅行社の桶本悟さんの調査によると、以下の3つの女学校の校舎はまだ現存しています。

冒頭の写真が、昭和高等女学校(1923年開校、日本時代は桔梗町)です。現在は、雑居ビルとして使われていますが、実に装飾的な建物です。
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校舎のファサードはにぎやかで、シルエットもかわいらしいですし、細部のデザインも遊び心に富んでいます。当時流行った丸窓をはじめ、機能よりもリズム感を重視したと思われる窓の並びが人の目を楽しませてくれます。
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当時の写真も残っています。
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羽衣高等女学校(1927年開校、日本時代は伏見町)は現在、大連理工大学の一部として使われています。
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当時の写真と比べると、玄関部分など、改築が施されているようです。
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大同女子技芸学院(日本時代は紀伊町)は旧満鉄本社の向かいにありました。ただし、校舎の建物はかなり老朽化しており、現在は倉庫として使用されていますが、再開発の対象となるのは時間の問題と思われます。
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この建物は、当時満蒙文化会館としても使われていたようです。
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ところで、前述の朝日の記事によると、大連弥生高等女学校OGの同窓会は、6月4日東京の神宮外苑にある明治記念館で開かれたそうです。

記事の中では、学校が閉鎖された昭和21年、最後の卒業生となったひとりのOGは、日中国交回復後、2度ほど大連を訪ねたものの、高層ビルが立ち並ぶ光景を見ながら「私の来るところじゃないのかな」と思い、当時の大連の記憶は心にしまうことにしたそうです。

現在の大連の姿を、郷愁を通して見ようとすれば、そういう心情になるもの無理はないと思います。

大連で“昭和”のフォルムを探しに歩くなんてことは、あとの時代に生まれてきた郷愁とは無縁の世代だからこそ、楽しめるものなのかもしれません。前回、「これが母校だったら、懐かしさもひとしおだろう」と書きましたが、当時を生きた人たちの心中は、そんなに無邪気な話ばかりじゃなかったろうとあらためて思った次第です。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-08 15:48 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 06日

これが母校だったら、懐かしさもひとしおだろう【昭和のフォルム 大連◆校舎①】

“昭和”のフォルムの宝庫といえる中国東北三省。なかでも品のいい建物がいくつも残っているのが大連です。
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ぼくが大連を初めて訪ねたのは1986年の夏です。当時の大連の街並みは、新中国の建国後に明け暮れた政治闘争の時代を経てとてつもなく疲弊し、かつて豊かだったはずの色彩も消え、埃を被っていましたが、海風の肌に優しい港町だと思ったものです。ここだけには、他の中国の都市にはない清涼感がありました。

その後、中国経済の発展とともに大連にも高層ビルが林立し、どこにでもあるような、落ち着きのない街並みに変わってしまうのですが、2010年代のいまでも街を歩いてみると、そこかしこに“昭和”のフォルムが見つかります。

特に当時の旧制中学の校舎は、モダンでスタイリッシュです。

大連を代表する旧制中学が大連第一中学校。1918年開校で、日本時代は博文町にありました。現在、大連理工大学の校舎の一部として使われています。
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近くで見ると、雑に塗り分けられたペイントによって年代の重みが消されてしまっているのが興ざめという気もしますが、シルエットは悪くありません。
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校舎の裏を覗いてみたら、蔦がレンガの壁を覆い、年代を感じさせます。むしろ手つかずにされていた空間のほうがグッとくるものです。
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大連市重要保護建築に指定されています。
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周辺を高層ビルに取り囲まれているのが現在の姿です。
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日本時代の写真はこれです。
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大連第二中学校は1924年開校。日本時代は水仙町にありました。現在の建物は1996年に改築され、当時の面影はないので残念です。現在は春天大厦という商業ビルです。
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以上は官立学校ですが、公立の大連市立大連中学校(1934年開校、日本時代は下藤町)は、外観のデザインが斬新です。現在、大連軍人倶楽部として使われています。
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建物の中にこっそり入ってみると、いかにも“昭和”の雰囲気。うっとりしてしまいます。当時の写真も、断然イカしています。
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20世紀後半の日本に建てられた我らの時代の校舎はいかにも画一的。新設校の校舎なんてもういけません。それに比べ、この時代に建てられた校舎には味わい深さがある。これが自分の母校だったら、懐かしさもひとしおだろうと思ってしまいます。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-06 13:29 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 03日

丹東で“昭和”のフォルムを探して

中国東北三省を訪ねると、つい“昭和”のフォルムを探したくなります。
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昭和の時代に造られた建築物のやわらかいフォルムが単純に好きなのです。日本の地方都市にもあの時代の建物がときどき残っていて、それを見つけると、つい写真に撮っておきたくなる。それと基本同じです。

そういう“昭和”のフォルムが、20世紀前半に日本の大陸進出の結果、とりわけ中国東北三省に多く残されているという事実は、戦後の高度経済成長期に生まれた自分のような日本人にとって、奇妙な感覚があります。日本では幼少期までわずかに街に残っていた好ましいフォルムが一斉に消えてなくなっていく過程を目の当たりにしながら成長してきたところ、大人になって中国を訪ねてみたら、それがたくさん残っていることを知ったからです。それは小躍りしたくなるのを抑えられないような心持でした。ちょうど1980年代の半ば頃のことです。

しかし、いまや中国も高度経済成長のまっただ中にあります。かつての日本と同じように、あの魅力的なフォルムが次々に壊されていく様を、ぼくもこの20数年間見つめてきました。結局、同じことが起こるのだなと残念に思いながら。

だから、せめて中国で自分の好きなフォルムを見つけたら、写真に押さえておこう。これは一種の反射神経みたいなものです。

以下は2012年7月に中国遼寧省丹東を訪ねたとき、朝早く起きて駅前の宿泊ホテルの近所を1時間ばかり散策したときに撮ったものです。撮影は、ぼくの相棒、佐藤憲一カメラマンです。
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最初は、かつて安東大和小学校だった建物です。現在は遼東賓館というホテルです。丹東駅の北側の九緯路にあります。戦前の学校の校舎というのは、現代のものに比べて風格がありますね。教室だった部屋が客室に使われていると思うと、面白いです。
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昔の大和小学校の絵葉書も残っています。
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遼東賓館の前の九緯路は、街路樹が見事に育ち、涼しげです。吉林省延辺朝鮮族自治州の龍井もそうでしたが、東北三省の省都の中心部にはもうほとんどなくなってしまった街路樹が、地方都市に行くと、こうして今も残っていて、見るとホッとします。
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次は、安東郵便局で、現在は丹東郵政局と呼ばれています。七経街(当時は大和橋通)にあります。
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がっしりとした堅牢な建築で、絵葉書が撮られた頃に比べると、かなり増築しているようです。瀋陽駅前にも同じような当時の郵便局が残っています。
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冒頭の写真は、安東高等女学校です。現在は、丹東第六中学校で、錦山大街にあります。建築スタイルは、大連に残っている同時代の学校にもよく似ています。もっといえば、東京の都心に残っている昭和初期に建てられた小学校(廃坑寸前の学校も多いようです)のいくつかとも似ています。同時代の建築であるため、当然のことなのでしょうけれど。
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丹東の日本時代の建築については、大連世界旅行社の桶本悟さんが実地調査を続けておられ、いつもぼくは情報提供してもらっています。同社のHPにも、詳しく紹介されているので、ご参照ください。

大連世界旅行社
http://www.t-railway.com/

また、地元丹東の人らしき方が日本時代の絵葉書を集めてネットに公開していました。歴史といえば、「政治」と結びつけて語ることしかできない輩も中国には多いですが、理性的かつ素朴な好奇心から、学校で教えてくれた「歴史」とは異なる地元の昔の姿に関心を持つ人たちもいるのだろうと思います。

丹东人必顶:老安东图片
http://dx1.gogoqq.com/aspx/138705522/journalcontent/1319356440.aspx
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by sanyo-kansatu | 2013-06-03 20:10 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)