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2016年 06月 20日

中国独立映画の世界を知ると、心からリスペクトの感情がわきあがる

2年に1度、東京で開催される中国インディペンデント映画祭で上映される独立映画の世界を、朝日新聞の平賀拓哉記者が今日の朝刊で紹介しています。

中国インディペンデント映画祭2015
http://cifft.net/

「リアル」描く独立電影 検閲通さず制作、中国で圧力も(朝日新聞2016年6月20日)
http://www.asahi.com/articles/ASJ6B55TLJ6BUHBI01K.html

中国の映画界に、自由な表現を求めて政府の検閲を通さずに制作される「独立電影(映画)」と呼ばれるジャンルがある。中国社会の現実を鋭く描いた作品も多く、国内各地で専門の映画祭も開かれていたが、当局は中止に追い込むなど警戒を強めている。

4月9日、北京市郊外の非営利団体「栗憲庭電影基金」のホールに20人ほどが集まった。上映されたのは、中国で1957年に始まった知識人弾圧「反右派闘争」をテーマにした「癡(チー)」。右派と認定されて20年以上も矯正施設に収容された男性へのインタビューと、証言に基づく再現ドラマで構成されている。

共産党との内戦で敗れた国民党の幹部だった父親がいたことで当局にマークされ、ささいな言動がもとで逮捕されて妻子と生き別れに……。男性のそんな悲劇を描いたのは四川省出身の邱炯炯監督(39)。男性に関する書物を読んで衝撃を受け、撮影を決めた。邱監督は「同じことを繰り返さないよう、実際に起こったことを伝えたかった」と話す。

作品はスイスのロカルノ国際映画祭など外国でも上映されたが、中国では公開できない。映画産業を管理する国家新聞出版広電総局の検閲を受けていないためだ。

中国では検閲を通さず、小規模の人員と予算でつくられる作品は「独立映画」と呼ばれる。明確な定義はないが、映画関係者の間では「政府の統制を受けないリベラルな作品」というニュアンスで使われる。

かつて中国の映画は国営の撮影所で制作され、政府の宣伝色が強い作品も多かった。90年代ごろから作品を自主制作し、外国で発表する監督が現れた。2000年代に入ると、デジタルビデオカメラの普及などで制作が容易になり、多くの若手監督が取り組むようになった。

貧困や一人っ子政策、同性愛といった社会問題、反右派闘争や文化大革命などの現代史。独立映画には政治的に敏感なテーマを扱った作品が少なくない。中国社会をリアルに描いているとして外国で高い評価を受けることもあるが、中国の一般市民にはほとんど知られていない。

それでも00年ごろから、外国で発表された独立映画が逆輸入される形で中国内に持ち込まれ、小規模な自主上映会などを通じて知識人や芸術関係者の間で広まった。北京や江蘇省南京などでは500~1千人規模の映画祭も開かれるようになった。

独立映画の制作を支援する団体も現れた。「癡」の上映会を開いた栗憲庭電影基金は、芸術評論家の栗憲庭氏が寄付を集めて06年に設立。映像資料の収集なども行っている。

■当局が干渉、映画祭中止も
政府当局は近年、独立映画に対する干渉を強めている。栗憲庭電影基金は14年8月、それまで毎年開催してきた大規模な映画祭「北京独立映像展」の中止を余儀なくされた。

その年の映画祭初日、会場の周辺を警察官や「地元住民」という男たちが取り囲み、参加者の会場入りを阻んだ。当局は基金事務所を捜索し、約1500本の映画とパソコンをすべて押収。中心メンバーは深夜まで取り調べを受けた。

栗憲庭電影基金は昨年も地元当局の要請を受けて映画祭開催を断念した。基金関係者は「当局は作品の内容だけでなく、多くの人が集まることも警戒しているようだ」と話す。

江蘇省南京で03年から毎年秋に開かれていた映画祭「中国独立影像年度展」も、昨年は南京での開催を断念。会場を別の都市に移して規模を縮小した。関係者は「南京では1千人を超える観客が集まったが、地元政府が開催を喜んでいなかった」。映画関係者によると、雲南省昆明や重慶市でも大規模な映画祭が開催されなくなったという。

当局が締め付けを強める背景には、経済成長が減速し、官僚の腐敗や貧富の格差といった社会のひずみが顕在化するなか、独立映画を通じて体制批判が強まることへの懸念があるとみられる。ある映画関係者は「締め付けで、敏感なテーマを避けた作品も増えている」と明かす。

それでも、社会派の独立映画はなお生まれている。14年に栗憲庭電影基金の映画祭が中止に追い込まれた経緯も、「A Filmless Festival(映画のない映画祭)」というドキュメンタリーになり、インターネットの動画サイトで公開されている。ただし、中国国内では見ることができない。(北京=平賀拓哉)

実は、栗憲庭電影基金の映画祭が中止になる前年の2013年8月にぼくは当地を訪ねています。もうすでにこのときから当局による圧力や嫌がらせがあったようで、公開HPなども閉鎖し、北京郊外の宋庄にある栗憲庭電影基金の事務所の建物とその隣りの小さなスペースでひっそりと作品を上映していました。
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その前年の2012年の映画祭については、中国インディペンデント映画祭を主催している中山大樹さんが以下のレポートを書いています。

北京発/北京独立影像展の報告 text 中山大樹
http://webneo.org/archives/9854
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栗憲庭電影基金の事務所のある宋庄は、北京市内から東に向かって車で40分くらいの場所にある芸術区です。

中国インディペンデント映画関係者が集まる「宋庄」とは
http://inbound.exblog.jp/20165045/

それにしても、なぜ中国政府はこのような映画祭すら許すことができないのでしょう…。

彼らは反政府的な姿勢を持つ人たちではありません。むしろ、きわめて良識を持った人たちです。実は、この中庭の写真には、映画祭の主催者で、中国を代表する美術評論家の栗憲庭さんがちょこっと写っているのですが、この方など、世代的には紅衛兵と同世代で、中国にずっと住んでいたというのに、いつも発言は理性的かつ明晰。西側の知識人と言っていることは変わらず、すべてを見通しているかのようで、驚かされます。
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中国で開催できなくなった映画祭も、前述の中山大樹さんの尽力で、東京では開催され続けています。中国に特別関心のない人でも、あるいは反中国的な考えの持ち主であっても、彼らの考え方や作品を撮る姿勢を知れば、きちんと評価に値する人たちだと思うことでしょう。

ただし、現状では、当事者の彼らを不用意に表に出すことは、リスクにさらすことになりかねないこともあり、難しいところがあります。所詮、自分たちは日本という安全地帯にいることに気づかされます。

それでも、このような世界が中国にあることを初めて知ったとき、とても興奮したことを思い出します。その後、ひとりの北京在住の独立系の監督と親しくなったのですが、彼の作品を通じて提示される中国社会に対するまなざしに大いに共感しました。日本ではあらゆることがあまりに自由であるために、いまなすべきことが見えなくなることが多いせいかもしれません。彼らの仕事ぶりに、心からリスペクトの感情がわきあがってくるのです。

※リアルチャイナ:中国独立電影
http://inbound.exblog.jp/i29/
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by sanyo-kansatu | 2016-06-20 16:02 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2016年 02月 02日

無味脱色された2000年代文革系サブカル雑貨のルーツは何だったのか

2月に入り、中国の旧正月(春節)が近づいてきたせいか、都内でも中華系の個人客の姿をよく見かけるようになりました。

そんな折、正月ムードに水を差すつもりはないのですが、今週土曜、専修大学で興味深い映画上映会があります。
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中国のドキュメンタリー映像作家の胡傑監督の2本の上映会です。実は、胡傑監督は2013年12月14日に同大学で自作品を語る講演をしています。

文革時の蛮行をザンゲする元紅衛兵たち
http://inbound.exblog.jp/21886549/

これらの上映イベントを主催されているのは、専修大学の土屋昌明教授です。

個人的には、文革中に制作されたプロパガンダ・ポスターに関するドキュメンタリー作品「文革宣伝画」に興味があります。なぜなら、2000年代に入って中国では、文革時代のポスターがサブカル雑貨として広く若者に支持されていたからです。この無味脱色された文革系サブカル雑貨のルーツである1960~70年代当時のポスターの制作者やコレクターのインタビューを含む内容らしく、とても興味深いです。

中国の文革系サブカル雑貨は日本の1970年風?
http://inbound.exblog.jp/21881593/

イベントの告知は以下のとおりです。

封印された中国現代史に向かい合う(第3回)

⦿上映と討論…………………………………………………………

胡傑監督 インディペンデント・ドキュメンタリー作品
「星火」 字幕修訂版
「文革宣伝画」本邦初公開!

場所:専修大学神田校舎(地下鉄神保町)
日時:2016年2月6日(土)
「星火」上映 14:00 ~ 15:40 終了後討論30分 102 教室
「文革宣伝画」上映 16:30 ~ 17:40 終了後討論1時間 102 教室
参加自由、申込み不要

コメント:土屋 昌明(専修大学社会科学研究所)
主催・問合せ:専修大学社会科学研究所特別研究助成土屋グループ
the0561@isc.senshu-u.ac.jp

❖作品「星火」は、1960 年中国甘粛省で発生した、知識人による反体制地下活動に対する政権の弾圧事件を扱ったドキュメンタリーである。
❖作品「文革宣伝画」は、文革中に作成されたプロパガンダ・ポスターの作家たちやコレクターにインタビューして、プロパガンダ・ポスターとは何なのかを追及したドキュメンタリーである。

以下、個人的に国内外で出くわした現代における文革サブカルシーンを紹介しています。

池袋にできた「文革レストラン」に行ってきました
http://inbound.exblog.jp/21475188/
これが本場中国の「文革レストラン」です
http://inbound.exblog.jp/21480153/
池袋の「文革レストラン」再訪。紅衛兵コスプレ美女に会う
http://inbound.exblog.jp/21710468/
困るよな。習近平の時代になってますます世の中は厄介になってきた
http://inbound.exblog.jp/24539952/
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by sanyo-kansatu | 2016-02-02 08:09 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 12月 27日

中国独立電影は中国版ヌーヴェルヴァーグだと思う

今日は中国インディペンデント映画祭2015の最終日です。

その後、以下の2本を観ました。それぞれまったく異なる世界で、飽きさせることがない映画祭です。

幻想曲 / Fantasia
2014年 / 86分 / 字幕 JP
監督:王超(ワン・チャオ)
http://cifft.net/gensou.htm

この作品は中国出張によく同行する友人とふたりで観にいきました。友人は同じ王超監督の『安陽の赤ちゃん』も観ていて、監督のトークショーを聞いたそうです。彼によると、王監督は実生活でも相当苦労した人で、作品からは中国庶民のある種救いのない悲哀と、それでもなんとか生きていこうとする思いが伝わってくるそうです。

4人家族の大黒柱だった父親が白血病で倒れ、輸血や治療が必要なため、そのたびに2万元(40万円)相当の治療費がかかります。最初は職場が負担してくれていたのですが、何度も倒れることから、職場の上司は今後半分しか治療費を負担できないと妻に告げます。

昔中国歌劇の女優だった妻は牛乳配達を始めますが、そんなことでは治療費はとても足りません。その姿を見て、長女はナイトクラブに勤めます。ホテルからの朝帰りでタクシーから降りると、牛乳配達している母親と鉢合わせてしまうシーンが印象的です。その後、長女は1万元を友人から借りたと言って手渡しますが、それを素直に受け取ることができない母は厨房で涙にくれます。しかも長女は後日、クラブの客から妊娠させられ、堕胎手術のために母と病院に行くことになります。

家族が崩壊していくなか、弟は学校に行くのをやめてしまいます。重慶が舞台のこの物語では、長江の風景がしばしば映し出されます。彼は学校をさぼって、廃品回収業者の仕事を手伝い、小銭を稼ぐことを始めます。その業者の仲間に同じ年ごろの娘がいます。彼女は人身売買で売られた少女でしたが、彼はほのかな思いを寄せます。物語は弟が彼女に会うため、長江のほとりに行くと、業者の船はすでにこの地を去ったことがわかるというシーンで終わります。

作品を観たあと、友人は言いました。「まったくこれが中国庶民の世界だよね。これまで自分が出会ってきた中国人を見ていると、この物語ほど深刻でないとしても、だいたいこのような境遇に近く、こういう人たちが普通に生きているのがいまの中国だ」というのです。「そうなんだよねえ…」。ぼくもそう応えるほかありませんでした。

でも、彼はこんなことも言います。「王監督の作品は、まるで自分が映像の中に入って、物語の登場人物のそばにいるような感じがする。たとえば、街のシーンで耳に飛び込む車のクラクションや人々の声など、自分が中国にいるときに聞いているものと同じで、不思議な懐かしさを覚えてしまう」。

これも同感です。中国独立電影の作品の中には、カメラを街に持ち出し、世界をそのまま切り取ろうとしているものが多く、「ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法」を駆使するヌーヴェルヴァーグの中国版と呼びうるのではないかと思います。

もちろん、中国独立電影の作品はそのようなものばかりではありません。昨日観た『K』は、カフカの小説『城』を内モンゴルに舞台を置き換えた不条理劇でした。

K
2015年 / 88分 / 字幕 JP+EN
監督:Emyr ap Richard、額德尼宝力格(ダルハド・エルデニブラグ)
http://cifft.net/k.htm

監督は内モンゴル在住の英国人と、ゴーストタウンで有名になったオルドス出身のモンゴル族の共作で、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)がプロデューサーをしているそうです。物語自体はカフカの世界の映像化ですから、だいたい想像がつくと思いますし、実際そのとおりなのですが、ロケ地も登場人物も内モンゴル自治区の砂漠地帯で行っているというのが興味深いです。

せりふも当然モンゴル語でしたし、学校の教室のシーンで黒板に書かれているのは、縦書きのモンゴル文字でした。モンゴル語の発音というのは、少し韓国語に似ている気がしましたが、登場人物の中にはずいぶんエキゾチックな顔立ちをした人たちもいます。ロシアと中国にはさまれたモンゴルというマージナルな世界の実像をよく知らない自分のような人間には、不条理劇の舞台としてこれほどふさわしい場所はないのではないかとすら思わせます。
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by sanyo-kansatu | 2015-12-27 16:28 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 12月 24日

中国のろくでなしバックパッカー詩人は新疆ウイグルの辺境をさまよう

「中国インディペンデント映画祭2015」の続きです。

その後、年末のさすがに忙しいさなかですが、なんとか仕事の合間を縫って、東中野ポレポレに通っています。昨日までに以下の3本を観ました。それぞれまったくバックグランドの異なる物語ですが、映像を通じて地の果てまで連れていってもらえるので、ただただ感心したり、驚いたり、ときに呆れたりしつつ、毎回飽きずに眺めています。

まず「癡(ち)」という作品から。

監督は四川省出身の邱炯炯(チュウ・ジョンジョン)。中国で1950年代後半に起きた反右派闘争で強制収容所に入れられた実在の人物の人生を再現した作品です。ご本人の語りとスタジオで再現された舞台劇で構成されています。監督はもともと現代アートの作家でもあり、凝った舞台美術の世界は、1970年代の日本の小劇場のようでもありました。この監督、2年前の映画祭では、北京の自殺したゲイのダンサーの語りをノンフィクション作品(「マダム」)としてまとめています。
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「癡(ち)」
癡 / Mr. Zhang Believes
2015年 / 134分 / 字幕 JP
監督:邱炯炯(チュウ・ジョンジョン)
http://cifft.net/chi.htm

次は「最後の木こりたち」という作品。中国最北端に位置する黒龍江省の山にこもって厳寒の真冬に4か月かけて木を伐採する男たちの仕事と生活を延々と映像で記録したドキュメンタリーです。近年まれにみる男臭い世界でした。ぼくは最初、黒龍江省の西北端にある興安嶺が舞台かと思っていたら、ハルビン市の南にある五常市の山林の伐採の話でした。この映像が撮られたのは、2004年のことで、一度07年に公開した旧編集版があるのですが、監督は昨年になって新たな再編集版をつくり直したのだそうです。

ちなみに、なぜこんなに寒い時期に伐採をしなければならないのでしょうか。作品を観た後、映画祭の主催者である中山大樹さんがいらしたので、「素朴な質問なんですが…」と尋ねてみたら、「映像をご覧になったのでわかると思いますが、伐採した木材を山から下すには、雪があるほうが滑らせることができて楽だからです」。やっぱり、そういうことですか。ちなみに、その年をもって五常市では森林伐採は禁止されたそうです。だから「最後の木こりたち」というわけです。
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「最後の木こりたち(2014年版)」
木帮 / Timber Gang
2014年 / 111分 / 字幕 JP+EN+CH
監督:于広義(ユー・グアンイー)
http://cifft.net/kikori.htm

そして、昨日観たのが「詩人、出張スル」です。上海在住の30歳の詩人が新疆ウイグル自治区をひとり旅するロードムービーですが、実際の映像が撮られたのは2002年。監督は10数年後になってようやく編集に着手し、今年初めて作品化したそうです。現在の高層ビルが立ち並ぶ新疆の都市とはまったく違う素朴な風景が映しだされていて、いまとなっては貴重な映像です。2000年代に生まれた中国版バックパッカー「背包族」のはしりのような話ともいえます。
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「詩人、出張スル」
詩人出差了/Poet on a Business Trip
2014年 / 103分 / 字幕 JP+EN+CH
監督:雎安奇(ジュー・アンチ)
http://cifft.net/shijin.htm

さて、表向きの作品紹介はそこまでとして、このロードムービー、観る人がみたら、ろくでなし映画といえなくもありません。というのも、主人公は40日間新疆ウイグルを旅しながら、そこらかしこで買春をしているからです。上映後の監督の話では16人の女を買って、それをすべて映像に収めたそうですが(こういうとき、中国人というのは実に率直だなあと思います)、結局のところ、編集作業を通じて残された買春シーンは2、3の場面のみでした。もちろん、この作品は実録映画ではなく、あくまでフィクションという設定なのですが。

そのうちひとつは漢族の女とカラオケをするシーン。そこで女は中国最辺境の地、新疆にまで流れて身を売る女たちの生き方について語ります。東北や四川の女たちはお金が目当てだが、自分はそれだけではない。30歳までに幸せな結婚をしたいと語っていました。こういう境遇の女がいかにも言いそうな話です。

もうひとつは、ウイグルの女を買春するシーンで、これは無修正のまま、性交する姿が映されます。女は「あんたは新疆まで来てあちこちで女を買っているのだろう。どこそこ(いくつかの新疆の地名が出てきます)の女はどうだったか」などと聞いてきます。そして、ことがすんだあと、「私と結婚してくれ。そうすれば、上海でもどこでも好きな場所に行けるから」と冗談まじりに主人公に言います。

まったくこの映像をいまのイスラム国の人にでも見せたら大変なことになるぞ、といいたくなるような、あいかわらずの漢族の無頓着さが気になりますが(だって、この映像を公開することについて、登場してきた女たちに了解など取っていないでしょうから)確かに2000年代の前半は、まだ漢族と新疆ウイグル族の関係は、いまほど悪化はしていなかったのでしょう。

とはいえ、詩人というのは本当に役得というべきか、このろくでもない旅が、なぜかそんなに嫌味でもないのです。ロードムービーというのは、風景がどんどん変わっていくぶん、観る人を飽きさせないところがあるせいか、いつ終わりが来るともしれない男の旅を見入ってしまうのです。

この作品の特徴として、ストーリーの合間に16本の詩が挿入されます。とてもいいです。ただ、この作品を通して、40日間詩人に向かってカメラを回し続けた監督は何を伝えたかったのか。

まあそれが何かと口にしてしまうと、あっけない気もするので、聞く必要はないのかもしれません。

中国独立電影の世界は実に多種多様で、つかみどころがなく、でもなんとなく、いまの中国人がどのように生きているかを教えてくれます。
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by sanyo-kansatu | 2015-12-24 10:03 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 12月 17日

「中国インディペンデント映画祭2015」が始まりました

今年も今月12日から中国インディペンデント映画祭が始まりました。場所は東中野のポレポレです。2011年に初めてこの映画祭の存在を知り、中国のリアルな世界がとにかく面白く、その後、主催者の中山大樹さんにお話をうかがったり、中国インディペンデント映画界の中心地である北京の栗憲庭電影基金を訪ねたりしました。

ぼくは映画論やドキュメンタリーの世界に特に精通しているわけではないし、山形ドキュメンタリーフェスティバルのような場所に足を運んだこともなければ、普段インディーズ系の作品を上映している東中野ポレポレにも好んで行くようなタイプではありません。しかし、この映画祭は特別です。中国の独立系映像作家たちが見せてくれる多種多様な世界は、この国の生の感触に触れられる貴重な場だと考えて、なるべく多くの作品を観るようにしています。
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中国インディペンデント映画祭2015(12月12日~27日)
http://cifft.net/index.htm

初日(12日)は初っ端ということで、以下の2作品を観たのですが、相変わらず頭を抱えて考え込んでしまうような中国の重い現実を見せられてしまいました。今回も何人かの監督が来日していて作品上映後、舞台挨拶があります。これもとても興味深いです。
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トラップストリート
水印街 / Trap Street
2013年 / 94分 / 字幕 JP+EN
監督:文晏(ウェン・イェン)
http://cifft.net/trap.htm
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女流監督によるミステリー作品。舞台は南京。主人公は測量士の青年で、前半はほのぼのした恋愛ストーリーなのですが、後半状況が一変します。中国には地図から抹消されている通りがあり、たいてい国家機密に関わる場所だそうです。主人公の青年は無自覚のまま、その通りで出会った女性と恋に落ちますが、その後、機密情報にアクセスしたかどで身柄を拘束され、執拗な尋問を受けます。結局、彼は解放されるのですが、いったい彼女は何者だったのか…。謎は明かされぬまま物語は終わります。

今年春、日本でも上映された『薄氷の殺人』(14)、『春夢』(12)などのプロデューサーとして知られる文晏の監督デビュー作です。公安による尋問シーンを見ながら、今年スパイ容疑で何人かの日本人(実際は、帰化した北朝鮮人、中国人)が中国当局から拘束されましたが、彼らも同じような取り調べを受けているのだと思うと、ゾッとしました。上映後のプロデューサーインタビューのとき、この作品を欧米で上映したとき、会場からスノーデン事件との関連を聞かれたそうです。みんな同じことを考えるものなのですね。あまり知られていない中国社会の一面を知ることになる作品です。

シャドウディズ
鬼日子 / Shadow Days
2014年 / 96分 / 字幕 JP
監督:趙大勇(チャオ・ダーヨン)
http://cifft.net/shadow.htm

2011年の本映画祭で上映されたドキュメンタリー作品『ゴーストタウン(廃城)』(2008)の趙大勇監督による続編ともいうべき作品で、同じ雲南省の廃墟のまちを舞台としたフィクションです。

雲南省の廃墟の町でリス族の歌う賛美歌が美しい(中国インディペンデント映画祭2011 その9)
http://inbound.exblog.jp/20040432/

都会で事件を起こし、警察に追われたこのまち出身の男と彼の子を身ごもった女が叔父の家を訪ねるところからストーリーは始まります。美しい雲南省の山間部のひなびたまちには多くの少数民族が住んでいます。ところが、このまちで産児制限を進める当局は少数民族の妊婦たちを次々と強制堕胎させます。そのリーダーが町長である男の叔父であり、彼もその仕事を手伝います。

ぼくは以前、広西チワン族自治区出身の中国人留学生から自分の村で起きた強制堕胎の話を聞いたことがあります。当時彼の話を聞いても、実際にどんなことが起きていたのか想像できませんでしたが、この作品はまさにそれを映像化したかのような世界でした。当局の男たちが家々を訪ね、逃げ惑う妊婦を数人がかりで捕まえ、病院に連行します。10数人の妊婦たちをトラックの荷台に乗せて運ぶワンシーンが一瞬挿入されていて、これには衝撃を受けました。

しかし、不可解な出来事が続き、男の結婚相手である女も叔父の指示によって強制堕胎され、自殺します。怒りに震える男は叔父を刺し殺すというのが結末です。

今年中国政府は一人っ子政策を廃止することをついに決めましたが、かつて自分たちが着手していた恐るべき政策をどう総括するのでしょうか。この作品が中国で上映できないところをみると、なかったことにしてしまうつもりなのでしょう。監督はこうした非情な歴史を記録しておく必要があると考え、この作品を撮ったのだと思います。中国社会には我々の想像を越えた深刻なテーマが爆弾のように隠されたまま放置されていることをあらためて知らされます。

翌日(13日)は徐童監督の『えぐられた目玉』という作品を観ました。29年前に浮気相手の夫に両目をえぐられ失明するという壮絶な過去をもつ内モンゴルの旅芸人の日々を追ったドキュメンタリーです。

中国の地方都市にはいまでも旅芸人の世界があります。東北では「二人转」と呼ばれる歌う夫婦漫才のような見世物がありますが、内モンゴルでは「二人台」というようです。いかにも徐童監督らしい世界でした。

えぐられた目玉
挖眼睛 / Cut Out the Eyes
2014年 / 79分 / 字幕 JP+EN+CH
監督:徐童(シュー・トン)
http://cifft.net/medama.htm
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※徐童監督については、以下参照。

北京郊外村のシュールな異界(中国インディペンデント映画祭2011 その2)
http://inbound.exblog.jp/17462741/
北京の風俗嬢と農民工生活区のすべて(中国インディペンデント映画祭2011 その6)
http://inbound.exblog.jp/19990728/
中国の成長の代価を負わされた存在をめぐって(中国インディペンデント映画祭2011 その7)
http://inbound.exblog.jp/20015027/

メディアでは知ることのできない中国のリアルな実像に触れてみたい人は、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2015-12-17 15:26 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 08月 23日

映画『ロスト・マンチュリア・サマン』(金大偉監督作品):ロードムービーの舞台としての満洲のいま

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映画「ロスト・マンチュリア・サマン」予告編 監督:金大偉 kintaii
https://www.youtube.com/watch?v=vfjGOSQAc1M

金大偉さんは古い友人である。ふたりの縁は、ぼくが若い頃から彼の出身地である満洲(中国東北地方とその周辺)を何度も訪ねていたことにある。満洲は祖父母が暮らした土地で、そこに暮らす人々や生活に親しみを感じていたからだ。特にこの10年は、ガイドブック編集者として趣味と実益を兼ねた定点観測の旅を続けている。

同じ時期、金さんも満洲を訪ねていることは聞いていた。その目的はかの地にいまも生きる満洲薩満(サマン=シャーマン)を訪ね、伝承された儀式や習俗を収録することにあった。

その話を聞いたとき、うれしかった。彼はついに自分が本来やらなければならない仕事に着手したと思ったからだ。愛新覚羅の血を引く彼こそ真正の満洲薩満の末裔なのだから。

この作品は、自らの役割を胸に秘めた金さんの故郷の地をめぐるロードムービーである。

かつて満洲は広大な森の大地だった。古来さまざまな民族が駆け抜けていった。なかでもこの地の主人公として清朝を建国した満洲族の多くは、現在各地に離散していて、その一部は中国東北地方に点在する農村で静かに暮らしている。彼らの大半はすでに母国語を失い、自らの民族の習俗や伝統を忘れている。それは無理もないことだ。近代以降、多くの森は耕作地として開墾されたうえ、現在のこの地方の主要都市には高層ビルが林立し、各都市間は高速鉄道とハイウェイが張りめぐらされるほど「現代化」が進んでいる。かつてこの地に暮らした日本人が“懐かしの満洲”と呼んだ時代も、もはや過去のものとなっているのだ。

それでも、満洲は広い。都市から車でしばらく離れると、農村風景が広がる。そこには、満洲族の小さな集落があった。彼らは新中国建国から文化大革命に至る混乱の中で息を潜めて耐え忍び、改革開放後、ようやく物置に隠していた太鼓や腰鈴を取り出し、舞い踊り始めていた。サマンの再生である。その儀式を見た金さんは興奮気味にこう語っている。

「凄まじい光景だった。音と神歌のエネルギーが大きく人の心を打つように響いた。狩猟や騎馬民族の力、大自然と人間をつなぐ力。天、地、人が一体となるような迫力だった。私は思わず涙が溢れてきた。音は人間の最も内なる感情を表現するもので、直感的な霊性および次元を超えた「力」が音の中に存在したに違いないと思った」。

金さんは各地のサマンに面会し、インタビューしている。そこで語られる歴史の記憶や民族的な自負の芽生えに勇気づけながらも、こう吐露せざるを得なかった。「中国における満洲民族は、一千万人を超えている中、ほとんど満洲語を話せない。近い将来、この言語は失われるのかも知れない。そう考えると、とても哀しい気持ちになる」。その哀しみの深さを思うとき、ぼくは言葉を失うほかなかった。

この作品は日本で制作されているが、その成り立ちや映像の感触において中国の独立映画と類似していることを指摘しておきたい。政府の検閲を通すことなく自由に製作される中国独立映画は、2000年代に手持ちのビデオの普及によって発展し、さまざまな社会の現場やテーマを扱う作品が主流となっている。彼らは限られた資金ゆえに撮影から音楽、編集まですべて仲間内で担当し、官製メディアが扱わない中国のリアルな実情を追いかけている。ロードムービー的なドキュメンタリーが多いことも特徴だ。残念ながら、習近平政権以降、中国では映画祭すら開催できなくなっているが、2年に1度東京で開催される「中国インディペンデント映画祭」では多くの作品に触れることができる。

来年夏、ぼくはこの作品に出てくる満州族の集落を訪ねたいと思っている。

リアルチャイナ:中国独立電影
http://inbound.exblog.jp/i29/

新しい満洲の話(中国東北の今)
http://inbound.exblog.jp/i25/
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by sanyo-kansatu | 2015-08-23 20:32 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 05月 05日

もっとリアルな中国を見てほしい(中国インディペンデント映画祭主宰:中山大樹氏)

5月2日(土)、専修大学で「中国におけるインディペンデント映画とドキュメンタリー」という講座がありました。演者は中国インディペンデント映画祭を主宰している中山大樹さんです。
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中山さんは2008年に東京で第1回の中国インディペンデント映画祭を開催後、09年、11年、13年とこれまで4回の映画祭を続けてきました。彼は毎回さまざまなタイプのインディペンデント映画(日本でいえば、自主映画のことですが、ドキュメンタリーだけでなくフィクションも含まれます。背景には中国の特殊な事情があります)を日本で公開するために、中国の映画関係者らとの深い関係を築き、優れた作品や監督の発掘に尽力しています。現在、中国の広州在住の彼は、今年12月に開催予定の第5回映画祭の準備のため来日しました。この日の講座は、専修大学の招きで実現したものです。

中国インディペンデント映画祭
http://cifft.net/

中国インディペンデント映画祭主催者、中山大樹さんに会う(2012.3)
http://inbound.exblog.jp/20196438/

中山さんを招いた専修大学社会科学研究所にはアジアのドキュメンタリーについて研究しているグループ(代表は土屋昌明教授)があり、定期的に中国などのドキュメンタリー映画の上映会を行っています。

土屋昌明教授blog
http://blog.livedoor.jp/m_tsichiya/

ぼく自身は必ずしもドキュメンタリーという映像ジャンル全般に関心があるというわけではないのですが、中国のインディペンデント映画ほどこの国の理解にとって興味深い題材を提供してくれるメディアはないと考えています。また実際に現地での取材や在日中国人たちとの交流などを通じて得た対中理解や実感と重なる部分も多いので、それを確かめたいという動機から、こうした上映会にはなるべく足を運ぶようにしています。

この日も、古い友人の在日広東人のR氏を誘って参加しました。彼とは映画祭にも何度か一緒に通ったことがあります。日本人にはなかなか気づかない視点を提供してくれるありがたい存在です。

以下、5月2日の講座の内容(2時間半にわたる中山さんの講義と30分の質疑応答)を簡単に紹介します。

1)なぜ中国インディペンデント映画祭を始めたか

1996年に上海留学し、現地で就職していたこともある中山さんは、帰国後しばらくアジア映画祭などを通じて中国映画を観ていた。だが、日本ではいわゆる「第5世代」と呼ばれる監督の作品までは上映されてきたが、新しい世代の作品を観る機会が少ないと感じていた。2005年、中国にもインディペンデント系の映画作品があることを知り、そこに描かれるリアルな中国をもっと多くの日本の観客に知ってもらいたい。自分が中国で見聞きし、体験した世界をダイレクトに伝えてくれる作品を紹介したいと考えたという。

2)中国の映画事情について

以下、内容の一部を紹介します。

●中国の映画市場規模

2014年の興行収入は5620億円。日本の約3倍。日中が逆転したのは、GDP逆転と同じ2010年。

●興行ランキング(日中比較)

2014年の中国の映画興行ランキングの1位はハリウッド映画で、米中合作の「トランスフォーマー ロストエイジ」。この作品は歴代1位。日本の1位は同じハリウッドの「アナと雪の女王」だが、両国の映画の好みはかなり違うことがわかる。中国ではアクション系が人気だが、日本は邦画やアニメが人気。

●国産映画と輸入映画

中国での興業はハリウッドと中国映画は半々。それだけに、ハリウッドにとって中国市場は重要といえる。

●映画検閲

中国で映画検閲に関わる事項として6つのNGがあるという。

政治、外交、宗教、少数民族、不道徳な話題に加えて「暴力的、性的表現」「オカルト的なもの」だ。前者は「18歳以下の恋愛はご法度。恋愛感情はいいが、性交はダメ。片思いはいいけれど、恋愛が成就しなければいい?」「不倫、同性愛もNG」。後者は「1949年の建国以前の設定の話ならお化けが出てきてもいいが、以降はダメ」という。

そもそも脚本段階から検閲がある。それをクリアして初めて撮影許可が下りる。最近とみに検閲が厳しくなっており、映画関係者は冒険がやりにくく、昔検閲を通ったものをつくるかという感じで、保守的になっている。確かに、せっかくつくっても検閲が下りなければ、製作費がパーになる。こうして無難な映画が大半を占めるに至っている。

●国産映画の保護

中国では映画の輸入に規制があり、最近では年間60本程度。2012年以降、日本映画はなし。今年は「ドラえもん」が公開されるかもという噂もある。「アバター」がヒットしたとき、突然上映打ち切りを決めるなど、露骨な輸入映画規制もよくある。

一方、国産映画については、各種資金提供や6~7月の夏休みシーズンを国産映画奨励月間にしたりと、大変な熱の入れよう。

●国産映画製作数

おかげで国産映画製作数と公開作品数は増えている。ただし、公開作が最も多かった2014年でも、製作数618に対して公開数338。以前はもっと公開比率が低かった。なぜか。中国では各省ごとに政府の宣伝部門の位置付けで映画製作が行われており、作品数だけは多かった。しかし、その大半は上映するレベルに達しておらず、市場化の進む映画業界はそれらをオクラ入りにしてきた。中国にはシネコンは多いが、どこでも同じような作品が上映されており、上映機会がないのも理由。

中国にも一部アートシアター系の映画館がある(たとえば、北京の百老匯電影中心。ただし香港資本)が、関係者の話では一般の映画館では観ることのできない意欲的な作品を上映しても採算を取るのは難しいという。

北京の百老匯電影中心について
http://inbound.exblog.jp/20412335/

3)中国インディペンデント映画について

こうした中国の特殊な映画事情をふまえ、中国でなぜインディペンデント映画が生まれたか、中山さんは解説します。

●独立電影の歴史①黎明期

中国初のインディペンデント映画が誕生したのは1989年で「妈妈」(張元監督)。中国ドキュメンタリー映画の父と呼ばれる呉文光監督が初のドキュメンタリー作品「流浪北京」を撮ったのが90年。96年には、日本でも知られるジャジャン・クー(贾樟柯)監督が「一瞬の夢」を公開。これが1990年代は黎明期といわれるゆえん。彼らの多くは北京などの電影学院を卒業し、テレビ局などの制作現場で働いていたことから、器材を調達しやすい環境にあったことも背景にある。

●独立電影の歴史②デジタル移行期

2000年以降は、デジタル機器が普及したことで、各地で自主的な上映会が開催され始めた。また誰もが気軽にビデオ映像を撮れるようになったことから、若い世代だけでなく、作家や詩人、画家といった別ジャンルのアーティストたちも作品をつくるようになった。こうして斬新な作品が多くつくられるようになり、独立電影は発展期に向かう。

01年には初の「中国の独立映画節」も開催(途中で中止)。03年には南京、雲南、北京で映画祭が始まる。04年には独立電影の立役者だった「第6世代」の作品が劇場公開化も始まる一方、06年には先ごろ日本でも連続上映会のあったロウ・イエ(娄烨)監督が5年間の制作禁止を言い渡されることなども起きた。

4)ドキュメンタリー映画の上映

今回、以下の4本のドキュメンタリー映画の一部が上映されました。

「オルグヤ、オルグヤ」(2007)

モンゴル出身の顧桃監督作品。内モンゴル北部の森でトナカイを追いながら暮らしていたエヴェンキ族(愕温克族)の女性が主人公。政府によって強制移住させられた彼女の葛藤を描いた作品。

http://cifft.net/2009/programs.htm
※この作品は、中山大樹さんが2013年に書いた「現代中国独立電影」(講談社)の中に付帯DVDの1本として入っています。

「俺たち中国人」(2007)

ロシア国境に近い黒龍江省北部の宏疆村に住むロシア系移民のアイデンティティを問う作品。彼らは第一次世界大戦中に中国に逃れてきたロシア人の末裔だ。国籍は中国だが、中国国歌もまともに歌えないばかりか、ロシア民謡もあやしい。現代美術のアーティストで、黒龍江省出身の沈少民監督作品。

http://cifft.net/2009/programs.htm

「書記」(2009)

河南省固始県の書記の任期終了3カ月間を密着取材したという作品。元新聞記者の周浩監督作品。

http://cifft.net/2011/shj.htm

中国版ミニ角栄のなれの果て(中国インディペンデント映画祭2011 その4)(2011.12)
http://inbound.exblog.jp/17528175/

「最後の木こりたち」(2007)

黒龍江省の山岳地帯の冬山で材木を伐採する男たちの記録。版画家で黒龍江省出身の于広義監督作品。

http://cifft.net/2008/programs.htm#kikori

5)質疑応答

今回の講座の記録は、専修大学社会科学研究所の月報に掲載されるそうですから、ここではぼくが気になった質疑のやりとりについてのみ、ポイントを記しておきます。

Q.日本の映倫は第三者機関として権力の介入を排除するために、レイティングも含めた制度をつくっている。一方、中国の場合は大人も子供も同じ基準で反国家的、反共産的、反道徳的な対象を検閲するということなのか。なぜレイティングシステムがないのか。

A.レイティングシステムの導入については、映画制作者はやるべきだとずっと言ってきたが、当局はやる気はないようだ。なぜなのかよくわからないが、大人も子供もみんなで安心して観られるものをつくるべきという考え方なのではないか。

Q.中国のインディペンデント映画では劇映画はつくられているのか。

A.絶対数はドキュメンタリーが多い。2014年の北京独立映画祭でも、百数十本の応募作品のうち、6割はドキュメンタリーが占めた。逆に4割はフィクションだが、ほとんどは短編。最近、中国の大学に映画学科が相次いで設置され、学生たちはフィクションの制作を学んでいるため、若い世代は短編作品を撮るようになってきたこともある。

Q.今回上映されたドキュメンタリー作品の検閲はどうなっているのか。

A.作り手が検閲にかける目的は上映許可を取ることにある。ドキュメンタリーの場合は映画館にかかることはないので、作り手たちも上映を意識していない。検閲をかけることもはなから考えていない。ただし、テレビ局が流すことはある。たとえば、「オルグヤ、オルグヤ」は実際に上海や内モンゴルのテレビ局が一部放映したが、「江沢民のセリフだけはカットしてくれ」と指示があったそう。当局の要求だけ聞けば、テレビで流すことはできなくはない。

Q.中国のドキュメンタリーにおいて演出はあるのか。

A.演出的なことがまったくないとはいえない。最近はフィクションなのかドキュメンタリーなのかわからない、ミックスしたような作品が増えている。あえてそういう作品にしていると思う。

Q.海外の映画祭への出品やインターネット配信にも規制はあるのか。

A.すでに商業映画を撮っているような監督が無断で海外の映画祭へ出品すると、処分されることもある。だが、インディペンデントでやっている人はあまり気にしないで、海外に出品している。処分といっても映画製作の禁止であって、禁固や罰金ではない。実際、ロウ・イエは5年間の禁止処分を食らいながら、海外で映画製作をやっていた。アンダーグランドなものとしてつくるのであれば、とがめはない。また海外で賞を取ったからといって処分があるわけではない。

ネットに作品を上げる人もいるが、政治に関する内容が含まれる場合、削除されることもある。ただし、当局がそうするのではなく、動画サイトの運営側の自主規制によるものだと思われる。最近は、動画サイトと正式に契約して配信するケースもある。「最後の木こりたち」はそうだ。

Q.「書記」を撮った周浩監督は、別の作品で山東省大同市長の密着ドキュメンタリーを撮ったとき、市長からの作品に対する最終確認を得ないまま、台湾の映画祭に出品したという話に衝撃を受けた。ドキュメンタリーにおける被写体との接し方やそこで生じる権力関係はとても繊細なもので、勝手に出してしまったことは映画祭関係者を含め、どの程度周知されていたのか。そのやり方に対して何らかの反応はあったのか。

A.正確にいうと、監督は市長にDVDを送ったが、まだ見てないと言われた。そういうやり取りが何回か続いたので、時間切れとなり、彼のOKをもらう前に出品してしまったというのが真相。これは本人から直接聞いた話だ。おそらく映画祭側がそれを問題にすることはないと思う。その事情についてはほとんどの人が知らなかっただろう。

书记、大同:和体制有关的两部纪录片
http://qiwen.lu/28101.html
※ただし、中国での報道をみると、近年の習近平が推進する汚職追放政策との関係で、周浩監督のやり方が支持されたとはいえないものの、問題化はしなかったという面があるのかもしれないと思います。これは日本などで議論される作り手と被写体との権力関係をどう考えるかといった問題とは別次元の話でしょう。なぜなら、現在の中国社会にはそうした議論を成立させるための前提となる理念やシステムが不在といっていい状況だからです(もちろんそのことに気づいている人たちも一定数いるでしょうが、社会全体で広く共有されているとはいえません)。だからこそ、日本では許されないような設定で撮られてしまう作品が出てくる。そういうある種のタブーなきやり方に中国のインディペンデント映画の魅力があるといえます。こういう映像を観るとき、日本と中国の違いを強く実感します。

Q.いまのインディペンデント映画をめぐる厳しい状況は、私自身も雲南の映画祭に足を運んだ際、中止されたことからも理解している。それでも、小規模な上映の機会は増えていると中山さんは話されたが、これからの展望はどうか。制作と上映という側面に分けると、制作面はカメラさえあれば、誰かが作品を撮っていくと思うが、上映面でみると、2000年代に各地で見られた映画祭における人的なネットワークが作り手にも跳ね返って面白い作品が生まれるという状況は今後どうなるのか。可能性についてお聞きしたい。

A.作り手たちにとって発表の場があることは重要。海外でもいいが、本来は国内で多くの人に観てもらいたいと考えている。映画祭のような場で大勢の人が集まり、監督同士も交流するような場が途絶えてしまっている現在の状況は、彼らのモチベーションのうえでも問題となっている。

東京でやる映画祭は規模も小さいし、お金も出せないが、自腹でも監督は来てくれる。映画祭のような場を楽しみにしているからだ。これからもこういう場をつくっていかないといけないと思う。だが、中国でどれだけできるかわからない。どの程度の規模だと圧力がかかってくるか、それは手探り。でも、とりあえずやってみたらいいんじゃないかな、という感じで彼らもいるようなので、上映もそれなりに続いていくんじゃないか。

中山さんの最後のコメントを聞き、会場からは安堵の微笑がこぼれ、講座は終了となりました。

帰り道、広東人のR氏と歩きながら話しました。彼は言います。

「今日観たのは、4本中3本が黒龍江省の作品(「オルグヤ、オルグヤ」は内モンゴルが舞台だが、黒龍江省と誤解)。いまの中国にとってあまり中心的なテーマには思えなかった」

「確かに、もっと面白い作品があると思うのだけど、どうしてそういうセレクトになったのかわかりません」

「面白かったのは『書記』だ。中国の役人とはまさにこういうもの。これをいい悪いでは判断できない。むしろ一般の中国人は彼のことを存外いい政治家だと思うかもしれない」

「でも、彼は作品を撮られたあと、逮捕されてしまうんです」

「それは権力との関係でしょう。別に法治だからそうなったわけではない」

「確かに、彼は人のよさが仇となって捕まっちゃったのかも。ぼくは映画祭のときにこの作品を全編観ましたが、選挙という民意を問うシステムがないと、こんな風に独断で政治をやるしかないのだろうなとあらためて思いました。システムがあってもいろいろ大変なのに、ないと多くのことを自分で仕分けしなければならないぶん、かえって手間がかかる面もあるんだなと」

「彼にとって任期中にどれだけ業績を残すかが最大関心事。それが中国の役人というもの。昔から変わらない」

彼はこんなことも言います。

「日本人は中国の検閲や規制を気にしているようだけど、共産党は我々が選んだわけじゃない。連中が勝手に仕切ろうとしているんだから、俺たちも勝手にやらせてもらうよ、というのが中国人の考え方。だから、インディペンデント映画の監督たちも、一般の国民も同じ環境で、同じように考えながら生きているだけ。そうするしかないから、そうしているだけなのだ」と。

なるほど、きっとそういうことなのでしょうね。中国インディペンデント映画の面白さは、まさにそのように生きざるを得ない中国人の姿や葛藤、喜びなどを生に近いかたちで見せてくれること。それがさまさまな障害にもかかわらず、可能となっていること。よくそんなところまで見せてくれるものだという驚きにあると思います。

ちなみに、ぼくは中山大樹さんのことを、現代の内山完造みたいな人じゃないか、とひそかに思っています。
http://www.uchiyama-shoten.co.jp/company/history.html
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by sanyo-kansatu | 2015-05-05 11:38 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 03月 31日

『太陽にほえろ』のスモッグ空と同じ色をしている今の中国映画の空

以前からずっと思っていたことがありました。

2月から3月上旬にかけて、新宿K’s cinemaで連続上映されていた中国のロウ・イエ(婁燁)監督作品のいくつかを観て、やっぱりそうかと確信しました。
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K’s cinema ロウ・イエ監督特集
http://www.ks-cinema.com/movie/rouie/
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ロウ・イエ監督最新作「二重生活」サイト
http://www.uplink.co.jp/nijyuu/
ロウ・イエ監督最新インタビュー
http://intro.ne.jp/contents/2015/02/05_1701.html

ロウ・イエ監督といえば、天安門事件を題材にした作品(『天安門、恋人たち』(原題:頤和園)2006年)を撮ったことで、中国政府から5年間の活動禁止を言い渡されたことで知られています。日本の映画関係者はやたらとその話をしたがるようですが、中国の独立系映画の監督たちの事情を少しでも知っていると、そのこと自体をどうこう言うのはナイーブすぎるように思います。

むしろ、興味深いのは、彼の作品の独特のカメラワークで、被写体のすぐ近くから手持ちのカメラで撮られた映像にあります。カメラの前では俳優たちに自由に演技を続けさせるそうです。その「近さ」によって観客たちはまるで自分も登場人物たちと同じ空間にいるかのような錯覚を起こさせ、それが不思議に心地よいのです。作品世界に対して客観的に対峙されることを拒んでいるような、共犯者を迫られているような感覚があります。しかも、やたらと性描写のシーンが多いのも、彼の作風の特徴といえるでしょう。そんな作品ばかり撮っているので、なかなか中国国内では上映を許されません。

とはいえ、北京の海賊版ショップに行けば、彼の作品のDVDを買うことはできます。ぼくも何枚かフランス語版の彼のDVDを買ったことがあります。中国ってそういう国です。

話を戻すと、2000年代に中国で撮られた彼の作品を観ながら、ずっと思っていたことがあったというのはこういうことです。

映像に映し出される南京などの中国の地方都市の空の色が見事にスモッグ色をしていて、それは1970年代から80年代半ばまで放映されていたテレビドラマ『太陽にほえろ』で、石原裕次郎たちの背後に映っていた空とそっくり同じ色をしていたことです。
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これはある動画サイトから取り込んだ『太陽にほえろ』の冒頭シーンです。ほら、すごいスモッグ空でしょう。タイトルバックに見えるこのビルは、『太陽にほえろ』の放映の始まった前年の1971年に開業した京王プラザホテルだと思われます。京王プラザホテルは西新宿の高層ビル街の先駆け的な存在で、まだ周辺にはビルは建っていません。
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それにしても、この石原裕次郎の苦みばしった表情は、いかにも日本の1970年代を象徴しているような気がしてきます。この時代、日本は高度経済成長を成し遂げたものの、人々の暮らしはそんなに豊かではなかったはずです。大気汚染のみならず、公害問題も深刻でした。

そんな時代の日本の大人たちは、実際のところ、どこまで大気汚染を気にしていたことか。『太陽にほえろ』の登場人物たちと同様に、タバコも吸い放題、吸殻も道に平気で投げ捨てていたことでしょう。そういうのが渋くてカッコよかったに違いありません。

一方、この時代小学生だったぼくは、やたらと強烈なヘドロの海や工場から吹き出す排煙の写真が載った社会科の教科書を読まされていたものですから、「公害大国、ニッポン」の子供として、いったいこれからボクたち、どうなっちゃうのだろうとおびえていたものです(少々大げさでしょうか)。でも、この時代に子供たちが抱えていた漠然とした不安は、それから後の80年代以降、世界の終末を描くようなアニメ作品が大量に制作されるようになったことと関係があるのではないか、と最近思ったりします。

今の中国の都市部に生きる人たちは、日本の70年代のような、あるいはそれ以上の苛酷な環境を生きていることは確かなようです(中国には大気汚染以上に水の問題があります)。中国では日本が経験した過去のいくつもの時代を共時的に経験しているようなところがあるので、我々と同じように事態を捉え、考えるというわけではないでしょう。

だとしても、いまの中国の子供たちは、大人たちから何を教えられ、何を想って、このかすんだ空を見つめているのでしょう。気になるところです。
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by sanyo-kansatu | 2015-03-31 16:30 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 03月 17日

中国インディペンデント映画関係者が集まる「宋庄」とは

2012年3月下旬、中国インディペンデント映画祭の主催者、中山大樹さんに都内で会いました。そのすぐあと北京を訪ねる機会があり、彼に教えてもらた中国独立映画関係者の拠点である宋庄を訪ねました。通州区にある宋庄は、北京市中心部から地下鉄と路線バスを利用して約1時間の場所にあります。

このとき訪ねたスポットも「地球の歩き方 北京」2013年度版に掲載しています。まずは北京郊外にある「宋庄」芸術区の紹介から。

「北京は中国の首都だけに今も昔も全国からアーチストが集まって創作活動を行っているが、1990年代半ばころまでは市内北西部の円明園周辺に多く集住していた。

ところが、政府の再開発により立ち退きを強制されたことで、1994年栗憲庭や方力鈞といった中国芸術界の重鎮たちが宋庄へ移り住んだ。多くの若いアーチストたちもそれにならい、当時は農村にすぎない村里にアトリエを構えた。それが北京の郊外芸術区の始まりだ。 

その後、2000年代に入り、大山子の工場跡を利用してアトリエを構えるアーチストが現れ、今日に至るのが798である。またそれ以前にニューヨークのイーストビレッジを真似て「北京東村」と呼び、現在の大山庄の近くの農家に移り住んだグループもいた。彼らが自由を求めて中央の地から離れた場所に集まって生活を伴にし、芸術区を形成するところは、『水滸伝』に出てくる梁山泊の住人にどこか似ているところがある」。

中国宋荘 www.chinasongzhuang.cn

⑤郊外芸術区の拠点「宋荘美術館」
中国を代表する芸術評論家の栗憲庭が館長を務める美術館で2006年10月にオープン。以来、北京市中心から遠く離れた郊外の地にありながら、郊外芸術区の拠点として中国の現代アート作品の企画展を精力的に行ってきた。館内スタッフは近所に住む農民や労働者たちに務めさせることで、美術教育の大衆化に貢献しながら地元に雇用が生まれるような運営をしていることも特徴だ。

宋荘美術館 www.artda.cn

⑥インディペンデント系カフェ「現象珈琲」
海外などに発表の場を求めて自由な作品の創作に取り組む映像作家たちの拠点となっているのが宋庄だ。毎年ここでは国内外のインディペンデント系作品を集めた国際映画祭が行われている。その会場のひとつである現象芸術珈琲は、国内外の映画をプライベートに鑑賞するためのスペースとなっている。上映はたいてい週末の午後から。上映作品はブログでチェックできる。店内には日本をはじめ世界各地の映画祭のチラシやポスターが貼られている。ただし、普段はカフェとして営業している。人里から遠くから離れた場所にあるのが信じられない、いい感じのカフェだ。

現象珈琲 site.douban.com/fanhall/

⑦オーガニックフードの「米娜餐庁」
騒々しい北京市内を離れて宋庄の芸術区で自家製のオーガニック素材を使ったレストランを始めたのが蘇青さんと米娜さんだ。周辺にあまり人通りはないが、食事どきになると店には多くの客が集まってくる。四川風を謳っているが、季節によって食材が変わるため、その日のおすすめ料理を頼むといい。自家製果実酒も豊富にそろう。この店も宋庄のアーチストのたまり場で、外国人の姿もよく見られる。

米娜餐庁
blog.sina.com.cn/minachina
blog.sina.com.cn/suqingchina

実はこの「米娜餐庁」で日本の友人と食事をしていたとき、偶然同じ店に来ていた徐童監督に会いました。こんなことってあるんですね。そのとき、彼はオランダから来た映画プロデューサーと一緒にいたので、あいさつだけ交わして、次回北京に来るときゆっくりお話ししましょうといって別れました。それが実現したのが、7月のことです。彼の仕事場を訪ねた話は、後日紹介します。

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by sanyo-kansatu | 2013-03-17 09:00 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 03月 16日

中国インディペンデント映画祭主催者、中山大樹さんに会う

もう1年も前のことですが、2012年3月25日、中国インディペンデント映画祭主催者の中山大樹さんにお会いした話をしようと思います。

彼にはどうしても聞きたいことがいくつかありました。中国インディペンデント映画の世界をどのように知り、映画祭をやるに至ったか。今回の出展作の中でぼくがいちばん興味深く感じた徐童監督の『収穫』という特異な作品が撮られた経緯や背景、上映後に起きた香港「収穫」事件の顛末。そして中山さんにとって中国インディペンデント映画の魅力は何なのか、といったことでした。インディペンデント系の映画作家が多く集まっているという北京郊外の宋庄についても、教えてもらおうと考えていました。以下、秋葉原のコーヒーショップで約1時間、中山さんにお聞きした話を紹介します。

中国独立映画との出会い

――まず中国インディペンデント映画祭の立ち上げに至る経緯についてお聞かせください。

「最初の映画祭(2008年)を立ち上げたころ、私は日本にいました。実は2005年まで上海で働いていたのですが、帰国してからは東京フィルメックスにかかる中国の映画などを観に行ったりしていました。

2005年、06年と連続で應亮という監督の作品が2回かかったのですが、ひとりの監督が低予算で、自分で映像を撮り、編集もするという、いわゆるインディペンデント映画というのを初めて観たんです。それまでジャ・ジャンクーなどは観ていたのですが、中国にもインディペンデントな映像作家がいることに、とてもびっくりしたんです。

最初の年の應亮監督の作品が『あひるを背負った少年』、次の年が『アザー・ハーフ』(ともに中国インディペンデント映画祭第1回出展作)でした。ちょうどそのとき、應亮監督も来日していたので、会場で直接声をかけて、「こういう作品があるのなら、もっと紹介してほしい」と伝えたのです。

当時彼は四川に住んでいましたが、実家は上海です。その後、私は上海や北京に行って彼に会い、いろんな監督を紹介してもらったり、作品のDVDをもらったりしました。そのとき、日本では中国のインディペンデント系の作品はほとんど紹介されていないから、上映イベントをやりたいなと思ったんです。最初に彼に話しかけたのが2006年で、上海に行ったのが07年のことです。

インディペンデント系の作家は北京に多くいるので、いろんな人に会えました。当時私は日中貿易の仕事をしていました。もともと1998年に初めて上海に留学して、その後は行ったり来たり。02年~05年は現地で会社員として働いていました。その頃から映画は趣味で、映画館でよく観ていました。好きな監督の舞台あいさつを撮って、ホームページで紹介していたのです」

――インディペンデント映画の存在に気づいたのはいつごろですか?

「インディペンデント映画は技術の進歩と関係があります。デジタルビデオが中国で普及し始めたのは2000年ごろからで、作品も02年ごろから現れます」 

――第1回の中国インディペンデント映画祭は?

「2008年8月でした。2回目が09年12月。今回が11年12月」

――作品を選んだりするのは1年くらいかけて……。

「そうですね。日本にいたころは、中国でインディペンデント映画の映画祭があるときは必ず出かけていって、作家と会って話をしました。中国のインディペンデント映画祭は、北京でも開催されますが、おそらく最大規模なのが、毎年9月か10月に南京で開かれるものと、雲南省で2年に1回、3月に開かれるものです。それから先ほどの應亮監督がやっている重慶。北京ではこれまで5月と10月にやっていたのですが、今年から少し状況が変わるようです」

――一部中止になるとか。確か、中国の著名な現代アートの評論家が主催しているのですよね?

「実は私が以前働いていたのは、その評論家の栗憲庭の電影基金で、2006年に設立されたものです。07年以降、毎年北京独立電影展をやっているのですが、それ以前にもうひとつ、5月に開催される中国記録映画祭があったのです。栗憲庭電影基金ではこのふたつの映画祭を主催していたのですが、今年から一本化しようということになりました。今年は8月に開催される予定です」

※2012年8月に開かれた北京独立影像展については、中山さんの以下の報告を参照。
「北京独立影像展の報告」 http://webneo.org/archives/3959

――場所は?

「宋庄です」

――中山さんが電影基金で働いていたのは?

「2010年3月から11年5月までです」

――その経緯は?

「2007年から宋庄の映画祭には毎年通っていました。そのうち関係者の人たちと親しくなって、彼らが日本の映画を上映するときに、中国語字幕をつくる仕事を手伝っていました。

日本で映画祭をやることを決めて、私は仕事をやめたので、わりと時間があったんです。日本で映画祭を立ち上げるとき、彼らにずいぶん助けてもらいました。そしたら、向こうでスタッフが辞めて手が足りないというので、ちょっと手伝いにいきましょうかという話になったんです」

――映画祭立ち上げのために仕事をお辞めになったのですか。

「仕事と映画祭の両立はできなかったんです。自分の経営していた会社を売ってしまいました」

――すごいですね。それだけの価値があると思ったのですね。

「仕事はそれなりに順調でしたが、そんなに面白くなかった。せっかくなら自分の好きなことをやりたい。それで……」

――いまは北京にいらっしゃるのですね。

「はい、特になにもやっていないのですけど(笑)。人の映画の制作を手伝ったり、インディペンデント映画について執筆したりしています」。

徐童監督と『収穫』事件の顛末

――さて、今回ぜひお聞きしたかったのが、徐童監督の作品についてです。映画祭の関連イベントとして武蔵野美術大学で上映された『収穫』には驚きました。主人公はいわゆる地方出身の風俗嬢ですが、監督は彼女の生活のあらゆる場面でそばにいてカメラを回しています。しかもカメラと彼女との距離が近い。それは物理的にも精神的にもそうだと思うのですが、なぜそのようなことが可能だったのか。これはぼくがこれまで観てきた中国インディペンデント映画にも共通する驚きであり、疑問なのですが……。

「そうですね。個々の作品に関してというより、全体的な傾向なんですが、中国の人は撮られることに抵抗がないんです。おそらくそれをどこかに流されたりしたら困るという意識がなくて、だから撮られても特に構えたり、撮るなといって騒いだりすることがほとんどないんです」

――確かに、ぼくも中国各地をカメラマンと一緒にずいぶん訪ねていますから、撮られることに抵抗のない中国の老百姓というのか、民衆の人たちの存在はそれなりに理解しています。ただ、『収穫』の場合、対象が風俗嬢でもあり、ちょっと普通ではないな、と思ったんです。さらに驚いたのは、武蔵野美術大学の上映会場に、『占い師』の登場人物であった唐小雁さんがいたことです。どこかで見たことのある人だなあと思っていたのですが、本当にご本人だったとは。確か、彼女はドキュメンタリーの被写体として中国で何かの賞を受賞されたとか。これはどういうことですか。

「徐童監督は自分の作品を上映するとき、唐小雁さんを必ず上映会場に同行させていたんです。国内でもそうですが、そのうち香港やロッテルダム、北欧にも同行するようになって、彼女はだんだん有名になったんです。それで、中国の映画関係者が、彼女の映画以外の貢献も含めて表彰しようということになったんだと思います」

――確かに、彼女は特異な人生を歩んできた人ですものね。『占い師』の中では一時彼女は失踪してしまいますね。それにしても、当時は北京郊外のスラムで売春婦としてすさんだ生活をしていていたのに、東京で会った彼女はずいぶんあか抜けて、きれいになっていましたね。こういうことが起こることも含めて、中国のドキュメンタリー映画の世界は面白いですね。

「彼女は上映会場でも自ら進んで観客と話をするんです。『占い師』の後、今度は彼女のお父さんを主人公にした作品が撮られたのですが、その作品を上映するときも、彼女は上映会に必ず立ち会います。彼女は自分のことを撮られることも、それを人に観られることも、なんら問題とは思っていないようです。

――かつて彼女に起こった辛い出来事が次々と公開されるというのに……。

「彼女自身も上映会でいろんな人たちと会うことで、生活も変わってきた。いろんな国に行ったり、雑誌のインタビューに出たりして、鼻が高いみたいです」

――それからもうひとつ、座談会で話題となった『収穫』事件についてお聞きしたいです。作品上映に対する反対運動が起きたのですね。主人公のホンミャオの人権問題が議論されたということでした。中国のメディアでも取り上げられたのでしょうか。

「香港や大陸の一部のネットメディアで断片的に取り上げられた程度だと思います。最初に問題が起こったのは、2009年3月の雲南の映画祭でした。実はその前に北京で上映されたときは何も問題にはなりませんでした。

上映後の質疑応答の中で、徐童監督に対して批判的なことを言う人がいたんです。その人が『これは上映すべきではないのではないか』と掲示板に書き出して、賛否を問うたのです。映画祭の討論会でも、この作品が取り上げられました」

――論点は何だったのですか?

「作品の中で主人公以外の売春婦やお客さんが映っているけれど、彼らに許可を取っているのか。もしそうでないとすると、それは暴力的なことではないか。監督は彼らを利用しているのではないか、というような意見がありました。なぜなら、中国では売春は犯罪ですから、彼女らの顔をそのまま映画に出すこと自体、危険に身をさらさせることになるからです」

――こうした主張をする人たちには何か特別な政治的な立場があるのでしょうか。というのも、ここで言われていることは、国際社会の通念からしても、ごく常識的な見解だと思います。ただ、それが中国ではどう議論されるかに興味を感じました。

「そのときに発言をした人物のことは知りませんが、その話が香港に伝わって、香港の映画祭に出品することになったとき、セックスワーカーの人権を守ろうというNPO団体が上映反対運動を展開したのです。若い人たちが中心だったようです」

――中国では国際的な通念に対する認識は世代によってずいぶん違う気がしますものね。徐童監督はこうした批判が出ることを予測していたのでしょうか。

「最初はまったく予期していなかったそうです。そんな反応が出るのは意外だったと言っていました。北京ではむしろすばらしいという評価でしたから」

――徐童監督の反論はどのようなものだったのですか。

「彼女たちの顔にモザイクをかければいいというものではない。むしろ覆い隠してしまわないで、ひとりの人間として見る方が正しいコミュニケーションが取れるのではないか、というものです」

――確か、座談会でも徐童監督は「ビデオカメラはコミュニケーションの道具だ」と発言していましたね。もしこの議論が日本で起こったら、また別の展開になったでしょうが、作品がすでに撮られてしまったという事実がそこにあり、被写体との関係もきわめて良好であるということに、我々はいまさらながら驚くわけです。

「彼女らにとっては、監督も自分と同じ仲間であって、撮られたことに抵抗はないのですが、確かにその作品をDVD化して発売したり、ネットにアップしたりするのはどうかということが問題になりますよね。それはまずいだろうということで、それはしないことにしました。監督が許可した上映のみで、場所を選んでやるということです」

――いまの中国というのは、こうした微妙でギリギリの関係性というものが成立しうる社会だということですね。

「徐童監督が言っていたのは、彼女たちは失うものが何もないからオープンなのだということでした」

――『占い師』でも知的障害者のおばあさんの姿を延々撮っていますね。

「中国の場合、どこまでが良くて、どこまでが良くないというモラルというようなものがまだ確立していないということなのだと思います」

――それにしても、今回の映画祭は興味深い作品ばかりでした。たとえば、『独身男』のような農村を舞台にした夜這いの話は、あくまでフィクションなのでしょうけれど、まるで文化人類学のフィールドのような異界だったと思います。

「ああいう農村の実情については、中国でも都市に住む人たちはほとんど知らないと思います。この作品を撮った郝杰監督は、農村の実情というのが決してきれいなものではなく、ドロドロしていて、だから面白いのだということをストレートに伝えたかったのです。この作品について、中国の農村の醜い姿をあえて外国人にみせるようなことはけしからん、というようなことをいう人が中国にはたくさんいるのですが、いや実際はこんなもんですよ。あなたたちは知らないだけだ。そう監督は話しています」

――そういう心意気というか、ポジティブな率直さが中国インディペンデント映画の監督たちの魅力ですね。撮られたって何も失うものはないというホンミャオや唐小雁さんと似ている気がします。

今後は楽観できない?

ところで、もうひとつ気になったのは、徐童監督もそうですが、今回来日した張賛波監督も2008年からドキュメンタリー作品を撮り始めたと言っています。それは偶然だったのでしょうか。彼らにとって2008年という年には何か特別な意味でもあるのでしょうか。北京オリンピックの年ということですけれど。

「何か共通点があるのかどうかわからないのですが、2008年から撮り始めたという人は多いんです。でも、そういう指摘はまだ誰もしていないです。ただ、個人的には、2008年が何かの転換点になっているのではないか、と思っています。逆に2008年以降、作品を撮らなくなっている人もいます。たとえば、『あひるを背負った少年』の應亮監督がそうです。07年までは撮っていたのに、そこからぴたりと止まってしまった。いま彼は教壇に立って教える側にいます。だから、まだそこはなんとも言えないですね」

――それにしても、映画祭のために会社を売ってまで取り組んでいる中山さんですが、何がそこまでさせるのでしょうか。

「よく人から聞かれることなんですが、ひとつは日本で誰も中国のインディペンデント映画の上映イベントをしていなかったので、やってみようと。誰かがやっていたら、たぶんやらなかったと思います。それと、第1回をやったときは、続けるつもりもなかったんです。結果的に評判がよくて、みんながまた観たいというので、続けることになった」

――次回はいつですか。

「まだ決まっていません。作品が集まったらやろうかなと。そんなにたくさんの作品があるわけではないんです。まだ次回向けは数本しか集まっていないので……」

――量産できる世界ではないでしょうしね。しかし、イベントのためには現地で監督に会ったり、彼らを招聘したり、お金がかかりますね。スポンサーはあるのですか。

「スポンサーはいないので、みなさんから寄付を募っています」

――ところで、中国では一般にインディペンデント映画の上映はどのように行われているのですか。

「最初に話した南京や雲南、重慶、北京で開かれる4つの映画祭と、あとは有志がカフェなどで独自に数十人くらい集めて上映しているという感じです。中国国内でもこの世界を知っている人は少ないです」

――この先、中国インディペンデント映画の可能性についてはどうお考えですか。

「中国の映画界では、『第六世代』という呼び方があって、1990年代後半くらいからインディペンデント作品をつくり始めた人のことを指すのですが、『第七世代』という呼び方はないんです。

インディペンデント映画が今後どうなっていくのかよくわかりませんが、あまり楽観できないのではないかと私は思っています。もしかしたら、もうあまり撮られなくなるのではないかと思うことがあります」

――それはどうしてですか。

「あまり若い世代が育っていないからです。確かにいることはいるんですが、たとえば、ショートムービーをネットにアップしようとする人はいます。でも、昔のように、気負って重い作品をつくろうとしている人は若い世代にはいないです」

――映画祭の関連イベントで、慶応大学日吉キャンパスで中国の1980年代生まれの映像作家の短編をいくつか観ましたが、盧茜監督の『北京へようこそ』はよくできていましたね。あのような才能ある若い世代がどんどん出てきたら、面白いことになると思ったのですが、彼はその後作品を発表していないのですか。

「聞かないですね」

――いまの中国の若い世代は、社会への関心が低下し、内面に向かっているといいます。もちろん、日本はずっと以前からそういう状況ですが、中国では、都市に住む若者の生活環境こそ、先進国に近づいたとはいえ、国全体でみると、社会問題は何ひとつ解決されていないわけで、こんなことで大丈夫なのか、と思いますね。

「そうなんですよね。中国にはまだ描くべきものはたくさんあるんです」


最後のくだりで、ぼくは中山さんにいたく共感してしまいました。彼の主催した映画祭のおかげで、中国インディペンデント映画の世界を知ることになり、本当に感謝しています。

中国インディペンデント映画は、ひとつの独自のスタイルを確立していると思います。

重要なのは、自分たちの社会をきちんと見つめ、向き合おうとする姿勢でしょう。そこにしかオリジナルな世界は生まれないという恰好の事例だと思います。政府がいくらお金をつぎ込んでも、良質なアニメが中国でなかなか生まれないのとは対照的です。

中国インディペンデント映画は、いまの中国が世界に誇れる重要な文化的なジャンルのひとつだと思います。

中山大樹(なかやま・ひろき)
中国インディペンデント映画祭代表。1973年生まれ。中国に滞在しながら、インディペンデント映画の上映活動や執筆をしている。
ブログ『鞦韆院落』
http://blog.goo.ne.jp/dashu_2005


ネットを検索していたら、中山さんの以下のインタビューが見つかりましたので、紹介します。
『映画芸術』2011年11月25日
中国インディペンデント映画祭2011
中山大樹インタビュー
http://eigageijutsu.com/article/236962523.html
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by sanyo-kansatu | 2013-03-16 16:17 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)