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2013年 02月 22日

さえない中年男たちのドタバタ劇だが、身につまされる?(中国インディペンデント映画祭2011 その10)

2011年12月16日は『花嫁(新娘)』(2009)を観ました。

花嫁(新娘)
http://cifft.net/2011/xn.htm

四川省巫山県という長江中流域の地方都市に暮らす4人の中年男の物語です。この作品はフィクションです。映画祭の公式サイトによると、こんなあらすじです。

「長江のほとりの町で暮らす、何をするにも一緒な中年おやじ四人組。彼らはいずれも円満とは言いがたい家庭生活をおくっている。そのうちの一人、妻に死なれたチーさんのために、彼らは嫁探しを始める。ただ、彼らには人に言えないたくらみがあった。哀愁ただよう間抜けな男たちをシュールでユーモラスに描いた、ベテラン監督ならではの味のある一本」。

これだけ読むと、中国の片田舎に住むダメおやじ4人組が繰り広げるほのぼのコメディのようですが、ここでいう「人には言えないたくらみ」の中身を明かしてしまうと、ちょっとガクゼンとしてしまうかもしれません。というのは、主人公のひとりで妻に先立たれた茶館の店主が、山村に暮らす田舎娘と偽装結婚したのち、保険金殺人を図り、それを4人で山分けしようと結託するという大そうな悪だくみだからです。

物語は、4人組がハイキングにでも出かけるような軽装で山あいの村を訪ね、保険金殺人の餌食となる娘を探すために山道を歩いているシーンから始まります。しかし、それはのどかなもので、自分たちがこれからしでかそうとしている非情な行為に対する罪の意識は感じられません。まったくいまどきの都市部に住む中国人というのは、農村やそこに住む人たちのことをどこまでなめきっているのでしょうか。

今日の中国社会には、自分の利益のために他人を道具として利用するという行為は必ずしも悪ではない、という空気が蔓延しているように思います。社会主義から市場経済へのなしくずし的な移行の中で、他人を出し抜いてでもサバイバルしていかなければバカを見るという強迫観念があるからなのか。

実際、彼ら現代中国人の抱えたプレッシャー(中国語でも「圧力」といいます)は、外国人の目から見ると、気の毒なほどです。なぜそこまで無茶しなければならないのか……。男たちは、多額の保険金のために村娘をかどわかし、殺害する計画を、いい歳して実践します。彼らはごくふつうの市井の人間で、特別悪人というわけではないのです。もちろん、これはフィクションですが、昨今の中国社会の風潮をふまえた設定だけにリアリティがあります。

山道でひとりの老人と一緒におとなしく座っている娘に彼らは出会います。声をかけても黙ったままですが、結局、その家族にお金を渡して昼食をとります。最近の中国では手軽なレジャーとして、ふだんは静かな山村に住む農家が観光客相手に地場の食材を使った料理をふるまう「農家菜館」が人気です。男たちは料理を目の前にすると、本来の邪悪な目的もすっかり忘れて舌鼓を打ち、その日は何の収穫もないまま街に帰ります。

ところが、ふとした縁で茶館の店主はその娘と再会します。店のアルバイトを探していたところ、紹介されたのが彼女だったのです。

その子は見るからに地味な田舎娘です。うつむきがちで起伏のない面立ちに小太りの体型。感情を表に出すことはありません。しかし、それには理由がありました。彼女は心臓が弱く、村出身の同年代の多くの若者が都会に出ていくなか、ひとり山村に残っていたのです。

そんな彼女ですが、茶館の住み込みウエイトレスという仕事であれば、重労働とはいえませんし、本当のことをいえば、都会に出てみたかったのです。店主はこれ幸いとばかりに、件の保険金殺人の構想を胸に秘めながら、彼女を雇い入れます。

物静かな娘ですが、初めての都会暮らしとあって、仕事にも慣れていくにつれ、笑顔を見せるようになります。4人組の仲間も店に来て、彼女を見るや、当初の計画を決行するまたとないチャンス到来と小躍りします。そして、店主に早く彼女と結婚するように迫るのです。

こうして田舎娘と晴れて同居することになった店主は、若い彼女にだんだん情がわいてくるのを抗えません。そしてある日、結婚を申し出ると、なんと彼女は承諾するのです。身体的な理由で人並みの人生を送ることをあきらめ、山にこもっていた彼女は、都会の男と結婚したら、自分の運命も変わるかもしれない。いつか子供をみごもって、そのまま都会で暮らすことができるかも。そんな夢に賭けてみたいと考えたのです。

ふたりは新婚旅行に出かけ、初めてホテルで一夜をともにします。実は性の営みは彼女の心臓にとって大きな負担であり、行為の途中ですぐに失神してしまいます。店主は驚きますが、かえっていとおしさがわいてくるばかりです。

歳の離れた若い新妻を手に入れた店主は、新婚生活を満喫します。ところが、それが気に入らないのは、悪だくみを計画した4人組の仲間たちです。彼女の生命保険の支払いもそうですが、ふたりの結婚式や新婚旅行の費用もみんなで用立てていたからです。投資した以上、いつかは回収しなければならないというわけです。

決行を迫る3人との間で葛藤する店主ですが、ついに新妻を手にかけることを決意した夜、家に戻ると、シャワー室で彼女が倒れています。シャワー室に突然侵入したネズミに驚いて倒れたことを暗示するシーンも挿入されますが、彼女は妊娠していたこともあり、心臓がその負担に耐えられなかったせいでもあるようです。そう、彼女はあっけなく亡くなってしまうのです。もともと彼女は出産に耐えられるような身体ではなかったのでした。

実は、3人の仲間も口では決行を店主に迫りながら、彼が決意をしたすぐあとになって、やっぱり人殺しなんて大それたことはやめようと、彼のあとを追いかけてきて、無残な彼女の姿を見ることになります。所詮、人間なんてそんなに冷酷にはなれないものです。彼らは、結果的に自ら手を下すことなく計画を遂行したことになったのですが、後悔と罪の意識にかられ、彼女の故郷の葬儀に出席します。深い山あいの村で繰り広げられる厳かな葬儀のシーンで物語は終幕を迎えます。

この作品の舞台である四川省巫山県は、監督の故郷だそうで、ストーリーも現地の友人から想を得たといいます。きわめてドキュメンタリータッチな作風ゆえに、長江流域の地方都市の雰囲気がよく伝わってきます。

主人公の店主以外の男たちの人生と生活の舞台となるさまざまな場所(住居や職場、遊興地など)や、そこで起こる出来事もなかなか興味深いです。4人組の悪だくみの会合でよく使われるレストランは長江の眺めが抜群ですし、ここでもお約束のように、風俗床屋とそこで働く女たちとのやりとりが出てきます。大学の社会人講座で経済を講じる4人組のひとりは、中国経済の成長ぶりがどれほど素晴らしいか、教壇の上で弁をふるっていますが、これなどいかにも2000年代の中国らしいシーンだと思います。

その講師は、自分の妻とホテルにしけこむ不倫男を目撃し、ボコボコにしたところ、その男は公安の幹部で今度は自分が命を狙われることになり、しばらく山に逃亡するというシーンもあります。一般に中国コメディの笑いのセンスは、日本の感覚とはずいぶん異なり、笑いのツボがつかみづらいことも多いのですが、これには笑いました。

とはいえ、この作品はいわゆる娯楽作ではありません。作品を撮った章明監督については、以前当ブログでも紹介したことがありますが、どうやら『花嫁(新娘)』は中国当局の検閲を通していないものらしく、ミニシアターなどで上映するほかなく、観客は1000人に満たない(2011年12月現在)とご本人が語っていました。

ではなぜそのような作品を撮るのかといえば、誰もが知る首都北京や上海を舞台にした作品ではなく、地方都市に生きる人たちこそ、中国の一般大衆であり、彼らの姿を描くことに意味があると考えているからのようです。以前、章明監督はこう語っています。

「私の作品の特徴は、登場人物に語らせるというスタイルであることです。『花嫁(新娘)』の場合も、地方の小都市に住む人々の生活やモノの見方、態度を描いています。彼らこそ中国の一般大衆です。中国の人々の大部分は大都市ではなく地方の小さな町に住んでいるのです」

作品の舞台として自分の故郷を選び、日常に潜む題材からストーリーを脚色していくという創作スタイルは、現在北京電影学院の教員である章明監督の教え子たちにも受け継がれているようです。たとえば、今回の映画祭の出品作の『冬に生まれて(二冬)』の楊瑾監督、『独身男(光棍儿)』の郝杰監督。またこれはフィクションではありませんが『天から落ちてきた!』の張賛波監督はみんなそうです。

ただし、この創作スタイルでは数多くの観客を得ることは難しいところにジレンマがあります。いわゆる娯楽大作のように、あの手この手で観客を惹きつける魅力的なエピソードや笑いや涙を盛り込むこともなく、その土地の日常を淡々と撮っていくという手法は、そもそも目指すところが違うということでしょう。そこをつくり手としてどう考えるかについては、張賛波監督のように、「(自分のドキュメンタリー作品は)あくまで自己表現の手段です。個人的な考えを表現するためには、フィクションや小説でも構わないのですが、たまたま私はドキュメンタリーを選択しました」と言い切ってしまえば潔いのでしょうが、つくり手によっても考えはいろいろなのだと思います。

今回、『花嫁(新娘)』を観ながら、ともに中年男の悲哀を描いているという意味で、中国人の北海道旅行人気に火をつけた『非誠勿擾』(2008 馮小剛監督)とつい比較してしまったのですが、前者が地方都市に住むさえない男たちの保険金殺人未遂にまでからむドタバタ劇であるのに対し、後者はアメリカ帰りで金には困らない男の優雅でとりすました婚活ラブストーリー。当然、作品を観たあとの登場人物たちに対する印象が違ってきます。

『花嫁(新娘)』では、そこで起きている出来事のすべてが理解できるわけではないのですが、登場人物たちが悪戦苦闘している姿は伝わってくるぶん、許せる気がしてくるのです。だから異質さを強く感じながらもどこか親しみをおぼえるところがある。それに比べ、『非誠勿擾』では主人公に対して“いけすかないヤツ”とツッコミを入れたくなったものです(北海道の小さな教会の牧師の前で主人公がひたすら懺悔しまくるシーンは笑えましたけど)。

日本で『非誠勿擾』の興業を試みた人たちがいましたが、北海道以外ではうまくいかないのは無理もないと思ったものです。日中の笑いのセンスの違いもそうですが、はっきり言っていまの日本人にはバブル臭い設定やストーリー展開がとても古臭く感じられて、たいして面白い映画ではないのです。一方、我々とは異なる時代を生きている中国の観客は逆にそれがいいと感じたはずです。だから大ヒットしたのです。

遠く離れた異国の地、自分とは生活環境も異なるし、一度もその地を訪れたことのない場所に住む人間に対して、一瞬でもなにがしかの親近感をおぼえるというのは、たぶん彼ら間抜けな4人の中年男が繰り出すしがないエピソードの数々、そのディティールにぼくがどこかで身につまされたからでしょう。それは、ちょうど新宿の町に突如現れた、どう見ても都会的な洗練からはほど遠い中国団体ツアーのグループと横断歩道ですれ違う瞬間、場違いにも思える異質な存在に軽い戸惑いをおぼえつつも、よく見るとカメラをあちこちに向け、日本の旅行を楽しんでいる彼らの無邪気な姿を発見することで、親しみの感情が生まれる。そんな日本でもしばしば見かけるようになった異文化接触の光景に似ていたように思います。

監督:章明(チャン・ミン)
重慶市巫山県出身。96年にデビュー作『沈む街』がベルリン国際映画祭で紹介されると、その年の数十カ国の映画祭で上映され、多数の賞を受けた。現在は北京電影学院の教員として多くの監督を育成しながら、脚本家や監督として活躍している。代表作は他に『週末の出来事』(01)、『結果』(05)など。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-22 13:18 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 21日

雲南省の廃墟の町でリス族の歌う賛美歌が美しい(中国インディペンデント映画祭2011 その9)

2011年12月11日は、『ゴーストタウン(廃城)』(2008)を観ました。

雲南省の辺境にある元漢人村と思われる小さな町の日常を撮った作品です。雲南省といっても、最近、中国の都市部の若者にもよくいるバックパッカーや外国人ツーリストが訪れる見所やゲストハウスのあるような気の利いた土地ではありません。いずれにしても、上海や北京の喧騒とは遠い世界の話です。

映画祭のパンフレットによると、このドキュメンタリーのあらすじはこうです。

「リス族とヌー族が暮らす雲南省の山岳地帯。政府によって放棄され廃墟となった街に、農民たちが住みついている。ここに住む人々は町の人の暮らす家や道路を享受し、頭上には真っ青な空と暖かな大地がある。

本作は3つの独立したパートにより、ゴーストタウンに生きる人々の状態を表現している。

・「神の御言葉」……二世代の宣教師の平淡で味気ない家庭生活と宣教師の仕事について描く。平淡さの影には、父子の長年にわたる苦渋と矛盾が隠されていた。

・「記憶」……分裂した家庭、誘拐されて売られた女性の心に閉じ込められた長年の苦悶。二つの異なる物語に共通する結末――ゴーストタウンからの別れ。かつての生活は、記憶へと変わる。

・「少年」……12歳の阿龍少年の物語。何ものにも縛られず、毎日仲間とともに働いて金を稼ぎ、鳥を捕まえて遊ぶ。時にお化けを信じ、時にキリストを信じる」。

なぜこの町は政府によって「放棄」されたのか。この地域の事情に疎いぼくには正確なところはわかりませんが、町の中心にある旧政府の建物の前に毛沢東像がいまも立っていることから、ここは文革時代(あるいはそれ以前に)に都会から下放(政策的に移住)した漢族の若者が建設した町で、改革開放とともに彼らが都会に戻ってしまい、廃虚となってしまったのではないかと思われます。

それはいってみれば、満州国の消滅で日本人が帰国したのち、無人となった家屋に中国の民が住み着くようになったのと同じように、用なしとなった町に、周辺に暮らしていた少数民族たちが雨露をしのぐために移り住むようになったというようなことではないでしょうか。

監督には、何らかの政治的な意図があるのだろうと思います。ただし、いまどき文革時代の検証や批判といったものは、中国では流行らない気がします。そんなことより、いま現在の問題をどうするのか、ということに多くの人たちの関心があるからです。この作品が映し出す辺境の町の人々と暮らしは、もっと別の何かを訴えかけてくるのですが、正確な現地事情がわからないため、それをうまく言語化できないのが残念です。

いちばん印象に残ったのは、インドシナの国々の北部国境地帯と中国にまたがって暮らす少数民族のリス族たちが、町のキリスト教会で賛美歌を歌うシーンです。村人が建てた小さく粗末な教会ですが、まるで中南米のグアテマラに土着化したカソリック教会のミサを連想させる幻想的な光景でした。

欧米列強がアジアを植民地化した時代、インドシナの少数民族の住む地域に多くの宣教師が入り込み、キリスト教を普及しました。では、現在中国に住む少数民族たちの中にはどのくらいの信者がいるのでしょうか。今回の映画祭の出品作の「冬に生まれて(二冬)」の中にも、主人公が親に連れられ、更生施設としてのキリスト教の学校に入れられるシーンがありますが、漢族の住むエリアでも、農村に行くとかなり広範囲にキリスト教が普及していることがうかがわれます。

いま中国は膨張主義の時代に突入しているように見えます。尖閣沖や南シナ海もそうですが、人口減に悩む極東ロシアでも中国人労働者流入のプレッシャーにさらされています。中国からインドシナに高速鉄道を延ばす計画もある。周辺国の懸念は国によって濃淡はあるものの、高まりつつあります。

その一方で、国内ではこの町のようにゴーストタウン化する地域も増えています。この町の場合は、政治路線の転換に伴う「放棄」が理由ですが、最近では不動産バブルの崩壊でゴーストタウン化する町もあります。中国の膨張主義もまた、改革開放という政治路線の延長線上にあるものですが、そうした路線がひとたび行き詰まったあとに残るであろう静寂というものを、この小さなゴーストタウンはある意味先取りした光景なのかもしれない。そんな気もしてきました。

監督:趙大勇(チャオ・ダーヨン)
1970年遼寧省撫順市生まれ。美大で油絵を学び画家として暮らしていたが、2001年からドキュメンタリー映画の制作を開始。本作は『南京路』につぐ2作目。現在はドキュメンタリーのみならず、フィクションや実験映画なども制作し、活躍の幅を広げている。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-21 13:07 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 20日

ドキュメンタリーは中国の歴史を記録するという自負(中国インディペンデント映画祭2011 その8)

2011年12月10日、ポレポレ東中野の1Fのカフェで中国インディペンデント映画祭2011の関連イベントとして、「場外シネマシリーズ3-轟轟烈烈!! 中国インディーズ・ムービー <冬>パート2 新星」という作品上映&トークイベントがありました。

上映されたのは、張躍東監督の『犬吠える午後(下午狗叫)』というアート系作品でした。中国の現代アートの映像作品によく見られる、さまざまな寓意を含んだ実験的な作品で、今回映画祭に出品されたドキュメンタリー作品や自主映画のように、特定の場所や登場人物の境遇、それぞれのシーンを社会的な文脈にのせて意味を読み取ることのできるようなタイプの作品ではありません。感想はというと、寓意もまた文化的なコンテクストを共有していないとなかなか面白さが伝わりにくいなあ、という印象です。

会場で配られた資料によると、張監督のプロフィールは「1975年山東省生まれ。98年山東美術学院油画科卒、2002年北京電影学院監督専攻卒。CCTV勤務などを経て、05年に韓東らとインディペンデント脚本家のグループ『北門』を発足。現在はフリー監督」とあります。彼もまた今回の映画祭に出品している監督たちと同様、フリーランサーとしていまの中国で制作活動を行っている映像作家のようです。

このあとのトークイベントにも関係する話ですが、今日の北京は、表現に携わるフリーランサーたちでもなんとか“食っていける”ような環境にある数少ない中国の都市のひとつといえそうです。中国のアートシーンを切り開いてきた先行世代が過ごしてきた1990年代までとは違い、昨今バブル状況にある北京では、広告やテレビ業界に入り込めば、仕事の場もそれなりにあるでしょうし、時代を謳歌し、うまくしのいでいる人も多そうです。これは日本の1980年代にクリエイターと呼ばれた人種のありようと似たようなところがあるかもしれません。そういう環境下で、あえてドキュメンタリー制作を志すことにはどんな意味があるのでしょうか。

さて、トークイベントは「中国インディーズ制作の魅力と困難」というものです。

ゲストは、来日中の中国人監督で、これまで当ブログでも紹介した『占い師(算命)』『収穫(麦収)』の徐童監督と、『天から落ちてきた!』(2009)の張賛波監督のおふたり。司会の女性と映画祭主催者で通訳の中山大樹さんが登壇しています。

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右から徐童監督、中山大樹さん、張賛波監督


まず、それぞれのプロフィールを以下記しておきます。

●徐童(シュー・トン)
1965年北京市生まれ。中国伝媒大学卒業。かつてはスチールカメラマンをする傍ら、小説を発表していた。デビュー作『収穫(麦収)』(08)が世界で評価され、ドキュメンタリー作家に転向。『占い師(算命)』は2本目、3作目『老唐頭』も2011年完成し、各国の映画祭で好評を得ている。

●張賛波(チャン・ザンボー)
1975年湖南省生まれ。2005年北京電影学院大学院修士課程終了。北京電影学院では『花嫁』の章明から指導を受けていた。故郷である湖南省を舞台にした作品を撮っている。『天から落ちてきた!(天降)』は初のドキュメンタリー作品。映画評論家でもあり、雑誌などにコラムを執筆。

おふたりに共通するのは、北京在住のフリーのドキュメンタリー映像作家であるということです。

資料の中に、「中国のインディペンデント映画」に関する解説があります(以下、抜粋)。おさらいしておきましょう。

「1980年代末からテレビ制作に携わる者が自主的な作品づくりを試み始め、90年代末にデジタルビデオカメラが普及すると、さらに様々な立場の個人による映画制作が急速に広がった。初期の作品として知られるのは、呉文光の『流浪北京 最後の夢想家たち』(1990)『私の紅衛兵時代』(1993)や、張元の『北京バスターズ』(1992)『広場』(1995)など。今や知名度の高いジャ・ジャンクーもインディペンデントの映画制作を始めた草分けのひとり。最近では、ロウ・イエ(『スプリング・フィーバー』2009)やワン・ビン(『溝』2010)などが各国の映画祭で注目を浴びている。そして彼らだけでなく、中国では個人的に映像作品を手がけている人が数多く存在する。しかし、中国国内では公に認められていない表現活動であるため、表立って公開される機会は得られない。どの作家も、海外の映画祭に応募したり、市街のカフェで上映したり、DVDにして知人を通じて配ったりという方法で作品の発表をしている」。

この解説を読むだけで、中国のドキュメンタリー映像作家たちの社会に置かれた立場がわかると思います。こうした環境の中で、なぜ彼らが作品制作に取り組もうとするのか。それにはどんな困難が伴うのか。以下、おふたりのトークを収録することにします。

司会「おふたりはどういう経緯で映画をつくり始めたのですか?」

徐童「私が東京に来て感じたことは、インディペンデント映画を取り巻く空気がとてもいいことです。たくさんの観客のみなさん、特に若い人たちが来ていることがすばらしい。私たちのような中国の現実を反映した作品を海外の多くの人たちに観ていただく仕事はとても重要だとあらためて感じました。

中国はこの30年間大きな変化を遂げました。でも、必ずしもいい変化ばかりではありません。中国の現代化は、私の作品の登場人物たちにも大きな影響を与えています。下層を生きる人たちに大きな代償を強いているのです。ですから、彼らの生活を記録することは、中国の歴史の一部を記録に留めることになると考え、私はドキュメンタリーを撮り続けています。

私は以前、小説を書いたり、写真で現代アートをやったりしていましたが、映像はより現実をいきいきと伝えることができるので、ドキュメンタリーを撮るようになりました。私の最初の作品は『収穫(麦収)』(2009)で、今回の出品作は『占い師(算命)』(10)、最新作は『老唐頭(老唐头)』(11)といいます。この3作品を私は『遊民三部作』と呼んでいます。私はいま、新しい作品に取り組んでいます」。

張賛波「私が映画を撮るようになったのは偶然です。2009年の『天から落ちてきた(天降)』という作品が最初です。それ以前は、北京電影学院で劇映画の勉強をしていました。08年に作品の舞台となっている湖南省綏寧県のことを知り、ドキュメンタリーを撮ろうと思い立ちました(この土地は中国の衛星ロケット発射基地のすぐそばにあり、発射のたびに残骸や破片が落下してくるため、住人にとってはとても危険。北京オリンピックが開催された2008年においても、その危険は続いている)。

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張賛波監督



それ以降、この道を進むことになりました。電影学院時代の同級生の眼からみると、私は本来やるべきことをやらずに邪道なことをやっている輩と見られていると思います。毎年1本つくっていて、今回の出品作の『恋曲』(2010)、そしていまは『ある種の静けさは草原という名である』という作品を撮っています。

私の作品に対する考え方は徐童監督とは少し違い、海外の観客に観せることはあまり考えていませんでした。あくまで自己表現の手段です。個人的な考えを表現するためには、フィクションや小説でも構わないのですが、たまたま私はドキュメンタリーを選択しました。私のドキュメンタリーは、そこに登場する人々の存在や感情、抱えている困難な状況を描いています。その困難は集団としての場合、個人の問題である場合、民族としての場合もあります。彼らが困難に直面したときの精神状態はどのようなものか。それが私のテーマです。

私の制作方式は、ひとりで現地に行き、撮影し、編集するというものです。集団でつくるというやり方は選んでいません。小さなビデオカメラがあれば、ひとつの作品をつくることができる。ペンを持つのと同じことです。観客のみなさんに私の作品を好きになってくれればうれしいですが、もしそうでないとしても、これからも私は作品はつくり続けます」。

司会「中国と日本ではインディペンデント映画を取り巻く状況は違うようです。中国では国からの圧力があるといいます。政治的な理由で作品を発表できないこともある。それでもやる理由は何でしょうか。どんな魅力があるのですか」

徐童「中国で作品をつくるというのは大変なことです。もちろん、世界どこでも大変ですが。まずお金がないこと。ただし、中国の場合、資金的な問題以外に政治的な障害があります。映画館で上映する場合、作品を電影局の検閲に通さなければなりません。検閲を通ったという承認がなければ、映画館で上映できないのです。

最新作の『老唐頭』は広州の映画祭で上映する予定でしたが、公的なイベントだったため、広東省政府の検閲を通さなければならず、結果的に上映禁止にされました。問題はこうしたことが私個人だけではなく、普遍的に起こっていることです。ある監督は当局に呼ばれて、これを中国では『喝茶(お茶を飲む)』というのですが、事情聴取されています。それは尋問というような厳しいものではありませんけれど。私はまだそんな光栄に浴した経験はないのですが、当局から警告を受けている友人は他にもいます。

ですから、自由な表現をするということが、中国のインディペンデント映画にかかわる最も重要な問題です。民主的な国の人たちには理解できないかもしれませんが、私たちのいう『独立(インディペンデント)』という言葉にはこうした意味が多く含まれています。これが私たちの置かれた現状です。

ただし、私たちの抱えた政治的な制約によって、欧米の映画祭などでは中国人監督の作品がことさら着目される。それは誇張されている面もあると感じています。私たちは何も政治的なテーマばかりを扱っているのではなく、個人の問題を扱っているのだということを忘れないでいただきたいのです。そういう誤解を海外の人たちに与えているのではないかという懸念もあります。

もちろん、中国ではどんな内容であってもそこに政治的な意味が含まれないものはないとはいえる。下層に生きる人たちを、その個々の人たちの姿を撮るということは、それ自体が政治的な意味を帯びないということはありえません。しかし、私の作品が政治的、または芸術的な文脈を越えて、多くの人たちに伝わることを望んでいます」。

張賛波「私も基本的に徐監督に同感です。私たちの創作活動というのは、社会や時代に対する芸術性や政治性を超えて、普遍的な人々の感情や存在を表現するものでありたいと思います。

実は、先ほど私はひとりの日本の観客と話をしました。彼女は日本のテレビ局で青海省のチベット族のドキュメンタリーを制作しているという人です。彼女は映画祭のカタログにある『天から~』の解説文を読んで、私の作品が扱う題材が政治的に敏感なテーマであることを知りました。

彼女は私にこう質問しました。『こういう作品をつくると、当局からの圧力や投獄はないのですか』。彼女が心配したのは、自分が撮った映像を編集し、発表したとき、現地で協力してくれたチベットの人たちが巻き添えを食うのでは、ということでした。

そこで、私はこう言いました。『何かをやろうとするとき、怖れを抱いてはいけない。私はいつも、結果がどうなるかを心配するより、まず撮影してしまう。何か問題が起こったとき、初めてそれを考えるということにしている。もし私があなたのように心配していたら、作品はつくれなかったろう』。 

中国では常に何の危険もない状況というのはなく、何かをやろうとすれば何かしらの影響がありますが、かつての中国とは圧力といっても少し違います。私たち、ドキュメンタリー制作の関係者はとても狭い世界にいますが、今後は何らかの道を見つけていけるはずだと思っています。

いま中国でつくられているドキュメンタリーは、民間の歴史を記録として残すという意味で大きな貢献をしていると考えます。私の創作は個人的なものではあるが、長い目で見れば歴史の一部になりうる。これから数十年後、100年後、その仕事は大きな意味を持つと思っています。 

外国人が中国を撮ることも、同じ意味を持つでしょう。イタリア人の映画監督、アントニオーニが1970年代に中国に来て撮影した『中国』というドキュメンタリー作品があります。これは中国の歴史にとって重要な価値を持っています。文化大革命の時代に中国を訪れた外国人と同じように、いま中国で記録を残すことも価値となるはず。だから、怖れることなく作品を完成させたほうがいいと私は彼女に伝えたいと思います」。

おふたりの発言は、以前紹介した章明監督とも共通していて、いまの中国において、どんなに小さな個人の世界を扱うのだとしても、ドキュメンタリーを撮るということは、中国の歴史を記録することになるという自負があることです。

こうしたもの言い、すなはちリアルな社会の問題に対しても歴史を持ち出す態度というのは、ぼくから見れば、そのよしあしはともかく、まったく中国人らしいというほかありません。張監督の以下のような発言もそうです。

『何かをやろうとするとき、怖れを抱いてはいけない。私はいつも、結果がどうなるかを心配するより、まず撮影してしまう。何か問題が起こったとき、初めてそれを考えるということにしている。もし私があなたのように心配していたら、作品はつくれなかったろう』。 

このような物事の進め方は、表現に携わる人たちだけでなく、いまの中国を生きる一般の人たちの、たとえばビジネスに取り組む姿とも重なるように思います。それは敬服に値するということばだけでは言い表せないものですが、力強さはある。それも彼らの生きる環境のなせるわざなのでしょうか。

中国の知識層の中には、歴史に対する考え方がいかにも夜郎自大で、大衆に対する態度も超然とふるまうことを良しとするようなタイプもいて、鼻につくことが多いのですが、中国のドキュメンタリストたちは、むしろ取るに足りないと思われがちな社会的弱者にまなざしを向けようとしていることに好感をおぼえます。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-20 15:27 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 17日

中国の成長の代価を負わされた存在をめぐって(中国インディペンデント映画祭2011 その7)

2011年12月9日、武蔵野美術大学で開かれた徐童監督の『収穫(麦収)』の上映会の続き、質疑応答の時間です。

作品の上映後、徐童監督と映画祭の主催者である中山大樹さん、そしてひとりの中国女性がステージに登壇しました。

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左から徐童監督、中山大樹さん

最初に司会の女性から、監督がこの作品を撮るきっかけについての質問がありました。徐童監督は自分の経歴にも簡単に触れながら、主人公ホンミャオとの出会いとこの作品を撮るに至った経緯について、以下のように話しました。

「私は1987年に北京の大学を卒業し、その後、スチールカメラマンとしてテレビ局や雑誌社などで仕事をしていました。2000年頃から、中国の現代アートが世界的に注目されるようになり、私もアートの世界で評価されるようになりたいと考えていました。ところが、中国の現代アートはその後バブル状況に陥り、誰もが欧米で売れるような、たとえば毛沢東がらみの作品ばかりになった。そんな中国の現実から乖離した作品があふれるようになったので、私は大いに不満でした。

2007年、私はそんな思いを表現するため、小説を書きました。社会の下層の人々の生活や苦悩を書きたいと思ったのです。しかし、小説では十分書ききれなかったというか、書き足りないと感じました。そこで、ドキュメンタリーを撮ろうと考えました。ちょうどそんな頃、ホンミャオと偶然街で出会ったのです」

ホンミャオの「職場」は北京市の南はずれ、朝陽区高西店にある風俗床屋です。現在の北京市は、中心部をぐるりと取り囲むように、地下鉄沿線上に新興住宅地として開発された高層マンション群と、老朽化したまま放置されるスラムが混在して広がっています。こうして増殖していく都市空間の内部には、都市戸籍を持たない「外地人」が暮らすスラム=“都市の辺境”がエアポケットのようにまだらに存在しています。

2000年代に入り、猛烈な不動産投資ブームによる高層ビルの建設ラッシュで北京の相貌が大きく変わっていくなか、徐童監督は時代の変化と社会の矛盾に戸惑いを覚えながら、引き込まれるように“都市の辺境”に足をふみ入れることになったのではないかと想像します。徐童監督は1965年生まれ。ぼくとは同世代で、1980年代から今日に至る北京の変化を眺めてきたところもあり、彼の気持ちはわかる気がするのです。

ぼくは外国人ですから、北京では階層縦断的にさまざまな人たちとそれなりに交流できる特権を手にしています。ある日は外資系高層ホテルのハイソなバーに出入りするような小資(プチブル)たちとも会いますし、またある日は「農民工生活区」の住人たちとも一緒に食事をするというようなこともあります(中国は階層が断絶している社会ですから、両者の交流はまずありえないといっていいと思う。徐童監督のような奇特な人物を除くと)。

ぼくから見れば、プチブルの連中は、たいていの場合、中身は薄っぺらなくせに強欲で自尊心が肥大化していると感じることが多くてうんざりです。残念な人たちに見えます(文化人、読書人はまた別の話です)。それに比べれば、「農民工生活区」の人たちからのほうが学べることはずっと多い。彼らは、自分たちの生きる社会の矛盾や痛みについて、否が応でも思い知らされている人たちだからです。

徐童監督の作品はすべてそうですが、これら両者の深い階層断絶の裂け目から放擲され、置き去りにされた社会的弱者とされる人たちの人生に向き合おうとしているのだと思います。一見取るに足りないと思われがちな彼らの人生の深淵に目を開かせてくれたのが、都市と農村を往復する農民工のひとりであるホンミャオの存在だったのでしょう。だから、彼はこんなことを言うのです。

「初めて彼女に会ったとき、このような境遇にありながら、当時20歳の彼女に、なぜこんなに力があるのだろうか、と思いました」。

そう語る徐童監督は北京市民のひとりであり、ホンミャオとはもとより別世界の住人です。しかし、いまの中国で「外地人」に対して、彼のような視線を向けることのできる都市民はまだ少数派のように思います。

監督はこんなことも言います。

「私自身、フリーランサーでもあり、“都市をさまよう人間(盲流)”のひとりです。そういう意味では、ホンミャオと自分は境遇が似ていると思いました」

ここでいう“都市をさまよう人間(盲流)”とは、今回の映画祭の関連イベントでも上映された中国初のドキュメンタリー作品とされる『流浪北京 最後の夢想家たち』(1991)の世界につながる自己認識だと思われます。北京でアート表現に携わる人間の多くは、天安門事件当時の若い北京のアーチストたちの精神状況を描いたこの作品の登場人物と同様に、自らを“都市をさまよう人間(盲流)”とみなしているところがあるのでしょう。その意味で、少々カッコよすぎるとは思いますが、彼は自分の不安定な境遇を彼女と重ねているわけです。これもまあ理解はできます。

そして、この作品を撮るに至った理由について彼はこう説明します。

「中国における下層社会の住人は、この30年間の経済発展の代価を負わされている存在です。映像を通して代価を払わされている人たちの姿を記録することは重要な仕事だと考えています」

徐童監督に限らず、中国のドキュメンタリー作家たちが共通して語るこうした「公式見解」は、ちょっと優等生すぎて、「記録」するだけで本当に事足りるのか? 体制に日和見しているのではないか、と思わないではありません。下層の人たちの世界をいちばんよく知る彼らがそんな悠然とした態度であれば、社会は変わりようがないではないか、と思うからです。

しかし、そんな邪推も、彼らが作品化している舞台である北京周辺の郊外村やスラムを訪ねたり、「外地人」とつきあう機会が増えたりしていくうちに、ぼくにも少しずつ納得できるようになりました。それ以上のことを軽々と口にできるほど、中国は悠長な社会ではないからです。特権階層に限らず、この国の多くの知識階層も、中国はとても不安定な社会であることを自覚しているため、自分たちにはコントロール不能の社会変動につながりかねない「民主化」など、そんなに気安く口にすることはありません。そうした主張をする人たちもいるのは確かですが、それこそ「夢想家」と呼ばれかねないのではないでしょうか。

さて、『収穫(麦収)』という作品の最も驚嘆すべきところは、なぜこのような映像を撮ることが可能だったのか、でしょう。徐童監督はこんな風に説明します。

「ドキュメンタリーは真実そのものではない。つくられたものと考えるべきです。ただし、同時に現場にいて感じたことは真実といえる。私にとってカメラは決して冷たい機械ではありません。交流の道具なのです。私はホンミャオとその周辺にいる人たちすべてに対して、監督ではなく、友人のひとりとして付き合いました。そうした信頼関係があってこそ、撮影が可能となるのです」

当然のことですが、風俗嬢たちの日常を収めた長回しの映像の背後には常に徐童監督がいて、ビデオカメラを回し続けていたわけです。それが可能になる「信頼関係」というものは、日本のような国ではちょっと想像できないことで、もしかしたら中国においてもあと10年もすれば社会が成熟化して不可能になってしまうかもしれない、撮る側と撮られる側の間にある微妙で率直な関係性を唯一の成立条件としているように思えます。

こうした関係性による映像の成立条件に対する疑義が呈されたのが、香港「収穫(麦収)」事件です。2009年、この作品は日本をはじめ国内外のドキュメンタリー映画祭に出品されましたが、香港の映画祭会場において、性産業従事者のプライバシーを著しく侵害した作品として上映停止を求める運動が起こり、上映会場のスクリーンの前に横断幕が掲げられたといいます。

ここで問題となっているのは、このような映像が撮られたことではなく、上映することに対してで、同じ中華圏の香港やその後の台湾でも強い批判が起きたのです。日本をはじめ中華圏以外の国では所詮外国の話ということからか、作品の世界をどこかフィクションのように受け流すことができるのかもしれませんが、同じ中華圏で「民主化」を経た地域に暮らす人たちにとって、ホンミャオ個人の人権問題として物議を醸すことになったというのは興味深い話です。

要するに、「このような映像を撮られてしまった彼女の今後の人生にどんな悪い影響を与えることになるのか、監督は自覚しているのか。その場合、どう責任を取るのか」という主張です。これはこれでもっともな意見です。たいていの国では、こうした「人権意識」が常識としてあるゆえに、このような映像を撮ることがはばかられてしまうからです。

その件について徐童監督はこう語っています。

「私の作品を批判する社会運動家の人たちにも良心があることは私も理解しています。ただ登場人物の顔にモザイクをかけたからといって身元が割れないということでもありません。むしろ彼女らが風俗嬢ということで、決して社会の表に出ることのない存在として隠されるより、堂々と顔を出して生きるべきではないかと思うのです」

こうした「事件」を経て、『収穫(麦収)』はさすがに中国国内では上映しないこと。海外での上映は構わないけれど、すべて監督の了承を得たうえでなければならないという取り決めになったそうです。実際、この作品は中国のなんでもありの動画サイトでも観ることはできなくなっています。

おそらく徐童監督自身、撮影当時はもとより、上映にあたって「人権意識」が問われるようなことなど想定していなかったでしょう。香港の社会運動家が言うように、ホンミャオの将来への影響や責任など、考えてもみなかったに違いありません。そんなことまで自覚していたら、決して撮り続けることはできなくなったと思いますし、逆にそういう「人権意識」の持ち主が回すカメラであれば、ホンミャオの側も撮られることを拒絶したのではないか。そんな気がします。

風俗嬢とカメラマン、両者の間に取り交わされたある種の無頓着さからくる了解事項、そこにはお互いを対等に尊重する姿勢と関係性の相互承認があって、初めて『収穫(麦収)』の成立条件として機能したのだと思われますし、2000年代に入ってなお中国が「人権意識」の抜け落ちたような社会であることも、この奇跡的ともいえる記録映画の誕生に寄与することになったといえなくもありません。結果的に、オリンピック開催に象徴される中国の表向きの華やかさとは対極の世界を描いているようで、やはりこの作品にはどこか救いがあることも、2000年代という時代に撮られた作品らしい気がします。

こうした「事件」の複雑な経緯に触れたあと、徐童監督はこんなことを言っています。

「私とホンミャオはカメラを通してお互いの属する別世界を知ることになりました。このことが私たちにとっていちばん重要なことでした」

ちょっときれいごとすぎるもの言いに聞こえるかもしれませんが、徐童監督のホンミャオに対する終始一貫した態度によって、私たち観客も農民工という「別世界」を知ることになったのは確かです。この作品を通じて、都市で暮らす農民工たちが中国の成長の代価をいかに負わされているかという実相について、多くの知見を得ることができたのと同時に、彼らのしたたかさや強さを知ることができたのも、大きな収穫といえるでしょう。

ところで、この作品が撮られた3年後、ホンミャオは故郷で結婚し、娘が生まれたそうです。徐童監督は結婚式には顔を出さなかったそうですが、1000元の紅包(中国の祝い事の際、包むお金のこと)を彼女に送ったとのこと。中国人というのは、自分が出した金については、はっきり額を明かさないと気が済まないようですね(笑)。

最後に、この質疑応答中に起きたちょっとしたサプライズについて触れておきます。最初に監督と中山さんとひとりの中国女性が登壇したと書きましたが、この女性、なんと今回の映画祭の出品作『占い師(算命)』の登場人物のひとり、唐小雁さんだったのです。

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唐小雁さん

実は、『収穫(麦収)』の上映中、彼女はたまたまぼくの隣の席に座っていたのですが、独特の存在感のある女性でもありますし、そもそもどこかで見たことのある人だなとずっと気になっていたのです。それはそうでしょう。数日前にぼくは『占い師(算命)』を観ていたからです。撮影当時の彼女は、幸の薄そうな、これまた風俗嬢で、泣いたりわめいたり、警察につかまったりと(もちろんドキュメンタリーですから、事実です)、波乱万丈な人生を垣間見せてくれた当人です。その彼女が日本に来ているということにびっくりしました。このドキュメンタリー作品に出演したことで、彼女の人生は大きく変わったそうです。

半年後、北京で監督と唐小雁さんに再会することになるのですが、また後日報告します。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-17 16:52 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 13日

北京の風俗嬢と農民工生活区のすべて(中国インディペンデント映画祭2011 その6)

1年ぶりに中国の自主映画(中国独立电影)の作品について書きます。以下、「中国インディペンデント映画祭2011」の報告の続きです。
          
2011年12月9日、中国インディペンデント映画祭の関連イベントとして、武蔵野美術大学で開かれた徐童監督の「収穫(麦収)」の上映会に行きました。この作品は、第2回中国インディペンデント映画祭(2009)の出品作です。今回の出品作のひとつ、「占い師(算命)」と同じ監督の作品です。

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このドキュメンタリー作品のあらすじを語るには、ちょっと下世話な話から始めなければなりません。中国の床屋が、いわゆる風俗店として使われていることをご存知でしょうか。現地駐在の方や出張などで何度か中国の地方都市に足を運んだことのある人なら見たことがあるのではないかと思います。見た目はただのうらぶれた床屋ですが、窓越しに中を覗くと、なにやらケバケバしい女たちが何人も腰かけていて、目でも合おうものなら手招きされそうな妖しい雰囲気がある。そこは地方出身者と都市の下層階級向けの風俗施設というわけです。

北京などの大都市でも、中心部から車で10分も走れば姿を現わす、地方からの出稼ぎ労働者たちが暮らす居住区(「農民工生活区」といいます)にはたいていどこにでもあります。そんな風俗床屋で働く20歳の娘がこの作品の主人公です。

彼女の名はホンミャオ(仮名)。細くつりあがった瞳、平たい顔と低い鼻、決して器量よしというタイプではないのですが、まだあどけなさの残る屈託のない表情と、農民工によく見られる気の強さが彼女の中に同居しています。見た目でいうと、そんな商売に身をやつしているとは思えない子です。出身は北京の南方約90キロの場所にある河北省定興県閻家営村。北京市西南のはずれにある「農民工生活区」に暮らし、東南のはずれにある店に「上班(通勤)」しています。

話は、彼女が河北省の実家に帰省し、父親と会うシーンから始まります。父親は病気のため点滴を受けながらオンドルに横たわっています。彼女は父親に北京の市場で買ったポロシャツをお土産として渡します。それから家族みんなで卓を囲んで食事をします。

そんなのどかな農民一家の団欒風景から一転して場面は天安門広場になり、けたたましいサイレンの音が響き渡ります。この作品が撮られたのは2008年。撮影期間中に起きた5月12日の四川大地震直後の被災者への黙祷シーンがさりげなく挿入されています。つまり、この話は世界中から注目された北京オリンピック開催と同じ年に起きている出来事だということを伝えようとしています。

さて、作品ではホンミャオの私生活のいっさいが次々と公開されます。彼女の仕事や友情、恋愛、家族との関係など、こんなに何もかもさらしてしまって大丈夫なのか、と心配してしまうほどの赤裸々さです。ところが、曇りのない彼女のキャラクターがなせるわざというべきか、決して賤業に身をやつしているというようなじめじめしたところはなく、ある種のすがすがしさすら観客に感じさせるところがあり、これは驚くべきことに違いありません。

「ホンミャオの生活圏」として、作品中に登場する場所を書き出してみました。彼女は北京市南部にある生活圏と実家のある河北省定興県閻家営村をこの1年のうち何回か往復しています。
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ホンミャオの北京の部屋は、豊台区の「農民工生活区」にあります。北京と広州を結ぶ京広線の線路のすぐ脇、レンガ塀一枚で隔てただけの場所にあるため、騒音が相当激しそうな環境です。北京では一般に「東富西貴北賎南貧」といいますが、ここはその「南貧」に位置しており、結局のところ、彼女は多くの「農民工生活区」の住人たちがそうであるように、北京中心部の高層ビル群が並ぶ世界に自ら足を運び、越境していくことはまずありません。彼女ら「外地人」は、空間的にも北京生まれの都市戸籍者たちとはまったく分断された生活圏を生きているといえます。

オンドルが中心を占める彼女の小さな部屋には、テレビと衣装棚とわずかな家財道具があるだけですが、女の子らしくクマのぬいぐるみが置かれていたりします。同じ農民工の彼氏と携帯でおしゃべりするのもオンドルの上です。

彼女の「職場」は、朝陽区高西店の風俗床屋です。昼下がり、彼女と同じく地方出身である同僚の女たちは昨晩相手をした、たちの悪い客に悪態をついています。「河北省出身の17歳の処女が1万元で買われたが、そのうち彼女の手元に残るのは7000元だ」などという噂話も、姉御風の同僚が訳知り顔で話しています。

この作品では、彼女らの「職場」の風景が、あきれるほどの率直さで日常的に映し撮られています。女たちは床屋の中の長椅子に座って客が現れるのをひたすら待っているのですが、ひまなときには音楽を聴きながら踊ってみたり、みんなで食事をしたり……。徐童監督は彼女らと同じ場所にいて、その姿を長回しで収めているわけです。

これだけで十分興味深い光景ですが、さらに面白いのは、さまざまな登場人物の姿を通じて、彼女らの「職場」の外に広がる農民工の多様な日常が映し出されていることです。

ホンミャオには農民工の彼氏がいます。彼は建築現場で巨大なクレーンを扱う仕事をしていて、休日に彼女を現場に連れていき、自分の仕事がいかに大変か自慢げに語ります。こういういじらしい感じは、若き日の吉永小百合の主演映画『キューポラのある街』(1962年)みたいです。ただし、前述したように、いまの北京にはそこから車で10分ほどの場所に高層ビル群が林立している別世界があるという現実があります。よくいわれるように、中国にはいくつもの「時代」がモザイクのようにバラバラに折り重なりながら共時的に存在しているのです(もちろん、その「時代」というのは、我々先進国がこれまで経てきた時間軸の括りを便宜上そう呼んでいるにすぎないのかもしれませんが)。

農民工カップルのふたりは、中国の消費時代の申し子とされる都会生まれの「80后」と同年代の若者ですが、三里屯あたりのおしゃれなカフェやレストランには縁がなさそうです。夜のデートは屋台の食事が定番。そこには、いろんな年代の地方出身者たちが集まっていて、世代を超えた会話が繰り広げられています。ランプの明かりに照らされた彼らの表情はリラックスしていて、和気あいあいとしています。

風俗店の老板(経営者)は江西省出身の女性で、ある日彼女の誕生日を店の女の子と一緒に祝うことになりました。彼女の自宅にはなかなか男前の愛人がいて、料理も上手です。食事をすませると、みんなでKTVに行きます。そこは、彼女らと同じ地方出身の若いホストのいる店です。一晩のチップは100元。ホンミャオも遊びと割り切っているのでしょう。お気に入りのホストのひざの上に乗ってカラオケを歌っています。そして今日の主役、老板が歌うのは、テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』。ああ、なんという場末感。しかし、彼女たちにとってこの時間がどれほど気晴らしになっているのか、よく伝わってくる光景です。

こうして同僚や男友達にも恵まれたホンミャオは、北京でそれなりに楽しく毎日を過ごしているようです。おしゃれしたい年頃ですから、「農民工生活区」にある小さなネイルサロンに行ったりもします。しかし、直接的ではないものの、彼女の職業の内実を暗示するいくつかのシーンも挿入されています。たとえば、彼女がある検査のため病院に通う冒頭のシーンがそうです。検査の結果は問題がなかったことを彼氏と一緒に喜ぶ姿も映されていますが、性病の懸念を彼女がずっと抱えていることがわかります。また、北京で最初に働いた風俗床屋のあった場所を訪ねると、そこは当局によって閉鎖されており、近所の人の話では、老板は懲役5年の刑に服していることを知らされます。北京における彼女自身も、いかにあやうい存在であるかがわかります。

そのうえ、実家の父親が深刻な病気を罹っており、彼女はその治療費を負担しているのです。家族への送金のために双井郵便局に行くシーンもありますが、別の日には手術のために父親が入院した河北省保定市の第一中心医院の病室を見舞いで訪ね、母親に3000元を手渡します。すると、母親はそのうち200元をそっと娘に返しました。

中国では、金勘定は現ナマを第三者に見せないと意味がありません。そもそもなぜ3000元を渡したかわかったかというと、母親が娘から渡された100元札の束を数えるシーンを見ながら、ぼくが枚数をカウントしたからです。カウントできるほど他者にはっきり見せてこそ、親を扶助する孝行娘とその母という関係性が表ざたになるわけで、母娘ともに「面子」が立つというわけです。しかも、いったん娘からもらった金の一部を返すことで、母親の「面子」も維持される。金銭をめぐるこうしたやりとりも、彼らにとって「面子」に関わる重要な行為といえます。外国人からすると一瞬違和感を覚えるような光景ですが、徐童監督はこうしたなにげない、いかにも中国的な親と子のリアルな情愛を感じさせるシーンをしっかり収めています。

さてそのころ、彼女の実家では、麦の収穫の季節を迎えていました。実家の外には、すっかりコムギ色に染まった麦畑が広がっています。北京の「農民工生活区」や風俗床屋の世界をさんざん見せられてきた観客にとって、ハッと胸を打たれる光景です。旧式のコンバインが音を立てて麦を刈り取っていきます。

ホンミャオは農民の娘です。病気の父親に代わって刈り取った麦の籾殻を庭先で分けたり、収穫のすんだ土地にトウモロコシの種を蒔いたりするのは彼女の仕事です。

そんな農作業に明け暮れる彼女も、実家の部屋に戻ると、北京の彼氏からの電話を受けるのですが、なんと彼氏の浮気がばれてしまいます。しかも、その相手は同僚の女友達だったことが判明し、彼女は涙にくれます。そして、心を痛めた彼女は寝込んでしまいます。

こうして実家のオンドルの上であられもない寝姿をカメラにさらしたまま、長い沈黙のあと、彼女はカメラマン兼監督である徐童に向かって言います。

「拍不拍了?(もう撮るの撮らないの?)」

映像は暗転。テレサ・テンの『阿里山的姑娘』が流れ、唐突にエンドロールを迎えます。

「終幕」。

……とまあこんなストーリーです。

ひとことでいえば、北京の底辺を生きる若い女性、しかも風俗嬢である農民工の私生活をビデオカメラで延々撮り続けるという、常識で考えれば、よくこんなことが可能だったなあと半ば呆れつつも、驚かざるを得ない作品です。

なぜ徐童監督がこの作品を撮るに至ったか、またなぜこのような映像を撮ることができたのかについては、上映後に監督に対する会場からの質疑応答があったので、次回紹介します。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-13 11:57 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 31日

中国インディペンデント映画の誕生と現在(中国インディペンデント映画祭2011 その5)

12月7日には、中国インディペンデント映画祭の関連イベントとして「日吉電影節2011」(主催は慶應義塾大学)がありました。この期間中のイベントは何でも見てやろうという気でいたので、久しぶりに慶應の日吉キャンパスに足を運びました。

プログラムは、第一部が中国の若手監督(1980年代生まれが中心)の短編映画の上映で、第二部が北京電影学院教授の章明監督と俳優の王宏偉さん、中国インディペンデント映画祭代表の中山大樹さんの座談会でした。

映画上映についてはあとで触れるとして、この日ぼくにとって収穫だったのは、章明監督による中国インディペンデント映画の誕生の背景と現在の動向に関するスピーチを聞けたことでした。以下、簡単に章明監督の話を紹介します。
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章明監督


「中国インディペンデント映画(いわゆる自主制作映画)が誕生したのは1990年代です。背景には改革開放以降の中国の経済発展と、デジタルビデオカメラのコンパクト化をはじめとした撮影技術の進歩があります。中国ではそれまで映画製作は国家が資金を出す代わりに国家の要求するものしかつくることができませんでした。これが変わったのが天安門事件後です。鄧小平は民主化を抑えるかわりに、経済面の開放を加速化させましたが、その影響は映画製作の現場にも現れました。民間資本による映画製作が可能となったのです。

これは映画製作者にとって、ひとつの門が開いたことを意味しました。国家の要求するものとは異なる作品をつくることができるようになったからです。

私たち映画製作者たちは、当然のことですが、これまでとは違ったものを撮りたいと考えました。内容においては、すべてが政治がらみだったものからそうではないものに、登場人物においては、これまで映画に出てくることのなかった、たとえば泥棒といった世間の片隅に生きている人物を扱うことで、社会の真実をリアルに描きたいと思いました。

もっとも、1990年代はテレビドラマが人気で、街にはハリウッドや香港映画のビデオ上映館が大流行でしたから、映画は衰退していく時期でした。中国映画市場が活況を呈してきたのはここ数年のことで、いまでは天安門事件後に生まれた世代が映画館に足を運ぶ時代になりました。映画館の数も増えています。ただ作品の種類は少なく、そのほとんどはハリウッドか中国政府の後押しした歴史大作です。我々のつくっているような低予算のインディペンデント映画が映画館にかかることはありません。

なぜなら、中国では映画館で上映するためには、当局の検閲を受けなければならないからです。またたとえ検閲を受けたとしても、興行収入を得る見込みのない作品を上映する映画館はないからです。

私の新作『花嫁』(2009年)にしても、中国ではいまだ5~10回しか上映されていません。最初に上映されたのが北京の798芸術区にあるイベリア芸術センターで開かれたインディペンデント映画祭で、その後の南京や重慶の映画祭や大学のキャンパスでしかありません。中国には、海外のようなアートシアターは少なく、自主的に上映することしかできないからです。おそらく私のこの作品の観客は1000人に満たないでしょう。

それでも、中国のポータルサイトのひとつ「捜狐」のように、インディペンデント映画専門のサイトをつくろうとする動きもあります。ある若手の映画作家が、性転換したダンサーを主人公としたドキュメンタリー映画をネットにのせ、2000万アクセスを得たという成功例もあります。ただこうしためぐり合わせは誰にでもあるものではありません」。

その後の質疑応答で、章明監督(1961年四川省生まれ)は映画監督を志した経緯について次のように語りました。

「私は小学生の頃、長江のほとりの農村(四川省巫山)で過ごしました。校舎は古い廟で、教室の四角い窓から長江と行き交う船が見えました。それは映画のスクリーンのように美しかった。中学時代は演劇をやり、高校時代に映画雑誌を初めて読み、映画の脚本の存在を知りました。大学時代は美術大学で油絵を専攻しました。

大学卒業直前の1980年頃、栗原小巻主演の『愛と死』(1971年松竹)を観ました。そのとき、初めてスローモーション映像というものを知ったんです。その後、映画制作を志し、北京電影学院に入学しました」。

(章明監督は、91年に北京電影学院監督科の修士課程終了。北京電影学院教員となり、テレビドラマや広告制作に携わる。初監督作品『巫山雲雨(沈む街)』(1996年)がトリノや釜山の映画祭で最優秀作品に選ばれる)

監督の作風や映画撮影に対する考え方を問う質問に対して、彼はこう答えています。

「私の作品の特徴は、登場人物に語らせるというスタイルであることです。『花嫁』の場合も、地方の小都市に住む人々の生活やモノの見方、態度を描いています。彼らこそ中国の一般大衆です。中国の人々の大部分は大都市ではなく地方の小さな町に住んでいるのです」

実際、外国人である我々は北京や上海といった大都市に住む人たちこそ、そこそこ知っているとはいえ、地方の小都市に住む人たちのことはまるで知りません。彼らがどんな環境で暮らし、何を考えながら日々を送っているのか。監督の作品はそれを知る手がかりを与えてくれます(『花嫁』については後日紹介します)。

また監督の話から、中国インディペンデント映画が扱う題材やテーマが、かつてのように国家が要求する歴史の英雄を描くのではなく(いまでもその傾向が強いですけど)、中国の一般大衆の生活や日常を扱うことに熱心なのは、それ相応の背景や動機があったことがわかりました。

さて、順序が逆になりましたが、第一部に戻ります。中国の若手監督による短編映画の上映です。2009年の重慶インディペンデント映画祭の出品作から選ばれたそうです。以下、作品の簡単な紹介とひとことコメント。

①『阿Q魚伝(Q鱼的下午)』(2005年 林哲楽監督)
金魚鉢の中にいる金魚たちを擬人化してモノローグさせるというユーモア小編です。中国のネット上でよく見かける手法ですが、ぼくにはとても古めかしく感じました。1960年代や70年代の実験映画でこういうのはよくあったんじゃないかと。言っちゃ悪いけど、いまの中国の若い世代が新しげなこと、気の利いたことをやろうとすると、とたんに古めかしく見えてしまうことはよくあると思います。近年大量に生産されている中国産のアニメや漫画を見ていると、その思いを強くします。

②『キャンディ(糖果)』(2007年 趙楽監督)
中国の農村を舞台にしたメルヘンです。ひとりの男の子がいたずら半分に自分の食べたキャンディの包み紙に石鹸を包むと、その包み紙が姉から感謝の印として級友の男の子へ、そして先生へと渡り、最後に自分の手元に戻ってくるという話です。今回の映画祭では、大人の世代の監督たちが中国の農村の異界ぶりをリアルに描き出しているのに対し、「80后」世代の監督は、同じ舞台をキャンディの甘い包み紙でくるんでしまいました。その評価はともかく、この違いをどう理解すればいいのか。ちょっと面白いテーマだと思います。

③『息子とゴキブリ(儿子与蟑螂)』(2007年 欧陽傑監督)
時代の変化についていけない小説家の父と息子の葛藤を描く話。やはりかつての実験映画のようですが、ストーリーの展開や人物の内面がうまく伝わってきません。章明監督も「物語の処理がうまくできていない」とコメント。それでも「重慶のじめじめした重苦しい空気は伝わってくる」とのこと。なんともコメントしにくい作品ですが、息子の自殺後、カメラが映し出す夜の車道の街灯のうすぼんやりした映像が、1970年代の日本の映画やドラマのシーンに似ていたことが印象的でした。

④『北京へようこそ(北京欢迎你)』(2008年 盧茜監督)
コンセプトがわかりやすく完成度の高い作品です。当時ネット上で評判になった記憶があります。2008年、オリンピック開催に沸く北京市政府が『北京へようこそ(北京欢迎你)』(ジャッキー・チェンら中国の芸能人によるキャンペーンソングの曲名)と表向き外来者を歓迎しているように見えて、その実外地人(地方から北京に来た中国人)に対する滞在許可のチェックを厳しくしたことを大いに皮肉る内容です。

ストーリーは、あるマンションの管理人のおばさんが、政府から住人の戸籍管理を徹底するよう通達を受け、マンション内の住人を訪ねて回るというもの。ひとり住まいの老人介護をする四川省出身の小時工(家政婦)や共同住まいの売春婦たち(風呂場に隠れていたもうひとりの女は妹だというが、客と思われる男がのこのこ出てきてしまう)、雲南省出身の偽ブランド品販売業者の夫婦(おばさんは南国フルーツのドリアンをすすめられるが、臭いのきつさに遠慮する)、北京市出身だが農村戸籍であるがゆえに管理の対象となることに憤慨する青年、半地下室をスタジオ代わりに使う上海や湖南出身の外地人ロックバンドの若者たちなど、いまの北京を象徴する多様なキャラクターが登場します(ちなみに、半地下室とは1980~90年代に中国で建てられた団地やマンションの地下にある元核シェルターのことで、いまではそのスペースを間仕切りして、地方からの出稼ぎ労働者や大学卒業後も北京に残った若者たちがアパート代わりに住んでいます)。

まるで都市社会調査の現場に立ち会うようなストーリー立てにぼくはわくわくしましたし、作品の最後に住人の映像と例のジャッキーたちの歌『北京へようこそ(北京欢迎你)』を重ねる手法は絶妙というほかありません。ここまでわかっている人間が中国にもいることを知ると(そういう言い方はそもそも不遜だとは思いますが)、とても頼もしい気がしてきます。もっとも、中国においては、スマートで切れ味がよすぎる社会批評は、かえって当局にはかすり傷にすら感じないという現実もある気がします。

「日吉電影節2011」では、前半の「80后」世代の作品上映と、後半の大人世代にあたる章明監督らのスピーチとの間のつながりがしっくりきませんでしたが、いろんな発見はありました。きっと大学生向けのイベントということで、世代の近い若手監督の作品を選んだという教育的配慮があったのでしょうね。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-31 21:46 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 30日

中国版ミニ角栄のなれの果て(中国インディペンデント映画祭2011 その4)

ここ連日、ポレポレ東中野に通っています。中国インディペンデント映画は、お世辞抜きで面白いと言わざるをえません。外国人であるぼくが生半可な気持ちで取材をしようと試みても、ここまではとても入り込めないという臨界点が中国にはあるものですが、その先に広がる茫漠としたこの国ならではの奥深い世界をリアリティたっぷりに見せてくれます。もうお腹いっぱいですから勘弁してください、というくらい徹底的に。

1日4本立ての上映スケジュールが組まれていますが、1日1本観ればもう十分すぎるぐらい内容が重いので、ぼくにはハシゴは無理です。せめて上映後1日かけて、その作品が撮られた背景や登場人物の言動の意味について自分なりに整理しておかないと、わけがわからなくなってしまうからです。

12月6日に観たのは、新聞記者出身の周浩監督の『書記』(2009年)でした。
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話の結末を明かしてしまうのはルール違反ですが、ノンフィクションであることと、DVD化でもされない限り、誰もがそう簡単に観ることのできない独立系であることをふまえ、最初に言ってしまうと、この作品は、退任15ヵ月後、収賄の罪で懲役7年の刑に処された河南省固始県の郭永昌共産党書記(2007年当時)の在任中最後の3ヵ月の日々を追ったドキュメンタリーです。

中国の地方行政は33の省と直轄市、自治区に分かれ、それらは約1500の県で構成されています。日本では地方行政のトップは県知事ですが、中国では政府と共産党による二重権力構造が常態化していて、実際には県長(日本の知事にあたる)よりも共産党書記の権限が上のようです。2012年秋の党大会で国家主席に就任するとされる習近平が浙江省の書記であったことに比べると相当格が落ちるとはいえ、この作品の主人公が地方行政の事実上トップであることを思えば、元記者によくここまで密着して撮らせることを許したものだという驚きがあります。

河南省固始県といえば、地図でみればわかりますが、中国内陸部の典型的な地方都市です。この作品が撮られた2007年は、上海の不動産価格の高騰がピークになるだろうと外資系投資関係者らの間で言われていた頃です。その狂おしいまでの熱気は一足遅れて地方都市にも波及していました。その渦中に行政トップの要職に座る郭書記の仕事は大きくふたつ。どうやって外資を呼び込み、地元経済の成長を図るか。同時に発展に伴う格差の拡大をはじめとした社会のひずみを解消するか。とはいえ、全国の地方都市が自分たちも上海のように発展したいと一心に不動産開発に明け暮れていた時代ですから、後者の仕事はなおざりになりがちです。

さて、この作品で興味深いのは、地方行政の中南海ともいうべき郭書記の執務室の映像をカメラが収めていることです。一部、映像が真っ暗になり、音声だけになるシーンもありますが(おそらく郭書記以外の他の関係者に禍をもたらす可能性のある人物が映っていたに違いありません)、多くは書記に頼みごとや陳情に来る訪問者たちとのやりとりです。退任を間近に控えた郭書記は慈悲深く寛大な指導者の役割を演じているがごとく、細々とした訪問者が抱える問題の解決を約束してみせます。地上げによる立ち退き費用の支払いを渋る公的機関と結託したデベロッパーとの契約書類に自筆のサインを書き込み、関係各所に指示を出しておくから大丈夫、と優しく語りかける彼は、テレビで見る温家宝首相の姿と重なって見えます。でも、県政府ビルの周辺には、決して招き入れられることのない陳情者たちが大挙して取り巻いているシーンも映されています。

104分間の映像の大半を占めるのが、酒宴の風景です。お抱え運転手に「毎日が午前様」と揶揄されながら、この地を訪ねる国内外の投資関係者や不動産事業者らと日夜酒杯を重ねる郭書記はカラオケ大好きの乾杯大将です。酒宴の背後には地元の若い女歌手やダンサーがいて、その地方色たっぷりの場末感が今日の中国らしさを存分に味わせてくれます。

とりわけ郭書記のハッスルぶりが見られるのが、海外の投資関係者との宴会です。台湾関係者とは肩を組み、デュエットでカラオケを熱唱、同じ“中華民族”としての一体感に酔いしれてみせます。一方、欧米人企業家相手には中国式のカラオケ接待ではなく、個室を借り切った誕生日パーティを準備させるなど、両者の好みを使い分ける気配りを忘れません。が、用意させた誕生日ケーキのクリームを欧米人の顔に塗りたくり、おどけてみせるといった、ついついお里が知れてしまうシーンも出てきます。おそらく彼の胸の内には、中国人も欧米人相手にここまで対等に振舞えるようになったんだぞという自負があったであろうことがうかがえます。

ぼくは以前、仕事の関係で延辺朝鮮自治州のトップに近い役人に面会したことがあります。酒宴にも招かれたのですが、彼は外国人であるぼくに、自らの権限を誇示することに熱心でした。ぼくはそのとき、延辺にある複数の北朝鮮との国境ゲートを視察して回りたかったので、その話をすると、後日、外国人の立ち入りが禁止されている中朝国境のある橋を彼の電話1本で現場の役人に命令を下し、渡らせてくれたりするわけです。

思うに、彼らのような地方役人がなぜ自分の権限を誇示したがるかというと、自分の権限が及ぶ範囲と限界を知っているからでしょう。彼らは、中央政府にたてつくことはできなくても、この地では俺がなんでも決められるということを、とりわけ外国人相手に言いたくなるようです。

しかし、高級カラオケクラブの個室で側近にレミーマルタンを開けさせながら、県内の消費税率をトップダウンで決めてしまうなんて政治手法に道義などあろうはずはありません。「県の書記なんてのは、大旦那みたいなもんさ。歳入3億元なのに、なぜ10億元の歳出が可能か。それは俺が省幹部に顔が利くからだ」。退任間近になると、彼はますます大胆になってこんなことを言い出す始末です。

このシーンを観ながら、ぼくはつぶやいていました。これも2010年までの話だろうさ。11年から先はこうもいくまい。地方財政は破綻の危機だというし、マンション建てれば金が生まれるなんて時代ではもうないのだから。さあ、中国もこれからが大変だ……。

ですから、エンディングの字幕で郭書記の懲役刑が告げられるのを観ながら、溜飲が下がったのは確かでしたが、どこか後味の悪さが残ります。要するに、彼は中国版ミニ角栄。退任挨拶で涙を流したりする情にもろい人物で、時代に乗ったお調子者にすぎない。その小物ぶりに、同情の余地があるようにも思えてくるからです。なぜって、本物のワルなら捕まったりはしないでしょうから。

いまとなっては、実名まで明かされてしまったこの人物、中国で最も面子のない男、カッコ悪いにもほどがある。一見頭がよくて抜け目がないようで、その実スキだらけという中国人ってよくいます。脇が甘すぎたのか、稀代のお人よしだったということか。おそらく彼は自分がこれだけ県を発展させたのだから、任期内の功績は後代に残す価値があり、その記録を撮らせるのも悪くない、くらいの認識だったに違いありません。確かに、2000年代の中国はそんな時代だったと思います。

この人物、世代的には文革時代には紅衛兵でもあった50代でしょう。青年時代には資本主義者を打倒すべく大暴れした人間が大人になり、権力を手に入れたとたん、接待漬け、酒宴三昧の日々を送ってついには監獄行きという結末は、中国の官僚制度の救いようのなさを呆れるほどわかりやすく見せてくれたといえます。ぜひとも中国の国営テレビで全国放映すべき貴重な映像だと思いますが、無理でしょうね。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-30 22:09 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 26日

農村の老人たちの夜這いの物語(中国インディペンデント映画祭2011 その3)

12月5日は、『独身男(光棍儿)』を観ました。数日前、中国の農村の若者の物語(『二冬』)を観て、できることなら農村の性の世界も見せてほしいと書いたばかりですが、この作品ではそれがてんこもりで描かれていてちょっとびっくりしました。

You Tube『独身男(光棍儿)』

舞台は北京市の外縁に張りつくように広がる河北省のどこまでも乾いた大地に点在している山あいの村。初めての大学合格者が出たと村民総出でお祝いするほど、都市文明から隔絶された陸の孤島です。

(話の筋には関係ありませんが、こんな奥地に住みながら、一浪の末合格したこの村の若者はインターネットを使いこなしています。またこうした農村出身の若者が都市部の大学を卒業しても、特権階級の子弟でもない限り、蟻族になるほかないこともなんとなく見えてしまう。それがいまの中国です。

※ちなみに蟻族とは、2000年代半ば頃より中国で急増している大卒でありながら都市生活に見合った収入が得られないため、都市近郊のスラム地区にルームシェアしながら居住する地方出身者のこと。「80后」世代が多い(『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ』(2010年 勉誠出版))
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さて、物語は若い頃(文革の時代という設定)、恋人との結婚を反対された羊飼いの楊が主人公で、彼は50代の今でも村長の妻となった彼女と密通を続けています。そこには不倫という罪の匂いはなく、村祭りの夜、彼女のほうから楊の住む村はずれの小屋へ夜這いにやって来るというあっけらかんとしたものです。情事のシーンは直接撮られることなく、真っ暗闇の映像に白い字幕でふたりの会話だけが映されるという奥ゆかしい表現なのですが(これは他の中国インディペンデント作品『花嫁』でも同じでした)、驚いたことに、その村長の妻は楊だけではなく、同じ夜、村の独身男たちの家を何軒もハシゴしていくのです。

独身男といっても、冒頭で明かされるように、楊ですら最も若く、60~70代の老人たちです。若い頃、さまざまな事情があって結婚できずに老年を迎えた男たちですが、出張がちの夫の外出時を見計らって、彼女は男たちの家を訪ね歩き、ひとときの性を楽しみ、いくばくかの小遣いをせしめて帰るのです。その金は息子の大学進学のために使われることは一同承知しています。

外界から閉ざされた辺境の地での、一同納得済みで維持される性とわずかな金銭の交換を通じた複数の男とひとりの女の関係。まるで文化人類学のフィールド調査の対象を見ているようでもありますが、中国の農村では老人たちの性の供宴がこんな形で行なわれていたのか(もちろん、これはフィクションです)と正直呆れつつ、どこか納得させられてしまいました。

彼らの関係性のバランスが崩れるのは、楊が四川省出身の嫁を買ったことから始まります。中国の農村では人身売買が日常的に行なわれているとは聞いていましたが、6000元(約7万5000円)ほどの金と引き換えに現れた色白の若い女が、はるか彼方の四川の山奥で人さらいに遭い、拉致されてこの地に連れて来られた哀れな身の上であることは村人みんなが承知しています。それでも、誰も楊を非難したり見下すどころか、村の男たちはうらやましがるばかりです。これでは人権という観念がこの国では通じないのも無理はありません。このあたりの展開はいかにも今日の中国的で、よくできています。

面白くないのは村長の妻です。その6000元は口約束とはいえ、息子の大学進学資金に用立ててやろうと身寄りのない楊が以前話していた金だったからですし、何より楊が若い女に執心している姿を見るのは口惜しい……。ところが、女は楊のもとから逃亡を企てるのです。金で買ったとはいえ、年の差には抗えません。落胆する楊を尻目に、村の若い男が彼女を見初めて自分の嫁にしたいと言い出します。そのためには、楊に女を諦めさせ、代わりに彼が6000元を用立てなければならない。ひとりの女の売買をめぐって村中で金の工面の話をしている光景の異常さもそうですが、一人っ子時代の親に対する息子の甘ったれぶりには呆れてモノが言いようのない始末です。息子は老いた父親に迫るのです。「なぜ息子のために金を用意できないんだ。オレはあの女を嫁にしたいんだ」と。

結局、四川の女はその若い男すら置いて村を後にしてしまうのですが、我に返った楊は手元に戻った6000元をあっけなく村長の妻に渡します。こうして村の独身男たちと女の奇妙な関係はひとまず元に戻っていくのでした。

この作品を撮った郝杰監督は、河北省出身の1981年生まれ。なんでもこの物語は、すべて彼の地元の顧家溝村で実際に起こった話に基づいているそうで、劇中の人物は本人や彼の家族や親戚が演じているとか。夜這いの関係者がいるその村で撮影を行うというような無茶ぶりは、都会育ちの「80后」世代にはとうていできないやり方でしょう。

映画を観始めてから最初の30分くらいは、中国のとんでもないド田舎で繰り広げられる老人たちの夜這いの話とは、なんてたちの悪い露悪趣味だろうと思いましたが、観ているうちにだんだん認識が改められていきました。監督本人も「独身男のセクシーさに気づいたとき、我々は敬意をもって彼らの生命の軌跡にストップモーションをかける。その価値は永遠だ」とパンフレットの中で語っています。彼らがセクシーかどうかはともかく、この監督の人間の見つめ方はどこか魯迅的なところがあるようにも思えてきました。

もっとも、この若い監督が老人の性の問題をどこまで切実に理解して描いているのか。その生身の感触を知るはずがないからこそ、こんなにカラッと妙味たっぷりに表現できたのだと思いますが、そもそも「80后」の彼が、なぜこの題材を選んだのか。一人っ子政策の徹底と男尊女卑の社会風潮から男女比率の均衡が急激に崩れた結果、適齢期の男子が3000万人もあぶれてしまうという今日の中国社会、今後もさらなる超少子高齢化の未来が待ち受ける自らの老後の時代を見通してというわけでもないのでしょうけれど。

日本でいえば、老人ホームの色恋話がこれに近いのかもしれませんが、中国の農村出身の映像作家が描くこの特異な物語は、ずいぶん遠い世界の出来事だと思わざるをえません。老人の性を日本で描くとしたら、もっと違った表現になるのではと思うからです(そうでもないのかな。ぼくにはまだその境地がわからないので、なんともいえませんけど)。

中国の農村というある種の異界を、その地で生まれ育った若い世代がどう認識しているのか。こうした作品を観なければ、我々には思いもつかないものです。この作品の海外での評価が高いというのも、うなずけるところがあります。

今日中国において徹底的に貶められている農村社会に対する見方がちょっぴり変えられた作品でした。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-26 18:00 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 26日

北京郊外村のシュールな異界(中国インディペンデント映画祭2011 その2)

12月4日は、徐童監督の『占い師(算命)』(2010年)を観ました。前回(『冬に生まれて(二冬)』は農村が舞台でしたが、今回は北京近郊の移民労働者の住む街(郊外村)で撮られたドキュメンタリー作品です。

Youku『占い師(算命)』

足に障害のある50代の貧しい占い師と知的障害者の妻が主人公。登場人物は自分の身の上を占ってもらうため彼を訪ねてくる売春婦や元炭鉱夫たち。社会の底辺を生きるキャラクターが勢揃いです。
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フィクションではないため、そんなに観客に都合よくドラマが展開するはずもなく、それぞれの登場人物ごとに章を分け、監督はカメラを執拗に回していく構成です。最初はかなりトウのたった30代の売春婦の話です。彼女は占い師から男運の悪さを指摘されながら、カメラの前で若い頃の思い出を語り、今日の落ちぶれた姿を嘆き、ときにあられもなく泣きじゃくるのですが、ある日しつこい男客を店の前で殴り倒し、警察に拘留されてしまいます。その後、売春取締りで店をつぶされるという災難続きで、ついに行方知れずとなってしまいます。

次の章では、占い師は妻の故郷に夫婦ふたりで里帰りします。実家では彼女の兄弟たちに歓待されるものの、知的障害を負った彼女が人生の大半を過ごした場所が家畜小屋だったことを観客は知らされます。家族は彼女を決して家屋には住まわせなかったというのです。食事も残飯同然でした。

占い師はそれを承知で嫁にもらうことに決めたそうです。カメラがかつて彼女が寝起きしていた小屋を映すと、一頭のヤギがぬっと現われ、憎らしげにこちらをにらんでいました。

最後の章で、ふたりは縁日に占いの店を出します。粗末な机をひとつ置いただけの露店の占い師の隣には、妻がイスに腰掛け、物乞いをしています。障害者であることが記された肩掛けをした彼女は、日がな夫とともに客が来るのを待っています。普段は哀れな老婆にしか見えない彼女が童女のようにふりまく純真な笑顔に、観客は思わず見とれてしまいます。結局、冷やかし客がほとんどで、たいした売上がないまま看板をたたみ、ふたりが引き上げていくシーンで映像は終わります。

障害を負った男が知的障害のある女を妻にするという設定は、映画『歌舞伎町の案内人』で知られる上海出身の張加貝監督が2007年に撮った『さくらんぼ 母ときた道(桜桃)』でも採用されていたように、中国ではわりと普通の感覚のようです。障害者同士の婚姻は、自分に見合った相手を伴侶とするもんだという、人としての常識の範疇に属するという理解でしょうか。この国では「人としてみな等しく」といった障害者福祉の観念が大半の国民に及んでいない以上、無理もない話かもしれませんが、逆にいえば、身障者であっても結婚を諦めることはないという意味で、ポジティブな生き方ができるともいえるでしょう。

それにしても、北京中心部からそれほど離れていない場所に、こんなシュールとでも呼ぶほかない生活が普通にあることに、あらためて中国のリアルを思い知らされます。

中国では社会福祉に頼ることはできないという現実だけでなく、公安による無慈悲な処遇(中国では占いは非合法。ゆえにガサ入れも入る)も受け入れなければならない。一般に中国政府や中国を研究する人たちは、はっきり言いたがらないように見えますが、郊外村はアジアの大都市ならたいていどこにでもあるスラムと呼んでいい場所だと思います。

前回観た中国の農村と比べると、大都市周辺に広がる郊外村の生活は、高層ビル街が身近な場所に見えているぶん、いっそうみじめさを感じてしまいます。しかし、それはぼくが日本人だからそう感じるのであって、中国の人たちからすれば、特別なことではないのかもしれません。いまの中国、高層ビル街ではなく、郊外村で生きる人たちのほうが多数派であることも事実でしょう。

何より『占い師(算命)』を観ながら驚くのは、撮影者と被写体の近さです。これは戦前期、南満洲鉄道株式会社によって建設され、新中国後、共産党に引き継がれた瀋陽の重工業地帯の労働者たちの日常を撮り続け、中国社会主義の終末の光景を記録した記念碑的作品『鉄西区』(2003年 王兵監督)と同様、中国のドキュメンタリーの手法上の大きな特徴といえそうです。

なぜこの人たちは他者に撮られることをここまで許したのか? 

それが可能であったのは、第一に彼らが底辺の人間だったからといえるのでしょうが、たとえ境遇は恵まれていなくても、彼らは自分が取るに足りない人間というようにはどうやら思っていない。どこまで当人が言語化できているかはともかく、自らが誇り高き中華民族の老百姓の代表なんだという自負があるように見えます。そこがとても中国人らしい。それは自分の人生すら壮大な歴史の一部なのだと納得することで自らの境遇を受け入れていく諦念と裏腹の自己認識とでもいえばいいのか。

このドキュメンタリー作品の題材は、あまりに地味で、どうしようもなく救いようのない中国の現実をさらしていますが、その映像につきあうことで初めて見えてくることがあります。いまの日本人にとってはおよそ遠い世界の出来事だけに、今日の中国がなぜかくあるのか、その秘密が開陳されているようにも思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-26 17:52 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 04日

中国農村版ロードムービーか?(中国インディペンデント映画祭2011 その1)

12月3日(~16日)から「中国インディペンデント映画祭2011」がポレポレ東中野で始まりました。今年で3回目だそうです。

中国インディペンデント映画祭2011
http://cifft.net/2011/index.htm
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中国現代アートの作家たちと同じように、この社会を生きるひとりの人間として、多くの人の目に触れることはなくても、自由な映像表現を志す中国人というのは確かに存在しています。彼らの制作するいわゆるインディペンデント系作品は、多くの場合、自国の人たちにではなく、海外の映画祭に出品されることで、外国人たちの好奇と鑑賞の対象とされるという構造は、ことの良し悪しはともかく、今に始まったことではありません。

彼らは中国社会全体から見れば芥子粒のような集団かもしれませんが、この国の良心とも呼ぶべき存在になりつつあると思います。本人たちは自分たちのことを「地下工作者」などと自嘲的に呼ぶことが多いですが、ここ数年国際的な評価を勝ち得ていくなかで、自信を持ち始めているように見えます。

凝ったシナリオや舞台装置、演出によらず、対象にギリギリまで近づいてカメラを回すことで、ある意味無防備なまでに中国の生の現実をさらけ出していくような作風の多い中国のインディペンデント系の映像作品を観ることは、ぼくにとって“参与観察”の延長線のようなところがあります。場所が日本でも中国にいるときでも、中国の人たちに交じって彼らの世界を“参与観察”しているときの心境は、映画館で映像作品を黙って観ているのと似ています。

それでも、初日に観た楊瑾監督の『冬に生まれて(二冬)』(2008年)は、ぼくが普段カバーしているつもりの“参与観察”の領域をはるかに超えていたと観念せざるを得ませんでした。終映後、監督への質問タイムがあったのですが、中国の農村の若者の物語について何をどう聞いたらよいのか思いつかず、しばらくの間言葉を失ってしまった、というのが正直なところです。

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『冬に生まれて』楊瑾監督作品 2008年 150分


あらすじはこうです。山西省の片田舎で片親に育てらた二冬という若者が、喧嘩に明け暮れ、地元で問題ばかり起こすものですから、母親によってキリスト教会の学校に入れられてしまいます。しかし、そんな彼が学校になじめるわけがなく、退学されてしまうのですが、そのとき同級生の女の子を連れて学校を出て行くのです。それは駆け落ちなのか何なのか、結局彼は知り合いの炭坑現場で働くことになるのですが、すぐに彼女を妊娠させてしまい、ふたりはあっけなく結婚、母の家で暮らすことになります。それでも、二冬の仕事は長続きしません。ついには不法伐採をして警察に拘留され、帰宅すると、女の子の赤ん坊が待っていました。

その後、彼は自分が母親の実の子ではないことを知ります。村はずれにある子捨ての場所として知られている巨石の下に捨てられていたのを、いまは亡き父親が拾ってきたのだと、母に告げられるのです。彼はその巨石を爆破し、旅に出る……。

そんな切ないといえば切ないけれど、なんとも間の抜けた主人公のさえない日常が延々と150分間映し出されるという映画です。

これまでぼくは中国の相当辺鄙な場所までのこのこ出かけて、うろついてきたつもりなので、この作品の舞台となっている中国の辺境地域の農村風景や轟音を立てて走る旧式のバス、粗末な家屋などの世界を見知ってはいます。でも、そこで暮らす人たちの内面、今回でいえば、主人公の二冬や彼の子を身ごもる彼女が何をどう考えて、そのようにふるまっているのかといった微細な心理や彼らの置かれた境遇の深い背景まではよくわからない。都会の若者ならともかく、中国の農村の若者の心というのは、我々には難題です。今日の日本人が考える田舎のイメージとは激しく隔たりがある世界といっていい。我々にとって、中国の農村でいま起きている出来事について、リアルな想像力を働かせることはそんなに簡単ではないと思います。

そうした戸惑いは、会場にいた若い中国人たちの質問からも感じられました。「方言がほとんど聞き取れなかったため、日本語字幕に頼るしかなかった」との発言もあったように、インディペンデント映画祭に来るような在日中国人の大半は都市出身者でしょうから(質問したのはなぜかみんな女性でした)、農村についての理解は日本人とそれほど変わらないのかもしれません。

ところが、楊瑾監督はこの地で少年期を過ごし、物語自体も実在する知人の境遇から創案したものだといいます。彼自身、かつてこの作品世界の住人だったというわけです。

一般に都市出身の映像作家が、外国人や大都市の住人がまず訪れることのない農村を舞台に選ぶとき、自然の過酷さや人びとの暮らし向きの悲惨さを強調してみせるか、あるいは詩情あふれるシーンを作り込むことで物語化するか。そのいずれかになる場合が多い気がします。これは現代アートの世界でも同じで、たとえば、煤煙で顔の真っ黒になった炭鉱夫たちの写真展が、炭鉱事故が頻発した2000年代中頃、北京の画廊では大流行でした。あくまで都市の側から異界としての農村を視ているわけです。

楊瑾監督は、黄河中流域の濁流以外にはこれといって目を引く特徴のない農村を舞台に(まあ中国の農村ってたいていこんな感じなのですが)、ひとりの若者の青春の彷徨(?)をほとんどドキュメンタリー作品のように撮っています。制作予算の少ないインディペンデント系作品では普通のことなのでしょうが、一般の興行映画の観客であれば、こんな世界に付き合わされてはたまらない。観客を泣かせるなり、深い感動やカタルシスを与えるなり、もっとメリハリの利いたドラマにしてくれよ。そう思うに違いありません(東日本大震災で日本での上映が取りやめになった『唐山大地震』のように!?)。

映画の最後で、自分の出自を知った二冬が彼女と赤ん坊を背中に乗せ、雪原をバイクで走っていくシーンが、アメリカンニューシネマみたいだという観客の声もありましたが、これってやっぱり青春映画だったんでしょうか? つまりは中国農村版のロードムービーなのか? ……なんて思っちゃうこと自体失礼な話でしょうけど。でも、誰に対して失礼? 監督に、それとも中国の農村に住む人々に対して? あー、ちょっとめんどくさいな。中国の農村の話を自分ごととして考えるにはあまりに世界が遠くて、正直お手上げです。

そんなボヤキが頭の中を飛び交いながらもあらためて思うのは、いったい二冬にはどんな未来が待っているのだろうか、という問いでした。そもそも監督は中国の農村にどんな未来を夢見ているのか? 直球すぎて、そんなことを急に聞かれても監督も困るかもしれませんが、質問タイムで聞いてみてもよかったかな、とあとになって思った次第です(もうひとつ聞いてみたいと思ったのは、中国の農村ではキリスト教がどのくらい普及しているのか。人びとの精神生活にどの程度影響を与えているのか、です)。いずれにせよ、普段中国の農村について考えたこともなかったひとりの日本の観客にこのような問いかけをさせたということに、この作品の持つ意味もあるのでしょう。
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終映後の質問タイムにて。右が楊瑾監督

終映後、スクリーンの前に現れた楊瑾監督と観客の受け応えを見ているとき、こういう人ってもう日本にはほとんどいないんじゃないかな(今日の中国の農村社会のような環境で少年期を過ごした人という意味です)。いるとしても団塊世代以上の年代か、相当辺鄙な山村か離島生まれじゃないとありえないのでは、と思ってしまいました。

彼は1982年生まれだそうですから、中国史上初めて現れた消費世代といわれる「80后」なのですが、都会育ちの子たちとは雰囲気が違います。子供時代を中国の農村で過ごした人間特有のおおらかさとふてぶてしさを併せ持っているとでもいうのか。都会の人間から見ると、ちょっととりつくしまのない感じもする。でも愛嬌のある人のようです。

実際、北京には彼のような農村出身のクリエイターもそれなりにいて、文化の多様性を生んでいるように思います。ここでいう多様性とは、相手のすべてを理解することは到底できないほどお互いの境遇や世界観が隔たっているということは中国では普通のことだし、すべてをわかりあえなくても仕方ないではないか、というような大ざっぱな感覚の共有が前提となって織り成されている世界とでもいいましょうか。中国社会の一面としての異質なものへの許容度の高さは、多文化社会に対する自覚的な認識からではなく、やむを得ないこととして社会に容認されている結果という感じでしょう。厳密さや完璧性を好む日本人には、雲をつかむような感じですが、楊瑾監督を見ていると、とても中国的な映像作家なんだなと思えてきます。

ただ、ご本人も質問タイムで白状していたように、女の子があまりきちんと描けていないのはちょっと残念でした。せっかくだから、もっと農村の若者の恋愛の機微を見せてもらいたかったな。二冬と彼女の性愛の描写だって、プロの役者ではないから無理とはいうけど、撮ってほしかった気がします。都市における性描写なんて目新しくともなんともありませんが、中国の農村における性のあり方というテーマは、単なる好奇心を超えて、監督の次回作品の題材だという一人っ子政策をめぐる問題とも直結していると思うからです。

もちろん、それは監督も承知でしょう。観客の質問に対してもいちいちボケを入れた返しを繰り出してくるような独特のほのぼのキャラクターですから、どんな新境地を切り拓いていくのか、次作を楽しみにしたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-04 20:29 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)