ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:リアルチャイナ:中国独立電影( 22 )


2011年 12月 04日

中国農村版ロードムービーか?(中国インディペンデント映画祭2011 その1)

12月3日(~16日)から「中国インディペンデント映画祭2011」がポレポレ東中野で始まりました。今年で3回目だそうです。

中国インディペンデント映画祭2011
http://cifft.net/2011/index.htm
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中国現代アートの作家たちと同じように、この社会を生きるひとりの人間として、多くの人の目に触れることはなくても、自由な映像表現を志す中国人というのは確かに存在しています。彼らの制作するいわゆるインディペンデント系作品は、多くの場合、自国の人たちにではなく、海外の映画祭に出品されることで、外国人たちの好奇と鑑賞の対象とされるという構造は、ことの良し悪しはともかく、今に始まったことではありません。

彼らは中国社会全体から見れば芥子粒のような集団かもしれませんが、この国の良心とも呼ぶべき存在になりつつあると思います。本人たちは自分たちのことを「地下工作者」などと自嘲的に呼ぶことが多いですが、ここ数年国際的な評価を勝ち得ていくなかで、自信を持ち始めているように見えます。

凝ったシナリオや舞台装置、演出によらず、対象にギリギリまで近づいてカメラを回すことで、ある意味無防備なまでに中国の生の現実をさらけ出していくような作風の多い中国のインディペンデント系の映像作品を観ることは、ぼくにとって“参与観察”の延長線のようなところがあります。場所が日本でも中国にいるときでも、中国の人たちに交じって彼らの世界を“参与観察”しているときの心境は、映画館で映像作品を黙って観ているのと似ています。

それでも、初日に観た楊瑾監督の『冬に生まれて(二冬)』(2008年)は、ぼくが普段カバーしているつもりの“参与観察”の領域をはるかに超えていたと観念せざるを得ませんでした。終映後、監督への質問タイムがあったのですが、中国の農村の若者の物語について何をどう聞いたらよいのか思いつかず、しばらくの間言葉を失ってしまった、というのが正直なところです。

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『冬に生まれて』楊瑾監督作品 2008年 150分


あらすじはこうです。山西省の片田舎で片親に育てらた二冬という若者が、喧嘩に明け暮れ、地元で問題ばかり起こすものですから、母親によってキリスト教会の学校に入れられてしまいます。しかし、そんな彼が学校になじめるわけがなく、退学されてしまうのですが、そのとき同級生の女の子を連れて学校を出て行くのです。それは駆け落ちなのか何なのか、結局彼は知り合いの炭坑現場で働くことになるのですが、すぐに彼女を妊娠させてしまい、ふたりはあっけなく結婚、母の家で暮らすことになります。それでも、二冬の仕事は長続きしません。ついには不法伐採をして警察に拘留され、帰宅すると、女の子の赤ん坊が待っていました。

その後、彼は自分が母親の実の子ではないことを知ります。村はずれにある子捨ての場所として知られている巨石の下に捨てられていたのを、いまは亡き父親が拾ってきたのだと、母に告げられるのです。彼はその巨石を爆破し、旅に出る……。

そんな切ないといえば切ないけれど、なんとも間の抜けた主人公のさえない日常が延々と150分間映し出されるという映画です。

これまでぼくは中国の相当辺鄙な場所までのこのこ出かけて、うろついてきたつもりなので、この作品の舞台となっている中国の辺境地域の農村風景や轟音を立てて走る旧式のバス、粗末な家屋などの世界を見知ってはいます。でも、そこで暮らす人たちの内面、今回でいえば、主人公の二冬や彼の子を身ごもる彼女が何をどう考えて、そのようにふるまっているのかといった微細な心理や彼らの置かれた境遇の深い背景まではよくわからない。都会の若者ならともかく、中国の農村の若者の心というのは、我々には難題です。今日の日本人が考える田舎のイメージとは激しく隔たりがある世界といっていい。我々にとって、中国の農村でいま起きている出来事について、リアルな想像力を働かせることはそんなに簡単ではないと思います。

そうした戸惑いは、会場にいた若い中国人たちの質問からも感じられました。「方言がほとんど聞き取れなかったため、日本語字幕に頼るしかなかった」との発言もあったように、インディペンデント映画祭に来るような在日中国人の大半は都市出身者でしょうから(質問したのはなぜかみんな女性でした)、農村についての理解は日本人とそれほど変わらないのかもしれません。

ところが、楊瑾監督はこの地で少年期を過ごし、物語自体も実在する知人の境遇から創案したものだといいます。彼自身、かつてこの作品世界の住人だったというわけです。

一般に都市出身の映像作家が、外国人や大都市の住人がまず訪れることのない農村を舞台に選ぶとき、自然の過酷さや人びとの暮らし向きの悲惨さを強調してみせるか、あるいは詩情あふれるシーンを作り込むことで物語化するか。そのいずれかになる場合が多い気がします。これは現代アートの世界でも同じで、たとえば、煤煙で顔の真っ黒になった炭鉱夫たちの写真展が、炭鉱事故が頻発した2000年代中頃、北京の画廊では大流行でした。あくまで都市の側から異界としての農村を視ているわけです。

楊瑾監督は、黄河中流域の濁流以外にはこれといって目を引く特徴のない農村を舞台に(まあ中国の農村ってたいていこんな感じなのですが)、ひとりの若者の青春の彷徨(?)をほとんどドキュメンタリー作品のように撮っています。制作予算の少ないインディペンデント系作品では普通のことなのでしょうが、一般の興行映画の観客であれば、こんな世界に付き合わされてはたまらない。観客を泣かせるなり、深い感動やカタルシスを与えるなり、もっとメリハリの利いたドラマにしてくれよ。そう思うに違いありません(東日本大震災で日本での上映が取りやめになった『唐山大地震』のように!?)。

映画の最後で、自分の出自を知った二冬が彼女と赤ん坊を背中に乗せ、雪原をバイクで走っていくシーンが、アメリカンニューシネマみたいだという観客の声もありましたが、これってやっぱり青春映画だったんでしょうか? つまりは中国農村版のロードムービーなのか? ……なんて思っちゃうこと自体失礼な話でしょうけど。でも、誰に対して失礼? 監督に、それとも中国の農村に住む人々に対して? あー、ちょっとめんどくさいな。中国の農村の話を自分ごととして考えるにはあまりに世界が遠くて、正直お手上げです。

そんなボヤキが頭の中を飛び交いながらもあらためて思うのは、いったい二冬にはどんな未来が待っているのだろうか、という問いでした。そもそも監督は中国の農村にどんな未来を夢見ているのか? 直球すぎて、そんなことを急に聞かれても監督も困るかもしれませんが、質問タイムで聞いてみてもよかったかな、とあとになって思った次第です(もうひとつ聞いてみたいと思ったのは、中国の農村ではキリスト教がどのくらい普及しているのか。人びとの精神生活にどの程度影響を与えているのか、です)。いずれにせよ、普段中国の農村について考えたこともなかったひとりの日本の観客にこのような問いかけをさせたということに、この作品の持つ意味もあるのでしょう。
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終映後の質問タイムにて。右が楊瑾監督

終映後、スクリーンの前に現れた楊瑾監督と観客の受け応えを見ているとき、こういう人ってもう日本にはほとんどいないんじゃないかな(今日の中国の農村社会のような環境で少年期を過ごした人という意味です)。いるとしても団塊世代以上の年代か、相当辺鄙な山村か離島生まれじゃないとありえないのでは、と思ってしまいました。

彼は1982年生まれだそうですから、中国史上初めて現れた消費世代といわれる「80后」なのですが、都会育ちの子たちとは雰囲気が違います。子供時代を中国の農村で過ごした人間特有のおおらかさとふてぶてしさを併せ持っているとでもいうのか。都会の人間から見ると、ちょっととりつくしまのない感じもする。でも愛嬌のある人のようです。

実際、北京には彼のような農村出身のクリエイターもそれなりにいて、文化の多様性を生んでいるように思います。ここでいう多様性とは、相手のすべてを理解することは到底できないほどお互いの境遇や世界観が隔たっているということは中国では普通のことだし、すべてをわかりあえなくても仕方ないではないか、というような大ざっぱな感覚の共有が前提となって織り成されている世界とでもいいましょうか。中国社会の一面としての異質なものへの許容度の高さは、多文化社会に対する自覚的な認識からではなく、やむを得ないこととして社会に容認されている結果という感じでしょう。厳密さや完璧性を好む日本人には、雲をつかむような感じですが、楊瑾監督を見ていると、とても中国的な映像作家なんだなと思えてきます。

ただ、ご本人も質問タイムで白状していたように、女の子があまりきちんと描けていないのはちょっと残念でした。せっかくだから、もっと農村の若者の恋愛の機微を見せてもらいたかったな。二冬と彼女の性愛の描写だって、プロの役者ではないから無理とはいうけど、撮ってほしかった気がします。都市における性描写なんて目新しくともなんともありませんが、中国の農村における性のあり方というテーマは、単なる好奇心を超えて、監督の次回作品の題材だという一人っ子政策をめぐる問題とも直結していると思うからです。

もちろん、それは監督も承知でしょう。観客の質問に対してもいちいちボケを入れた返しを繰り出してくるような独特のほのぼのキャラクターですから、どんな新境地を切り拓いていくのか、次作を楽しみにしたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-04 20:29 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 11月 24日

満洲国の工場遺産-映画『鉄西区』と瀋陽鋳造博物館

旅行作家の蔵前仁一さんが発行する『旅行人』2011《上期号》(163号)で、日本人が満洲に残した近代化遺産を紹介しました。

南満洲鉄道株式会社によって1930年代に開発され、新中国に受け継がれた重工業地帯「鉄西区」(遼寧省瀋陽市)は、2000年代に入ると政府主導の再開発によってほとんどの工場が撤去され、高層マンションの並ぶ街へと変貌しました。2007年にオープンした瀋陽鋳造博物館は、無人となった工場内の廃墟空間に往時の歴史を展示するユニークな施設です。
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満洲国の工場遺産-映画『鉄西区』と瀋陽鋳造博物館            

文/中村正人 写真/佐藤憲一

雪の舞う一本の線路を貨物列車が前に向かってゆっくりと走っていく。進行方向に固定されたデジタルビデオカメラが映し出すのは、線路脇に広がる老朽化した無人の工場群。石炭の煤で汚れた工場の壁面には消えかかった文革時代の標語が見える。その合間に労働者の住居がもたれあうように並んでいる。中国東北地方によくある石炭オンドルの煙突が屋根からニョキリと隊列のように突き出している。

沿線には工場地帯の躍動感はまるでない。ただ車輪の走行音だけが響き、あたりは静寂に包まれている。時折中国の鉄道特有の耳をつんざく警笛が凍えた空気をぶち破る。レンズに吹きつける雪片が風景を徐々に曇らせると、前方に蒸気機関車が現れる。台詞もモノローグもないまま、場面が変わり、巨大な工場の内部にカメラは侵入する――。

満州国時代に建設された工場町

『鉄西区』という風変わりな中国のドキュメンタリー作品がある。

上映時間はなんと9時間5分。最後まで観るのは正直勇気がいる。

舞台は旧満州、中国遼寧省の省都瀋陽。かつて奉天と呼ばれた中国東北地方の中心都市で、清朝を興した満州族の故地としても知られる。20世紀前半、ロシアから南満洲鉄道の権益を受け継いだ満鉄は、1919(大正7)年、東京駅を模した風格あるレンガ造りの奉天駅(1910年竣工。現瀋陽駅)の西側の広大な農地を工業用地として買収。満州事変(1931年)後、本格的な経営に着手し、日本内地や地元中国の企業が相次いで進出、満州国随一の重工業地帯を形成した。新中国建国後の1950年代には1000を超える工場と100万人の労働者が住んだ町、それが鉄西区である。ところが、中国最大規模を誇った近代的な工場地帯は、90年代以降、国有企業改革が進められたことで衰退に向かう。作品は、地区内の9割の工場が操業を停止し、大量の失業者が町にあふれた2000年前後に撮られた300時間もの記録映像を編集したものである。

同じ時期、似たような社会状況を題材にした中国映画として、北京オリンピック開幕式の演出で知られる張芸謀の『至福のとき』(2002)がある。国有企業の経営破綻で閉鎖された大連の工場跡地を舞台にした盲目の少女をヒロインとしたメルヘンの物語だが、どんな深刻な状況も彼の手にかかると安易にメロドラマ化してしまうところがあり、『鉄西区』の思想とはまったく別物である。

監督は王兵という1967年陝西省生まれの中国人映像作家で、長回しの映像を好んで撮る人だ。同作品は2003年山形ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞。2007年にも、1950年代後半の反右派闘争による政治弾圧で粛清されかけたひとりの中国女性の語りを記録した『鳳鳴』という作品で連続受賞している。フランスでも評価が高い。

ぼくはこれらの作品を2008年の年末、東京駿河台のアテネフランスに3日間通って観た。その後、上海で仏語版DVDを入手。あとで知ったが、百度など中国の動画サイトで簡単に観ることができる。そこには彼のインタビュー映像などもある。

ここまで晒すか!労働者の日常

1992年に瀋陽の魯迅美術学院写真学科に入学した王兵は、鉄西区の工場や線路沿いをよく歩き、写真を撮って過ごしたという。彼が『鉄西区』を撮り始めたのは、97年のアジア通貨危機後、工場地区の崩壊が決定的になり、倒産が相次いだ99年からだ。

この作品の何が風変わりかといって、中国のしがない労働者や、どうにも浮かばれそうにはない(失礼!)庶民、若者の日常をひたすら撮り続けていることだ。英雄好きの中国人の本分からすれば対極にある、取るに足りない人々、そのあられもない生身の姿が美化されることもなく、ここまで晒すか!といった感じで映し出される。かつては街を支えた巨大工場の殺伐とした廃墟の跡が重苦しい虚脱感やうすら寒い終末観を感じさせる。

『鉄西区』は「工場」「街」「鉄路」と題された3部構成の作品である。

第1部「工場」には3つの工場が出てくる。そのうちふたつの工場(瀋陽ケーブル工場、瀋陽圧延工場)はすでに操業停止され、なすすべもなく労働者たちが工場周辺をたむろしているだけだが、唯一稼動しているのが最初に出てくる瀋陽精錬工場だ。

Youku第1部「工場」

工場内に侵入したカメラが最初に映すのは、素っ頓狂な映像だ。着衣場がないのか、股間を手で隠して素っ裸の男が廊下を走ってくる。後を追い、カメラもシャワー室へ。レンズは湯気で曇り、裸の群れと水しぶきの音がこだまする。工場内の休憩室で将棋をさす男たちの場面に移ると、「ここはかつて国家一級先進企業だった」と自嘲的に語り始める男がいる。また別の中年男は自分の境遇を語り、「自分には学がない。文革世代だったから。仕方がない」と愚痴をこぼす。東北の男たちはそこらかしこで手鼻をかみ、シャツの腹をめくり、飯をかき込む。ささいなことで口論し、タバコを口から離さない。

第2部「街」の舞台は強制立ち退き直前の住居区で、前述の労働者の子供たちと思われる10代の若者たちが主人公だ。北京や上海なら彼らも1980年代生まれ、消費時代の申し子ともてはやされる「80後」世代だが、ここは瀋陽、衰退した工場労働者の町である。次々と古い社員住宅が壊され、あちこちに空き地が生まれるなか、悪臭が鼻をつく扉のない公共トイレが残っているような住環境だ。

Youku第2部「街」

それでも彼らは恋をする。華流ポップスを口ずさみ、バレンタインデーには好きな女の子に花を贈ってみたりする。田舎の若者がやることは、なにしろ初心でせつなく痛々しい。

それにしても、なぜこの町の若者は家でぶらぶらしているのだろうか。上海や華南の工場にでも出稼ぎに行けばいいのにという気もするが、親と同様十分な教育を受けていないうえ、工場労働者の悲哀をよく知る彼らの腰は重いようだ。

第3部「鉄路」は線路小屋を仮住まいとする親子の話だ。元鉄道職員だが失職し、妻から逃げられた父親は、線路沿いに落ちている屑鉄や石炭を拾って暮らしている。ある日、彼は石炭泥棒として警察に拘留されてしまう。数週間後、息子は釈放された父親と食堂に行き、泥酔し泣き崩れてしまう。父親に背負われ家路に向かうふたり。不幸を絵に描いたような展開が続き、ついに親子は線路小屋を追い出される。

Youku第3部「鉄路」

ところが、1年後、父親は新しい女と生活を始めている。ずいぶん楽しげである。経緯は詳しく触れられないが、なんとも意外な展開だ。これは希望ということなのか……釈然としないまま、映像は終わる。ことの次第を喜んでいいのか、重く受けとめるべきなのか、匿名の群集ドラマを見せられた膨満感と解放感を味わいながら。

カメラの背後で何を考えていたのか

繰り返すが、9時間5分である。いったいどこまで彼らの世界につき合わされるのか。なぜ自分はこんな美学のかけらの微塵も感じられない中国オヤジたちのナマの生態を見せられ続けなければならなかったのか。そもそもこれは本当にドキュメンタリーなのだろうか。この映像のどこが面白いのか――。そう感じた観客も多かったのではないか。

そういいながら、このうんざりするような中国庶民が繰り広げる蕪雑な世界に、ぼくは気がつくと、なじんでいたことを告白する。確かに最初の1時間はキツかった。早く終わらないかとイライラした。ところが、4時間を越えたあたりから、登場人物にだんだん感情移入していたのだ。その頃にはもう観客もまばらなアテネフランセのシートに寝転がってスクリーンを観ていたように思う。

たぶん極私的な理由もあるだろう。学生だった1980年代半ば頃から所用あってぼくは瀋陽を何度も訪ねており、登場人物たちの住む世界をある程度見知っていたからだ。

映像を観ながら、こういうオヤジ、確かにいるね。中国のヤンキー、化粧のケバいおねえちゃん、こういう感じだな……。実は、王兵が『鉄西区』を撮っていた2000年の秋も、ぼくは瀋陽を訪ねていた。定点観測のつもりで数年ぶりに訪ねた瀋陽の変わりゆく街の様子や人々の暮らしを眺め、写真を撮ったりした。当時の瀋陽の人たちはカメラに対してガードをつくったりはしなかったと思う。まだそんなゆるい時代だったのだ。

そうだとしても、どうして王兵は登場人物の生活の内部深くまで入り込むことができたのだろうか。編集上カットされた290時間の撮りためた映像が他にあるとしても、人びとはカメラの前で、まるで撮られていることに気づいていないかのように、涙を流し、怒り、笑い、裸になっている。私情を晒すことの意味を訝しがることなく、王兵の立会いを許していたのはなぜか。彼は常にビデオカメラの背後にいたにもかかわらず、透明な存在であり続けられたこと。この作品の驚くべきところは、そこにある。

制作ノートの中で、彼は事前に関係者たちへの聞き取りや調査を行っていたという。もちろんそうだろう。すでに十分顔見知りとなっていたのだ。だが、1年半の時間をかけてビデオを撮り続けた王兵が終始透明な存在でいられたのは、それだけの理由ではないだろう。自分の営為が「ひとつの時代の終わりを見つめ、終わりに立ち会うことの重みを投げつけてくる」(映画評論家・刈間文俊)作品となることを自覚し、歴史の記述者であろうとする明確な企図を最初から強く胸に抱いていたからと考えられる。いうまでもなく、「ひとつの時代」とは、中国が社会主義を標榜した時代である。

中国の近代化遺産-瀋陽鋳造博物館

2008年の初夏、ぼくは映画の舞台の地である瀋陽の鉄西区を訪ねていた。現地の知人から日本統治時代の古い工場を改装した新しい歴史博物館ができたと聞いたからだ。2007年6月26日にオープンした瀋陽鋳造博物館である。

1933年に建てられた森田鉄工所、松田機械、満洲鉛板など12社の日系合弁会社からなる工場跡を改装して展示スペースにしたものだ。新中国後は1956年に瀋陽鋳造工場と改称され、最大従業員5800人のアジア最大級の鋳造企業だったという。現在はその一部しか残っていないが、博物館の敷地面積は4万㎡、1・8万㎡という巨大な工場内部が見学できる。現在でも稼動可能な天井の作業リフトや金属を高温で溶かした鋳造釜などがそのまま置かれており、まさに満州国時代の工場遺産を見学している気分なのだ。20世紀の近代工業空間が持つ迫力は、もう壮観、いや絶景というほかない。

展示コーナーでは、中国を代表する近代化工業遺産として満鉄時代から近年までの工業機械や車両など、計画経済の国らしく5カ年計画ごとに発展状況を解説している。また胡錦濤国家主席の訪問や、労働者劇場風の特設ステージ、天井の高い廃墟空間を活かした斬新なスペースで行なわれたドイツ企業とのパーティの様子が写真で展示される。

その印象が鮮烈に残っていた同じ年の冬にぼくは『鉄西区』の上映を知った。瀋陽鋳造博物館で見た空間が10数年前には疲弊し、操業停止していたこと、それが満州国時代に日本人によって建設された工業遺産だったことを、作品を通してあらためて確認することになった。

最初に少し触れたが、この地区の歴史的な経緯は複雑だ。

『鉄西区』の冒頭の字幕解説では、鉄西区は主に日本の軍用物資の工場地区として1934年に建てられたとある。その先の記述は一気に飛んで1949年の新中国建国からになる。以後、ソ連や旧東ドイツの援助があったことが記される。今日の中国人が新中国建国前の歴史を語るとき、日本は軍隊という記号に結び付けられ、あっさりと片付けられてしまうのが常だ。だが、実際には日本の敗戦後に残された工業設備や生産技術は、国共内戦で国民党やソ連による支配期を経て新中国に継承され、当時としては先進的な工業インフラとして毛沢東時代の中国に影響を与えたことは確かである。

こうして鉄西区は中国の社会主義経済の牽引役として発展を遂げたのだが、栄光の日々は改革開放を迎えた1980年代に転機を迎える。海外からの投資は政策的に華南や沿海地域に集中したため、徐々に地盤沈下が始まった。90年代以降、中央政府が進めた市場経済化で国有企業は非効率な経営と社会保障制度の維持が重荷となって疲弊し、旧式な工場や粗末な住居が残る煤煙と失業者の町となっていく。鉄西区は改革開放や市場化の恩恵から取り残された社会主義の敗北を象徴する街とされたのである。

煙突からマンションの街へ

ところが、ここにどんでん返しがある。『鉄西区』で撮られた社会主義時代の崩壊寸前の工場町は2010年現在、どうなっているのか――。

実は、高層マンションやオフィスビルの並び建つニュータウンに生まれ変わっているのである。

その変転ぶりは、今日の中国社会を象徴する光景といえる。何が起こったのか。2003年に中央政府から東北振興政策が打ち出され、鉄西区にある国有企業を郊外移転することが決められた。そのための資金は、鉄西区を再開発し、商業用地や住宅用地として転売することで地価を上げ、その売却益でまかなうことにしたのだ。この10数年間、中国全土を覆った不動産投資の波がこの地にも襲来したのである。

とりわけ鉄西区の風景が大きく一変したのは2004年のことだ。百度動画で王兵の『鉄西区』を検索すると、中国中央電視台(CCTV)が制作した同地区をテーマとしたドキュメンタリー番組が見つかる。そこでは同年3月23日、高さ約100mの巨大煙突3本が倒壊する映像が見られる。一切の工場建築を取り払った粉塵舞う平坦な荒地に、なぜか煙突だけが残され、それを一気に倒壊してみせるのだ。まるで強制的に執行された壮大なフィナーレを告げる儀式のようでもある。中国版ナショナル・グラフィックにあたる雑誌『中国国家地理』2006年6月号では、中国の工業遺産の特集を組んでいて、2004年前後の数年間で鉄西区にあった4000本を超える煙突が再開発のために倒壊させられたとある。

『鉄西区』が撮られたすぐ後、その地ではとんでもない変化が起こっていたのだ。

実際、線路をはさんだ瀋陽市中心部でも、この数年再開発が急ピッチに進み、今年の年末にはついに地下鉄が開通する。その発展段階は、直感的にいうと10数年前の上海だ。

鉄西区にあるマンション販売会社を覗いたら、富裕層向け高級マンションのジオラマが置かれていた。マンション価格1㎡7000元相当といえば、確かに10年前の上海、北京の価格帯に近い。はたして瀋陽でも同様に今後10年かけて不動産価格が3~5倍に上昇するのだろうか。それを見込んだ利権にさとい投資家たちが不動産を買い込み、価格上昇で売り抜けして資産を稼ぐという、同じことが10年遅れで繰り返されるのだろうか。

登場人物たちはどこへ行ったのか

「ひとつの時代」の終わりに立ち会ったはずの街の風景が見事に豹変していたこと。だとすれば、当局が造らせた博物館もまた「ひとつの時代」が終わったことを公式に承認し、新しい時代の到来の宣言と告げるものだろう。だが、なんともスッキリしないものが残る。

『鉄西区』で王兵が見つめ続けた中国庶民の日常を圧迫した問題の数々は、これで一挙に解決したのだろうか? そう思うと、この作品はまだ完結していないのではないか、と思えてくるのだ。王兵には『鉄西区』の登場人物たちがその後どうなったか、追いかけてほしいものだ。また中央電視台の番組での煙突倒壊シーンをきっと彼も観たと思うが、何を感じただろうか。彼だったら、そのシーンをどう映像で切り取り、どうその意味を位置づけるのか、知りたいものである。

これは無理な注文だろうか。だが、彼のドキュメンタリー作品を観た後、最初にぼくの頭に浮かんだのは、事前に目にしていた『鉄西区』後の中国の変貌をどう理解したらいいのか、ということだったのである。

皮肉を言いたいのではない。こうした見かけの大変貌が日常的に全土で起きているのが、今日の中国の姿である。前述の中央電視台の番組では、永く苦難の時代を生きた鉄西区の歴史を関係者らのコメントを交えて延々と語った後、最後に新興マンション住まいの幸せそうな家族の団欒シーンが挿入される。すべての恩恵は中央政府の政策がもたらしたというわけだが、いかにもきれいごとすぎて疑問に思うからである。

というのも、『鉄西区』は10年前の映像だが、いまもなお中国には発展から置いてきぼりを食った何億もの匿名の民衆の姿があるからだ。実際に、中国では当時の登場人物たちとたいして変わらない生活ぶりを送っている人々を至るところで普通に見かける。たとえば、北京の高層ビル群から車で30分ほど離れた郊外の一角には、地方からの出稼ぎ農民工の暮らす工場町がいくつもある。彼らもいずれ当局主導の不動産開発によって住居の強制立ち退きを迫られる存在になりうるという意味で、『鉄西区』の住人と同じなのだ。こんなことがこの国ではいつまで続くのだろうか――。中国を訪ねるたびにいつも思うのだ。
                 ※            ※    
こうしたテーマにぼくが関心を持つようになったのは、数年前に友人の紹介で「地球の歩き方 中国東北編」(ダイヤモンド・ビッグ社)の編集を請け負うことになり、大連や瀋陽といった旧満州の都市や町を定期的に訪ねるようになってからのことだ。沿海地域に比べ発展が遅れたぶん、日本統治時代の建築遺産や住居が長い間使われ残されていたが、2005年前後から急速に状況が変わりつつあることを感じていた。すべてが消失する前に、せめて写真に残していこう。そう考え、友人の写真家・佐藤憲一さんと作業を進めている。もしこうしたテーマにご関心のある方がいたら、情報交換していただけるとうれしいです。

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【追記】
現在、瀋陽鋳造博物館は中国工業博物館として生まれ変わって、公開されています。2016年7月、現地を再訪する予定です。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-24 10:52 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)