ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:のんしゃらん中国論( 43 )


2014年 07月 29日

LINEとGmailが使えない中国ってどうよ

6月末から7月下旬まで中国の取材に出かけていたのだが、困ったのは、急にLINEやGmailが使えなくなったことだった。

5月に上海に行ったときは、LINEもGmailもふつうに使えた。特にLINEは国際無料通話ができるので、中国の友人との会話はもちろん、日本への連絡にも重宝していた。

上海では、今年5月の時点、地下鉄駅構内でLINEの広告が見られた。
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人民広場駅構内(上海)

ところが、6月末中国に入国した際、数日間はgmailが使えたが、7月に入ると、まずアクセスできても送信が不可となった。それから数日すると、メールの受信も不可となり、ついにgmail自体にアクセスできなくなった。

もっとも、なぜかスマホではgmailの受信だけはできた。そのため、gmailで受信したメールをyahooメールで返信するというメンドーな対応に追いやられた。実際、スマホで受信できたのは幸いだった。もしできなかったら、日本からのメールをいっさい受け取れない、仕事上ヤバイ状況になっていたからだ。

そのうちLINEも使えなくなり、日本との通話もできなくなり、wifi可能なスポットでskype電話を利用した。いまどき、確かにいろんなツールがあるけれど、なんの通達もなく勝手に通信インフラを使用不能にできるなんて政府がこの21世紀に存在していることは信じられない。中国とは世界で最も特殊な国といっていいだろう。

結局、中国の友人たちに教えられて、微信(we chat)のアプリをダウンロードした。これなら以前どおり、日本に帰国しても中国の友人とチャットも無料通話もできる。そこそこ便利である。

ただね、中国以外の国にも友人はいるわけで、中国人相手だけ使い分けなきゃならないなんて、なんとメンドウ臭いことかと思う。

帰国してしばらくして、在日中国人の友人たちと自然に微信友達が増えた。

ちなみに中国では、LINEやGmail以外にも、Facebookはもちろんのこと、YOU TUBEやユーストリーム、ニコニコ動画をはじめ、YahooやExciteのブログも閲覧不可です。ですから、このブログも中国では見ることはできないのです。

やっぱ、よくないですね。こういうの。

こんなことでは、香港のデモ学生に日本人が共感してしまうのは当然です。ところが、中国大陸人たちは、こういう当局による不便も生まれてきてこのかた、当たり前となっているので、すぐにスルーして忘れることにして、悩んだりもしないのでしょう。この違い、ホントは大きいのにね。
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by sanyo-kansatu | 2014-07-29 20:03 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2014年 05月 17日

便利になった上海の地下鉄とここでしか見られないもの

先週、半年ぶりに3泊4日で上海に行ってきたのですが、地下鉄がますます便利になっていました。
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上海の地下鉄は2000年代の半ば頃より上海万博の開催に向けて加速度的に路線網を拡大してきましたが、その勢いは現在も変わらないようです。今回泊まったホテルが虹口地区のはずれにあったのですが、昨年にはまだ開通していなかった12号線ができていて、徒歩3分内に最寄りの駅があったのには驚きました。これは地下鉄12号線寧国路駅の地上出口です。
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さすがに開通したばかりで地下鉄車内も明るくて新しいです。
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中国の大都市の地下鉄に必ずあるのが、手荷物検査機です。以前は気休めにしか思えませんでしたが、近年全国各地でテロが起きているだけに、リアルな存在感を感じないではありません。上海の地下鉄は便利になったものの、治安の問題が潜在化しているともいえます。これは中国でしか見られないもののひとつでしょう。
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もうひとつ面白いのが、ホーム頭上に置かれている次の電車の到着時刻を秒単位で表示しているテレビ広告のデータ通信です。これは北京の地下鉄にもあります。秒単位とはずいぶんせっかちにも思えますが、日本人の感覚だと、ここまでやられると、かえって時間を縛られているような感じがしないではありません。中国の乗客も、実はそんなに気にしてないんじゃないでしょうか。
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12号線の始発と終電の時間が掲示されていましたが、意外に終電は早いですね。夜の10時台ですから、気を付けないと乗り遅れてしまいそうです。

さて、地下鉄の自動販売機の使い方を説明しちゃいましょう。
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まず自分の行きたい駅が何号線にあるか見つけて下のパネルから選びます。
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そして駅名と枚数を押します。
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料金がわかったら、お金を入れます。
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お釣りと一緒に券が出てきます。
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販売機の使い方がわからない地方から来た人も多いので、説明してくれる駅員さんもいたりします。
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ところで、日々路線網を拡大する上海の地下鉄ですが、最新の路線図を入手したので、東京の交通路線図と比べてみました。
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なんでも地下鉄路線だけだと、上海は世界一の運行距離になったのだそうです。この短期間にすごい発展ぶりです。ただし、東京やパリ、ロンドンなどの交通網は、長い時間をかけてつくられた地下鉄以外の鉄道路線があるため、トータルでみると、上海もまだ十分とはいえなさそうです。

それでも、今回上海市内を郊外も含めてずいぶん動き回ったものの、たいていの場所まで地下鉄で行けるようになっていたので、タクシーを利用する機会が本当に減りました。ここ数年、ハルビンや大連といった地方都市でも地下鉄の開通が始まっています。中国では不動産開発による無意味な投資が目につくなか、都市部の公共インフラを充実させることに対しては政府も意欲的であることを強く感じます。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-17 11:26 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2014年 01月 21日

文革時の蛮行をザンゲする元紅衛兵たち

脱臭無菌化された「文革系雑貨」があふれる一方、最近中国では文革当時の蛮行をザンゲする年老いた元紅衛兵たちが現れています。

先日もたまたま北京にいてキオスクで手にした新京報に以下の記事が掲載されていました。

新京報 2014年1月13日
宋任穷之女向文革中受伤害师生道歉 数度落泪(←これは同記事が転載されたものです)
http://news.sohu.com/20140113/n393382704.shtml
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このニュースについては、産経新聞が以下のように報じています。

文革の元紅衛兵、相次ぎ謝罪 背景に習政権の毛路線模倣への懸念
2014年1月14日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140114/chn14011411420002-n1.htm

「1966年から76年に中国全土を席巻した文化大革命中に、教師や知識人らをつるし上げ、暴行を加えた紅衛兵による被害者への謝罪が昨年から急増している。中国メディアによると、著名な紅衛兵リーダーだった宋彬彬(そう・ひんひん)氏が12日、北京で文革を反省する会合を開き謝罪した。背景には、習近平政権が毛沢東を模倣した政治運動を展開していることを受け、文革再来への懸念が関係者の間で広がっている事情があるとみられる。

13日付の新京報などによると、宋彬彬氏ら元紅衛兵約20人は北京師範大学付属高校に集まり、文革中に紅衛兵の暴行を受けて死亡した同校の元副校長、卞仲耘(べん・ちゅううん)氏の銅像に黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)しざんげした。宋氏は涙ながらに「先生に永遠の追悼と謝罪を表したい」との内容の反省文を読み上げた。」

実は、昨年12月14日、専修大学で宋彬彬氏ら当時の紅衛兵による蛮行をテーマとしたドキュメンタリー映画『私が死んでも』(胡傑監督)が上映されています。同作品は、1966 年8 月に紅衛兵に殺害された、北京師範大学附属高校の党総書記で副校長だった卞仲耘の境遇を扱っており、彼女の夫へのインタビューと彼が当時撮った多数の写真を主たる素材としています。

この上映会は、昨年12月に開催された「中国インディペンデント映画祭2013」の関連企画として実施されたものです。

胡傑監督作品上映とトーク
日時 十二月十四日(土)
『私が死んでも』午後一時一五分~二時二五分
『林昭の魂を探して』二時三五分~四時三五分
胡傑監督トーク「中国現代史とドキュメンタリーの可能性」
会場 専修大学神田校舎一号館二〇二教室
主催①③ 専修大学土屋研究室 http://www.t3.rim.or.jp/~gorge/tsuchiya.html

『私が死んでも』は、文革当時に北京の女子高で起きた教師に対する恐るべき集団リンチ殺人の遺族とその周辺の人々の肉声でつづられた作品でした。なぜ当時の女子高生たちがこのような行為に及んだのか。いまの中国の都市に住む恵まれた階層の若者たちには理解を超えているかもしれません。

1か月ほど前にこの作品を観ていただけに、事件の首謀者たる当人がメディアに姿を現わし、ザンゲしたというニュースを知り、ぼくはかなり驚きました。胡傑監督によると、同作品は中国では一般公開はできませんが、知識人を中心にかなり広範囲にDVDとしてコピーされて広まっているそうです。今回の宋彬彬氏の行動も同作品の存在を抜きにしては語れません。

同作品の概要と胡傑監督のトークの内容については、後日紹介しようと思います。
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胡傑監督(2013年12月14日 専修大学にて)
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by sanyo-kansatu | 2014-01-21 10:07 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2014年 01月 20日

中国の文革系サブカル雑貨は日本の1970年風?

池袋にできた華人経営の「文革レストラン」の店内ディスプレイやポスター、標語の数々について以前、ぼくはこう書きました。

「これらに見られるように、「文革レストラン」に散りばめられた一見政治的かつノスタルジックな文化的意匠は、実のところ、当時への郷愁ではなく、むしろ2000年代の中国の都市部に多く現れた文化雑貨屋で売られていた他愛のない流行商品やキャラクターグッズのたぐいと変わらないものです。パロディーといっても、そこは用意周到毒抜きされています」(「池袋の「文革レストラン」再訪。紅衛兵コスプレ美女に会う」)。

では、ここでいう中国で商品化された「文革系カルチャー雑貨」とはどんなものでしょうか。

北京の人気観光スポットである南羅鼓巷と798芸術区にある文化雑貨屋で売られているものをいくつか並べてみましょう。そこは地方から北京に遊びに来たおのぼりさんでにぎわっているという感じのスポットです。2008年ごろから2014年1月くらいに撮ったものです。

南羅鼓巷
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294212-d2008082-Reviews-Nanluogu_Lane-Beijing.html
798芸術区
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294212-d1793347-Reviews-798_Art_Zone-Beijing.html
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これが池袋の「文革レストラン」で見られた文革時代のポスターや標語をパロディー化した雑貨群です。「80后」というのは、中国の1980年代生まれの世代を指します。彼らがこれらのサブカル雑貨のメインの消費者だったというわけですが、もはや本来の政治的な文脈は毒抜きされているので、パロディーとも呼べそうにありません。単なるファンシーグッズです。
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「毛沢東語録」も「愛情語録」に変換されているくらいです。借りているのは、図柄や意匠だけで、当時の陰惨な歴史の記憶はすっかり忘却されています。そう考えると、これらのファンシーグッズがいかにグロテスクな存在であるかを思い知らされるのですが、そんなことを彼らに言っても始まりません。
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なにしろ紅衛兵人形も「可愛的(かわいい)」キャラクター商品です。

ところで、これらの文革系サブカル雑貨は、1990年代の中国現代アート界を一斉風靡したポリティカルポップと呼ばれた作品群が原型となっているはずです。しかし、当時すでにそれらの作品の政治性は「虚勢」されてしまっているとも指摘されていました。中国の高度経済成長によって現出した消費社会が、これは日本でも同じだったのでしょうが、本来もっていたはずの批評性をなし崩し的に無為化してしまったからです。中国では、毛沢東グッズがみやげ物やお守りになる時代を迎えているのです。

そんなわけですから、ファンシーグッズと化した文革系雑貨について、いまさらあれこれ言っても始まりません。そこで、今度は文革がらみではないグッズも見てみましょうか。それは、いつぞやの日本を思い出す光景だったりします。
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これなど1970年代に流行った「幸福駅」の切符を思い起こさせます。
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中国の人気漫画キャラクターの脱力感あふれるコメント付き雑貨も定番です。
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学生たる者「よく食べ、よく飲み、好色(セクシー)であれ」
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若者の流行語を書き並べたパネル。「宅女」は、わかりますね。
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いまでもたまに見かけますが、数年前まで中国ではこんなマスクが流行ってました。2000年代らしいのどかな風景といっていいのかもしれません。でも、最近はPM2.5による大気汚染が深刻化している時代です。いつまで彼女たちがしゃれっ気や遊び心で日本の1970年代風ファンシーグッズの世界で戯れていられるのか。ちょっと気にならないではありません。

もしかしたら、2000年代というのは、中国の激動の現代史において民衆がつかの間のほっと息をつける安定した時代だったと、後世になっていわれるのかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2014-01-20 18:48 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 12月 24日

池袋の「文革レストラン」再訪。紅衛兵コスプレ美女に会う

昨晩、仕事仲間と池袋の文革レストラン「東方紅」で忘年会をやりました。その日集った皆さんは中国通が多く、先日ぼくが文革レストランを訪ねた話をしたところ、すぐに食いついてきたので、お連れしたというわけです(大学で東洋史を専攻した皆さんばかりです。専門的に中国史や中国語を学んだことがないのは自分だけ。恐縮します)。
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エレベータの扉が開くと、最初に目に入るのが、毛沢東の大ポスター。皆さん、そこで「おぉー、これがそうか」と軽く反応しつつ、店内に入ると、文革ポスターやら標語の数々を物色しながら、席についたのでした。

席まで案内してくれた紅衛兵のコスプレ店員は、中国のネットに写真が出ていた例の彼女でした。大連出身の王さんといいます。お笑い芸人の青木さやか似の美女、といっておきましょう。明るくていねいな接客で好感度が高いです。
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在日中国人、池袋に文革レストランを開店
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-11/05/content_30500644.htm

店内には、若い中国人のグループが何組かと、今回初めて日本人のグループを2組見かけました。この手の中華料理屋にはよくいそうな年配の男性3人組(きっと中国の夜のお仕事の女性に連れてこられたのでしょう)と、ちょっと意外だったのは、若い女性の4人組でした。だんだん日本人客も増えているんですね。

中華料理はやはり大勢で行くのが楽しいものです。今回5名で行ったので、いろんな料理が注文できました。中国通の皆さんですから、それぞれお好みの料理があるようでしたが、「念のため言いますけど、ここは中国東北料理の店ですから」と、ぼくがひとこと付け加えると、では「酸菜の鍋にしましょう」と、Hさんがメニューを見ながら応じてくれました。
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これが酸菜カキ鍋です。酸菜は中国東北地方の名物の白菜の酢漬け。簡単にいうと、トウガラシ抜きのキムチのようなもので、ちょっと酸っぱいんです。それにこの季節旬のカキを入れて白湯風のスープにした鍋です。美味でしたよ。
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せっかくですから、コスプレ店員の王さんにおすすめを聞いてみると、面白い料理が出てきました。文革時代をイメージ化したアルミの弁当箱のようなものに入ってでてきた豚肉と野菜の田舎風煮込みです。野菜にはカボチャやトウモロコシも入っています。クミンやハッカクなども使われていて、いかにも東北料理らしい味付けでした。
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これは東北料理というわけではありませんが、インゲンの四川風辛味炒めです。日本人の口に合いますね。

他にもいろいろ頼んだのですが、皆さんの評価は、「この店で頼むべきは、東北料理。他の地方料理はちょっと予想した味付けと違う気がする」というところでまとまりました。こういうことって、中国でもよくあります。いまの時代、都市部ではいろんな地方料理レストランがあるのですが、たいてい地元の好みの味に変えられていて、本場の味を知る人からすると、「あれっ、ちょっと違う」となるものです。東北人が四川料理をつくると違った味になるという話で、池袋でもそれがいえるわけです。

とはいえ、ふだんは口の悪いことで知られるHさんから「こんな本場の料理が日本で食べられるとは、うれしいことですね」と言われたので、ぼくはほっと胸をなでおろしたのでした。そして、「そりゃそうですよ。本場の東北人がつくってるんですから」と応じたものです。
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中国語のわかる皆さんですから、店内にたくさん貼られたポスターや標語が気になるようです。たとえば、トイレの前に貼ってある「同志们,无论大小,记得冲(皆さん、大でも小でも流すことをお忘れなく)」や、厨房に入る従業員出口の「闲人免进(関係者以外立ち入り禁止)」は、当時のプロパガンダポスターから図柄を拝借し、言い回しを変えてパロディー化したものです。
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これは、2000年代半ば中国で一斉風靡したテレビのオーディション番組の人気投票でデビューした李宇春さんというアイドル歌手の新曲のタイトル「再不疯狂我们就老了」を拝借して、当時のポスターにはめ込んだもののようです。
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またこれは逆のパターンで、文革当時、毛沢東が紅衛兵に呼びかけた「战无不胜的,毛泽东思想胜利万岁」というメッセージ入りのプロパガンダポスターの、紅衛兵たちが高く掲げる(おそらく)毛沢東語録(だと思いますが)の代わりに米国アップル社のロゴをはめ込んでいます。

中国共产党第九次全国代表大会主席团秘书处新闻公报(1969年4月24日)
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/64168/64561/4429452.html

これらに見られるように、「文革レストラン」に散りばめられた一見政治的かつノスタルジックな文化的意匠は、実のところ、当時への郷愁ではなく、むしろ2000年代の中国の都市部に多く現れた文化雑貨屋で売られていた他愛のない流行商品やキャラクターグッズのたぐいと変わらないものです。パロディーといっても、そこは用意周到毒抜きされています。

※これらのグッズについては「中国の文革系サブカル雑貨は日本の1970年風?」を参照。 

とはいえ、今月26日が毛沢東生誕120年にあたることを意識して書かれたと思われる今朝の朝日新聞の国際記事「文革 封印の過ち語る 毛沢東生誕120年 回顧の風潮に危機感」(2013年12月24日)が指摘するように、中国では「文革レストラン」という存在自体、単なる飲食施設ではなく、悲惨な歴史の記憶の回顧化、あるいは忘却化に貢献するものだという見方もあるようです。なんにしろ、そんなに遠い時代の話ではないからでしょう。同記事の中では、自分が密告したことで、母親が銃殺刑にされた弁護士の話がでてきます。中国の現代史のタブーを突いてにわかに出現したかのような「文革レストラン」には、まだまだ尾ひれの付く話が出てきそうです。

※そういう意味では、最近中国で文革時の蛮行を懺悔する元紅衛兵たちが現れていることに注目したいと思います。「文革時の蛮行をザンゲする元紅衛兵たち」 参照のこと。
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by sanyo-kansatu | 2013-12-24 10:45 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 11月 17日

これが本場中国の「文革レストラン」です

東京・池袋に10月下旬、オープンした「文革レストラン」を訪ねたことを前回報告したので、今回は本場中国の「文革レストラン」を紹介することにしましょう。
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とはいっても、前回説明したように、そもそも中国における「文革レストラン」の流行はすでに終わっており、閉店した店も多いのです。最盛期は、場所にもよりますが、北京や上海で2000年代前半、地方に行くと2000年代後半だったと思います。

今回紹介するのは、大連にかつてあった『東方紅風味酒楼』です。2007年12月にオープンしましたが、現在は閉店しています。ぼくがその店を訪ねたのは、08年5月下旬のことです。何よりそこで観た「文革歌謡ショー」が印象に残っています。以下、レストランの内装や一連のショーをお見せしようと思います。

写真は佐藤憲一さんです。
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まずレストランの外観はこんな感じです。場所は、大連市中山区中山広場万達大廈の西側にありました。
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店内です。客は中高年がほとんど。白酒とノスタルジーがこの店の売りです。
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壁には文革時代のポスターがたくさん貼られています。
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厨房も一部公開していて、そこには東北地方の料理(東北菜)が並んでいます。煮物が多いです。
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毛沢東の好物だった紅焼肉もあります。
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料理はざっとこんな感じ。おそらく当時はこんなにふんだんに肉を使った料理なんて口にできなかったのでしょうが、中国も飽食の時代です。いまこうして豊かさを手にしているのですから、当時はどんなに貧しくても、それは思い出というものです。
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彼はこれから観る「文革歌謡ショー」の広報係です。日本人が来店したというので、ちょっと緊張した面持ちです。きびきびとした動きで、当時の紅衛兵を演じているのでしょうが、もちろんその時代に彼は生まれていません。
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さて、ショーが始まりました。舞台の中央には毛沢東の肖像画が飾られています。
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前半は、歌と舞踊のショーです。いまや懐かしい紅衛兵の姿に扮した劇団員たちは、大音量のスピーカーから流れる当時の流行歌に合わせて熱唱します。

※【動画あり】中国文革レストラン(大連)のショーにて(歌と踊りと文革世代の観客たち 2008年5月
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ドラムやシンセサイザー、そして横笛や胡弓の演奏者もいます。
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客にマイクを向けて一緒に歌おうとステージを降りて、呼びかけます。
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大きな紅旗を翻しながら、派手なパフォーマンスを繰り広げます。
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前半のショーが終了すると、劇団員たちは観客の座るテーブルを周回し始めます。客の中には、劇団員に握手を求める人もいます。当時を知らない若者がこのように演じていることに対して、中高年の観客たちはどんな思いを抱いているのか。それとも、今日ではまったく否定されてしまった文革時代にこうして光を当ててくれたことに感激しているとでもいうのか。
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幕間には、中国絵画のオークションなども行われます。50元払って花輪を買って、劇団員の首にかけるのもお約束です。
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後半は、いわゆる「抗日」寸劇です。抗日ドラマでおなじみの日本軍兵士(左)と漢奸=売国奴(右)が登場します。日本兵はちょびひげと丸眼鏡というのもお約束です。
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その後、人民解放軍の活躍で漢奸は取り押さえられ、日本兵はつるし上げられます。ひたすら滑稽に演じてみせるのも日本兵の役割です。

※【動画あり】中国文革レストラン(大連)のショーにて(日本兵を成敗するシーン 2008年5月)
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最後は、勝利の歌でしめくくられます。

一連のショーを観ながらいろんなことを感じたものですが、舞台の迫力はなかなかのもので、いま中国で「文革歌謡ショー」を演じることの意味は何か? という文脈を無視すれば、いかにも中国らしいエンターテインメントだと思ったものです。そこには、一種の様式美すらあります。劇団員の青年、女子の皆さんに対して、聞いてみたいことは山ほどありましたが、あの場で話を聞いてもしかたがないと考えて、店をあとにしました。

最初に書いたように、この店は現在存在しません。このショーに出演していた青年たちは、いまどうしていて、何を考えているのか。反日デモのとき、毛沢東の肖像画を掲げた一連のグループとはなんらかの精神的なつながりがあるのか?

上海のある文化研究者によると、2000年代前半に中国各地の都市部にオープンした「文革レストラン(当時は「北大荒菜館」とも呼ばれました)」は、所詮消費社会の中のひとつの流行現象にすぎないとの見立てです。一般に中国の研究者は、こういうすました言い方を好んでしますが、そう簡単に割り切れる話なのか、ぼくにはちょっと疑問です。

突如池袋に出現した「文革レストラン」の話題はともかく、中国における昨今の「毛沢東」現象について考えてみるのは面白いと思います。

【追記】
なぜ中国の東北三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)に「文革レストラン」(実際には、文革のイメージというより、1970年代の中国の社会風俗をノスタルジー化したレストランであるのがほとんど)が多く開店したかについては、こんな推測も成り立ちます。

新中国成立以降、満州国の近代インフラを有する東北三省は、最も先進的な工業地域でした。ですから、建国後の混乱も収まる1950年代以降、東北三省の人たちは先進地域に住む住民としてのそれなりの自負を持っていたはずです。それが変わったのは、80年代の改革開放以降です。広東省を中心にした華南地方に集中的に投資が進むことで、東北三省は地盤沈下していきます。とくに90年代は失業者のあふれる後進地域となってしまいます。

つまり、大連などの「文革レストラン」に足を運んだ中高年世代の人たちは、文革という悲惨な時代とともに、東北三省の栄光の時代を懐かしんでいるのかもしれないのです。2000年代に入り、中国政府の東北振興策で、再び発展モードに転換した東北三省の人たちが“古きよき時代”の思い出を手軽に体験できる「文革レストラン」を愛好したたのも、わかる気がしないではありません。
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by sanyo-kansatu | 2013-11-17 10:25 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 11月 16日

池袋にできた「文革レストラン」に行ってきました

池袋にできた話題の店、「東方紅」に行ってきました。
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10月26日にオープンしたばかりの、いわゆる「文革レストラン」です。1960~70年代の文化大革命時代の文化的意匠で内装を統一したレストランで、そんな店が日本でオープンしたことがちょっとした話題を呼んでいるのです。老板(オーナー)は中国黒龍江省ハルピン出身。場所は西池袋の繁華街にある「ロサ会館」の西側のビルの8階です。
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エレベータの扉が開くと、まず目に入ってくるのが、冒頭の毛沢東の大きなポスターです。

店内には、文革時代のプロパガンダの標語やポスターがあちこちに貼られ、天井からトウガラシなどがいくつもぶら下げられています。これは確かに「文革レストラン」の定番ディスプレイといえます。
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メニューの表紙が「毛沢東語録」風というのも定番です。メニューを広げると、東北菜(中国の東北料理)が並び、彼の語録がデザイン化されて書き込まれています(メニュー写真のいちばん下にあるのが毛沢東の好物だったという紅焼肉)。
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とまあそんな趣向の店ですが、あくまで商業的な狙いだと思われます。少し前に中国で流行った「文革スタイル」の店を日本で出せば、もしかしたらウケるんじゃないか、といったあたりか。オーナーには思想的な背景などないでしょう。近年、首都圏には東北三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)から来た在日中国人が急増していますから、東北菜を出す店という意味では、市場に合わせているといえるかもしれません。

開店祝いで、ドリンクも半額でした。個人的にぼくの好きな家常豆腐を注文しました。ふつうにおいしかったです。
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店内には、留学生のグループらしき若者とおじさん3人組、おじさんと若い女姓のカップルがいて、すべて中国客でした。

例の中国のネット上に飛び交った紅衛兵の衣装にコスプレした女の子の服務員(中国語のウエイトレス)はいませんでしたが、ふたりのコスプレ服務員がいました。
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話を聞くと、ふたりはともに瀋陽出身。茶髪の紅衛兵というのもいまの子らしくて面白いです。ネットに出た子は大連出身で、今日は休みだそうです。ふたりはとても丁寧な接客で感心しました。しかも、手がすくと、空いたテーブルのメニューをきっちり揃えたり、休む間もなく働いています。

池袋の「文革レストラン」は、内装を除けば、都内によくあるごくふつうの中華料理店でした。雑な日本語を話すおばさんが店を切り盛りしているような古い在日華人の店ではありません。経営者はおそらくニューカマーで、いまの中国の都市部によくあるレストランと変わらないといっていいと思います。ただし、服務員は注文の受け答えくらいはできますが、日本語は少しあやしい。在日華人が経営する店というのは、いまどきそんなものです。

ところが、池袋の知り合いの中国人の経営するバーで「東方紅」の評判を聞いたら、「味はまずい。一回行ったらもう行かないと思う。来年はもうなくなっているんじゃないかな?」という厳しい評価でした。

中国人というのは、知り合いでなければ、同胞につれないですね。

「池袋 东方红」でネットを検索すると、中国側の反応がいろいろ出てきます。

日本东京华人聚集地开设“东方红”餐厅 2013年11月4日
http://news.xinhuanet.com/world/2013-11/04/c_125649535.htm
http://www.mnw.cn/photo/baitai/692081.html

中国ネット民「頭おかしい…」 池袋の“文化大革命レストラン”に批判集まる
http://newsphere.jp/entertainment/20131111-1/

中国ではわりと批判的なコメントが多いようです。もともと「文革レストラン」は、2000年代前半にまず北京や上海でオープンし、それから何年か遅れて特に東北三省にたくさんできました。ぼくは大連や長春にあった店に行ったことがあります。大連の店では、紅衛兵の衣装をつけた劇団員によるショーもあったんです。客層は、当時を知る中高年の世代でした。確かに、ひどい時代でしたが、それでも自分の青春を過ごした時代を懐かしむという気分はあるものです。いまではそのほとんどのお店が閉店してしまいました。要するに、一種のブームにすぎなかったのです。そんな10年前に中国で流行った店をいまごろ日本でやるのかよ、という感じ方もあるかもしれません。日本人よりむしろ、中国のネット世代のほうが違和感を感じているところが面白いです。

日本ではいまのところ、特に反響はないようです。「チャイナタウン」騒動のあった池袋だけに、いろいろ言いたがる人が出てくるのかもしれませんけど、大半の日本人にとって「文革レストラン」といわれても、ピンとこない話でしょうから。

東方紅
東京都豊島区西池袋1-38-3 b-toos池袋8F
tel 03-6907-1237
微信号:dongfanghong1618

※あとで、中国で少し前に流行った「文革レストラン」(「これが本場中国の「文革レストラン」です」)について紹介しようと思います。

【動画あり】中国文革レストラン(大連)のショーにて(歌と踊りと文革世代の観客たち 2008年5月)
中国文革レストラン(大連)のショーにて(日本兵を成敗するシーン 2008年5月)

2か月後、この店を再訪した話も書きました。そこでは店内の文化的意匠について、簡単に解説しました。「池袋の「文革レストラン」再訪。紅衛兵コスプレ美女に会う」http://inbound.exblog.jp/21710468/

さらに、この店の文化的意匠が2000年代の中国の風景といかに重なっているかについては「中国の文革系サブカル雑貨は日本の1970年風?」を参照のこと。

また、その一方で文革時の蛮行を懺悔する元紅衛兵たちが現れていることについても注目すべきでしょう。「文革時の蛮行をザンゲする元紅衛兵たち」 を参照のこと。

【追記】
実は、この店、その後(2015年夏ごろから)営業スタイルを変えて現在に至っています。要は、「文革レストラン」を廃業し、ふつうの中国東北地方料理店になっています。池袋北口周辺は以前、ミニ中華街的な様相を呈していた時期(2010年くらいまで)がありましたが、いまやその勢いは下火になり、この店の経営はもうひとつのようです。実際、客層の大半は在日中国人で、日本人が来てくれないのがオーナーの悩みだそうです。

今年(2016年)は、文革50周年ですが、2年半前にこのエントリーを書いた当時の様子は見られないことを、あらかじめお伝えしておきたいと思います。(2016 .5.20)
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by sanyo-kansatu | 2013-11-16 12:30 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 06月 20日

中国の地方開発はどこでもこんな感じです(まちづくりの観念は欠落。不動産販売が優先)

中国遼寧省の丹東は、鴨緑江をはさんで対岸の北朝鮮新義州と向き合うまちです。近年、市街地南部に広がる鴨緑江下流域一帯を「丹東新区」として開発し、高層マンションの建設ラッシュが続いています。
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いまそこでは北朝鮮側とつなぐ新鴨緑江大橋が建設されています。
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その一画に「国門湾」都市開発情報センターがあります。
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このような都市開発情報センターは、丹東に限らず、中国全土にあります。中国の地方都市の開発とはどういうものかを理解するためには、格好の場所といえます。

中に入ってみましょう。ショールームの正面に、巨大な「丹東新区」のジオラマがドーンと置かれています。周囲には、超高層ビルを配置した丹東新区の未来図のパネルが展示されています。ただし、そのイメージは驚くほど全国の他の地方都市のものと似かよっています。上海の浦東を原型としたイメージを踏襲しているといって差し支えないと思われます。
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都市計画図によると、丹東新区は、工業産業園区、中央行政文化区、国際貿易区の3つに分けられるようです。
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中央行政文化区には、市政府や公共の文化施設、学校などに加え、不動産デベロッパーのマンション予定地がしっかり書き込まれています。
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興味深いことに、ショールームの隣では、不動産会社のブースがいくつか並び、販売が行なわれています。まだ完成していないマンションのジオラマを展示し、女性の販売員が接客しています。
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マンションのジオラマ自体はどれも似たり寄ったりです。間取りの模型もあります。しかし、そこでどんなまちづくりが行われるのか、どんな住まい方になるのか、ほとんど説明されていません。
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これが地方政府とデベロッパーがグルになって進める中国式の地方開発です。地方政府の歳入は土地売却に依存し、不動産投機が主要な原動力といっても差し支えないのではないか。それまで何もなかった0円の土地を売って、箱物建てれば大金になるというわけですから。

確かに日本でも同じような話はあります。再開発によって土地の値段が上がるのを見越して土地の買占めを図る強欲なデベロッパーと政治家のインサイダー取引なんて話は、テレビドラマでもおなじみの設定でしょう。

ただし中国の場合、それを悪びれることもなく政府が推奨しているようなところがあります。国民の多くも、マンション開発の話を聞きつけ、安いうちに複数購入し、資産価値が上がるのを待ち、時が来たら売り抜ける、という中国におけるお手軽資産形成=幸福への最短コースを夢見ています。一見儲けるチャンスは誰にでも開かれているようですが、そんなことは当然ありえませんし、政府関係者の懐にいくら入ったか公表されることはまずありません。

その結果、 日常生活に欠かせない諸物価とはつりあわない不動産価格の高騰が起きているわけです。いまの中国は、土地の値段をつり上げないことには、経済が回らないような社会になっていないでしょうか。

今年に入り、中国経済の成長の減速が伝えられるなか、濡れ手で粟の不動産投機による資産運用に精を出してきたばっかりに、額に汗して働く正攻法の商売を手がけるのがバカバカしいという風潮がこの国に生まれてしまっているように思います。それがあだとならなければいいのですが……。

こうしたことは、中国では大なり小なり全土で起きていることです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-20 17:46 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 05月 14日

丹東の抗美援朝紀念館とあやうい愛国主義「歴史」教育について

5月上旬、中国が北朝鮮の国営銀行の口座を閉鎖したニュースが伝えられました。そのときふと思い出したのが、3年前に訪ねた中国遼寧省丹東にある抗美援朝紀念館のことです。
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ひとことでいえば、朝鮮戦争(1950~53年)でどれだけ中国が北朝鮮を支援したか、これでもかと宣伝する「歴史」施設です。1958年10月に建て始められ、朝鮮戦争休戦協定の調印40周年記念日である1993年7月27日に開館しています。いわゆる「愛国主義教育基地」のひとつです。
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場所は丹東駅の北西の高台にあります。高さ53mの記念塔が立ち、そこから鴨緑江が見渡せます。丹東には、中朝間をつなぐ最大の口岸(イミグレーション)があり、両国の最も太い人的交流が見られるまちです。
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館内は歴史的な資料を展示する陳列館とパノラマ館に分かれています。陳列館に入ると、まず「抗美援朝、保家衛国」のレリーフを背景にした毛沢東主席と彭徳懐将軍の彫像があります。
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ちょうど大連から高校生が見学に来ていました。中国の高校生はたいていジャージ姿で、校名がひと目でわかります。
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朝鮮戦争の経緯を、中国から見た視点で解説する展示も豊富にそろっています。1950年10月から53 年7月の休戦までに投入された人民志願軍は約300万人、戦闘による 死傷者だけでも36万6000人いたといいます。
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なかでも興味深い展示は、金日成が毛沢東に援軍を乞う手紙です。「この展示のせいで、いま丹東に駐在している北朝鮮ビジネスマン(その数常時約3000人)や旅行で訪れる北朝鮮客はここには来ない」と、丹東在住の中国人の知り合いは話していました。
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なぜ北朝鮮の人たちはここに来ようとしないのか?

ここでの展示は、北朝鮮で教えられた朝鮮戦争の「歴史」観とはさまざまな点で矛盾し、対立が起きそうですからね。それにしても、せっかく大きな犠牲を払って助けたつもりの中国が北朝鮮からさほど感謝されていないのだとしたら、なんてことでしょう。でも、そうなってしまうのは、そもそも両国の「歴史」観に起因しているのだと思います。

陳列館はともかく、パノラマ館は少々やり過ぎの感じがしました。冒頭で写真を見せたように、朝鮮戦争の巨大なジオラマがあるんです。こういうリアルなジオラマは、訪れた子供たちを喜ばすのかもしれませんが、そこに政治が絡む以上、配慮が足らなすぎると思います。
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記念館の外には、当時使用された空軍機や戦車、掃射砲などが置かれています。大連の高校生たちはそこで記念撮影を楽しんでいます。
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それにしても、中朝関係に対する中国国民の懐疑心や不満がこれほど高まっている今日、この「愛国主義教育基地」はこのままで大丈夫なのでしょうか。中国が「歴史」を振りかざせばかざすほど、自縄自縛になってしまう気がします。
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「我的祖国 愛国主義教育基地網上展館」(中国宣伝部)の紹介する抗美援朝紀念館
http://big5.cctv.com/gate/big5/space.tv.cctv.com/page/PAGE1246345067229151

【追記】
抗美援朝紀念館は、その後、2014年12月29日に改修のため閉館しています。現地の友人の話では、17年夏にはリニューアルオープンする予定だったそうですが、公式サイトをみるかぎり、開館には至っていないようです。中朝関係の悪化が、これまでこの博物館が提示してきた歴史認識に変更を迫っているのではないかと思われます。それが明確にならないうちは、開館にはならない気がします。

抗美援朝纪念馆
http://www.kmycjng.com/
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by sanyo-kansatu | 2013-05-14 18:00 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 05月 10日

北京にはもうスペクタクルな建築はいらない!?

4月に北京に行ったとき、ちょっと面白い空間を見つけました。地下鉄6号線東大橋駅の近くに最近できたParkview Green(芳草地)という巨大ビルです。ビルのファサードは、奇妙な三角形をした超モダンな総ガラス張り。海外のブランドショップや高級レストランが入店しているという、中国ではありがちなバブリーなショッピングモールにすぎないのですが、面白いのは内部の空間構成です。
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たまたま夜に出かけたせいか、まるでSF映画に出てくる近未来の宇宙ステーションのように見えたのです。しかも、あちこちに奇態な現代彫刻が配置されていて、その無意味さがおかしいけれど、悪くない感じなのです。
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Parkview Green(芳草地)
www.parkviewgreen.com

建築に関する専門的な知識はぼくにはありませんから、印象批評的なことしか言えませんが、近年北京に次々と建てられた話題性のある建築のほとんどはファサード(建築物の正面から見たデザイン。要するに外観の見かけ)に凝ることを重要視していて、人々にいかにサプライズを与えるかを競い合うような建築ばかりだった気がします。CCTV(中国中央電視台)しかり、オリンピックスタジアムの「鳥の巣」しかりです。

ところが、2012年に誕生したParkview Green(芳草地)は、ファサードよりも内部の空間の斬新さを追求しているように見えるところが、2010年代風なのかもしれません。なんでもビル全体で環境保全やエネルギー効率を考慮しているそうですし、至るところに彫刻をはじめとした現代アートを惜しみなく並べるあたり、いかにも中国的なやりすぎ感はあるものの、少なくともこの空間を訪れたり、働いたりする人たちのことを考えて演出されていることは感じられるのです。そこが、とかく奇抜なファサードを追求することで、そのビルを利用する人間にさまざまな制約を与えているように見えてしまう、2000年代の中国の建築設計で主流だった発想とは少し違うのではないかと。

北京は「現代建築の実験都市」といわれます。それは2000年代に建てられたファサード(見かけ)重視の現代建築がたくさんあるためです。物見遊山で見て歩くには、それなりの面白さがあります。以下、これまで市内を散策している間になにげなく撮ってきた北京の現代建築を、一応わかる範囲で建築家・国籍を入れて、年代順に並べてみます。

●SOHO現代城(2001)
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●建外SOHO(2004) : 山本理顕
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●朝外SOHO(2007):承孝相(韓国)
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●国家大劇院(2007) : ポール・アンドリュー(フランス)
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●オリンピックスタジアム「鳥の巣」(2008) : ヘルツォーク&ド・ムーロン(スイス)
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●国立水泳競技場(2008) : PTWアーキテクツ(オーストラリア)
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●数字北京(デジタル・ベイジン)(2008) :朱锫(中国)
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●北京首都空港第3ターミナル(2008) : ノーマン・フォスター(英国)
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●三里屯ヴィレッジ南区(2008) : 隈研吾
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●中央美術学院美術館(2008) : 磯崎新
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●ザ・オポジットハウス(2008) : 隈研吾
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●CCTV〈中国中央電視台〉(2009) :レム・コールハース(OMA オランダ)
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●リンクト・ハイブリッド(2009) : スティーヴン・ホール(米国)
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●中国国際貿易センター3(2009) :スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル(SOM 米国)
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●三里屯SOHO(2010):隈研吾
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●三里屯ヴィレッジ北区東(2010) : 松原弘典
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これらの現代建築の北京デビューは、オリンピックの開催された2008年前後に集中しています。日本人の建築家もこの時期、多く仕事を手がけています。

これは素人考えにすぎませんが、CCTVやリンクト・ハイブリッドのようなファサード至上主義(!?)建築の多くは、欧米系の建築家に担当させる一方で、三里屯ヴィレッジのようなファサード的には比較的穏健なものの、そこを訪れる人たちの空間利用も考えて設計されている建築は、たいてい日本人建築家が担当しているように見えるところが面白いと思います。

さて、では2000年代という時代に、なぜこのようなファサード重視の建築が北京に量産されたのか。

いま振り返ってみても、この時期、中国では建築に限らず、人目を引く奇抜な<モノ・ヒト・コト>がもてはやされていたことは確かです。もともと中国の人たちは「好看」(見た目がいい)にこだわるところがありますが、北京オリンピックのド派手な開会式の演出でも見られたように、ただの「好看」ではなく、もっとワクワクするようなスペクタクルな建築を歓迎する、そんな時代の気分の高揚があったように思います。

中国の台頭を世界に誇示できた2000年代ゆえに、多くの中国の人たちの胸の内に、「我々はようやく過去の不遇な時代から抜け出したのだ。それを祝い、酔いしれようではないか」という心情がきっとあったに違いありません。だとしたら、欧米の建築家が量産した北京のスペクタクル建築も、そうした時代を生きた中国人の欲望にある意味ストレートに応えたものだといえるのでしょう。

しかし、2000年代という“熱狂”の時代が終わり、2010年代を迎えたいま、見方も変わってくるのではないでしょうか。

というのも、これも素人的意見にすぎませんが、周囲を乾いた大地と砂漠に囲まれ、黄砂と大気汚染で汚濁した北京の環境には、そもそもガラス張りの建築は適さないのではないか、と思うからです。

先日、CCTVのビルのてっぺん近くで窓拭きをしていた数人の労働者の姿を目にしたのですが、あの巨大な壁面すべてを拭き清めるのに、どれだけの労働力と時間を費やさなければならないのか。しかも、いまの北京にはガラス張りの巨大建築がどれだけ多くあるか。そう考えるだけで、気が遠くなりました。実際、昼間見るCCTVは煤けて埃まみれです。

また、これは北京だけでなく、上海でもそうですが、中国で建てられたビルやマンションの老朽化のスピードは恐ろしく速いと感じます。たとえば、北京の建外SOHOは、環状3号線から車で少し離れて見る眺めは壮麗で見事なのですが、実際にビルの裏手に回ってみると、そのさびれ方は、香港の新界あたりにある場末のショッピングセンターのように見えてしまいます。これが本当に北京CBD(商務中心区)の一角なのだろうか、と思ったものです。これも北京の苛烈な環境のせいなのかもしれませんが、ビルの使い方に何か問題があるのではないか、という気がしないではありません。

今回、北京で会った旧知の友人のひとりがこんなことを話していました。

「大気汚染や役人の汚職など、いまの中国人には不満がたまっていて、ネットにあふれています。でも、いまの北京にはもう何でもある。そんなにスピードを出して経済成長する必要はないと思いますよ」

きわめてまっとうな意見だとは思います。つまり、もうスペクタクルな建築はいらない、と北京の人たちも考えるようになってきたように思うのです。

しかし、こう語れるのは北京の恵まれた階層に属する人たちだからと言えなくもありません。はたして恵まれない階層の人たちはどう考えているのか? 

結局のところ、そこに突き当たるのが、2010年代の中国の姿だといえそうです。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-10 14:31 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)