ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:朝鮮観光のしおり( 74 )


2014年 12月 31日

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【後編】

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【中篇】の続きです。(→【中編】)

これまで【前編】【中編】を見てこられた方の中には、似たような料理が並んでばかりでうんざりしている人もいるかもしれません。実際、アップしているぼくもさすがにそういう気分になりつつあります。

こうして並べてみると、ある特定の地域を訪ねた以上、よく似た地方料理ばかりが出てくるのは無理もないからです。一方、外貨を落とす客人相手となれば、北朝鮮の地方都市でもこれだけの料理が供されるのか、という見方もあるかもしれません。それをどう理解すべきかについては、まだまだ宿題です。

それでも、【後編】では、これまでと多少趣向の違った料理が出てきます。実は、同行しているカメラマンは韓国料理通で、北朝鮮というより朝鮮半島の地方料理としての咸鏡北道の食の特徴に関心を持っていることから、次はこういうのが食べたいと積極的にリクエストしてくれるので、大助かりなのです。特注品の食の選択はすべて彼におまかせでした。

10)4日目夕食(清津観光ホテル)
この日の夜は、清津市内のホテルに泊まりました。清津駅の裏手にある清津観光ホテルです。

このホテルのオーナーは(後日紹介しますが)、いまからちょうど50年前にこの地に来た日本生まれの在日帰国者です。こういう方と北朝鮮で会うのは初めてでした。彼によると、2000年代前半くらいまでは、戦前期に清津に住んでいた年配の日本人たちがよくツアーで来ていたようで、彼はガイドとして七宝山なども案内していたそうです。彼の兄弟は日本にいて、ときどき訪ねてくるそうですが、それだけに日本の情報もそれなりに詳しいのです。50年も日本に戻っていないのに(彼が帰国したのは、18歳のときだったそうです)、日本語がなんら衰えていないのは驚きました。

そんなオーナー氏は、久しぶりに日本人が訪ねてくるということで、ずいぶんこちらに合わせた料理を用意してくださいました。こんな感じです。
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タコの刺身、ハタハタやカレイの唐揚げまでは、これまでどおりです。
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しかし、エビフライやトンカツが出てきたのは、かえって申し訳ない感じもしました。

面白かったのは、このタコ足ウインナー(でも、たぶん魚肉)の炒めものです。人気ドラマの『深夜食堂』で、やくざに扮する松重豐の好物がタコ足ウィンナーだったことを思い出しました。オーナー氏の趣向はどこか昭和のにおいがして、不思議な気がしました。
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これはちょっとべちょべちょですが、ポテトサラダです。卵の黄身もふってあります。朝鮮では、ポテトサラダがよく出てきます。どういう影響からなのでしょう。ロシア? それとも、戦前期の日本? あるいは、在日の人たちが伝えた? これも宿題にさせてください。
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これもよく出てくるどんぐりの寒天サラダ。中国東北地方でもよく食べられていますが、ネットで調べたら、韓国料理でもあるんですね。
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最後に、ご飯とスープが出てきたので、「こういうのがいちばん落ち着きますね」と言うと、オーナー氏はニコニコ笑っていました。
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11)5日目の朝食(清津観光ホテル)
朝食には、パンが出てきました。これは朝鮮で初めてのことです。気を遣ってくださったのだと思います。インスタントコーヒー付きです。中華料理みたいなのも付いていました。
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これが清津観光ホテルです。
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12)5日目の昼食(羅津の金栄食堂)
この日、朝8時に清津を発ち、昼前には羅先に戻りました。昼食は、2年前に来たことのある金栄食堂でした。食のリクエストはカメラマン氏に一任したと先ほど書きましたが、彼が「串焼きはありますか」と通訳に尋ねたところ、あるということで、この店に行くことになりました。
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中国の延辺朝鮮族自治州は串焼きが有名なので、もしかしたら羅先にもあるのでは、と彼は思ったそうです。実際、炭火焼のコーナーに案内され、中国でいう「羊肉串」が出てきました。これはもともとこの地にあったものなのか。それとも延辺から入ったのか。これも宿題です。

こちらがどんどん写真を撮る気でいるのをいいことに、ガイド氏は「ボタンエビの刺身も食べますか?」と聞いてきます。そういえば、2年前この店で同じものを食べた気がしますが、実はこれまで各地で出された刺身のクオリティには満足していなかったので、「どれ、持ってきてください」。もうにわかお大尽気分です。出てきたのはこれです。これも冷凍でした。
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串焼きときたら、しめは冷麺でしょう。ぼくは韓国の冷麺についてそれほど詳しくないので、朝鮮で出てくる冷麺を食べても、まあこんなものかな、という感じなのですが、カメラマン氏は韓国中の冷麺を食べ尽くしているという食通なので、実はあまり評価していません。
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それでも、グルメ雑誌のようなカットもつい撮ってしまいました。
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この店のウエイトレスは、清津方面の子たちと比べるとずいぶんあか抜けして見えました。化粧の仕方など、中国の都会の子に近いのです。カメラを向けるとピースをしたり、北朝鮮の若い世代も、対外開放されている都市などに限るのかもしれませんが、かなり中国の現代文化の影響を受け始めているに違いありません。
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どうやらこの金栄食堂は、焼肉や海鮮料理など、さまざまなタイプの料理が味わえる羅先を代表するレストランのひとつのようです。
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13)チェコ人経営のビヤホール(海浜公園)
これもある事情通の「羅先に行ったら、最近できたビヤホールに行ってみられるべし」という情報をもとに訪ねました。羅津港の北側に広がる海浜公園の中にあります。

チェコ人経営という話でしたが、すでに彼らは帰国しており、地元の女性が生ビールを入れてくれました。
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味は正直もうひとつです。メニューには1杯10元とあるのに、20元取られました。実はこれまでもこうやってボラれてきたに違いありません。なにしろすべての支払いが人民元なのですから。メニューをみると、いろいろ載っていますが、出せるつまみは限られているようです。
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店内には人っ子ひとりいません。「1年前のオープン当時は、けっこう客もいたが、だんだん来なくなった」と通訳氏。そのうち、チェコ人も帰国し、「ビールの味も落ちた」(これも通訳氏)そうです。
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14)5日目の夕食(朝鮮料理専門レストラン)
最後の夜は、羅津の朝鮮料理専門レストランに行きました。カメラマン氏のリクエストで特注したのは、海鮮鍋です。彼は韓国での豊富な食体験をもとに、朝鮮でどこまでそれに近いものが味わえるか試しているようです。毛ガニやエビ、タラなどいろいろ魚介の入った鍋が出てきました。
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当初用意されていた料理は鍋の周囲に置かれたもので、これまでどこかで出てきたラインナップと同じです。

これは中国の延辺でもよく食べるジャガイモチヂミです。もともと咸鏡北道の料理です。
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この店も閑散としています。我々は、なるべく他の外国人客とかちあわないように仕向けられているのだろうと思っていましたが、これまで見た限り、羅先の飲食店はどこも閑古鳥のようです。中朝関係の悪化による中国人ビジネスマンの朝鮮渡航の減少が影響しているのではないか、とぼくは推察します。
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というのも、国際旅行社のガイドの話では、中国人ツアー客はそこそこ羅先にも来ているのですが、彼らの参加するツアー代金はあまりに安すぎて、いくら物価の安い朝鮮でも、これまで紹介したような食堂には連れてこれないそうだからです。彼はそれを不満げにこう語っていました。「中国客はお金を出したがらないので、こういう料理を食べさせることができないんですよ」と。要するに、今回我々が訪ねたレストランは、ツアー客ではなく、ビジネス渡航で来た中国人やロシア人たちが利用していたのであり、彼らが頻繁に羅先に来なくなれば、利用者がいなくなるわけです。地元の朝鮮の人たちが利用するには、まだまったく高すぎるからです。通訳氏たちの月収が1か月300元と聞いて、無理もないと思いました。わずかな滞在日数とはいえ、こうしていろいろ見えてくること、明かされることがあります。
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この店のスタッフは品のいい女性たちでした。それにしても、朝鮮の女性はなんと健気に働くことでしょう。

今回あらためて思ったのは、中国の北朝鮮レストランで働くウエイトレス兼歌手の彼女たちと比べて、朝鮮国内の町のレストランで働く女性たちのほうが好感度が高いことです。やはり中国にいると、とかく好奇のまなざしを向けられがちな朝鮮人女性として自尊心を保つために心に鎧をまとわないわけにはいかないからでしょうか。妙にツンケンしていて、あんまり親しみを感じない場合が多いです。そういうクールビューティぶりがかえって、以前韓国で話題となった「美女応援団」的な人気にもつながっているのかもしれませんけれど。
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15)6日目の朝食(東明山ホテル)
最後の日は東明山ホテルに泊まりました。朝食は中国のホテルと同様のビュッフェでした。中国客が多く、中国料理ばかりでしたが、キムパップやキムチ、ミソチゲはありました。我々にはこれで十分です。
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実は、羅先の最後の宿泊先は、初日と同じ琵琶閣といわれていたので、それじゃつまらない、こちらはなるべくいろいろ見ておきたいのだと主張すると、50ドル追加で東明山ホテルに換えてもらうことになったのでした。羅先でいちばん新しく、館内にはスパやプール、ジムなどもあります。その実態は……これはまた後日にしましょう。
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16)6日目の昼食(琵琶閣のカラオケラウンジ)
今回の最後の食事は、通訳氏の強い希望で、琵琶閣のカラオケラウンジに行くことになりました。彼はどうしても自分の歌う長渕剛の『乾杯』を我々に聞いてほしいというのです。そのいきさつについては、別の機会に譲るとして、実はこの日の昼食はカメラマン氏の希望で、汁なし参鶏湯のタッコンを用意してもらいました。
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鶏を一羽丸ごと使うということで、200元も取られたのですが、通訳氏は「もし自分に頼めば40元で用意した」とこっそり話してくれたほど、最後の最後まで旅行社の人間にボラれまくってしまいましたが、写真を撮るためにはやむを得なかったのです。
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中華系の料理が幾皿か並び、ヨモギの焼酎なんてのも出てきました。

さて、ここで通訳氏は約束どおり『乾杯』を披露してくれました。動画も撮ってあるのですが、これまで名前を伏せてきたように、彼の姿をネットにさらしてしまっていいものか、いまのところまだ躊躇するところがあるので、公開しません(本人はそうしてほしかったみたいでしたが……)。
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その代わり、このホテルの女性服務員が、おなじみの「パンガプスムニダ(お会いできて嬉しいです)」を歌ってくれたので、そちらの動画は配信します。
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羅先(北朝鮮)琵琶閣のカラオケ
http://youtu.be/qaf0a70ZFEk

さて、このような飽食の呆れた日々をかの国で過ごしたわけですが、すでにお気づきのように、食と女性に関してのみ、断然ガードがゆるいという特性に乗じ、1日3回は必ず体験することになる<食>を通して、どこまでこの国の理解に近づけるのか。監視役にずっと見張られ、もとよりたいしたことなどできない環境のなか、冗談半分で試した戯れごとに過ぎないことをお察しいただいたうえで、それでも何らかの発見があればうれしく思う次第です。

※その他、いまどきの北朝鮮事情については「朝鮮観光のしおり」をご覧ください。
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by sanyo-kansatu | 2014-12-31 23:53 | 朝鮮観光のしおり | Comments(1)
2014年 12月 31日

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【中編】

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】の続きです。(→【前編】)

6)3日目朝食(鏡城観光ホテル)
鏡城観光ホテルの客室はかなり老朽化していているのですが、風呂には温泉が出ました。朝食は中華風で、カステラがメインのように中央に置かれていました。
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昨晩歌を披露してくれた彼女が、制服に着替えて給仕してくれます。
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ご飯とチゲが分かれて出てくるのですが、朝鮮の人たちはスープにご飯を入れて食べるのが好きなようです。
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ホテルのロビーには、これから向かう七宝山の絵が飾られていました。
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7)3日目昼食(外七宝山荘)
鏡城から車で七宝山を登り、この山唯一の宿泊場所である外七宝山荘に来て昼食となりました。今晩はここに泊まります。こちらでよく出てくるハタハタの唐辛子煮や揚げ魚、イカの辛し炒め、豚の角煮など、山の中のホテルなのに、素材は悪くありません。
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何よりこのホテルの女性スタッフはとても気さくで感じが良かったです。
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8)3日目の夕食(外七宝山荘)
夕食も同じ場所。昼間のメニューと若干似ているように見えますが、魚の煮付けや揚げ魚、ポテトサラダなど。この日も朝鮮男性たちは酒にひたっておりました。
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9)4日目の朝食(外七宝山荘)
朝食は目玉焼きに海苔とチゲ、そして魚の唐辛子煮です。七宝山は海に近いせいか、魚が毎回出てきます。味付けは唐辛子味になってしまうのですが、油っぽい料理は少ないので助かります。
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レストランの脇の売店では、朝ロ中3カ国の酒やポッカのオレンジ缶ジュースや缶コーヒーが置かれていました。朝鮮モノはどんぐりやビワの焼酎のようです。中国の白酒やロシアのウォトカもあります。確か、ポッカはマレーシアに工場があり、そこから入ってきているものと思われます。
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チョコパイなど菓子類も売っていました。この手のものも、マニアの人なら面白がって買って帰るのかもしれませんね。
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朝鮮産のミネラルウォーターもあります。
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ホテルのスタッフがどろどろした液体をペットボトルに移しているので、何かと聞くと、天然の蜂蜜だそうです。
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このホテルの服務員のリーダーの崔銀星さん(中央)は清津出身で、地元の経済専門学校で会計を学んだそうです。
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彼女の名前は聞くのを忘れましたが、給仕の仕事が終わると、さっさと私服に着替えていたので素朴な感じのアイドルショット。愛くるしいお嬢さんでした。
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これが外七宝山荘です。山奥の一軒屋なので、いつでも営業しているわけではなく、予約が入ると、食料と共にスタッフらもこちらに来て泊りがけで仕事をするようです。やはり自然の中にいると、この国の特殊な事情や政治のことなどを、つかの間とはいえ、忘れられるのがいいですね。

10)4日目の昼食(海七宝海水浴場)
この日の昼食は、七宝山から日本海側に降りた海水浴場の施設で取ることになりました。ここでも海の幸が山盛りで出てきました。
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揚げハタハタ、タラの唐辛子煮……。連日メニューがかぶっているので、せっかく海の前で食事をいただくというのに、あんまり食が進まないのは申し訳ない限りです。
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むしろこういうさっぱり系がいいですね。

しかし、ここで我々を待ち構えていたのは、目の前の浜でとれたウニや貝の売り子でした。地元出身らしい女性がふたり、椅子の上にちょこんと座っていて、目の前にたらいを並べてこっちをじっと見ているのです。
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こういうときは味見をするしかないですね。だって彼女たちは我々のためだけに用意してくれているわけですから。何か頼んでみましょうか。
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戦前に朝鮮総督府鉄道局が制作した「朝鮮旅行案内記」などを読んでいると、清津をはじめ朝鮮半島の東側の海沿いの町ではウニが豊富にとれることが書かれています。そこで、ウニやハマグリをその場で調理してもらうことにしました。
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ところがです。どうやらこのあたりでも近年ウニを獲り過ぎたため、相当深く潜らないと良質のウニは獲れないそうで、出てきたものは、正直大いに期待はずれでした。どうも朝鮮東海域の漁業に異変が起きていそうです。

※詳しくは、こちらを参照。

北朝鮮のイカ釣り漁船急増は朝鮮東海岸の中国漁船の操業と関係がありそう
http://inbound.exblog.jp/23807614/

それでも、清津の名物といわれるウニ入りおじやは、ほんのり甘くおいしかったです。
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これがボートに乗って海岸線を遊覧したときに撮った海水浴場の施設です。地元の子供たちなどの海水浴客もいて、海はきれいでした。
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さて、【中編】はここまでにしましょう。

続きは【後編】にて。
http://inbound.exblog.jp/23951727/
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by sanyo-kansatu | 2014-12-31 19:00 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 12月 31日

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】

今年7月上旬、ゆえあって北朝鮮咸鏡北道の羅先特別市や清津、七宝山を訪ねました。羅先を訪ねるのは2年ぶりのことです。

その見聞については、追って報告するとして、本ブログでは恒例ともいえる北朝鮮滞在中の食事の内容をすべて公開します。今回はカメラマンが同行している関係で、料理の写真が美しくバリエーションも豊富で、これまで以上に大量の画像をお見せできるかと思います。

羅先(北朝鮮)のグルメ~1泊2日食事4回のすべて(2012年)
http://inbound.exblog.jp/20179579/

2013年版 北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて
【前編】http://inbound.exblog.jp/21273246/
【後編】http://inbound.exblog.jp/21273691/

まずは簡単な行程から。

1日目 中国吉林省琿春市から羅先市へ
2日目 羅先から清津、鏡城温泉泊
3日目 七宝山へ(外七宝)
4日目 七宝山(内七宝、海七宝)、清津泊
5日目 清津から羅先へ
6日目 羅先から豆満江をめぐり、中国へ

1)1日目昼食(羅先国際旅行社レストラン)
今回の最初の食事は、羅津市内の南山旅館(元ヤマトホテル)の向かいにある羅先国際旅行社のレストランです。中国の国営旅行会社と同様、朝鮮でも外国客の手配を一手に引き受ける国際旅行社は、自前のレストランを営業するケースが多いようです。要は、それも外貨を落とす客の懐の金を囲い込むためのビジネスモデルのひとつというわけです。中国に限らず韓国でもわりと一般的です。
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料理はさしみに水餃子、ちぢみ(なぜかケチャップがかかっています)、唐揚げ、キムチ、そしてキムパップなどです。我々は中国人ではないので、あつあつの料理でなくても気にならないので、レストラン側も用意しやすいかもしれません。隣の部屋には中国人観光客がいましたが、メニューはかなり違うようでした。
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以前も書きましたが、北朝鮮のキムチは韓国に比べ唐辛子の量が控えめで、そんなに辛くはありません。
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ビールは朝鮮産テガンドンビール。
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もちろん、美女ウエイトレスが華やかなチマチョゴリ姿でかいがいしく給仕してくれます。
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実をいうと、今回我々に同行した監視役のガイドや通訳は少し融通の利かないタイプで、戸外の撮影に関しては不自由を感じる局面が多かったのですが、食事タイムとウエイトレスらの撮影に関しては「どうぞどうぞ」と惜しみない協力ぶりを見せたこともあり、こちらも日本のグルメ雑誌に掲載してもいいくらいの気持ちで写真を撮りまくっています。
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これが羅先国際旅行社です。レストランはこの中にあります。

2)1日目の夕食(ロシアレストラン「ノーヴィーミル」)
これは初日の夜の食事ですが、何料理かわかりますか?
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ボルシチやポテトサラダ、そしてビールのラベルに書かれた文字を見ればおわかりのとおり、ロシア料理です。もっとも、手前の皿はロシア料理を代表するカツレツを頼んだのですが、衣がついてなくて、ただのハンバーグのようなしろものでしたが。

事情通の友人から羅先にロシアレストランが2軒あることを聞いていたので、行くことにしたのです。「ノーヴィーミル」という店で、ロシア人経営です。
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ただし、店内には客がほとんどいませんでした。通訳が語るには、「2011年からの不景気で、レストランで食事をする人は少なくなった」とのこと。2011年の意味については、あとで考えるとして、店にはロシアのカラオケや日中ロ朝4か国の酒が揃っています。
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店の服務員です。さきほどの国営旅行社のウエイトレスに比べると、庶民的ですね。やはり民間より政府機関に美女が集められるのはお国柄のせいでしょうか。
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メニューは、ロシア語、中国語、ハングル併記ですが、料金は人民元でした。料理の量がグラム単位で掲載されています。
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実は、こちらのリクエストでロシアレストランに来た関係で、ガイドや通訳、運転手も一緒に食事をとることなり(以後、ずっとそうなりました。その結果、彼らのぶんもすべてぼくが支払うことになるのですが……仕方ありません)、「好きなものをどうぞ」というと、ロシア料理ではなく、ご覧のように中華風炒めものやミソチゲ、キムチが出てきました。ロシア料理は彼らの口に合わないそうです。
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これが店の外観です。2軒のロシアレストランが並んでいます。通りの向かいには、中国人経営の中華料理店があり、要するに外国人経営の店は同じ地域に集められているようなのです(あとで紹介するチェコ経営のビヤホールを除く)。あいにくロシア人オーナーは帰国中で会えなかったのが残念でした。
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3)2日目の朝食(琵琶閣の食堂)
初日は、2年前に泊まった琵琶閣という羅津郊外の高台にあるホテルに泊まりました。朝食は、焼き魚に焼き豆腐、目玉焼き、キムチ、ミソチゲというシンプルなもので、おいしくいただきました。
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これが食堂の建物で、屋上に上がると日本海が一望に見渡せます。ただし、この日は霧で覆われていて、眺望はいまひとつでした。
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4)2日目の昼食(清津船員倶楽部)
この日は、朝8時に羅先を発ち、車で清津に向かいました。昼食は、船員倶楽部という接待施設です。清津は昔から海産物が有名ですが、揚げ魚やタコのさしみなど、正直なところちょっと期待はずれでした。あまり新鮮な素材ではなさそうだったからです。タコも冷凍ものでした。
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そのため、この日のメイン料理は、韓国料理通のカメラマンがリクエストした特注の犬チゲでした。
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これは臭み消しの薬味です。
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今回初めて咸鏡北道の清津に来たのですが、街中は羅先に比べて車の数も少なく、都市の規模のわりには経済的に疲弊感が漂っていました。そのため外国人接待をするスタッフも羅先に比べれば開明的ではないかもしれない、と思っていたのですが、船員倶楽部のウエイトレスたちは場所柄外国人慣れしているのか、カメラマンの注文に気さくに応じてポーズまでとってくれました。
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彼女らは会計係で、制服が違います。
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我々は個室で食事をしましたが、こちらが一般の食堂スペースです。
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これが船員倶楽部の外観です。
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5)2日目の夕食(鏡城観光ホテル)
もしかしたら、この日の夕食が今回いちばん豪勢だったかもしれません。ご覧のとおり、海と山の幸がてんこもりです。生野菜も豊富で食のバランスが絶妙です。場所は、温泉地の鏡城にあるホテルです。
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毛ガニが6つあるのは、我々日本人2名に加え、現地ガイド、通訳、運転手に加え、外国人が羅先の外に出るということで、羅先国際旅行社の部長(とても気のいい酒好きのおじさんでした)までが同行するという大名旅行となっていたからです。こういう監視状態のもとでは、なかなか好きに写真を撮らせてくれません。そのぶん、我々は少々ムキになって料理とウエイトレスの撮影に励んでしまったのでした。
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七宝山に近い鏡城らしく、マツタケ焼酎が出てきました。以前、朝鮮土産として日本に持ち帰り、友人にふるまったところ、不評を買ってしまったマツタケ焼酎でしたが、地元で飲むとそこそこいけます。
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そして、ここでもチマチョゴリ姿の美女ウエイトレスが登場です。少しふっくらとした愛嬌のある顔立ちの彼女ですが、髪型が1970年代の韓国の演歌歌手みたい!? です。やっぱり外国人の多い平壌や羅先と違い、地方に暮らす子はこんな感じなのでしょうか。
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それでも、2日目の夜ということで、すでに無礼講になっていた朝鮮男性4名の積極的なリクエストに応え、彼女は歌を披露してくれました。無礼講というのは、要するに、彼らは支払いが客人持ちであることなど気にせず、どんどん酒を頼みまくるということです。特に部長は焼酎好きのようで、その夜いったい何本の瓶が空いたことか。この日ばかりは、ぼくも先に床に就いてしまいました。

基本的に食事代はツアー料金として事前に支払っているので、翌朝の支払いは酒代だけですが、500元相当とられてしまいました。焼酎は種類にもよりますが、1本20~30元相当。ずいぶん飲んだものです。おかげで、翌日の行動はお昼からということになってしまいました。考えてみれば、ひどい話です。

「朝鮮の人たちと付き合うなら酒から逃げてはいけない。日本人はウイスキーを水割りで飲むからつまらない。水で割るような薄い関係では、何も信じられない、と彼らは言う。とにかく倒れるまでとことん飲む人間が愛される」。事情通の友人からそう繰り返し聞かされていましたが、彼らとの5泊6日は、撮影の不自由さからくるストレスを除けば、ほぼ友好的に過ごすことができたのも、酒のおかげというものでしょう。なぜって、彼らは我々と過ごしている間は、好き放題懐を気にせず酒が飲めるからです。やれやれ、な話ですが、まあ仕方がないと思うほかありません。

この蔦に覆われた建物が鏡城観光ホテルです。
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さて、【前編】はこのあたりまでにしましょう。

続きは、【中編】にて。
http://inbound.exblog.jp/23950361/
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by sanyo-kansatu | 2014-12-31 13:30 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 11月 29日

北朝鮮のイカ釣り漁船急増は朝鮮東海岸の中国漁船の操業と関係がありそう

おととい(2014年11月27日)の朝日新聞に「北朝鮮、外貨を求めて海へ 日本海 イカ釣り漁船急増」という記事が掲載されました。
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「日本海の排他的経済水域(EEZ)境界で操業する北朝鮮のイカ釣り漁船が急増している。木造の小型船。監視役を合わせた少人数のグループ。軍への上納金――。難破して保護された北朝鮮の漁師らの証言から、外貨獲得のため、漁獲量を増やそうとして活発な動きを見せる北朝鮮の状況が明らかになった」

なんでも水産庁と海上保安庁が確認した北朝鮮漁船の数は、「2011年約15隻、12年約80隻、13年約110隻、14年約400隻」だといいます。確かに増えていますね。

同紙によると、「深刻な経済難 操業命がけ」と急増の背景を解説。「2013年2月の核実験で後ろ盾の中国との関係が急速に悪化。金融制裁に加え、中国とのパイプ役だった張(成沢)氏が粛清されると貿易量が激減し、食糧支援の向上も見込めず、政府関係者は『海に活路を求めている』とみている」という。

確かにそういう側面はあると思います。いまの北朝鮮が外貨獲得のために必死になっているのは事実だからです。

しかし、日本海の排他的経済水域(EEZ)境界に北朝鮮のイカ釣り漁船が出没するようになった理由は、朝鮮東海岸近海でイカが獲れなくなっているからではないか。ぼくはそう考えます。

今年7月上旬、ぼくは北朝鮮咸鏡北道の羅先と清津、七宝山を訪ねています。羅先では、現地ガイドの案内で水産加工工場を視察しました。関係者らによると、近年羅津港での漁獲量が激減していて、加工工場は長らく休業しているそうです。

戦前期に羅津に住んでいた日本人の話では、羅津港の漁獲量はハンパじゃない多さで知られていました。朝鮮半島の東海岸近海はもともと豊富な漁場だったのです。そこで1990年代頃から在日同胞が水産加工工場設立のためこの地に投資し、冷凍魚介類を中国などに輸出していたのです。経済制裁前は、日本にも朝鮮産のカニなどの水産物は流れていたでしょう。羅先には現在、ふたつの大きな水産加工工場がありますが、どちらも運営はうまくいっていないとのこと。

ではなぜ漁獲量が激減したのか。

現地の人間によると「北朝鮮政府は中国政府との話し合いで、中国漁船の朝鮮東海域の操業を認めた影響だ。2013年には約4000隻の中国漁船がイカを根こそぎ獲りまくったことが大きい。イカは還流性魚類なので、食物連鎖が崩れてしまった。そのため、近海ではかつてのような水揚げが望めなくなった」とのことです。

その結果、日本の排他的経済水域(EEZ)境界近くまで操業せざるを得なくなったのでは……。ぼくは朝日の記事を読んで直観的にそう思いました。

なぜ羅津港の漁獲量が激減したことを知ったかというと、現地ガイドの案内で羅津市場を訪ねたときのこんなエピソードがきっかけでした。

羅津市場の門の前に小さな川が流れ、橋が架かっています。その上空を大量のカモメが徘徊しているのです。確かに港町ですから、カモメがいてもおかしくないけれど、そこは市中なので、ちょっと不思議な光景です。ぼくはガイドに訊きました。「どうしてカモメがこんなに街中にいるの?」。

彼はこう答えました。「海に魚がいないからです。市場では魚のあらを取り出し、川に捨てています。それが餌になるから、カモメはこんな街中まで飛んでくるのです」。

ぼくは再び訊きました。「なぜ海に魚がいなくなったのですか?」

理由は前述したとおりです。

この話を聞きながら、北朝鮮はあらゆる資源を中国に切り売りしながら、つかの間の平穏を維持しているのだと実感せざるを得ませんでした。鉄鉱石などの地下資源だけでなく、水産資源までも。いまでも羅先の市中上空を徘徊する大量のカモメの異様な光景を思い出し、不穏な気持になります。

以下の写真は、羅津港近海で操業しているイカ釣り漁船です。朝日新聞の記事に載っていた漂流する漁船と同様の小型船です。これでは中国漁船にはかなわないでしょうし、とても遠海で操業できる代物ではなさそうです。
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もうひとつの写真は、某水産加工工場の中です。関係者によると、しばらく稼動していないようでした。
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中国漁船の違法操業は、今秋の小笠原諸島沖の赤サンゴ密漁問題でも話題となりましたが、彼らが例の調子で徒党を組んで北朝鮮の漁場を荒らしたことが(ただし、朝鮮東海域の操業は両国間の了解はあったとみるべき)、今回のニュースにつながっているのではないか……。羅先での見聞はまたあらためて。

※朝鮮半島近海の中国漁船の操業問題については韓国でも黄海上でいろいろ起きているようです。

[ルポ]中国不法操業漁船を取り締まる韓国海洋警察船

禁漁解除を控え経済水域に群がる
一群を追い出せば別の一群がやって来る
夜通し命賭けのかくれんぼ
鉄格子にひっかかり短艇転覆
「武力抵抗に命の危険を感じることも」

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18535.html
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by sanyo-kansatu | 2014-11-29 16:44 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 10月 30日

拉致協議と北朝鮮ツアー解禁

一昨日(10月28日)、北朝鮮による拉致被害者らの調査をめぐる日本政府代表団と北朝鮮の特別調査委員会の協議が終わりました。この先どうなるかについて懸念ばかりがつのる虚しい交渉に終わってしまい、拉致問題の解決はもとより、朝鮮側も日本からの経済的な利益供与の実現性は、はるかかなたに遠のいてしまったようです。

もっとも、今年7月4日、日本の北朝鮮に対する制裁の一部解除が行われ、日本人の北朝鮮への渡航自粛が解除されたことから、今夏以降、一般日本人の北朝鮮ツアーはすでに解禁されているのをご存知でしょうか。

5月の日朝合意に基づく我が国の対北朝鮮措置の一部解除
www.mofa.go.jp/mofaj/files/000044431.pdf

在瀋陽日本国総領事館のサイトでも以下のように記されています。

北朝鮮への渡航情報(危険情報)の発出(在瀋陽日本国総領事館)

2014年7月4日、日本国政府は日本から北朝鮮への渡航自粛措置等の解除を発表しました。

1.この発表を受け、北朝鮮について新規に危険情報「渡航の是非を検討してください。」を発出します。

2.北朝鮮については、安全保障上の状況変化等により、事態が急変することがあります。また、北朝鮮当局による外国人旅行者の逮捕・拘束の事例も報告されています。

3.日本と北朝鮮との間には国交がなく、北朝鮮には日本の在外公館等の日本政府の機関がありませんので、北朝鮮において事件・事故等何らかのトラブルに巻き込まれた場合でも、通常行われている邦人援護活動を行うことは極めて困難です。例えば、旅券(パスポート)紛失時の再発給を含め、通常行われている邦人援護活動を十分に行うことができません。

4.つきましては、北朝鮮への渡航を検討されている方は、報道機関関係者を含め、上記事情に十分留意し、不要不急の渡航は控え、渡航すべきか否かは、渡航目的の緊急性や妥当性、とりうる安全対策等について慎重に検討した上で判断してください。その上で渡航する場合には、可能な限り最新情報の入手に努め、十分な安全対策を講じるとともに、不要不急の外出は控えるなど、自らの安全確保に努めてください。

http://www.shenyang.cn.emb-japan.go.jp/jp/connection/fr_worklead_01_01_01.htm

この渡航自粛解除を受けて企画されたのが、アントニオ猪木議員の「インターナショナル プロレスリング フェスティバル in平壌」(8月30,31日)でした。

インターナショナル プロレスリング フェスティバル in平壌
http://www.igf.jp/event/pyongyang/

関係者の話によると、このイベントは日本政府の北朝鮮渡航自粛の解除を見据えて早い時期から計画されたものでしたが、解除日(7月4日)から開催までの募集期間が十分なかったこともあり、一般客は約60名、マスコミを入れて130名程度だったようです。思いのほか、集まらなかったのです。

実はこのツアー、日本から申し込まなくても参加できたようです。以下の情報は、中国遼寧省大連市にある旅行会社の日本語サイトのものですが、この旅行会社を通せば、自分で北京までの往復航空券を手配し、個人で参加できたのです。実際に日本人もわずかですが、いたようです。

中国で申し込む8月30日の平壌プロレスツアー
http://gb-travel.jugem.jp/?eid=35

このツアーを催行したのは、以下の旅行会社です。同社には宮崎正樹さんという日本人スタッフがいて、彼が北朝鮮ツアーを担当しています。

大連金橋旅行社
http://www.gbt-dlcjp.com/

こういう裏技もあったのですが、日本在住の日本人が北朝鮮ツアーに参加しようとする場合、朝鮮総連系の中外旅行社を通すのが一般的です。同社は1968年創業の旅行会社です。かつてJTBをはじめとした日本の大手旅行会社も北朝鮮ツアーを催行していたこともあったのですが、現在は様子見のようです。一部の中小旅行会社が代行手配を始める計画も耳にしています。

中外旅行社
http://www.chugai-trv.co.jp/

現在、中外旅行社では、以下の5つのコースの北朝鮮ツアーを催行しています。2006年の日本人の渡航自粛以降、ストップしていた北朝鮮観光がようやく再開されつつあるのです。
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拉致問題の解決の見通しが立たないいま、のんきに旅行になんか行ってる場合か、という厳しい意見も多そうですが、なぜあの国を相手にまっとうな交渉ができないのか。一度でもその地に足を運んでみると、納得できるかもしれません。

今年7月、ぼくは性懲りもなく、かの地を訪ねています。その報告は後日また。

【追記】
これを書いたあとすぐに気づいたのですが、北朝鮮はエボラウィルス感染者の入国を阻止するため、10月24日から外国人観光客の受け入れを停止しました。なんだよそれ、って感じですが、もともと冬季は観光客の受け入れに積極的ではなかったこともあり、今年の北朝鮮ツアーは打ち止めのようです。来春を期待しましょう。それとも、もっと別の国内事情でもあるのでしょうかね?
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by sanyo-kansatu | 2014-10-30 23:25 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 17日

かつて金剛山の古刹めぐりは登山客を魅了した。しかし今は…

昭和9(1934)年9月に刊行された『朝鮮旅行案内記』(朝鮮督府鉄道局)の編集上の特徴として、モデルコースが豊富に紹介されていることがあります。さまざまなテーマで朝鮮旅行が楽しめるように、日程と訪ねるべきスポットが簡潔に整理されています。さすがは朝鮮総督府鉄道局の編集とうならせます。

「旅行日程のいろいろ」の項に、「内地方面から(日本から)」と「金剛山探勝(京城(ソウル)から)」のぺージがあり、それぞれ金剛山旅行のモデルコースを紹介しています。これが驚くほどバリエーションに富んでいて、面白いのです。

まず「内地方面から(日本から)」から。

●金剛山探勝 七日間

「第一日 釜山朝着の関釜連絡船で来朝、京城行急行列車に乗車、京城驛着、京城夜景見物、宿泊。

第二日目 朝城津行旅客列車で出發鐡原驛下車、金剛山電気鉄道に乗換へ内金剛驛着、長安寺宿泊。

第三日 徒歩で内金剛探勝の上、毘慮鋒へ(長安寺―明鏡臺―表訓寺―萬爆洞―摩訶衍―毘慮鋒)、久米山荘宿泊。

第四日 久米山荘―九龍淵(九龍の滝)―玉流洞―神渓寺―温井里、宿泊。

第五日 萬物相、探勝後元山行列車にて出發、安邊驛で乗換へ京城行列車に乗車、車中泊。

第六日 朝京城驛着市中見物の上、宿泊。

第七日 釜山行急行又は旅客列車で京城驛出發、夜航便の関釜連絡船にて内地へ」

関釜連絡船で下関から朝鮮に渡り、釜山から京城(ソウル)に向かい、京城で一泊。翌朝京城からいまは途中断たれてしまった京元線に乗り、鐡原駅でこれもまたいまは存在しない金剛山電気鉄道に乗り換え、内金剛駅で降ります。金剛山では、内金剛から外金剛に向かう一泊二日の登山を楽しみ、温井里で温泉にでも浸かるのでしょう。翌朝午前中を使って萬物相まで往復し、鉄道で元山方面へ。夜行列車で京城に戻り、一泊してから釜山に向かい、関釜連絡船に乗るというものです。

このコースは、南北が分断され、交通手段もほとんど壊滅してしまった現在では、実現不可能です。それでも、当時は乗り継ぎもうまく考えられた効率的なコースになっていると思います。鐡原と内金剛山をつないでいた金剛山電気鉄道(1924年11月運行開始)は、険しい地形によって観光客の訪れを阻んでいた金剛山を誰でも訪ねることのできる景勝地にした観光電車でした。「昭和9(1934)年の金剛山は今よりにぎわっていたhttp://inbound.exblog.jp/22786781/」というのは、金剛山電気鉄道のおかげだったといえます。

さて、「金剛山探勝(京城(ソウル)から)」は、朝鮮在住者向けのモデルコースです。「内金剛探勝 一日間」「同二日間」「外金剛探勝 二日間」「同三日間」「内外金剛探勝 三日間(内金剛から入山)」「同(外金剛から入山)」「内外金剛探勝 六日間」と日程や内・外のどちらから入山するかなどによって異なる7つのコースが紹介されています。

たとえば、最も旅程の短い「内金剛探勝 一日間」の場合、「(土曜日及祝祭日の前日に限る)内金剛行直通列車(清津行列車に連絡)にて京城驛出發、車中泊」とあるように、前日に夜行で内金剛に向かい、朝着後、一日かけて内金剛を散策し、再び夜行列車で京城に戻るという強行軍です。確かに、いまでも金曜日の夜に東京を車で出て、未明から登山を楽しむというような日帰り登山はよくありますから、当時もあったのでしょう。

最も中身が充実しているのが「内外金剛探勝 六日間」です。

●内外金剛探勝 六日間

「第一日 福渓行汽動車にて京城驛出發、鐡原驛乗換、内金剛驛に至る。晝食後徒歩にて、長安寺―表訓寺―正陽寺―萬爆洞―摩訶衍―白雲臺―摩訶衍、宿泊。

第二日 摩訶衍―毘慮鋒―内霧在嶺―蔭仙臺、楡點寺、宿泊。

第三日 楡點寺―彌勒峯―楡點寺、宿泊。

第四日 楡點寺―開残嶺―百河橋―自動車にて海金剛へ、海金剛遊覧後自動車にて温井里へ、宿泊。

第五日 温井里―神渓寺―玉流洞―上八潭―九龍淵(九龍の滝)―温井里、宿泊。

第六日 温井里―六花岩―??萬物相―新萬物相―温井里、温井里から自動車にて外金剛驛へ、元山行列車にて出發安邊驛乗換、京城行旅客列車に乗車、車中泊。翌朝京城驛着」

このコースは、いわば金剛山登山のフルコースというべきもので、三日浦や海岸沿いに岩の柱が並ぶ海金剛の景観を訪ねたり、当時「新金剛」と呼ばれた外金剛の南に広がる新しい登山コースも訪ねるものです。新金剛の拠点は楡點寺ですが、「朝鮮戦争のとき米軍に爆撃され、破壊」(『朝鮮観光案内』(朝鮮新報社 1991年)されたようです。同様に、これらのモデルコースには、他にも長安寺、表訓寺、正陽寺、神渓寺などの寺院が出てきますが、現存するのは表訓寺だけで、残りすべては朝鮮戦争時に破壊されてしまっています。

金剛山登山の魅力のひとつに、深い山あいに佇む古刹めぐりがあることは、『朝鮮旅行案内記』の中に次のように解説されています。

「此勝景をして一層の光彩を添へるものは建築美と傳説美である。即ち興味深い史跡傳説を有し朝鮮藝術の粋を蒐めた碧棟朱楹の長安寺・表訓寺・神渓寺・楡岾寺等の大伽藍と多數の末寺は金剛山の怪奇なる紫峰を背景として絶壁の下或は幽谷の裡に點在し天工と人工の美を渾然一致して吾々に強い印象を與へている」

これらの古刹は、登山者の宿としても使われていたようですから、そこで過ごす一夜は実に味わい深いものとなったことでしょう。当時の日本人が金剛山を愛でていた理由に、千年以上前からこの地にあった古刹の存在が大きかったことは想像に難くありません。しかし、それらも朝鮮戦争時にほとんど破壊されてしまったというのですから、なんと痛ましいことか。

次回金剛山を訪ねるときは、唯一現存する表訓寺にぜひ足を運んでみたいものです。かつて登山客を魅了した表訓寺は、新羅時代の670年に初めて建てられたという由緒ある古刹だそうですから。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-17 11:50 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 16日

金剛山は昔、ロッククライミングの穴場だった?

昭和9(1934)年9月に刊行された『朝鮮旅行案内記』(朝鮮督府鉄道局)の「金剛山案内」の項には、ロッククライミングの案内も掲載されています。

「従来金剛山は宗教的に遊覧的に探勝せられていたが、永年の風化浸食によって削られた勇壮な其岩骨は、最近ロッククライミングにも好適とされ、登山家により數多の未登の峻峯が征服せられている。最も多く登攀せられ岩も優れているものに集仙峯と世尊峯がある」

それぞれ次のように紹介されています。

●集仙峯(主峯一三五一米)
「外金剛の東端に、海に臨んで立並ぶ一群の岩峯でそれ自身多くの岩峯を持ち、複雑なる地形を示すグループである。

主峯一三五一米ピークより派出するヂャンダルム(前衛峰のこと)は東北及西北に走り、前者は東北愛稜(第一峯~第七峯)、後者を西北稜と呼んでいる。

温井里より神渓寺への途上極楽峠に立てば南方に其の全貌が望まれ、更に神渓寺より神渓川を渡って動石洞に至れば、集仙峯の峭壁は目前に迫り、岩肌さへ詳細に見取る事が出来る。

主峯一三五一米ピークのピラミダルな山頂、これより西北に伸びている鮫の歯の様な岩稜、そして巨濤の如く入亂れたる東北稜の諸岩峯は力強い魅惑的な岩頭を現はし、強く登攀慾をそそる。

之が登攀を行ふに當って先づ中心的根拠地と定め、それより放射状に各峯頭へ攀る方法が最も自然的であって、動石洞又は東北稜第一峯西鞍部にベースキャムプを張るのが最も有利である。两キャムプサイトには豊富なる水を有し、動石洞は一三五一米ピーク、西北稜は第三峯以北へ、又東北稜第一峯西鞍部は第一峯、第二峯に至るコースの根拠地となっている」

●世尊峯
「集仙峯の西方、動石渓の源流に簇立する世尊峯は東西に延びた屋根状の岩峯(一一六〇米)を主峯とし、北方にの鮫歯状の骨張った岩稜を派出した一群のヂャンダルムである。

その全貌は集仙峯一三五一米ピークから最もよく見られ、灌木の多い稜線の上にくっきりと浮び上った東南面の大峭壁は厭迫的の力強さを持ち、近づき難い感をさへ抱かせる。

根拠は動石洞のベースキャムプ或は動石渓を約三十分遡った澤の北手にある岩小舎(温突式となり約五六人の収容可能)を選ぶのが最も適當である。

登攀コースは動石渓を遡行して一一六〇米南鞍部に至り、之より岩場に取付くのが普通であるが、又玉流洞川、飛鳳瀑の右壁を登って、岩場に取付き主峯から動石渓側へ下降するのも亦快適なるものがある」

さらに、金剛山の岩質として「粗粒の斑状複雲母花崗岩と正片麻岩」からなり、「岩角は風化の為丸味を帯びている」こと。「浮石は殆ど落ち切っているが、只風化による岩質は相當脆き部分がある為登攀に際し、この點充分なる注意を要する。概して拳大以下のホールドは信頼出来得ないものと考ふべきであろう」。「登攀靴としては岩質の関係からトリコニ―を主としたる鋲靴が最も適し、又ゴム底地下タビにても不自由はない」などの登攀上の諸注意も記しています。

昭和9(1934)年当時、日本にロッククライマーがどのくらいいたものかはよく知りませんが、昭和初期にはすでに登山ブームが始まっていたはずですから、朝鮮にも先駆者たちが姿を現わしていたことは確かでしょう。金剛山は当時のロッククライミングの穴場だったのかもしれません。ただし、実際にどの程度行われていたかについては資料もないので、知る由はありません。
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実は、戦後になって金剛山でロッククライミングをやった人たちの記録があります。

女性で初めてアルプス三大北壁登攀に成功した今井通子さんとカモシカ同人隊で、その記録は『白頭山登頂記』(朝日新聞社 1987年)にまとめられています。

同書によると、今井さんと8名の日本人による「カモシカ同人日朝友好親善登山隊」は、北朝鮮の3つの名山(白頭山、金剛山、妙高山)に登るため、1987年2月10日成田から北京に飛び立ちました。北京からは平壌行きの国際列車に乗り、丹東経由で北朝鮮に入っています。

3つの名山のうち最初に登攀したのが金剛山でした。一行は平壌から鉄道で元山に向かい、バスに乗り継いで金剛山の温井里のホテルに宿泊しています。

翌日(2月18日)7時半にホテルを出た一行は、前述したように、かつてロッククライミングに好適とされた集仙峯を登っています。

朝鮮建国以来、スポーツ登山として外国人登山隊が金剛山に入るのは、チェコスロバキア隊とユーゴ隊が無雪期に数回訪れた程度で、2月という厳冬期に入ったのは、日本のカモシカ同人隊が最初のことだったといいます。

1987年というのは、北朝鮮が一般日本人の観光客の受け入れを発表した年(6月)で、10月から実際に北朝鮮ツアーが始まっています。カモシカ同人隊の北朝鮮入りは、当然のことながら、このタイミングに合わせた宣伝効果を狙って北朝鮮側が企画したものでしょう。報道担当として朝日新聞記者やテレビ朝日の社員も同行していました。

ところが、この年の11月大韓航空爆破事件が起きました。すぐに日本人観光客受け入れも停止しています。

はたして金剛山でロッククライミングが再び行われるのはいつの日になるのでしょうか。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-16 16:59 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 15日

金剛山の最適な探勝シーズンは10月上旬。紅葉の美しい絶景が見られるそうです

昭和9(1934)年9月に刊行された「朝鮮旅行案内記」(朝鮮督府鉄道局)の「金剛山案内」と題された章の中には、この地をいつ訪ねるべきかについて詳しく解説されているページがあります。

「金剛山の自然美は四季の變化に伴ふ山容も自ら異り各々特徴ある風景美を以て探勝者を喜ばせ、詩歌に繪畫に其の藝術的詩情を多分に現はしている。金剛山の探勝は一年を通じて探勝に差支へなく鐵道局でも之等探勝客の便を圖つて年中各驛から割引乗車券を發賣しているが毎年五月一日から十月末日までは金剛山探勝に最適の時季であるので山内の宿泊、交通機関を整備せしめ、汽車自動車の連絡を圖ることになっている」

金剛山の登山シーズンはいつなのか。その答えは、「五月一日から十月末日」です。金剛山は「四季の變化に伴ふ山容も自ら異り各々特徴ある風景美」を見せるといいます。

そこでは、月ごとの山容の微妙な変化をていねいに描き分けています。

「五月 峰も溪も潭も一様に美しい濃淡の若葉に蔽はれた所謂新緑の探勝季である。

六月 翠緑濃やかな山峰は碧潭、深淵の清らかな水に映じて初夏の鮮麗な山水美が見られる。

七月 例年七月上旬から雨季に入るのであるが、變化極りない雲の躍動は山容に一層の勇壮さを加へ渓流は水勢鞺鞳として豪怪な觀を呈する。

八月 強い陽光を受けて碧空に聳ゆる奇鋒、碧水を湛へた悽艶な渓谷の深淵等の景致は何れも盛夏ならでは味ふことの出来ない情趣である。八月も末になるとはや秋風が吹いて朝夕は餘程涼しくなる。

九月 樹間を透して吹き来る涼風は柔かく肌身に觸れて探勝者に氣持よい感を與へる。秋特有の青澄な空に浮き出た峰巒は殊に美しい色彩をなし、九月の末には内金剛地方は早くも紅葉を呈する。

十月 上旬から中旬にかけて金剛錦繡紅衣に彩られ金剛山探勝に最適の時季で、例年内金剛の見頃は外金剛より幾分早く十月五、六日前後、外金剛は十日前後が酣である。下旬になると涼氣も餘程身に沁み毘慮鋒頂では岩間の水は既に氷結している。愈々探勝の好季節も終わりを告げて全山冬眠に入るのである。

十一月から翌年四月まで 十一月に入ると気温頓に低下して金剛風が吹き初め全山概ね落葉して岩骨を露出し、雲さへ降って皆骨金剛の豪怪な山容を現出する。十二月神秘な冬の粧ひをなし、毘慮鋒では例年積雪丈餘に及んで壮快なるスキー登山が出来る。又山麓の温井里は温泉とスキー場があるので年末年始にかけての休暇を利用し出掛けるものも多い。積雪は大概二、三月頃まで残り、年によっては三月下旬までスキーも出来ることもあるが流石四月に入れば概ね解けて草木も永い冬眠より甦り春の季節を待つこととなる」

最適のシーズンは10月上旬。紅葉の美しい絶景が見られるそうです。昨年ぼくが訪ねたのは8月下旬でしたが、「強い陽光を受けて碧空に聳ゆる奇鋒、碧水を湛へた悽艶な渓谷の深淵等の景致」という表現は、なるほどと納得したものです。

秋に金剛山を訪ねたことのあるという友人のひとりは「紅葉の美しさは、日本でも見たことがないほどの素晴らしさだ」と語っていましたから、もし次回行く機会があるなら10月上旬にすべきだと思いました。

冬は木々がすべて落葉し、花崗岩の岩肌が露出して迫ってくるようなんですね。「豪怪な山容」との記述がありますが、「豪快」」ではなく「怪」の字を使っている理由も、なんとなく想像できます。現在、外金剛ホテルなどの宿泊施設のある温井里には、温泉とスキー場があったと書かれていますが、いまでも温泉施設はあります。

四季によってこんなに風景が変わる金剛山。「因に四季各々自然の變化によって金剛の山水美を讃へたものに春を「金剛」夏を「蓬莱」秋を「楓岳」、冬を「皆骨」と称する別名がある」そうです。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-15 09:59 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 14日

金剛山の魅力は奇鋒と渓谷、美しく青みを帯びた深潭の醸成する幽寂な景趣にある

昭和9(1934)年9月に刊行された「朝鮮旅行案内記」(朝鮮督府鉄道局)の内容から、金剛山に関する記述を検討したいと思います。もともとこの本は、当時の朝鮮を鉄道で旅行するための案内書で、概説編(236p)と案内編(309p)の2部構成になっています。

概説編では、朝鮮の地勢や気候、産業、歴史、風習、年中行事などとともに、「金剛山案内」(38p)に多くのページを割いています。個別の観光地として概説編に紹介されるのは金剛山だけであることから、いかに特別の存在であったかがわかるのです。案内編では、朝鮮内のすべての鉄道路線と駅のある町が解説されています。

では「金剛山案内」にはどんなことが書かれているのでしょうか。

「金剛山とは朝鮮半島の東海岸に沿ひ南北に縦走する脊梁山脈中の一群の峻鋒を稱し、江原道の准陽、高城の二郡に跨って廣袤實に十八平方里に亘り日本海に面する斜面と内陸に面する斜面の二帯に分かれている。前者は即ち外金剛、後者が内金剛と稱せられている。

地勢は東は急峻で西は概ね緩やかな高臺状をなし、脊梁山系たる主脈と之より分岐する數多の支脈は変化に富んだ奇鋒峻嶺から成り立ち、千米以上の峻鋒重疉として聳立し岩骨を露出し削壁をなして所謂萬二千衆鋒を形造っている。そして主脈から分岐する支脈は何れも短かく河川は為に幾多の小支流は岐れ岩床は露出して巨岩怪岩を轉じ到る處に急湍激流を造っている」

「金剛山を構成する岩類は太古界から新生界に亙った可なり多くの種類を網羅しているが主なる岩石は斑状複雲母花崗岩及白雲母又は斑晶を缺ぐ黒雲母花崗岩であって、之等は著しく節理に富み其方向は垂直の場合が多く、其の他多種多様の節理を存し岩體は之に沿ふて永年の風化浸食により變幻の妙を極め金剛山獨自の山岳美を成している」

ここでは、金剛山が日本海側に面した外金剛と内陸に面した内金剛に分かれること。一万を超えるという露出した花崗岩から成る巨岩怪岩が屹立し、急流が造る山岳美が「變幻の妙を極め」ていると賛美しています。

それに続く「金剛山の風景と其特色」では、金剛山が「世界的名山」たる理由についてこう解説しています。

「金剛山が世界的名山として賞賛される所以は古来萬二千鋒と謳われる無數の奇鋒峻嶺と之等の峰巒が互ひに錯綜して構成する幾多の渓谷と其渓谷に懸る、瀑布、深潭、奔流等の醸成する豪壮雄渾或は清浄幽玄なる景趣にあることは、探勝者の齊しく認めるところで此勝景をして一層の光彩を添へるものは建築美と傳説美である。即ち興味深い史跡傳説を有し朝鮮藝術の粋を蒐めた碧棟朱楹の長安寺・表訓寺・神渓寺・楡岾寺等の大伽藍と多數の末寺は金剛山の怪奇なる紫峰を背景として絶壁の下或は幽谷の裡に點在し天工と人工の美を渾然一致して吾々に強い印象を與へている」

旧字の多い難解な文面を長々と引用したのは、金剛山を愛でるうえで、こうした漢文調の表現にこそ味わい深さを感じられると思ったからですし、おそらく当時の日本人は、そういうスタイルを好んでいたに違いないと考えるからです。
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金剛山の魅力は奇鋒と渓谷、瀑布、深潭、奔流の醸成する幽寂な景趣にある。これはわずか1日の登山体験をしたにすぎないぼくにも、理解できるものでした。特に心打たれたのは、これまで日本でも、また他の国でも見たことのないほど美しく青みを帯びた深潭でした。
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「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-14 13:04 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 14日

昭和9(1934)年の金剛山は今よりにぎわっていた

昨年、ぼくは北朝鮮の金剛山を訪ねたのですが、戦前期には、この地は朝鮮を代表する観光地でした。実際のところ、今より80年前のほうがにぎわっていたし、観光地開発もずっと進んでいたのです。

2013年、金剛山観光はどうなっているのか?
http://inbound.exblog.jp/22561895/

その事実は、昭和9(1934)年9月に刊行された「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)の内容をみるとわかります。同書は国会図書館近代デジタルライブラリーで誰でも閲覧することができます。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893

当時の旅行案内書の記述の詳細さや内容の面白さは、現在書店に並んでいるガイドブックのたぐいとは比較にならないほどです。とりわけ、同書における金剛山の扱いは別格です。金剛山は、当時朝鮮半島を代表する景勝地として理解されていたことがわかります。

いったい当時の日本人にとって金剛山とは何だったのか? 以後、同書の内容を通して考えていきたいと思うのですが、まずはわかりやすいところからという意味で、金剛山の口絵の一部を紹介していきます。
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これは外金剛の九龍の滝の口絵です。
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これは昨年撮った九龍の滝。滝つぼに落ちる水量が少ないことを除けば、80年前とほとんど変わっていません。
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これは玉流洞渓谷の口絵です。
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これは昨年撮ったもの。これも変わりません。
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これは三日浦の口絵。
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これは昨年の三日浦。

当たり前のことかもしれませんが、自然の景観は80年程度の時間の経過で変わるものではないですね。時間がなくて訪ねることができませんでしたが、その他口絵に載っているのは以下の景勝地です。
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これは奥萬物相といい、外金剛にある屹立する岩の連峰です。
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これは海金剛で、金剛山の海岸沿いに林立する柱の奇岩です。
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ちょっと面白いのはこれで、昭和9年当時、金剛山にはスキー場があったようです。昨年北朝鮮の元山の近くに馬息嶺スキー場ができたことがずいぶん報道されましたが、実は昭和の時代にはここだけでなく、朝鮮半島にはたくさんのスキー場があったのです。その話についてはまたいずれ。
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また金剛山にはかつて多くの寺院がありました。これは楡點寺といい、金剛山の南の山中にありましたが、現在は残っていないようです。理由は、金剛山周辺は朝鮮戦争の激戦区だったからです。
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「金剛山探勝径路図」によると、今日残っていない、いくつかの寺院や鉄道路線などが見られます。当時のほうが今より観光地開発が進んでいたといえるのは、そのためです。
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by sanyo-kansatu | 2014-06-14 13:02 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)