ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:朝鮮観光のしおり( 74 )


2014年 05月 06日

日本とゆかりのある朝鮮第2の都市、元山のことが少し気になる理由

金剛山に向かうため、平壌からバスに乗った一行は、元山に立ち寄り、港のそばの東明ホテルで昼食をとりました。
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※昼食の様子はこちら「【前編】北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて」http://inbound.exblog.jp/21273246

食後に少し時間があったので、ホテルの裏手にこっそり行ってみました。こういうとき、中国客の勝手気ままさはありがたい限りです。彼らはガイドの監視を離れて動きがちなので、わずかな時間ですが、ぼくも彼らに紛れて自由に行動することができるからです。
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ホテルの裏には桟橋に向かう吊り橋があり、多くの市民や子供たちが釣りや磯遊びをしていました。
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昭和の子供たち、とでもいうのでしょうか。日に焼けて真っ黒です。
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なかには海に入ってハマグリを獲っている子たちもいます。
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おばさんまで服を着たまま海に入っています。
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桟橋の向こうの葛麻半島の先に白いホテルが見えます。かなり高層のビーチリゾートホテルです。元山の観光開発が進められていることがうかがえます。
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さて、ホテルのすぐ下では、ここで獲ったものでしょうか。ハマグリを炭火で焼いてビールで一杯やっている人たちがいました。
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銭湯の腰掛みたいなものにちょこんと座って炭火を囲んでいます。楽しそうですね。
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なかなかしっかりしたハマグリです。
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そばを歩くとにこにこしているおじさんグループがいたので、記念撮影。いい週末ですね。

さて、こんなのどかな8月最後の日曜を満喫している元山ですが、歴史的にみると、日本とのゆかりの多い都市といえます。
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見るからに良湾である元山港は、李氏朝鮮時代は小さな漁村にすぎませんでしたが、1876年の日朝修好条規(江華島条約)により1880年に対外開港。日本と朝鮮東海岸を結ぶ航路の玄関口となっていきます。1914年にはソウルと結ぶ鉄道が開通し、東海岸最大の港湾都市、軍港として発展していきます。
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2006年以降、日本入港禁止となったものの、長く日朝間の足となった万景峰号の母港も元山です。バスで港沿いを走っていると、万景峰号が停泊しているのを見かけました。

元山の海水浴場は、戦前期から有名でした。以下の写真は1930年代の元山松涛園海水浴場です。当時の資料には以下のように書かれています。
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「松濤園及海水浴場竝に白砂十里で名高い葛麻半島は夏季の楽土として知られ、明媚な風光は朝鮮を訪れる旅客の心を強く惹きつけるのである。

人口五萬二千五百人、内地人九千六百餘人、朝鮮人四萬二千餘人、外國人八百餘人、府内は元山府廰・永興灣要塞司令部その他官衛學校等軒を並べ、文化設備完備し、ゴルフリンク・公設運動場及近郊新豐里にはスキー場がある」(「最近の朝鮮」昭和9年6月 朝鮮総督府刊)

ネットを検索すると、戦前期に元山に住んでいた方の当時の記憶を綴るサイトがいくつか見つかります。昭和10年前後に生まれた世代が多く、少年時代の思い出が語られています。

それらの文章を拝読すると、当時の元山松涛園海水浴場には、別荘地や商店街、ゴルフ場などがあったそうです。花火大会も開かれたとか。

いまの朝鮮の子供たちのように、当時の日本の少年たちも湾でアサリ獲りをしていたそうです。水深50cmくらいの深さのところで、足の指先を使って泥底からアサリを掘り出し、その場でナイフで開き、生のままたべたとか。当時の元山の写真と現在見た光景はほとんど変わりありません。

一方、現在の元山についてメディアはどう報じているでしょうか。

たとえば、朝日新聞2013年12月24日によると、故金日成主席と故金正日総書記の銅像が元山に建てられたそうです。これは金主席の妻で金総書記の母の故金正淑の生誕96年に合わせたもので、「いずれも金正恩第一書記につながる『血統』の偉大さを改めて強調し、権威を高める狙い」があるといいます。

また韓国のメディアは、金正恩第一書記が何度もこの地に足を運んでいることを指摘しています。

なぜ金正恩第一書記が元山を重視するかについてはこんな理由があるようです。中央日報2014年3月19日の日本語版では「ミサイル発射、観光開発計画…金正恩が故郷・元山にこだわる訳は?」という記事を配信しています。

ミサイル発射、観光開発計画…金正恩が故郷・元山にこだわる訳は?
http://japanese.joins.com/article/101/183101.html

それによると、金正恩第一書記が「元山を平壌に続く第2の都市として育成するという意志」を持つ理由として「元山は父・金正日(キム・ジョンイル)時代から開発に集中してきた所であるだけに、遺言に従うという意味で元山を浮上させるためという解釈だ。

国民大学のチョン・チャンヒョン兼任教授(統一学)は『北朝鮮は最近、元山付近に馬息嶺(マシンニョン)スキー場を建設したのに続き、元山を観光団地として開発しようとする計画を持っている』として『元山を第2の都市として開発するためのもの』と話した。元山の重要性を浮上させることによって国際社会にこの地域を観光特区化するよう投資を迂回的に促すメッセージという分析もある。

生母の高英姫(コ・ヨンヒ)が暮らしていた日本から初めて北朝鮮の地を踏んだ場所が元山だという点も、金正恩の元山愛と無関係ではないという観測もある」。

日本とゆかりのある元山の今後が少し気になってきました。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-06 19:41 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 05月 06日

元山松涛園海水浴場とビーチパラソル、踊る朝鮮娘たち

北朝鮮観光につきものの、革命歴史博物館をはじめとした対外プロパガンダ施設見学や少年少女らによる舞踊&歌唱ショー、さらには10万人規模の市民動員によるド派手なマスゲーム。いまや北朝鮮名物として広く知られるようになったこれらの各種アトラクションは、もはや外国客にある意味“想定内”の印象しか残さないのではないでしょうか。

それに対して、この国のふつうの人たちが休日に行楽地に繰り出し、レジャーを楽しむ姿を目にすることほど、興味を引くものはありません。

今回その思いをいちばん強くしたのが、元山松涛園(ソンドウォン)海水浴場の光景でした。
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元山は朝鮮の東海岸側最大の港湾都市で、人口は約30万人。元山市内の北の海辺に位置するのが元山松涛園海水浴場です。白い砂浜や赤いハマナス、青い松林が広がっています。その日は、8月最後の日曜日ということもあってか、多くの海水浴客が繰り出していました。砂浜にはビーチパラソルが並んでいます。
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家族連れや若者のグループなどがビニールボートを浮かべて遊んでいます。
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沖には飛び込み台もあり、男たちが群がるように集まっています。
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ビーチバレーに興じるグループもいます。
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さすがにビキニ姿の女性は見かけませんでしたが、グラマラスなふたりの水着美女もいました。
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休憩施設もあり、浮き輪やビニールボートをレンタルしてくれます。
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レストランもあります。
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砂浜のそばには松林が広がっていて、飲み物やお菓子を売る屋台も出ています。
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焼肉バーベキューを楽しむグループがいました。我々が外国人だとわかったせいか、手を振る陽気さです。男性こそ白い下着のようなシャツ姿ですが、女性たちはそこそこおしゃれしているように見えます。
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松林ではあちこちでバーベキューをしているグループがいますが、なかには歌い、踊り出してしまう人たちもいます。お酒を飲んで気分がよくなったおじさんたちだけでなく、若い娘さんたちも踊り出します。それぞれ短いワンショットですが、動画もどうぞ。

朝鮮元山松寿園海水浴場、踊る人々1  
朝鮮元山松寿園海水浴場、踊る人々2  
朝鮮元山松寿園海水浴場、踊る人々3  

我々外国人グループはここで1時間ほど休んだあと、金剛山に向かいました。途中、進行方向左手(東側)に美しい海岸線が続いていました。
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この海沿いの雰囲気は、日本の日本海側の海岸線によく似ています。日本海側の海は日中、太陽を背にしているので、太平洋のように水際がきらきら輝いたりしないぶん、水平線がくっきりと見えます。何より白い砂浜が延々続く光景が日本海側の夏の海そっくりです。

元山から金剛山に向かう中間あたりに位置するのが待中湖です。ここは泥風呂の療養所が有名だそうですが、海水浴場もあります。
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待中湖海水浴場にも赤青黄白のビーチパラソルが並んでいました。
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砂浜にはゴミはほとんど落ちていません。北朝鮮に来て最初に驚いたのは、街がとても清潔だということでしたが、これほどゴミのない海水浴場は日本にもないのではないでしょうか。
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家族連れです。ビールやペットボトルの空き瓶が見えます。
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今回一緒に金剛山に向かう欧米客の何人かは、たまらなくなったのか、海に入っていました。気持ちはわかります。前のふたりはロシア人でしょうか。
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休憩所では、中国客たちがビールを飲んでいました。
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ぼくも1本頼むことにしました。「鳳鶴麦酒」だそうです。
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これは海水浴場の入場料や各種レンタル料金表でしょうか。入場料(大人)280(小人)70 パラソル140 椅子70 などと書かれています。ユーロ表示も併記され、ヨーロッパ客の存在をうかがわせます。 
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この写真は、金剛山から戻ってきた2日後の朝の待中湖海水浴場です。すでに8月末で、白い波が立っていました。日本海ではお盆を過ぎると波が立つといわれますが、その感じもそっくりです。

ところで、最近よくテレビの報道番組で、平壌にできた新しいプールや水族館などのレジャー施設の映像が配信されていますが、どう見ても「特権階級」向けという印象が拭えませんでした。でも、元山の海水浴場でくつろぐ朝鮮の人たちは、ふつうの市民のように見えます。

もっとも、元山の政治的位置づけからすると、そうともいえないという見方もあります。そもそも元山市民は、平壌市民と同様に、この国では特別な存在であり、生活水準も他の地域と違って、そこそこ豊かそうに見えるのは政策的な結果にすぎないのだと。

あるいは、こんなことも思わないではありません。もしかしたら、この海水浴場にいる人たちは、外国客80名のグループの元山訪問のために動員されたものではないか……。平壌のマスゲームのために駆り出される10万人の市民を思うと、これも壮大な演出なのではないか、なんてね。

それは考えすぎだとは思いますが、外国人にそういう疑心暗鬼を与えてしまうのは、日本も含めた海外メディアの印象操作の影響なのか、それとも彼らの「見せたいものしか見せない」というふだんのやり方にそもそも問題があるのか。きっと両方あるのでしょう。

※日本とゆかりのある朝鮮第2の都市、元山のことが少し気になる理由 http://inbound.exblog.jp/22570022/

いずれにせよ、8月最後の日曜日、北朝鮮のある行楽地でこうしたレジャーシーンが見られたことは、知っておいていいかもしれません。

ところで、以下の2枚の写真は1930年代に撮られた元山松涛園海水浴場と松林の光景です。
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当時、同じ場所で人々は海水浴を楽しみ、テントを張ってハイキングをしていたのです。これも知っておくべきだと思います。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-06 14:14 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 05月 06日

中止からはや6年。韓国から入る金剛山ツアーと残されたインフラについて

前回、2013年8月下旬の金剛山登山について報告しましたが、その日の午後は三日浦という湖を訪ねました。
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三日浦は周囲5.8kmの海跡湖で、カメラで風景を切り取ると額縁に描かれた絵画のような世界が現出します。湖の真ん中に浮かぶのが、臥牛島という松に覆われた島です。この三日浦とその東に広がる海岸線の絶景が「海金剛」と呼ばれています。残念ながら、今回は海金剛を訪ねる時間はありませんでした。
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さて、前回紹介した金剛山の登山コースは実によく整備されていました。それには理由があります。

1998年から2008年まで、軍事境界線を越えて陸路で韓国から北朝鮮に入る金剛山ツアーが催行され、延べ約200万人の韓国人、2万人の外国人(そのうち日本人は1000人ほどという話)がこの間、金剛山を訪れていたからです。金剛山近隣の出身だった現代グループの故鄭周永(チョン・ジュヨン)会長が北朝鮮政府と直接対話し、実現にこぎつけたのです。つまり、現在の金剛山観光のインフラをつくったのは、韓国資本だったというわけです。
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金剛山から三日浦に向かう道路は韓国の軍事境界線に向かう道路につながっていて「束草まで68km」とあります
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同じく、「高城港(左上)金剛山ゴルフ場(左下)九仙峰CIQ(右)」と書かれた道路標識

当初は船で入域していましたが、2003年よりバスでの往復が可能になりました。07年から内金剛の観光も許可されたのですが、2008年7月以降、中止になってしまいました。韓国人の女性旅行者が北朝鮮兵に射殺される事件があったこともありますが、その年李明博政権になり、対北関係が悪化したこともあるでしょう。

それ以降、外国人観光客は平壌からバスに乗って元山経由で1日かけて金剛山に来るのが一般的になりました。ちなみに平壌から元山までは約200km、元山から金剛山までは108kmです。

とはいえ、現在も韓国が投資した観光インフラは残っています。それについては、ツアーが催行されていた当時の状況を伝える以下の韓国のオンライン旅行会社のサイトに紹介されています。
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金剛山ツアーパーフェクトガイド(Konest)
http://www.konest.com/contents/spot_hot_report_detail.html?id=1871

同サイトによると、ツアーは2泊3日。スケジュールは、初日は入国とホテルのチェックインまで。2日目午前中に、前回紹介した「九龍淵(クリョンヨン)登山コース」、午後は「三日浦(サミルポ)コース」や「温泉($12)」「サーカス観覧($30)」、夜は「歌舞団公演観覧($10)」。3日目午前中にもうひとつの登山コースである「万物相コース」か「三日浦(サミルポ)&海金剛(ヘグムガン)コース」を選んで参加し、午後には帰国するというものです。

今回三日浦に行く途中、バスからそれらの施設を見ることができました。
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遠くに見える白いドーム状の建物がサーカス場です。
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これは免税店です。
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韓国客が大勢来ていた時に使われていたと思われる韓国製バスが駐車されていました。いまは北朝鮮のホテルなどの従業員の通勤に使われているそうです。
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この建物は、2002年4月~5月にかけて行われた韓国と北朝鮮の第4回離散家族再会以降、金剛山で実施されるようになった常設面接会場として使われたそうです。その後、何度も中断と再開を繰り返しています。

こうしてみると、金剛山は北朝鮮では他にない国際的な水準の一大リゾート地だったことがわかります。今回訪ねていませんが、ゴルフ場もあります。
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さて、金剛山には温泉もあります。金剛山ホテルなどの宿泊施設がある温井里地区の「金剛山ホットスパ」です。
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広いロビーの現代的な施設です。もちろん韓国資本です。
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入浴料は20元でした。フロントで支払います。
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マッサージも出来ます。
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お風呂は個室になっていて、それぞれ内風呂と露天風呂があります。
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なぜかぼくにあてがわれた浴室は、大風呂でした。サウナもあります。
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露天風呂はないぶん、外にはオープンエアのデッキチェアが置いてありました。

浴槽が空だったので、お湯を入れ、しばらく待つことにしました。ところが、お湯の熱いこと。とてもじゃないけれど、入ることができない熱さなのです。水の蛇口がないので、お湯をぬるめることもできません。いったいこれはどうしたことか?

あとで個室風呂に入った人に聞いたところ、やはりお湯が熱くて入れないので、お湯をかき出し、露天に運んでそちらで浸かったそうです。個室風呂は浴槽が小さく、露天風呂もあったので、そういうこともできたようですが、大風呂のぼくは結局、ゆっくりお湯に浸かることができませんでした。

う~ん。思うに、韓国客が来なくなって以来、当然スパの運営も韓国ではなく、北朝鮮側が行うようになったため、ノウハウがきちんと伝わっていないのではないか。こんな熱くちゃ誰も入れない。客が来なけりゃ浴槽にお湯をためること自体減っていることでしょうし。せっかくの温泉が台無しです。

登山の疲れを癒そうと来た温泉でしたが、なんとも心残りの結果となってしまいました。

仕方なくホテルに戻ると、夕食は宿泊している金剛山ホテルではなく、外金剛山ホテルに行くことになりました。

さて、金剛山にある2つのホテルを簡単に紹介しましょう。

●金剛山(クムガンサン)ホテル
1981年にオープン。2004年に現代グループが客室などを改修しています。1階にはバーとダンスフロアもあるカラオケがありますが、ぼくらが泊まった夜は欧米ポップスのかかるクラブと化していて、欧米客と朝鮮の女の子たちが一緒に踊っていました。こんな光景は北朝鮮で初めて見ました。
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もっとも、従業員は北側のスタッフがほとんどです。12階にはもうひとつ渋いカラオケラウンジがあります。そのカラオケの様子は「北朝鮮のナイトライフ~地元ガイドがカラオケで歌った意外な曲は?」参照。

●外金剛(ウェクムガン)ホテル
1984年より「金正淑休養所」として党幹部に利用されてきたホテル(金正淑女史は金日成主席の妻)で、2006年7月に現代グループが内装を改修、「外金剛ホテル」として再オープンしたものです。ロビーにはカフェラウンジや中国料理レストランがあります。ぼくらはそのレストランで夕食をとりました。
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ホテル内には中国人民元や米ドル、ユーロ、日本円の通貨レートが掲げられていました。

金剛山には、他にも2002年にオープンした海沿いの海金剛(ヘクムガン)ホテルがあるそうです。海水浴場が近いそうです。
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韓国客の姿が消えたいま、インフラだけが残された金剛山ですが、こんなミネラルウォーターが生産されているのも、きっと韓国の投資のおかげなのでしょう。韓国の人たちにとっては、なんとも残念というほかありません。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-06 00:04 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 05月 05日

金剛山で見かけた朝鮮の人たちの階層は?(可視化される階層差)

金剛山に滞在中、出会ったり、見かけたりした地元の人たちを紹介しようと思います。

とはいえ、金剛山にいたのは実質1泊2日。しかも定められたスケジュールで動くしかないという状況の中では限界があります。
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そんな中でも最も印象に残ったのが、金剛山で会った朝鮮の若い女の子の登山グループでした。あらためて写真を見返すたび、こんなにみんなが一斉に目を輝かせている姿というもの自体、すごく新鮮に思いました。だってこの子たち、山を歩いて岩を眺めているだけなんですよ。すれていないということなんでしょうけれど、そうでもないのかな。
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左の女性が地元のガイドさんです。実は、こんなことがありました。金剛山からの帰り際、我々の同行者だったある朝鮮族の中国人が、バスを降りて別れを告げる彼女にチップを渡そうとしたんですが、バスの中でこっそり渡せばよかったものを、拒む彼女に無理やり渡そうとしてバスの外で渡してしまったのです。

中国社会ではチップにせよなんにせよ、金払いは人に見せることに意味があります。しかし、ここ朝鮮ではガイドが個人的にチップを受け取ることはNGのようで(もちろんこっそり渡すのは問題なし)、彼女は受け取りを拒み続けたのです。なぜなら、バスの外は金剛山観光案内所の前で、人目につく場所だったからです。でも、彼は拒む彼女に無理やりチップをつかませました。中国社会を生きる彼にとって面子にかかわる問題だからでしょう。

結局どうなったかというと、彼女が観光案内所に歩いていくと、上司らしき男性が現れ、叱責されてしまったのです。チップもきっと没収でしょう。なかなか難しいものです。日本人にとってもそうですが、中国人にとっても朝鮮社会の常識をふまえて行動することは簡単ではないようです。彼は朝鮮族でしたが、それでもそうなのです。
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彼女は金剛山登山の入り口にある木蘭館レストランのウエイトレスです。
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このふたりは、屋台の調理人。こうしてみると、観光がいかに地元の雇用を生んでいるか、よくわかります。
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金剛山ホットスパの服務員です。

なんでも金剛山には、以前は中国の朝鮮族の従業員が多く働いていたそうです。韓国客が来なくなったいまはほとんどいないと思われますが、金剛山が一時期中国の朝鮮族にとって出稼ぎの場所になっていたというのです。彼らと北朝鮮の従業員を見分けるのは簡単で、胸に赤いバッジをつけているかどうかだそうです。
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彼女は金剛山ホテル12階カラオケラウンジの服務員です。女性ばかりになるのは単にぼくの趣味の問題ではなく、結局この国で外国人が身近に接することができるのは、外国人を接遇する女性だからです。
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一方、こちらは路上で見かけた朝鮮の子供たちです。「三日浦9km 金剛37㎞」という道路標識がありますが、ここでいう「金剛」は何を指すのかわかりません。
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中国製の安い衣料が大量にこの国に入っているせいか、中国の子供たちと見かけは変わりません。ただいまどきの中国の子供は布靴ではないと思うので、そこが違うかもしれません。
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そうかと思うと、バスの車窓から柴を背中に負った少年ふたりを見かけました。歴然とした階層差が可視化される社会となっていることがわかります。
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帰宅する労働者たちです。自転車に乗る人はいても、自家用車に乗る人はいないようです。
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かなり老朽化した自転車に荷物を積んでいます。
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三日浦の近くで見かけた牛をひく農民です。
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これは金剛山にローラースケート場をつくるということで、地元の軍人や労働者が働いている光景です。
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こちらは金剛山から少し離れますが、待中湖海水浴場近くで見かけた労働者です。

これらの写真は、ガイドさんから何度も「撮らないでください」と言われながらも、隙を見てこっそり撮ったものです。そんなにうるさく言われたわけではありませんが、ガイドさんから見て我々に撮ってほしくないのは、労働者の写真のようでした。

確かに、彼らの浅黒く日焼けした表情は、平壌で暮らすガイドさんたちから見ても、別世界の住人です。彼らの存在、すなはち階層社会の実態を外国人には知られたくないという思いがきっとあるのでしょうね。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-05 22:12 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 05月 05日

2013年、金剛山観光はどうなっているのか?

2013年8月下旬、朝鮮国際旅行社創立60周年式典に出席した外国の旅行業者約80名は、2泊3日の金剛山ツアーに出かけました。

金剛山とはいかなる山なのか。朝鮮新報社が刊行した「朝鮮 魅力の旅」(2012年版)に次のように説明されています。

「朝鮮観光の人気ナンバー1と言えば、昔から金剛山。朝鮮だけでなく世界の名山、世界的な景勝地として知られている。

朝鮮東海岸の中部に位置する金剛山は、総面積400㎢、南北60km、東西40㎞の広大な地域を占める。最高峰は毘慮峰(ピロボン)で1639m。古くから1万2000の峰があると言われ、千姿万態の奇岩、石窟、絶壁、潭沼、滝などがこの世とは思われないほどの絶景を作り出す。燃えるような紅葉の秋をはじめ、四季それぞれに美しさが楽しめる」(p72)。

「朝鮮 魅力の旅」によると、現在金剛山の基本となる登山コースは3つあるようです。

①九龍淵(クリョンヨン)コース
②万物相(マンムルサン)コース
③水晶峰(スジョンボン)コース

今回はこのうち①の九龍淵(クリョンヨン)コースのみを歩きました。2泊3日といっても、平壌からの移動が7時間くらいかかるので、このスケジュールでは登山に充てられるのは、中1日だけだからです。
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8時半、ホテルからバスに乗せられ、登山の始点のモンラン(木蘭)橋で下車。地元の女性ガイドさんの案内で歩きはじめます。コースマップはハングルと中国語です。
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橋のたもとに木蘭館というレストランがあります(登山から戻ってきた後、ここで昼食をとりました)。
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登山コースは渓流沿いを歩くのですが、とにかく水が澄んできれいです。あんまりきれいすぎて、ここには魚が棲めないそうです。確かに、こんな澄んだ渓流を日本では見たことがありません。
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金剛山は花崗岩と閃緑岩から成っているため、浸食によって「千姿万態」の姿を見せています。これだけの規模で奇岩が見られる山は日本にはあまりなく、中国名山のコンセプトに近い世界だろうと思います。
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羽が透明なのでミンミンゼミだと思います。
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途中、朝鮮の若い女の子のグループに出会いました。職場か何かの団体旅行でしょうか。
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彼女たちのあまりに天真爛漫な姿に見入ってしまいました。これはガイドの説明する動物に似た奇岩を眺めている彼女たちの素の反応ぶりです。
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なぜかひとりの欧米客(我々と同じ海外の旅行業者です)が彼女たちに交じって奇岩を眺めています。
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これはそのひとつ、カエル岩です。ほかにも、カメ岩、ウサギ岩がありました。
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しばらく歩くと、参鹿水という小さな湧水がありました。この水には野生の朝鮮人参と鹿の角が溶け出しているそうです。みんなポットに水を入れています。
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金剛門という大きな岩の門で、ここをくぐると景観が大きく変わります。
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視界が広がり、渓谷が見えてきました。玉流洞渓谷といいます。
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その先に玉流潭とその滝があります。玉流潭の面積は600㎡、深さ5mだそうです。
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岩にはこの地を訪れた人たちが名前を刻んでいます。名前から見て、朝鮮系のように思います。
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玉流洞渓谷の上の橋を渡って少し登ると、エメラルドグリーンの沼が見えます。連珠潭といいます。戦前の日本の朝鮮旅行ガイドブックに、金剛山の比類なき景観のひとつとして「青藍の潭」が挙げられていますが、まさにそのとおりだと思いました。
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さらに登ると、飛鳳滝が見えます。「落ちる水が鳳凰が舞うように見える」ということで、金剛山4大瀑布のひとつです。滝の高さは139mですが、この時期、水量はあまりないようです。
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飛鳳の滝の近くの渓流です。
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これは今回の目的地の九龍の滝と上八潭に行く分かれ道の標識です。
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ここまでくると九龍の滝ももうわずか。我々より早く出た欧米客が下ってきました。
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九龍の滝を望む「観瀑亭」の石階段が見えてきました。
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これが九龍の滝です。金剛山を守る9匹の龍がこの滝つぼに住んでいたといういわれがあり、朝鮮3大滝のひとつだそうです。高さ74m、幅4mといいますが、こちらも水量は少ないようです。滝の下には滝つぼがあって、同行した朝鮮関係者の方は「昔はあの滝つぼで泳いだもんだ」と話していました。
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ここではみんな記念撮影は欠かせません。
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片道約4㎞というコースなので、のんびり歩いても往復3~4時間で気軽に登れるコースです。登山コースは整備されていて、途中の休憩場所にはトイレもあります。

2013年の金剛山では、外国客だけでなく、朝鮮の人たちも職場や家族連れなどで登山をのどかに楽しんでいたのが印象的でした。もっとも、軍人と思われる若い青年たちのグループを見かけましたが、彼らだけは目つきが鋭かったです。
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下山すると、売店がありました。魚介のバーベキューが味わえるようです。
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土産物屋もあり、朝鮮人参やTシャツなどが売られていました。
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昼食はプルコギとビビンバでした。
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もともと金剛山は、最高峰である毘慮峰の連峰を境にして、内金剛(ネクムガン)、外金剛(ウェクムガン)、海金剛(ヘクムガン)の3つに区分されています。今回登ったのは外金剛のほんの一部にすぎません。もしこれらをすべて踏破しようと思ったら、10日くらいかかるのではないでしょうか。実際、欧米客の中には、金剛山に2週間くらい滞在する人もいるそうです。

さて、その日の午後は海金剛の一部にあたる三日浦に行きました。それは次の機会に
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by sanyo-kansatu | 2014-05-05 21:41 | 朝鮮観光のしおり | Comments(1)
2014年 04月 29日

朝鮮国際旅行社創立60周年記パ-ティで語られたこと

2013年8月24日は、朝鮮国際旅行社の創立60周年にあたります。その日、平壌で海外の旅行業者らを集めた記念式典が行われました。
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出席者は北朝鮮観光に尽力したイギリス、イタリア、ドイツ、スペイン、アメリカ、ロシア、中国、台湾、日本などから訪れた旅行業者80数名です。

その日のスケジュールは以下のようなものでした。

午前9時 万寿台大記念碑を訪問、献花(金日成主席と金正日総書記の銅像あり)
       朝鮮軍が拿捕した米国スパイ船「プエブロ号」展示見学
       朝鮮革命博物館を見学 
昼食   玉流館で朝鮮冷麺の食事
午後2時 羊角島ホテルで「朝鮮観光の展望」レクチャー
   5時 高麗ホテルで記念パーティ
   8時 メーデースタジアムで大マスゲーム「アリラン」公演
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それぞれ面白かったのですが、ここでは羊角島ホテル会議場で開かれた国家観光総局主催のレクチャー「Tourism Policies and Prospective Plan of DPR Korea」を報告したいと思います。北朝鮮が今後、外客誘致をどのように進めるか、その展望が語られています。
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そのレクチャーは、朝鮮国際旅行社が制作したプロモーションビデオの放映から始まりました。長いのでその一部を紹介します。

朝鮮国際旅行社60周年記念式典プロモーションビデオの一部
http://youtu.be/gSH4C4zvnfQ

そして、観光総局の担当者のスピーチです。最初に1953年8月24日、朝鮮国際旅行社が創立された経緯について説明がありました。朝鮮戦争休戦後、国際機関の視察を受け入れる必要からだそうです。以後、「廃墟から国を建てなおす」ため、観光事業に取り組んできたといいます。当初は、ソ連や東ドイツなどの東側「友好国」の親善訪問などがメインだったようですが、1980年代半ば、政策を転換。87年に国家観光総局を立ち上げ、世界観光機関(World Tourism Organization)に加入。その年、日本人の一般観光客を初めて受け入れています。

現在、北朝鮮は平壌プラス6地域の観光特区化を目指しているそうです。6地域とは以下のとおりです。

●元山―金剛山

朝鮮を代表する名山、金剛山は東海岸の江原道にあります。1990年代半ばから韓国経由の国際観光が開放され、韓国人約200万人、その他外国人約2万人が訪れています。現在、韓国経由の入国は休止していますが、韓国資本の現代的なホテルや免税店、温泉施設などが残されており、北朝鮮でほとんど唯一の国際水準のリゾート地といえます。

元山は東海岸最大の港湾都市で、美しい海水浴場があります。平壌から車で約5時間。元山から金剛山までは約2時間半です。

この地区では、登山や温泉(泥風呂が有名)に加え、さまざまなビーチアクティビティが楽しめると説明されました。韓国客の受け入れをいつ再開するかについてはわかりませんが、韓国が投資した金剛山の観光インフラがほとんど使われていないのだとしたら、残念なことです。また元山港には、あの万景峰号が停泊しており、咸鏡北道の羅先から中国東北三省や極東ロシアの観光客を乗せたクルーズ旅行も進めているようです。元山では空港を拡張し、国際会議ができるホテルも建設しているとのことです。

※今回、実際に金剛山を訪ねています。その模様は「2013年の金剛山観光はどうなっているのか?」参照。

●七宝山

七宝山は、朝鮮6大名山のひとつで、東海岸の咸鏡北道にあります。中国東北三省や極東ロシアに近いため、登山や海水浴客の誘致を進めています。戦前期に日本からの航路の玄関口としてにぎわった清津の再開発がいま始まっているそうです。

●白頭山

「朝鮮革命の聖山」とされる白頭山は、中朝国境にまたがる標高2750mの休火山で、「天池」と呼ばれるカルデラ湖の美しさは有名です。中国では「長白山」と呼ばれています。金日成将軍率いる朝鮮人民革命軍がこの一帯を拠点にしていたとされることからそう呼ばれているのですが、ふもとにはスキー場や温泉などもあります。

中国側と協力して山頂付近の国境を越えて両国を往来できれば、多くの登山客を呼び込むことが可能となるでしょう。中国側では、現代的な山岳リゾートホテルやスキー場の開発が急ピッチで進んでいることから、北朝鮮側もそれに乗じて観光客誘致に取り組みたいところでしょう。

●妙高山

朝鮮の4大名勝に数えられるのが、妙高山です。無数の滝や渓流の美しさで、登山客の誘致を進めようとしています。世界各国から金日成主席に届いた贈り物を展示しているという国際親善展覧館があります。

●南浦

平壌の西方、西海岸に面した港湾都市の南浦には、高句麗遺跡や温泉、ゴルフ場などがあります。紅葉の美しい九月山も有名です。

●開城

先ごろ、世界文化遺産に登録された高麗王朝の古都が開城です。古い街並みが残る民俗保存区域が有名です。朝鮮分断を象徴する板門店は、開城から東南約8㎞の場所にあります。せっかく世界遺産になったのですから、もっと積極的にアピールしていいと思います。
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要するに、平壌と上記6つの観光地区が北朝鮮観光のハイライトだというわけです。

ただし、それは日本人観光客受け入れが始まって間のない1990年当時と基本的に変わっていません。

それでもあえて特筆すべき点をあげるとすると、白頭山の国境観光を中国側と協働で進める展望があるらしいということでしょうか。確かに、カルデラ湖を真っ二つに分ける中朝国境の両サイドにイミグレーションを設け、観光客の往来を開放すれば、両国の名勝や観光スポットをめぐる国境観光が楽しめることから、年間20万人の登山客が見込めるだろうというのです。これ自体は面白い計画です。中断した金剛山の韓国客が延べ200万人に達したことからわかるように、北朝鮮にとって国境観光を活性化することは、外貨獲得の有効な手段といえるでしょう。
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ただし、中国吉林省延辺朝鮮自治州の関係者らによると、例の粛清騒動後の中朝関係の悪化もあり、すぐに進展するようには思えません。だいたいこの計画は数年前からすでに話題になっていたものですが、中朝国境に近い場所での北朝鮮の核実験もあり、ずっと動いていないのです。北朝鮮側は「いかなる国の協力も歓迎」とはいうものの、中国側からすると、朝鮮側のインフラ投資をするのは結局誰なのか。常に朝鮮側が他力本願に見えることでしょう。また近年、中国国内で不穏な動きが見られる少数民族問題にも影響を与えそうな国境観光をどこまで積極的に進めるべきか、ためらいがあるかもしれません。

朝日新聞2013年8月13日によると、韓国・平和自動車の朴相権社長が北朝鮮当局から得た情報として「北朝鮮が経済難を打開するため六つの地域で観光特区作りを進め、そのために軍が管理してきた三つの空港を民間の管理に移した」ことを明らかにしたそうです。「六つの地域」とは、白頭山や元山、七宝山などで、今回の記念式典でのレクチャーの内容と一致しています。

なかでも急ピッチで進めているのが元山地区だと同記事には書かれていましたが、昨年冬に完成した馬息嶺スキー場もその一部で、翌日、式典出席者一行は建設中の馬息嶺スキー場に視察に行きました。こうしたレジャー開発の動きは、確かに新しい領導による取り組みを感じさせるものですが、常に相反する事態が同時進行するのがこの国の姿といえます。本人たちがどんなに一生懸命でも、それでは対外的にその思いはなかなか伝わりません。

いずれにせよ、気長に事態を眺めていくほかなさそうです。今年7月に長白山を訪ねる計画があるので、現地の事情を見てこようと思っています。
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レクチャーが終わると、出席者はバスで高麗ホテルに戻り、レストランで食事会が開かれました。その後、マスゲームの観覧がありました。その話は別の機会に。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-29 20:34 | 朝鮮観光のしおり | Comments(1)
2014年 04月 29日

北朝鮮の観光政策の転換と日本人受け入れ状況の変遷

北朝鮮観光について調べてみると、いくつかの興味深い論考がすでに記されていることを知りました。たとえば、若手の北朝鮮研究者、磯崎敦仁氏の仕事です。

特に5年ほど前に書かれた以下の2つの論文が参考になります。

「北朝鮮の日本人観光客受け入れ」(月刊国際観光情報2009年4月号)
「多様化する北朝鮮観光とその問題点」(月刊国際観光情報2009年5月号)

以下、ざっと両論文のポイントを紹介させていただきます。

まず「北朝鮮の日本人観光客受け入れ」から。最初に磯崎氏の研究スタンスがこう記されます。

「現在、多くの旅行記が出版され北朝鮮観光の実態を把握するのに大きな助けとなっているが、それらはあくまでも紀行文であるため総じて主観的かつ断片的な内容であり、北朝鮮観光の意義や背景、政治経済との関連性を考察ないし分析したものは皆無に等しい」。

一方、韓国では1990年代後半、「金剛山観光開発を取り巻く観光資源論、観光行動論、南北朝鮮間の経済協力といった視覚」による観光研究が見られたものの、「日本人観光客の受け入れについて触れられることはなかった」。

そこで同論文では「日本人を対象としたインバウンド政策の変遷を整理し、その特性を探る。その手法として、北朝鮮の文献や各旅行会社のパンフレットといった第一次資料のほか、北朝鮮観光に携わる複数の関係者への聞き取り調査の結果を素材」にしたといいます。

これまで本ブログでも、北朝鮮の旅行ガイドブックの中身にもの言いしたり、旅行業者の視点で日本人観光客受け入れ25年間の年表を作成したりしてきましたが、豊富な第一次資料をもとに北朝鮮観光の変遷を総括した同論文は、とても示唆に富んでいます。

同論文によると、北朝鮮の観光政策は1980年代に転換があったことがわかります。

すなはち、それ以前は観光を「浪費的」で「非生産的」なものだと否定的に捉えていた北朝鮮が、1980年代後半、一転して観光業を奨励し始めます。その目的として、自慢の「社会主義」を宣伝し、外貨獲得を図ることにあるとしたのです。

そして、1987年6月、一般の日本人観光客受け入れを正式に表明。同年9月には世界観光機関(World Tourism Organization)に加入。10月には第一陣の日本人観光客38名が訪朝しています。北京から空路で平壌に入り、開城、板門店、南浦を訪れる5泊6日のコースです。ただし、参加費用は39万8000円からと高額でした。

背景には、翌年のソウルオリンピック共同開催に向けた対外開放のアピールや日本との関係改善などがあったとされます。もっとも北朝鮮では、1950年代より「友好国」とされるソ連や東ドイツの親善訪問、75年からは在日朝鮮人の「祖国訪問」が行われていました。この国のインバウンドの歴史はそこそこ長いのです。

ところが、第一陣が訪朝した1か月後の87年11月、大韓航空機爆破事件が発生。89年10月まで日本人観光客受け入れは中断されます。当時から、期待がすぐにも失望に変わる、という事態を繰り返していたことがわかります。

それでも90年代に入り、いわゆる「金丸訪朝団」で日朝関係が好転したことから、日本人の北朝鮮観光はその後何度も中断と再開を繰り返ししつつ、2000年代初めまでそこそこの進展を遂げることになります。

以下は、同論文が取り上げている1990年代前半のトピックスです。

1991年6月/中外旅行社「日朝国交正常化直前限定ツアー」催行
     10月/全日空、日朝間にチャーター便運航(新潟・平壌)
     12月/JTB、初の北朝鮮ツアー催行
1995年4月/アントニオ猪木企画の「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」開催(3500人の日本人訪朝)

「多様化する北朝鮮観光とその問題点」(月刊国際観光情報2009年5月)では、1990年代半ば以降、さらに多様化が進む北朝鮮観光の進展と問題点を論じています。

以下は、「1990年代以降に顕著化した北朝鮮の観光事業に対する積極策」が見られるトピックスです。

1996年/日朝双方で北朝鮮専門旅行会社が設立し、ツアー料金の廉価化に寄与。
1996年9月/中ロ国境に近い羅津・先鋒を日本人観光団150名が戦後初めて訪れる。
1998年2月/新潟市で開催された「新潟・北東アジア経済会議」で北朝鮮側から観光宣伝を行う。
1999年/個人手配旅行解禁、北京経由より廉価な新潟空港発ウラジオストク経由の北朝鮮ツアー催行。清津への手配旅行が開放。
2000年10月/現代峨山主催の金剛山観光に日本人参加可能になる。
2002年6月/モランボンツーリスト、「一般家庭」へのホームステイ実現
         10万人規模のマスゲーム開催

ところが、その後、事態は変わります。北朝鮮の核開発もそうですが、「拉致問題」を彼らが認めたことが、日本の世論を大きく変えたことも影響していると思います。

2006年7月/外務省、北朝鮮「渡航自粛」勧告。

以後、渡航者は激減します。

こうして現在に至る北朝鮮観光ですが、同論文の後半では「問題点」として次の点を挙げています。

「団体で入国を申請し、ある特定の日本人だけが観光些少発給リストから省かれることがよく起きる。のみならず、日朝関係を反映して、全ての日本人観光客に対する一時的な入国制限も頻繁に行われる。出発直前、または出発後、経由地滞在中もしくは北朝鮮滞在中に突如として日程変更を強いられるケースも多い」。

「最も大きな懸念は観光客拘束の可能性である」。

これは、1999年12月、塩見孝也元日本赤軍議長とともに訪朝した元日本経済新聞社員杉嶋岑氏が「スパイ行為」をしたとの理由で当局に拘束。2年2か月後に解放されたことなどを指しています。

通常では考えられないことですが、こういうことが起こり得る国なのだというイメージは簡単にはぬぐえないものです。

こうしたことから、磯崎氏はこう結論しています。

「北朝鮮の観光政策は、行き当たりばったりの戦術レベルでしかない政治政策の従属物であるといえるが、現在においては、『体制護持』の一手段ともいえる外貨獲得政策、『実利の追求』に従属しながら、苦悩し、奔走している状態が続いている」。

キツイお言葉ですが、そのとおりというほかありません。

でも、それはいまに始まったことではないのです。

気長に考えるしかない、というのはそういうことです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-29 20:07 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 04月 29日

北朝鮮観光 事始め

「北朝鮮観光」というものが、今後どう動くのか。これは最近、ぼくがひそかに関心を寄せているテーマのひとつです。
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メディアで報じられる北朝鮮のふるまいは、手の付けられない悪童ぶりです。こんな国にまともな未来などないと多くの論者がみなしてきました。ほんの数年前まで、ぼく自身も朝鮮半島に対する関心をどのように持つべきかわかりませんでした。その気もなかったというのが正直なところでした。

中国とのようなひとの縁というのもない。新宿や池袋の在日華人コミュニティについてはゆえあって関心を持ち続けてきたけれど、新大久保には足を運ぶ理由が思いつきませんでした。在日や総連の問題も、ほとんど興味がなかった。これらのことが自分に関わる問題だとは感じられなかったからでしょう。

ところが、2012年夏、知人のとりはからいで、北朝鮮咸鏡北道の羅先に入ることになりました。10年ぶりの日本観光団ということでした。これまで日本で唯一の中国東北三省を扱う旅行ガイドブックの取材という名目で、中国側から朝鮮国境沿いの風景を鴨緑江や図們江越しに、また遊覧ボートに乗って眺めてきましたが(中朝国境最新事情)、ついに入国を果たすことができたのでした。その年ぼくは、北朝鮮入国前に、ロシア極東地域のウラジオストクも訪ねていたので、国境を接する北東アジアの3カ国を同時に見ることができました。

初めて見た咸鏡北道の町は、ちょうど改革開放から間のない頃の中国のようでした(中国人たちは70年代の中国と似ているといいます)。先入観がなかったぶん、初めて訪ねた国として見るもの聞くもの、新鮮さをおぼえました。1980年代半ば、中国東北三省を初めて訪ね、日本統治時代のインフラが老朽化しながらも残された、高度経済成長以前の埃っぽい街並みを見たときの印象を思い出しました。いまの中国を毒している物質主義とは無縁の清々しい感じがしたのです。

朝鮮の人々が(といっても所詮外客を接遇する人たちでしかないのですが)思った以上に外国人慣れしていることも意外でした。「観光」といっても、それはお互いの利益の交換です。彼らの対応は、2000年代に本格化した欧米客や中国客の朝鮮観光の影響があるだろうし、近年途絶えたものの、1987年から2000年代半ばまで毎年千人規模とはいえ続いていた日本客の訪問という経験の蓄積もあったからに違いありません。外貨獲得の手段としてのインバウンド振興はこの国では一貫した政策で、わざわざ来た人間を不快にさせたところで、彼らにとって何の得もないのですから。

もっとも、先軍政治とインバウンド振興の相性は、誰が考えてもいいはずはありません。彼らが外客に提供する観光コンテンツは、あからさまで呆れるほどの政治的なプロパガンダばかり(それが逆に新鮮だったりするからたちが悪いというべきか)。基本的に自分たちの見せたいものしか見せようとはしません。一方、平壌と地方都市を結ぶ幹線道路の一部は、観光バスではなく軍事車両が走ることを優先しているせいか、アスファルトの板を並べただけですから、走行中は板の継ぎ目ごとにバスが跳ねること著しく、のんびり車窓の風景を眺める気分にはなれません。インフラ自体は万事そんなぐあいで、とうてい国際基準に達していないにもかかわらず、無理をして虚勢を張るような姿勢もたぶんに見られました。

それは確かに興ざめを引き起こすものですが、なぜそこまでしなければならないのだろうか……。そう思うと、彼らをばっさり断じたもの言いをすることに戸惑いをおぼえるのです。時折彼らが見せる素の表情にもほろっと感じ入ってしまいがちです。そういう心のスキマに付け入るのが彼らの狙いだと言われれば、それもそうなんでしょうけれど、そういう心の駆け引きなど無意味だと思えるだけの重い現実が、どんなに彼らが隠そうとしてもこの国にはありそうだということが、わずかな滞在期間でもだんだんわかってくるのです。いったいこれからどうするつもりなのだろうか……。そこに関与するつもりはないけれど、せめてこれから起こることを眺めてみようか、という気になってきたのでした。

こういう所詮よそごと的な感覚は、ヨーロッパの旅慣れたツーリストたちが、この“神秘”の国を訪ねる動機に近いといえるかもしれません。なにしろ彼らは安全保障上の直接の懸念がないだけに、気が楽なものでしょう。

一方、日本の場合は彼らとは事情が違います。よそごと的感覚ですまされるのか、という言い方もできるでしょう。でもね、そこまで気負うことはぼくにはとうていできないし、だからこそ、ある一定の距離を置きつつ、朝鮮半島の実情に対する見方が偏らないよう、足を運ぶことは必要ではないかと思ったのです。

ちょうど羅先入りした頃、知り合った年長の北朝鮮通の友人に「東アジアを理解するためには、北を知る必要がある」と言われたことが、結果的には大きかったといえます。数回訪ねた程度でわかったようなことをいうつもりはないけれど、北に触れることで、これまであまり考えてもみなかった北東アジアの歴史的因縁が少しだけわかるようになりました。なぜ朝鮮半島の人たちが、これほど「反日」で頭に血を上らせるかも、ある程度想像できるようになりました。わかったところで、溜息を吐くしかないのですが。

東アジアの2000年の歴史を振り返ると、朝鮮半島は目を覆いたくなるような不幸続きの連続だったといえます。すべては中国に隣接したことに起因している。そう言い切っていいと思います(まあ日本の影響がまったくなかったとまではいいませんが、朝鮮半島の人たちの自己都合による思い込みにあんまり無理して合わせてあげなくてもいいのではないかと思うのです)。半島だったため、彼らには逃げ場がなかったのです。もちろん、今日では彼らの体制に脅威を与えているのは、中国だけではありませんが、歴史的に考えると、すべてはそこに根があり、その境遇が彼らの独特ともいうべき民族的特徴をつくり出したと考えると、いろんなことがわかりやすくなると思います。

今日の北朝鮮にも、もし「体制護持」できなければ、中国に呑み込まれ、少数民族と同じ立場に貶められてしまうという強迫観念や重圧があるわけです。それゆえ、傍から見るとひとりよがりにしか見えないあがきを続け、周囲を呆れさせているともいえます。「主体思想」というのも、絶対中国には譲らないという無謀なまでに頑強に固められた自尊心からくる悲壮な決意表明ではないかと思えてきます。それも、これまで繰り返されてきた歴史の再現ということかもしれません。

こうした事情もあり、朝鮮半島の人たちが自分たちの歴史を直視することが苦手なのは無理もないと思います。

日本との関係も、朝鮮半島の人たちが考える大陸との圧倒的な力の上下関係(華夷秩序)を宿命的なものとして日本列島まで含めた延長線上で捉えているため、話が面倒になるのだと思います。こちらはそんな上下関係を持ち出されても関係ないよ、と思っているのに。彼らの不遇から生まれた「歴史観」を我々に押し付けられても無理というものです。そこは一線を敷くしかない。しかし、それを認めようとしないのが朝鮮半島の人たちでしょう(中国の人たちも同じかな)。

それでも、中朝関係においては、ケースにもよりますが、朝鮮半島の肩を持ちたい気もするんです。中国人にいわせると、中国は韓国と北朝鮮を左右の掌の上に乗せ、うまく手なずけたいだけ。これまでずっとそうだったように。そういう偉そうな口ぶりを耳にする以上、判官びいきは日本人の好みにあっていると思うからです。少なくとも、ぼくはそのように考えるようになりました(これについては異論反論がありそうですね)。

これまであまり熱心に目を通してこなかった北朝鮮に関する書籍を少しずつ読み始めています。90年代以降はさすがに気恥ずかしくなるような北礼賛は見られないものの、それ以外は、人情派にしてもアラ探し派にしても、昔ながらのネタが勝負のアジア小話ばかり。むしろ最近面白いと思うのは、若手の北朝鮮研究者のクールな視点に基づく論考や、実際に80年代後半から日本人の北朝鮮観光の手配に携わってきた旅行業者たちの証言、さらに戦前期の朝鮮観光に関する資料などです。とりわけ戦前の資料を読んでいると、当時どれほど多くの日本人が金剛山を愛でていたかを知ることができ、新鮮さと同時に、未来への希望につながらないか、と思えてきます。

自分のようなフィールドワーク好きの編集者にできるのは、旅はエンターテインメントであるという、いささか平和ボケした島国の住人らしく、その地になるべく足を運び、当地の現象面に直接触れ、少しばかり社会学的に(斜に構えて)見つめてみようと思うことくらいです。そのためには、なんとか定期的にかの地に足を運んでみたい。ぼくが夢想しているのは、1930年代に北東アジアで実現しかけていたモダンツーリズムの再来です。1945年、それがいったん崩壊したとはいえ、今後時代を変えて、望むらくはお互い対等な関係で再現する日を夢見て、現地の観光素材に関する情報を集めて、気長に下準備しておこう。そんなことを考えているのです。

はてさて、こちらがそう思い立っても、かの国はそんなあやしげな人間を受け入れてくれるかどうか、わかりません。時局や情勢にもよるでしょう。でも、これがぼくの「北朝鮮観光 事始め」だった以上、仕方がないことなのです。
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元山の海水浴場で見かけた焼き肉パーティに興じる朝鮮の人たち(2013年8月撮影)
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by sanyo-kansatu | 2014-04-29 19:51 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 04月 13日

ラオスと北朝鮮の国章はよく似ているけれど……

国章(ナショナル・エンブレム)とは、国家を象徴する紋章や徽章のことで、その国の歴史や風土、政治、文化などを表現しているといいます。一般に国旗よりもデザインが複雑で、英国のライオンやドイツの鷲のように、動物をメインモチーフとして描くこともあります。

2013年8月、ぼくは縁あってラオスと北朝鮮を訪ねたのですが、そこで発見したのは両国の国章がよく似ていることでした。

上がラオス、下が北朝鮮の国章です。
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ラオスの国章には、中央に黄金のパゴダがあり、その他の図柄のモチーフは水力ダムや道路、動力などの近代産業技術と、水田や穀物など農業に関係したものです。

北朝鮮の国章も、中央には「紅星」が掲げられていますが、その他の図柄のモチーフは水力ダムと穀物です。背後に見える白い山並みは白頭山のようです。

図柄が似ているのは、両国ともに社会主義国家であるという思想背景によるのでしょうが、特にラオスでは政府関係の建物には必ずといっていいほど国章が描かれているので、目に焼き付いてしまいました。
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いくつか撮影したのですが、よく見ると、色の描き方など手抜き(?)バージョンもあるようです。それでも、ラオスの国章は、国柄によく合っていると思いました。

今回あらためて思ったのは、両国はともに中国と国境を接する小国家であるにも関わらず、中国に対する姿勢や関係性はずいぶん違うように見えることです。

地方都市を走る道路などのインフラ建設は、両国ともに中国の投資に頼って進められています。とりわけラオス北部はほとんど中国のフリーハンドで開発が進められているようだったのが印象に残りました。北朝鮮でも、東北部の羅先地区の自動車道路は、港湾施設を中国に提供することを条件に、中国につくらせていました。今年の粛清騒動でその先どうなるかわからなくなりましたけれど。

ちなみに、両国について簡単に記しておきます(外務省HPより)。

●ラオス
面積:4万平方キロメートル
人口:約651万人(2012年,ラオス統計局)
GDP(名目):72兆7,274億キープ(約91億米ドル)(2012年,ラオス統計局)
主要援助国
(1)日本(2)オーストラリア(3)韓国(4)ドイツ(5)スイス(2010年,OECD/DAC)
※中国がラオスに対して行った道路建設や経済開発区の投資は、政府援助ではないため、ここには入らないのでしょうが、実際にはラオス社会への影響力は、断然中国が大きいといえそうです。

●北朝鮮
面積:12万余平方キロメートル(朝鮮半島全体の55%)(日本の33%に相当)
人口:約2,405万人(2009年10月,国連人口基金)

こうしてみると、ラオス一国ですら、中国の地方都市の人口規模にすぎないことがわかります。こういう小さな国が中国と対等に渡り合うなんてありえないのは無理もないでしょう。それを考えると、ある意味北朝鮮はすごいもんだと思ってしまいます。

最後に、インドシナ諸国の国章を挙げてみます。それぞれ違うのはもちろんですが、中国との距離感が図柄に微妙に反映されているように見えるところが面白いです。これらと比べると、いかにラオスと北朝鮮の国章が似ているか、わかっていただけると思います。
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ベトナム
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カンボジア
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 12:34 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 04月 10日

北朝鮮のナイトライフ~地元ガイドがカラオケで歌った意外な曲は?

以前、2013年夏に出かけた北朝鮮旅行5泊6日、計14回の食事の内容を公開しましたが、その続編として食事の後のナイトライフ、お酒の話を書いてみようと思います。

とはいえ、入国以降はガイド付きでなければ自由行動できないこの国では、夜の街に勝手に繰り出そうなんてこと、基本的にはできません。仕方がないので、まずはホテルの中で探すことにしましょう。
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平壌に来た外国人がたいてい最初に宿泊することになる高麗ホテルの1階ロビーには、ビヤホールがあります。真っ赤な制服に身を包んだ女性服務員がジョッキを運んでくれます。ここには、一般の平壌市民は入れないはずですが、外客接遇の仕事や海外との貿易を営む、この国では特別の階層と思われる地元の人たちもいます。目の前にいるのは、ロシア人でした。

ホテルの地下にはカラオケもあります。2006年の対北制裁以降、めっきり数が減ったものの、以前は上客として優遇された日本人がこの店を多く利用したことを物語るように、日本語のカラオケメニューも、新しくはありませんが、一応揃っています。
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ただおかしいのは、カラオケのビデオを見ると、日本の曲なのにバックの映像は平壌市内の凱旋門が映っていたりします。これはこれで、なかなか不思議な気分にさせてくれます。
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たまたまニュージーランド人の男性客と朝鮮の英語ガイドたちのグループも来ていて、欧米のポップスなどを歌っていました。そのうち、まだ20代半ばくらいに見える朝鮮の女性ガイドが、マドンナの『ライク・ア・バージン』を軽快に歌い始めました。
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歌詞の意味を考えると、こんなハレンチな(!?)歌をこの国の若い女性が歌って大丈夫なの? と思わないではありません。それとも、外国帰りの新しい領袖のことを思えば、いまどきの北朝鮮の若者にとっては、この程度のこと、たいしたことではないのか。まあ、所詮マドンナですし、ずいぶん昔の曲です。彼女の歌う姿を見ながら、改革開放からまだ間のない1980年代の中国でも似たような場面があったことを思い出したのですが、それは一応同時代の音楽だったといえるわけで。いまの北朝鮮の開放度はようやくその段階に至ろうとしているのかどうかはなんとも言えません。それに外客を接遇するのが職業である彼女は一般市民と同じ感覚とはいえないでしょうから。

さて、場所は変わって、金剛山ホテルにて。
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一時期は韓国客でにぎわっていたこのホテルも閑散としていました。1階ロビーのバーでは韓国の「Hite」のビールサーバーがあったのですが、出てきたのは朝鮮の瓶ビールでした。

面白かったのは、最上階のカラオケスナックです。地方の観光地となると、外国人はホテルの外に出ることができない以上に、気の利いた場所などあるとは思えません。ホテル内で過ごすしかありませんが、それも悪くはないものだと思いました。
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エレベーターで最上階に上がると、店は真っ暗でした。はたして営業しているのかと訝しながら扉を開けると、カウンターの周囲だけぼんやり明かりが点いていて、ふたりの女性が現れました。
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彼女たちには中国語も英語も通じませんでした。2001年頃、韓国から船で金剛山入りするツアーに参加した日本の友人の話では、外客を接遇するのは、北朝鮮人ではなく中国の延辺出身の朝鮮族たちだったと聞いたことがあります(おそらく当時は南北の一般国民を接触させたくないと北側が考えていたからではないかと思われます)。

地元の出身かどうかは定かではありませんが、外客向けに専門的に教育されたとは思えない女性たちでした。実をいうと、ひとりの男が一時ドアの外からガラス越しに監視していることに気がつきましたが、こちらも見られて困ることをしているわけでなし。しばらくすると、男はいなくなりました。

言葉が通じないというのも、たまには楽しいものです。ハングルが読めないので、メニューを見せられても、何を注文していいのかわからない。どんなお酒があるか見せてよ、と手ぶり身ぶりで伝えると、気さくな彼女たちは、テーブルの上に朝鮮焼酎を気前よく並べてみせてくれたのです。けっこう種類があるんですよ。
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焼酎の材料も高粱だけでなく、どんぐりとかいろいろですし、マツタケとか薬草のエキスを入れたタイプもあります。
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ほかにも、日本のウィスキーや洋酒、ワインなども置いてありました。こういうの誰が飲むんでしょう。
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実は彼女、ぼくがスマホで写真を撮っていることに気づいていないんです。カメラだったらバレたに違いありませんが、よくわからなかったみたいです。

そこは場末感たっぷりの世界でした。しかし、この国の管理された「観光」では、ガイド抜きで朝鮮の女性と素の交流ができる機会は少ないだけに、面白かったです。

さて、こんな写真を並べていては、まるで北朝鮮で毎晩飲み歩いてばかりいたみたいですが、これで最後です。平壌に戻って、ホテルの外のカラオケに行ったときの写真です。

これが実現するためには、事前に我々のグループの担当女性ガイドさんに根回ししておくことが必要でした。たいしたことではありませんが、前日くらいから、最後の夜はホテルの外のカラオケに行きたいから連れていって、とお願いしていたのです。
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さて、これがそのカラオケ店の入り口です。基本的に、平壌の夜はネオンも少なく暗いので、いかにもあやしげな雰囲気にも見えますが、店内はわりとふつうです。
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これはカラオケルームが空くまでの時間を過ごす待合室。ここで軽く一杯できます。
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待合室に置かれていた朝鮮の酒です。ずいぶん種類が多くて、驚きました。
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これがカラオケルームです。席に着くと、ノリのいいふたりの女の子が突然現れて、歌のセッティングをしてくれるのはもちろんですが、歌謡ショーのように本人たちが歌い出したり、客の手をとって一緒に踊り出したり、なにかと場を盛り上げようとしてくれます。あっけにとられたというか、拍子抜けしました。この国の昼と夜の落差はどうしたものか、と思わざるを得ません。まあそんな辛気臭いことを言っても仕方ありませんけど。

10年ぶりに平壌に来たという日本人によると、「当時のカラオケクラブでは、こんな軽いノリの子ではなく、絶世の美女がチマチョゴリで接遇してくれた。ちょっとガッカリ」とか。もしかしたら、その手の美女は日本人よりはるかに訪朝数の多い中国客や欧米客の行く店に移ってしまったのではないか、などと事情通なことをいう人もいました。残念です。

楽しかったのは、滞在中ずっと同行してくれた女性ガイドさんと一緒に日本の曲を歌ったことでしょうか。ガイドさんは30歳。独身だそうです。ちなみに、彼女が歌ったのは、90年代のスピッツの曲『渚』でした。こういう選曲がどうして出てきたのかわかりませんが、先ほどのマドンナを歌った英語ガイドの子に比べれば、外国の歌をよく知っているなあとひとまず感心しておいてよさそうです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-10 11:58 | 朝鮮観光のしおり | Comments(6)