ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:朝鮮観光のしおり( 74 )


2013年 03月 20日

羅先で見かけた北朝鮮の人たち 前編(接待役)

2012年6月下旬、ぼくは北朝鮮の羅先に行きました。そのレポートは以前ある雑誌にも書きましたが、ここでは現地で見かけた北朝鮮の人たちのスナップを紹介します。
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昨年秋以降の核実験騒動で状況が一変してしまった北朝鮮情勢ですが、ぼくら7名の「日本人観光団」が羅先に入るのは10数年ぶりとのことで、接待役の北朝鮮の担当者はとてもフレンドリーでした。直接市民に触れる市場などを除けば、こちらのリクエストする場所にはほぼ案内してくれます。写真の撮影に関しても、もうひとりいた朝鮮旅行社から派遣されたガイド氏が車窓からの撮影について神経質なまでにNGを告げてくるのに対し、接待役の彼は「大丈夫です。どうぞ撮ってください」と鷹揚な対応ぶりでガイド氏を制してくれたので、比較的自由にシャッターを切ることができました。

1泊2日のわずかな時間で撮られた数百枚の写真の中で、北朝鮮の民間人が写り込んでいるものを並べてみると、あることに気が付きました。それは考えてみれば当たり前のことなのですが、外国人を接待する仕事をしている人たちほど、我々に近い場所にいて、被写体としても寄った写真が撮れています。彼らは外国人を接遇するために選ばれたある意味特別な人たちだと思われます。

一方、一般の民間人には話しかけたりするチャンスはないため、大半は通りすがりの市民を少し遠目から押さえた写真ばかりです。それでも、羅先という中ロ国境に接した経済開発特区(名ばかりという気もしますが、内部の貧困地区に比べると、格段に生活環境はいいと考えられます)で見かけた北朝鮮の普通の人たちの姿であることは確かです。

まずは接待の仕事をする人たちから。撮影は佐藤憲一さんです。

①羅先劇場歌謡ショーの少年少女たち
実は、この子たちと間近に接することができるとは思っていなかったのですが、ショーが終わると同時に、観客席から中国人のおばさんたちが一斉にステージに駆け上がり、北朝鮮の子供たちを抱き上げ、記念撮影を始めたため、ぼくらもその機に乗じて写真を撮った次第です。おしろいを塗りたくられた子供たちの表情は、いたいけというよりどこかうつろで、何かを演じきろうとしているように見えてしまいます。まぎれもなく、この子たちこそ、北朝鮮を代表する強力な接待要員といえるでしょう。
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②国際商品展示会の売り子たち
みなさん派手なチマチョゴリを着飾った若い女性ばかりです。外国人の接客にも慣れていて、気さくな対応ぶりが印象に残りました。
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③羅先劇場の観光客相手のサービス要員
羅津市街地を一望にできる高台にある羅先劇場では、毎日夕刻になると、この地区を訪れた外国人観光客が全員集められ、少年少女の歓迎ショーを観ることになります。そのサービス要員(朝鮮旅行社のスタッフ)も大半が若い女性で、チマチョゴリを着ています。外国人観光客はここで金日成主席にご挨拶するというのがお約束のようで、その肖像画をバックに記念撮影するというのもツアーの行程に組み込まれています。シャッター役になるのが彼女たちです。
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④エンペラーホテル&カジノの服務員
香港資本のエンペラーホテル&カジノでも、北朝鮮の若い女性が服務員として働いています。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-20 14:27 | 朝鮮観光のしおり | Comments(3)
2012年 12月 30日

北朝鮮 羅先観光の現在

「週刊東洋経済」に書いた北朝鮮・羅先(羅津・先鋒)経済貿易特区訪問記(2012年6月下旬)の補足情報。その2。

今回参加した朝鮮国際旅行社による延辺発羅先行き1泊2日ツアーの訪問地は以下のとおり。基本的に中国人客も我々その他外国人も同じルートをたどることになる(中国のマイカー軍団も同じルートを自家用車で走る)。

【1日目】
●国際商品展示会(北朝鮮産品の外国人観光客向け臨時販売所となっている。常時開かれているわけではない。日本海の蟹や昆布などの海産物、地酒、工芸品、平壌医科大学の漢方薬のブースあり)

●金日成花温室(ベコニアを改良した金日成花の植物園)

●羅津駅(1935年開通。ただし、車で駅舎の前を通り過ぎるだけ。正面に金日成の肖像画あり)

●羅津港(1936年開港。3つの埠頭がある。ここ数年、中国は石炭2万トンを上海に向けて数回積み出したが、羅先市内の道路事情や中朝間の鉄道輸送に支障があり、今春以来再開されていない)

●羅先市美術展覧館(朝鮮労働党のプロパガンダポスターや風景画などを展示販売)

●外国文書店(外国人向けに朝鮮事情を紹介する書籍や地図類を販売。日本語版もある)

●南山旅館(旧羅津ヤマトホテル。1939年開業。昭和モダンの風格)

●羅先劇場(地元少年少女による歓迎の舞踊公演。公演前には金日成主席の前でお約束の記念撮影がある。その日、羅先を訪問した外国客約400名全員が集められた。大半が中国人で日本人以外はフランス人グループのみ)

●琵琶旅館(宿泊先。以前金日成・正日親子が別荘とした客室あり)

【2日目】
●エンペラーホテル&カジノ(香港資本で99年開業。2004年延辺の地方政府幹部が公金を使い果たす事件が発生。カジノが一時撤去されたが、07年再開。顧客の99%は中国人。従業員の多くは北朝鮮人だが、一般人民は入館禁止。ミャンマーやベトナムの国境地帯にある中国人専用カジノと同様の存在のようだ) 

●琵琶島遊覧船クルーズ(オットセイの棲息地へ。遼寧省から来た中国団体客と同乗)

●琵琶島海水浴場(夏場に極東から訪れるロシア庶民向けリゾート地)

短い日程だったが、いくつかの発見があった。1987年に解禁された北朝鮮観光の当時の様子について、作家の関川夏央は「銅像やら革命史跡やらがある点から点へと『団体旅行』で引きまわされる」(『退屈な迷宮-「北朝鮮」とは何だったのか』(1992))と書いているが、今回そのような場所には行かなかった。なにしろ金日成率いる朝鮮人民解放軍上陸を記念した先鋒革命事績館が国際商品展示会に転用されていたほど。現在、先鋒に中国資本の観光客向けショッピングセンターが建設中だ。

朝鮮戦争や古代史をめぐる中朝の歴史観の確執から、中国客は北朝鮮側の展示を好まない(中国側の旅行業者の話)というが、革命史跡をあえて外すという北朝鮮ツアーの変質は、97年以降海外旅行が解禁された中国人の大量入国の影響もあるのではなかろうか。

その数、年間2万人という(あくまで観光客。ビジネス渡航は別)。実は、ヨーロッパからの観光客もほぼ同じ数だけいるらしい(これは後日、北京の高麗旅行社に確認したところ、誤りと判明。ヨーロッパ客は年間約4000人とのこと)。

なにしろヨーロッパの大半の国は北朝鮮と国交を結んでいる。主要国で結んでいないのは日本とアメリカくらいか。北京にある英国人経営の旅行会社が催行するツアーが人気だという。やはりヨーロッパからみると、安全保障は現実問題として遠い話であり、純粋にツーリズムの観点から「神秘の国」というイメージがあるのだろう。この点については、今度調べてみたい。

前書記の死去にともなう政権交代を機に、2012年上半期において多くの日本のメディアが北朝鮮入りを促され、平壌を中心とした同国の改革開放の進展ぶりを報道したが、ミサイル発射騒動で事態は逆戻りするのか。今後の成り行きが気になるところだ。

上から国際商品展示会、中国人マイカー軍団、金日成花温室、羅津駅、羅津港、羅先市美術展覧館、外国文書店、南山旅館、羅先劇場前の記念撮影、舞踊ショーと終演後、舞台に乱入する中国人観光客、琵琶旅館、琵琶島遊覧船クルーズ、エンペラーホテル&カジノ、琵琶島海水浴場。撮影は佐藤憲一さんです。
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by sanyo-kansatu | 2012-12-30 06:41 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2012年 12月 30日

羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口

「週刊東洋経済」に書いた北朝鮮・羅先(羅津・先鋒)経済貿易特区訪問記(2012年6月下旬)の補足情報。その1。
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羅津駅

羅先は1930年代半ば、満州事変後の日本が開発した港町だ。対ソ戦を意識した軍部と経済効率性を重視した満鉄が主導した新京(長春)や北満を北朝鮮東海岸経由で日本と結ぶ「日満最短ルート」の玄関口としてにぎわった。

「日満最短ルート」の提唱者には古くは内藤湖南がおり、満州国建国後は石原莞爾もそう。

日本が「間島」に進出したのは日露戦争後、いわゆる「間島協約」で延辺=「間島」の帰属問題(清か大韓帝国か)の調停をロシアに代わって介入したことに始まる。その後、日韓併合を経て、「間島」と日本をつなぐ玄関口となる清津港を開港させ、1917年に敦賀・清津間を平壌丸が就航している。 

当時、「間島」と清津をつないだのは天図軽便鉄道。日本は本格的な鉄道敷設を企図するが、「関島」では在住朝鮮人による反対の動き(大韓国復興に障害を来たすとの主張から)があり、敷設交渉が難航する。結局、満州事変以後、満鉄と軍はフリーハンドで吉会鉄道(吉林・会寧)を開通させ、そこから羅津港につなげる雄羅鉄道(雄基=先鋒・羅津)を敷設した。羅津港開港は1936年。

「日満最短ルート」が実質機能したのは1945年までの数年間にすぎないが、同誌にも書いたように、日本の敗戦後、70年間何も変わらなかったこの町に残っていたのは、ソ連のプラントと香港のカジノを除けば、日本時代に投資されたインフラだったことがわかる。その再活用にはまだ時間がかかりそうだ。

上から、1935年開通の雄羅線(雄基・羅津)の現在、南山旅館(旧ヤマトホテル)、羅津港、先鋒の町、中朝を結ぶ圏河橋(1937年竣工。2010年に改修され現在の姿に)。撮影は佐藤憲一さん。
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by sanyo-kansatu | 2012-12-30 05:51 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2012年 12月 29日

高級車を連ねて経済特区を爆走 中国の観光客と北朝鮮に行ってみた(「週刊東洋経済」2012.9.29号)

b0235153_2111215.jpg6月下旬、中国吉林省の延吉(延辺朝鮮族自治州)を起点に、北朝鮮咸鏡北道の羅先を訪ねた。

 
中朝国境の陸の出入国ゲートとして丹東(遼寧賞)に次ぐ存在である圏河の税関は、日本海に近い図們江下流の琿春市にある。そこで筆者が見たのは、自家用車が何十台も列をなす渋滞だった。周辺は集落さえない中国最辺境のどんづまりで、最初は何事かと思ったが、後に中国人観光客の一行とわかった。

北朝鮮側に入ると、そこは海外資本に開かれた羅先(羅津、先鋒)経済亜貿易特区という地帯だ。ここでは1996年から外国人旅行客を受け入れているが、今年から朝鮮国際旅行社の手配する団体バスではなく、新しいツアー形態としてマイカーでのドライブ旅行が採用されたのだ。

図們江を渡り、北朝鮮側で入国手続きを済ませると、接待役(監視役)が現れた。筆者ら「日本人観光団」は従来どおりバスに乗せられた。

農村の1本道を約45分走ると、先鋒の町が見えた。表通りは積み木のような団地、その裏手に朝鮮家屋が続く。街中はこぎれいで清掃が行き届いている。行き交う車はない。

土ぼこりを上げつつバスを抜き去ったのは、20数台からなる中国マイカー軍団だった。その後、筆者らは終始彼らの後を追うことになる。訪問地は基本的に同じだからだ。


最初に案内されたのは先鋒の国際商品展示会。北朝鮮産品の販売所だ。日本海のカニや昆布などの海産物、地酒、工芸品、平壌医科大学の漢方薬のブースもある。陳列された商品の質や会場のそっけない雰囲気は、中国の80年代改革開放初期の商品展覧会を思い起させた。販売員はその頃の中国女性に似て清楚な印象だが、派手なチマチョゴリに身を包み、外国人の接客にずいぶん慣れていた。

北朝鮮観光ではお約束の、地元少年少女による歓迎の舞踊公演もあった。その日の晩には、羅先を訪問中の外国人約400名が羅先劇場に集められた。わずかの日本人とフランス人を除けば、みな中国人だ。

道路を改修したのも走るのも中国人

外国へのドライブ旅行という新趣向は、中国の中間層の嗜好にマッチしている。今回出会ったのは遼寧省瀋陽からのグループだが、彼らは自慢の高級外車で中国内の高速道路を約8時間走った後、北朝鮮に入国した。そこから羅津港までは50数キロの一本道。ドライブとしては、さぞ物足りなかったことだろう。

国境から羅津港までの道路は、日本海へのアクセスを手に入れたい中国が改修した。北朝鮮は特区のインフラを中国に無償で作らせているが、その道路をわが物顔で走るのもまた中国人。この構図は、今の両国の関係を表している。

中国人ツアー客にとって北朝鮮は「文化大革命が終わった頃のよう」と過去を振り返り、自国の経済成長を実感、自尊心を満たすには格好の場所である。高級車の団体旅行などは大幹部の来訪でもなければありえない。それを一般の中国人が楽しむ姿には、強い無力感を覚えるに違いない。それはまさに30年前、中国人が味わった思いでもあるのだが。

翌日は朝から雨。当初朝ロ国境の豆満江駅に行く予定だったが、ロシア方面から市内に至る道路は舗装されていない悪路のため断念。代わりに香港資本で99年に開業したエンペラーホテル&カジノを訪ねた。

2004年に延辺の地方政府幹部がここで公金を使い果たす事件が発生。一時カジノは撤去されたが、07年に再開された。顧客の99%は中国人。従業員の多くは北朝鮮人だが、一般人民は入館禁止だ。ミャンマーやベトナムの国境地帯にある中国人専用カジノと同様の存在だが、館内は閑散としていた。

この地域の問題は、インフラの絶対的な立ち遅れである。今回の羅先滞在中、日中はずっとどこも停電だった。日本統治下の36年に開港された羅津港からは、近年中国企業が上海に向けて石炭を数回積み出した。だが、市内の道路や中朝間の鉄道輸送に支障があり、今春を最後に再開されていない。

羅先へのドライブ旅行に参加したことがある延吉在住の朝鮮族ビジネスマンは、「羅先は1930年代からまったく変わっていません」と言う。日本の敗戦後に新しくできたのは、地元の発展に直接つながらないソ連製の化学プラントとカジノだけ。日本時代に投資された港湾施設や鉄道などのインフラは老朽化するに任されており、中朝が今進めているのはその再活用なのである。

中国という投資者を得て、北朝鮮はゆっくりと開放に向けて動いている。だが、高句麗の時代から続く長い不信の歴史があるだけに、北朝鮮が中国に向ける視線は複雑だ。そこにロシアの思惑も絡む。この地域の先行きを占うのは簡単ではない。

「週刊東洋経済」2012.9.29号より

上から、圏河イミグレ-ション、中国人マイカードライブ、地元少年少女による舞踊公演、、羅津港、エンペラーホテル&カジノ、勝利化学工場

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by sanyo-kansatu | 2012-12-29 21:00 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)