ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:日本に一番近いヨーロッパの話( 67 )


2017年 09月 28日

日本時代の記憶が懐かしいサハリンで購入した写真集

今年6月、サハリンに行った話を知り合いや友人にしたら、ご両親や祖父母、親戚が樺太に住んでいたという人が何人かいました。

現地で購入したこの本は、日本時代と現代の同じ場所の写真を見開きごとに並べた写真集です。ぼく自身はロシア語に不自由しているので、よくわからないところもあるのですが、当時の記憶のある方に見せたらきっと懐かしく思うのではないでしょうか。
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この写真集の話をサハリン在住の日本の方にしたところ、「2010年頃に発行された、樺太時代やソ連時代の1950年代あたりの写真に現在の写真を並べたというモノはみたことがあります。『ソ連時代』といっても、1950年代であれば、樺太時代の最後の時期とそれほど変わらない程度に古いわけで、現在とはかなり様子が違うことに驚きます」とのこと。

「当時を知る日本人によると、樺太時代には集落があったのに、現在では路傍に“ソ連化”以降の地名の標識があるばかりという場所も多いです。

これは考えてみれば、“50度線”以南で人口40万人だった昭和10年代の状態が、今日以北も含めて40数万人と人口密度が昔に比べてかなり低くなっているので無理のないことだと思います」。

写真集のページを少しめくってみましょう。

これは旧王子豊原製紙工場です。工場の前に大量の材木が並べられています。
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これは旧豊原駅です。現在のユジノサハリンスク駅のビルがある場所とは違い、駅に向かって若干右手にあったそうです。
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当時の日本人が通った学校の写真もいくつかあります。
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この写真集を眺めていると、中国東北地方、すなはち満洲国と呼ばれた時代の日本人の暮らしや建築を収めた写真集が、日本と中国で大量に発行されていたことを思い出します。本ブログでも、そのほんの一部にすぎませんが、当時の日本とゆかりのある場所を紹介しています。

これが母校だったら、懐かしさもひとしおだろう【昭和のフォルム 大連◆校舎①】
http://inbound.exblog.jp/20556683/
大連の女学校の最後の同窓会が開かれたそうです【昭和のフォルム 大連◆校舎②】
http://inbound.exblog.jp/20566915/
自分の故郷が永遠に失われたという感覚【昭和のフォルム 大連◆校舎③】
http://inbound.exblog.jp/20573243/
当時こんなにいろいろあった専門学校【昭和のフォルム 大連◆校舎④】
http://inbound.exblog.jp/20573887/

中国東北地方の場合、日本人が多く訪れるようになったのは、日中国交回復後、中国で改革開放が始まった1980年代半ば以降ですが、樺太の場合は、ソ連崩壊後の1990年代以降です。今回サハリンを訪ね、日本の関係者らと話をしていると、90年代以降、多くの日本人が樺太時代の記憶を求めてサハリンを訪れていたことをあらためて知りました。

中国で発行されたこの種の写真集の背後に政治的な意図が感じられるのに対し(なぜなら、その多くは日本語だからです)、サハリンで発行されたこの写真集は、ロシア人自身のためにつくられたものだと思われます。デザインからもそうですが、懐旧の念に温もりを感じるからです。

奥付をみると、この写真集は今年出版されたばかりのようで、まだあまり知られていないと思います。もしご興味のある方がいたら、お貸しします。そのほうがきっと役立つでしょう。ご連絡ください。そして、写真の場所が現在のどこであるかなど、教えていただけるとうれしいです。
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by sanyo-kansatu | 2017-09-28 09:32 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 19日

サハリンの子供たちが元気な理由-「ロシア唯一の無借金州」の子育て支援事情

サハリンでは、子供たちが外で元気に遊んでいる姿をよく見かけました。

街角で遊ぶ子供の姿に癒されるといった体験は、もともとアジアなどの発展途上国の話でした。ところが、最近は経済発展によってビルばかりが建ち、子供が安心して遊べる場所は激減。塾通いの子供たちばかりが増えてしまいました。その先駆けは日本だったわけで、それをどうこう言っても仕方がないのですが、それだけにサハリンで見た光景は新鮮でした。

ノグリキの町は子供だらけでビックリ!? 外でのびのび遊ぶ姿がうらやましい
http://inbound.exblog.jp/27122630/

以下は、サハリン各地で出会った子供たちのスナップです。
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↑ホルムスクの旧真岡王子製紙工場廃墟に現れたふたりの少年

廃墟の中で出会った少年たち~旧真岡王子製紙工場廃墟を歩く
http://inbound.exblog.jp/27113113/
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↑ホルムスクの仲良し小学生たち
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↑ホルムスクの海浜公園で会ったネコ耳の少女ふたり
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↑コルサコフの展望台にいた悪ガキ3人組?
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↑ノグリキの自転車少女たち

サハリンの町にはたいていどこでも博物館があるのですが、訪ねると、必ずといっていいほど、地元の子供たちが見学学習しています。
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↑ノグリキ郷土博物館にて

ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち
http://inbound.exblog.jp/27122360/
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↑ユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館にて

町ではベビーカーを押しているママさんの姿もよく見かけます。
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↑ユジノサハリンスクにて
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↑コルサコフにて

どんな小さな町にも真新しい遊具があります。
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たいてい集合住宅の間に設けられた広場にあります。
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「サハリンには子供が多い」という見聞は、今年7月の「ビザなし交流」で北方四島を訪ねた朝日新聞の記者も指摘しています。

北方領土、活性化へ期待感 ビザなし交流(朝日新聞2017年7月14日)
http://www.asahi.com/articles/DA3S13035454.html

(一部抜粋)査証や旅券なしで行き来する「ビザなし交流」事業は開始から26年目。元島民や国会議員、政府関係者ら61人の訪問団は北海道・根室港を6日夕に発ち、約3時間後にまず国後島に着いた。

国後島の人口は約8千人で、四島の中で最も多い。7日、市街地の古釜布(ふるかまっぷ)では、ベビーカーを押したり子どもの手を引いたりして歩く母親の姿が目立った。「過疎化、高齢化」というイメージとは違い、インフラ整備が進む島はいま「ベビーブーム」だという。

視察先の一つ、島内最大の幼稚園で、園長代行のエリビラ・ブラスラフツェクさん(46)が子育て世代が増える背景を説明してくれた。「この10年ほどで生活が良くなり、将来に対する不安がなくなった。(ロシア)連邦の施策で2人目の子どもが生まれると一時支援金、3人目の時にはサハリンの土地が与えられる」

島にはロシア軍基地があり、本土から赴任してそのまま定住する若い軍人もいる。待機児童問題が深刻で、定員110人のこの幼稚園は150人を受け入れている。古釜布では、150人規模の幼稚園が9月に開園するという。


サハリンは本当に「ベビーブーム」なのでしょうか? どうしてそうなったのか?

現地在住の日本人関係者によると「サハリン州の最大の悩みは人口減。少子高齢化もあるが、人口流出も問題」といいます。「もともとサハリンは“ソ連化”以降にロシア各地から集められた人たちとその後裔に相当する人たちが多く住んでいる地域でしたから、ソ連崩壊後の1990年代から2000年代の初めには、自身やその一族の住む地域へ移住する人たちは多かったのです」。

現在のサハリン州の人口は約48万人です。2000年頃は約60万人だったことからすれば、相当減っているのです。下記の統計をみると、ほとんどの地区で減少していることがわかります。

サハリン州地域別人口(2016/17)
Оценка численности населения в разрезе муниципальных образований
по состоянию на 01.01.2017 года и среднегодовая за 2016 год
http://sakhalinstat.gks.ru/wps/wcm/connect/rosstat_ts/sakhalinstat/resources/23aa2e0044e3e698acaded20d5236cbc/%D0%A7%D0%B8%D1%81%D0%BB%D0%B5%D0%BD%D0%BD%D0%BE%D1%81%D1%82%D1%8C+%D0%BD%D0%B0+%D0%BD%D0%B0%D1%87%D0%B0%D0%BB%D0%BE+%D0%B3%D0%BE%D0%B4%D0%B0+%D0%BF%D0%BE+%D0%9C%D0%9E.htm

その一方、ユジノサハリンスクやコルサコフ、アニワでは増えていますし、クリル諸島も微増なので、前述の朝日新聞の記者がいう「ベビーブーム」という印象も生まれたのかもしれません。ただし、クリル諸島の場合は、同じサハリン州でも、連邦政府の施策の影響が強そうです。

実際、ユジノサハリンスクは20万人を超え、郊外でマンション建設も始まっています。人口の南部への集中が起きているのです。

こうしたなか、サハリン州では子育て支援に力を入れています。前述の関係者によると、先ごろユジノサハリンスクで行われた「建都135年」パレードでも、重点施策として「子どもを豊かに育む」という内容が謳われていたそうです。町の至る場所に公園や遊具があるのも、そのためです。

サハリン州政府のエレーナ・カシャノワ社会保障担当大臣は「子ども1人につき、月額2551ルーブル(約5000円)給付」「3人目以上の子どもがいる家庭で住宅を取得する場合、取得価格の半額以内で200万ルーブルを超えない範囲の支援」と地元メディアに答えているそうです。ロシアの1人当たりのGDPは決して高いとはいえませんから(日本の4分の1ほど)、それなりに手厚い支援といえそうです。

※ロシアの1人当たりの名目GDPは8928ドル(2016年)※世界70位

では、なぜサハリンでこのような州独自の取り組みが可能となるのでしょう。

別の関係者によると「サハリンがロシア国内で唯一の無借金州だから」なのです。

サハリンの子供たちが元気な理由には、豊富な天然資源があったのです。だとしても、州として子供を育てやすい環境を作り出そうとしていることが感じられたのは事実です。
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by sanyo-kansatu | 2017-09-19 09:39 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 18日

ノグリキの町は子供だらけでビックリ!? 外でのびのび遊ぶ姿がうらやましい

サハリン鉄道終点の町、ノグリキは人口わずか1万人ほどの小さな町ですが、ぼくたちの訪れた6月はサハリンではすでに夏休みに入っていたせいか、町のあちこちで子供たちの姿を見かけました。以下、ノグリキの子供たちのスナップ集です。

サハリン鉄道終点の町、ノグリキのなんてことのない歩き方
http://inbound.exblog.jp/27119084/

バス通りのベンチに座っていると、小学校高学年くらいの女の子のグループが歩いてきました。カメラを向けると、一応ポーズを取ってくれるのですが、それぞれ表情が違う。笑顔を見せる子もいれば、不審のまなざしを向ける子も。あやしい外国人であるぼくたちを見て、何を思っているのかな? 
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しばらくすると、今度は小学校低学年くらいの子たちが先生に連れられて歩いてきました。
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面白いのは、男の子は地味なウインドブレーカー姿なのに、女の子はフリルの付いたミニスカートとか水玉とか、おしゃれさんが多いこと。これは万国共通と思われます。安価な中国衣料が世界中に大量に出回った影響は、極東の果ての小さな田舎町にも見られるのです。
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一方、もう少しお姉さんになると、ママが選んだキュートな子供服は卒業。スポーティなファッションとサングラスでキメるようになる?
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さらに目についたのは、自転車に乗る子を多く見かけたことです。
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1年の大半は氷雪で閉ざされる厳寒の地、ノグリキだけに、6月のこんないい天気の日は、小さな子供まで自転車に乗りたくなるのは当然なのでしょう。この町の自転車ショップには色とりどりの新車が並んでいました。シェアサイクルの推進で安価な自転車を大量生産したメイドインチャイナの影響が周辺国にも現れているからに違いありません。
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ベビーカーを押すママさんの姿もよく見かけます。
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これはトゥイミ川を見に行ったとき、出会ったふたり組のママさんです。
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ベビーカーを押しているのは、ロシア人だけでなく、非ロシア系の先住民族の人たちも同様です。
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人口減に悩むこの島では、州政府が子育て支援に力を入れているといいます。なにしろサハリンは豊富な天然資源のおかげで、ロシアで唯一の無借金州なのだそう。支援に関しては、また別の機会に説明します。
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by sanyo-kansatu | 2017-09-18 11:46 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 18日

ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち

ノグリキは小さな町ですが、かつてサハリン北部に多く住んでいたニブフ(ギリヤーク)やウイルタ(オロッコ)、エヴェンキなどの先住民族たちの暮らしや歴史を展示する郷土博物館があります。場所は1番バスの終点です。

サハリン鉄道終点の町、ノグリキのなんてことのない歩き方
http://inbound.exblog.jp/27119084/

そこには、彼ら先住民族の生活道具や衣服、祭祀に使う道具などが展示されています。ただし、北部にはアイヌは住んでいなかったので、彼らの展示はありません。
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サハリン州郷土博物館でもそうでしたが、ノグリキ郷土博物館にも地元の子供たちが見学に来ていました。先住民の女性が展示の解説をしてくれます。ノグリキにはニブフを中心に多くの先住民族が住んでいるそうです。
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サハリン北部に生息する動植物のささやかな展示コーナーもあります。子供たちがクマのはく製と対面したり、キツネや野鳥類、サケ、マスといった魚類の展示もあります。
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館長は先住民の女性で、館内を親切に案内してくれました。これは雪道を走るそり。館長は日本の研究者との交流もあるようで、日本語の学術資料も見せていただきました。
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鮮やかなブルーの衣服はニブヒのもので、彼らが身につけていた装飾品などと一緒にガラスのケースに展示されています。彼らはサハリン中部から北部、そして対岸のアムール川下流域に住むモンゴロイド系の狩猟民族で、古くはギリヤーク(ロシア語)と呼ばれていました。彼らの話す固有の言語はニヴフ語で、ツングース系のアイヌ語とはまったく違うそうです。これは個人的な印象に過ぎませんが、衣服のデザインが清朝を興した女真族のものとあまりに似ていて、民族的なつながりを感じてしまいます。
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トナカイを飼う遊牧の民、ウィルタは毛皮を使った衣装を身につけていました。彼らはサハリン中部以北に住んでいたツングース系民族で、アイヌからはオロッコ と呼ばれていました。
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冬は動物を狩猟、夏は魚を漁猟する移動生活が基本。同じ先住民族でも、これほど衣装が違うのかと驚いてしまいます。またサハリン北部には、中国東北部やロシアに住むエヴェンキ族もいたようです。彼らもトナカイを遊牧する民でした。
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※政府に定住化を迫られ、苦悩する中国のエヴェンキ族を描いたドキュメンタリー映画もあります。考えてみれば、遊牧の暮らしをしていた彼らにとって自分たちの土地はロシアでも中国でもなかったはずです。

中国少数民族の「悲しくてやりきれない」物語の後日談(顧桃監督『最後のハンダハン』)
http://inbound.exblog.jp/26815289/

サハリンで最初に先住文化を蒐集したのは、ウクライナ出身の民族学者のレフ・シュテルンベルクです。彼はマルキストだったため、ロシア帝政時代の1889年から97年までサハリンへ流刑となり、ニヴフの言語や宗教などを研究したそうです。そのとき、蒐集した文物がサハリン郷土博物館の基礎になったといいます。
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ノグリキ近郊の漁村で生まれたウラジミール・ミハイロヴィッチ・サンギはニブフ人作家で、サハリンの先住民族の民話や伝説を集め、1961年『ニブフの伝説』を出版。モスクワで大評判となり、ソ連公認の作家となりました。彼の作品の一部は翻訳されていて、『サハリン・ニヴフ物語』(北海道新聞社2000年刊)として読むことができます。彼の若い頃の写真が、郷土の誇りとして博物館に展示されています。
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博物館の展示室の脇の廊下に、ニブフやウィルタの切り絵作家の作品が展示されています。モチーフとなるのはトナカイや祭りなど、彼らの習俗や生活文化に関わるものです。実は、同じような展示は中国の満洲族博物館にもあって、満洲族にもニブフと同じような切り絵(剪紙)の作家がいます。満洲族の切り絵作家は中国の少数民族文化の担い手として国家的な保護や支援を受けていますが、なぜ切り絵だったのか、その相似が興味深いところです。
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切り絵以外にも、さまざまな作品が展示されています。
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おそらくこれはサケかマスの皮を使ったものでしょう。アムール河流域やサハリンにもいたナナイ(ゴリド)という先住民族は、漁労を営み、中国ではホジェン族(赫哲)と呼ばれています。彼らはもともとサケやマスの皮を使った衣服を着ていたため、中国人から「魚皮韃子」と呼ばれていたそうです。
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他にも、この地を舞台にした絵本もいくつか出版されているようで、地元の子供たちの先住民族教育の場となっているようです
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いまはもう特別なときにしか身につけない民族衣装を着た先住民族たちの写真も展示されていました。
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同博物館には公式サイトもあります。ただし、ロシア語のみです。

ノグリキ郷土博物館(Ногликский муниципальный краеведческий музей)
http://sakhalin-museums.ru/museum/noglikskiy_muzey/
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by sanyo-kansatu | 2017-09-18 09:21 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 16日

サハリン鉄道終点の町、ノグリキのなんてことのない歩き方

ユジノサハリンスクから夜行列車に乗って、朝8時半過ぎにノグリキに着いたのですが、どうやら駅は町外れにあるようでした。つまり、タクシーを拾うか路線バスに乗って町へ向かわなければなりません。

駅にスーツケースを預け、しばらく待っていると、タクシーが都合よくやって来ました。5分ほどで町に着きます。降ろされたのは、ロシア正教の前でした。

ロシアではどんな小さな町にも教会があります。ノグリキのロシア正教会は2002年に再建されたものだそうで、とても可憐な姿をしていました。雲ひとつない青空にブルーの屋根がよく映えて美しい。
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聖堂内の礼拝スペースには、他のキリスト教会の宗派とは異なるいくつもの特徴があります。たとえば、天井から吊り下げられる豪華な燭台や、壁や柱の至るところに所狭しと置かれたイコン、さらにミサのとき、司祭が出てくる扉が正面にあること。まるで東方の仏教寺院のようなにぎやかさです。
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ノグリキはオホーツク海に面し、トウィミ川の河口に開けた人口1万人ほどの町です。

教会を出ると、そこはノグリキの町の中心部で、信号や横断歩道もあり、車もそこそこ走っていました。サハリンでは「車より人優先」がとことん徹底していて、人が横断歩道の前に立つと、車のほうからまず間違いなく停車して、人を先に渡してくれます。これにはかなり驚きました。もしサハリンの人が「人より車が優先」の中国に行くと、冗談抜きで、交通事故に遭ってしまうに違いない…。
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公園の一角に、サハリン北部のロシア人による開拓の歴史を伝える写真パネルが置かれていました。20世紀初頭と思われる人々の暮らしを撮ったものや現在のノグリキの主要な施設(工場や橋、教会など)の写真が紹介されています。同じようなパネルを中国内蒙古自治区の中ロ国境の町、室緯でも見たことがあり、辺境の開拓地には共通するところがあるのだなと思いました。歴史博物館までなくても、町の歴史を住民に見せることに意味があるのでしょう。
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ノグリキのバス通りであるソヴィエト通りを歩いていると、木造の雑貨店がありました。ロシア語でこういう店のことを「マガジン( магазин )」といいます。この町では朝9時半にはまだカフェも空いていないので、簡単な食材と飲み物を買って朝食にすることにしました。
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マガジンの中に入ると、ドリンク類やパン、チーズ、ハム、野菜、瓶詰め、缶詰、カップラーメン、各種調味料など、さまざまな食料品が置かれていました。ロシア人の食生活がうかがえて面白いです。試しに水とパン、ハムなどを購入し、店の外のベンチで朝ごはんすることに。
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たまたま腰掛けていたベンチは、路線バスの停留所でした。先住民族らしいおばさんが近づいてきて、なにやら話しかけられましたが、しばらくすると黄色いバスがやって来ました。ノグリキ駅と町はずれにある郷土博物館を結ぶ1番バスでした。そこで、そのバスに乗って博物館に行くことにしました。
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町の中心部はきれいな新開地でしたが、博物館の裏には、木造家屋の並ぶ最果てのちょっとさびしげな光景が広がっていました。
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ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち
http://inbound.exblog.jp/27122360/

そこからぼくたちは車をチャーターして港に行く計画を立てました。オホーツク海を見に行きたかったのです。

運転手はまず町の郊外にあるトウィミ川の見える鉄橋に連れていってくれました。この川はサハリン北部の内陸から蛇行しながらオホーツク海に注ぎます。北方だけに低木の木々に囲まれ、湿原地帯を流れていきます。
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この鉄橋は、かつて最北地のオハまでの約200km先まで延びていた軽便鉄道が走っていたもので、現在は線路が取り外され、隣に自動車用の橋が架かっています。
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それから、車は折り返し、オホーツク海方面に向かいました。途中から道路が消え、道なき道を走り、ようやく海が見えてきました。そこは厳密にいうと、中州の内側でオホーツク海そのものではなかったことに、あとで現地で入手した地図をみて気がついたのですが、車を停めて海沿いを歩いていると、半身を海に入れて釣竿を浮かべる若い男性がいました。「オホーツクの釣り人」と名付けることにしました。
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別のおじさんが近づいてきて、自分の獲った魚を見せてくれました。
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小さなヒラメでした。
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彼らは趣味の釣り人です。エンジン付きゴムボートを出して、沖に向かう人たちもいました。
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さらに歩くと港があり、フェリーが停泊していました。
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港には入ることができませんでしたけど、海が見られたことで満足でした。
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車はノグリキに戻りました。市場を覗いてみようと、そこで車を降ろしてもらいました。

生活雑貨を中心に、おそらくメイドインチャイナと思われる商品が並んでいました。
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その後、運転手にレストランに連れて行ってもらい、昼食にしました。ノグリキのレストランについては以下参照。

サハリンのカフェはたいてい食堂兼用で、店じまいが早いのがちょっと…
http://inbound.exblog.jp/27110289/

食後はまだ列車に乗るには時間があったので、町を歩くことにしました。先ほど鉄橋から見たトゥイミ川が町のそばを流れているので、まず川沿いに向かいました。
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川のそばにカフェがありました。
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ハンバーガーショップのようなカフェで、地元の若者がたむろしていました。
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店の外でコーヒーを飲もうとオープンエアのテーブルに座ると、隣で中央アジア系のおじさんが座ってホットサンドを食べていました。髭面のいかにも労働者然としたふたりです。
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この日は本当にいい天気で、ノグリキで過ごした、なんてことのない散策の時間はいい想い出です。

想い出といえば、港を案内してくれた運転手は、別れ際「ビールは好きか?これいいつまみだよ」と言って、キュウリウオの燻製をくれました。最初ぼくはハタハタだと思っていたのですが、少し大ぶりで脂が強いこともあり、確かにビールによく合いました。
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by sanyo-kansatu | 2017-09-16 18:19 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 15日

サハリン近郊の町への「路線バスの旅」も楽しい

テレビでもよくやっている「路線バスの旅」。海外で同じことをやっても楽しいものです。

サハリンは鉄道の本数が少ないため、ユジノサハリンスクを中心に近郊の町を結ぶ路線バスが普及しています。今回は、ユジノサハリンスクからコルサコフ、ドリンスクからユジノサハリンスク、ユジノサハリンスクからホルムスクの移動はバスを利用しました。幹線道路は舗装されていて快適です。地元の人と一緒にバスで旅するのは面白いです。

ユジノサハリンスク駅を背にした右側にバスターミナルがあります。
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近郊の町にはたくさんのバスが出ているので、少し遠目の場所は事前に発車時刻を調べて乗車券を購入することになりますが、コルサコフやドリンスクへは10数分感覚でバスが出ているので、バスの番号と行き先を確認してバスに乗り込みます。
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ターミナルの周辺には、バスを待つ乗客がいます。
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手前のブルーのバスはコルサコフ行きです。
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出発時刻を待つ運転手のスナップ。
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コルサコフ行きのバスは片道125RB。バスの中で運転手に払います。南に向かって約50分も走ると、海が見えてきます。

これはコルサコフ港です。桟橋の手前の小さなフェリーは稚内行きのペンギン33号です。
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北海道サハリン航路株式会社
http://hs-line.com/

これはドリンスクから乗ったユジノサハリンスク行きのバスです。片道140RB。約1時間の旅です。
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ホルムスク行きはミニバスに乗ります。片道350RB、所要2時間。本数は1時間に1本です。
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ホルムスクはサハリンの西海岸にあり、ユジノサハリンスクから山を越えて走ります。道中、真っ赤な鳥居とチャイナ風の家が見えます。結局、なんだかわかりませんでしたが、ロシア人からみると、日本と中国はミックスされてしまっているのだと思います。
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山間にはきれいにペイントされたコテージがいくつもありました。前には農園があり、これはロシア人が夏を過ごす菜園付きセカンドハウスのダーチャです。
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ミニバスの中は狭いので、乗客は片寄せあって乗っているのですが、カメラを持つぼくを見て、ある若い男性は窓側の席を譲ってくれました。そういう気遣いをする人たちなんです。

しばらくすると、港が見えてきました。ホルムスクからは対岸のロシア本土への航路もあります。
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いつもそうなのですが、午後になると海霧が晴れて、青空が見えてきました。ホルムスクは港に沿ってできた町で、すぐに丘があり、団地が並んでいます。
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これがホルムスクのバスターミナルです。
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さらに南に向かうネヴェリスク方面などの時刻表です。
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by sanyo-kansatu | 2017-09-15 17:46 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 15日

ロシア人と一緒に乗るサハリン夜行列車の旅

サハリンは南北950km近い細長い島で、南部に位置する州都のユジノサハリンスクから南端に近いコルサコフまでと、東海岸北部の終点、ノグリキまでが鉄道で結ばれています(その他、いくつかの支線もあります)。

日本では夜行の旅は豪華列車でしか体験できなくなって久しいので、海外に行くと必ず乗りたくなります。ユジノサハリンスクからノグリキまでの列車は1日2本。どちらも夜行寝台の旅になります。

以下、その道中記です。

「вокзал」(ロシア語の駅)と正面に書かれたユジノサハリンスク駅。1906年12月開業で、46年1月まで豊原駅でした。
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2013年に改装された駅構内はノグリキ方面行きの乗客で混んでいました。
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これは昼間ユジノサハリンスク散策する前に駅に来て、スーツケースを一時預かりしているときのカットです。駅の地下にあります。
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18時34分発の列車に乗りました。ノグリキ行きは、22時40分発の「急行サハリン」もあるのですが(きっと鉄道ファンならこちらを選ぶことでしょう)、ノグリキ到着が午前10時半近くになるため、できる限り、現地の滞在時間を延ばそうと9時前に着く早い列車にしました。
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サハリン鉄道の車掌さんは優しいです。大半は女性で、お母さんのような仕事ぶり。コンパートメントで寝ていても、到着の15分前には起こしてくれます。
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これが1等寝台のコンパートメントです。
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この時期、なかなか日が暮れませんが、天候はいまいち。ポロナイスクまでは海沿いを走るのに、暗い海岸線しか見えません。

驚いたのは、サハリンではコンパートメント内での飲酒はNGなこと。駅でもバーではビールが飲めても、売店には売っていません。ウォッカを1本バッグに忍ばせていたので、缶詰をつまみに一杯という計画は果たせませんでした。とても残念というほかありません。

周囲のロシア人乗客を見渡すと、夜行列車のお供はカップラーメンでした。
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客車内にはお湯の給水器があり、ロシア人たちもカップラーメンやインスタントコーヒーを飲むとき、利用していました。ロシアのカップラーメンは、日本にはない独特のスープで新鮮な味わいですが、麺はいまいちか。
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そんなわけで、ノグリキまでの13時間は少し退屈でした。ロシア語ができたら楽しいのにと思いましたね。

朝目を覚ますと、車窓の風景はすっかり変わっていました。ポロナイスクから北は内陸を走るので、美しい山並みや白樺林が見えます。

コンパートメントの外に出ると、ひとりの男の子がこちらを見て微笑んでいました。不思議なことですが、この男の子、同行している写真家の佐藤憲一さんによく似ているんです。
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そうこうするうちに、ノグリキ駅到着です。サハリン南部とは違い、真っ青な快晴でした。駅に向かって右に停車しているバスは、サハリン最北端のオハ行きのバスです。1日1本しか走っていません。
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さて、ノグリキは静かな田舎町で、のんびり散策したり、タクシーに乗って港に行ったりしました。同じ日の夕方の列車でポロナイスクに向かうことになっていました。

サハリン鉄道終点の町、ノグリキのなんてことのない歩き方
http://inbound.exblog.jp/27119084/

駅の待合室は混雑していました。
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16時44分発のユジノサハリンスク行きに乗り込みます。この日は夜行ではなく、深夜近くにポロナイスクで降りる予定です。
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本数が少ないだけに、ほぼ各駅停車で列車は南に向かって走ります。途中駅からもどんどん人が乗り込んできます。
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ロシア人の乗客たちは男性も女性も、駅に停車するたびに外に出てタバコを吹かしています。
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しばらくすると、車窓の風景は白樺並木や広い平原に変わりました。
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若いロシア人カップルが車窓を眺めながら、語らっています。
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2等寝台を覗きに行くと、こんな感じ。若い乗客が多く、楽しそうです。
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手持ちのインスタントコーヒーに飽きたので、車掌さんに聞くと、紅茶を出してくれました。ロシアンティは砂糖を少し多めに入れるのがいいようです。
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夜9時半を過ぎると、ようやく日が落ちてきました。
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ポロナイスクには23時27分着。駅の前にタクシーがいたので、すぐにホテルに直行しました。

これがポロナイスク駅です。
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3回目の列車の旅は、ポロナイスクからドリンスクまでの夜行列車です。出発は、昨日到着した深夜23時半過ぎ。今回チケットはすべて日本で予約していたので、eチケットのまま乗っていたのですが、なぜかポロナイスクから乗るときは、乗車券を発行してくれました。
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深夜近くのポロナイスク駅待合室です。
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列車が来ました。もう寝るだけです。
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ドリンスクはユジノサハリンスクの手前の町です。到着は朝5時半でした。
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運転手がピースサインをしてくれます。
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これがドリンスク駅です。
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さすがに3日連続で鉄道に乗り続けたので、相当くたびれました。
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by sanyo-kansatu | 2017-09-15 10:10 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 14日

サハリンの地方の町のホテルでは意外な出来事がいろいろ

ユジノサハリンスク以外では、ポロナイスクとホルムスクのホテルに泊まりました。どちらも、ユジノと違っていかにもロシアの田舎町のホテルという感じ。客室では一応Wifiが使えるのでそんなに困ることもないのですが、意外な出来事がいくつかあって、少々手間取りました。でも、面白かったです。

快適だったユジノサハリンスクのホテル2軒
http://inbound.exblog.jp/27114586/

まずサハリン東海岸の中央部に位置するポロナイスクの「ホテル・セーヴィル」。ホテルに着いたのは夜11時半過ぎていたので、町は静まり返っていました。
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改装されたばかりで、客室は新しい。ふたりは、それぞれ別のシングルルームに振り分けられました。バスルームはシャワーのみ。面白いのは、佐藤さんの客室を訪ねると、ぼくの客室とは内装が違います。キッチンが付いていたり、付いていなかったり、まちまちなのです。
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1階にはバーがありました。ロシアのバーってこんな感じ…? なかなか味があります。営業はきっかり12時まで。
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朝食は、バーの反対側のレストランにて。スープにサラダ、目玉焼き、パン、コーヒーなどのセットで、ウエイトレスはゲストが席に着くのを見計らって、焼きたての目玉焼きを運んでくれます。
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問題は、その日北緯50度線に行く予定で、フロントのおばさんに筆談で車のチャーターを手配してもらうところまでは良かったのですが、戻ってくるまでスーツケースを預かってくれと頼んだものの、ダメだと断られたことでした。理由は不明ですが、チェックアウトは正午だからと言っているようでした。

サハリン北緯50度線、日ソまぼろしの国境碑跡を訪ねる
http://inbound.exblog.jp/27114498/

その日夜行列車に乗るのは夜11時半過ぎだったので、しかたなく駅に預けることにしたのですが、これがまた大変。鉄道は1日数本しか運行していないため、駅の営業時間が10時~13時、15時~17時、22時半~24時と列車が来る時間帯の前後1時間しかなく、それに合わせて駅に行かなければなりません。さいわいドライバーのニコライさんはこちらの事情をよく理解してくれたので、営業時間に合わせて駅に連れて行ってくれました。その後、時間つぶしのために過ごしたのが、不思議なレストランでした。

ポロナイスクで食べたスモークサーモンと韓国チゲ風ボルシチの不思議な夜
http://inbound.exblog.jp/27110639/

Hotel Sever(Гостиница "Север")
http://gost-sever.ru/
Molodezhnaya Ulitsa 3, Poronaysk, Sakhalin 694240

西海岸南部の町、ホルムスクでは「ホルムスク・ホテル」に泊まりました。外観はかなり老朽化していますが、バスターミナルから徒歩1分と便利です。
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フロントを訪ねると、ロシア人の若い女の子のスタッフがいて、パスポートを渡すと、無言でスマホの英語翻訳の画面をぼくに見せます。
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そこには「What time do you want a breakfast?」とあります。一瞬何のことだろうと思いました。逆にぼくは聞きました。「What time do you open a restaurant?」。

すると、彼女は困ったような顔をして、ロシア語で何事かを話しましたが、よくわかりません。まあいいや、では「8o’clock?」と聞くと、彼女は「7o’clock?」と言い返すので、「OK!」と答えることにしました。このやりとりの意味が何だったのか、その理由は翌朝わかります。

客室は4階でしたが、エレベーターがないので、階段を上らなければなりませんでした。
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でも、客室はリノベーションされ、まずまず清潔です。ツインルームでしたが、ベッドルームはふたつの部屋に分かれていました。
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シャワー室はこんな感じ。
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ホルムスクは美しい港町です。市街地は海に沿って細長く続いています。この日のメインイベントのひとつは、旧真岡王子製紙工場の廃墟探訪でした。

廃墟の中で出会った少年たち~旧真岡王子製紙工場を歩く
http://inbound.exblog.jp/27113113/

翌朝、7時少し前にドアをノックする音がしました。外にはランチボックスを手にしたおばさんが立っていました。

昨日、フロントの彼女が聞いていたのは、朝食を部屋に届ける時間のことだったのです。

このホテルはゲストが少ないせいか、レストランを営業していないようで、その代わりランチボックスを用意してくれるんです。

昨日食材屋さんで買ってきたインスタントコーヒーをいれると、このとおり。しっかりした朝ごはんになりました。
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Kholmsk Hotel
Sovetskaya street60 Kholmsk, Sakhalin 694240
(ウエブサイトは発見できず)
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by sanyo-kansatu | 2017-09-14 15:40 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 14日

快適だったユジノサハリンスクのホテル2軒

1週間のサハリン旅行のうち、2泊も夜行列車での車中泊という強行スケジュールだったこともあり、相当くたびれましたが、ユジノサハリンスクのホテルは快適でした。

今回宿泊した2軒のホテルを紹介します。

初日と帰国日に利用したのが、空港から車で10分くらいの場所にある「ストロベリーヒルズ」でした。

フロントではふたりの美人スタッフが出迎えてくれました。
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これはフロントのロビーです。
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フロントの隣に軽食喫茶のコーナーがあります。
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客室は今年リノベーションをして、新しくなりました。
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バスタブもあるので、お湯に浸かれます。
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3階に『Evergreen』というラウンジバーがあり、食事もできます。
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地下(グランドフロア)に『Angelo’s Bar』というライブステージもあるバーがあります。有名ミュージシャンのギターコレクションもあるそうで、ハードロック・カフェを意識しているようです。
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同ホテルは、アメリカ人ビジネスマンの利用が多く、英語が使えます。ジムやサウナもあり(水着着用)、朝食はブッフェ式です。ホテルの周辺はコンドミニアムができています。長期滞在の外国人ビジネスマンなどが住んでいます。
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ストロベリーヒルズ
http://strawberryhills.ru/
693000, Yuzhno-Sakhalinsk, Sunlight street,2
+7-4242-45-07-00
hotel@strawberryhills.ru

場所はちょうど空港と市内の中間くらいの郊外にあり、市内へもホテルのすぐ前の停留所からバスで約15分です。約10分おきにバスがあるので、それほど不便はしません。それでも、観光や食事には市内のホテルのほうが便利なので、夜遅めに着く初日と帰国日にここに泊まり、午前中は近所のショッピングモール『シティモール』でお土産でも買ってから、正午前にゆっくり空港に向かうのがいいかもしれません。
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ユジノサハリンスクで泊まったもう一軒は「ベルカホテル」です。ロシア正教会やサハリン州立郷土博物館にも近く、観光に便利です。駅からも徒歩10分くらいですが、荷物がある場合はタクシーで200RBくらい。
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ホテルの外観やロビー、客室は北欧風を意識しているようです。
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フロントにサハリン大学日本語学科のマリアさんという女性がいて、日本語を話します(ただし、期間限定の学生バイトだそう)。他のスタッフは英語が通じます。
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客室は温もりのある落ち着いた感じで、バスルームはシャワーのみ。
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朝食は地下の食堂でブッフェ式。雰囲気は悪くありません。
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ベルカホテル
http://www.belka-hotel.ru/
29b,Khabarovskaya str,Yuzhno-Sakhalinsk, Russia 693010
+7-4242-461-761
reception@belka-hotel.com
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by sanyo-kansatu | 2017-09-14 13:59 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 09月 14日

サハリン北緯50度線、日ソまぼろしの国境標石跡を訪ねる

もう70年以上前のことですが、サハリンの南半分は日本の国土でした。
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当時、サハリンの北緯50度線に沿って日本とソ連(当時)の陸路の国境があったのです。

※同じ1905年にロシアから租借地として移行した中国の関東州(大連)にも清国との陸路国境と税関がその後できています。

今年6月、北緯50度線に位置するかつての国境標石の跡を訪ねました。

サハリン東海岸の中央部に位置するポロナイスクのホテルで車をチャーターし、北に向かって所要1時間半。道路は舗装されていて悪くはありません。ドライバーは、これまで何度か日本人を乗せたことがあるという地元出身のニコライさんです。英語を少し話します。もちろん、車は右ハンドル。
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一見強面ですが、とてもフレンドリーで、家族でタイ旅行に行った写真を見せてくれ、とても快適なドライブでした。
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「樺太・千島戦没者慰霊碑」の案内板が見えたので、脇道を入っていきます。
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森の中に白い慰霊碑がありました。
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その近くにソ連兵の慰霊碑もあります。
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幹線道路に戻り、北に向かうと、今度は日本の要塞跡がいくつもありました。
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これは要塞の中です。
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ロシア語の解説もあります。
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これは別の要塞、あるいは司令部の跡です。
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第2次大戦終戦前夜に侵攻してきたソ連軍と日本軍の戦闘の記録を解説するプレートも置かれています。
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さらに北に進むと、道路の左手に「50」と書かれた碑(冒頭の写真)が立っていました。日本統治時代に建てた国境標石跡は、そこから100mほど白樺並木に入った場所にあります。

これがそうです。標石は取り除かれたものの、台座は地中奥深くまで埋められていたため、台座だけが残っているのです。
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樺太が日本領だった時代、かつて存在したこの国境標石を見物に来る観光客がけっこういたといいます。まさにボーダーツーリズムです。1924年(大正14年)8月に樺太旅行に出かけた北原白秋は『フレップトリップ』という陽気な紀行書を書いていますが、彼の場合は西海岸を船で進み、当時安別と呼ばれたのがソ連との国境の町で、そこを訪ねています。

また1934年(昭和9年)6月、林芙美子も樺太に渡り、「樺太への旅」という紀行文を書いています。彼女は当時の日本領の最北の地に近い敷香(ポロナイスク)まで来て、国境見物を見にいくか、敷香の近くにある先住民の暮らす集落を訪ねるか迷っていましたが、結局、先住民に会いに行くことに決め、国境には足を運びませんでした。

この国境線に沿っていくつかの国境標石が立っていたようで、白樺並木も数メートルほどの道が東西に向かってできています。

台座は年月とともに苔むしていますが、このまま残してほしいものです。
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車のチャーター代は言い値で7500RB(約1万5000円)でした。初夏のこの時期、林の中は蚊が多いので、虫除けスプレー必携です。

ところで、撮影中、佐藤憲一さんのカメラのGPSをみると、北緯49度59分57秒と表示されました。北緯50度のちょっぴり手前だったようです。
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by sanyo-kansatu | 2017-09-14 13:06 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)