ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:ボーダーツーリズム(国境観光)( 103 )


2013年 06月 02日

万里の長城の東端とされる虎山長城から見渡す北朝鮮の畑

中国遼寧省丹東市から鴨緑江の上流に向かって約20㎞の場所に、万里の長城の最東端とされる虎山長城があります。
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中国側の主張によると、明の治世の1469年、後金の侵入を防ぐために建造されたものだそうです。1980年代後半、この地で長城の遺跡が発見されたということで、それまで河北省の山海関までとされた長城が東に延長されることになりました。ただし、大連市北郊外の大黒山に残る遺跡と同様、前漢の時代に高句麗が築いた遺構との説もあります。
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1992年以降、北京郊外にある本家の万里の長城をまねて、散策しやすいよう新たに築城されてしまった結果、歴史の真相は塗り消されてしまいました。いまでは、中国のどこにでもある石畳のテーマパークといった感じです。相変わらず、やることが雑ですね。
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むしろ、ここを訪ねて面白いのは、長城から南側に抜け、北朝鮮との国境となる鴨緑江沿いの「一歩跨」という名の展望台でしょうか。
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確かに、そこからすぐ目の前のわずか数メートルの小川を隔てた先は北朝鮮の畑で、農民の姿もよく見えるからです。ここでは、川の手前ではなく、向こう岸に鉄条網が敷かれています。目の前の北朝鮮領は鴨緑江の中州にあるためです。鴨緑江の本流は、畑の向こうを流れているのです。
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これは、中朝国境でよく見かける看板ですが、北朝鮮側にモノを投げたり、物品を交換したりしてはならない、と書かれています。
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さらに、ここにもお約束のように、遊覧ボートの乗り場があります。掲示板の地図を見ると、ここから中朝国境となる狭い小川を通って、長城の終点である長城歴史博物館の場所まで下るようです。実際、その間北朝鮮の畑以外、見るべきものはほとんどないため、乗客の姿は見られません。
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ところで、虎山長城付近は日露戦争時、日本帝国陸軍第一軍が渡河し、ロシア軍と交戦した場所でもあります。1904年4月20日前後のことです。
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占領後に建てられた碑はいまも残っています。丹東市政府による日露戦争の戦跡の碑もあります。大正時代に日本人が造った碑も残っています。
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この地に最初に城壁を築いたのが誰であれ、高句麗の時代から20世紀に至るまで、鴨緑江を渡河するのに、この地が適した場所であったことがうかがえます。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-02 14:19 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 28日

鴨緑江遊覧ボートで見る中朝の発展格差をどう考える?(遼寧省丹東市)

これまで中朝国境沿いに残された断橋や疲弊した北朝鮮の集落、そこで暮らす人々の様子を川向こうからこっそり覗いてきましたが、今回は中朝国境を代表するスポットとして遼寧省丹東を紹介します。
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ここには、朝鮮戦争時に米軍によって落とされた鴨緑江断橋と、それに並行して造られた中朝友誼橋(全長946m)があります。中朝友誼橋には鉄道が敷かれており、中朝間をつなぐ最大の国境ゲートとなっています。

※鴨緑江断橋は1911年11月に開通した橋梁で、1950年11月8日に落とされたまま、反米プロパガンダとして現在もその姿を残しています。中朝友誼橋は1943年に開通し、こちらも米軍によって落とされたのですが、改修して使われています。
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断橋のたもとからは、鴨緑江下流に向かって遊覧ボートが出ています。
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遊覧時間は約40分ほどですが、乗客たちは中朝両国の発展格差を目の当たりにすることになります。遊覧コースについては地図にこうあります。
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以下、橋のたもとから下流に向かって北朝鮮側と中国側の様子を交互に写真で並べて対比してみましょう。撮影は2010年5月のものですから、中国側はともかく、北朝鮮側も現在はもう少し整備が進んでいると思われます。
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北朝鮮側:橋のたもとに小さな観覧車が見えます。
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中国側:橋のたもとには、断橋と対岸の北朝鮮の様子が見渡せる中聯大酒店(ホテル)が建っています。
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北朝鮮側;橋のたもとから数百メートル下流に朝鮮式の2階建て施設がみえます。ここで幹部らが食事でもするのでしょうか。
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中国側:その対岸にはマンションが立ち並んでいます。
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北朝鮮側:そのさらに数百メートル下流に老朽化した2階建ての用途不明の建物があります。
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中国側:その対岸には最新式の高層マンションがあります。
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北朝鮮側:さらに下流に行くと、港湾施設を建設中です。この先には中国の投資による新鴨緑江大橋が建設中です。中国の投資攻勢に北朝鮮も防戦一方ではすまされないでしょう。
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下流に向かって右手が中国、左手が北朝鮮。
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遊覧ボートが引き返して、左手が中国、右手が北朝鮮。
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両国の発展格差をもっと印象に刻みつけたいのであれば、丹東の市街地の北にある元宝山の上に建てられた黄海明珠塔に上るといいでしょう。元宝山の標高が155m、塔の高さが138mで、手前の丹東市内と北朝鮮新義州の街並みを遠望できます。

鴨緑江に面して高層マンションが林立し、ぎっしりとビルと人間が集住している丹東市内に対して、河を隔てた新義州には低層住宅がへばりつくように並んでいますが、市街地の向こうには何もなさそうです。
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少し俯瞰した写真で見ると、新義州のはるか向こうに高層ビル群が見えます。あれは丹東新区と呼ばれる開発区で、いずれ丹東の中心はあちらに移る計画だそうです。すでに丹東市政府の巨大なビルは移転しています。新鴨緑江大橋を架けようとしているのは、丹東新区からです。いずれ、新区の様子も紹介するつもりです。
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さて、こうしてみる限り、中朝両国の発展格差は絶望的なまでに拡がっているといえなくもありません。

この歴然とした格差の光景は、1980年代半ば、香港の新界から眺めた深圳を思い出します。見渡す限り田園風景だった深圳に対し、背後には超高層ビルが林立し、人ごみあふれる香港という対比。それでも、当時その光景をそれほど深刻なものとして受け取る気分になれなかったのは、中国大陸の大きさに比べれば、香港なんてちっぽけな存在にすぎないのだから……。そんな漠然とした思いがあったからだと思います。なんにしろ、中国はこれからゆっくり発展していけばいいのだからと。

ところが、鴨緑江を隔てた中朝の格差の光景には、どこか不穏な印象がぬぐえません。

巨大な中国に対し、北朝鮮はあまりに小さく、デリケートな存在だからです。ハンディが大きすぎるのです。

もし中国の投資家がアフリカやミャンマーでやったように好き勝手に北朝鮮に入りこんできて、フリーハンドで開発を進めたら、中国資本に飲み込まれてしまうであろうことは明らかです。鴨緑江遊覧ボートや黄海明珠塔から見る中朝国境の光景はそれを実感させます。でも、そんなことをあの国の政府が許すはずはないでしょう。北朝鮮の北東アジアにおける超問題児ぶりの背景には、何より中国との関係があるのです。

だからでしょうか、北朝鮮関係者によると、この国では海外からの膨大な投資を飲み込むことで発展してきた中国式モデルではなく、国情の似たベトナム式の改革開放モデルを学ぼうとしているとも聞きます。台頭する中国とじかに国境を隔てる国々の苦悩はこれからも続くと思われます。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-28 14:53 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 26日

高速で素通りされ、さびれてしまった図們

図們は、吉林省延辺朝鮮族自治州の東南部にある中朝国境と接する都市です。
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丹東の鴨緑江断橋が観光名所としてにぎわうのと同様に、図們と南陽(北朝鮮)に架かる図們大橋の手前に建てられた国門とその周辺は、北朝鮮の切手などを売る商店や軽食堂の並ぶちょっとした観光ポイントになっています。
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図們大橋のたもとでは、多くの中国人観光客が対岸の北朝鮮をバックに記念撮影を楽しんでいます。
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国門の屋上は展望台(有料)になっていて、そこから図們大橋の全貌と南陽の街並みが遠望できます。
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さらに、図們大橋の真ん中までが中国領ということで、観光客は国境線とされる中央のラインが敷かれた場所までは歩いていけることになっています(橋自体も中国側と北朝鮮側で色を塗り分けています)。
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もちろん、まったく物流が途絶えているというわけでもなく、北朝鮮側からこの橋をトラックが渡ってくるのをぼくも以前見たことがあります。しかし、ごくたまに、といった頻度です。では、本来中朝間の数少ない物流ルートであるはずの図們大橋が、なぜ日常的には中国側の観光客の散策の場くらいにしか使われていないのか。理由は後述します。

国境観光のその他アトラクションという意味では、図們大橋の北側の図們江沿いは図們江公園となっていて、朝鮮族の歴史や文化、風俗を展示する「中国朝鮮族非物質文化遺産展覧館」(なかなかすごいネーミングでしょう)があります。要は、無形文化財の展示館ということですが、実態は朝鮮の民族衣装を着せた蝋人形館といったほうが近いようです。

また図們江公園には、これまで見てきた中朝国境ではおなじみの国境遊覧ボートもあります。2012年に訪ねたときには、イカダ型をした奇妙なボートがそれほど川幅の広くない図們江を下流に向かって遊覧していました。ある意味、中朝国境沿いの中で最も北朝鮮側に接近したコースを航行するボートといえるかもしれません。

確かに、北朝鮮が中朝国境の近くで核実験を敢行したことで両国関係が緊張した一時期こそ、中国当局の指示で観光客の姿は消えましたが、それもつかの間。実際には、日本のメディアが報道するほど緊迫した事態というのはまれで、のどかな国境風景が見られるのが日常といえます。
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むしろ、図們は延吉や琿春と比べると、発展から取り残されたまちといえるでしょう。どうしてそんなことになったのか。

かつて図們は「西の丹東、東の図們」と並び称される中朝国境のメインゲートでした。ところが、2010年、長春方面から延びてきた高速道路が琿春までつながり、圏河口岸が整備されたことで、中朝間の物流ルートとしての位置付けは琿春に移ってしまったからです。琿春にはロシアとの口岸もあり、今後の発展が期待されますが、図們は高速によって素通りされ、さびれていくばかりというのが近年の状況といえます。
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しかし、歴史的にみれば、この地の重要性が決定的に低下したのは、満州国崩壊にまでさかのぼります。

もともと図們は、日露戦争後に日本が間島協約で清から敷設権を獲得した「吉会鉄路」の終着駅として建設が進められ、満州国成立後には図們南陽橋(現「図們大橋」)を通じて北鮮線と接続、日本海経由の日満連絡ルートとしての地位を確立していました。1930年代の図們について、以下の記録があります。

「図們はわが北鮮南陽と図們江を隔てて相対する国境新興都市、しかしこの国境は友邦両国の捨手地で、その和やかさは全くいわゆる『銃剣のきらめく緊張の国境風景』ではなく、僅かに税関検査が安東・大連と同様に行われる。

この地もともと名もなき小部落であったが、僅かのうちに驚異的躍進を遂げた新開地で、したがって料亭・旅館・飲食店など多く、生気溌剌としている。

列車は進んで豆満江国際鉄橋(420米)を渡ると地はすでにわが皇領をなる。その羅津港はこの橋梁より南陽に出で後162粁5、咸鏡北道北辺を走り直通列車はおよそ3時間で着く」  (ジャパンツーリストビューロー 昭和12年発行)

結局、日本の敗戦で、当時図們から北朝鮮経由の日満最短航路のひとつだった羅津までの路線(図們-南陽-穏城-慶源-雄基)は事実上断たれてしまいました。「図們江、野ざらしにされた断橋の風景【中朝国境シリーズ その6】」で見た橋桁の消えた鉄道橋や、「羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口」で紹介した羅津駅や雄羅線(雄基・羅津)の現在の姿からもわかるように、現在線路はなんとか残っているものの、鉄道を運行するには改修工事が必要なようです。

北朝鮮側としては中国の投資によってこの鉄道を改修させたいと考えているようですが、中国は先に圏河口岸から羅津に至る自動車道の舗装化を優先させました。近年の不安定な中朝関係のなかで、鉄道路線を改修するコストを引き受けるのは中国側も抵抗が強かったでしょうし、この辺境の地においても、もはや鉄道の重要性は低下し、モータリゼーションの時代を迎えているからでしょう。いずれにせよ、膠着状態にある昨今の中朝関係の中で、かつて国境のまちとして栄えた図們が今後大きく変貌を遂げる可能性は少ないように思われます。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-26 10:58 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 20日

過去のにぎわいを忘れたふたつの国境~開山屯と三合鎮

中国吉林省延辺朝鮮族自治州には、圏河口岸以外にも、北朝鮮との国境ゲイトがいくつかあります。
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そのうちのひとつが、図們江中流域にある龍井市開山屯の口岸です。龍井から東に向かって車で約40分走ると、図們江に出くわします。
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そこには、開山屯と北朝鮮の三峰里をつなぐ三峰橋が架かっています。1927年9月30日に竣工されたものです。
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中朝両国側ともに河原が広く、水の流れはほんの数十メートルほどです。ここにも中朝国境の風景をのんびり眺めている中国の人たちがいます。ほとんど物流の動きはなさそうですが、一応口岸(イミグレーション)のオープン時間が掲示されています。監視用のカメラも一応備えられています。実は、2013年5月、ひとりの日本人旅行客がここで写真を撮影していて、中国の公安に拘束されたことがあるそうです。北朝鮮情勢にもよるのですが、もしこのような写真を撮影したい場合は、現地の知り合いと一緒にいくべきでしょう。
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いまでこそ鄙びた国境ですが、20世紀初頭、日本が朝鮮を保護国化し、1909年の関島協約でこの地域の帰属を清朝に認めるかわりに、鉄道など各種権益の保有(朝鮮移民の土地所有権も含む)を認めさせた頃から、急ピッチで図們江北側の「間島」エリアの開発が進んでいきます。

その後、日本によるこの地の鉄道敷設は中国側の反対に遭い、難航をきわめたのですが、朝陽川から龍井を経由して開山屯を結ぶ朝開線が、1914(大正3)年、日中合弁の天図軽便鉄道会社によって建設されます。

同じ時期、朝鮮側でも鉄道敷設は進み、清津から会寧までの咸鏡北部線が1917(大正6)年、さらに開山屯の対岸の上三峰までの開通が19(大正8)年。結果的に、朝鮮北部の清津(そして羅津)と満洲を結ぶ鉄道がつながることで、日本と満洲を直結する最短ルートが確立するのは、満洲国成立を待たねばなりませんでしたが、開山屯は当時、その重要な拠点のひとつでした。

※当時の鉄道建設に関しては、たとえば「躍進する北鮮の交通展望」(京城日報 1933(昭和8).9.27)参照。

満洲国崩壊後、このルートは用なしとなって現在に至っています。その結果、この路線はもはや鉄道の運行すらほぼ休止したありさまですが、開山屯駅は往時を偲ぶ昭和モダン風の愛嬌のあるデザインのまま、いまも残っています。
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開山屯周辺は、対岸の北朝鮮との川幅が狭く、ある時期までは中朝の民間交流が普通に行われていたと思われます。最近になって、とってつけたように中国側が鉄条網を張り巡らしているので、交流は相当難しくなっているはずです。何より中国側で同胞を受け入れようとする朝鮮族の思いが急速に失われていることが大きいと思われます。
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開山屯から南に向かって国境沿いを車で走ると、高台から北朝鮮の街並みが見渡せるポイントがあります。上三峰から会寧に向かう鉄道が見えるのですが、ベージュに赤と紺のストライプの入った、ちょっと場違いなほどモダンな4両連結の列車が走っていました。鉄道に詳しい友人にこの写真を見せたら、旧東ベルリンの地下鉄だといいます。かつては同じ社会主義圏ということで、転用されたものと思われます。
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さて、もうひとつの口岸が、開山屯より上流にある三合口岸です。三合鎮自体は小さな農村ですが、対岸は会寧といい、そこそこ大きなまちです。前述したように、朝鮮の日本海側を代表する港町、清津と結ぶ鉄道が早い時期から会寧まで敷設されており、当時はずいぶん栄えていたことでしょう。金日成夫人の金正淑(金正日の母)の生まれ故郷ということで、北朝鮮国内では有名なところだそうです。そのせいなのか、美人が多いまちだと彼らは口をそろえていいます。面白いですね。
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実は、この口岸は中朝以外の第三国人には開放されていないのですが、2008年5月、ぼくは地元延辺朝鮮族自治州のある関係者との縁で、国境橋を視察させてもらいました。橋の真ん中までは中国領ということで、国境警備兵の案内で歩いていくことができたのです。上の写真は、橋の中央からみた北朝鮮側の口岸で、下が中国側の口岸です。橋のたもとには「1941年7月竣工」と書かれていました。
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三合口岸の南に見晴らしのいい高台があり、「望江閣」と呼ばれています。ここからは会寧の街並みが一望にできるため、北朝鮮ウォッチングのポイントのひとつとして、よく観光客も訪れます。北朝鮮側の口岸もよく見えます。会寧は、他の中朝国境沿いのまちに比べ、家並みもかなり立派で、整然としていることがわかります。
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このふたつの国境を訪ねると、中国と北朝鮮の建国以来、今日まで続く両国関係の特殊性ゆえに、この地域の発展の可能性が閉ざされてしまったように見えてしまいます。かつて見られたにぎわいをすっかり忘却してしまった静かな国境―開山屯と三合鎮の姿は、現在の延辺朝鮮族エリア、果ては中朝ロ三か国が国境を接する北東アジアの行きづまり感を象徴しています。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-20 14:21 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 18日

図們江、野ざらしにされた断橋の風景

以前、鴨緑江の河口断橋について書きましたが、今回は図們江にあるふたつの断橋を紹介しましょう。
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それは吉林省の図們と琿春の間にあります。
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まず、琿春市英安鎮にある甩湾子橋です。完成時には約 500m という長さの朝鮮と満州国をつなぐ国境橋で、対岸は北朝鮮咸鏡北道の訓戎です。欄干は途中まで残っていますが、すぐになくなります。橋を歩いていても、最初は橋が断たれていることがわからないくらい、中国側の橋桁はそのまま残っています。北朝鮮側近くになって、突然橋桁がなくなります。
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わずか10数メートル先に北朝鮮側の橋梁が残っていて、向かって左手に国境警備のためと思われる老朽化した建物があります。時折、国境警備兵らしき軍人の姿が見えます。
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この橋は、1945年8月のソ連軍侵攻時に日本軍が爆破したそうです。国境をつなぐ橋らしく、中国側に当時のトーチカが残っています。
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甩湾子橋の東、図們江の下流側に橋脚だけが残された鉄橋跡が見えます。これは1935年に開業した琿春鉄路(のちの東満州鉄道)の甩湾子駅(満州国)と訓戎駅(朝鮮)をつなぐ鉄橋でしたが、終戦時にソ連軍がシベリア鉄道用として橋上の鉄梁をすべて収奪したため、現在の姿をしているそうです。
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もうひとつの断橋は、図們市涼水鎮にある穏城大橋です。甩湾子橋より少し上流にあります。この一帯は図們江の下流域にあたり、肥沃な平野が続きます。19世紀から多くの朝鮮農民が入植してきました。いまどき珍しく、手で田植えをする姿を見ました。牧童ものんびり羊を追っているような世界です。
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さて、穏城大橋は1937年5月に竣工された国境橋で、対岸は北朝鮮の穏城郡です。こちらは中国側も橋桁がわずかしか残っておらず、北朝鮮側では橋脚が残されているだけです。
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余談ですが、さらに上流に行くと、図們市街地近くで、図們江が深く北朝鮮側に入り込むように蛇行して流れる場所があります。そこからは北朝鮮の革命記念塔のような施設がよく見えます。こうした施設は中国側から見られることを意識して造られていると思われます。
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これまで中朝間に残るいくつかの断橋を見てきましたが、①終戦時に日本軍が破壊したパターン、②朝鮮戦争で米軍機によって爆撃されたパターン、さらには③ソ連軍が橋桁などを収奪し、撤去したパターンなどがあるようです。

いずれにせよ、60年以上前の話です。この間、これらの断橋は野ざらしのまま放置されてきたのです。いったい中朝間の人的交流や物流はどこまで停滞してしまっていたのか。

その土地を誰が仕切るか――。それによって地域の発展の度合いがこれほど変わるものなのか。中朝間に残る断橋を見ていると、そう思わざるを得ません。高度経済成長を達成したといっても、中国にとって延辺は所詮辺境なのですね。

かつて朝鮮農民にとって希望の地だった延辺の農村は、すでに漢族化が進んでいるといわれます。中国にとっては、それで好都合なのでしょう。

中国から見れば、ロシアや北朝鮮と国境を接するこの地域をあまり勢いづかせないほうがむしろ安泰なのかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-18 11:28 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 17日

鴨緑江の源流は長白山南山麓の北朝鮮側にある

「中朝国境シリーズ」の第4弾です。さて、この写真はどこで撮ったものでしょうか。
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答えは、鴨緑江の源流近くです。長白山山麓を源流とし、中国と北朝鮮を隔て、吉林省長白鎮から遼寧省丹東をへて渤海にそそぐ鴨緑江。ここは、長白山に3つある中国側からの登山ルートのうち、「南坡(南坂)」の山門から車で天池を臨む山頂に向かって上る途中にあります。

この川幅わずか数メートルの急流は、中朝国境というわけです。道路脇の川の手前に中国側が設えた鉄条網が延々と張り巡らされています。中国が北朝鮮との国境に鉄条網を設えるようになったのは、北朝鮮が初めて核実験を行った2006年10月以降のことといわれます。鴨緑江の下流にある丹東新区や図們江の流域などに、いっせいに鉄条網が設えられたことはまだ記憶に新しいといえます。たいてい見せかけ程度の鉄条網で、脱北者も本気になればやすやすと乗り越えられそうなものですが、こんな山奥にまで鉄条網があったとは……。
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これが「南坡(南坂)」の山門です。長白山瀑布が有名な「北坡(北坂)」や2008年の長白山空港の開港で、ここ数年急ににぎやかになってきた「西坡(西坂)」に続き、2012年夏に本格的にオープンした登山ルートの玄関口です。
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地図をみるとわかるように、長白山の天池を北東から南西にかけて斜めに真っ二つに割るラインが中朝の国境線になっています。ところが、その先からは直角に折れ曲がるように南東に向けて国境線が伸びています。そして、そのラインが鴨緑江の源流近くとぶつかる地点から先は、そこが国境になっているのです。
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途中から急流は車道から離れていきます。その先に鴨緑江大峡谷があります。約1000年前の長白山の噴火によってできた大きな亀裂です。この先はもう中国側からは源流を捕捉できなくなります。本当の源流は長白山の南山麓の北朝鮮側にあるのです。
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山頂近くにある駐車場を降り、そこから登山道を数分上った先に、中国と北朝鮮の国境を示す「4号定界碑」があります。中国側は漢字で、北朝鮮側はハングルで書かれています。ここも中朝国境というわけです。「越境禁止」の看板があるのは、そこが北朝鮮領土であることもそうですが、その先はすぐに火口湖である天池に向かった崖っぷちになっていて危険だからです。
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本来であれば、ここから天池が眺められるのですが、その日(2012年7月2日)、山頂付近は深い霧で、天池を見ることはできませんでした。とても残念です。というのも、山の天気は変わりやすいといいますが、車で10分も下ると青空だったのですから。
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それにしても、天池を真っ二つに割るラインを中朝両国が国境線とした背景にはいろんな事情がありそうです。なぜなら、長白山(白頭山)を聖地とみなす民族的な心情は、明らかに北朝鮮の人たちのほうが強そうだからです。確かに、満州族にとっても長白山は特別な存在ではありますが、中国政府はこれまで満州族の民族的アイデンティティの高まりを抑えてきた張本人でもあるわけですし。

一般に、中国の人たちは「長白山の半分は中国が北朝鮮にあげたものだ」というような上から目線のもの言いを平気でします。朝鮮戦争で援軍を出したのは中国だからでしょう。援軍を出してやらなければ、白頭山の領有自体ありえなかっただろう、というわけです。

近年、長白山の観光開発が飛躍的なスピードで進んでいる背景には、「半分は北朝鮮にあげたとはいえ、長白山は本来中国のものだ」という東北工程的な史観の既成事実化があるように思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-17 10:42 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 16日

中朝ロ3か国の国境が見渡せる防川展望台(中国吉林省)

琿春は、中国吉林省の最東端に位置する都市で、ロシアと北朝鮮の2か国と国境を接しています。
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長白山の麓近くから中国と北朝鮮を隔てて流れる図們江が日本海に流れ着く先に、「朝ロ友好橋」(中国名「朝俄大橋」*「俄」はロシアの意味)と呼ばれる鉄橋があります。中国からみてこの朝俄大橋の手前までが中国領で、3か国のうち、中国だけが海に面していません。

ところが、この場所に展望台をつくって、観光客がのんびり見物にやってくるほどの経済力を有しているのは中国だけです。このアンバランスさゆえに、中国がどんなにこの地に港湾施設を手に入れたいとしても、ロシアと北朝朝がそれを牽制するという構図もあり、1990年代からかけ声だけは盛んに唱えられていた図們江開発は、いまもなお停滞しています。

ともあれ、3か国の国境が接する場所は珍しいため(東南アジアにタイ、ラオス、ミャンマーが接するゴールデントライアングルがあります)、吉林省延辺朝鮮族自治州を訪ねた人は、たいてい1日かけて防川展望台まで足を延ばします。

以下、延吉から琿春市街地をへて防川展望台へ。帰り道にロシアに向かう陸路の国境ゲイト、琿春口岸を訪ねるドライブコースを紹介しようと思います。
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早朝延吉を出て、図們江を横目に見ながら走りました。2013年現在、延吉・琿春間は高速道路もあるので、時間がなければそちらを走ることもできますが、車窓の風景は図們江沿いを走る一般道路のほうが面白いかもしれません。途中、道路の左手の高台の上に、地元でも有名な北朝鮮からの脱北者を収容する施設を見ることができます。
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朝食をとるため、ドライブインに立ち寄りました。北朝鮮から荷物を運ぶトラックが駐車していました。中に入ると、北朝鮮のトラック運転手たちが朝飯をかきこんでいます。彼らは犬肉のチゲ定食を食べていました。
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琿春の市街地を抜けると、車は一路南下します。30分ほど走ると、北朝鮮への出入国管理所のある圏河口岸が見えてきます。ここは丹東に次ぐ規模の中朝間をつなぐ橋の国境ゲイトで、北朝鮮に向かう中国車が列をなしています。この橋は、1937年に竣工したものですが、2010年に整備されています。北朝鮮側は元汀里といいます。このイミグレーションについては、本ブログ「中朝第2の国境、圏河・元汀里で見たもの」を参照のこと。
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そこから先は一本道をひたすら走ります。途中道路の左側にロシアとの国境を示す鉄条網が見えます。約20分走ると、防川展望台に着きます。
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空が広く、とてものどかな場所です。国境らしさを感じさせるのは、政府が立てた国防の標語を書いた大きな看板くらいでしょうか。土産物屋もあります。
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展望台に上がると、中国、北朝鮮、ロシアの3か国が国境を接するポイントが見えました。望遠レンズを使うと鉄橋の写真もかなり大きく撮れます。
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北朝鮮領は図們江の向こう側(西側)で遠く離れているためよく見えませんが、手前から左手(東側)に広がるロシア領はよく見えます。鉄道の線路や国境防衛の施設らしき建物も見えます。
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この展望台の少し南にある中国領のボーダーから日本海までは約16㎞だそうです。そのせいか、近くにカモメが飛んできました。
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展望台では中国の観光客が記念撮影を楽しんでいました。
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帰り道に、琿春の市街地の東はずれにあるロシアへの出入国管理所のある琿春口岸を訪ねました。周辺には、ロシアからの観光客を乗せたバスが並んでいました。これでだいたい半日のドライブコースになります。
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なおそこから先の国境の向こう側の世界については、本ブログ「国際定期バスで中ロ国境越え 延辺からウラジオストクへの小旅行」を参照ください。

【追記】(2016.12.25)
その後、2014年頃から防川国境は外国人の立ち入りを禁止するようになりました。中朝国境は現在の中国からみてとても敏感な地域であり、何か不測の時代が起きたとき(たとえば、脱北者もそうですが、北朝鮮から脱北者を探しに密入国してくる公安などと遭遇するなど)、外国人がその場に居合わせたり、巻き込まれたりしたら、世界的なニュースになってしまい、そのような国境管理の不手際を中国側の公安は見せたくないからでしょう。

それでも、ここは中国。100%不可能という話でもないようです。なにしろ、現在の防川国境には、冒頭の写真には写っていない、古代中国を思わせる巨大な展望塔が2014年に建てられ、国内向けには観光地としてにぎわっているからです。

さらに、本日延辺日本人会事務局から以下のメールが届きました。以下、抜粋します。

「(2016年)10月18日から琿春高速鉄道駅から防川風景区までのバスが開通されました。途中に圏河税関など数か所にバス停もでき、移動時間は片道1時間30分で15元です。ただし、圏河税関付近に国境警備の検問所が設置されていて、北朝鮮情勢により外国人は通過できずその場で戻される場合もありますので、訪問際には事前に事務局までお問い合わせください」

つまり、中国人であれば、このバスに乗れば簡単に防川国境展望台に行けるようになりました。ただし、外国人がこのバスに乗っていくと、北朝鮮への国境ゲートのある圏河税関付近でパスポートチェックを受け、バスから降ろされてしまう公算が大でしょう。

でも、もし中国人のグループと車をチャーターするなどの方法であれば、場合によっては、行けてしまうことがあるかもしれない。そういうわけです。もちろん、無理かもしれません。でも、こういう世界がまさに国境というものの実態なのです。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-16 13:06 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 15日

丹東よりずっと面白い河口断橋の遊覧ボート

前回、丹東(中国遼寧省)の上流にある河口断橋について書きましたが、ここに来たら、ぜひ遊覧ボートに乗ってみましょう。
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夏のシーズンになると、ここ河口断橋では、たくさんの遊覧ボートが観光客を乗せて、鴨緑江をクルーズします。ただし、その目的は、対岸にある北朝鮮の寒村を覗きに行くことですから、ちょっと悪趣味といえなくもない。豊かな国の人間が貧しい国の人たちが暮らす集落をわざわざ覗きにいくなんて、良識的に考えると、とてもほめられたことではありませんが、ここは中国。何事においても率直かつ好奇心旺盛な中国の人たちは、そういう遊興が大好きです。実際、中朝国境のほとんどの場所で、中国側からの遊覧ボートがあります(一方、北朝鮮側からのものは一切ありません)。

ボートは河口断橋のたもとから出ます。遊覧コースを紹介する看板があり、それによると、ボートはまず目の前の断橋の折れた近くを通り、東へ向かいます。北朝鮮側の断橋には国境兵士がいます。
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ボートは鴨緑江の北朝鮮寄りを走ります。最初に見えるのは、監獄です。そして、珍しい女子の兵営が見えてきます。近くに女性兵士の歩く姿も見えます。その瞬間、乗客から「おおっ」という声が上がります。
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川べりの道を歩く北朝鮮の人たちも間近に見えます。金日成の故居とされる建物も見えました。
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国境地帯らしく、北朝鮮の監視所や船も見えます。とても中国に立ち向かう力はなさそうですが…。
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そして、廃墟のような工場が見えてきました。それなりに大きな工場ですが、まるで爆撃を受けたような傷みの激しさに、驚きを禁じえません。まさか、60年前からこんなじゃないだろうに……。
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ステテコ姿のような労働者たちの姿も見えました。何をしているのでしょうか。
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最後に、中朝をつなぐ鉄道橋を見て、そこで折り返します。この鉄橋も日本統治時代に造られたものだと思われますが、いまはほとんど使われていないようです。
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わずか20分ほどの遊覧でしたが、北朝鮮の生の姿を間近で見ることができ、ちょっと興奮しました。これは丹東の鴨緑江遊覧ボートよりずっと面白いと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-15 00:22 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 14日

19世紀の近代絵画のような風景~河口断橋の対岸にみる北朝鮮

中国遼寧省の丹東といえば、中国と北朝鮮を結ぶ最大の口岸(イミグレーション)のある都市ですが、そこから東に向かって約40㎞、両国を隔てる鴨緑江の上流に向かうと、河口断橋という奇観があります。
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削られて見えにくくなっていますが、昭和17年12月に竣工した橋だそうです。
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なにが奇観かというと、橋が途中でぶった切れているのです。普通であれば、橋が落ちたら、修復してつなぐものですが、河口断橋は1950年代に橋が断たれて以降、60年間そのまま放置されていまに至っているのです。この景観は、ぜひとも見ておくべきでしょう。
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なぜ放置されているのか。建国以来、中朝の経済発展が長く遅れていたから? そのうち、中国だけが一方的に発展し、両国のつり合いが取れなくなった? といった理由だけで説明できるものなのか、ぼくにはよくわかりません。この両国の関係というのは、表向きと内情ではずいぶん違うようですし。でも、これだけの長い時間、かつてあった橋をつなぐ必要もなかったような関係とは、どういうものなのでしょう……。それを思うと、少し寒気がしてきます。
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いずれにせよ、日本が統治した時代に建設された橋が、朝鮮戦争中に米軍の空爆によって破壊されたまま、現在に至っている。その荒涼として驚くほどの静寂に包まれた河畔の風景が、実に興味深いというほかないのです。

誰でも入場料(10元相当)を払えば、橋が断たれたへさきまで歩いて行けます。
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そこから対岸の北朝鮮の集落が遠望できます。とても寂しげな光景ですが、見ようによっては、電柱を除いて、なんら近代的な意匠を見つけることのできない集落。まるで時間が停まってしまったかのような……。いまどき世界中どこを探しても見つけることのできない、19世紀の近代絵画の題材になりそうな農村風景といえなくもありません。
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橋のたもとには、朝鮮戦争で戦死した毛沢東の息子、毛岸英の像があります。この人物の経歴については、調べるといろんな話が出てきて面白く、中国では映画にもなったようですが、たぶんここに彼の像があることは中国でもほとんど知られていないのではないでしょうか。日本時代に造られたトーチカもここには残っています。
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ここには、土産売りもいます。彼女は北朝鮮の切手を売っていました。

人の気配も少なく寂しげな北朝鮮側に対して、中国側の河畔にはホテルが立っています。ぼくがこの地を訪ねたのは5月中旬でしたが、6月以降になると、ここで多くの中国人がレジャーを楽しむことでしょう。レストランでは川魚料理が売りで、たいそうにぎわうそうです。
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この橋のたもとからは、鴨緑江を遊覧するボートが出ます。その話は、またあとで。→「【中朝国境シリーズ その3】丹東よりずっと面白い河口断橋の遊覧ボート
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(写真は2008年5月に訪問したときのものです)
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by sanyo-kansatu | 2013-05-14 23:03 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 14日

朝鮮族がかつて多く住んでいた村々を訪ねる-龍井から長白山の麓まで

2012年7月、中国吉林省延辺朝鮮族自治州の農村地域を訪ねました。

龍井から長白山の麓までを車で走ったのですが、豊かな緑の田園風景の中に、オレンジ色の屋根(ただし、北朝鮮の家屋のように白いしっくいは塗られていません)の集落がいくつもありました。
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実は、これらの集落にはもうほとんど朝鮮族の人たちは住んでいないそうです。多くが延吉や中国の大都市に移住してしまったからです。代わって住んでいるのは漢族です。
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彼らは19世紀後半に朝鮮半島から図們江を渡ってきた移民ですから、時代とともに豊かさを求めて移動していくのは性だというべきなのかもしれません。

長白山に向かう道中、いくつかの場所に立ち寄りました。
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最初は、龍井の郊外にある尹東柱の生家(龍井市智新鎮明東村)です。尹東柱は、1917年生まれの民族詩人で、龍井中学を卒業した後、ソウルの延世大学に留学。その後、日本に渡り、立教大学や同志社大学など、ミッション系の学校でも学んでいます。
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尹東柱は1945年、戦時下の日本で獄中死しています。彼の詩集『空と風と星と詩』は死後出版されました。民主化運動の盛んだった1980年代に、韓国でよく読まれたそうです。韓国政府による民衆弾圧を、日本による併合時代と重ねて読んだのだといいます。延辺で尹東柱の生家が修復され、観光地化されたのは、最近のようです。

※尹東柱については、評伝ほかさまざまな資料があるが、立教大学観光学部発行「交流文化 2号(2005年)」の中のp22~p31「『すれちがい』から本当の『出会い』へ」 (田中望教授)という尹東柱に関するエッセイがわかりやすいので参照。
http://www.rikkyo.ac.jp/tourism/about/magazine/2005/pdf/vol_02.pdf

次に立ち寄ったのが、長白山特産の朝鮮人参の販売所です。裏手に朝鮮人参の栽培所があります。
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養蜂所もありました。天然の蜂蜜を販売しています。
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ちなみに、長白山山麓の名産品である朝鮮人参と蜂蜜は、7世紀末から10世紀初頭にかけてこの地域を支配した渤海国が、日本と交易のため使節を送って来た際、貂の毛皮に次いで人気の物産だったようです(『渤海国の謎 知られざる東アジアの古代王国』上田雄著 講談社現代新書より)。1000年たっても地場産品というのは変わらないものなのですね。

最後は、長白山の麓にある朝鮮料理の食堂です。
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中華料理と違って、ほとんど油を使わず、焼いたり、蒸したり、素材の味を活かした料理ばかりです。すべてが地元で採れた素材を使っていて、日本人の口に合います。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-14 12:45 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)