ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:ボーダーツーリズム(国境観光)( 59 )


2014年 04月 13日

ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン

2013年8月中旬、ラオス北西部のルアンナムター県と中国雲南省・西双版納タイ族自治州との国境地域であるボーテンを訪ねました。中国側の町は勐臘(モンラー)といいます。

少数民族トレッキングの拠点として知られるルアンナムターの市街地から約60km、車で1時間ほどの場所にあります。
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このキンキラキンの仏教寺院のような巨大なゲートがイミグレーションです。
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「Borten International Immigration(磨丁国际口岸)」と書かれています。
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中国客を乗せた観光バスや大型トラックが次々と通過していきます。
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実は同じ日、ぼくはムアンシンというもうひとつの中国・ラオス国境の町を訪ねていたのですが、そちらのローカル色たっぷりの風情とはまったく異なっています。
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国境ゲートの2㎞ほど手前には、大型バスが駐車できる巨大な駐車場もありました。ただし、駐車場の広さに比べると、トラックの数はまばらな気がします。
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これは中国が作成したインドシナの地図ですが、中国雲南省からタイ(バンコク)とカンボジア・ベトナム(ホーチミン)に抜ける2つの幹線道路を計画しているようです。そのいずれも、ラオスのボーテン国境を起点としていることから、この地の重要性がわかります。
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国境ゲートから5分ほど歩くと、巨大な建築群が見えてきます。ふと見ると「福兴路」という中国語の道路標示があります。えっ、ここは中国? 一瞬戸惑いを覚えます。
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そこには、ラオスの首都ビエンチャンでもめったに見かけないような大型ビルが並んでいました。
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中国語とラオス語が併記された中国食堂の看板も置かれていますが、そこにはほとんどひと気が感じられません。
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中国の郵便局がありましたが、営業していないようです。テナントの看板だけ残っていますが、シャッター通りと化しています。
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それでも歩いていると、ようやく人が姿を現しました。どうやら中国人のようです。やはり、ここは中国なのか?
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「黄金大道」という通りに出ました。
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通り沿いにはビルが並んでいますが、歩いているのはラオス人建設労働者が数人です。はるか後方に巨大なマンション群も見えます。いったい誰が住むのか?

どうやらここは、いま中国で深刻な問題となっているゴーストタウン(鬼城)そっくりです。それがラオス領内にあるというわけですが、これじゃまるで中国はゴーストタウンを輸出してしまっているのも同然です。
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右手にホテルらしい建物が見えてきました。中国の地方都市によくあるタイプのホテルで、「景兰大酒店」と書かれています。
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ロビーに入ると、客はいませんでした。ためしにフロントにいた中国人女性に宿泊料金を尋ねると、当惑した表情になり、代わって奥から警備の男性が出てきました。1泊1000元だと彼は言います。

本当に営業しているのかあやしいので、「高いですね。向かいにもう一軒ホテルがあるので、そちらに行ってみます」とぼくが言うと、男は「あそこはうちより高い。1泊1200元だ」と答えました。
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ところが、そのホテル(「黄金大酒店」といいます)を訪ねると、1泊なんと100元でした。「中国人は(見ず知らずの人間に対しては)息を吐くように嘘をつく」といいますが、悪びれることもなく見え透いたことをいう警備の男は、いかにも中国人だと呆れてしまいました。
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黄金大酒店の裏には、別のホテルらしき廃墟がありました。周辺は草で荒れ放題です。
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建設労働者向けの掘立小屋の背後に見える無人のリゾートホテルのわびしさは、何ともいえません。
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これらのゴーストタウンは中国国境から1kmほど離れた国道3号線の西側に広がっているのですが、道路の東側には、これまた中国の地方都市によくある食堂街のアーケードがありました。ここもひと気はなく、シャッター街です。
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インターネットカフェもあったんですね。
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ビエンチャンと昆明をつなぐ国際バスは、いまも走っているのでしょうか。
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それにしても、なぜ中国のゴーストタウンはラオスにまで輸出されてしまったのか? その謎を解くべく、国境ゲートと廃墟地区の中間に建っていた「老挝磨丁经济开发专区(ラオスボーテン経済開発専区)」ビルを訪ねてみました。
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出迎えてくれたのは、ひとりの若い中国人女性でした。だいたいこのビルにもひと気がないのですが、四川省出身という彼女は、日本から訪ねてきた珍客に対して、お茶やらパンフレットやらを用意し、親切に接遇してくれました。

どうやらこの国境エリアは、自由貿易地区に指定されており、2003年にラオス政府が香港系企業に土地を貸与したことから開発が始まったそうです。そこでは主にカジノを中心としたリゾート開発を行う計画でした。中国・ミャンマー国境と同じことをやろうとしたわけです。

ボーテン国境地区の開発については、ラオス在住のkenichiro_yamadaさんのブログ「ラオスのビジネスを読む。 -ブログ版-」に詳しく解説されていることを、帰国後知りました。

ラオスのビジネスを読む。 -ブログ版-
laotimes.exblog.jp

kenichiro_yamadaさんにメールで問い合わせたところ、いろいろ教えていただきました。

同ブログによると、彼が初めてボーテンを訪ねたのは、2008年9月です。

ボーテン国境(2008年9月5日)
http://laotimes.exblog.jp/8569316/

そこには、こんな風に書かれていました。

「本地域はラオス国内であることを、忘れてしまいそう。ここでは食べ物から飲料水、人、通貨、言葉、全てが中国でした。面白いことにホテルの時間も中国時間。中国南下の前線がウドムサイとすれば、ここはさながら基地といったところでしょうか」。

つまり、少なくとも5年前のボーテンはゴーストタウン化していなかったようです。では、どうしてこうなってしまったのか?

後日、kenichiro_yamadaさんは以下の興味深いレポートを送ってくれました。

【SEZ】ボーテンデンガームSEZが近く開始か

2013年4月11日、ボーテンデンガームSEZを訪問する機会を得た。本SEZは03年に設立され、10年2月4日付でボーテン黄金城SEZの活動に関する首相令が発布された後、「特別経済区:ボーテンデンガームSEZ(磨丁黄金城経済特区)」としてカジノを中心とした香港資本(Hong Kong Fuk Hing Travel Entertainment Group Ltd)による開発が進められた。その後、カジノ3施設、ホテル、アパート、商業施設、13階建ての3星ホテル、18ホールのゴルフ場、大規模ショッピングセンターの建設などが進められ、総合リゾートエリアとなることが計画されていた。

しかし、カジノに関連して殺人事件などが多発したこともあり、2011年半ばから中国政府が中国側国境(モーハン:磨憨)における中国人の出国時にラオスVISAの取得を条件としたことから、1日最大1万人程度の観光客が激減していた。また、ラオス政府側もカジノ犯罪の抑制が急務となったことから、11年6月頃からカジノを閉鎖し、立て直しを図った。

2012年4月には、Hong Kong Fuk Hing Travel Entertainment Group Ltd は株式の85%を雲南省のYunnan Hai Cheng Industrial Group Stock Co.,Ltd(云南海诚实业集团)に売却した。さらに、ラオス政府との間に特別経済区から特定経済区への格下げ、カジノ事業取り下げ(その他11事業は継続)の下で、ボーテンデンガーム特定経済区(磨丁经济开发专区)(資本金5億ドル、登録資本金1億ドル)として90年間1640haのコンセッション契約を締結している。

今回訪問した際に、SEZ委員会への聞き取りを行った所、以下のような回答を得た。

①現在、国家SEZ管理委員会に対してマスタープランを提出済みで、5月の閣僚会議にて協議・承認される見込み。これにより本格的な開発が再開される予定。

②中国側は中国人の相手国VISA無しでの出国を近く認める予定。早ければ6月頃を見込む。

③カジノ事業については、これまでラオス国内にカジノを規定する法律や管理する人材がいなかったことから問題が多かった。今後法律を整備することで、カジノを再開する可能性はある。

とのことであった。カジノの再開も視野に入れていることが印象的であった。

なお、中国人のラオスVISAは北京、昆明で取得することが可能であるが、国境周辺の中国人はこれまでアライバルビザでラオスへ入国するのが通例で、はるばる昆明まで取得しに行くことは難しい。
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また、マスタープラン案では、地域を4区に分類し、中国国境エリアを第1区「国門区」と設定し、免税区や金融区、バスターミナル、中国との商品交換区として開発。旧ボーテン村を第2区「伝統村・旅游区」とし、貯水池や緑地を残し、観光リゾート、エンタテインメント施設を建設する。第3区「物流区」はボーテン税関のボーピアト村周辺で、商品倉庫やホテル、レストラン施設を建設する。第4区は国道3号線の東側でゴルフ場を建設する計画。


なるほど、そういうことだったのですね。

しかし、今後このゴーストタウンが蘇ることがあるのでしょうか。

そうした悲観的な見方は、この地の人たちには通じないところがあるようです。というのも、この惨憺たる状況を前にしても、件の経済開発専区ビルの彼女は「もうすぐゴルフ場がオープンします。また来てくださいね」とにこやかに話してくれたくらいですから。まったくめげていないというのか、このへんの感覚がすごいですね。

いずれにせよ、これがインドシナ北辺で起きている「中国の南進」を象徴するひとつの事例であることを、ぼくはこうして知ったのでした。

【追記】
この地を訪れてから4年後、フジテレビが当地の取材映像を見せてくれました。当時ゴーストタウンに成り果てていたボーデンに再び中国の投資マネーが流れているようです。

一帯一路に流れ込むチャイナマネー(FNN2017.5.12)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00357960.html

「現代版シルクロード」の一環として、現在、東南アジアのラオスでは、中国主導による大規模な経済開発が進められています。人口700万人に満たない小国ラオスに、大量の「チャイナマネー」が流れ込んでいます。その現場を取材しました。

中国と国境を接するラオスの町、ボーテン。

「一帯一路」構想によって、建設ラッシュが進んでいる。

再開発される土地は、34平方km、東京ドームおよそ730個分。

物流センターや国際金融センター、雲南省とバンコクを結ぶ高速鉄道の駅などが建設されている。
その開発の中心を担っているのはラオスではなく、中国の企業。

開発業者は「ラオスの指導者は、『ボーテンは小香港、あるいは深センのようだ』と言っていた」と話した。

ラオスの町だというのに、住民の多くは中華系で、通りには中国語の看板があふれている。

使われている標準時間も、北京時間。

さらに、町は免税特区に指定されていて、免税店には、連日、中国人観光客が「爆買い」にやってくる。

商品の値段は人民元で書かれ、支払いも、ほとんどが人民元。

キャバレーも中国人向けにつくられ、今後も、さまざまな娯楽施設が建設されることになっている。

この町を、FNNが3年前に取材した時、ここは、ゴーストタウン同然だった。

10年ほど前、中国資本を頼りに経済特区としてカジノが建設され、当時は、大勢の中国人が詰めかけた。

しかし、賭博詐欺や公金流用など、中国人によるトラブルが相次ぎ、中国政府が、中国人の渡航を厳しく制限した。

このため、客足は激減し、カジノは閉鎖。

ホテルや商店の大半も、廃業に追い込まれた。

ところが、2015年、ラオスと中国は、「一帯一路」構想のため、新たに経済協力区にすることで合意。
再び開発が始まった。

今回も、中国が地元の行政機能を実質的に握って主導している。

町が活気づく一方、複雑な思いを抱える人もいる。

もともとの住民が、数km先の村に立ち退きさせられた。

住民は、「以前の場所は、中国人がたくさん買いに来たが、今は、みんな通り過ぎるだけです」、「ボーテンは両親の故郷なので、悲しくて腹立たしいです」などと話した。

初めてのサミットが開かれる「一帯一路」構想。

中国は、地域での影響力の拡大を狙い、ラオスなど途上国の住民の生活を変えながら、開発を続けている。


中国のラオス「進出」はここだけではありません。やはり4年前に訪ねていますが、ラオス北部は中国がまるで自国であるかのように開発を進めています。

中国発アジアハイウェイ(昆曼公路)がラオス国内の移動時間を大幅に短縮させている
http://inbound.exblog.jp/22439569/

フジテレビの取材陣のみなさんは、ぜひ中国国境のボーデンからタイ国境までの幹線道路の全域を取材してみられることをおすすめします。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 14:10 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 12日

インドシナ3カ国が接するゴールデントライアングル最新国境風景

タイ最北部の町チェーンセーンは、メコン河を隔ててラオスと国境を接しています。そこから西に10数キロ行くと、タイ、ミャンマー、ラオスの3カ国の国境が接するゴールデントライアングルがあります。もともとゴールデントライアングルは、周辺がケシの産地で、1970年代くらいまでは、いかなる国家も支配しない無法地帯でした。かつては中国国民党軍から独立したモン・タイ軍の司令官クン・サが支配していた麻薬の密造地帯だったのです。でも、いまではのどかな国際的観光地となっています。
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チェーンセーンはメコンのほとりの町で、人々はオレンジ色の川の流れをぼんやりと眺めながら暮らしています。川沿いには屋台やテーブルが並んでいますし、町の人たちも大樹の木陰に腰を掛けてじっと対岸を眺めている姿が見られます。大河のほとりに暮らす人々の日常ってそういうものなのだと思います。これと似たような光景を、中国とロシアの国境の町、黒河で見たことがあります。黒龍江(アムール河)沿いの町で、対岸との距離はちょうど同じくらいだったように記憶しています。
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さて、黒龍江の黒河でもそうでしたが、ここメコンのチェーンセーンでも、国境の河を遊覧する観光用のボートがあります。ただし、黒龍江では大型遊覧船しかなかったように思いますが、メコンでは個人用の遊覧ボートがあります。聞くと、約1時間のボートチャーターができるそうです。
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料金を聞くと、600B。数人でチャーターすれば安いものですが、せっかくここまで来てお金を惜しんでも仕方がありません。乗ることにしました。この看板にはライフジャケット着用と書かれています。
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人のよさそうなおじさんがボートを出してくれました。
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まず対岸のラオスに向かいます。3分も走ると、見えてきました。どうやら水上生活者の暮らす船のようです。
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粗末な小屋や船着き場も見えました。タイに比べると、ラオスの貧しさを感じます。
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そのうち、川べりで水浴びする子供たちを見かけました。こういうシーンはまるでセッティングされていたのではないかと思えるほど、旅人の眼を喜ばせてくれるのですが、たぶんラオスではふつうのことなのでしょう。中朝国境で見た鴨緑江で朝鮮の子供たちの水浴びする光景を思い出します。
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しばらくすると、おじさんは「いったんここで休憩。ラオスに上陸できるよ」と言いました。どういうことかな? と思っていたら、「Don Sao Hill Tribe Cultural Garden」と書かれたテーマパークらしい場所でボートを降ろされたのです。
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確かにそこはラオス領ですが、イミグレーションはありません。上陸すると、タイ人や欧米人の観光客がいました。
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とはいえ、そこにあるのは、山岳民族村というのは名ばかりで、ラオスの酒や土産品などが売られる店が並んでいました。
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またなぜか水牛が放牧(というのでしょうか)されていました。
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しばらく園内を歩いていると、おやおや…。女性もののバッグがたくさん並べられている店がありました。
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近づくと、やれやれ…。海賊品のブランドバッグです。
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ルイヴィトンだそうです。やったね、こりゃまた。
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しかも、こんなにたくさん! いったい誰がこんなものを買っていくというのでしょう。
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なんとも釈然としない気分でボートに戻ろうと川べりに歩いていくと、こんな看板が見えました。「老撾金三角经济特区(ラオス・ゴールデントライアングル経済特区)」と中国語で書かれています。なるほど、この山岳民族村は、中国の投資によるものだというわけです。海賊品が売られているのも、うなずけます。
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ボートはメコンの上流に向かって走り出しました。すると今度は、右手に(つまり、ラオス領に)王冠を被せたような奇態な建物が見えました。
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「あれっ、何?」。思わずおじさんに尋ねると、「カジノだよ」といいます。

なぜこんな場所にカジノがあるのか。ふとミャンマーと中国の国境にもカジノがいくつもあるという話を思い出しました。中国国境に近い北朝鮮の羅先にも香港資本のカジノがあります。来場者は当然中国人です。だとすると、ラオスでも同じことが…。
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そのうち、ボートはタイ側に寄り、ゴールデントライアングルの黄金のブッタのそばを走りました。
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これもこれで奇態な眺めではあります。タイ人というのは、本当にこういうキンキラキンが好きですね。
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さらに、ボートはミャンマーに向かって進みます。咥え煙草のおじさんの表情はなかなかいかしていますが、その向こうに見えるのは、ミャンマーのこれまたカジノだそうです。
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カジノの前でちょっと休憩。欧米客を乗せたボートがいます。このカジノには、ここから西に向かったタイ最北端の町メーサーイにあるミャンマーのイミグレーションで入域許可を取れば行けることを後で知りました。

おじさんは言いました。「ここはタイ、ラオス、ミャンマーの3カ国が接する場所。中国までは265kmある」。

ボートはここで折り返し、チェーンセーンに戻ることになりました。なるべくラオス寄りを走ってくれとおじさんに頼んだので、先ほど見た王冠のような建物を一部間近で目視することができました。
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「金三角经济特区欢迎你(ゴールデントライアングル経済特区はあなたを歓迎します)」と書かれていました。
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カジノの隣のホテルの名は「金木花园酒店(Kapok Garden Hotel)」とあります。
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今回のボートクルーズのコースが早わかりできる地図があったので載せておきます。スタート地点は地図の南にあるチェンセーン。まずラオス側に向かい、山岳民族村を訪ねて上陸したたわけですが、そこは島だったのですね。それから、タイ側に戻り、HUGE BUDDHAの近くを通り、メコン河が支流に割れるポイントまで来ると、そこがタイ、ミャンマー、ラオスの国境が交わるゴールデントライアングルです。ミャンマー領のカジノは、パラダイスホテルという名前のようです。

ゴールデントライアングルは、過去の歴史をすっかり忘れたかのように、いまや平穏そのもの。ラオスとミャンマー両方に中国のカジノが建てられているというのが、今日の時代を象徴しているというべきなのでしょうか。

翌日の朝、ぼくはラオスのカジノを訪ねることにしました。その話は別の機会に。

ゴールデントライアングルの中国カジノに潜入してみた
http://inbound.exblog.jp/22442674/
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 23:11 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 12日

タイ最北端の町からミャンマーへ~国境越えのタイムスリップ感に酔う半日観光

タイ最北端にあるメーサーイは、わずか10mほどの小さな川を隔てたミャンマーとの国境の町です。対岸はタチレイといいます。ここでは、外国人もミャンマーのビザがなくても入国可能で、最大14日まで滞在できます(※後述しますが、いまではこのまま陸路でヤンゴンまで行けるようになっています)。そこで、多くの外国人はミャンマーのイミグレーションでタチレイとその周辺地域に滞在可能な入域許可書を取り、1日だけのミャンマー観光を楽しみます。
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これはタイ側のイミグレーション。なかなか立派な建物です。ゲートの周辺は、国内外の観光客も多く、タイ名物の屋台がたくさん出ています。
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ここではタイ・ミャンマー両国民が通勤や通学、買い物などの日常生活の一部として日々往来しています。
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赤ん坊をそれぞれ抱えたふたりの女性が4人乗りでバイクに乗って国境を越えていく光景もごく普通の世界です。
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これが両国の間を流れるサーイ川です。右側の建物はタイのレストランバーです。夜は騒々しそうです。
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タイの出国手続きを終えると、両国の緩衝地帯に入りますが、ここにはミャンマー側の屋台が出ています。観光客が喉を潤すためジュースやフルーツを買っていくからでしょう。のどかです。
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これがミャンマー側のイミグレーションのゲートです。入国は向かって右側から。出国は左側からです。
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ミャンマー(北側)に向かって左側にパゴタが見えます。タイの寺院とは造形が違っています。
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ここで入国許可証を発行してもらいます。その場で写真を撮られ、500Bほど払います。これはミャンマーの辺域に位置する地方政府にとっての重要な収入源だと思われます。毎日入国して来る外国人の数はかなりのものですから。
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これが入国許可証です。

実は、このとき(2013年8月)、ミャンマーの入国係官に「来月から外国人も、ここから陸路でヤンゴンまで行けるようになる」と告げられました。これまでは、外国人がミャンマー国内に陸路で入国したまま、自由に移動することは許されていなかったのですが、この国の対外開放はこんなかたちで進んでいるのです。

それにしても、入国管理官たちがやけに陽気でフレンドリーです。それは前述したように、外国人が地方政府にとっての上客であるからには違いないのでしょうが、ミャンマーの人たちはこれから自分の国がだんだん自由になっていくことを、身をもって感じているのかもしれない。それが彼らの精神状態をハイにしているのでは、そんな気がしてなりませんでした。これは1980年代の中国や90年代のベトナムなどにも見られたように思います。

もっとも、ここではいかにもアジア的な場面に遭遇します。イミグレを出ると、すぐに入国係官の制服を着た若者に日本語で声をかけられました。「あれっ、あなた、また来たの? この前来たばかりでしょう」。

「えっ、…それ人違いじゃない(だって、前来たのはずいぶん昔)」と、一瞬慌てて否定すると、彼はくるっと振り向き、行ってしまいました。これ、タチレイのミャンマー人が日本人相手によくやるおちょくりの一種らしいです。

昔、アジア各地で日本人の背後から「落ちましたよ」と声をかけるという悪戯が大流行していました。そう言うと、日本人は必ず振り向くので、彼らからすると、おかしくてしょうがないのです。まったく「この野郎」と思うのですが、大人から子供まで遠慮なく仕掛けてくるので、これも彼らの悪意のない親しみの表現であると受け入れるしかありませんでした(タイではもうないと思います。でも、ミャンマーなら…)。

おそらく、その若い入国係官も、たいした理由があったわけでなく、ふらりと現れた日本人を軽くからかってみたかったのでしょう。人のいい日本人の中には、声をかけられるとついて行ってしまう人もいたかもしれない。別に詐欺に遭うとか深刻なケースはほとんどなかったとは思われますが、こういう人を脱力させるお出迎えは、久しぶりのことでした。これも、古き良き(?)アジアというべきでしょうか。
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さらに、ここはかつてのアジアだと強く感じさせたのが、イミグレの外に広がるタチレイの町の空気感でした。タイから数百メートルしか離れていないのに、なにやらけだるい熱気や土埃を多く含んだ空気に包まれているのです。赤茶けた粘りのある日差しの感じもそうですし、すくすくと育った熱帯の大樹も、メーサーイの町中ではほとんど見られなかったものです。

わずか100mの空間移動で時空を超えたタイムスリップ感が味わえるのが、タイ最北の町からのミャンマー訪問の面白さといえます。
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通りをまっすぐ進むと、ロータリーが見えてきました。「City of Golden Tryangle」というプレートが見えます。ミャンマー側のゴールデントライアングルを代表する町ということなんですね。
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周辺の建物には、さまざまな広告が貼られていますが、国境の町らしいのは、少数身族たちを登場させたミャンマービールの広告でしょうか。
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タイの「おいしい」ブランドの緑茶の広告もありました。
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実は、イミグレを出たすぐ右側にマーケットが広がっています。通りを埋め尽くすように張り出された傘の下には、さまざまなミャンマー土産が売られています。
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欧米人観光客の姿も多く見られます。
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売り子の中にはムスリムの娘たちもいます。彼女たちの顔に塗られたおしろいのようなものは、ミャンマーではごく一般的な女性の日焼け止めで「タナカ」といいます。彼女たちにとって、これはお化粧ではなく、日焼け止めという認識ですから、塗り方がずいぶんぞんざいに見えますが、これもご愛嬌というか、ミャンマーに来たという気分にさせられます。
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もちろん、こういういま風の女の子たちもいます。お手本はタイなのでしょう。
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海賊版DVDもいろいろあるようです。タイや香港、韓流もあります。日本のドラマもきっと見つかることでしょう。
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高名なお坊さんの読経のDVDも並んでいて、さすがは仏教に篤い国です。
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1時間ほど歩くと少し疲れたので、ひと休みすることにしました。見つけたのは、オープンエアの食堂のような店です。店内から海外のポップミュージックが聞こえてきて、「ミュージック・バー」と書かれています。
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そこはMTVのビデオを放映する食堂でした。せっかくですから、ミャンマービールを注文。
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英語のメニューがあったので、フライドヌードルを頼むと、チェンマイあたりでよく食べるカオ・ソーイに似た濃厚な味付けのやきそばが出てきました。スープ付きです。

昼間からビールを飲んだせいか、食事を終えると、突然ひどい睡魔に襲われました。しかし、その底なし沼に引き込まれていくような感じがなんともいえず心地よいのです。身体がとろけるようなまどろみ感。ここ数日の旅の疲れが出てきたのかもしれませんが、タイやラオスでは感じることはありませんでした。

気がつくと、30分ほどその場に寝てしまいました。別に薬を盛られたとか、そういう話ではありません。思うに、すべてはこの国の、あるいはこの辺境の町の空気感がそうさせたのでしょう。

ふと周囲を見回すと、客はほとんどいなくなり、ウエイトレスの子たちも食事中でした。寝ぼけていたせいか、ピンボケですいません。彼女もタナカを塗っています。
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アジアに来ると、自分の知り合いによく似た女の子がいて、びっくりすることがあります。写真の写りが悪くて彼女には申し訳ないですが、この子もそうでした。「大学時代のゼミの○○さんにそっくりだ。これはどうしたことか」なんて思ってしまうのです。すごく不思議で、おかしな気分です。いったい彼女はいまどこでどうしているのやら?

傍から見ると、そんなことを夢想しながらニヤニヤしている日本人は怪しすぎますが、ミャンマーあたりでは、彼女たちも笑顔で受け流してくれるのはありがたいことです。こういう感じは、もうアセアン第二の経済大国の首都であるバンコクあたりでは感じることはほとんどありません。

それにしても、いったいぼくは何しにミャンマーに来たのだろうか。自分なりに考えた答えは、昼寝をしに、です。これは自分ながら気に入りました。こういう時間がときには必要なんです。
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ミャンマーに来てもうひとつ面白いと思ったのが、車のプレートでした。これホンダ車ですが、この子供の落書きのような文字がミャンマーの数字のようです。かわいくて、なんとも脱力感たっぷりです。

※参考:ミャンマーの数字

夕方が近づいてきたので、そろそろタイに戻ることにしました。再びイミグレで出国手続きをし、タイ側に向かいます。途中、ミャンマー側が経営する免税品店がありました。中を覗くと、ちょっとしたブランド品やワインなどが売られていました。
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急に現代に呼び戻されたような気分になりました。
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タイ側のイミグレに向かう途中、学校帰りなのか、小学生の女の子3人が歩いていました。彼女たちはタイ人なのか、ミャンマー人なのか。どちらの学校に通っているのか? もしタイ語がわかれば聞いてみたいものですが、詳しくはわかりません。
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これが入国管理所です。外国人たちが入国のための書類を書いています。ぼくも書きました。
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タイに戻ると、今度は小型トラックに乗せられミャンマー側に帰っていく中学生くらいの制服姿の男の子たちを見かけました。

タイ最北端の町からミャンマーへの半日観光。しかし、そのわずか100mの国境越えのタイムスリップ感に酔いしれた1日でした。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 13:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 12日

ラオスからタイへ~メコン河をボートで渡る(フアイサーイ・チェンコーン)

アジアの旅の楽しさは、ローカルバスに乗ったり、ボートで川下りしたり、普段めったに味わえない乗り物体験を、選択の余地もなく、やってしまえることに尽きますね。

「選択の余地もなく」といったのは、それ以外の交通機関が存在しないので、現場に身をまかせるしかないということです。
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2013年8月中旬、ラオス北西部の国境の町、フアイサーイにいました。タイとの国境を隔てているのはメコン河です。対岸の町はチェンコーンといいます。

フアイサーイには午前中のうちに着いたので、お昼をここで取り、午後は早目にタイに向かう予定でした。
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フアイサーイでは、多くの若い欧米人バックパッカーの姿を見かけましたが、町自体はこれといって何があるというわけではありません。お昼には少し間があったので、ボート乗り場の向かいの高台にあるお寺に上ってみることにしました。
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ここからなら、対岸のタイの町がよく見えると思ったからです。
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けっこう長い階段を上ると、目の前にお寺が現れました。ワット・マニラ―トといいます。造形的にはタイのお寺に似ていますね。
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境内には、オレンジ色の袈裟を着た小学生くらいのお坊さんたちがいました。小坊主といえば、日本では「一休さん」が有名ですが、インドシナの仏教国では、当たり前のように存在しているのですね。彼らは「ハロー」といって手を振ってくれました。
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境内からは、確かに対岸のタイの様子とメコン河を渡るボートが見えました。渡し船というやつですね。
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お寺から降りて、銀行で手持ちのラオスキップをタイバーツに両替してから、町のホテルでお昼をとりました。ラオビールもこれで飲み納めです。
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さて、いよいよメコンを渡ります。まずイミグレーションでラオスの出国手続き。
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次に、ここでボートのチケットを買います。片道1万キップ(約100円)。
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川沿いにはたくさんのボートが浮かんでいます。
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対岸から地元客を乗せたボートがやって来ました。
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ぼくの乗ったボートにはタイ人の旅行客や地元の人しかいませんでした。
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岸を離れたボートから見ると、ラオス側の乗り場には国旗がはためいています。
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対岸に見えるのがタイ側のボート乗り場です。イミグレーションも見えます。
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ようやくチェンコーンに到着。地元の人はお米を運んだり、けっこう荷物があります。
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「ようこそ、タイへ」
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これがタイの入国管理所です。パスポートを見せるだけでOKです。
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2015年のアセアン統合を伝える看板がありました。これはタイの空港や国内各地のイミグレーションでもよく見かけます。
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入国手続きを終え、さてこれからどうやってゴールデントライアングル方面に行こうかと思案していると、目の前に大型トラックが何台も並んでいるのが見えました。
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どうやらラオス行きの物流車のようです。川岸に向かって歩いていくと、トラックを載せてメコン河を渡る船が停泊していました。
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船が出港するまでの時間、この光景をずっと見届けてしまいました。
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こんな重いトラックを何台も載せて、すごいなあ。まるで素朴すぎる感想ですけど、こういうときは、子供が乗り物を眺めているのと変わらないですね。
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そして、ついに出航。轟音を立てて、船はトラックをけん引していきます。

【動画】タイ・ラオス国境 メコン河の物流のいま(フアイサーイ・チェンコーン)2013年8月中旬
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※もしおひまでしたら、どうぞ。


今後、タイとラオスの間には、ビエンチャンとノーンカーイ間のようなメコン河をつなぐ国境橋がいくつもつくられていくのでしょうか。ただし、この状況からわかるのは、メコン河を下る航路や物流を考えると、下手に小さな橋をつくるわけにもいかないということでしょう。船がくぐれなくなると困りますから。相応の物流と人の往来が見込めなければ、投資も簡単にはできないはずです。ラオスの人口は、中国と比較するとおそろしく少ないのです。
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中国のインドシナ南進の勢いも、メコン河を隔てた先はそう一筋縄ではいかない気がしますが、これからどうなるのでしょう。

【追記】
その後、フアイサーイとチェンコーンを結ぶ「第4タイ・ラオス友好橋」が2013年12月11日に開通したことをネットで知りました。

第4タイ・ラオス友好橋が開通 
http://www.newsclip.be/article/2013/12/12/20069.html

「第4」とあるように、これはタイとラオスの国境であるメコン川をまたいで渡る4つめの橋ということです。橋の全長は630m、幅14.7m。建設費は16億バーツで、タイと中国が半分ずつ負担したそうです。これで、中国雲南省の昆明からタイのバンコクまでを陸路でつなぐ1本のハイウェイが完成したことになります。

現地在住の日本人のブログによると、2013年8月にぼくがこの国境を渡ったボートは、現在地元の人間以外は利用禁止で、外国人は乗れなくなってしまったようです。イミグレーションも閉鎖されたとか。ということは、ぼくはこのボートで渡るのどかな国境の最後の年の渡航者になってしまったということです。

チェンマイ在住日本人のブログより
http://chaocnx.seesaa.net/article/384002459.html

今後、中国とタイの物流はますます盛んになることでしょう。船で大型トラックを渡す光景も見納めだったわけです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 11:23 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 10日

タイの長距離VIPバスはこんなに快適!

春が来て、桜の季節もあっという間に終わりました。空気がぬるむと、旅の衝動が身体に蘇ってくるのがちょっとうれしい今日この頃です。

そこで、2013年8月のインドシナ北辺旅行を思い出しつつ、出しそびれていたいくつかの報告をしようと思います。
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最初は軽い話題から。タイの長距離VIPバスはとても快適だった、という話です。

ぼくがバスに乗ったのは、タイ最北部の町で、ミャンマーとの陸路の国境ゲイトのあるメーサーイからチェンマイまでの約3時間でした。
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これがメーサーイの国境ゲイトです。しばらく見ないうちに、ずいぶん立派な建物になっていました(前日、ぼくはここを抜けて半日ほどミャンマーで過ごしたのですが、それは別の機会にしましょう)。
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ここがメーサーイのバスターミナルです。ちょっと鄙びて老朽化しているのも悪くありません。メーサーイの中心からバイクタクシーで5分ほどの場所にあります。バスのチケットは前日のうちにここに来て購入しました。200Bほどでした。
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バスは午前8時15発。少し早めにターミナルに来ていたぼくは、待合室に座ってバスが現れるのを待っていました。
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すると、8時きっかりにターミナルに置かれていたテレビの場面が突然、戦車やらタイ国旗やらが乱れる、いわゆる国威発揚的な映像に変わり、最後に国王の映像が流れました。これは毎朝8時と夕方6時に国営テレビが放映しているタイの国歌らしいのですが、何人かの若いタイ人たちは起立して国王のお言葉を拝聴していました。立っているのは女の子のほうが多いようです。バンコクのような都会では、学校にでも行かなければこういう光景は見られないかもしれません。

【動画】タイの国歌放映(一部)
※昨今のタイ情勢は、ここで謳われている国民統合の危うさを感じさせて、なんとも心配です。
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しばらくすると、バスがやって来ました。タイの長距離路線バスには、いくつかのクラスがあります。たいてい外国人はVIPバスを勧められます。ぼくの乗ったバスには、明るい黄緑色の制服を着た女性ガイドさんが同乗していました。昔からタイのバスや鉄道で働いている女性スタッフの雰囲気が好きでした。ちょっとけだるい感じの田舎のおねえさん的な接客がとても好ましく、ぼくには新鮮に感じられるからです。
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座席はリクライニング付きの快適なものです。中国の地方を走る路線バスも、最近ずいぶんよくなってきましたが、まだまだタイのほうが進んでいるように思います。
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バスガイドさんから乗客一人ひとりに、菓子パンとミネラルウォーターとマンゴージュースが配られました。朝食付きというわけです。
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タイの主要な地方都市をつなぐ幹線道路は整備されており、快適な走行でした。あんまり快適すぎて、途中メーサーイから県外に出るとき、検問があって、警察官がチェックに入って来たことくらいしか特筆することはありませんでした。

思い出していたら、急にまたこのバスに乗りたくなってしまいました。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-10 11:35 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 02月 05日

外国人ツーリストにとって居心地のいい町の必要十分条件とは?

昨年8月、インドシナ北辺の国境地帯を1週間ほど旅しました。タイの首都バンコクから夜行列車でラオス国境の町ノーンカーイに向かい、国境の橋を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ。そこからラオ航空の国内線でルアンナムターという少数民族のトレッキングの拠点として知られる町を訪ねました。中国国境(雲南省)からも近い町です。

ひとりの外国人ツーリストにとって、ルアンナムターはとても居心地のいい町でした。

なぜなら、この小さな町にはツ-リストに必要なすべてのインフラがコンパクトに揃っているからです。

では、ツーリストにとって必要なものとは何か。居心地のいいツーリストタウンの条件について、あらためて考えてみたいと思います。その意味では、このラオスの片田舎にある小さな町は格好のケーススタディの対象といえるでしょう。

ルアンナムターの空港を降り立ったツーリストの動線に沿って、この町を紹介します。
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空港は市街地から7kmほど南にあり、乗り合いトラックで10分ほど。市街地の南にあるバスターミナルで降ろされますが、そこから100mほどの場所にホテルやレストラン、トラベルエージェンシー、ツーリストオフィス(観光案内所)などの施設が並んでいます。市街地は、南北2 ㎞、東西1kmの範囲にほぼ収まっています。1時間もあれば散策できるこの町の適度な大きさが、ツーリストにとっての居心地のよさを生んでいる条件のひとつです。
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まずはホテル探し。ほとんどのホテルがメイン通りに沿って並んでいるので、歩きながら気に入った宿を値段と客室の快適度などを比較して選ぶだけです。町の規模にしてはホテルの数が多く、選り取り見取り。選択肢の自由が多いことは、ホテル選び自体が旅の楽しみにつながります。そういうのが面倒くさい、またホテルの予約なしで旅行するのは不安という人も、心配ご無用。いまの時代、こんな山奥の町のホテルにもたいていHPがあって、ネットでも予約ができます。ホテルのスタッフは簡単な英語は話しますから、予約なしでも問題ありません。

ツーリストにとってホテル選びは旅をエンジョイするうえで最も重要な“仕事”のひとつです。ストレスなく快適なホテルが見つかれば、その町の滞在は半分以上成功したといってもいいほどでしょう。
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外国人ツーリストのホテル選びの条件としてWi-Fiが使えるかはとても重要です。その点、このラオスの片田舎のゲストハウスではたいていどこでもWi-Fiが完備しています。実際、ぼくはこの町から東京の友人にラインを使って通話したのですが、音声はクリアでまったく問題がありませんでした。Wi-Fiはチェックインのときゲストハウスのオーナーに渡されたカードに書いてあるパスワードを入れるだけ。無料です。いまどき、アジア諸国では、ツーリストが訪れるような町ではどこでもこの程度には普及しているといっていいでしょう。こんなこと、あまり言いたくはないのですが、東京よりもずっとアジアの片田舎のほうが通信環境は進んでいるといえるのです。

さて、部屋で荷を解き、シャワーを浴びたら、町を歩いてみたくなるものです。食事をどこで取ろうか、ミネラルウォーターや軽食はどこで買えばいいか、少数民族の村へのトレッキングツアーに参加するにはどのトラベルエージェンシーに頼むのか、近郊の町に移動するためのバスチケットはどこで買えばいいか……。ツーリストには、しなければならないいくつかの“仕事”があるからです。
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でも、ルアンナムターにはそれらのすべてが徒歩1分以内の範囲で段取りできてしまうのです。こんなに便利なことはないでしょう。上記のすべてのことが30分以内に終わってしまうほど。こうしたストレスレスな環境こそ、居心地のいいツーリストタウンの条件だといえます。

以上はツーリストタウンの必要条件ですが、実はそれだけでは十分とはいえません。

8月のルアンナムターは雨季にあたるので、日本人の姿は少なかったですが、ぼくの泊まったゲストハウスの隣のカフェレストランには、欧米から来た若い旅行者が大勢いました。そこはこの町でいちばん有名なゲストハウスで、ちょっとにぎやかすぎると思ったので、隣の宿にしました。朝食だけそこでとればいいからです。ハムエッグ付きのイングリッシュ・ブレックファストが食べられます。もちろん、そこらの屋台で地元の麺を食べたっていいです。
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「住(アコモデーション)」と「食(グルメ)」と「足(トランスポーテーション)」の問題が解決されてしまうと、たいてい人は満足してしまうものですが、ツーリストはちょっと違います。「観光(アトラクション)」がなくては、人はなぜ旅に出るのか、という根本の欲望が満たされたとはいえないからです。

その点、ルアンナムターは、少数民族の村へのトレッキングの拠点であり、これがメインアトラクションです。まあそのために海外のツーリストはこの町を訪れるわけですが、サブ的なアトラクションもいろいろあります。
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たとえば、市街地の北にルアンナムター博物館があります。この地域に暮らす少数民族の歴史や風俗を展示しています。そこそこ立派な施設です。誰しも旅に出ると、異文化に対する知的好奇心が刺激されているものです。トレッキングの前後にぜひ足を運んでみたくなるはずです。
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ホテルの周辺には、民家もたくさんあります。朝早く起きて、知らない町を散策するのは楽しいものです。小さなお寺もあって、足を延ばしてみたくなります。こんなささやかなことも、ツーリストにとっては十分魅力的なアトラクションです。

もうひとつが、夜をどう過ごすかです。都会であれば、繁華街に繰り出せばいいのですが、こんな片田舎では何をすればいいのか。
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ルアンナムターには、夜になると屋台が並ぶナイトマーケットがあります。夜の食事はここで地元料理を味わうわけです。もちろん、前述のカフェレストランでは簡単な洋食が食べられますし、町のいたるところにある屋台の麺でしめることもできます。これだけアトラクションが揃えば、まったくいたれりつくせりだと思いませんか。

整理してみましょう。外国人ツーリストにとってストレスレスで居心地のいい町の必要十分条件とは?

①ツーリストにとって快適なホテルがあること。Wi-Fi整備は必須。
②ホテルの周辺で「食(グルメ)」「足(トランスポーテーション)」の手配が可能なこと。
③メインの観光以外に、知的好奇心を満たしたり、ナイトライフを楽しんだりするためのアトラクションがあること。

はたして日本の観光地にはこれらの条件が揃っているといえるでしょうか。

今回ぼくはこの町でいちばん有名なゲストハウスの隣にあるKhamking Guest Houseという宿に泊まりました。オーナーはまだ28歳の若いラオス青年で、地元の観光専門学校で英語やツーリズムを学び、数年前にゲストハウスをオープンしたそうです。
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実はその町に着いた日、ぼくはラオスの通貨を使い果たしていました。とにかく物価の安いラオスです。長い旅でもないので、日本円しか持っていませんでした。1万円分も両替すると余りそうなので、5000円札を両替してくれないか、と彼に頼みました。ゲストハウスの向かいにATMがあるので、いま考えると、ずうずうしい話です。

オーナーの青年は言いました。「ぼくは1万円札なら見たことあるけど、5000円札は見たことありません。これは本当に日本の紙幣なのですか」。そこでぼくは思わず言いました。「ぼくは日本人です。人をだましたりはしませんよ。どうか信じてほしい」。すると、彼は大きくうなづいて、「では待っていてください。これをラオスキップに両替して、明日のバスチケットと宿代を差し引いたぶんをお渡しします」。そう言って、彼はその場を立ち去り、夜にラオスキップでお釣りを手渡してくれたのです。

なんてことのない話のようですが、こういうのを本物のホスピタリティというのではないでしょうか。ツーリストにとって、何がいちばん不便なことなのか、どうしてもらえるとありがたいのか、彼はよく理解しているのです。

よく日本では“おもてなし”といいますが、結局のところ、ツーリストにとって何がストレスになっているか、その理由がわかっていないと、ひとりよがりなもてなしになってしまうおそれがあります。

ぼくにとって、このゲストハウスのオーナーに出会ったことが、この町の印象を好ましいものにした最大の理由だったといえるかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-05 14:05 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 12月 01日

ラオスの北部辺境で会った華人移民の境遇は?

ラオス北部のムアンシンは、少数民族の集落を訪ねるトレッキングの拠点として知られるツーリストの町です。オンシーズンの11月から3月にかけて、小さな山あいの町が外国人の姿でにぎわいます。
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ぼくが訪ねたのは8月ですから、ツーリストはほとんどいませんでした。ルアンナムターからバスで約2時間半。町はずれのバスターミナルからこの町のメイン通りまで歩くと、1階が食堂になっている木造のゲストハウスを見つけました。タイルー・ゲストハウスといいます。ムアンシンの地図の右下の物件が集中している通りにあります。
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チェックインをするとき、宿泊名簿に国籍を書くのですが、ざっと見ると、フランスやドイツ、スペイン、チェコ、ポーランドなどのヨーロッパ人が多く、アジア系では日本人や韓国人がいました。また中国人もひとりいて、27歳の男性でした。中国のバックパッカーもラオスに来ているのですね。
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部屋には大きなかやが吊ってありました。ブンブン音を立ててまわる扇風機が唯一の電化製品です。こういう昔ながらのゲストハウスに泊まるのは久しぶりです。夜も7時を回っていたので、1階の食堂に降りて食事をすることにしました。
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ここはツーリスト向けの食堂で、英語のメニューもあります。ふと見ると、テーブルにトンボがとまっています。
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ラオスの代表的な料理といわれるラープというひき肉の香草炒めともち米のライス(カオ・ニャオ)を注文しました。
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食堂にはフランス人の家族とルアンナムターからのバスで一緒だったドイツ人バックパッカーの女の子2人組がいました。彼らは別のゲストハウスに宿泊しているようですが、この時期ツーリスト向けの食堂はここしか営業していないようです。ドイツの子たちはヴェジタリアンには見えませんが、食堂のおばさんに「肉入りでない料理はどれ?」と尋ねています。おそらく今日この町に滞在している外国人が勢ぞろいしたものと思われます。

しばらくすると、雨が強く降ってきました。ドイツの子たちは食事をすませると、慌ててゲストハウスに帰っていきました。さらに雨は強まり、スコールのような激しさで、通りはくるぶしくらいまで雨水がたまり始めました。

フランス人家族は中年のご夫婦に高校生の娘ひとりでしたが、彼らは雨具を持ってこなかったようです。お困りの様子だったので、ぼくは見かねて声をかけました。「2階の部屋に傘を1本持っているので、お貸ししましょうか」。すると、驚いたように、家族はこちらを振り返りました。どうやらぼくは彼らの目にツーリストと映っていなかったようです。それほど現地に溶け込んでいたのでしょうか(笑)。ぼくはルアンナムターの雑貨屋で中国製の傘を1本購入していたのです。すぐに部屋に駆け上がり、お父さんに手渡しました。

ご夫婦はあまり英語が得意ではないようでしたので、高校生の娘が通訳となってくれました。お父さんはぼくの渡した傘をさし、豪雨の中を家族のために雨具を取りにいくことになりました。

お父さんの帰りを待つ間、母娘と少し話したのですが、彼らは約3週間のインドシナ旅行に来ているとのこと。明日はルアンナムターに戻り、アンコールワットのあるカンボジアのシェムリアップに向かうそうです。話を聞いていると、ほとんどバックパッカーの旅同然で、日程だけは大まかに決めていても、移動はぼくと同じように、ローカルバスに乗ったり、国内線のフライトを利用したりと、なかなかの珍道中のようです。でも、家族でそんな旅をしている彼らのことがちょっとうらやましいような気もしました。それに、よく高校生の娘が付いてきたものだなと思います。そんなことを母娘に話しているうちに、ようやくびしょぬれになってお父さんが帰ってきました。

帰ってくるなり、「ゲストハウスの周辺は膝まで雨が増水しているよ。早く帰ろう」とお父さんは言いました。「パパはヒーローね」。そう娘がいうと、お父さんは濡れたレインコートとTシャツを脱ぎ捨て、ボディービルダーのようにマッチョなポーズをとって母娘を笑わせています。それを娘が写真に撮っていました。この微笑ましいエピソードは、帰国した後も、この家族の旅の思い出として語られることになるのでしょうね。

さて、静かになった食堂でぼくはひとり、雨で外出もできないので、ラオスの地酒ラーオ・ラオを飲むことにしました。自家製の米焼酎です。だって、他にすることがないのですから。

食堂のおばさんは片言の英語で聞きます。「あなた、どこの人?」「日本人ですよ」。

すると、おばさんは言います。「日本人のあなた、スモークしたらダメよ(Japanese,NO Smoke!)。警察に捕まるよ」「……」。

かつてムアンシンはジャンキーのたまり場だったという話を思い出しました。なにしろここはインドシナ北辺の国境地帯で、大麻やケシの集散地でした。朝市でも以前は大麻がふつうに売られていたといいますし、ゲストハウスに長期滞在する外国人ツーリストの中には、ラリって警察に捕まったり、命を落としたりした人もいると聞きました。まったく地元の人にとっては、はた迷惑な輩です。もちろん、その中には日本人も含まれていたので、おばさんはぼくに忠告したくなったのでしょう。おばさんの言葉には「冗談で言ってるんじゃないよ」という強い語気が含まれていました。

なんともいたたまれなくなったので、部屋に戻ろうかと思ったら、さいわい雨が小降りになってきました。通りにいくつか雑貨屋などの明かりが見えたので、外をふらつくことにしました。
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少し歩くと、「中老賓館」という中国語の看板があります。どうやら華人宿のようです。中に入ると、そこは食堂でした。

ぼくの姿を見ると、店の主人らしき男が近づいてきました。まだ飲み足りない気分だったので、彼に言いました。ここからは中国語の世界です。

「你好,你有什么酒?」
「啤酒有」
「不要,那中国酒有吗?」
「有」

そして、出てきたのが、白酒でも黄酒でもなく、養命酒のような少し甘いお酒でした。ここは雲南省に近い場所ですから、強い酒を飲む習慣はなさそうです。
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薄暗い蛍光灯の下では、華人たちが麻雀に興じていました。その脇で、誰かの娘なのでしょう、ひとりの幼女がCCTVのアニメチャンネルらしき番組を観ています。中国モノに多い3D動画です。
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ムアンシンは外国人ツーリストの山岳トレッキングの拠点であると同時に、中華新開地でもあるのです。主人に聞くと、8年前に四川省から来たそうです。このような店を好んで外国人ツーリストが利用するようには思えませんが、シーズンになると数少ない食堂ですし、そこそこ利用されるのでしょうか。それにしても、こんなラオスの片田舎に移住してきたことが、この四川人の人生にとって好機をもたらしたといえるのか。余計なお世話ですが、微妙に思ってしまいます。

店員の女の子ふたりが、そばで店内の掃除をしていたので、「きみたちは、中国のどこから来たの? 雲南省?」と聞くと、ぼそりと「老挝汉族(ラオ漢族)」と答えました。
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これは中国系ラオス人(ラオス国籍の中国人)という意味なのか、それとも中国籍の少数民族としてのラオ族なのか、ぼくには専門的な知識がないため、よくわかりませんでしたが、この国境地帯でそのどちらかを問うことは、それほど意味がないのかもしれません。

翌朝、この通りを歩くと、華人の家屋がずいぶんたくさんあることに気づきました。中国ナンバーの車が前に止めてあるのでわかります。地元の人たちは、もともと高床式の木造住居に住んでいるからです。
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こんな片田舎でも、ラオスでは華人に経済を握られてしまうというのは、こういうことをいうのですね。
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by sanyo-kansatu | 2013-12-01 09:59 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 11月 27日

脱北者で話題となったラオスの中国国境ムアンシンの風景

少数民族の集落へのトレッキングと朝市で有名なムアンシンから東へ10数キロほどの場所に、パーントーン(パンハイ/班海)というラオスと中国の国境ゲートがあります。
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ここはラオスと中国の両国民だけが通行できる国境ゲートで、第三国人は抜けることはできません。今年5月、北朝鮮からの脱北者がラオスで身柄を拘束され、強制送還されたという報道がありましたが、その際、彼らが中国からラオスに密入国したのが、この近くだといわれています。

ラオス、脱北者9人を北朝鮮に強制送還 異例の措置の見方(CNN)2013.06.01
http://www.cnn.co.jp/world/35032834.html
ラオス、脱北経路遮断は非現実的
http://japan.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk00400&num=17147
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ラオス側のイミグレーション(パンハイ・イミグレーション)です。
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その先にブルーの建物の検問所があり、さらに先に中国(雲南省)方面のイミグレーションがあります。歩いて国境を渡る家族や中国の自家用車、トラックが見えます。のどかすぎて、道路では犬がねそべっています。
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イミグレーションは、出国と入国の窓口に分かれています。赤ん坊を抱いた少数民族の女性やおばあさんがいます。子供を抱いてベンチで休んでいる女性もいました。
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入国の窓口に、中国人らしいふたりの男女がいます。身なりや履いているシューズが、なんとなく地元の人たちとは違って見えます。
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中国とラオスの友好行事の写真が貼られています。

さらに、国境を渡る人たちや車の様子を見ていきましょう。籠を担いだ少数民族やバイクを押して渡る若者など、それなりに往来はあります。もともとここは周辺の住民の生活道路だったに違いありません。
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イミグレーションの脇に、検疫事務所と食堂があります。
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さて、ムアンシンからこの国境ゲートまで、ぼくは地元の人に借りたバイクで走ってきました。ゲストハウスの近くに華人経営のレンタルバイク屋もあるのですが、ツーリストの少ないオフシーズンだったため、休業中。そこで、民家で木彫りをしていたおじさんに声をかけて、2時間50000kip(約500円)でバイクを借りたのです。基本的に、この地では簡単な中国語は通じます。

ここから先の写真は、国境ゲートからムアンシンに至る帰り道で撮ったものです。密林に囲まれた一本道です。ある時期まで脱北者たちはこの密林を抜けてラオスに密入国してきたのです。これだけ深いジャングルであれば、彼らも手引きさえあれば身を隠して越境するには好都合だったと思われますが、その一方で華人が多く住み、往来している地であることも確かです。
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しばらくすると、水田も見えてきます。籠を担いだ少数民族が歩く姿は日常の風景です。
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ときおり中国からのトラックが走り過ぎていきますが、雲南省のプレートが付いています。
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水田を抜け、橋を渡ると、ムアンシンの町に着きます。田園風景の一本道をバイクで風を切って走るのは気分がいいものです。東南アジアの人たちがバイクを好む気持ちが、いまさらながらよくわかりました。このあたりでは、大人だけでなく小学生の女の子ですらバイクに乗っています。自動二輪の免許制度はどうなっているのか、わかりませんけれど……。
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※実は、同じ日ぼくは中国とラオスのもうひとつの国境ボーテンを訪ねています。下記を参照のこと。

ゴーストタウンと化していた中国ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/
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by sanyo-kansatu | 2013-11-27 09:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 11月 24日

ちょっと悲しい少数民族のおばさんの日常着(ラオス北部ムアンシンの朝市)

ラオス北部のルアンナムターからバスで2時間ほど山奥に向かうと、少数民族の集落へのトレッキングで知られるムアンシンという町があります。中国国境のあるパーントーン(パンハイ/班海)から10数㎞という場所にあります。
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ムアンシンは朝市が有名です。周辺の山村から少数民族たちが自分の採った山菜や野菜を売りに来るからです。
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場所は町はずれのバスターミナルの向かいにあります。屋根の下はおそらく地元の人たちの売り場で、周辺の山村から来た少数民族たちは、屋根のない道端に布を広げ、売り物を並べます。
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ヒキガエルも網の中にいます。
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ラオ・ラーオという自家製の米焼酎もペットボトルで売っています。

こうしてみると、ビエンチャンの朝市がずいぶん都会のように思えてきます。屋根の中に入ってみましょう。

肉売り場です。牛の頭が置いてあったりします。魚もあります。
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妊婦のお母さんが鴨の売買をしています。気の強い女の人のようで、もっと高く買ってよと売り手のおばさんが懇願しても、頑として聞き入れませんでした。
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揚げ菓子屋もあります。ほくほくでおいしかったです。
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もちろん、この市場にも屋台があります。ひき肉入りの麺でした。平たい米の麺でベトナムのフォーに似ています。人によっては衛生状態を気にするかもしれませんが、淡い鶏ダシのスープに香辛料が利いてうまいです。
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大きな鍋が湯気をたてています。この女の子はフォー屋の娘です。
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少数民族とおぼしき女性もたくさんいました。でも、彼女らは民族衣装を身につけてはいません。独特に結った髪型で、巻きスカートのおばさんもいましたが、たいていは中国製と思われる柄物のスカーフを頭に巻き、長靴を履いていたりします。
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おばあちゃん3人組がフォーを食べています。
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それにしても、ラオスの最辺境に位置するこの土地の人たちですら、手の込んだ刺繍を織り込んだ色鮮やかな民族衣装をふだん身に付ける機会はほとんどないようです。あるとしても、ツーリスト向けの一種の見世物になっていることが考えられます。

中国製の安価な衣料品が大量に入ってきており、それを日常的には代用してしまうのでしょう。これは、ここに限らず、アジア各地の少数民族エリアでよく見られる光景となっています。ちょっと悲しい気がしますが、無理もないことでしょう。

市場内には、両替商もいます。タイバーツや人民元との両替が可能なようです。
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もっとも、市場の入り口に、「ここではラオス通貨(キップ)を使うように」と地元政府の告知が書かれた大きな看板があります。
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その内容がわかったのは、漢字の看板もあったからです。これを見ても、ここが国境の町であることを実感します。実際、この市場では中国語がふつうに通じました。
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by sanyo-kansatu | 2013-11-24 23:19 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 11月 24日

ビエンチャンのチャイナタウンは2001年頃と比べてどう変わった?

ビエンチャンはレンタル自転車を借りて走り回るのにちょうどいい大きさの都市です。

1980年代であれば、北京や上海でも、ぼくはレンタル自転車であちこち訪ねまわっていたことを思い出します。いまはとても無理ですね。車の量が多すぎますし、都市化は郊外まで飛躍的に拡がり、都市交通機関が発達してしまいましたから。何より大気汚染がひどすぎて、サイクリングなんてやってる場合じゃないかもしれません(北京の胡同などでは外国人ツーリストがサイクリングしている姿をたまに見るけど、身体に悪そうです)。
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さて、ビエンチャンを自転車で散策すると、市内中心部でこそ仏領時代のコロニアル建築が残っていて目に楽しいのですが、ちょっと郊外に出ると、中国語の看板がよく目につきます。

東南アジアの各都市と同様、ビエンチャンにもチャイナタウンがあるのでしょうか。

それを知るうえで、筑波大学の山下清海教授の以下の調査報告が参考になります。山下教授は世界のチャイナタウンの研究者で、『池袋チャイナタウン』(洋泉社)という著書もあります。

ラオスの華人社会とチャイナタウン―ビエンチャンを中心に(山下清海教授 2006年)
http://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~yamakiyo/Laos-Chinese.pdf

その論文によると、ビエンチャンには2つの異なるチャイナタウンがあるようです。世界各地のチャイナタウンはどこでも「都市中心部に古くから存続してきたチャイナタウン(オールドチャイナタウン)と,それとは別に近年になって新しく形成されたチャイナタウン(ニューチャイナタウン)との2つのタイプ」に分けられるそうです。

前者(オールドチャイナタウン)が、チャオアヌ通り周辺です。通り沿いは、東南アジアのチャイナタウン特有の景観であるショップハウスが連なり、ビエンチャンの華人社会の最高組織であるとされる中華理事会や広東酒家などの広東料理店があります。
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チャオアヌ通りからメコン河沿いをファーグム通りに沿って東に進むと、福徳正神をまつる福徳祠があります。
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後者(ニューチャイナタウン)は市街地西部のノンドゥアン地区にあります。

「中国新移民が増加する中で,上述のオールドチャイナタウンとは別に,ニューチャイナタウンが形成された).ビエンチャンのニューチャイナタウンは,市街地西部のノンドゥアン(Nongduang)地区にあり,タラート・レーン(Talat Laeng,英語ではEvening Market)と呼ばれる.タラート・チーンの近くには,中国製のオートバイ,機械,金物,工具,部品などを販売する華人経営の金属関係の店舗が集中しており,華人は「塔拉亮(タラート)五金市場」と呼んでいる」(山下論文)
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実際、タラート・レーンを訪ねると、機械や工具などの店が並んでいました。

ビエンチャン市内には、中国の投資による建築物もいくつかあります。たとえば、国立博物館の真向かいに建てられた国立文化会館がそうだそうです。
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山下論文によると、もともとラオスは華人人口がそれほど多い国ではなかったようです。しかし、フランスからの独立後、1950年代後半になると、ラオスの商業の8割を華人に握られることになります。これは驚くべき数字といえます。当然ラオス政府は外国人の就業について制限を設けましたが、それでも華人は、ラオスに帰化するなどして経済活動をつづけました。

それが大きく変わるのが、1975年の社会主義革命の前後です。以下、その後の今日に至る経緯です。山下論文からの抜粋です。

「1975年の社会主義化の後,ラオス政府は,華人排斥の政策をとり,華人社会に大きな打撃を与えた.1976年には,華人の商店,工場を閉鎖した.1978年には,華人の財産の没収を開始し,華人団体の活動を停止させ,ビエンチャンの寮都公学を除くラオス国内すべての華文学校を休校させ,さらに社会主義化後,国内唯一の中国語新聞であった「老華日報」を停刊させた(《華僑華人百科全書・歴史巻》編輯委員会編,2002,pp.234-238)」

「1978年後半から,ラオスと中国の関係は冷却へ向かい,1980年,両国は外交関係を断絶した.しかし,1980年代後半,ラオスと友好的な関係にあるベトナムと,中国との関係が好転したのに伴い,ラオスと中国の関係も改善の方向に向かっていった.1988年,両国は国交を回復」

「1986 年,「新思考」(チンタナカーン・マイ)政策に基づく市場原理の導入などを柱とする経済開放・刷新路線が提唱され,市場経済化による経済成長が国家課題として掲げられた(天川・山田編,2005).新経済政策の実施後,華人企業は復興した.タイの華人資本や香港・台湾などの企業のラオスへの投資が増加した.また,社会主義後,海外に逃れていた華人の中には,ラオスへ帰国して,新たに創業する者もみられるようになった.中国の雲南省とラオスを結ぶ険しい山道の整備が行われ,メコン川を通行する船の往来も活発化した.これにより,改革開放政策が軌道に乗った中国から新来の華人(中国新移民)も増え,特に国境を接する雲南省出身者が急増し,1990年代半ばには,それまでの潮州人に代わり,雲南人がラオス最大の方言集団になった(《華僑華人百科全書・経済巻》編輯委員会編,2000,pp.243-244)」

ところで、山下教授の調査は2001年3月に行われたものです。それからすでに12年以上も月日が経っています。当時と比べてどう変わっているのでしょうか。

チャオアヌ通り周辺には、おしゃれなホテルやゲストハウスが並び、チャイナタウンの風情はほとんど失われているように思います。またタラート・レーンもさびれた印象です。
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こうしてみると、かつてオールドチャイナタウンのあった市中心部は、外国人ツーリスト向けの宿泊施設やレストラン、ショップに変わり、華人の経済圏は郊外に広がっているように見えます。

もっとも、これらのツーリスト向け施設のオーナーは、たいていの場合、東南アジア各地から来た在外華人ではないかと思われます。中国本土の華人に比べ、彼らはセンスがいいですし、英語も話すでしょうから、外国人相手のビジネスは秀でているのです。

ともあれ、華人に経済を握られてしまう構図は、1950年代後半に似てきたのかもしれません。

では、いったいこの10数年でビエンチャンに移民してきた中国本土からのニュ―華人たちはどうなったのでしょうか。

実は、山下論文にひとりの遼寧省出身の中華料理店経営者の話が出てきます。

「ビエンチャン市内では,中国新移民が開業した中国料理店や商店が各所でみられる.市内では珍しい餃子専門店を経営する華人(58歳)から聞き取り調査を行った(写真13).彼は中国東北地方の遼寧省瀋陽近くの出身で,ラオスに来て1年ほどしかたっていないため,ラオス語はなかなか覚えられないという.妻は北京出身.経営状態はまずまずである.ビエンチャンに来たきっかけは,先にラオスに来た彼の弟が,中国とラオスの関係が好転したので,これから中国料理店の経営は有望であると勧められたからである.ビエンチャン在留の餃子好きの日本人に人気があり,経営状態はよいという.日本語,英語,中国語のメニューを備えている.他の華人商店と同様に,店内の奥の床には,「土地爺」(土地神,土地公)をまつっていた」
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その彼の経営する遼寧餃子店がメコン河沿いのファーグム通りにありました。当時の写真に比べ、そこそこ立派な店構えになっていました。

中国本土で起きたこの10数年のめちゃくちゃ大きな変化に比べると、ラオスに移住してきたこの華人の境遇の変化は、実にラオスらしいというべきか、ずいぶんささやかなものだったといえるかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2013-11-24 16:57 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(1)