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2013年 11月 20日

平壌空港より立派なビエンチャン国際線ターミナル

この夏、ラオス国営航空(Lao Airlines)の国内線に乗りました。今年の8月はまるで「世界のマイナーエアライン試乗月間」という感じで、実は同じ月の後半高麗航空(Air Koryo)にも乗っています。
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そこで今回も、空港から搭乗、機内、降機に至るまでの間に撮った写真を並べてみましょう。高麗航空と比較してみると、面白いかもしれません。

●8月某日 QV601 ビエンチャン→ルアンナムター 12:50発
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これがラオスの首都ビエンチャンのワットタイ国際空港の国内線ターミナルです。
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国内線ロビーはのどかです。タイ製のバイクが展示されていました。
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チェックインカウンターです。
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国内線は11都市に就航しているそうですが、季節による運休や休止した路線も多いといいます。詳しくは公式サイトで調べられます。

ラオス国営航空(QV)
http://www.lao-airlines.jp/
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フライトまで時間があったので、ターミナル内の食堂に入ってみました。食堂のおばさんの娘です。
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ラオスでは国内線でもパスポートチェックがあるようです。一部の少数民族の移動に関する制限などが関係するそうです。
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待合室の風景です。
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いよいよ搭乗です。平壌国際空港と同じように、乗客は飛行機まで歩いていきます。
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機体は、中国製のMA60。プロペラ機です。実は、国際的な安全性の基準に達していないとの指摘もあるそうです。
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これが機内です。ローカル客がほとんどですが、外国人客も少しいました。日本人はぼく以外に関西から来た男性がいました。
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プロペラ機に乗るのはひさしぶりです。10年前に、ミャンマーの国内線に乗って以来かも。眼下は、最初は平野部でしたが、だんだんラオスの密林が見えてきます。
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一瞬のことでピンボケしてしまいましたが、ラオス航空の客室乗務員です。笑顔がすてきな美人さんでした。以前、といってももう20年くらい前ですが、旅行作家の下川裕治さんが「ラオス航空の国内線のスチュワーデスは、素足で機内を歩いているんだよ」と話してくれたことがあり、ぼくの中ではなかば都市伝説化していたのですが、さすがにいまどきそんなことはありません。
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ルアンナムター空港に到着しました。乗客はさっさとターミナルビルに歩いていきます。
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空港ビル内では、預けた荷物を受け取りますが、運んでくれる空港の人の姿が丸見えです。
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ルアンナムター県は、ラオス北部に位置し、中国やミャンマーと国境を接しています。少数民族の村を訪ねるトレッキングが人気ですが、8月は雨季なので、それほど観光客は多くないようです。

さて、ラオス国営航空の乗り心地ですが、プロペラ機特有の上昇時にふわっと身が浮くような感じが苦手な人もいるかもしれません。しかし、ヴィエンチャンからルアンナムターまでもしバスで行こうとしたら1日がかりだと聞いているので、乗る価値は大きいです。

ところが、今年の10月、ラオス国営航空の国内線は墜落してしまいました。

ラオス航空の旅客機が墜落、乗員乗客49人死亡(CNN) 2013.10.17
http://www.cnn.co.jp/world/35038610.html

「(墜落したのは)首都ビエンチャンからパクセに向かっていたATR72型のプロペラ機。現地では台風25号の影響で突風が吹いており、着陸準備に入っていた機体があおられて制御できなくなり、メコン川にある島の付近に墜落したという。(略)同航空によると乗客44人を含む49人が死亡」とのこと。
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まいりましたね。でも、墜落したのはぼくが乗ったMA60ではなく、フランス製のATR72です。台風の突風にあおられたとしたら、これも異常気象と関係あるのでしょうか。いやですね。

さて、ラオスの国内線はこんな感じですが、国際線はちょっと事情が異なります。今回ビエンチャン市内からトゥクトゥクでワットタイ国際空港に向かったものの、運転手が早とちりして国際線のターミナルに連れていかれました。それで知ったのですが、国際線のターミナルは国内線に比べ、ずいぶん立派な新しいビルでした。
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平壌国際空港でもこの夏、新ターミナルを建設中でしたが、ラオスのほうがはるかに規模も大きく現代的でした。これはなぜなのか。海外からの投資によるものだからでしょう。あとで触れますが、ビエンチャン市内には、2007年にできたという中国系の大きなショッピングモールがあり、華人商人と中国商品があふれていました。また中国国境とタイを結ぶラオス北部の国道もきちんと整備されています。つまり、ラオスと中国の経済関係が急速に進んでいることがうかがわれるのです。この両国の空港ビルの違いは、海外からの投資を受け入れる姿勢によるものと考えられます。

実際、ラオス国営航空は、アセアンの主要都市はもちろん、中国南方の3都市、さらにソウルへも就航しています。もちろん、他国のエアラインも多数就航しています。都市の人口規模に比べ、その路線数はなかなかのものです。
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その国際線ターミナルビルでちょっと楽しいワンシーンに出くわしました。ちょうどTVドラマの撮影をやっていたんです。おそらくラオス人だと思いますが、目のぱっちりしたきれいな女優さんでした。主人公の女性が出国するシーンを撮っていたのでしょう。いまのビエンチャンの国際線ターミナルビルであれば、ドラマのシーンに使われてもおかしくないほど現代的な空間ですからね。
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by sanyo-kansatu | 2013-11-20 11:56 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 11月 20日

ラオスの朝市に癒される(ビエンチャン編)

今年8月、ラオスを訪ねたのですが、癒されたのがビエンチャンの朝市でした。
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早朝、ゲストハウスでレンタル自転車を借りて、トンカンカム市場という朝市を訪ねました。市場の周りは、トゥクトゥクやバイクが並んでいます。
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自転車を停めて中に入ると、さまざまな食料品や日用雑貨の売られる市場が広がっていました。外から差し込む光が、ふとめまいのような感覚を引き起こします。ああこの感じ、いいです。激しい売り声が飛び交うこともなく、東南アジアの市場ならではのやさしい空気感に包まれます。
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野菜や卵、パイナップル、バナナなどが並んでいます。
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お惣菜も売っています。漬物や日本でいうと粕漬けのような魚もありました。
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肉団子売りの女の子はカメラを向けても、きょとんとした感じでこちらを見ています。
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インスタントラーメンはたぶんタイ製かな。
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市場の周囲は、ぎっしりバイクが並んでいます。「HONDA」のロゴが見えます。
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面白いのは、フランスパンが売られていることです。仏領だった時代の名残でしょう。ベトナムと同じですね。
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うれしいのは、フランスパンに地元の食材をはさんだサンドイッチをつくってくれることです。野菜やひき肉などがたっぷり入って、味付けはちょっとカレー風味のピリ辛です。パリっとしたバケットの食感とエスニックな具材の異色なマッチングがたまりません。ここがインドシナであることを再認識させてくれます。
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市場といえば、屋台が付き物です。みなさん仲良く並んで、静かに朝ごはんを食べていました。
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お粥や麺類が食べられます。このこがしニンニク入りのお粥は絶品でした。こちらで会った日本人が話していましたが、ラオスの食事は東南アジアでも随一、日本人の口に合うそうです。ラオスは海のない国ですが、山の幸が豊富で、スパイシーさもほどほどなのがいいのでしょう。
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お客には地元のおばあちゃんもいて、フランスパンのサンドイッチを袋に入れて持って帰るみたいです。この男の子も、かわいいですね。
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帰り際、バナナ売りの女の子が座っていたので、カメラを向けるとぎこちなく笑顔をつくってくれました。
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特に身構えるでもなく、自然体のままじっとこちらを見ているので、かえってこっちも緊張してしまいます。こういう瞬間、彼女は何を考えているのでしょうか。しかしその彼女を撮ろうとするぼくも、いったい何をしようとしているのやら。すべてを見透かされているような妙な感覚……なんて思いながら、アップでぱちり。

アジアの市場は活気がみなぎっているというのが、特に華人の多く住む場所では相場でしょう。でも、ラオスの市場は穏やかで静謐な時間が流れています。こういう他愛のない時間を久しぶりに過ごすことができ、感謝したい気分になりました。

なにしろビエンチャンは、首都といっても人口80万人。東南アジアでは、地方都市の規模です。ですから、ビエンチャン市民の胃袋を満たす朝市もささやかな大きさで十分なのでしょう。

急ピッチで発展を続ける東南アジアの中で、まるで置き去りにされたかように見えるラオス。首都ビエンチャンの都市景観は、高層ビルの立ち並ぶアセアン主要国と比べると、一時代以上昔のものであり、それゆえ外国人旅行者にとって好ましい存在となっています。いまのアジアはどこもかしこも“アゲアゲ”感がみなぎっていて、うんざりだからです。そんな熱気にあんまり引きずられても、いいことばかりとは限らないのでは。そういう皮肉な見方は、一部のラオスの人たちには不本意かもしれませんが、今回久しぶりに訪ねてみて、その思いを強くしました。

【追記】
実際には、ラオスの2000年代以降の経済成長率は平均して6~8%と高く、ビエンチャンも最近では不動産投機の動きが起きているそうです。これは東南アジアではどこでも起きてきたことですが、いい意味でマイペースであってほしいと思うのは、身勝手でしょうか。
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by sanyo-kansatu | 2013-11-20 09:08 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 06月 06日

「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました

鳴り物入りで建設の始まった新鴨緑江大橋。中国遼寧省の丹東新区と北朝鮮の新義州をつなぐ全長約2kmの斜張橋です。
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昨日(2013.6.5)、丹東に住む友人から「新鴨緑江大橋が半分くらいできました」と現地で撮影された写真付きのメールが届きました。約1年前の2012年7月に現地を訪ねたときにはほとんど存在していなかった斜張橋を支える2つの塔と橋桁の一部が出来上がりつつあります。

中朝経済を結ぶ大動脈となることを期待して2010年2月25日、両国の間で建設協定が結ばれました。工事現場の掲示板によると、建設投資22億元、約3年の工期で完成される計画で工事は2011年5月に始まっています。
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以下、この2年間の工事の進捗を写真で見てみましょう。

2011年7月1日
橋桁をつくるための土台が半分くらい出来ています。
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橋のたもとには工事を眺める地元の人たちがいました。
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2012年7月4日
斜張橋を支える塔の建設が始まったようでした。
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2013年6月5日
塔はだいぶ出来上がりましたが、橋桁はまだ一部しか出来ていません。
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工事現場に掲示された新鴨緑江大橋の完成図のイラストを見ると、スマートなシルエットが魅力です。
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地図によると、大連や瀋陽方面からの高速道路と接続される予定です。
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写真を送ってくれた友人によると、この新鴨緑江大橋は、表向き両岸から工事を進めているとはいえ、投資も建設もその大半は中国にお任せ。そのくせ北朝鮮側は、開通後には通行料を取ると言い出して、そりゃないだろと、中朝間でもめているとか。いかにも両国の関係を象徴しているようで、面白いですね。

もっとも、中朝経済の発展格差の大きさからすれば、中国側は必ずしも工事を急ぐ必要を感じないのかもしれません。また、中国の地方経済が抱える不良債権問題が工期に影響してくる可能性も今後はあるかもしれません。

いずれにせよ、橋が完成したあかつきには、吉林省琿春の圏河橋(中朝第2の国境、圏河・元汀里で見たもの【中朝国境シリーズ その1】)と同じように、中国側からの交通量が一方的に増えることが予想されます。経済的には常に受け身に回らざるを得ない北朝鮮はいろんな手を使って交通量を調整することも考えられます。新鴨緑江大橋開通というインパクトが、この地域にどんな変化をもたらすことになるのか。それが見えてくるのはもうしばらく先のことですが、今後も注視していきたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-06 08:51 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 06月 02日

中朝陸の国境では兵士も農民も目と鼻の先(遼寧省丹東市)

中国遼寧省丹東市から鴨緑江を下流に向かって車で30分ほどの場所に、川を隔てていない陸の国境があります。
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地図を見るとわかるように、鴨緑江の下流域には中州がたくさんあるのですが、そのうち鴨緑江の本流から見て北側の中国領に接したいくつかの中州がなぜか北朝鮮領であるため、陸の国境線が敷かれることになるのです。
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国境沿いには、丹東市街から東港国際港に至る道路が延びていますが、北朝鮮が核実験を実施した2006年秋以降、中国政府は一斉に鉄条網を建設しました。地元の中国人によると、それまでは両国の境はなく、のどかな田園風景そのもので、人民同士ごく自然に往来しながら暮らしていたそうです。

ところが、いまでは道路の南側に広がる北朝鮮の田園風景は鉄条網越しに眺めることになります。

地元の知り合いの運転する車で、この国境沿いのコースを何度かドライブしたことがあります。道路のほんのすぐ脇に鉄条網はありますが、その目と鼻の先は北朝鮮の農地です。
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しばらく走ると、北朝鮮の民家もすぐそばに見えます。田植えをする農民たちもいます。
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木陰に北朝鮮の国境兵士と思われる軍服姿の若い男たちもいました。彼らはべつにここで何をするわけでもなく、無聊をかこつという姿にしか見えません。
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ここにも北朝鮮側にモノを投げたり、交換したりするな。また撮影は禁止だと書かれた看板があります。そのせいか、たまに軍の車がこの道を往来していて、そのつど車の走るスピードを少し速めたり、カメラマンは望遠レンズを車の窓の下に隠したりしなければなりません。
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2011年6月、北朝鮮政府はこの陸の国境沿いにある自国領の黄金坪と威化島という中州を「経済地帯」に指定。中朝両国はこの地を共同開発し、工業団地を建設するための着工式を行ったことが、日本のメディアでも盛んに報道されたことがあります。確か、わざわざテレビ局までこの地の映像を流していました。
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ところが、その後いつになっても、建設は始まりません。現在もなお、のどかな田園風景には不似合いなほど仰々しい黄金坪の入り口の扉は閉じられたままです。
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着工式が行われた広場も、「中朝睦邻友好共促经济繁荣」と書かれた大看板が置かれただけで、人の姿はありません。このところの中朝関係の悪化もあるでしょうが、そもそもインフラ整備から投資まで、すべてをオンブにダッコの北朝鮮に対して、さすがの中国側もうかつに手は出せないという感じではないでしょうか。
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黄金坪の向かいの中国側には、最新式の体育館が建設されていました。こちらは「丹東新区」と呼ばれる開発区で、いずれ丹東の都市機能をこちらに移転すべく、現在大規模な開発が進んでいます。なんとも皮肉な光景といえます。
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※掲載した写真は、2008年5月~12年7月にかけて、ほぼ毎年この地を訪れて定点観測した中から選んでいます。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-02 16:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 06月 02日

万里の長城の東端とされる虎山長城から見渡す北朝鮮の畑

中国遼寧省丹東市から鴨緑江の上流に向かって約20㎞の場所に、万里の長城の最東端とされる虎山長城があります。
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中国側の主張によると、明の治世の1469年、後金の侵入を防ぐために建造されたものだそうです。1980年代後半、この地で長城の遺跡が発見されたということで、それまで河北省の山海関までとされた長城が東に延長されることになりました。ただし、大連市北郊外の大黒山に残る遺跡と同様、前漢の時代に高句麗が築いた遺構との説もあります。
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1992年以降、北京郊外にある本家の万里の長城をまねて、散策しやすいよう新たに築城されてしまった結果、歴史の真相は塗り消されてしまいました。いまでは、中国のどこにでもある石畳のテーマパークといった感じです。相変わらず、やることが雑ですね。
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むしろ、ここを訪ねて面白いのは、長城から南側に抜け、北朝鮮との国境となる鴨緑江沿いの「一歩跨」という名の展望台でしょうか。
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確かに、そこからすぐ目の前のわずか数メートルの小川を隔てた先は北朝鮮の畑で、農民の姿もよく見えるからです。ここでは、川の手前ではなく、向こう岸に鉄条網が敷かれています。目の前の北朝鮮領は鴨緑江の中州にあるためです。鴨緑江の本流は、畑の向こうを流れているのです。
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これは、中朝国境でよく見かける看板ですが、北朝鮮側にモノを投げたり、物品を交換したりしてはならない、と書かれています。
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さらに、ここにもお約束のように、遊覧ボートの乗り場があります。掲示板の地図を見ると、ここから中朝国境となる狭い小川を通って、長城の終点である長城歴史博物館の場所まで下るようです。実際、その間北朝鮮の畑以外、見るべきものはほとんどないため、乗客の姿は見られません。
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ところで、虎山長城付近は日露戦争時、日本帝国陸軍第一軍が渡河し、ロシア軍と交戦した場所でもあります。1904年4月20日前後のことです。
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占領後に建てられた碑はいまも残っています。丹東市政府による日露戦争の戦跡の碑もあります。大正時代に日本人が造った碑も残っています。
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この地に最初に城壁を築いたのが誰であれ、高句麗の時代から20世紀に至るまで、鴨緑江を渡河するのに、この地が適した場所であったことがうかがえます。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-02 14:19 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 28日

鴨緑江遊覧ボートで見る中朝の発展格差をどう考える?(遼寧省丹東市)

これまで中朝国境沿いに残された断橋や疲弊した北朝鮮の集落、そこで暮らす人々の様子を川向こうからこっそり覗いてきましたが、今回は中朝国境を代表するスポットとして遼寧省丹東を紹介します。
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ここには、朝鮮戦争時に米軍によって落とされた鴨緑江断橋と、それに並行して造られた中朝友誼橋(全長946m)があります。中朝友誼橋には鉄道が敷かれており、中朝間をつなぐ最大の国境ゲートとなっています。

※鴨緑江断橋は1911年11月に開通した橋梁で、1950年11月8日に落とされたまま、反米プロパガンダとして現在もその姿を残しています。中朝友誼橋は1943年に開通し、こちらも米軍によって落とされたのですが、改修して使われています。
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断橋のたもとからは、鴨緑江下流に向かって遊覧ボートが出ています。
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遊覧時間は約40分ほどですが、乗客たちは中朝両国の発展格差を目の当たりにすることになります。遊覧コースについては地図にこうあります。
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以下、橋のたもとから下流に向かって北朝鮮側と中国側の様子を交互に写真で並べて対比してみましょう。撮影は2010年5月のものですから、中国側はともかく、北朝鮮側も現在はもう少し整備が進んでいると思われます。
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北朝鮮側:橋のたもとに小さな観覧車が見えます。
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中国側:橋のたもとには、断橋と対岸の北朝鮮の様子が見渡せる中聯大酒店(ホテル)が建っています。
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北朝鮮側;橋のたもとから数百メートル下流に朝鮮式の2階建て施設がみえます。ここで幹部らが食事でもするのでしょうか。
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中国側:その対岸にはマンションが立ち並んでいます。
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北朝鮮側:そのさらに数百メートル下流に老朽化した2階建ての用途不明の建物があります。
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中国側:その対岸には最新式の高層マンションがあります。
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北朝鮮側:さらに下流に行くと、港湾施設を建設中です。この先には中国の投資による新鴨緑江大橋が建設中です。中国の投資攻勢に北朝鮮も防戦一方ではすまされないでしょう。
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下流に向かって右手が中国、左手が北朝鮮。
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遊覧ボートが引き返して、左手が中国、右手が北朝鮮。
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両国の発展格差をもっと印象に刻みつけたいのであれば、丹東の市街地の北にある元宝山の上に建てられた黄海明珠塔に上るといいでしょう。元宝山の標高が155m、塔の高さが138mで、手前の丹東市内と北朝鮮新義州の街並みを遠望できます。

鴨緑江に面して高層マンションが林立し、ぎっしりとビルと人間が集住している丹東市内に対して、河を隔てた新義州には低層住宅がへばりつくように並んでいますが、市街地の向こうには何もなさそうです。
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少し俯瞰した写真で見ると、新義州のはるか向こうに高層ビル群が見えます。あれは丹東新区と呼ばれる開発区で、いずれ丹東の中心はあちらに移る計画だそうです。すでに丹東市政府の巨大なビルは移転しています。新鴨緑江大橋を架けようとしているのは、丹東新区からです。いずれ、新区の様子も紹介するつもりです。
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さて、こうしてみる限り、中朝両国の発展格差は絶望的なまでに拡がっているといえなくもありません。

この歴然とした格差の光景は、1980年代半ば、香港の新界から眺めた深圳を思い出します。見渡す限り田園風景だった深圳に対し、背後には超高層ビルが林立し、人ごみあふれる香港という対比。それでも、当時その光景をそれほど深刻なものとして受け取る気分になれなかったのは、中国大陸の大きさに比べれば、香港なんてちっぽけな存在にすぎないのだから……。そんな漠然とした思いがあったからだと思います。なんにしろ、中国はこれからゆっくり発展していけばいいのだからと。

ところが、鴨緑江を隔てた中朝の格差の光景には、どこか不穏な印象がぬぐえません。

巨大な中国に対し、北朝鮮はあまりに小さく、デリケートな存在だからです。ハンディが大きすぎるのです。

もし中国の投資家がアフリカやミャンマーでやったように好き勝手に北朝鮮に入りこんできて、フリーハンドで開発を進めたら、中国資本に飲み込まれてしまうであろうことは明らかです。鴨緑江遊覧ボートや黄海明珠塔から見る中朝国境の光景はそれを実感させます。でも、そんなことをあの国の政府が許すはずはないでしょう。北朝鮮の北東アジアにおける超問題児ぶりの背景には、何より中国との関係があるのです。

だからでしょうか、北朝鮮関係者によると、この国では海外からの膨大な投資を飲み込むことで発展してきた中国式モデルではなく、国情の似たベトナム式の改革開放モデルを学ぼうとしているとも聞きます。台頭する中国とじかに国境を隔てる国々の苦悩はこれからも続くと思われます。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-28 14:53 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 26日

高速で素通りされ、さびれてしまった図們

図們は、吉林省延辺朝鮮族自治州の東南部にある中朝国境と接する都市です。
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丹東の鴨緑江断橋が観光名所としてにぎわうのと同様に、図們と南陽(北朝鮮)に架かる図們大橋の手前に建てられた国門とその周辺は、北朝鮮の切手などを売る商店や軽食堂の並ぶちょっとした観光ポイントになっています。
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図們大橋のたもとでは、多くの中国人観光客が対岸の北朝鮮をバックに記念撮影を楽しんでいます。
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国門の屋上は展望台(有料)になっていて、そこから図們大橋の全貌と南陽の街並みが遠望できます。
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さらに、図們大橋の真ん中までが中国領ということで、観光客は国境線とされる中央のラインが敷かれた場所までは歩いていけることになっています(橋自体も中国側と北朝鮮側で色を塗り分けています)。
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もちろん、まったく物流が途絶えているというわけでもなく、北朝鮮側からこの橋をトラックが渡ってくるのをぼくも以前見たことがあります。しかし、ごくたまに、といった頻度です。では、本来中朝間の数少ない物流ルートであるはずの図們大橋が、なぜ日常的には中国側の観光客の散策の場くらいにしか使われていないのか。理由は後述します。

国境観光のその他アトラクションという意味では、図們大橋の北側の図們江沿いは図們江公園となっていて、朝鮮族の歴史や文化、風俗を展示する「中国朝鮮族非物質文化遺産展覧館」(なかなかすごいネーミングでしょう)があります。要は、無形文化財の展示館ということですが、実態は朝鮮の民族衣装を着せた蝋人形館といったほうが近いようです。

また図們江公園には、これまで見てきた中朝国境ではおなじみの国境遊覧ボートもあります。2012年に訪ねたときには、イカダ型をした奇妙なボートがそれほど川幅の広くない図們江を下流に向かって遊覧していました。ある意味、中朝国境沿いの中で最も北朝鮮側に接近したコースを航行するボートといえるかもしれません。

確かに、北朝鮮が中朝国境の近くで核実験を敢行したことで両国関係が緊張した一時期こそ、中国当局の指示で観光客の姿は消えましたが、それもつかの間。実際には、日本のメディアが報道するほど緊迫した事態というのはまれで、のどかな国境風景が見られるのが日常といえます。
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むしろ、図們は延吉や琿春と比べると、発展から取り残されたまちといえるでしょう。どうしてそんなことになったのか。

かつて図們は「西の丹東、東の図們」と並び称される中朝国境のメインゲートでした。ところが、2010年、長春方面から延びてきた高速道路が琿春までつながり、圏河口岸が整備されたことで、中朝間の物流ルートとしての位置付けは琿春に移ってしまったからです。琿春にはロシアとの口岸もあり、今後の発展が期待されますが、図們は高速によって素通りされ、さびれていくばかりというのが近年の状況といえます。
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しかし、歴史的にみれば、この地の重要性が決定的に低下したのは、満州国崩壊にまでさかのぼります。

もともと図們は、日露戦争後に日本が間島協約で清から敷設権を獲得した「吉会鉄路」の終着駅として建設が進められ、満州国成立後には図們南陽橋(現「図們大橋」)を通じて北鮮線と接続、日本海経由の日満連絡ルートとしての地位を確立していました。1930年代の図們について、以下の記録があります。

「図們はわが北鮮南陽と図們江を隔てて相対する国境新興都市、しかしこの国境は友邦両国の捨手地で、その和やかさは全くいわゆる『銃剣のきらめく緊張の国境風景』ではなく、僅かに税関検査が安東・大連と同様に行われる。

この地もともと名もなき小部落であったが、僅かのうちに驚異的躍進を遂げた新開地で、したがって料亭・旅館・飲食店など多く、生気溌剌としている。

列車は進んで豆満江国際鉄橋(420米)を渡ると地はすでにわが皇領をなる。その羅津港はこの橋梁より南陽に出で後162粁5、咸鏡北道北辺を走り直通列車はおよそ3時間で着く」  (ジャパンツーリストビューロー 昭和12年発行)

結局、日本の敗戦で、当時図們から北朝鮮経由の日満最短航路のひとつだった羅津までの路線(図們-南陽-穏城-慶源-雄基)は事実上断たれてしまいました。「図們江、野ざらしにされた断橋の風景【中朝国境シリーズ その6】」で見た橋桁の消えた鉄道橋や、「羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口」で紹介した羅津駅や雄羅線(雄基・羅津)の現在の姿からもわかるように、現在線路はなんとか残っているものの、鉄道を運行するには改修工事が必要なようです。

北朝鮮側としては中国の投資によってこの鉄道を改修させたいと考えているようですが、中国は先に圏河口岸から羅津に至る自動車道の舗装化を優先させました。近年の不安定な中朝関係のなかで、鉄道路線を改修するコストを引き受けるのは中国側も抵抗が強かったでしょうし、この辺境の地においても、もはや鉄道の重要性は低下し、モータリゼーションの時代を迎えているからでしょう。いずれにせよ、膠着状態にある昨今の中朝関係の中で、かつて国境のまちとして栄えた図們が今後大きく変貌を遂げる可能性は少ないように思われます。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-26 10:58 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 20日

過去のにぎわいを忘れたふたつの国境~開山屯と三合鎮

中国吉林省延辺朝鮮族自治州には、圏河口岸以外にも、北朝鮮との国境ゲイトがいくつかあります。
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そのうちのひとつが、図們江中流域にある龍井市開山屯の口岸です。龍井から東に向かって車で約40分走ると、図們江に出くわします。
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そこには、開山屯と北朝鮮の三峰里をつなぐ三峰橋が架かっています。1927年9月30日に竣工されたものです。
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中朝両国側ともに河原が広く、水の流れはほんの数十メートルほどです。ここにも中朝国境の風景をのんびり眺めている中国の人たちがいます。ほとんど物流の動きはなさそうですが、一応口岸(イミグレーション)のオープン時間が掲示されています。監視用のカメラも一応備えられています。実は、2013年5月、ひとりの日本人旅行客がここで写真を撮影していて、中国の公安に拘束されたことがあるそうです。北朝鮮情勢にもよるのですが、もしこのような写真を撮影したい場合は、現地の知り合いと一緒にいくべきでしょう。
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いまでこそ鄙びた国境ですが、20世紀初頭、日本が朝鮮を保護国化し、1909年の関島協約でこの地域の帰属を清朝に認めるかわりに、鉄道など各種権益の保有(朝鮮移民の土地所有権も含む)を認めさせた頃から、急ピッチで図們江北側の「間島」エリアの開発が進んでいきます。

その後、日本によるこの地の鉄道敷設は中国側の反対に遭い、難航をきわめたのですが、朝陽川から龍井を経由して開山屯を結ぶ朝開線が、1914(大正3)年、日中合弁の天図軽便鉄道会社によって建設されます。

同じ時期、朝鮮側でも鉄道敷設は進み、清津から会寧までの咸鏡北部線が1917(大正6)年、さらに開山屯の対岸の上三峰までの開通が19(大正8)年。結果的に、朝鮮北部の清津(そして羅津)と満洲を結ぶ鉄道がつながることで、日本と満洲を直結する最短ルートが確立するのは、満洲国成立を待たねばなりませんでしたが、開山屯は当時、その重要な拠点のひとつでした。

※当時の鉄道建設に関しては、たとえば「躍進する北鮮の交通展望」(京城日報 1933(昭和8).9.27)参照。

満洲国崩壊後、このルートは用なしとなって現在に至っています。その結果、この路線はもはや鉄道の運行すらほぼ休止したありさまですが、開山屯駅は往時を偲ぶ昭和モダン風の愛嬌のあるデザインのまま、いまも残っています。
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開山屯周辺は、対岸の北朝鮮との川幅が狭く、ある時期までは中朝の民間交流が普通に行われていたと思われます。最近になって、とってつけたように中国側が鉄条網を張り巡らしているので、交流は相当難しくなっているはずです。何より中国側で同胞を受け入れようとする朝鮮族の思いが急速に失われていることが大きいと思われます。
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開山屯から南に向かって国境沿いを車で走ると、高台から北朝鮮の街並みが見渡せるポイントがあります。上三峰から会寧に向かう鉄道が見えるのですが、ベージュに赤と紺のストライプの入った、ちょっと場違いなほどモダンな4両連結の列車が走っていました。鉄道に詳しい友人にこの写真を見せたら、旧東ベルリンの地下鉄だといいます。かつては同じ社会主義圏ということで、転用されたものと思われます。
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さて、もうひとつの口岸が、開山屯より上流にある三合口岸です。三合鎮自体は小さな農村ですが、対岸は会寧といい、そこそこ大きなまちです。前述したように、朝鮮の日本海側を代表する港町、清津と結ぶ鉄道が早い時期から会寧まで敷設されており、当時はずいぶん栄えていたことでしょう。金日成夫人の金正淑(金正日の母)の生まれ故郷ということで、北朝鮮国内では有名なところだそうです。そのせいなのか、美人が多いまちだと彼らは口をそろえていいます。面白いですね。
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実は、この口岸は中朝以外の第三国人には開放されていないのですが、2008年5月、ぼくは地元延辺朝鮮族自治州のある関係者との縁で、国境橋を視察させてもらいました。橋の真ん中までは中国領ということで、国境警備兵の案内で歩いていくことができたのです。上の写真は、橋の中央からみた北朝鮮側の口岸で、下が中国側の口岸です。橋のたもとには「1941年7月竣工」と書かれていました。
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三合口岸の南に見晴らしのいい高台があり、「望江閣」と呼ばれています。ここからは会寧の街並みが一望にできるため、北朝鮮ウォッチングのポイントのひとつとして、よく観光客も訪れます。北朝鮮側の口岸もよく見えます。会寧は、他の中朝国境沿いのまちに比べ、家並みもかなり立派で、整然としていることがわかります。
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このふたつの国境を訪ねると、中国と北朝鮮の建国以来、今日まで続く両国関係の特殊性ゆえに、この地域の発展の可能性が閉ざされてしまったように見えてしまいます。かつて見られたにぎわいをすっかり忘却してしまった静かな国境―開山屯と三合鎮の姿は、現在の延辺朝鮮族エリア、果ては中朝ロ三か国が国境を接する北東アジアの行きづまり感を象徴しています。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-20 14:21 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 18日

図們江、野ざらしにされた断橋の風景

以前、鴨緑江の河口断橋について書きましたが、今回は図們江にあるふたつの断橋を紹介しましょう。
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それは吉林省の図們と琿春の間にあります。
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まず、琿春市英安鎮にある甩湾子橋です。完成時には約 500m という長さの朝鮮と満州国をつなぐ国境橋で、対岸は北朝鮮咸鏡北道の訓戎です。欄干は途中まで残っていますが、すぐになくなります。橋を歩いていても、最初は橋が断たれていることがわからないくらい、中国側の橋桁はそのまま残っています。北朝鮮側近くになって、突然橋桁がなくなります。
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わずか10数メートル先に北朝鮮側の橋梁が残っていて、向かって左手に国境警備のためと思われる老朽化した建物があります。時折、国境警備兵らしき軍人の姿が見えます。
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この橋は、1945年8月のソ連軍侵攻時に日本軍が爆破したそうです。国境をつなぐ橋らしく、中国側に当時のトーチカが残っています。
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甩湾子橋の東、図們江の下流側に橋脚だけが残された鉄橋跡が見えます。これは1935年に開業した琿春鉄路(のちの東満州鉄道)の甩湾子駅(満州国)と訓戎駅(朝鮮)をつなぐ鉄橋でしたが、終戦時にソ連軍がシベリア鉄道用として橋上の鉄梁をすべて収奪したため、現在の姿をしているそうです。
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もうひとつの断橋は、図們市涼水鎮にある穏城大橋です。甩湾子橋より少し上流にあります。この一帯は図們江の下流域にあたり、肥沃な平野が続きます。19世紀から多くの朝鮮農民が入植してきました。いまどき珍しく、手で田植えをする姿を見ました。牧童ものんびり羊を追っているような世界です。
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さて、穏城大橋は1937年5月に竣工された国境橋で、対岸は北朝鮮の穏城郡です。こちらは中国側も橋桁がわずかしか残っておらず、北朝鮮側では橋脚が残されているだけです。
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余談ですが、さらに上流に行くと、図們市街地近くで、図們江が深く北朝鮮側に入り込むように蛇行して流れる場所があります。そこからは北朝鮮の革命記念塔のような施設がよく見えます。こうした施設は中国側から見られることを意識して造られていると思われます。
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これまで中朝間に残るいくつかの断橋を見てきましたが、①終戦時に日本軍が破壊したパターン、②朝鮮戦争で米軍機によって爆撃されたパターン、さらには③ソ連軍が橋桁などを収奪し、撤去したパターンなどがあるようです。

いずれにせよ、60年以上前の話です。この間、これらの断橋は野ざらしのまま放置されてきたのです。いったい中朝間の人的交流や物流はどこまで停滞してしまっていたのか。

その土地を誰が仕切るか――。それによって地域の発展の度合いがこれほど変わるものなのか。中朝間に残る断橋を見ていると、そう思わざるを得ません。高度経済成長を達成したといっても、中国にとって延辺は所詮辺境なのですね。

かつて朝鮮農民にとって希望の地だった延辺の農村は、すでに漢族化が進んでいるといわれます。中国にとっては、それで好都合なのでしょう。

中国から見れば、ロシアや北朝鮮と国境を接するこの地域をあまり勢いづかせないほうがむしろ安泰なのかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-18 11:28 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 17日

鴨緑江の源流は長白山南山麓の北朝鮮側にある

「中朝国境シリーズ」の第4弾です。さて、この写真はどこで撮ったものでしょうか。
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答えは、鴨緑江の源流近くです。長白山山麓を源流とし、中国と北朝鮮を隔て、吉林省長白鎮から遼寧省丹東をへて渤海にそそぐ鴨緑江。ここは、長白山に3つある中国側からの登山ルートのうち、「南坡(南坂)」の山門から車で天池を臨む山頂に向かって上る途中にあります。

この川幅わずか数メートルの急流は、中朝国境というわけです。道路脇の川の手前に中国側が設えた鉄条網が延々と張り巡らされています。中国が北朝鮮との国境に鉄条網を設えるようになったのは、北朝鮮が初めて核実験を行った2006年10月以降のことといわれます。鴨緑江の下流にある丹東新区や図們江の流域などに、いっせいに鉄条網が設えられたことはまだ記憶に新しいといえます。たいてい見せかけ程度の鉄条網で、脱北者も本気になればやすやすと乗り越えられそうなものですが、こんな山奥にまで鉄条網があったとは……。
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これが「南坡(南坂)」の山門です。長白山瀑布が有名な「北坡(北坂)」や2008年の長白山空港の開港で、ここ数年急ににぎやかになってきた「西坡(西坂)」に続き、2012年夏に本格的にオープンした登山ルートの玄関口です。
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地図をみるとわかるように、長白山の天池を北東から南西にかけて斜めに真っ二つに割るラインが中朝の国境線になっています。ところが、その先からは直角に折れ曲がるように南東に向けて国境線が伸びています。そして、そのラインが鴨緑江の源流近くとぶつかる地点から先は、そこが国境になっているのです。
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途中から急流は車道から離れていきます。その先に鴨緑江大峡谷があります。約1000年前の長白山の噴火によってできた大きな亀裂です。この先はもう中国側からは源流を捕捉できなくなります。本当の源流は長白山の南山麓の北朝鮮側にあるのです。
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山頂近くにある駐車場を降り、そこから登山道を数分上った先に、中国と北朝鮮の国境を示す「4号定界碑」があります。中国側は漢字で、北朝鮮側はハングルで書かれています。ここも中朝国境というわけです。「越境禁止」の看板があるのは、そこが北朝鮮領土であることもそうですが、その先はすぐに火口湖である天池に向かった崖っぷちになっていて危険だからです。
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本来であれば、ここから天池が眺められるのですが、その日(2012年7月2日)、山頂付近は深い霧で、天池を見ることはできませんでした。とても残念です。というのも、山の天気は変わりやすいといいますが、車で10分も下ると青空だったのですから。
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それにしても、天池を真っ二つに割るラインを中朝両国が国境線とした背景にはいろんな事情がありそうです。なぜなら、長白山(白頭山)を聖地とみなす民族的な心情は、明らかに北朝鮮の人たちのほうが強そうだからです。確かに、満州族にとっても長白山は特別な存在ではありますが、中国政府はこれまで満州族の民族的アイデンティティの高まりを抑えてきた張本人でもあるわけですし。

一般に、中国の人たちは「長白山の半分は中国が北朝鮮にあげたものだ」というような上から目線のもの言いを平気でします。朝鮮戦争で援軍を出したのは中国だからでしょう。援軍を出してやらなければ、白頭山の領有自体ありえなかっただろう、というわけです。

近年、長白山の観光開発が飛躍的なスピードで進んでいる背景には、「半分は北朝鮮にあげたとはいえ、長白山は本来中国のものだ」という東北工程的な史観の既成事実化があるように思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-17 10:42 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)